2024/4/23 <肩関節の扱い方>
実際に生徒さんたちにチャンスーを教えていて気づくのは、肩関節の位置の意識がズレているということ。肩関節を回してください、と指示した時に、腕を回している・・・
確かに、腕を回せば肩関節もそれなりに使われるのだけど、きちんと、肩関節を回転させないと、その先の関節(胸鎖関節や肩甲胸郭関節など)に連動をさせて背中や脇、腹の筋肉を経由して股関節や鼠蹊部、膝、足首・・・とつなげることはできない。
肩関節は自分が腕を回している時にここが肩関節だ、と思っているところよりももっと内側にある。
この週末のレッスンでは、一人一人の肩関節をぐるっと回してあげた。(私の腕の上に、腕を載せてもらい、十分力を抜いてもらった上で、私が腕をぐるり、と回す。生徒さんが腕を十分に放松していれば、私が肩関節を回すと、その連動が生徒さんに伝わる。生徒さんは驚いて後ろに転けそうになる・・・体が飛びそうになるのだ。)
肩関節を回すと、体は動きそうになる。それを止めておくだけの腹圧(丹田の力)が必要になる。
関節は二つの骨の間の隙間だ。
隙間をどうすれば動かせるのか?と思うかもしれない。
要領としては、二つの骨のうち、体の中心部に近い方の骨を動かすような感覚で使えば、結果的にその関節を動かした感じになる。
例えば、肩関節は、上腕と肩甲骨の接するところの隙間だ。
この場合は、肩甲骨側の方を回す意識が必要だ。
上腕骨をだら〜んとして肩から引き離すようにして(腕抜き)、肩関節を開いてその隙間を感じる。隙間を開いたまま、もう片腕も同じようにする。両腕とも肩から引き離せたら、「沈肩』になっているはず。腕を回す時にはとの隙間を回す(というのが理想)。脇の奥の方、タンクトップの腕ぐりのラインあたりを動かす感じになると思う。そこを動かすなら、結果的に胸の方から関節回すことになるだろう・・・腕から肩関節を回そうとするよりも、胸から肩関節を回す意識で動かすことになるはず。(そもそも、腕を抜いて沈肩を作る時点で、胸を操作=含胸が必要になる)
↓https://r-body.com/blog/20220401/6492/ の画像に説明を追加しました。
動かすのは、左のベージュのタンクトップ(https://www.sunfast.jp/YY-STBA1505)の腕ぐりのラインあたりです。
黒のタンクトップの腕ぐりラインでは外すぎます。それでは上腕骨を回す意識しかなく、胴体部と連動しません。
太極拳で沈肩にするのは、この肩関節の意識をはっきりさせるため。
この肩関節の位置が正しく把握できないと、肘関節も曖昧になって、墜肘ができません。肘関節が正しく把握できなければ、手首も出てこない・・
逆に言えば、肩関節が見つかれば、ドミノ式に体幹部の関節も、腕の関節も見つけられる可能性がありそう。
ということで、肩の開発は優先順位がとても高いです。
(肩が正しい位置に戻れば、腰痛や膝痛に悩まされることも激減するでしょう。というのは、姿勢が最初に崩れるのは、首、肩です。小学生になるとすでに崩れ始めます・・・)
2024/4/16 <順チャンスー、逆チャンスーのイメージ>
今週はチャンスー(纏糸)を教えていますが、チャンスーは簡単にいうと、関節を回転させることで勁を伝達させることです。体の中心から末端に向かう勁の流れを生み出すのは逆チャンスー、体の末端から中心に向かう勁の流れを生み出すのは順チャンスーです。
チャンスーには関節の意識が不可欠です。関節を次々と回していかないと、勁の流れが途中で止まってしまいます。
←https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/304829
左はガッツポーズをする大谷君。
この姿は順チャンスーを大袈裟に表現した感じでとても分かりやすい例です。
拳は小指から巻き込んでいて、その握り込んだ力は体の中心部(腹腰)に流れ込んでいます。含胸になっているのがよく分かります。
足は写っていませんが、足首もきと多少外旋しているはず。股関節は外旋し、お尻は内側に入ります。
声は出していますが、意識は内側に向かっています。外に向かって声を張り上げている、というよりも、内側に向かって吠えている、といった感じです。
これが、順チャンスーの極み、合の極み、といった姿です。
←https://twitter.com/nek_12/status/694032226950840321
左のような、演歌歌手にみられるこぶしポーズも上のガッツポーズに似ています。
やはり意識は内側に向かう。
拳を握り込む、掌が自分の方に向かう動き、というのは、単に手の動きだと思うかもしれませんが、ちゃんとやれば全身に連動がかかります。
比較として載せますが、左の画像のような表面的な拳の握り込みでは、チャンスーはかかりません。
本気の時のように内側に気(勁)の流れる隙間がない・・・偽っぽい?
今度は、逆チャンスー。
すぐに思いつくのは、バスケットのパスです。
http://www.db291.com/izumida/lesson/pass.html
ボールを受け取った後、手首を返してスナップをきかせてボールを放つ動き。
このブログに書かれているように、”胸を張って腰を十分にいれ””足で地面を蹴る”のが大事。これは中心(腹腰)から末端へ、外向きに勁が流れます。太極拳のジーと似た動きになります。違いは、太極拳は前方だけに意識を向けるのではなく、丹田に気を沈めて最後まで下半身の力を抜かないことです。
逆チャンスー系で他に思いつくのは、空手の突き。https://sorush.info/2019/12/29/karate-fist/
拳が腰にある時は、掌が上を向いていますが、それを前に出す時には回転して掌が下に向いた拳になる。太極拳と同じです。
ただ、空手の場合は、関節の中を連動させているわけではなくて、(外の)腰を回転させることで、筋肉を連動させているようです。太極拳の時の”腰”はもっと内側の腰、=腎です。
実は、腰の王子の「おはようおやすみ体操」は、「おはよう」は逆チャンスー、「おやすみ」は順チャンスーの、骨盤、胸郭、頭部、の連動の原理を教えてくれています。太極拳の節節貫通というのはまさに関節を次から次へと連動させることですが、関節、というのは隙間のことなので、かなり体の内側を見る必要があります。内視が必須ということです。同様に、おはようおやすみ体操で、三つの玉(腰玉、胸玉、頭玉)を連動させるにも内側の意識が必要になります。一方、上の空手の場合は意識は完全に外です。関節の隙間の意識は皆無です。空手は意や気ではなく、力で動いている感が強いです。よって、上の空手の順逆のチャンスーはチャンスー勁として全身を貫いているものではないですが、腕のチャンスーで肩甲骨や広背筋、などのある程度の連動はかかっているようです。
太極拳の中でも、陳式はチャンスー勁がとてもよく見えますが、それをシンプル化した楊式になるとチャンスーが見えづらくなります。しかし、太極拳である限り、シンプルな腕の動きにも、必ず関節の回転と連動が入っています。関節が回らずに動くということはない・・・沈肩をして、墜肘をする、この墜肘と言う動きは、まさに、肘関節の回転運動です。
ということで、今日は、チャンスーを少し身近に思える例を挙げましたが、次回は、チャンスーの要になる、腰(腎)の回転、について書きたいと思っています。
2024/4/13 <開合とチャンスー その2 太極図で図示>
昨日の話はちょっとぐちゃぐちゃしていたと思うので、陰陽太極図を使って簡単に図示してみました。
陰陽太極図の簡単な見方↓
上の図をそのまま開合とチャンスーに当てはめると下の図のようになります。
2024/4/12 <開合とチャンスー その1>
今週のレッスンでは、簡化24式を真の太極拳にバージョンアップするにあたって必要になる『開合』の話を総合的に教えました。いや、教える、というより、説明した、と言った方がよいです。私自身がやっとはっきり説明できるようになったばかりで、聞いている生徒さんたちがどのくらい理解できたのかは謎。けれども、一回で全ては理解できなくても、何度も繰り返しているうちに徐々に分かるようになるでしょう・・・。
『開合』は手足を開いたり閉じたり、という意味ではありません。『開合』は丹田の開合、言い換えれば、丹田が大きく膨らむのが『開』、丹田が縮小するのが『合』です。太極拳の『太』という漢字が、<大>と<小>を合体させたもので、意味は「大よりも大きく、小よりも小さい」、つまり、極大から極小までを示したものだと言われます。これは太極拳においては、丹田が、宇宙よりも大きくなることもあれば、丹田が砂粒よりも小さくなることがある、というような例で示されたりします。
私たちの心身は開いたり閉じたりしています。良いことがあって気分がいい時、心は開き、体も外界との境目がないかのように広がります。反対に、調子が悪い時は、心は閉じ、体は外界を遮断する壁のようになり、自分は体の中に閉じ込められたようになります。開と合(閉)の例です。
丹田を作ると、丹田を広げることで自分が広がりますが、丹田の中心点は維持するので、自分の中心の”点”は残ります。これが、ただ嬉しくて有頂天になって心身が開く、という状態との違いです。どれだけ開いても、中心の一点は残る。これが、「開の中に合あり」と言われるものです。逆に、丹田を縮小させた時、エネルギーは中心に集まっていきますが、その分、外界のより広い範囲が意識されるようになります。ちょうど、耳を澄ませた時の感じです。これが「合」。本当に閉じてしまうのではない。「合の中には開あり」。「合」と「閉」の違いです。
『陰陽開合を真剣に求めるべし』
馮老師の陳式太極拳入門の本では、入門の手引きとして「開合」についてその原理から応用まで細かく論じられています。まだまだ全ては消化しきれていませんが、やっと、なぜ太極拳において開合がそれほど大事なのか、ということが分かってきたところです。
太極拳において、開合がないところはない。そう書かれていますが、結局は、生命自体が、呼吸、すなわち、開合なしには存在しない、とういうことです。吐くは開、吸うは合です。
レッスンでは、この『開合』と『纏糸(チャンスー)』の関係を教えました。
順チャンスーは合
逆チャンスーは開
です。
順チャンスーとは、腕で言うと、掌が自分の方に向いていくような腕の自転。小指を手動に尺骨を回転させ、肩関節を外旋させるような動きです。肩関節を外旋させると肩甲骨は引き下ろされて背中に貼り付くようになり、腰や仙骨が前方に推されたようになります。股関節は内旋になり、気は末端から中心(丹田)に向かって流れます。(手先→丹田、足先→丹田)
腕のチャンスーの課題は、指や手の動きがしっかりと肩甲骨まで連動することです。(ここは練習が必要)肩甲骨が動かないことには上半身と下半身の連動が起きません。
逆チャンスーとは、腕で言えば、掌が外に向いていくような腕の自転です。親指を手動に回転させ、脇が広がるように動かします。肩関節は内旋、肩甲骨は左右に開いて背中から浮くような感じになります。これにより、腰は丸くなり、背中の弓がきつくなります。股関節は外旋になります。この時、気の流れは丹田→末端になります。発する、開になります。
例えば、簡化24式の「如封似闭」の動きであれば、①前に出た両腕を交差させて両掌を上に向け、両腕を左右に開きながら自分の方にひきつける動作。
左は混元太極拳の第14式「双推手」です。(https://youtu.be/Gr8v8YNWVbU?si=iviy6POqfEsOdm91)
簡化24式の「如封似闭」と似たような動きになります。
①前に出した両腕を円を描きながら自分の胸の前に集めていく動き → これは順チャンスー、『合』の動きです。呼吸は吸っているはず。
丹田に気を溜める(戻す)動き。
背中がまっすぐに近づいて体の前後の幅が狭くなっているのが分かると思います。
②胸の前で自分の方に向いた掌を外向きにひっくり返した動作
→これは順チャンスーから逆チャンスーへの転換です。
太極拳では、この”転換点”がミソです。ここがうまくできるか否かが、開合がうまくできるかどうか、技が決まるかどうか、を決めます。
たかが、掌をひっくり返しただけに見えますが、実は体の中が全てひっくり返っています。オセロゲームでほとんど白だったところに、黒を一ついれたら、全て黒にひっくり返った、そんな感じ。丹田をひっくり返すとも言います。その現れとしてわかりやすいのは、足裏の気の流れる方向の転換。順の時は吸って足裏も吸う(下から上向き)だったのが、逆にひっくり返すと、足裏が吐く、すなわち、地面を推す動きに変わります。これによって、地面を蹴る(推す)ことが可能になります。
③前方に推す動作→逆チャンスーのまま推し出します。気は丹田から末端、四方八方へ広がります。前方だけでなく後方、下方にも気は膨らみます。その結果、背中の弓がきつくなります。
左は楊式の「如封似闭」ですが、スタイルは違っても、息の使い方、内気の使い方は原則、上と同じです。(https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=iWERjh_NakFzI696)
順で溜めて(合)、逆で発する(開)。
発する時は(吐く時は)、一気に吐かないで、丹田の気を残したまま吐いていきます=「開の中に合あり」
そのためには、吐く息は腹底に向かってはいていきます。前方に吐き出しては絶対にダメです。気沈丹田をしていきます。背中が弓になるのは、息を下向きに吐き込んでいるからです。
左の弟子が上の師と違うのは、まさに、「開合」がない、ということです。
ただ、体が前後に動いているだけで、上の二人の師のように体自体の開合、膨らみ、縮みがありません。
体が前に出てジーをしている時も、背中が弓にならないのは、「おやすみ〜」ができていないから。呼気が腹底におちていません。よく見ると、肩甲骨も動いてなさそう・・・上の②の動作、順チャンスーから逆チャンスーへの転換が、ただ外形の動きのみで、内側の気の流れの変化が伴っていません・・・息かな?
2024/4/7 <勁によって上体の形が変わる その②>
昨日は上体が少し傾く例を出しましたが、実は、それは、両手が前に出る技の場合です。ジーやアン、搂膝拗步,搬拦捶などがその例です。注意は前方にあります。この時は、含胸抜背で背中を撑して(張って)弓状にした上で、上体は少し前方に傾いたようになります。上体を垂直に立ててしまうと、前方に推す力が途中で止まってしまい、推しきれません。
太極拳の原理に、『无过不及』(「過と不及、が無い」=過ぎすのも及ばないのも不可)というのがありますが、上体を垂直に立ててジーをすると、必然的に「不及」になってしまうということです。後ろ足で地面を推した力が掌に達して抜けないようにするには、背中を縦横に張って上体を少し傾ける、実際には、勁を通して推そうとすると、そうなってしまう、というのが本当です。練習の中で実際に推す練習をして会得すべきところです。
続いて、杨振铎老師の動画では、上体が前方に傾かない例を説明してくれています。
左は单鞭。
この時は、上体は真っ直ぐです。傾きません。
自然にそうなってしまっていればそれでよし。私は無意識でやっていましたが、老師の説明を聞いてなるほどと思いました。(動画44分あたり)
この場合は両手が左右、もしくは前後に分かれています。
太極拳は右手、左手、ともに、何か役割があってそうなっています。右手の技に見えても、左手も意味がある動きを必ずしています。
单鞭の場合は左手が立掌、右手が勾手もしくは吊手。左右ともども技を使って、複数の相手と対峙しています。注意は左右、もしくは前後、目は広く使っています。
左右の手は体の中で一本としてつながっています。その結果、左右の手が強力になり、一人で二人の相手を打つことができます。 左のGIF動画で老師が確認しているのは、両手が体の中でしっかりとつながっているということです。
もし、この時、体を前傾させたら、右手と左手は力がなくなってしまいます。
動画の中で老師が言うように、このように、同じ弓歩でも上体の形が異なるのは、どのような勁を使っているのか、その用法によるということ。形は勁の現れです。
2024/4/6 <勁によって変わる上体の形 ①>
下のどちらの姿勢が正しいでしょう?
上は以前紹介した杨振铎老師の動画の一場面です。(https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=Zt0Oy9whd5cY26bv 42分あたり)
弓歩で前に移動した時、この場合はジーをした時の姿です。
背骨をまっすぐに、というと、左のような姿勢をとってしまう人がいるけれども、それは間違いだ、と動画では説明しています。正しいのは右の姿勢です。
左の姿勢では腿が突っ張れない。力がでません。
右のように少し前傾姿勢になるのが自然です。(といっても、背中の弓があまりうまくできていませんが。)
私の印象では、簡化では左のような姿勢をしている人が多いイメージです。胴体が前に進んでいないので重心がうまく前に運べず、結果的に前腿でブレーキをかけてしまっている、そんな状態です。円裆になっていない、というのは、股(骨盤底筋)が使われていない証拠。脚だけで動いているので股関節や膝に過剰な負担がかかかります。注意が必要。
相手の力にどれくらい耐えられるか、という実験↓
上段が少し前傾姿勢で後ろ足を突っ張っているもの。
下段が、胴体を垂直に立てた姿勢です。
股の力が使えるように立つと、上段のような立ち方になります。
太極拳は球状に力を使います。
地球儀を思い浮かべた時に、経線のような縦の勁だけでなく、緯線のような横の勁も必要だということです。動画の中では、杨振铎老师は横澄劲(横に張る力)と説明しています。(
上半身を垂直に立てると緯線の力=横に張る力が使えません。背中が開かない、股が開かない、というのが具体的に分かりやすい欠点です。
左下の陳式の馮志強老師も同じような上半身の傾きです。
私の師父は、地球と同じように23.4度傾ければよい、と言ったことがありますが、大体そんな感じなのかと思います。
左の二枚の画像を見てから、左下の画像を見ると、これでは本当には相手を打てない、と分かるのでは?
打つには体がもっと乗り込んでいく必要があります。
重心移動がちゃんと最後までできていない(右足に移動しきっていない=右前腿がブレーキになっている)。
中途半端に重心移動をすると膝を痛めます。
ちなみに階段を登るときも、下を向いて脚であがろうとせず、目線を上げて、脚よりも先に胴体を前に運んだ方が、結果的には脚に負担がかかりません。さっさと上がれます。脚で重心移動しようとしない。重心移動の結果、脚が動きます。
2024/4/5 <プリセツカヤに見る胸椎の回旋>
最近、昔のバレエダンサーは凄かった、ということに気づいたが、それはちょうど、昔の太極拳のマスターは凄かった、というのと同じ感じだ。体が今よりも活き活きしている。そんな時代だったのだろうか? 現代はテクニックは上がっているようなのだけど、末端が発達して中核の弾けるような感じが失われているようだ。時代・・・何が変わったのだろう?
下は腰の王子も絶賛するプリセツカヤと、現代バレエのトップに君臨するザハロワの比較。プリセツカヤの胸郭の開きを見ると王子が絶賛するのも分かる。ここが開くことで、無理なく脚も上げられる。ここが開かずに脚を高く上げると必ず腰を痛める。プリセツカヤの体の捻りも見事で、男性ダンサーと絡まったように見える。比較するとザハロワは男性ダンサーがいても一人で踊っている感じ。太極拳の粘黏连随,ねばくひっついていく感じは体が開いているからこそ可能になる。アメーバーのように液体に近くなるのも体が内側から開くから。体が縮こまると個体になる。
2024/4/4
レッスンの振り返りと課題
直近は昨日のグループオンライン。
簡化24式の動きでこれまで教えてきたことがどのくらい使えるのか実験。
簡化は太極拳の入門として編成されていて、多くの場合は動きが真似できればそれでよし、となるが、実は、太極拳の套路は技を連ねたもの。技を知らずに動いても、意味を知らずにお経を読むようなもの、あるいは、意味を知らずに外国語の音を真似てしゃべっているようなもの。どれだけ上手に読めても、中身はありません。
そこで、太極拳の通常の練習では、ある程度、動きが真似できるようになったら、一っ式ずつ技を解説して、それに沿った意識の使い方、力の出し方を学びます。ここからが内側の中身の練習です。
昨日は一人の生徒さんからリクエストのあった、簡化24式の「如封似闭」と「十字手」「収式」、を深掘りしました。
「如封似闭」が「揽雀尾」と異なるのは、ジーが前後だけでなく左右にも広がること。つまり 「如封似闭」は典型的な開合の動きです。
①右腕の下に左手を差し込む動作、実はこれは「十字手」の一つの形です。
「十字手は万能の手」と師父から教わったことがあります。
「十字手はなぜ強いのか?」これが分かれば、太極拳で太極円が隠れて多様されていることに気づきます。まさに十字手は太極拳の核心的存在です。このあたりを昨日は解説しました。
②右手の下に左手を差し込む形、これは、両手を前に差し出していた時に相手に手首を掴まれた時の典型的な外し技です。陳式の混元太極拳では「上歩七星」の中で同じような動きがあります。並行に前に差し出した両手の手首を取られた場合、まず、やるべきことは両手首をクロスにする=十字手にすることです。そうすれば両手首を回転させることが可能になります。簡化24式の「如封似闭」の場合は両手首を引っ付けたまま外旋させて、そのまま左右にポンして開くことで相手の手を外せます。十字手の合から、回転ながら左右に開くポン=開です。合→開の動き。しかも、その過程でチャンスー(腕、肩関節、腰、股関節、足首などが連動して回転)が入っているので、チャンスーがセオリー通りに完璧にできればものすごい力が出ます。まずは、手首の回転が肩甲骨まで連動するよう練習することが必要です。(前腕しか回転しないのは不味い。少なくとも上腕は回ってほしい。十字手になって両手首を軽く押さえつけるように回転させれば肩関節の中が動きやすいはず。十字手は関節の連動が起きやすい。)
③そして、両腕を開いて後ろの弓歩になっていく時の両腕は、相手の両腕を左右に開いているという、相手との絡みを”情景”として想像することが大事。そうすれば、両手はただ開いているのではなくて、”撑“している(内側からプッと膨らまして両腕の外側を突っ張っている)という内気の感覚が得られるだろう。 太極拳の経典の中で、” (情)景”が大事だと言われる所以です。
④後弓歩は大問題。前腿に乗っているようではダメです。ハムストリングスを使ってください。ここはレッスンでもひっかかりました。
ほとんどの生徒さんがハムストリングスを上手に使えません。
最近はっきりしたのは、前肩では絶対にハムストリングスは使えない。
肩甲骨は下方に引っ張り落とさなければなりません。
昨日は、ハムストリングスがほとんど使えていない生徒さん達に、ある腕の形をさせることでハムストリングスを使って歩く感覚を味わってもらいました。肩が正しい位置にくれば嫌でもハムストリングスを使うことになります。
肩が問題・・・
https://youtu.be/-xQd1zxkAy8?si=bXKAbebgt0Fvx8VP より
弟子は腹圧が抜けてしまい、上半身と下半身が分断。ちゃんと地面を蹴れない(蹴った力が腕に達しない)。 後弓歩になる時も凹んでしまって膝に乗ってしまう。
これを解決するのが大きな課題です。
2024/3/30 <1960年代と現代のバレエの違いから学ぶ>
体の内側の連動=関節の連動=骨で動く、ということを極めているのがバレエかと思う。私も今年に入ってレッスンに通うようになったが、現時点で分かってきたことは、バレエは体をturn out (en dehors) 、簡単に言えば、両腿を外旋させ体を薄くして開くと同時に軸を中心にギュッと集めることにより、体の連動、太極拳で言えば『節節貫通』を可能にしている。遊園地にある回転ブランコのようなイメージだ。
単純に言えば、
中心部に集める力:求心力(水色ライン)と、
外向きに引っ張る力:遠心力(ピンクライン)
この2つの力が接するところ(オレンジ円)の関節は両方向に引っ張られて開くようになる。
求心力をつけるには、背骨を開発(頚椎から尾骨までを引き抜く:脊柱間の隙間を開く)必要がある。そして、指先、足つま先までピンと伸ばすことにより、四肢で遠心力を働かせる。肩関節や股関節はこの両者の力で開いて可動域が大きくなる。
太極拳の場合も求心力と遠心力を使う。
が、求心力の中心は脊柱という棒一本ではなく、腹だったり胴体だったり、と球状に作る。しかも、技によって支点となる部位が異なるため(どこから発勁するかが異なるため)その求心力の働く範囲の大きさは可変的だ。
同様に、遠心力がかかる範囲も可変的。
実は、丹田というもの自体が、求心力と遠心力から成り立っている。
お腹を固めても丹田にならないのは、そこには求心力も遠心力も働かないからだ。
丹田を作るのに呼気と吸気が必要なのは、まさに求心力と遠心力を併存させるから。
開合という概念も求心力と遠心力の話に他ならない。
「開の中に合あり、合の中に開あり」と言われるのは、求心力は遠心力なしには働かないし、その逆もそうだからだ。遠心力よりも求心力が大きくなると”合”になる。求心力よりも遠心力が大きくなると”開”になる。
丹田が腹にあるうちは中心と末端という感覚が成り立つが、丹田を広げて体全体を包んでしまうと(丹田がない、という状態=太極状態)になると、末端と中心がなくなる。どの部位も同時に動く、ということになる(上の二枚目の回転ブランコの画像はそれを示そうとしたものです。)(最近そのことについての腰の王子の動画を見た記憶があるので、リンクを探せたら貼ります。)
で、ここで、私がずっと紹介したかった衝撃動画を紹介します。
ロシアのマリンスキーバレエのダンサーの踊りの変遷。
最初の1960年のダンサーの踊りと、最後の2017年のダンサーの踊りを見ると随分変わっているのがわかる。
私が見慣れていたのは、2017年系。 昔、マーゴット・フォンティーンやマヤ・プリセツカヤなどの1960年代頃の動画を見た時は、なんだかあまり足が上がってないなぁ、と物足りなかったかた覚えがある。
が、今回、この動画の1960年のSvetlana Efremovaの動きを見て衝撃を受けた。なんて活き活きしているのだろう、心の中から踊っている。これを見てから2017年の現代の踊りを見ると、脚は高く上がるが、活き活き感が少ない。表面でニコニコしているような感じだ。
私の娘に見せたら、現代の方がいいんじゃない?と言ったが、劉師父に見せたら、案の定、1960年のダンサーを絶賛した。比較すると現代は劣っていると。私の主人にも見せてみた。すると、1960年の人は「人間じゃないみたい。別の生き物のようだ。」と言った。現代の人は”人間”だそうだ。
上のyoutube動画のサムネイル画像で二人を見比べると分かることがある。
左側のEfremovaは軸を見てしまうと、右側の2017年のダンサーの軸はまっすぐでない。
比較をしないと分からないが、比較をすると分かる。
Efremovaは頸椎から尾骨まで完璧に分化している。
が、下のGIf動画を見ると、2017年のダンサーは頸椎がまだ分化していない→首が足首までつながっていない。
Efremovaは太極拳の達人レベルだ。2017年のダンサーは普通の老師程度だ。
Gif動画のコマをランダムに抽出して静止画像にすると、どこを切り取ってもEfremovaの軸は完璧だ。それに比べると、2017年のダンサーはポーズをとっている時はある程度軸があっても、ポーズとポーズの間で軸がなくなって美しくない形が見えてしまっている。
1960年代の有名なダンサー達は軸が恐ろしくまっすぐで、体の線が関節の可動域を逸脱せず、無理に曲げたり、伸ばしたり、をしていないのだ。それに比べると、現代のダンサーは無理に筋を引き伸ばして脚を上げたり、腕を動かしたりしている。上の空中ブランコの画像の例で言うと、現代は一枚目、中心と末端が分かれていて、かつ、求心力と遠心力で得られる関節の可動域以上の肩関節、股関節の動きを目指している。一方、1960年代のダンサーは、空中ブランコの二枚目の画像になっている。胴体と四肢が分離していない。体丸ごとで一つだ。
下の左はMargot Fonteyn (https://youtu.be/5MGYgDkoHQs?si=IaJpEirda0JMfOfb)
右は最近のウクライナ国立バレエ。現代のトップレベル。(https://youtu.be/tpSMO2yasY4?si=2FUE5f6d-bV2dRSj)
右のような白鳥を見慣れていると左のMargot FOnteynの白鳥は物足りない感じがするかもしれないけれど、よく見ると、とても正確で、内側からの表現が行われているのが分かる。バレエがアクロバティック的になってしまったのを嘆く人がいるのはこういうところだ。私の想像では、一般大衆ウケするには多少アクロバティック的なことをしないとならない・・・上流階級相手から大衆相手になると変わらなければならないところがある。
現代のバレエダンサーが体を痛めるのはそういうところかもしれない。昔のダンサーの踊り方なら(ちゃんとメソッド通り体を開いていけば)体を痛めなさそうだ。
2024/3/26
今日のオンラインの個人レッスンでは、坐骨を使った体重移動から、それに肘技の要領で体側の連動を加味し、最終的には、丹田回しの時に全身を連動して動けるようにするところまで持っていきました。
かなり長い道のり。肘技の要領を使うと肩甲骨、脇、体側が使いやすい。肘(上腕)が使えるかどうかが上半身の要です。ここがうまくできないと、重心移動もちゃんとできない。逆に言えば、肘がちゃんと使えれば、重心移動はうまくできるし、しゃがんだり、片足立するのの楽ちんになります。蹴り技も然り。 肘というのは上腕であり、肩甲骨であり、鎖骨であり、体側です・・・
夜のオンラインのグループレッスンは、2時間まるごと上腕、肩の練習に費やしました。
簡化だけ学んでいると肩甲骨はほとんど忘れ去られています。ただ腕だけで腕を使っている。これを根本的に是正したい・・・両腕を一本にする、というのは、まず、腕を肩甲骨と鎖骨と連動させて使えるようにするのが第一歩。今日のレッスンの目標は、脇の締め感を失わずに腕を動かす、ということでしたが、なかなか困難でした。
腕で逆チャンスーをかけてから順チャンスーをかけると、自然に脇が絞まります(前鋸筋が稼働する?)=腕と肩甲骨が密着して動くようになる。太極拳の腕の使い方には本来的に腕を肩甲骨とと鎖骨に連動するような要領が入っています。チャンスーはその基本的は要素。
少し前に紹介した加藤修三氏は、順チャンスーを尺骨を外側、小指側に回すこと、逆チャンスーを橈骨を内側、親指側に回すこと、と説明していたような記憶があります。
腕を前にまっすぐ伸ばして、まず腕を内旋させる=正確には肩関節を内旋させます。逆チャンスーです。
腋が深くなるような感じになります。襷掛けをした時の前の肩の斜めのラインが深くなるでしょう。
その後、腕は指先までまっすぐに伸ばしたまま腕を小指側へと外旋させます。肩関節の外旋、順チャンスーです。注意を要するのは、この順チャンスーです。この時しっかり、尺骨を回して、尺骨と上腕骨の連動を通して肩関節まで回すことが必要です。肘が弛んでしまうと、尺骨の回転が上腕の中途半端なところまでしか伝わらず、肩関節がしっかり回転しません→肩甲骨が連動しない、動かない。
今日のレッスンでも、この外旋、順チャンスーを教えるのが大変でした。指先までピンと”力を入れずに””引き抜く”のが難しいよう。手は放松する、と習って、幽霊のような手をしていると、何も連動はかかりません。かといって指に力が入っているのもだめ。手首と手のひらの中を通す必要があります。一人の生徒さんには、ぜひ、腰の王子の「一流の腕使い」の練習を試してみては?と進めました。手首の中と手の平の中の骨を動かす練習ができます。ちなみに、前腕は指でできています。肘から指先まではhand、肩から肘まではarm。腰の王子の言葉ですが、なるほどその通りです。
2024/3/25 <坐骨を使って重心移動の感覚を捉える 坐骨と踵の関係>
昨日の話の続きはちょっと置いておいて、今週のレッスンの内容について少し考えよう。抽象的な話も、まずは体を構造通りに動かせるように努力すること=眠っている関節を目覚めさせ、本当の関節からズレて動かしているところを修正すること。 そのために必要なのが、内気(エネルギー)と体への気づき(意あるいは神経)だ。
体の全ての関節が構造通りに動けば節節貫通となり、体は丸ごと一つ(周身一家)となる。体には癖があり偏りがあるので、歳を重ねていくうちに使えない関節の数は増えていく。使えるところばかりを使うという偏りから腰痛や膝痛などさまざまな支障が生まれる。 太極拳の本来の練習過程には内側から自分の体を観て、内側から体を動かすものが必ず含まれている(内家拳の特徴)。その中でも脊椎関節を意識的に動かせるようにすることは練習の大黒柱だ。周天というのも気を回しながら背骨を一節一節ばらばらにする効果がある。背骨が内視できるようになれば肩関節や肘関節、股関節、膝関節などを内視することも難しくなくなる。関節は内側から意識して初めて構造通り動かすことができる。腕を回しても肩関節は構造通りには回らない。
太極拳の技はそのように内側から体を動かさないとかからないようなものだ。外から見るととても簡単だが、その動きを真似ても技にはならない。それは節節貫通した体を前提としているからだ。逆に言えば、そんな体ができてしまえば、技は次から次へと繰り出されてくる。私自身は中途半端な域にいるが、そのカラクリはよく分かる。師父が私に、「技を教えなくてもいずれ技はできてしまうようになる。」と言ったのは本当だった。ある段階がくれば、套路の中の技が浮き出てくる。技が技にならないとしたら、どこかまだ開発しなければならない体の箇所がある。技から基本功に戻る。としたら、やはり、技を知らずに套路の動作だけなぞるのは、意味を知らずにお経を唱えるようなもので、どこか心を落ち着けられても真の深みには至らないだろう。
書くと頭が整理される。
で、生徒さんたちには何をどう教えよう?
一つは、坐骨。先週も一つのグループクラスでとりあげた。椅子に座って坐骨に乗る練習。坐骨の後ろ、坐骨の上、坐骨の前、そして坐骨の左、右、と座り方を変えてもらった。これは重心移動の際の丹田(腹の内気)の使い方の練習になる。頭を揺らしたり、体をくねらせずに左坐骨から右坐骨へと移動。これは左から右への重心移動になる。
先週はここまでの練習だったが、これを立位で行うようにする。
それには、坐骨と踵を合わせて座れるようになる必要がある。
ん〜、きっとここが難関なのかも。
王子のコマネチスリスリがそれをやらせている。が、ほとんどの人が踵を外して座っている。それではハムストリングス(腿裏)が伸びない。
ハムストリングスは坐骨から膝裏まで繋がっている。そして膝裏からアキレス腱、踵までは足底筋で繋がっている。
坐骨と踵を結びつけるのに難関になっているのは”膝裏”か・・・
膝裏を伸ばすストレッチは圧腿。いわゆる前屈。
これで、坐骨から踵まできちっと伸ばせればよいけど・・・
それには股関節の引き込み(前胯の緩み)が必要。
そこから教える必要がありそうだ。
きっと鼠蹊部の松は大きく誤解されているもののの一つ。
いけるところまでやってみよう。
最終的には、座位で坐骨でやったことが、立位では踵で行われる。ハムストリングスがきちんと起動すれば坐骨と踵は一緒に動く。太極拳で「踵から力が出る」と言われるのは、それがハムストリングス経由で坐骨に届き、体幹部に力が伝わるからだ。重心移動の蹴り脚の動き。
ということで、まずは坐骨と踵の連携を目標に、レッスンをしてみよう。どこまでいけるか楽しみ。
も一つはやはり肩。いや、首かもしれない。
(ここで休憩・・・)
2024/3/24 <気功と神功 肉感と霊感>
3/18のブログに載せた、杨振铎と弟子の画像比較だが、中には、その違いがあまり分からないという人もいたようだ。
違いは感覚的に捉えられるが、それを分析して説明することもできる。
私が感覚的に似ていると思ったのは、少し前のブログに載せた鏡獅子。
片や呼吸をしている、動いている。片や息を止め固まっている、止まっている。
太極拳には、伸びやかな(舒畅)という要素があるが、それは息によるものだ。長い息がいる。踏みしめたり、肉を固めない。常に動いている、現在進行形だ。
前回載せた画像だが、左端の師は前方へと現在進行形。
が、真ん中と右端の弟子たちはお尻や腿に座ってしまって前方へいく力にブレーキをかけている。体が固まっている。師父はそのまま後ろ足を離して前に運ぶことができるが、弟子たちは後ろ足を離すことはできない=虚実不明、だ。
上の二枚の画像も同じような違いがある。
カンフー映画や漫画の中では右のようなムキムキで描かれることがあるかもしれないが、本当の太極拳はもっとふわっとした空気感がある。(そう言う意味では武術太極拳と言われるもの太極拳の動作を使ったアクロバティック競技だろう。太極拳の武術的な技の要素は含まれていない。)
上のどちらが好みか?と好みの話で言えば、私は30代の頃は断然カンフー映画で見るようなカッコ良い動きだった。左のほわっとした感じよりも、ギュッとした力みなぎる感じが好きだった。気功と少林寺武術を学んでいたのはそんなところからだ。
が、鄭州で開かれた国際武術大会に団体演舞で参加した時、別フロアでやっていた太極拳を見て、40歳を超える前に太極拳に転向した方が良いと感じた。速く動いて高く飛ぶのはどうやっても20代の若者には敵わない。歳をとって速さと高さを追求するよりも、別のベクトルで心身を開発した方が良いと思った。太極拳にはきっとその開発の方法が隠れていると直感的に思った。
その後劉師父に出会うまでしばらく時間がかかったが、練習を積んでいくと、ものの良し悪しの判断基準が変わってきた。好みも変わった。
そして次第に、なぜ、それが良いと思うのかの理由もわかってきた。
劉師父に、鏡獅子のモデルになった6代目尾上菊五郎の画像と、そこから作られた試作彫像の画像を見せた時、師父は、ただ、前者は霊感、後者は肉感、とコメントをくれた。
太極拳は肉感的な次元から霊感的な次元へと向かうもの。
言い換えれば、フィジカルからアストラル的なものへと向かう練習だ。
フィジカルな次元から見れば、ちょっと不思議な感じだ。何をやっているのか理解し難い・・・・日本の例だと、宮本武蔵なども(私のイメージでは)肉肉しい感じではなく、どこか精神的なもの、アストラル的なものがあると思う。力で押し倒すのではなくて、もっと妙に、粋に相手を倒す。・・・前回紹介した腰の王子が見せている技もそのようなものだ。
つまり、筋肉を強くするというのではなく、体を隅々まで構造通り動かせるようにする→神経を開発する、ということだ。神経を開発する練功を神功と言い、気を開発する練功を気功というが、太極拳は気功を行いながら神功も行っている。気というエネルギーを流すことで、神経を生やし伸ばしていくのだ。これまで使ったことのない体の部位に気が流れることで新たな神経が開発される。意識的に使える体の部位が多ければ多いほど、体は精妙な動きになる。太極拳の技はそんな体を前提に作られている。
粗雑な体から精妙な体に・・・
体を鍛えるといっても、いろんな鍛え方がある。
力技の多いプロレスやレスリングは太極拳からとても遠い。合気道や弓道は近いだろう・・・(続く)
2024/3/22
最新の王子の動画。
太極拳の奥義をそのまま見せてくれています。丸ごと使う、そのための関節の意識、関節の連動。鮮やか!
その動きは、過去に紹介した陳項老師の動画と同じ。
前回の楊老師の推手はその動きの基本練習。
改めて太極拳の向かう道を思い出させてもらいました。
2024/3/18 <重心移動 師から学ぶ>
再度、杨振铎とその弟子の動画。
上の動作の一部。
後ろにリューしたところ。
弟子の画像だけ見ると、どこもおかしくないと思うかもしれない。
しかし隣の師と比べれば、その問題点がはっきりする。
目立つのは、後ろ足の膝にがっつり乗ってしまっていること。
重心は体の中心、会陰のほうに降りて、両股を経由して足首の下、土踏まずが一番上がったところ、に下りる。途中のお尻や膝には乗らない。
ここでも、弟子だけ見ると真っ直ぐに立っているようだが、師と比べると、重心が正しくないのに気づく。
そもそも、胴体の中に重心を感じられていないので、腿にガッツリ乗ってしまっている。
これに比べ、師の方は、前回の赤ちゃんが立ち上がった時のようなバランスで立っている。股から内腿を使っている。(弟子は前腿を使っている)
太極拳は特に上半身をうまく使う必要がある。空手のように上半身を固めない。
しかし、実際には上半身を固めて四肢運動になっているケースが圧倒的に多い。背骨を真っ直ぐにするように指示されているのか、もしくは、含胸や抜背を教わらずに放松だけ教わっているのか、背骨の操り方が間違っている(というよりも、そもそも背骨がコントロールできていない)。
上半身は師のように空気を含んで浮かぶようにする。上半身が『虚』だからこそ、下半身は自由に動く。上半身が石のように重いと、下半身の関節は悲鳴を上げる。太極拳は陸上の水泳である、と馮老師はいったが、この楊老師を見ると、水中で浮かびそうな気がする。弟子は沈むだろう・・・
下段には以前使った画像も加えてみた。
上段が本来の太極拳、下段は四肢運動になった太極拳だ。
上段の師の形はそのまま前に歩いていけるだろう。と同時に、後ろに下がりたければ(退歩したければ)、前足を踏んで下がれるだろう。
これに対し、下段のような形だと、ここからさらに前にするんで歩こうとすると膝に引っかかってしまう。後ろに下がろうとしても前足が踏めず下がれない。
このような形が普及してしまったのは、太極拳の練習に不可欠な推手を学ぶ機会のないまま、演舞、あるいは演武 のみを学ぶからかもしれない。
実践的な練習をすると、上半身と下半身を分断して考える余裕がなくなるからか、体重移動はもっと自然にできるようになる。
←杨振铎老师の推手。
進歩と退歩を繰り返すものだが、重心移動も鮮やか。
本来の太極拳は足捌きが絶妙。
知らないうちに嫌なところに足が差し込まれている。足に目があるかのよう。
私自身はそこまで練習が至っていないけれども、師父には随分やられたので知っています(苦笑)
この動画の推手を見ても、相手の男性の足はもたついている・・・杨振铎の足は全く迷いなく差し込まれていく。腕と脚、手と足は同時。ついでに言うなら、体も手も足も丸ごと同時です(最終的には)。相手の男性の方は手足胴体が少しバラバラなのが見えるでしょう・・ 太極拳が最終的にどこに向かっているのかを知っていると、練習の仕方も間違えないと思います。くれぐれも、大会で良い成績をとろうと思わないように。大会には大会特有のルールがあって本来の太極拳からは乖離するので。
2024/3/15 <重心移動についての根本的な考え方 私見>
体重移動あるいは重心移動というのは二足歩行の私たちにとってしばしば問題になるところだ。水中にいる魚類にとって体重移動は問題にならない。足がないからだ。では爬虫類や四つ足動物は?と考えると、体重移動はしているのだろうが、人間ほど問題にならないだろう。
ムカデと犬、そして人間を想像すると、脚が短く本数が多ければ胴体が歩いている感覚に近づき、脚が長く本数が少なくなるほど脚で歩いている感覚が強くなるだろう。胴体で歩いている感覚(人間なら腹這いで這っている状態など)の時は重心移動は問題にならない。重心移動が問題になってくるのは、”脚で歩いている”感覚が強い場合だ。
私たちは皆、ハイハイ時代を経由して立ち上がって歩き始めた。
最初立ち上がった時は、立ち上がって静止することさえ困難でゆらゆらしていた。歩き始めた時もやはりゆらゆら不安定だった。どうにかして立っていられるバランスを見つけ、歩いても倒れないバランスを見つけ、練習を繰り返し歩けるようになった。
この頃は、重心”移動”の問題よりも、重心そのものを保つことが問題。2本の足(首)の上にどう頭や胴体を乗せるのか・・・
腿やふくらはぎの筋力は未発達のため、頭や胴体を足首以下の足にダイレクトに乗せるバランスを見つける(←左の赤ちゃんの画像参照)
頭と胴体をダイレクトに足首に乗せようとすると、膝は曲がり、股は丸くなる(园裆)。(↓下の画像)
<上の立ち方はタントウ功にとてもよく似ている。いや、タントウ功はこの原点の立ち方を取り戻そうとしているのだろう。筋力ではなくバランスで立つ、腿ではなく、足で立つ。タントウ功にはゆらゆらしながら固まった筋肉を解いていく役割もある。>
こうやって重心を保って立てるようになるとほどなく歩き出す。
ゆらゆらしながら危なっかしげに歩いている赤ちゃん。前に進みたい、という気持ちが胴体を前に運ぶ。けれど脚がうまくついてきてくれない。頭と胴体が先に歩いて後から脚が追いかけるような姿が特徴的だ。
(動物もハイハイ時代の赤ちゃんも同じだが、動物が動く時は、頭から動く。目や耳、鼻などで得た情報をきっかけに、こっちに向いて動こうという意思が生まれ、それによって頭の向きが変わり、そちらに向かって前足と胴体が動く。後ろ足はすかさずついていく。)
このような歩き方の時は重心移動は問題にならない。
転ばないようにただ重心を保つ意識だけだ。
以上のように考察をした上で、改めて、何故私たちが歩行や太極拳の時に「重心移動」を問題にするのか?と考えると面白いことに気づく。
本来は、二本足で立つ私たちにとっては、「どうやって重心を保つのか?」というところが大問題。鉛筆を寝かせて置くのは簡単だが、鉛筆を立てたままにしておくのは難しい。
赤ちゃん時代はその課題をクリアするために頑張ってきたのだが、あるところから、立って歩くことが自然になって「重心を保つ」ということは問題にならなくなった。子供時代、体は自分が思うように動いてくれる。上半身と下半身という区別はない。そして、大人になる頃には、上半身と下半身の区別ができる。ジャンプしても体が重いとか、脚が思うように動いてくれない、という感覚が起こるようになる。
「重心移動」という概念が生まれるのは、上半身と下半身が分断した後の話だ。
全身が丸ごと一つになっている幼児時代は、魚類と同じで、胴体で動いているようなもの。その時には立位に伴う「重心を保つ」という感覚はあったとしても、「重心移動」という感覚はなかったはずだ。「重心を保ったまま移動すれば進めてしまう」のだから。
では太極拳の練習で、「重心移動」として教えているのは何なのか?
左から右に移動する時は左足はこうこう、右足はこうこう・・・と論じたりするのだけど、実際には、「重心を保ったまま移動すると左足や右足はこのように動く」というところの下半身の部分だけを論じているに過ぎない。そのように動くのは、”重心を保とうとして動いている”からなのだ。
赤ちゃんの時はゆらゆらしながら重心をとっていたが、幼児になる頃にはそのバランスをとる術も身につき苦労もなくなる。が、その後、様々な活動をするうちに、ゆらゆらバランスのセンサーは消え、筋力で背骨を立て、脚力で歩くような体になっていく。大人になれば、体は筋肉の固まり、ゆらゆらバランスのセンサーは皆無になっている。
ここから逆行するかのように、またあのゆらゆらバランスを戻そうとするのが、本来の太極拳の道だ。道教となじみが深いのは、それが老子の無極に復帰する、原点に戻る、という言葉と合致するからだ。ガチガチの体を柔軟にする、ガチガチの脳を柔らかくする、既成概念にとらわれない道・・・
3/12のブログで楊振铎老師の動画を紹介したが、その中の弓歩での重心移動の教えは、動画の中の弟子には(その時点では)伝わっていなかった。
上の師徒の画像を比べると違いがあるのに気づくだろう。
残念ながら、現在、ほとんどの太極拳の先生が左の弟子のような重心移動をしている。が、馮志強老師も含め、本当の師は右のような体重移動をする。
というのは、重心を保って移動していくと、どの時点でも進歩・退歩が可能なはずだからだ。 https://youtu.be/q98HVJCiz_o?si=cOM-wZ1x8NlFWGml この動画の35分あたりで説明されているように、後ろ足が踏んで前足が突っ張っている状態(前に進める状態)と、前足が踏んで後ろ足が突っ張っている状態(後ろに下がれる状態)が常に転換可能な状態にあるからだ。
つまり、左の画像のように、弓歩であれば、この場合は前後(横の弓歩なら左右)に揺らすことができる。
これは体の重心を保っている証拠だ。
これに対し、上の弟子のような形だと、前に進めても急に後ろに下がれない。胴体の重さを赤ちゃんのように股で支えず、代わりに腿で支えているからだ。これは上半身が固まっているのが原因。
師と弟子の根本的な違いは胴体だ。
師の胴体は赤ちゃんのように放松している→胴体が先に動いている
弟子の胴体は硬直している→上半身は固まって、脚で体重移動をしている
↓下のGIFでその違いが分かるかな?
師の体は水中でも沈まずにいられるような感じ。それは冒頭の立ち上がった赤ちゃんと同じ。胴体が気で膨らんでいるのだ。
これに対し、弟子の方は、力が入り過ぎて水の中に入れたら沈むだろう。胴体が重過ぎて脚に過度の負担がかかる。素早く動けない。(太極拳はゆっくり動くのを目標にしているのではなくて、ゆっくり正確に動く練習をすることで、素早く動くことができるようにするのが目標です。)
結局、体を固めていては重心がどこにあるのかわからない。ゆらゆらするのが怖いからといって固めたままでは本当の養生法にはならない。体を固めて重心がないまま歩けば脚だけで移動することになる。上半身はただの荷物になる。本来は頭、胴体から動くもの。そのあたりの誤解を解く必要がある・・・
2024/3/12 <杨振铎老师を見つけた!>
先に紹介した師の名前は杨振铎。なんと楊式太極拳の大师 杨澄莆の息子、楊式太極拳始祖の楊露禅の曽孫でした。亡くなったのは2020年(95歳)。つい最近・・・
楊式太極拳は最も普及しているのだけど、本当にすごいと思う師を見たことがなかった。杨澄莆は写真を見るとすごいのがわかるが、残念ながら動画がない。今日、杨振铎の動きを見て、初めて正しい楊式太極拳の動きを見られた!と感動したのでした。
ラッキーなことにこの師が細かく教えている動画が残っています。
一言一言が私にとっては宝石のよう・・・感動的。
気になる箇所をいくつか抜き出してみました。
ここは抜背について説明しているところ。
含胸をしないと抜背ができない、背中の力が使えない。
腕は抜背によって支えられている。
しかし腕の力は含胸・抜背だけでは足りない。下半身が繋がらなければ根っこがなく弱い。
そこで松腰、松胯をして、上半身と下半身を繋ぐ腰の部分を上下に伸ばし腰椎の凹んだところが突出する(命門が開くということ)。
それができれば、腰が身体を動かす主宰となる。
そして注目すべき弓歩の説明・・・
<弓歩の前腿について>
虚足を前に出す時は、踵から地に降ろす。
踵が地面に着いたら次第に重心は前に移動し、
足首が平らに地面を踏んで
五本の指が地面を掴んだら
膝を前方に突き出す。
足全体がゆっくりぴんと張ったら脚は弓になる。
これが弓歩だ。
どのくらい弓になるのかというと
膝と足首は垂直ではない、膝は少し前だ。
しかし、足先は越えない。
<弓歩の後腿について>
後腿は前腿に対応している(ばらばらではない)
右腿が蹬(ペダルを踏むように踏むこと),左腿に重心移動
→実になった左腿が蹬(踏む)
→実腿は”蹬” 虚腿は”正”になってから
→右腿に坐る
右腿重心で、虚の左足が地面につたら
実の右腿は(地面を踏むことによって)その全ての勁を左腿に送り出す。
左腿はその勁を接受しなければならない。
左腿が送ったなら、右腿はそれを受けなければならない。
それができないと、「空蹬」(無駄に地面を蹴った)だ。
現在の生徒さんたちは、弓歩の”弓”が”弓”ではなく真っ直ぐだ。これは空蹬垂直だ。
この左腿が弓として出された後、その膝頭は足先を越えてはならないが、それだけでなく、後腿は蹬出去(踏み切る)必要がある。後腿には伸びと拡がりがある。
ただ”展”(拡がる)といっても、「不挺」(真っ直ぐに伸ばしきってはいけない)。
真っ直ぐに伸ばしきらないことで、
「前蹬后撑」(前が踏んで後ろが突っ張る)あるいは「 前撑后蹬」(前が突っ張って後ろが踏む)となり、前後ろが一緒になって、少し揺すればとても安定感があり気持ちがよい。
これらの弓歩の、特に赤字で書いた部分はとても重要、太極拳の要で、現在忘れ去られているのかと思われる箇所だ。
実際、楊振铎と一緒に出ている生徒さんはまさにそれができていなかった・・・・どういうこと? (日本人の私が言うのは憚れるが)本家本元で継承されるべきものが継承されなくなっていくのは残念・・・
2024/3/12
本来の太極拳と現在普及している太極拳(体操)との違いが分かる動画を見つけました。https://youtu.be/CPfZRKD81j8?si=3y90rSN0bcgWnQzJ
師と生徒は全く違う体の使い方をしています。
師は普遍的な合理性のある体の使い方、生徒は太極拳競技の中でしか通用しない体の使い方。なぜ放松が必要と言われるのかが見て取れるはず。形は内側の現れです。
2024/3/8
足首の背屈と底屈をしっかり自覚してもらうために、私は生徒さんたちに爪先立ちをしてもらうことがある。
”爪先立ち”というと、下のようになる人が多い・・・
本当は、”爪先立ち”でなくて、”踵を上げて”ほしい。
そこで、今度は、”踵を上げて”と指示してみる。
ここで、ちゃんと踵を上げられる人もいれば、、その前にやった爪先立ちと全く同じことになる人もいる。
爪先立ち、というのは、踵(踵骨)を上げていった結果に起こること。
問題は踵をちゃんと上げられるか? というところだ。
上の画像のような爪先立ちは、踵を地面から持ち上げて母趾球のライン(MP間接)で立っている。
文字通り、つま先(MP間接から先)だけで立っているので、ぐらぐらして安定しない。
太極拳の虚歩はとても大事な足型だが、この虚歩はこのような爪先立ちではない。
左の緑のラインのように踵の骨をぐるっと持ち上げたことで、踵を押し出すようにすることで(紫のライン)、足底筋がグッと引っ張られアーチが作られる(ピンクのライン。アキレス腱が伸び、うまくいけば足裏は膝裏まで繋がる。
虚歩は暗脚で、いつでもどこにでも動ける足だ。以前に、猫パンチを繰り出す前の猫のように、パンチをいつでも出せるように片手を振りかざした状態だ。
爪先立ちをした(踵を上げた)時に、上側の画像だと、踵がスッこ抜けてしまっている=足底筋膜が張っていない=アキレス腱、ふくらはぎの筋がストレッチされない(縮んでしまう) 脛の前側、足の甲側だけで爪先立ちをしている感じだ。
下側の画像のように、踵骨を押し出せると、足裏も甲も使える。ふくらはぎ側も脛の前側も使える。そして膝裏が使えるというのは大メリットだ。膝裏が使えればハムストリングスが連動する。このようにして爪先立ちになれば、とても安定する。
これを重心の観点から考えるともっとはっきりするだろう。
私たちの体の重さは、脛骨に乗ってその下の距骨→踵骨→地面へと落ちていく。
(もちろん、この一点でバランスを取るのは竹馬に乗っているようなもので不安定なので、実際には、この力が足裏全体にアーチを描いて分散されている。が、潜在的な重心の直下点は脛骨の直下点になる。)
これを前提にして考えると、上の1番目の爪先立ちの仕方だと、重心線は前腿、つま先の方になってしまうので、バランスがとれなくなるのは当然だとわかる(←左の画像)
2つの爪先立ちの仕方の違いについて書いているブログではこのような画像を載せていた。https://hanaepilates.com/ballet/705/
一度、この二種類の爪先立ちの違いを知れば、踵の使い方が頭では理解できるはずだ。
実際、今週オンラインで教えた生徒さんたちも、この比較を通して、初めて足裏が膝裏と繋がることが分かった、とコメントをくれた。
太極拳において、「踵から力が出る」というのは、まさにこのような踵の使い方だ。
踵をぐるっと回り込んで使えるようになることで、足裏が膝裏まで繋がり、脛が立ち上がるのだ。踵を踵骨の地面に触れる部分、と思っていてはいつまでたっても踵の凄さが分からない。
いろんな人がそれぞれの説明をしていますが、目指しているところは同じなので、別の方のブログも参考に載せておきます。https://north-sun.net/syoujyou/asi/kat-asi/5063
腰の王子が、踵の骨を第六の足指にする、と言うのも同じこと。
2024/3/4
足、足首はとても蔑ろにされている。
膝が痛むのも、股関節が痛むのも、腰が痛むのも、まずは足首、足の硬さから来ていると思っても間違いではない。
足、足首、そして、首は、人間の成長過程であっという間に硬くなる。他の筋肉でカバーするようになる。
身体が硬くなったと思った時には足指はもう固まっている。足指が固まれば足首も固まっている。
若い時にそんなことも知らずにスポーツに勤しんだ。
足の大事さに気づいたのは太極拳をやり込んでから。
師父は、足が体の全てを知っている、と言う。
今の私はそれがよく分かる。
足を見れば功夫の高さが分かる。
骨で動いているのか、肉で動いているのか、足首以下を見れば一目瞭然だ。
先週、先々週と、距骨の動きである背屈、底屈と、踵骨の動きである踵の関節の動きを生徒さん達に教えてみた。
マニアックだが、とても大事だ。
背屈はパー
底屈はグー
鳥の足指は踵の方に回り込んでいる。
何故か? 枝を掴むためだ。
これがグー。
踵を第6の指にする。
グーは6本の指で行う。
踵で掴めれば足根骨も使えているだろう。
これが底屈。太極拳の基本的な虚歩の足型だ。擦脚もこれ。
そしてそこからパーにしたのが背屈。
地面を蹴り込む時の足の形。
太極拳の蹬脚が分かりやすいだろう。
重心移動の時の足はグー、パーが滑らかに、波のように変化していく。
足はひれをつけて泳いでいる時の足ヒレのように波状に動く。足の中の骨がバラバラになって全ての関節が使われた状態だ。
これは理想で私も全くそこには及ばないが、日々努力するしかない。スクワットをして臀筋や太ももを鍛えるよりも、足首の中や足の中の骨を割るようにしゃがんでいく練習をした方が良い。実際、太極拳の動きはそうなっている。
続く...
2024/2/27 <平櫛田中の鏡獅子 霊感と肉感>
夜、テレビをつけたら「なんでも鑑定団」で彫刻の鑑定をしていた。平櫛田中の作品か否か?という鑑定。
私は平櫛田中という彫刻家を知らなかったのだが、番組の中での紹介に見入ってしまった。すごい! というか、日本彫刻界の巨匠でした・・・
紹介の中で、大作「鏡獅子」について、それが六代目尾上菊五郎をモデルとして20年かけて制作されたものであると語られていたが、その時挙げられた菊五郎の写真に目が釘付け。太極拳? 右单鞭? しかも太極拳の大師のような風格・・・
目線は太極拳と違うけれども、腹がゆったりと、体がのびのびした感じは太極拳の理想だ。
北京にある馮老師の武術間には裸体の太極拳の像がいくつかあったが、この菊五郎の体はそんな感じだ。師父がパンツ一丁でやってくれた時の体のもこうだった。
衣服を脱いで見せてくれると体がどうなっているのか良く分かる。
腹はゆったり、
そして、私が劉師父を見た時一番驚いたのは、脚がすっきり、すらっとしていることだった。左の菊五郎の脚も伸びやかだ。力みがない。
上の姿から田中が制作した「鏡獅子 試作裸体」
あれ? 力んだ? という感じだ。
脚の開き方も変わってしまった。
死んでしまったかな?(固まってしまったかな?)
と、これら2枚の写真を師父に見せてコメントをもらった。
返信は
「一枚目は内側を見ている。霊感あり!」
「二枚目は外を見ている。肉感あり!」
「二者は同じ次元では語れない」
ここで師父が使った”霊感”という言葉は、日本語で使うオカルトちっくな意味ではなく、「活き活きとした感覚」だ。「霊」には、素早く動く、という意味がある。そしてこの『霊』は、太極拳が目指す最も上の境地だ。
すなわち、放松から始めて、開→沈→柔と進んで、その先に霊、素早さがある。
一枚目の菊五郎の写真を見ると、重さも柔らかさも素早さも感じることができるだろう。
これに対し二枚目は、重さがあるが、柔らかさと素早さが感じられなくなっているような気がする。
それはちょうど、前回載せた画像の比較と対応するのでは?
霊感と肉感
カンフー映画や武術漫画を見ると、肉感系が描かれていることが多く、それが格好良く見える。私も若い頃は肉感系が好みだった。霊感系のをみてもピンとこなかった(というよりも、それが目に入ったことがなかった)。
今の師父と出会い、一から太極拳をやり直して知ったのは、太極拳は究極の武術、霊感の武術だということだった。肉でやっているようでは力の世界、俗なのだ。どこか浮世離れしているのが太極拳、弱そうで強い、一般人には良くわからないものなのだ。
私が見るところ、現在広まっている太極拳はざっくり二種類ある。
一つは武術太極拳と称されているような肉感的な太極拳。カンフー映画に出てきそうなものだ。
もう一つは、霊感系を真似して力を抜いたような感じで動いている太極拳のような体操だ。こちらは体の中身がない。内側がない。強さがない。
肉感系の人が太極拳の門に入るには徹底的に筋肉を緩めることが必要だ。
体操系の人については、放松が内側の力=丹田の力につながるような練習が必要だ。
と、鏡獅子の話に戻ると、今、鏡獅子は故郷の岡山県の井原市に里帰り中だということでした・・・平櫛田中美術館、素晴らしい作品がいっぱいある・・・https://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/kubun/works/
2024/2/24 <女性の骨盤(腸骨)が開いてしまうわけ、提肛、坐骨を寄せる>
日本人の女性は股関節が内旋していて内股の人が多い。
着物を着た時の歩き方が残っているのか?と思ったりするのだが、外国人から見るととても特徴的に見えるらしい。私もしばらく外国にいて日本に戻ってくると日本人の歩き方が奇妙に映る。次第に慣れてはくるのだが・・・
今日はあることを考えながらレッスンに向かった。
途中で、私が思うところの典型的な日本女子の姿を発見。
<左画像>立った時に両足の踵が揃わず開いている。しかも左右の開に差。
→お尻が開き骨盤底筋が緩んでいる。内臓が下がる。
<右画像> この姿勢で歩くと、体の中心軸がなくなり、左⇄右と揺れながら歩くことになる。足首が曲がってしまっている。
この女性はまだ若かったが、この歩き方はすでに中高年だ。
後ろからバタバタと歩いてきたので思わず注意して見てしまった次第。
太極拳には『斂臀』という要領がある。
これはざっくり言えば、お尻を出さずに入れる、ということだが、入れ過ぎは禁物だ。
お尻にギュッと力はいれない。股関節が固まってしまう。
入れるのは、仙骨だ、と理解していたが・・・
ひょんなことから、目から鱗の要領を知った。
『左右の坐骨を近づける』
立位だとどこに坐骨があるか分かりづらいので、椅子に座って、自分で左右の坐骨を触り、それを寄せるようにして座り直してみる。
どうだろう? 何が変わるだろう?
下っ腹にギュッと力がみなぎるのが感じられるはず。
内股にも力が入るだろう。
お腹が引き上がった感もある。
これは骨盤が立った感じだ。
両足を広げても、坐骨は中央に引き寄せるようにしておくのが正しい。
すると円裆になる=股、骨盤底筋に力が出る。
弓歩で両足を広げた時に左右の坐骨まで広げてしまうと、気が漏れて内股がスカスカになる。代わりに外腿や前腿を使うことになる。足裏まで気は届かない。
↑https://youtu.be/rNP8s2wf2CA?si=Ffq2GTLbNkiccM36より
個人指導をする馮老師。
馮老師の坐骨は引き寄せられている。立ち姿には軸が通っている。
生徒さんのほうは全く無意識だ。
前から見ると二人の裆(股ぐら)の形が違うのが分かるだろう。
生徒さんは体が落ちて股ぐらが角ばっている。これは肛門が落ちている証拠。
『提肛』:肛門を引き上げると、両坐骨は近づく。股が引き上がって足長になる。両腿も近づく(O脚が緩和される)。
今日のレッスンでは、椅子に座って自分の坐骨を探し、それを寄せて座ってもらった。
会陰を引き上げたり、肛門を引き上げたりするとそうなるはずなのだが、実際にはそれだけでは坐骨が引き寄せられるほど引き上げられないと思う。坐骨にはハムストリングスが付着し、また、坐骨と仙骨の間にも筋肉がついている。坐骨が良い位置にあるとハムストリングスや仙骨が使いやすくなる。坐骨の位置が悪いと、股関節や膝に負担がかかる。
私が見るほとんどの太極拳の画像は肛門が落ちている。たまに引き上がっているものがあると嬉しくなる→下の左上画像の楊名時老師。その他の画像は全て落ちている。
体を固めると肛門に圧がかかり下がりやすい(痔になる方向に働く)。
肛門を引き上げるには体の中に空気をいれる必要がある(肛門を引き上げると体の中に空気がはいって浮くような感じになる)。→筋肉もりもりの太極拳イラストは❌ 上半身を締めるとアウト。肛門を引き上げられないし、坐骨も寄せられない。そもそも丹田ができません。
太極拳を女性が練習する時は、特に”下げない”ように意識しないと、腸骨が開いて股関節の安定性が減り、さまざまな影響が出てきます。昔は女性はみだりに股を開かない、とされていたのも一理あると思ったり。股を開く時は、必ず、その分もっと引き上げる。(実際、両足開脚の時は中心部はむちゃくちゃ引き上がっています。)
男性も提肛に注意。以前中国の生徒を見ていたら、「太極拳をやりこむと痔になる」というような投稿がいくつもあって驚いたことがある。きっと全身力を込めて練習していたに違いない・・・
2024/2/23
前回のメモで箇条書きで書いた①は②へと繋がる。
実は、私にとって②が大発見。
現在普及している太極拳がなぜおかしいのか、なぜ膝を壊すような動きになっているのか、いや、それは太極拳だけの話ではなく、なぜ歳をとると膝を壊したり股関節を痛める人が多いのか、その原因がはっきりしたからだ。
つまり、体重移動は「脛を立ててから乗り込む」ということ。
この「脛を立てて」というところがミソだ。
街で大人が歩いているのを見ると、膝下が立つ前に足に体重を乗せている。
しかし、身体が構造通りに動いている子供、そして体が崩れていない大人は、ちゃんと足から膝下が支えを作ってから体重を膝に乗せて歩いている。
大人は太ももを膝にかぶせるように歩いている人が多いが(前腿で歩いている)、脛を立ててから膝に乗ると、膝は開いたようになって体重が膝にかからないのだ。
この感覚を体験してもらうためには、足首の背屈から教えなければならない。
そもそも背屈が不十分な人が多いからだ。
背屈がしっかりできると、足首にロックがかかり足がとても安定する。
そして背屈がしっかりできた上で重心が移動していくと、足裏から膝下までが足で支えられるのだ。言い方を変えれば、膝下までが”足”になる。
こうなったら体は膝に乗り込むことができる。
膝に乗り込んで大丈夫なのか? と思うかもしれないが、不思議なことに、膝に乗り込むと、膝から上と膝から下が分離して、膝は空になる。これなら膝は傷みようがない。
「脛を立てる」という言葉は馮老師のテキストの中で、3つの枢軸の一つとして記されていた。(3つの枢軸:首、腰、脛。全て”立つ”もの)
「膝下はまっすぐ」という言い方で師父から推腿を教わったこともある。
腰の王子は「立脛」という言い方をし、正式には、三種の神器の途中に、「脛はまっすぐですね、体操」というとても面白い体操をすることになっている。
考えてみれば赤ちゃんは立ち上がる時、まず脛を立ててから立ち上がるのだ。
いきなり太ももでは立ち上がらない。
と、このようなことを生徒さん達に教えるのに、足でやるのは難しそうなので、今週は前足(手腕)でやってもらってから誘導してみた。
前足(手腕)と後ろ足(腿足)は同じ構造だ。
跳び箱を飛ぶ時の手の使い方を再現してみると、足の使い方が分かるだろう・・・
左上のイラスト(https://kyoiku.sho.jp/115767/)の真ん中の絵は、台の上に手をついた時の姿だが、実際には、この姿勢の時は、右上の画像①の男の子のように、肘が曲がっているはずだ。
そして、手をついた後、手首の上に肘がきて、前腕がしっかりすると、体重を手の上に預けることができる。(体を持ち上げることができる)→②左下の女の子。
最後に、手で跳び箱を蹴ってフィニッシュ。この時、肘はしっかり伸びている→③右下の男の子。
実は、①→②→③ は、歩く時の下肢の動きと同じだ。
足で膝下までを立て、まっすぐになったら体をのせる。最後は足首のフレックスと膝裏で蹴る。
手を台について台に登ろうとすると、必ず肘を使うだろう。肘が曲がって手と肘が繋がる:あたかも手のひらが肘まで繋がっているかのようになる瞬間があるだろう。この状態になれば、安心して胸や肩を手に乗せることができる。
手の上にダイレクトで胸や肩をのせてしまうとバランスがとれない。
これと同じことが下肢でも起こる。
腰の王子は、脛から足先、足裏を「foot」脛から股関節までを「leg」と言い
肘から指先までを「hand」、肘から肩関節までを「arm」と言う。
本当にそうなっている!
そうなるためには、足首や手首のフレックス、そして足の中や手の中の関節がバラバラに動く必要がある。
今日は対面のクラスで1時間以上かけて細かくこのあたりを説明した。
目から鱗!のはず。
膝が悪くなったからといって太ももを鍛えるのはナンセンス。
しっかり足の中や足首を動かせるようにして、脛下まで足にするような開発をするべきだ。
そして、太極拳の套路の動きはそのように足を使うことが求められている。そのように動くような細かいコツが隠れている。
私はあまり意識しないで動いていたが、それを知るとさらに動きが正確になる。
ただ生徒さんを教える時はかなり辛抱強く誘導する必要がある。
一人一人背屈が正しくできているのかも見る必要がある。
これが完璧にできなくても、感覚が少しでも分かれば、今後の練習の方向性が掴めるだろう。
2024/2/19 <身体開発について 座り方から学ぶ その1>
太極拳の練習が身体開発になるためには、ただ套路をやっているだけでは不十分だ。
使える神経、使える筋肉だけを使い回して練習していても、身体の”開発”にはならない。
今まで使っていなかった箇所が動き出した時、初めてそんな箇所があったことを知る。
自分の身体が世界地図だとしたら、今までこんなところに国があるとは知らなかった、ということを知ること。この河がこんなところまで続いて繋がっていたんだ、と知ること。この国と遠くはなれた別の国の間に実はバイパスがあったのだ、と知ること。そう、身体開発は、身体の中の探検だ。
私が劉師父から学んだのは、体の内側から体を動かす術。
内側から動かすことは息を通すこと。内臓を養い、体を正しく構造通りに動かすことになもなる。瞑想法の導入にもなる。ただ外側の体を動かすのではない。それが”スポーツ”との違いだ。
今週は私自身が自分の体の中で多くの経験をしたので、それをどう生徒さん達に役立つように伝えるのか迷っていた。
いくつか箇条書きでメモ。
①足の背屈と股関節の屈曲の連動
②着地したらまずは足から脛を立てる、その後で膝に乗り込む→膝が開く!(歩法の基礎)膝を潰さずに膝に乗る=足の中の関節のフル稼働(距骨による底屈背屈を含む)
③肩甲骨の挙上・下制。下制のつもりで内転させていないか注意。下制によって体がしっかりする(丹田が充実する)
④肩甲骨と骨盤の動きの連動
骨盤前傾→肩甲骨は下がる(下制)
骨盤後傾→肩甲骨は上がる(挙上)。
太極拳の基本姿勢の検討
⑤背中側の肋骨を動かせるようにする:背中を開く
⑥鼠蹊部の緩み 股関節の隙間 圧腿、前屈にも隙間が必要 引き上げ (ここはも少し分けて説明する必要あり。)
今日は⑥の鼠蹊部の緩みについて少し説明。
太極拳を学ぶ時に、「鼠蹊部を緩める」と教わることがあると思う。
その時、スクワットの時のように鼠蹊部を後ろに引いて、股関節を屈曲させれば、鼠蹊部は緩んだものと思っていないだろうか?
しかし、上のように立つと、その効果は左の画像に書いているように
「前腿にじわ〜っと効く」
ことになってしまう。
これは、鼠蹊部が緩んでいない、ということだ。
太極拳では『松胯』と言われるが、胯は前後、内外がある。(鼠蹊部は前胯、お尻の奥は後胯、腸骨の方は外胯、股側は内胯)
胯を緩める、というのは、前後内外の胯と股関節の間に隙間を作ること。
それによって、上半身の力は股関節を通って足首・足にダイレクトに落ちる。途中の太ももやふくらはぎで力が滞積しないようにして、足の力(地面の力)を最大限に使うようにするのが「松胯」の意図するところだ。
前からうすうす気づいていたが、前胯(鼠蹊部)がちゃんと緩んでいるかどうかがわかるのは、上のようなお尻を出した姿勢とは逆の、お腹を出して座るような姿勢をとる時だ。
中国でも唐以前は正座をしていたようで、私が見ている中国の宮廷ドラマの中も下のように正座をする男性がいたのだが、ん? 何か違うような?
上段は中国、下段は日本(茶道)
両方の真似をして座ってみると分かるが、日本の座り方はそんなに難しくないはず。私たち日本人は慣れている。
が、左の中国の座り方は、ちょと厄介だ。
上の小さな画像だと分かりにくいので、下に連続写真を載せました。
それを見ると、日本と中国の驚くべき差異が明らかに・・・・
太極拳(中国武術)と空手などの日本の武道の根本的な差異は、座り方に如実に現れているのでした。
詳しい説明は改めてすることにして・・・
鼠蹊部(前胯)の松の話に絞ると、中国の座り方ができるためには、鼠蹊部が本当の意味で緩んでいなければできないということ。
立ち座りは運動の基本なので、両方やってみて、股関節や膝関節、足首がどう使われるのか、そして呼吸はどうなっているのか、胴体はどんな感じなのか、をチェックしてみるとよいと思います。
太極拳は日本の姿勢ではできないので、中国モードに切り替える必要がありそうです。
2024/2/13
足の甲側の意識の話はそこから派生することが多くてどうやって系統立てて教えるのかがよくわからない。
先週はその時その時の生徒さんたちの状態を見ながら、誘導できるところを誘導してみた。
日曜日の生徒さんの中で、「こんなに違うんだ〜!」と歓喜していた二人組がいたけれども、私自身、それに気づいた時に、「なんと!」と同じように興奮したのでした・・・・
ずっとどこかで気になっていた、腰の王子の「大腿骨はだいたいこのへん」体操。
「これは何の練習ですか?」とマジ顔で私に聞いてきた生徒さんがいたけれども、当時は、「首根っこをいれて、背骨を伸ばす(抜背)の練習」程度の回答で済ませていた(実際、王子はトレーナーコースでもそのように教えていました。)。
しかし、「だいたいこのへ〜ん!」の時の両足の開き方が皆、あまりにも曖昧過ぎる!私の生徒だけでなく、王子と一緒にやっている人たちを動画で見ても、王子のように両脚を開いている人を見たことがない。最後のポーズが誰もキマっていない。王子はどう思っているのだろう?「だいたいこのへん」だから大体で良いのか? と思ったりしていた。
左の王子と右のお姉さんの脚の感じが違うのがわかると思う。
王子は両足裏に全体重が乗れるようになっている。お姉さんのポーズだとお尻を上げてもダイレクトで足に乗れない=前腿(膝上)の力に頼って立ち上がることになる。
股関節は足首と常にセットだ。
が、この体操では、ほとんど皆が、足首を無視してビヨ〜んと股を開いてしまう。
というのが私の疑問だったが、足の甲の意識について教える時に、そうだ!と思ってこの体操を足の甲の意識でやってもらったら、左の王子のような形に近づいたのでした。
つまり、皆は、足裏の意識だけで両足を動かしていた。本当は足首、足の前も裏も必要。特に足については足裏の意識しかなくて足の甲の意識のない人が多い。
上の体操を足の甲側を意識してやればもれなく内転筋が効いてしまい、だらしなく股間が開いてしまうことはない。
しかも、ポーズの最後で足の甲側の足首がしっかり折り込めることにより(背屈がしっかりできることにより)、股関節の屈曲がしっかりできるのだ。
股関節の屈曲がしっかりできないと腿裏が使えない。「コマネチスリスリ」は股関節屈曲、腿裏の伸びの練習が入っているが、実際に生徒さんたちにやってもらうと、腿裏お尻が硬くてちゃんと足首に乗りこめない人がほとんどだ。そもそも、足の置き位置が間違っているのだが、それも足の意識が裏にしかないからだろう。(上のお姉さんの画像を見ても、身は前に乗り出しているが、股関節の屈曲がしっかりできていない。その分、腰の反りでカバーしている。)
いずえにしろ、足首の背屈と股関節の屈曲が連動していることに気づいたのは生徒さんたちのおかげ。これによって、太極拳の「踵から力が起こる」ということがはっきりした。
足首の背屈で足首に気(エネルギー)を溜めることで膝にも股関節にも気が溜まる。
地面を蹴る時に股関節が伸展、膝関節が伸展、そして足首が底屈に向かうことで、丹田の気が股関節で股関節の気と共に膝関節へ、丹田・股関節・膝関節のエネルギーが共に足首へ、最後に、丹田・股関節・膝関節・足首のエネルギーが合わさって、地面を推す力になる。 短距離走のクラウチングスタートと同じだ。
まずは、前足=手腕でその感覚をつかむのよいかも。
ジーがその練習だ。
太極拳がパンチの練習をせず、もっぱら推手の練習をするのは、そんなエネルギーの流れと出しかた(常に丹田から出すとは限らない。肩関節に溜めておいて、その先だけで発勁する練習もある)。まずは、関節の隙間を見つけること、それからそこに気を溜める練習をする。
肘と膝に関しては、手の伸び、足の伸び自体がそれらの隙間になる。
肘にエネルギーを溜めることは少し教えれば要領がつかめそうなので、今週のレッスンで教えてみるつもり。肘ができれば膝も同じだが、スネと通すのは随分難しくなる。
<追記>
書きながら気づきましたが、「大腿骨はだいたいこのへん」体操、文字通り、「大腿骨」を回せば王子のようになるのでした。足も正しい位置に落ち着く。ただし、「大腿骨」の意識、すなわち、股関節と膝関節を同時に正しく意識する必要あり(内視できる必要あり)。股関節と膝関節が同時に内視できれば、足首はついてくる。私たちの問題は、両脚を使う時に、股関節も膝関節も足首も、内側から意識できないまま、外から適当に動かしているということ。
2024/2/10 <片足立ちは片足でやらない>
今週は「坐胯」と「足指(甲」に着目したレッスンをしてみた。
生徒さん達にやってもらうと理解はさらに深まる。それはいつものことだけど。
「坐胯」は「松胯」をさらに深めて股関節回りの空間に座った形。
劉師父から最近簡単な「坐胯」の練習の仕方を教わったなので、早速生徒さん達に紹介したのだが、やってもらうとなかなか上手くできない。膝を伸ばして片足で立って、そこから胯に座る、というだけのものなのだが、ほとんどの人が、膝上の太ももに乗ってしまうようだ。
どうしてそうなってしまうのか?と見ていたら、片足立ちを文字通り、片足でやっている! 片足立ち(単腿)を軸脚一本で立とうとするのはナンセンスだ。軸脚一本で立つと、胯(股関節)を見つけることはできない。必ず、地面から離れているもう一本の足(の付け根)を使う必要がある。右の股関節を見つける時は、左の股関節が必要だ。引っ張り合いの中で股関節は見つかる。右を外して左の股関節だけを見つけるのは不可能だ。
ということで、改めて、片足立ちを見直すことになった。本当の意味での”片足立ち”というのはないのだ。片足で立ったとしても、常に両足の引っ張り合い、正確には体幹部からの筋肉(腸腰筋)の引っ張り合いが働いているのだ・・・
左のような画像を見れば、左右の股関節が”連動”することが想像できるだろう。
連動させずに片方の股関節だけ使おうとすると、股関節の隙間ではなく、大腿骨骨頭乗ってしまい、脚はぐらぐらする。大事なのは、股関節の”隙間”を探してそこに落ち着くことなのだ。
実は、この股関節の隙間(腸骨と大腿骨骨頭の隙間)を見つけるのが、重心移動の練習だ。
隙間を見つけるには、左右の引っ張り合いが大事になる(引っ張り合いはポンの力とも言える)
例えば、上の左端の図のような片足立ちでバランスを取るのはとても難しい。これこそまさに平衡感覚のテスト?ぐらぐらする。
しかし、右側のヨガのポーズのようなものは、常に左右上下の引っ張り合いを作っているので、安定するようになっている。太極拳も同じだ。それには、左右の腸腰筋の引っ張り合いはマスト。丹田はその腸腰筋にハリを持たせる役割を担っている。
太極拳では、まず放松、と、脱力が必要だとされるが、それは体をふにゃふにゃにして弛ませることではなく、あるいは、両手をぶらぶらさせることでもない。体の表面近くにある筋肉の緊張を解くことで体の内側に力を持たせること、その内側の核となるのが丹田だ。それによって内側から体はハリがでてくるようになる。これが体内の張力になり、左右上下前後の引っ張り合いになり、体が内側から膨らむポンの力になる。
足の甲についての話はまた今度。
2024/2/7
「踵着地は正しいのでしょうか?」という質問から、今日のオンライングループレッスンでは、足、足首、脛についてかなり細かいところまで話をしました。ついてこれたかどうか不安なので、少しまとめてみます。
「踵着地」というのが「踵骨着地」という意味なら、それは❌。
足底筋膜をぐっと張って着地するようになる。ショパール間接からリスフラン関節までで着地。しかし、実際には、どこに着地するか、よりも、軸脚がどのように蹴れるか、が大事。
歩く時は、後ろに引く足(蹴る足)を意識する。
ちゃんと蹴れればもう一方の足ちゃんと振り上がってくる。
→昨日書いた、間化の起式の開歩と同じ原理。
<補足>スキップと同じです! スキップは片足が蹴れば片足が上がる。スキップができない人は、上げる足のことを考えている?
太極拳で、「力は踵から起こる」というのは、「踵で着地する」ということではないので注意。
「力は踵から起こる」、というのは、着地した足が踏み込んだ時、足底筋膜を緊張させてしっかりと背屈することによって踵部の関節に力を溜め、それをバネとして蹴ることができる、ということ。
足首の関節を知るべき。
王子は脛骨直下点で立つ、というが、脛骨の下にあるのが距骨。
脛骨と距骨のの隙間が距腿関節。
そして距骨とその下の踵骨でできる関節が距骨下関節。
足首を前後に動かした時に動くのが距腿関節。
踵を左右に動かしたり捻ったりした時に動くのが距骨下関節。
私たちが足首を回す時は、距腿関節も距骨下関節も使われている。
足首は、脛(脛骨腓骨)と距骨と踵骨でできている。
足首を回した時に、それ以外の足の骨を回そないように気を付けること。
足首を前後に動かした位置(距腿関節の位置)の下に足首を捻ったり横に動かす関節(距骨下関節)がある。距骨よりもつま先側で足首を左右に動かすのは❌。
距骨下関節が意識できると、蹴り方が変わります。歩き方が変わります。
太極拳の時の足の出し方(上歩)も変わります。
足を前に出す時は、まず、股関節を緩めて、股関節を回すことで膝間接と距腿関節と距骨した関節を連動して回して足を着地させます。(本当は丹田を回してそれ以下の関節を全て連動させて着地する。関節は全て円運動。折りたたみ運動はありません。)
まずは、距骨下関節の位置をしっかり認識するのが目標!
今日のレッスンでは丹田回しで足首の中の二つの関節を意識する方法を教えました。
命門とセットです。
下に資料の画像、そして距骨下関節の可動域を出すエクササイズの動画を貼っておきます。膝に痛みがある場合、足首が原因のことも多々あるので、チェックしてみてください。
2024/2/6
股関節は腸骨と大腿骨骨頭の間の隙間だ。
およそ関節というものは全て隙間。
運動というのは関節をうまく操ることだ。
その前提として、その関節がどこにあるのか、意識できるようになる必要がある。
四肢の間接では、肘と膝が比較的意識しやすく動かしやすいので、そこから直してもらうことも多い。
『墜肘』をしようとすることで『沈肩』がついてくるし、
(正しい)『曲膝』をしようとすることで『円裆』 ができるようになる・・・
とはいうものの、実際には『沈肩』が中途半端なので『墜肘』ができないし、『円裆』が曖昧なので、『曲膝』ができない(ハムストリングスをゆるめられない)ということになる。(『曲膝』は「膝を曲げる」ことではないことに注意。)
今日のレッスンでは片足立ちを取り上げたが、片足立ちで学べることはとても多い。
例えば、「片足立ちは片足で立とうとしないこと」だ。
太極拳の套路の中で片足立ちになる時に、片足で立たなきゃ、と思って、本当に片足立ちをしようとする人がいるが、「片足で立とう」と思った時点で、もう失敗している。
例えば、左のメッシが、ボールを蹴る時に、片足になることを意識するか?と言えば、そんなことよりも、蹴ることに専念しているのだ。意識は軸脚以上に振り上げた左足にあるだろう。そしてそれを可能にすするように体幹部や腕が頑張る。頑張るといっても、体の内側からみれば、両手両足胴体は一つの空間。アメーバーが内側から体を広げるようなもので、それがたまたま外からみると片足立になっていた、というだけだ。体は分断されない(関節が全て開いていれば)
片足立ちで、「片足立ちになるぞ」と思った瞬間、その軸脚以外の関節がすべて閉じてしまう。片足は片足でなく、全身のバランスでやるものだ。
そう言う意味で この動画は参考に値する。https://youtu.be/ZQm19pc91Hs?si=Pr2MBGxXk7GXZrHW
太極拳なら全身をぐらぐらさせなくても、内側で丹田を使うことによって見た目も動いていないかのように安定させることが可能。(片足立ちの時間が長ければ、丹田は回転させ続けている必要がある。套路の中の片足立ち程度なら、丹田を一瞬止めることで足りるはず)
私のオンラインの生徒さん達の多くは混元太極拳をやっていないため、丹田の作り方もはっきり分かっていないことが多い。短時間でも良いのでタントウ功をして内功の丹田回しを毎日することで、丹田の感覚は次第に養われるはずだが、丹田なしで太極拳の本質を学び得るのか?という個人的な疑問もあるので、簡化24式の解説動画をいくつか見てみたりした。結論としては、簡化は総じて中国の国民保健”体操”になってしまっているので、太極拳の核心は抜き取られてしまっている。太極拳の入り口としてはよいが、そればかりしていても太極拳の門には入れないだろう。しかし、そんな中で、伝説の老師と呼ばれていたという加藤修三老師は、外側から内側に迫ろうと細かな注釈をしている。
私はその加藤老師の起式のデモ動画を見て、なるほど、と腑に落ちたのでした。
簡化では片足立ちの奥義を起式の開歩で教えているのだ・・・
開歩は最初の1分半の説明ですが、
「右足に重心を移したaという運動を、右足の膝を張り出して緩めることで正面に向いて、確実に軸を作ってから足を開くということ・・・」
「右足に重心を移して左の踵が浮くのは、右足と左足が股関節それから真ん中の腰を通してつながっているという大事な項目」
どんな片足立ちでも共通するのは、どうやって足が上がり始めるのか、という勁の作り方。
軸脚がドンと地面を踏んで、蹴る足をそれから持ち上げる、というようなことはあり得ない。
上の加藤老師が解説しているように、軸脚に重心が移ったと同時に蹴り足の踵は浮いている(=膝は曲がって前に出ている=蹴る準備)。ここから、どのように蹴るのか、あるいは、蹴らずにただ開歩するのか、は状況によって変わる。
この片足立ちになれば、パンチもでるし、パンチを出さずに立ち去ることもできるのだ・・・
簡化の起式の開歩はその練習。
ここからどんな蹴りがでるのか、はその後の套路の中で学ぶことになります。
しかし、蹴りの前、片足を上げる前には”腰に両足が集まる”=合、の形になることに注意。加藤老師は”腰を通して両足がつながる”と言っていますが、それは”丹田から両足が生えている”あるいは”両足は丹田で一つになる”と言うのと同じです。
今日の生徒さん達には鼠蹊部を腹に向かって引き込む練習(丹田に集める合の練習)をさせましたが、それによって片足は軸脚になり、片足は蹴り足になります。(その後、蹴りやパンチをした時に丹田の開になる。) 猫の動きを見た方がよく分かるかも。
2024/2/4 <腰を緩める、腰の隙間、腰と腹の関係>
初心者を教える時には必ず言うが、「まずは腰を緩める」。
『松腰』だ。
腰を緩めないと股関節も緩まないし膝も緩まない。
腰を緩めないで運動をすれば、腰や股関節や膝を痛めてしまう。
『松腰』は別に太極拳に特有の要領ではなくて、運動するには不可欠な要領だ。
が、太極拳で特に『松腰』を強調するのはそれ以上の意味がある。
松腰をすることで丹田が作られるのだ。
逆に言えば、丹田を作るにはまず腰を緩めなければならない。
ほっとして腰を緩めれば腹に気が集まる。
この丹田の素になる気を集めてそれを回していくことで丹田の感覚をしっかりさせながら腰をさらに緩めていく。
最初の松腰→腹に気が落ちる→意念と呼吸を使って気を集める→それを回していく(丹田回し)→腰が内側からマッサージされてさらに緩む
ネジを締めたり緩めたり、をイメージすると分かりやすいと思うが、締める、というのは隙間がなくなること、緩める、というのは隙間が開くことだ。
腰を緩める、というのは腰に隙間が開くという感じだ。
太極拳の経典の中の有名な言葉に、「命意源頭在腰隙、刻々留心在腰間」というのがある。
前半は、「意識の源は腰の隙(間)にある」
後半は、「常に腰の(隙)間に心を留めろ」
劉師父は私がまだ初心者だった頃から、上の言葉をよく口にしていた。
当時は、腰の隙間ってどこ? とよくわからず、師父に質問していたかなぁ。
最初は、命門あたりに隙間ができるだろう。
丹田が開発されるとともに、次第に隙間はもっと大きくなる。腰に弾力性が出てくる。
バネには隙間が必要なのと同じ原理だ。
それを作るには、丹田が必要だ。丹田で腰を動かすことで腰は柔らかくなる。隙間ができる。腰を直接動かそうとすると腰は思うように動かない・・・
実は、腰が少しでも緩めば、肩は少し下がっている。
肩を下げると、下っ腹に力が出る=丹田の素ができる。
丹田ができると、腰には隙間ができる。守られる。
丹田があれば腰は傷まない。ぎっくり腰になったりしない。
ぎっくり腰になる時は、腹圧が抜けている時、もしくは、肩甲骨が浮いている時。
昔、男性の生徒さんが、くしゃみをしてぎっくり腰になった、と言って驚いたことがあった。が、それを娘に言ったら、「うん、分かる気がする・・・」と言って、横に寝転がった姿勢で実演して説明してくれた。 なるほど。
そもそも、娘は左の画像のような体勢で本を読んだりテレビを見ることができなかった・・・腰が痛いと言うのだ。
机に向かって同じ姿勢で勉強していると疲れるだろうと思って、「たまには寝っ転がって勉強したら?」とアドバイスした私だったが、彼女にとってみれば、その姿勢は、”腰を反る”姿勢だったようだ。
このうつぶせ読書の姿勢を見て、「腰を反る」と思うのか、「腹を伸ばす」と思うのかでもうその先の結果が決まっている。
直感的に、「腰を反った姿勢だ」と思った人は、腰痛予備軍だ。腹圧が足りない。
それとは逆に、「腹を伸ばした(楽な)姿勢だ」と思ったなら、そんな簡単には腰を痛めないだろう。
考えてみると、あかちゃんの時は誰もがこの姿勢のエキスパートだった。(←https://ymcn.co.jp/630/)
これで腰痛になる赤ちゃんはいない。
お腹ぽんぽこりんで背骨はぐにゃぐにゃ。
うつ伏せで頭を持ち上げているのは、腹が床を押しているから。腹の力だ。
大人になると、次第に腹の力が減り、背骨が硬くなってくる。腹と背骨は陰陽の関係。腹をしっかりさせれば背骨が緩み、背骨を固めれば腹が緩む(力がなくなる ポンの力が減る)。
腰を含めた背骨を緩めるには、腹の充実(丹田)が必須だというのはそういうことだ。
最初の一歩は、腰を緩めてみること。
緩めているうちに、腹は次第に充実してくる。
そして集めた気を動かせるようになったら3つの方向に回す練習をします(内功)。
2024/2/1 <肩甲骨についてのメモ>
肩甲骨は下に引き下げる
内側に寄せない
下げるには上がらないように注意する
下げ続けるには丹田の力が要る
前屈が苦手な人、前屈ができても腹と太ももの間に隙間が開いてしまう人は、肩甲骨が上がっている。
両脚を前に伸ばして座ったままでいられない人も肩が上がっている。
肩を下げられないと深い息ができない。腹圧が保てない。
逆に言えば、深い呼吸を継続して行う(つまり、吐いても吸っても横隔膜を下げておく 丹田呼吸)には肩甲骨が下げたまま、吸った時に肩甲骨が上がらないように引き下げておく必要がある。
そのためには、肩甲骨と背中(肋骨)の間に隙間が必要。
吐気ではは肋骨のブラインドが下向きに回転するので肩甲骨も下がりやすい。しかし、吸気では肋骨のブラインドが上向きに回転するような感じになるので、肩甲骨も上向きに引っ張られやすい。この時に肩甲骨が肋骨のブラインドが上向きに回転するのを制するように被せて抑えられれば、息が上がってしまうのを防ぎ、代わりに骨盤底筋の運動をもたらすことができる。これによって全身呼吸が可能になる。
実は前屈でも同じような原理が作用している。
息を止めると前屈できない。
息を通すには骨盤底筋まで息を吹き込み、そして骨盤底筋から吸えるようになる必要がある。それができた時、鼻から吸った息が頭頂まで届き、吐いた息は足裏まで届くことが感じられるだろう。
2024/1/27 <腿法 腿のチャンスー>
昨日の王子の動画を師父に見せたら、「太極拳で言えば基本中の基本の腿法だな。」と一言。「要は、脚の纏糸(チャンスー)だ。」と言われて、ああそうだった、と思い出した。
『太極纏也』という言葉があるように、太極拳の核心は纏わりつく、絡みつくことにある。太極拳のシンボルが蛇なのもそれが多いに関わっている。
『周身无处不缠丝』という言葉もある。「全身どこもチャンスーにならないところはない」つまり、全身どこでもチャンスーがかけられる=絡みつくことができる、ということだ。
チャンスーと聞くと、手腕をイメージするが、それに止まらない。それが体であれ、脚であれ、どこでも絡みつくことができる。陰陽図と同じように丹田が回転することで全身、絡みつくようになるのだ。
腿法について分かりやすいものをいくつか集めてみました。
馮老師の表演(https://www.youtube.com/watch?v=6wfKH6IRqmI&ab_channel=bomb2114)
推手の時に相手の脚を封じておいて、そこから扣をして相手を倒す。この”扣“は套路の中にも何度か出てくる動き。
内側に足を閉める”扣“の反対は”摆“(外側に開くもの)。両者とも、単なる方向転換だけでなく、相手の脚を引っ掛けて倒す作用がある。套路の中では暗脚にされていることが多い。
陳項老師が見せてくれているのは、とても簡単な腿法。単に引っ掛けてずらすだけだ。
が、これを成功させるには、頭から足裏までがしっかり通っている必要がある。タントウ功など内功をしっかりしていないと、こんなに鮮やかには技がかからない。
(https://youtu.be/IzhvvA5VKzM?si=03Qmq8bDIIAEf0KF)
実は、上の技が単独で使われることよりも、その前に別の技があったりする。
太極拳の場合、手腕の技が出る時には同時に腿技も準備されている。ただ、手だけで打ったり、ジーしたりすることは少ない。
相手の懐の中に入り込んで、足を相手の両足の間に差し込んでいくことがとても多い。そうすれば、腿技が同時に出てくるので、相手は翻弄する。
下の2枚の画像では、技が次々と現れてくるのを見せてくれている。そして最後の一枚の画像では、実はそれらの基本的な体の動きが胴体のチャンスー(丹田の八の字運動)であることを教えてくれている。
これも太極拳の原理。
相手の力に逆らわず、放松して自分の手を引くことで、足が深く相手の股下へ差し込めるようになる。
基本的な体の動きは丹田の縦回転だ。
馮老師は肘技が得意で上の陳項老師のように直接相手の足を狙ったものは少ないが、左のような技では、素早く重心を下げることによって相手のバランスを失わせて倒している。実は馮老師の脚がとても軽快に動いている。
太極拳の脚、足は、重いけれども、とても軽快で器用だ。足に目があるのではないかと思うほど。
実際にはこの二人の老師のように鮮やかな太極拳の技を見せてくれる現代の老師はなかなかいないが、動画で見ることができるだけでもラッキーかと思います。
なお、相手の脚に絡みつくような脚をイメージして練習すれば脚は柔らかくなる(関節が柔らかくなる)。体が絡みつくと思えば、体も柔らかくなる。流体になる。
相手に攻撃されそうな時は、できるだけ相手に近づいてビッタリ抱きついてしまえばいい、と師父に言われたことがある。それは、ビッタリくっつくと、相手は殴ることも蹴ることもできず、その他の技を使わなければならなくなるからだ。アメーバーのように相手にはりついて重くのしかかってしまうと、相手はやっかいに思うだろう。纏わりつく、絡みつく、というのは、人間関係では御法度だが、それを逆手にとって技にしてしまうのも太極拳の知恵だ。
2024/1/26 <王子の足捌き 暗脚>
最新の腰の王子の動画がすごかった。
足捌き!
動画前半の足捌きは中国武術で言うところの”暗脚”だ。太極拳などの内家拳はこのような暗脚が主だ。これに対し、少林拳などの外家拳はもっぱら”明脚”になる。
明脚というのは、明らかな蹴り。
暗脚というのは引っ掛けたり、倒したり、相手に蹴らせてそれを逆手にとるような技。
私は柔道自体は全く知らないが、太極拳が空手よりも柔道に近い感じがするのも、接近戦での絡みが多いからだ。相手の体と距離をとって戦う空手は中国武術の外家拳。跳んだり跳ねたりのできる若者の拳だ。外家拳の老師も歳をとると内家拳の練習、すなわち、気(エネルギー)を溜め、それによって内側から全身をつなぎ、少ない力で相手を倒せるような拳の練習に変えていくことが多いという(ひょっとすると過去の話になっているかも?)
太極拳が”巧みな”拳と言われるのは、上の動画で王子が見せてくれるような技がいろいろあるからだ。
套路の中でどこに暗脚が隠れているのかを知っていると、動き方も変わってくる。
今日のレッスンで、第5式の単鞭を教えたが、そこには上の動画の足捌きに似た腿法が隠れている。提膝(膝蹴り)そのものは急所を狙うが、それがいつも提膝である必要はない。
https://youtu.be/bRX8jqHj8AI?si=CtOV2jq8B1bglxGq
第5式の左の箇所では、膝を上げながら膝を回転させることで、相手の蹴りの力を削いで、そのまま足を下ろさずに直接左方向の的の軸脚を蹴る、という腿法が隠されている。暗脚の例の一つだ。
ただ、それを習っても、実際に相手に蹴られて、それを捌いてそのまま蹴り返せるのか、というとすぐにできるとは限らない。教わってすぐにできるとしたら、体の開発がそこまで進んでいるということだた、通常は教わってもすぐには技は習得できない。そこから技を練習しているうちに体の使い方を学んでいく、というのが流れだ。
脚技に限らず、どんな技でも、教わってすぐにできることはまずない。
套路を学ぶ時は、一式一式、その中に含まれている技を学ぶ必要があるが、最初は動作を覚えるのが精一杯で、技まで頭に入らない。しかし、教える側になると、この動作がどう意味かということを教えてあげないと、動作を覚えにくいのではないか?と思ったりするのだ。太極拳は踊りではないから、意味もなく体を動かすことはしない。自分が今なぜ手足をこう動かしているのか、相手のどこに足を差し込んで、どう動こうとしているのか、どんな力を使おうとしているのか、が分かっている必要がある。つまり、「一人で練習している時は相手がいるかのように練習する」のが大事だ。
そして、体操やバレエなどと太極拳(武術)の大きな違いは、前者が自分の体を操ることだけを考えていればよいのに対し、太極拳などの武術は、自分の力が相手にどう伝わるか、相手の力を自分がどう吸収するのか、あるいはどう利用するのか、を学ぶ必要がある、ということだ。これを套路だけで行うのは無理があるので、対練をするのだが、対練をしたら、それをもとに、套路の各動作を見直す必要がある。
それにしても、王子の身のこなしは完璧!
太極拳の普通の老師はなかなかそこまでの足捌きはできないかも。
脚はどっしりと、かつ、軽快に動く必要があります。
このような”美しい”太極拳は、体操競技としては成り立つけれども、相手との絡みで動く”武術”としては成り立たない。
競技会を目標とする限り、体操競技になってしまうのは仕方がないところ。
ただ、それを卒業して、もしくは、そこには関心がなく、本当の太極拳を学びたい、ということだと、師を探す必要があります。
いかに酸素を取り入れることが大事なのか、を論じています。
肺は酸素を取り入れられないし、二酸化炭素を吐き出さない。
では、酸素を取り入れる器官はどこか?
そんな考察から、肋骨の柔軟性、可動域を高める話になります。
昨日のブログとの関連で言えば、いつも俯いて息を吐いていれば肋骨は固まります。
正しい位置に立つことで肋骨も動きやすい位置に置かれる。
太極拳の時も、『束肋』と言われたりするのは、意識的にそうでもしなければ肺にいっぱい空気が入って肋骨の前面が上がりそうになるから。
私は昔、『束肋』は、肋骨を束ねたように固めた状態にすることかと思っていましたが、師父に尋ねたら、「それは肋骨が膨らむから束ねたように感じるのだ」と言われて、よく理解できなかったことがあります。
師父の言った意味が分かるまでに暫く時間がかかりましたが、かいつまんで言えば、丹田に気を落とす時は肋骨も拡がっている。胸に空気を"含んでいる"状態になる。あー、だから『含胸』なんだ、と理解を改めた覚えがあります。『含胸』は決して胸を凹ませることではない... けど、ちょっと凹ませないと空気が入らない、肋骨が拡がらない。そういうこと。
昨日載せた太極拳の老師達のうち、息を吸っているように見えた2人の老師は胸も緩やかに膨らんでいます。吐いているだけの老師は胸を張り出しているか、胸がぺたんこ、脇に 拡がりがありません。
正しい位置に立つには、頭を思っているよりもかなり後ろに引いて立つ必要がありますが、その位置で立つには肋骨が緩む必要があります。肋骨が弛まなければ後ろに倒れてしまいそうになるので、結局、その位置では立てません。
肋骨を緩めないと正しい位置に立てず、正しい位置に立たないと肋骨が拡がりにくい(注:この場合の肋骨とは前面の下部肋骨ではなく、前面上部と背面の肋骨です)。
息は背中側にたくさん入ります。
2023/11/4 <呼吸と肋骨 含胸の正体>
今日見た腰の王子の動画を貼り付けます。