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「御堂筋はシャンゼリゼのように世界が注目する存在になる潜在力がある」(シャネル日本法人社長リシャール・コラス) 
「大阪の人口はミラノの2倍。2,3年前から度々この地を訪れているが、御堂筋はシャンゼリゼ通りに匹敵し、進化、発展していく様子がハッキリわかる」(ベネトン会長)・・・・・・・
日本最大のブティック街 心斎橋

左からシャネル、ディオールショーメ、フェンディ、新生そごう百貨店、大丸百貨店 青字は2004.12〜2005.9に開業(2005年.提携ブログ“大阪★百科ニュース”撮影)

↑御堂筋(心斎橋・新橋交差点から南を臨む)2000年撮影。
 ここマックス・マーラ前から見ると、辻向かいがシャネル、写っていないが東向かいがルイ・ヴィトンカルティエ。写真奥の方向にはコーチ、フェラガモ、エディー・バウアー、ジュン・アシダ、エンポリオ・アルマーニ、Max&Co、D&G、ジル・サンダーなどが顔を並べる。
 右側に見えるOPAの裏(西)側にはアメリカ村(古着やカジュアル中心のブティック街)広がり、その北に南船場(アメリカ村より少し上の年代を相手にする店が多い)が隣接し、アメリカ村の西側に堀江(APCはじめ東京のブテイックの進出が激しい。カフェのメッカでもある)がつながっている。
香港の観光会社の専用バス→
(クリックすると大きくなります。車体に書かれた文字をご確認下さい。)
2005年9月。韓国・大宇グループの観光バスも発見!


  心斎橋は日本人のみならず、外国人も押し寄せる観光ルートとなっている。
 以前から、香港や台湾などアジア系の観光客は多かったが、最近は白人や黒人、インドやイスラム系の観光客も増えてきた。バスはソニータワー前で観光客に乗降させる場合が多い。(この写真は長堀通のドルチェ&ガッバーナ前で撮ったが、このときもソニータワー前で客を降ろしていた。)



 


上:1996年オープンしたシャネル・ブティック。
パリの本店と同じ外観にしてあり、向かいの
ルイ・ヴィトン(写真下)と同様待ち合わせのメッカ。
2001年4月全面的な改装をし、現在は白く光るPOPな店になった。
2006年9月最新改装。写真
 


上:ルイ・ヴィトンは、今や店舗内に「順路」ができている観光名所。
東隣(この写真の奥の方)にベルサーチ
北隣(この写真の左手)にカルティエ(写真下左)が集中している。
 
右:アルマーニ氏が直接来阪して、立地の確認から立ち上げた店舗
 

スーパーブランドブティック巨大直営店の出店ラッシュ

 1996年(平成8年)シャネルの日本最大店舗(写真左上)の出店によって始まった、心斎橋のスーパーブティックの集中は目を見張るものがある。(MAP)
 1998年、シャネルの北向かいにジャンニ・ベルサーチルイ・ヴィトン(写真左中)。シャネルの新橋交差点(サザンクロス)向かいにマックス・マーラがオープン。その後も御堂筋沿いにアルフレッド・ダンヒルジョルジオ・アルマーニ(アルマーニ氏本人が来阪し店舗をデザイン)(写真左下)、シャネル南側の鰻谷北通りにエルメネジルド・ゼニア。いずれも日本最大(紺字の店)、または最大級(黒字の店)の店舗(’99.9月現在。)またドルチェアンドガッバーナバーバリー(日本における旗艦店)、マーク・ジェイコブス(ルイヴィトンのデザイナー、マーク・ジェイコブス氏自身のブランドでNYのSOHOにつづき世界2号店。ビル丸ごとブティック。) さらに2000年4月、ルイ・ヴィトンの北隣にカルティエが銀座本店を越える大規模店舗をオープンした。(写真左下)
 2001年には3月にソニア・リキエルミッソーニ、12月にエルメスがオープンした。2002年にフルライエナ、2003年にベネトンコム・デ・ギャルソンがOPEN。

  巨大直営店舗の出店ラッシュは近年の世界的なスーパーブランドブティックの出店ブームを受けた流れもある。しかし、大阪は下記3点により日本最大のブティック街に成ったと言える。
1.東京より大きな店舗が大阪で展開されている
2.大阪では各ブランドの出店が心斎橋に集中した
3.超高級ブティック街が、既存ブティック街に隣接し、面的にも広大で、世代的にも幅広い総合ファッション街を形成した
これらについて以下順次説明してゆく。

1.東京より大きな店舗が大阪で展開されている
 先に述べたように、大阪に進出する全てのスーパーブテイックが、日本最大又は日本最大級の店舗で進出している。現在では経済規模は大きく異なり、売上を考えれば常識的には東京より小さい店舗が展開されるのが普通である。なぜ、日本最大の店舗ばかり展開されるのだろうか?

 最大の理由は、東京よりも土地が安価で、ゆったりした理想的なスペースが取れるからと言える。左写真のシャネルはパリの本店と同じデザインという。
 基本的に各ブティックはメーカーであり、小売りより情報発信に目的がある。東京においても「高センスの街に進出する」ことに意味があるのであり、その意味で東京は必須の都市であるが必要充分なサービス以上のスペースは無駄になるのではないか。大阪でも基本的には進出に意味があるのだが、賃料の安さを利用して情報発信力を増強するため、「同ブランド最大店舗」ということになるのではないか。

 余談だがファッションの中心地フランスやイタリアなどラテン系民族は、大阪に親近感を覚えるという調査も有る。
 フランス人の中には大阪の中之島をパリのシテ島に例えたりして、大阪に親近感を覚える人も多いという。(フランス領事館は中之島を見渡せる北浜・大林ビルに有る。また、どこに行っても自分の言葉を愛する大阪人の性格もフランス人と共通性が有るかも知れない。)
 同様にイタリア人も、ユーモアが好きで大きな声ではっきり喋るところや、食にこだわるところがよく似ており、ある典型的大阪人が60歳を越してからイタリアを知り、どっぷり浸かってペラペラになっていったのを目の当たりにしている。
 (これらの「親近感」が大阪にしかもミナミに最大店舗を進出する動機になったと考えるのは、考え過ぎか?)
 

2.大阪では各ブランドの出店が心斎橋に集中した
 最近日本に次々出店している高級ブティックの路面店は、東京では銀座、渋谷、原宿、青山、代官山・・・と分散しているのに対し、大阪は心斎橋に集中した。大阪には梅田や難波などもっと多くの人が集まる場所が有り、ヒガシ(京橋・OBP)のように緑豊かな副都心も有る。なぜ、心斎橋に集中したか?
 最も単純な理由は、大きな空ハコ(スペース)が有ったからと言える。元々御堂筋沿いは大阪でも大きなビルが揃っており、1階に銀行が入っているパターンが多かった。バブル崩壊後は、昨今の銀行の統廃合もあって、銀行が退去し空きスペースができた。もともと、「心斎橋という商業の中心地に隣接しているのに3時でシャッターが閉まる銀行は、商業店舗に変えてゆくべき」との提言も上がっていた。そこで、長年、地元の活性化を目指して活動してき長堀21世紀計画の会が中心となって「ぜひ長堀(心斎橋)へ」と誘致した。(異説も有り)地元が早期から、団結して誘致したことは、心斎橋に集中した大きな理由だ。
 

 


 

心斎橋ブティック街 拡大図 →エリア図はこちら


各ブランドについてはブランド研究解説サイト「モードの世紀」様のブランド事典をご参照下さい。
本図の南にも、道頓堀川まで御堂筋沿いに世界的ブランドのブティックが続く。本図の北側御堂筋沿いには本町にかけてデザイナーズ・インテリアのブティックが点在し、本図の西側はAPCなど東京系セレクトショップが軒を並べる堀江地区がある。→エリア図はこちら



2001.12追加 :SONIA RYKIEL  MISSONI (2001.3 OPEN)   HERME'S (2001.12.7 OPEN) 
2002.8 追加 :BENETTON(1ブロック突き抜ける超巨大店舗)  Ferragamo  FURLA(ガラス壁構造のビル) IENA ほか
2003.1 追加 :COMME des GARCONS (関西最大で同社の全11ブランド揃う世界初の店舗)
2004.3 追加 :JOHN LOBB  Berluti (2003.11.23OPEN)  MARITHE FRANCOIS GIRBAUD (2004.3.20OPEN 495m2 世界最大)   FRANCK MULLER    MONT BRANC   VanCleef&Arpels   Lacoste (2003.10 OPEN)
2004.10 追加 :UNII-QLO+(2004.10.8OPEN 2145m2世界最大) adidas(2004.11.3創業者の誕生日OPEN 世界4店目(アジア初)のパフォーマンスセンター) AppleStore(2004.9.28OPEN)→メモ参照
2004.12追加 :CHAUMET(2004.12.2OPEN)
2005.2 追加 :FENDI(2005.1.29OPEN 470m2 西日本最大)
2005.4 追加 :Christian Dior(2005.4.28OPEN 840m2西日本最大 ) Callaway AGATHA,、CASTEL BAJAC UnitedArrows(この時点迄にOPEN済み)
2005.9 追加 :そごう1F HERME'S、TIFFANY、Aspry、VanCleef&Arpels BVLGARI、Cartier、Churoe、YVES SAINT LAURE、Ferragamo、GUCCI (以上2005.9.7OPEN) 4℃、swatch (この時点迄にOPEN済み)
2006.1 追加 :Onitsuka Tiger
2006.11更新 :Ferragamo が OMEGA に、 VERSACE が DIESEL にチェンジ。
2006.12追加 :JIL STUART 
2007.4 追加 :HERME'S   HARRY WINSTON (2007/4/7OPEN)
2007/12追加 :ZARA kipling Hield の長堀通3店 (及びZegna移転)
2008.10追加 :長堀SHOES ROADに TOP LINE
2009.10.追加等 :J.M.WESTON(2009/9/1OPEN) Pelican(D&G跡に2008/4/18OPEN)
2009.12追加等 :Lucien Pellat-Finet(2009.11OPEN) そごう百貨店が大丸百貨店北館に(2009.10.1)
2010.11.10追加等 :UNIQLO(2010.10 NewOPEN新型世界初店舗) g.u.(2010.11 UNIQLOからRenewalOPEN)
2013.3.10追加等 :ISSEY MIYAKE MEN & ISSEY MIYAKE (2013.3.9OPEN) 追加に伴い「MIDOUSUJI Avenue」記載移動

 
 
 いくら誘致を受けても、ブランドのメンツを掛けた出店である。安易な撤退はできない。立地環境は最も重要なファクターとなる。(イメージ上も)何が各ブランドにここを選ばせたのか?
 まず第一に、御堂筋の存在である。近代日本が西欧の都市計画に比肩する道路を完全に成し遂げたのは希有な例(東京・昭和通は計画通りにはできなかった)で、道路に貫禄がある。
 また、緑の少ない大阪市内にあって、4列の銀杏並木は公園道路のようにすばらしい緑地帯となっている。その銀杏も数十年の歴史で年代の重みを出している。
 さらに歩道も広くウィンドウショッピングに最適な空間が用意されている。両側ウィンドウのショッピング道路は、概ね6メートルが最適な幅とされ、御堂筋の歩道幅は6メートルだが、片側が街路樹や芸術的な彫像、自転車で占められており、結果的に片側ウィンドウの場合としては、適度の4メートル程度になっている。(下図参照)
クリックしたら大きくなります。

 第二にここ周辺独特の雰囲気である。整然とした御堂筋を南向きに走って、心斎橋に来ると特別の心構えを要求される。活気、ウキウキ感ワクワク感・・・そういった雰囲気を感じる。大通りが突然商業地に突っ込んだ形になっているせいもある。だがただ賑やかなだけでなく風格も感じる。それは、70年以上前からの大阪一のメイン道路だけに建物も高級かつ風格があるものが集まって居るからだろう。


 
エリア図 →拡大図はこちら
3.超高級ブティック街が、既存ブティック街に隣接し、面的にも広大で、世代的にも幅広い総合ファッション街を形成したこと。
 今回、超高級ブティック街が形成された長堀通と御堂筋のクロスする周辺は、大阪で最も格式有る商店街心斎橋筋商店街(以前からティファニーがある)に隣接するだけでなく、若年層のブティック街アメリカ村少し上の世代のヨーロッパ村や南船場、最近注目の堀江地区のブティック街と連なっているのである。これは街の性格的には、銀座の並木通りに隣接して原宿や代官山、ニューヨークのSOHOやグリニッジヴィレッジが広がっているような状況である。ブティック以外もエステティックサロンやヘアサロンなどファッション系の店舗が多く、オフィスは有るが銀座のようにスナックやクラブなどの飲み屋ビルは無い。基本的にファッションのまちなのである。
 この結果概ね南北1.2キロ東西1.5キロと、面的にも広大で、世代的にも幅広い総合ファッションエリアを形成したと言える。
 超高級ブティックが最近、若年層の取り込みに動いている状況から、世界のパイロット地域とも言える。
 

 以上述べてきたように、心斎橋地区は店舗の大規模さとその集積度合い、周囲の広がりという3点から、世界的にも稀にみる高級ブティック街となった。
 近年、巨大商業施設である地下街クリスタ長堀も開業し、地下鉄長堀鶴見緑地線の開通により京橋OBPや鶴見・門真方向の郊外とも直接結ばれた。歩いて楽しい街なので旅行者、特に白人系外国人も多く見かけるようになった。色んな条件が相乗効果を上げ、街を活気づけている。実際、カルティエの店舗は40倍の倍率を勝ち抜いて入居(週間ダイヤモンド)など、不況の中で数少ない家賃上昇地域となっている。


 

<提言>
 しかし、これだけのブランド街が形成されているのに、「国際集客都市を目指す」と言いながら市の反応・対応は残念ながら非常に遅い。都市観光課や大阪市観光協会の発刊物やホームページでも、見たところ取り上げられていないし(2000年6月25日現在)、ツアーの誘致など企画面の情報発表も耳にしない。

 高級ブランドのブティックが出店攻勢を掛けているのは数年前からの世界の大都市での共通のブームである。(5〜6年前にアメリカのブランドDKNY等がパリに出店攻勢を掛けたのが発端ではないか)その後、あるアメリカのあるさびれた町はブティック誘致で息を吹き返したという。福岡であれば下川端のリバレイン福岡にスーパーブランドシティーがあり、店舗内に階段を含み2層となっているような巨大店舗群が1棟のビルに集中している。

 これらの状態はブームである以上いずれ沈静化し、ブランド街の生き残りを掛けた都市間競争が始まるのは目に見えている。出版業、マスコミが東京に集中しているので、それらの媒体では経費の都合もあり地元東京ネタばかりに陥りやすく、心斎橋は日本最大のブティック街となっても取り上げられにくい。また、大阪のマスコミも地元住民を対象にした取材ばかりで、「国際集客都市」を念頭に置いた外来者向けの出版物は僅かである。市が積極的にPRしなければ誰もしないのである。

 市は、日本橋の電器屋街、松屋町の人形玩具街などを以前から公的にPRしているし、1998年私が提案した西天満老松町の古美術街や桃谷御幸通コリアタウンも各種媒体でPRしている。それらは「一部の商店街をPRするのは不公平」という次元の批判を越えて、大阪の魅力を全体的に向上させる為に個性のある街のPRを積極的にするという姿勢ではないのか。
 磯村市長が掲げる「国際集客都市」の為には、まさに今、この街を積極的にPRすべきと考える。

 地元も、高品質なパンフレットを作成し、各ホテルや空港ロビー、交通機関の中などに置いてPRしてはどうか。

2000年6月26日   
大阪まちプロデュース
主宰  山根 秀宣

<追記>(2001年6月6日記)
 このたび、上記提言前の1999年、大阪市とその外郭団体である社団法人 大阪観光協会により下記ホームページが公開されていたことがわかりました。(去年は見つけられませんでした。)
「おしゃれな心斎橋・長堀ファッションタウンへでかけよう!」
親ページの「御堂筋」
 しかし、上で述べたような都市間競争を考えるとまさに著についたばかりで、今後のPR活動が「大ブティック街」定着のカギを握ると言える。
(2005年9月15日記)
 このたび、上記の提言及びマップに基づいて上記大阪市とその外郭団体である社団法人 大阪観光協会によるホームページが改装され、マップ付きになっているのを確認しました。大阪観光案内旬のエリア・ミナミブランドストリート
マスコミに物申す このペーの活用 読者の声(欧州的な御堂筋) NEWS(コーチ LVMH) 心斎橋SHOES ROAD



<マスコミに物申す!>
 また、このホームページを通じて僅かながらマスコミの取材も受け、上記提言の「市がPRしなければ誰もしない」という見方も、ほんの少しだが良い方向に外れた。
(東京では、テレビ朝日が「街角」という番組でこの街を取り上げたらしく、ホームページのバックナンバーに載っている。
テレビ朝日>街角>バックナンバー>心斎橋>高級ブランド街:「お店は大きくて外国のショップみたい」とのこと(2000年8月22日(火)OA) )
 ただし、依然流通している情報量はまったく充分な量ではない。(東京では同じネタのコピーが氾濫して話題となるのに対して。)大阪でも、他局がやったからといって遠慮せず、同じネタでも捉え方を工夫した加工情報がもっと有ってしかるべきである。

 さらに、マスコミにありがちな捉え方として「地盤沈下の大阪の打開策」などという見方がすぐにされる。経済記事のほぼ100%がこの観点である。もちろん誘致する側の街おこしという見方も一つの捉え方だが、相手(進出する側)もビジネスである。戦略や目論見があって進出してくるのである。なのにそういう捉え方を中心に据えた経済記事は全くお目にかかったことがない。(2001年6月6日現在)
 USJの役員(アメリカ人)が、あんまり「大阪経済の起爆剤になれるか」という質問ばかり受けるので、うんざりして「中身を聞いてくれ」と嘆いていたが、逆に彼らに「日本や大阪のマスコミは何かおかしい」と思われるのではないか。大阪に進出してくる彼らが「我々はボランティアでやってくるのではない」とうんざりするのは当たり前の話だろう。
 同じ経済記事でも「世界的視野で活動するスーパーブランドの最大店舗が、なぜ”大阪”なのか」「大阪の中でもなぜ心斎橋なのか」「なぜかくも巨大店舗なのか」「ターゲットは誰?日本人?」「百貨店や直輸入店などとの価格的な競争をどう考えているのか」「アメ村、南船場、堀江などとのつながり・広がりをどう捉えているか」「アルマーニ氏は大阪店のデザインで何を重視したのか」「シャネル大改装の真意は」・・・といった本来有るべき、「普通のニュース」はほとんど無い。
 色んな角度から物事を捉えるのがマスコミの役割ではないのか?すぐ「大阪経済救済か?」をテーマにしたがるローカルな視野で安直な発想のマスコミに猛省を促したい。

2002.12.23 毎日新聞に掲載。「不況下の歳末商戦・ブランド品サマサマ」の記事の中で、心斎橋駅周辺への出店ラッシュについて「山根秀宣さんは「御堂筋のイチョウ並木など町並みのよさが世界的ブランドに好まれたのでは」と分析する。」と掲載された。全般的に不況下でのブランド品需要の強さを報告・分析する記事の中で、唯一「まち」と関連付ける一文になっている。

2003.6.25 読売新聞に掲載。インターネット上でも公開。「御堂筋ブランド街にポスター〜ノリはラテン系〜」
http://osaka.yomiuri.co.jp/machi/2003/030625.htm
ブランドの本国フランスやイタリアと大阪人のラテン的感覚の共通性という私の指摘は、新聞社内でも、新聞を読んだ当ページ読者からも大きな反応が有ったそうだ。ベネトンビルの巨大ポスター壁画(写真)を背景に撮影した写真は見事。傘を持った人たちのポーズが抜群に面白い。(HPでは紙面よりも写真が左右圧縮されている模様)この写真が先ずあって、まちとどうつなげるかと言うところで私のコメントとなったようだ。

2003.12 朝日新聞取材。(掲載されたか不明)

2004.6 日経新聞「北堀江、高級靴の街に」。3月、北堀江「喜土歩楽」のOPENに際して靴屋街の形成に気づき発表・取材を受けたもの。

2004.7 朝日放送テレビ「おはよう朝日」「心斎橋(〜北堀江)シューズロード」出演。




 なお、このページはいつの間にか単独でヤフーに登録(感謝!)されたこともあり、いくつかのページに当ページの影響らしき部分が見られましたが、「大心斎橋☆ブティック街」がPRされることは基本的に歓迎しています。


読者からのお便り・提言→「ヨーロッパ的な雰囲気の・・・中之島〜御堂筋・心斎橋」(2003.2.27UP)


コーチ・ジャパンは関西初の路面店として、大阪・心斎橋に「コーチ心斎橋AXY」を今月4日、オープンする。欧米ブランドが集積する一角の、大阪市中央区心斎橋筋2の御堂筋沿いで、店舗面積は約210平方メートル。ハンドバッグや小物類、靴、時計、ジュエリー、コートなどのアウターウエアを取り扱う。 (毎日新聞2003年4月1日大阪夕刊から) 

<さらにまた進出!>2003.7.13NEWS
ルイヴィトンなどを扱うLVMHグループは、心斎橋そごう北隣に地下1階地上9階延8300平米のビルを建設。
うち地下1階から地上2階が店舗部分となり、クリスチャンディオールなどが入り、平成16年末完成予定だそうです。
グループの旗手となるブランド「ルイヴィトン」は98年に当時日本最大の店舗を御堂筋と長堀通りの角に出店し、現在も盛況。西日本、東アジアや白人系(豪州か)の観光ルートになっている感があります。

<北堀江-心斎橋 SHOES-ROAD(くつ通り)>(2004/3/20)
長堀通り南側には御堂筋すぐに私ompが愛用している幅広靴「ビルケンシュトック」や、エルメスの向かいに「リーガル」の小さなショップが元々あったのですが、ここの秋冬、超高級店2軒ができ、一気に北堀江まで「心斎橋SHOES-ROAD(くつ通り)」がつながった。

ジョン・ロブ」:英国王室ご用達ブランドだったが経営危機時、パリ店をエルメスが職人ごと買ってからパリのブランドに。しっとりした感じの最高峰「フィリップ」は1足14万円也。(参照:UK ism "JOHN LOBB")
ベルルッティ」2003/11/22OPEN:日本4店目(世界第9店)のルイヴィトングループ(LVMH)の高級靴店。100年を超える歴史で今、日本に大進出中である。美しいエナメル系の靴が多いようだ。10万〜16万円也。フルオーダーは40万以上。

そして北堀江に2軒

心斎橋SHOES-ROAD(くつ通り)としては、新橋交差点(御堂筋)から長堀通りを西へ・・・、
(西心斎橋の部)長堀通り南側歩道沿い
BIRKANSTOCK(ビルケンシュトック)大阪店」(ドイツ)足型を科学したら幅広になった。世界の都市名がついた革靴たち。3万ぐらい。
JOHN LOBB(ジョン・ロブ)大阪店」(英国→フランス)もともと英国王室御用達のしっとりした革靴。エルメス系。1足10数万。
REGAL(リーガル)大阪店」(米国1880)カジュアル・ビジネス用革靴。3万ぐらい
Berluti(ベルルッティ)」(フランス)イタリアからパリに出て100年。ルイヴィトン系。1足10数万。
Kid's24(キッズ24)」(日本)子供靴ですがいくつも試し履きして選べる。千円くらいから。
「TOP LINE()トップライン」
キャラウェイというゴルフウェア店、メガネスーパー、インテリアショップがあって
四ツ橋を越えたところで1本南の鰻谷(うなぎだに)通り(北堀江四番通)に移って・・・、
(北堀江の部)地下鉄四ツ橋駅4番出口の通り(鰻谷通=北堀江四番通=ニューバランスの通)沿い
newbalance(ニューバランス)」(米国)「履き心地の良さ」を追求したスニーカー2〜3万円
喜土歩楽(きど・あゆらく)」(日本)カジュアルからフォーマルまでの舟川洋一の革靴で、足型をとって作るハーフオーダーメイド。2〜4万円。
有名なカフェ「シャルボン」の角を曲がり
LEGIO(レジオ)」スニーカーから革靴まで。欧州靴専門のセレクトショップ。2〜3万
 

心斎橋−北堀江 シューズロード(くつ通り)

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