THINK SYNC RECORDSでは音作りの上でキーを握るレコーディング・エンジニアならではのノウハウやアイディア、そしてネットワークを活かし、才能あるアーティストたちの優れた作品をリリースしています。

デモテープ受付中

BUNGEE JUMP FESTIVAL

ダイナミックに琴線をゆさぶるこころの叫び。

町田直隆(Vo/G)、堀越武志(B/Vo)、田辺純平(D)によるスリーピースロックバンド。1996年結成に結成し、1997年現在のメンバーに。魅力は疾走感溢れるパフォーマンス、町田直隆のうたの説得力、ストレートなメッセージ、そして真摯な姿勢。真のロックとの評判を裏切らない「伝える」力をもったバンドである。
(2005.12.10解散)

Profile

町田 直隆(Machida Naotaka)1978.12.25生/AB型/出身地:東京
堀越 武志(Horikoshi Takeshi)1979.3.1生/O型/出身地:東京
田辺 純平(Tanabe Jumpei)1978.5.31生/A型/出身地:東京

Discography (at Think Sync Records)

ARMED SONGS

2005.07.06

待望のライブ音源を含むミニアルバム。 あらためてライブバンドとして更なる発展を感じさせる意欲作。2004年12月10日吉祥寺スターパインズカフェでのライブ音源3曲+新曲3曲。ライブではおなじみのBUNGEE JUMP F [...]

CRUITHNE

2004.12.02

BJFの2年間の思いを込めた渾身のアルバム。 彼らの魅力である疾走感溢れるパフオーマンス、町田直隆のうたの説得力、ストレートなメッセージはそのままに、今作では楽曲パワーが格段にアップ。キャッチーなメロディーで定評ある直球 [...]

再会

2004.09.10

シンクシンクレコード・エイリアス第1弾。 1997年デビューの町田直隆(Vo/G)、堀越武志(Vo/B)、田辺純平(D)によるスリーピース・ロックバンド「バンジー・ジャンプ・フェスティバル」。数ヶ月の活動休止を経てリリー [...]

Biography

1996
バンドの原形となる「THE SPLASHERS」結成。メンバーは町田直隆(G/cho)、堀越武志(B/cho)、 田辺純平(Dr/cho)、竹越ヨシノブ(Vo/G)。バンド名はその後「チョロQ」「タカノツメ」等に改名。
1997.02
竹越ヨシノブ失踪。バンド名をBUNGEE JUMP FESTIVALに改め、スリーピースでの活動を決意。
1997.03
中野ゼロホールで初ライブ。なぜかエイズチャリティーコンサートだった。
1997.04
吉祥寺、高円寺、西荻窪、下北沢等で積極的にライブ活動を始める。
1997秋
スタジオペンタ企画のコンテスト(於ON AIR WEST)でソニー賞を獲得。賞品のMDウォークマンは ジャンケンに勝った堀越の手に。2人おおいに不満。
1997.12
はじめてのデモ・テープ「From here, so far …」を小岩のスタジオでレコーディング。ライブ会場にて発売。
1998初頭
マネジメントをすることになるBASE CAMPの玖津見氏に出会い意気投合。
1998春
初の自主企画となる「高飛び祭り」でhouse plan!、strawberryらと渋谷GIG-anticにて決行。ライブ活動はより積極的になり動員を伸ばす。
1998秋
エピックソニーと契約。1stアルバム「From here, so far…」のレコーディングに入る。同時期に下北沢ハイラインレコードにてデモテープ「BUNGEE JUMP FESTIVAL」を発売。
1998冬
自主企画「MOST FAMOUS CARNIVAL」を下北沢シェルターにてスタートさせる。 このイベントは 後に4回決行される。
1999.01
1stアルバム「From here, so far…」をエピックソニー内の自主レーベル「サイコビーム舎」よりリリース。
1999春
エピックソニーからの2ndアルバム制作のためにデモテープを作りはじめる。 プロデューサーは弥吉淳二。
1999夏
2nd アルバムレコーディング。スタジオは阿佐ヶ谷。このレコーディングで後に田辺の師匠的存在になる三原重夫氏と出会う。
1999秋
いったん暗礁にのりあげながらもレコーデイング再開。しかしプロジェクトはストップ。アルバムはお蔵入り。エピックレコードとの契約も終了。
1999冬
インディーズでの活動開始。ハイラインレコードでの販売、およびプロモーションの為 にデモ・テープ「Beautiful Mamma」をレコーディング、発売。(チャート初登場1位)
1999年末
スクーデリア・エレクトロの石田ショーキチ氏がライブをみて「今日のライブは今年観たライブの中でSUEDEの次によかった」と賞賛。プロデュースを約束。
2000初春
ハイラインレコードのボス北岡一哲氏と出会い意気投合。契約を交わす。
2000春
約束通り石田ショーキチ氏をプロデューサーに迎えて「CAPTAIN PAPA」のレコーデ ィングを開始。
2000.06
「CAPTAIN PAPA」発売。
2000夏
下北沢シェルターにて初ワンマンライブを決行。ソ-ルド・アウト。「ライブ・アット・バンクーバーホール」等のテープ無料配布も積極的に行う。
2000秋
ニュー・シングル発売に向けプリプロ開始。「阿佐ヶ谷ホ-ムシックブルース」レコー ディング。同時進行で2ndアルバムの構想開始。町田は曲づくりのため熱海へ。殺伐とした景色に呆然。
2001初頭
2ndアルバム「more vegitable!」のレコーディングを代々木STEP WAYスタジオで開始。
2001.02
「阿佐ヶ谷ホームシックブルース」発売。下北沢シェルターでワンマンライブ。
2001.04
「more vegitable!」 発売。「ステレオの前では」のPV撮影。メンバー3人安っぽい(?)演技をする。
2001夏
ハイラインレコードとの契約終了を決意。「不良少年マーリー」のレコーディングを開始するも中断。幻のテイクとなる。
2001秋
自主レーベル「武蔵野レコード」を立ち上げ、再び「不良少年マーリー」のレコーディング。すべて一発録りという思いきった手法で行う。これが石田ショ-キチ氏との最後の仕事になる。
2001冬
ツアー中に田辺ケガ。顔を6針縫う。
2001.12
「不良少年マーリー」発売。初回限定盤には「武蔵野本」という写真集つき。
2002.01
武蔵野レコード第2弾シングル「イノチガケ」のレコ-ディング開始。プロデュースは三原重夫氏。
2002.02
「イノチガケ」発売。
2002.03
武蔵野レコード立ち上げ記念ライブを新宿リキッドルームにて決行。満員御礼。
2002春
「77 (TWO SEVEN CLASH)」のレコーディングを一口坂スタジオにて開始。
2002.06
「77 (TWO SEVEN CLASH)」を武蔵野レコード/トイズファクリーより発売。
2002.07
渋谷クアトロにてワンマンライブ。
2002夏
ツアーを精力的にこなす。
2002秋
3rd アルバム「WASTE LAND」制作開始。
2002.11
「WASTE LAND」発売。
2002.12
渋谷クラブクアトロにてレコ発ワンマンライブ。
2003.03
マネジメントBASE CAMPとの決別。同時にトイズファクトリーとの契約終了。バンドの活動を一時休止することを表明。
2003.07
原点である吉祥寺曼荼羅ワンマンライブにて復活。
2003.08~10
精力的にライブツアーを決行。ひとの温かみにふれる。
2003.11
完全自主製作盤「BORN TO DIE」のレコーディング。エンジニアは「CAPTAIN PAPA」「more vegetable!」の高原裕介氏。
2003.12
渋谷チェルシーホテルにてワンマンライブ。会場限定シングル「BORN TO DIE」を発売し、即完売。
2004初頭
積極的にライブを行う。SOME SMALL HOPE、LINK等のツアーサポートをしつつ、レパートリー に新曲を増やしていく。
2004春
エンジニアの高原氏と意気投合し、高原氏が所属するTHINK SYNC INTEGRAL内に新レーベルを設立する。
2004.05
ニュー・シングル「再会」とニューアルバムのレコーディングを開始。
2004.09
「再会」発売。ライブ会場、ハイラインレコード、通販のみの限定発売。
2004.12
4th album「CRUITHNE」をTHINK SYNC RECORDS alias/武蔵野レコードよりリリース。ワンマンライブ。
2005.01
アルバム発売全国ツアー
2005.07
ミニアルバム「ARMED SONGS」をTHINK SYNC RECORDS alias/武蔵野レコードよりリリース。発売全国ツアー
2005.12 .10
吉祥寺スターパインズカフェにて解散ワンマンライブ「武蔵野大団円」。