YS−11

YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2024/4/7(日)
もう少し咲いてくれと、またまた所沢の JA8732。確かに咲いてはくれていて、夕暮れはもういいので、ちゃちゃっと済ます。

2024/4/6(土)
桜が大分開いてきたので、再び所沢の JA8732 を・・・・・まだちょっと早かったか。咲いてみてよく判ったが、機体とそううまいこと絡められるように桜は植わっておらず、 花房アップの背後で機体をぼかして構図を作るのがやっと。ともかく今日もブルーのライトアップの、日暮れまで粘ってみる。桜は光線が当たらないことが判ったので諦めて、 公園の雑木林アーチ(?)越しの機体を狙うも、これが背景の看板が目立ちまくりで、しかも人物アップなものだから、肝心の YS-11 を差し置いて主役のようになってしまい、 更にはライトアップされるという難物ぶり・・・・・あくまで手前都合だが。雑木のシルエットを駆使して隠そうにも、アングル的に踏み台が必須・・・・・というわけで今日は持って来た(笑)。


2024/4/2(火)
所沢の JA8732 を青くライトアップする由で、コロナ禍でのソレ以来に、立ち寄ってみる。今回桜とのコラボがどうのと PR されてた様子なのだが、今年は思いの外遅れて、まだ全然咲いてねえ。 ともかくライトアップ期間中に程よく咲くことを祈りつつ、夜景だけぱちり、ぱちり。LED のせいかマゼンタ被りするのが、辛い。


2024/3/27(水)
機能に続いて今度は「国産旅客機、2035年までに量産…政府が新たな航空機産業戦略を策定へ」なる報道が。4兆円突っ込むんだってさ。MRJ が盛大にコケて、しかし今続けないと何も残らない、 という問題意識は、解らぬでもない。とはいえ国主導でジャブジャブ注ぎ込めば出来るのかというと、そもそも MRJ は資金不足で潰れたわけではないし、本当は何が足らなかったのか、 が明らかにならない限り、同じ轍を踏むだけではあるまいか。かつて官主導で国策会社を起こして YS-11 を開発したが、参加メーカーの当事者意識の希薄さで赤字を垂れ流して、 臭いモノに蓋で強制終了したわけで、MRJ にしても親会社と子会社の二重性から当事者意識が希薄化し・・・・・夢をもう一度、なんてヌルい動機なら、またやらかしますぜ。

2024/3/26(火)
「MSJ挑戦の歴史伝える 航空ミュージアム展示へ」なる報道が。つひに(完成機の)現物が拝めるか!・・・・・ていうかやっぱ残ってたか! 闇から闇とはならずに、済んだようだ。 そもそもは MRJ が「あいち航空ミュージアム」の目玉となったハズで、YS-11、MU-300、MH2000・・・・・既に収まっているこれらはどれも事業的に失敗に終わったものだが、 MRJ はそれを翻す存在になれ・・・・・なかったな結局。嗚呼三菱黒歴史館・・・。


2024/2/11(日)
量産試作機が羽田を後にして 4年弱、コロナ禍もあってか何度か予定が延び、ようやっとこの日、ザ・ヒロサワ・シティの「ユメノバ」がオープンを迎えた。 最後に様子を見に行って からでも、もう 3年余りになる。ザ・ヒロサワ・シティでは、元々自動車や鉄道車両などのコレクションを無料で公開していた(知る人ぞ知るだったが)が、 科博所蔵の YS-11 他の保存・展示を目的に、同敷地内に「(一財)科博廣澤航空博物館」を設立、新たに設けた収容施設で公開・・・・・当初のアナウンスはそこまでだったと記憶するが、 無料公開なのかここだけ有料にするのか、維持費はどうするのか、と外野で思い巡らしてる間に、暫く経つと、全体で乗り物のテーマパークに再編というような話になって、 更にその後、事情あって閉鎖されていた「消防自動車館」が、房総から移転して加わる話も加わるなど、コロナ禍もあってか遅々とする間に、話は膨らんだ。 ◆ともあれ、是非もない。暫く経って落ち着いてからでも構わなかったが、まずは初日に、収まるべき場所に収まった姿を、見届けておきたい。恐らくは今後も色々と手が入るであろうから、 オープン当初でしか見られなかった景色も、後々生ずるハズなのである。初日の動員が全く読めないが、とにかく入れればよいとそこは割り切ることにして、 前日までに入場制限の兆しも見当たらなかったので、ゴーである。 ◆6日前の雪の中でカメラ持って震えてた(笑)せいか、風邪・・・・・病原体が特定されない限り風邪なのだ・・・・・を引いてしまい、実のところ体調次第では棄権の可能性もあったのだったが、 まだ本調子ではないものの、昨日までにどうにか抑え込んだ。都心を抜け常磐道、谷和原で降りて・・・・・と毎度なルートで、現着。オープン 2時間前。「ユメノバ」入口は、こっちかな・・・? ◆いねえ。誰もいねえ(笑)。徹夜組が出るとまではいかなくても、こりゃ日取りを間違えたかとすら思ったが、オープンの準備はしてるので間違いなさそうだ。柵越しに中の様子を窺ったり車に戻ったり、 ウダウダしてる間にはパークゴルフの客・・・・・高齢者多し・・・・・が続々やって来て、地域の娯楽と社交の場としての賑わいを見せる。1時間を切ったので戻ってみると、既に行列が。100人程いるだろうか。 お祝いの胡蝶蘭がズラーッ。何故か寅さんと源ちゃん・・・・・と思われる人がいて(笑)、前説みたいなのを始めた。 ◆オープニングセレモニーなど、初日ならではのシーンを期待していたが、結局何もやらずに淡々と定時オープン。大人¥2.5K(小人¥500) はなかなか強気な気もしたが、 維持費を思えばこの程度のカンパで足りるかどうか・・・・・入るなり関東鉄道のブースがあって、つくば博の記念切符(のデッドストック)、などという地雷を思いっきり踏みつつ、 家族連れが新幹線だ北斗星だと言ってるのを横目に、「科博廣澤航空博物館」へ直行! ◆床に描かれた滑走路の先に佇む、量産初号機。2020年暮に見た時と変わらないままで、なので特に書き加えるべき話もないのだが(苦笑)、羽田を追われて辿り着いた新天地に落ち着く姿を、 こうして見届けることができた。後はもう前の見学会同様、思い付くままに、ぱちり、ぱちり。光線が変わったらまた、ぱちり、ぱちり。


2024/1/26(金)
小牧の MRJ 工場跡を、航空機の研究拠点にするとの由。建物からどうするのか不明ながら、これと言って他に使い道もないのだろうけども・・・・・CBC のニュース映像では建物内部の様子が映り、 それがいつのものか断りが入ってなかったが、建ったばかりのメディア向けのお披露目の時と思われる。それも映ってるのは仕切られてるうちの半分のみだったが、ココにあった造りかけのドンガラはもう、 処分しちゃったのだろうか。そして渡米してない完成機は、どこに。あいち航空ミュージアムまで転がすことも、できないのか。

2024/1/9(火)
実施日をずらして開催だった入間航空祭、中止。URL も "thu-shi" と綴りがとっ散らかった様子。しかしずらしたら直撃とは・・・・・大規模災害のさ中に流石にないだろう、 と思いはしたが、仕事始めで速攻出るかと思いきや、偉い人の出勤が今日初めてなのか、忙し過ぎて後回しになったのか・・・・・そのあたりはさておき、 2020年はコロナ禍で YS-11FC を見送ること叶わず、今回は今回で恐らく見納めであろう、C-1 もまた見届けられそうになく、ブルーは二の次でこの両機をお目当てにしてきた身としては、ただただ無念。


2023/11/26(日)
立ち寄ったサービスエリアで、「榮太樓 ラムネ飴」が目に止まる。昭和中頃のようなレトロなイラストのパッケージで、調べると何年も前に発売らしかったが、 初めて見た。で、ミゼットや白黒テレビが並ぶ向こうの空の端に、飛んでるんである。全体の文脈からすれば YS-11 で間違いないハズ・・・・・なのだが、 垂直尾翼が今時のジェット機の風情なんだよなあ。惜しい。そういえば YS-11J がこんな風だったような気も。

2023/11/14(火)
ネットニュースで、「令和5年度自衛隊統合演習」に電子戦機が集結云々と。読むと YS-11EA も参加の由で、現在 2機配備されているとも・・・・・EBの消息は判らないが、 もう後継の RC-2 が入ってる・・・・・少なくともスーパーYS が残存 2機以上、ということは判った。このままひっそり消えてしまうか。


2023/10/22(日)
散歩がてら羽田、イノベーションうんちゃらの一角で HASM が「YS-11“世界を翔けた日本の翼”」展。5月に 1タミで見たものと重なる部分はあるが、まずは現物のプロペラ、 パネル展示に、YS-11 特集の雑誌や MOOK・・・・・ここらは大体、あるな。そして 1/200 の模型がズラリ・・・・・ここらも大体、あるな(汗)。

2023/10/3(火)
テレ東「YOUは何しに日本へ?」で成田の試作機が登場した模様。ヒコーキマニアが連れ立ってピンポイントで訪ねてるらしいのだが、あれか、マイル修行のついでか。 誤解か誤訳か「純日本製」と言ってくれてることになってたが、エンジンはロールス・ロイスだし、他も色々・・・。


2023/9/28(木)
この話に接するのは
1年ぶり か・・・・・”キンコン西野”氏が云々の機体。最初からではもう 3年になる か・・・・・ ヤフオクに出てたという話からでは更に 1年程 ・・・・・が、都度々々初耳のような反応はさておき、”どうにかこうにか日本まで持って帰って来れました” ・・・えっ、もうあるの?? 飛来してたら大騒ぎの筈なので(笑)、 現地でバラして運んだのであろうか。とすれば科博の量産初号機の仕事を見ても判るように、止む無く切った箇所はあったハズで、既にフライヤブルではないものと思われる。 当初は会員制の宿泊施設に飾るとか、そんな話だったように思うが、今回”東京からそこまで遠くない森の中”なるコメントも。ロケーション共々、どう落ち着くのか。


2023/6/15(木)
「幻の国産旅客機 SpaceJetマニアックス」を入手。国産輸送機開発史から、MRJプロジェクトへ至る流れ、本当は MRJ の就役に合わせての企画だったでは、という気配がないでもないが、 現実にはコケてしまったわけで、顛末を刻んで・・・・・となるかと思えばそうでもなく、プロジェクトへの評価のようなものは避け(?)、こういうものを作ろうとしていました、 せめて記録だけでも纏めておきましょう、といったトーンに終始している感じ。卒業アルバムとも言いたいが、卒業できてないしなあ。責任問題もあるし、大きなカネが関わっていることでもあるし、 臭いモノには蓋をしたままになるのか・・・・・だいたい前例たる YS-11 プロジェクトについても、顛末は踏み込んでいないし。


2023/5/18(木)
時間が空いたので羽田へ行って、ルフトハンザの丁度来てたクラシック塗装の 747 撮ったりしつつ、1タミで開催中の「The History of HANEDA / 羽田空港が、見てきた風景。」展へ。 日本空港ビルデング 70周年記念の由だが、HASM も協力とのことで、羽田の歴史のパネル展示の他に、斎藤茂太コレクションのバッグ、飛行機の模型や現物の部品・・・・・ ありましたわ、YS-11のプロペラ。無塗装のピカピカは珍しいのではないか。説明書きからすると、今はなき三菱重工羽田補給所のストックであったと思われるが、その割には縁に結構傷が。 ◆旧ターミナルの屋上にあった、YS-11 の強度試験体を流用した機体。当初は試作機塗装、後に JDA、TDA の塗色になり、1975年には撤去された由。その撤去の様子もまた貴重なのだが、 この機体、見てるハズなんだよなあ。言われてみればそんなようなものがあったような、とかなり曖昧な記憶しかないのが、哀しい。10円だか 20円だか入れてガラガラ回るゲートを押して、 屋上へ出られたのはうっすら覚えてる。航空機や航空行政などを紹介する展示施設があったのも、うっすら覚えてる。そして、当時のジェット機というのは物凄く煩く、劈く騒音に耳を塞いで、 その展示施設に逃げ込んだような記憶も・・・・・それか、そのせいで屋外の記憶が乏しいのか(笑)。 ◆これに合わせてか「羽田空港アーカイブ 1931-2023」という写真集も出ていて、日本の航空史を綴った本はこれまでいくつもあったが、羽田に特化して写真が豊富。 特に工事の様子だとかは、これまであまり詳らかに載せられていなかったと思う。今回の展示写真も網羅されているし、いやはや濃いぃ濃いぃ。お値段がちょいと張るが以下略。 会場限定のポストカードくれた。


2023/4/26(火)
MRJ、全機登録抹消。米国から里帰りさせる目もなくなった。まだ飛んでない機体や、製造途中のドンガラすら遺せないのであろうか。或いはもうこっそり始末したか。

2023/4/25(火)
三菱航空機、清算会社(?)に社名変更。

2023/4/24(月)
昨日配信の東海テレビの記事「“日の丸ジェット”の夢は幻に…三菱重工がスペースジェット開発から撤退 再開信じていた地元「言葉もない」」。中止発表の 2/7 に放送したものらしい。 15年前の事業化から、2015年の・・・・・そんなに経つか・・・・・初飛行、度重なり 6度もの納入延期に、名称変更・・・・・未だに意味不明だが・・・・・を経て、 とうとう潰えるまでを、簡単に振り返る。余談だが「スペースジェット」なるものは偽名で誤魔化してるようにしか思われなかったし、変名後に進展らしい進展もなかったから、 事実上贈り名だと思ってる。中身が伴わない space というなら相応しかろう。 ◆航空評論家の杉江弘氏のコメントがある。型式証明の取得ができないことがネックになったのは周知の事実として、 (抜粋)「試作機ができた後に、重要な設計変更をしないと型式証明を取れないことがわかってきた。絶望感が強かったんじゃないですかね。」・・・・・機器の配置などの冗長性について、 問題を指摘されたことは報道で知っていたが、ここで言う”重要な設計変更”とは、手が付けられない程に根本的だったのだろうか。「絶望感」とは余程のことだ。 「立ち止まる」と言ってから 2年も解決できなかった問題とは・・・・・技術的な問題より、内外の逆風に抗すのがやっとだったのかもしれないが。 ◆続いて「三菱の関係者も知り合いがいていろんな情報が入ってきたんですけど、なんというか“しらけていた”と。現場はしらけています。」と仰った。皆まで言っていないのは明らかだが、 疲弊し切っているという意味なのか、トップへの不信なのか・・・・・これまで外野から報道で知った限りのことしか分からないが、 この為に設立した三菱航空機の、親会社であるところの三菱重工との関係、或いは航空機内の体制が、コロコロと変わって、迷走しているように見えたのもまた事実である。継投からセーブだったらいいが、 KO からの敗戦処理、あるいはババ抜きと化してるのかと、イヤーな予感があった。あながち外れてもいまい。こんなところも、リーダーが地に足着けたホンダジェットとは対照的だ。 ◆盛り立てていたのが梯子を外された格好の地元の話を経て、前出の杉江氏のコメントで締める。お先真っ暗としつつも、 「航空機産業の力を持っている会社、あと国が一緒になって今回の失敗の原因を分析して、『もう1度やり直そう』ということなら、十分可能性はあると思います」 ・・・・・これは相当な楽観論に読める。その通りかもしれないが、そんなことはもう起こり得ないことを、杉江氏自身、先刻承知な気がする。 遠回しに、能力がありながら、ミスミス、ムザムザ、失敗したと言ってるようにも、読める。 ◆この体たらくは、技術力以前の、マネジメントの問題なのだろう。驕り、根拠なき楽観、無責任体質、失敗学的な要素てんこ盛りな予感がする。関係者が現役のうちは、なかなか難しいかもしれないが、 是が非でも、ノンフィクションに纏めてほしいところである。かつて YS-11 の顛末を記し、その問題点を指摘し、業界の後遺症に触れ、下請けに甘んじる日本メーカーへの失望を綴り、 なぜ日本で作れないのかと問い続けた、もうご高齢だが前間孝則氏こそ相応しくないか。クロ現で「名古屋をシアトルやトゥールーズに並ぶ都市に」とリップサービスしてたのも今や懐かしいが(笑)、 書籍や連載などで、ずっと MRJ を追って来られた前間氏、その間にも色々耳にしてたこともあっただろうし、あの硬派な筆致で、是非斬っていただきたい。

2023/4/3(月)
「科博廣澤航空博物館」の内部が 3Dで公開されてる。おーおーぐるんぐるん回せるし、下からも覗ける。ほうほう・・・・・で、いつオープンですの。


2023/3/6(月)
「科博廣澤航空博物館」が特別公開された由。茨城新聞の記事によると、その概要と、少年のインタビューのコメントが紹介され、「年内にオープンする予定となっている」と締めくくる。 以前「年度内」と伝わっていたから、少しは短くなった気もするが、詳細はまだ明かせないかぁ。


2023/2/7(火)
昨日から非公式に流れていたが、スペースジェットこと MRJ、開発中止の正式発表。凍結という表現を避けて「一旦立ち止まる」としてから 2年あまり、 内外の逆風の中でなんとか粘ったのだろうと想像するが、とうとう力尽きた。最早何の驚きもない。新型コロナ禍は泣きっ面に蜂だったろうが、 それまでの経緯からすれば、その前にもう詰んでた。 ◆事業化した頃の、日本が本気出したらスゴイんだぞ、とばかりの自信満々な様を覚えている。当然、YS-11 や MU-300 の顛末を踏まえているハズで、 相応の覚悟や対策はあるハズで・・・・・というのがどうやら買い被りであるらしいことが、度重なる組織変更や、素人目にもお粗末な失態で、明らかになる。 業界関係者からもトホホな話が漏れ伝わる・・・・・「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」・・・・・気持ちいい程に、それを地で行っているようだった。 「日本スゴイ!」の自己暗示に酔っていたのか? ◆「スペースジェット」への改名に至っては、その欺瞞ぶりに呆れた。それ以降殆ど全く進展がなく、言ってしまえばもう死に体であったから、 「スペースジェット」はいわば戒名、贈り名・・・・・それもキラキラネームを付けるような軽さ・・・・・とも言える。 プロジェクトの有り様も含めて実体を語る文脈では「MRJ」こそ相応しい。 ◆潰れたものはどうしようもないが、試作機は本来「あいち航空ミュージアム」の目玉になる筈だった。それも初号機でこそ意味があったろうが、 まだモーゼスレイクにいるのか、どこかへ移ったのか、飛ばさないことには五体満足では帰って来られない。三菱に最後の意地で帰還させる気があるのかは知らないが、 小牧でロールアウトした最後の頃のはまだいたならば、ソイツを転がして済ますかもしれない・・・・・証拠隠滅で潰したりしなければ。最近そういうのよくあるよなー。 ◆大人の事情まみれで、造る程に赤字となった YS-11、型式証明で梃子摺った末に事業を売却して、売った先で大ヒットした MU-300(ホーカー400)、 7機で製造中止の MH2000・・・・・そこへ MRJ が加われば、そこはもう三菱黒歴史ミュージアム・・・・・あああ。


2023/1/23(月)
「映像の世紀バタフライエフェクト」で「零戦 その後の敗者の戦い」というのやってて。戦後新幹線になりました、YS-11 になりました、というかつてのプロX の黄金パターンを、 一纏めにしたような回・・・・・というかこの番組自体このところ、プロX 末期のような針小棒大的コジツケ見立てがどうも・・・・・はさておき、片肺離陸などの貴重な映像を、 多分プロX の時より長い尺で見せてくれて、今回最大の収穫かもしれない。 ◆一通りプロX ストーリーをトレースした後、「その後」へと続く。 CRH の方を完全スルーな新幹線輸出の話は大人の事情として(笑)、さて YS-11 である。 JAC のラストフライト・・・・・もう 17年も前だ・・・・・の模様に重ねてナレーション、「国産旅客機の生産は、YS-11が最初にして、最後となった」・・・・・言い切った。言い切りましたよ。 MRJ があんな体たらくでなければ、こんな「どうしてこうなった」なエンディングではなかったろうに・・・・・まあしかし、 「夢を再び」とか「日の丸ナントカ」の類が悉くコケてる(※個人の感想です)21世紀、プロX が放映された当初は「あの頃を思い出せ」と鼓舞するようなメッセージと受け取ったが、 いつしか「日本スゴイ」を捻り出すような様相となってたあたりといい、アレですわ、やっぱ。


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