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2024.02.19
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雑  記


■2023.11.06 月曜日 「稲作総括2023」

 さて、毎年恒例の稲作の報告。
 あまり面白くない話かもしれないが、どうかお付き合いいただきたい。

 今季、天候不良と猛暑の影響で前年比で1割の減収となった。
 前半は日照不足で高温という悪条件でイネの草丈だけが伸び、8月の台風で倒伏。
 イネが倒れて下敷きになってしまうと葉に陽が当たらず、籾に栄養が行かなくなってしまう。
 あまり芳しくない結果だが、田植え後期に定植した水田の生育は順調で、
 生育中期の追肥がなければさらに収量は減っただろう。

 今季は異例なことに、買取り単価を値上げするとの報告が上がっている。
 最終結果が出るのは11月末でまだ油断はできないが、極端な数字は出ないと予測している。

 倒伏すると困るのが、秋の稲刈り。
 従来の追い刈りに加え、逆方向からの向かい刈りと真横からのすくい刈りという新技術を投入して対応。
 さすがに地面に張り付いたイネは回収できないが、少しでも地面から隙間があれば
 真横からデバイダーを差し込んですくい上げ、刈り取れる。
 後方からの追い刈りと比べると刈り取り部のワラくずが格段に少なく、取り除く手間もない。
 また、本来向かい刈りは故障の元になるので御法度とされているが、
 これも機械の動きを予測することで故障も詰まりもなく、これでほぼ全方向から
 ノンストップでの刈り取りが可能になった。
 自脱型コンバインでの稲刈り技術は、現状で既に究極に近い。

 3年前の雑記で、僕はこんなことを書いている。
 「豊作の年に穫れるのは当然だけど、不作の年に穫れなければ
  農業は事業ではなく、ただのギャンブルになってしまう」と。
 不作の年の収量の下落を抑える点では、一定の成果が出たと確信している。
 研究中の技術が少しずつ完成に近づいてきたのだろう。

 また、専門家からの意見により、猛暑の年の水管理について
 旧来の常識を覆す新しい手法を発見した。
 猛暑の時期にあえて注水を増やし、イネの体力を温存させるやり方があるらしい。
 これはここ数年間の管理でなんとなく気付いていた部分だったが
 どうやら理論的な裏付けが取れそうだ。

 一方、自分の管理能力が既に頭打ちになっており、今の耕作面積では
 管理しきれないことが徐々に明らかになってきた。
 どうやら技術的に何らかのブレイクスルーが必要らしい。
 今後はどうにか知恵を絞って、管理の手間を減らすか作付け面積を減らすか、
 どれかを選択することになる。

 今年は納得いかないこともあったし、些細な問題も多く
 加えて高温多湿と猛暑に悩まされ、思い通りには行かなかったが
 それでも減収を抑える手立てを見つけ、新しい知見も得られた。
 農作業の工程や出費の面で無駄があったり、改善が必要な部分も
 少しずつ見えてきている。
 算命学では運気の底を脱したばかりの低調な時期ではあるが
 決して悪くはない年だったと思いたい。



■2023.10.10 火曜日 「問題:100mmの直線を定規で3等分する方法を考えよ」

 更新再開。
 今年は悪天候と猛暑に散々振り回され、自分には稲作が不向きだと分かった。
 仕事関係の話は、いずれ追々書いていくことになるだろう。

 さて本題。
 中学の技術科の先生はちょっと変わった人で、教科書にない問題を生徒に投げかけることが多かった。
 聞けば戦時中に学徒動員で零戦の整備をしていたとかで、機械の整備に関しては
 校内でも一目置かれるスキルを持っていた。
 意外なことに音楽科の免許も持っており、吹奏楽部の顧問を務めていた。
 色々と一筋縄ではいかない人なのだ。

 そこで出された問題が、表題の一文。
 どう考えても100mmをきっちり3等分するのは理論的に不可能。
 数学的には無理な話で、計算で割り切れる値は出ない。
 当然ながら誰もこれを解くことはできなかった。

 しかし、誰もが不可能と考えるそこに、答えがあった。

 先生は直線の片方の端に、直角かつ垂直に長い線を引いた。
 そこに150mmの定規を斜めに当てて3等分した。
 これを用いると数学的に絶対に割り切れない数値を機械的かつ精密に3等分できる。
 同様の手順で、2で割り切れない長さや幅を精密に2等分できる。
 数学も計算も一切必要ない。

 問題では「長さ100mmの直線を定規で3等分する方法を考えろ」と言っているだけで
 数式なり計算なりで3分の1の値を割り出せとは言っていない。
 もちろん、定規を直線に沿ってまっすぐ使え、とも言っていない。

 どんな長さでも正確に3等分する方法はある。
 その直線の長さはメートル法で100mmというだけで、計算で3等分できないと
 思い込んでいるから、解決策を思いつけない。
 答えさえ出れば、定規は縦でも斜めでも自由に使って良い。
 同じ土俵で同じルールで勝負しようとするから答えが出ないだけなのだ。
 ……確か先生はそんな内容のことを話していた。

 数学でさえ万能ではない。
 「常識」と呼ばれる固定概念がブレークスルーの邪魔をする。
 柔軟な発想こそが道を切り開く鍵になる。
 数学が嫌いだった僕は、そこに大きな可能性を見出した。
 机上の空論とまでは言わないが、現場には全ての答えがあって、それを拾い上げ、
 様々な次元から見て考え、再び現場へフィードバックすることが解決への近道なんだと解釈した。

 今でも数学は嫌いだが、現場から拾い上げたデータを元にシンプルな数式を組み立て、
 先の展開を正確に予測することはできる。
 作物の生育、農薬の残効、積算温度など、あらゆる数字が現場から回収できる。
 そこに多様な角度からの解析を加えて、我が家独自の推論が出来上がると、実証試験で誤差を修正する。
 定規を斜めに使うだけではなく、別の単位の定規を持ち込むことでも新たな視点が加わり
 新しい知見が得られるし、採寸の精度を高めるためにあえて定規を使わない手法があることも知った。

 実際、我が家には大手農薬メーカーが把握していない特異な条件での試験データがある。
 全くの偶然の産物なのだが、これを使うと水田での薬剤の拡散を抑制し
 少ない薬剤を特定の場所にピンポイントで効かせることが可能になる。
 減農薬とコスト削減を両立する、稲作農家なら喉から手が出るほど欲しい技術のひとつだ。


 中学の授業で何を習ったかなんて、今はほとんど覚えていない。
 しかし技術の先生から学んだこの問題は、自分にとって日々の難問を解く鍵になっている。



■2023.02.21 火曜日 「ぼくが考えた最強の接着剤」

 これは子供特有の考え方なのかも知れないが、何かと何かを混ぜ合わせることで
 より良いものができるのでは?という思考が誰にでもあったはずだ。
 ジュースを混ぜたりお菓子を混ぜたりすれば美味しくなるとか、
 未知のグルメを発見できる、などと考えたことがあるだろう。
 ロイズのチョコポテチなんかはその究極形だと思っているのだが
 子供の頃に同じことを試した僕はそのマズさに卒倒しそうになり
 十数年後にあれが製品化された時はもっと卒倒しそうになった。
 あれをまじめに作って売ろうと考える奴がいるのか、と。

 ちょっと話が脱線してしまった。
 今日はおやつの話ではなく、接着剤の話。

 子供の頃から趣味が工作だった関係で、接着剤だけはそれなりの種類が
 (子供の割には)手元にあった。
 それぞれの正しい使い方ができていたかは怪しいところだが
 木工用、ゴム系、瞬着の三つは最低限切らさないようにしていた。
 で、子供だから前述の思考が出てくるのである。
 これらを混ぜたらどうなるか、なんでもガッチリ固める究極の接着剤が
 できるんじゃないかと。
 もしかすると中世の錬金術だって、こんな子供じみた発想の延長に
 あったのかもしれない。

 今だからはっきり断言できることがひとつだけある。
 当たり前だが、接着剤というのは最初からそれぞれの素材に
 特化した配合になっている。
 強度を上げる意味で接着剤に骨材に相当するものを混ぜる手法はあるが
 これはFRPの応用であり、あくまで例外だ。

 当時のおバカな僕は何も考えず、三種類の接着剤を少量ずつ適当に
 塗料皿に出して混ぜた。目分量の適当な配合だ。
 結果、半熟卵の白身のようなゲル状の物体が出来上がり、刺激臭と高熱を出しながら
 あっという間に固まってしまった。

 至極当たり前の結果である。
 瞬着が木工用ボンドの水分と反応して固まったのだ。
 混ぜてる間にガッチリ固まったら接着どころではない。
 「うむ、これは使えないことが分かったので失敗ではない」と
 エジソンみたいな言い訳をしながら失敗作をゴミに捨てた。

 他にも色々な実験をしたが、あまり成功と呼べるようなものは
 なかったと記憶している。
 子供のバカな実験でゴミを量産したという、それだけのことだ。

 しかし、全部が失敗で無駄でおバカだったわけではなかった。
 そこから得られたのは接着剤の極めて正しい使い方と、混ぜる素材によっては
 特定の強度が上がったり、充填材的な手法にも使えるということ。
 瞬着はアクリル系なので、ABSの粉末と混ぜると穴埋めや肉盛りに使え
 エポキシなら木屑や竹の粉末で耐衝撃性が増す。プラリペアやFRPの代用だ。
 接合面の研磨と脱脂で接着力を高める手順は塗装にも応用が効くし
 両面テープでの接合なら効果絶大だ。
 より広い面積に可能な限り薄く均等に塗布することで最大の接着力が
 得られるという、全ての接着剤に共通の理論を知った。

 さらに大事なのは、どんな結果が出るか分からないから、結果を知りたいからこそ
 実験するのであって、そこには最初から成功も失敗もないということ。
 分かりきった効果を確かめる実証試験ではないのだ。
 得られた結果が意外な分野で応用されるのも大事なポイントになる。

 そう。
 何が起きるか分からないのが世の常であり、予想できないところで
 フィードバックが得られるのも、これまた世の常なのだ。



■2022.12.22 木曜日 「断捨離祭り Season 7」

 もはや毎年恒例になってしまった、冬の断捨離祭り。
 2016年から数えて7期目、今年も大々的に開催中だ。
 まだ片付けをやってるのかと言われそうだが、農家の納屋は一般住宅とは規模も内容も違う。
 しかも、この農場はとにかく資材の整理がなってない。
 先代も、義弟も、義母も、資材を検品したり分別するといった能力がまるっきりなかったらしく
 片付けても片付けても隅の方からガラクタが出てくる。
 手前だけ片付けて安心してると、あとでとんでもないことになるのだ。

 今期は倉庫に放置された資材の検品と箱詰めを進めている。
 調べたところ、倉庫の2階の隅の方に肥料袋に入った大量の金具がサビだらけで
 放置されていることが判明する。
 旧イネ班が過去に管理してた領域は最低限の整理はできていると思っていたのだが
 認識が甘かった。
 奴らは知能に問題があるのをすっかり忘れていた。
 肥料袋に入れっぱなしで見出しもタグもなければ、規格も数量もわからない。
 これでは必要な時すぐ使えない。

 そもそも、袋に放り込んで平置きすると場所を取る上、検索に莫大な時間がかかる。
 あくまで一時保管の手段なのだ。
 分別と仕分け、側面に内容物を書くのは管理の基本である。

 まず、どこに何がどれだけあるのかを可視化する。
 使えるもの、使えないものを仕分け、ゴミになりそうなものや再資源化できないもの、
 現代の規格に合わないものは躊躇なく捨てる。
 そこに新たに箱を用意して再梱包、タグやインデックスを与え、同時に資材の保管場所や
 状態を相方と共有して、検索を極限まで高速化する。
 それが資材の管理の基本だ。

 必要なものを必要な場所へ、必要な数だけ瞬時に供給できる。
 「資材」と呼ぶからには、そうでなくてはならない。

 倉庫が散らかってるとか、ガラクタで埋め尽くされた農家は大抵バカでビンボーと
 相場が決まっており、行き着く先は「悲惨」の二文字しかない。
 この世から悲惨をなくせるのは宗教でも政治でもなく知性と知能と教養の為せる技だ。

 せっかくこの世で人として生きているのだから、ガラクタだらけの環境で心身ともに
 貧しい暮らしをするのは真っ平御免である。



■2022.12.09 金曜日

 ちょっと遅くなったが、更新再開。
 例によって春までの更新となる。どうかお付き合いいただきたい。

 毎年稲作についてここで報告しているが、今季も安定の豊作となり
 まずは一安心である。
 耕起や水管理といった基礎技術や理論についてはほぼ完全にマスターし、
 現在は近隣の農家がノウハウを持たない土地改良や追肥などの技術試験を進めている。
 特に追肥に関してこの近辺で試験をやってるのはうちの農場だけで
 最小限で確実に効かせるポイントや適正な水量を既に把握しつつある。

 実のところ、同じ水田でも収量の高い部分と低い部分は明確に分かれており
 さらに追肥で倒伏しやすい部分とそうでない部分も明確に分かれている。
 倒伏を避け、収量を底上げするポイントがどこなのか、もう調査済みなのだ。

 人手不足が慢性化し、さらに肥料が高騰している昨今、最小限の施肥量と
 作業時間で収量を増やす技術は近隣の農家との差別化を図る大きな武器となる。
 この最北の地でトマトが作れてコメも豊作ならば、そこに一切の隙はなくなる。

 一方、老朽化した機材の整備や修理にかかる経費が増大しており
 これが最近の頭痛の種になっている。
 故障の兆候がなく、まともに動いていても常に細かな不調はある。
 閑散期には常に検査と整備の繰り返しで、重篤な異常を回避している。
 忙しい農作業の最中に故障する最悪の事態だけは避けたい。

 今年は36年使ったロータリーが故障し、代替手段が用意できるまでの間
 一部の畑で草が生えてしまった。
 代わりのロータリーの調達でも色々と問題が起きて、結局納品は来年の
 春先になりそうな感じである。

 来年以降も色々と苦労しそうだ。
 たぶん、なんとかなるんだろうけど。



■2021.12.10 金曜日 「波頭から波頭へ、飛ぶように」

 好きな言葉は平々凡々、順風満帆。
 嫌いな言葉は、波乱万丈。

 そろそろ、同じことの繰り返しの生活に落ち着きたいのだが
 人生はどういうわけか、とにかく波風の高い展開を好む。
 しかし波乱万丈の壮絶人生など誰が望むのというだろう。
 余計な苦労などないほうがいいし、苦労を買ってまでする奴はマゾか変態だ。


 今年も色々な事があった。
 色々あり過ぎて、書きたくても書けない事が多かった。

 記録的な猛暑であらゆる相場が乱高下する年だった。

 春の終わり頃、猫らのためにエアコンを設置した。
 冷房専用の安いやつ、しかし冷房能力の高いものを設置して
 もらったが、その後の猛暑と好天でエアコンの在庫は払底し
 納入も取り付けもできない事例が続出したという。
 北海道の北の方ではエアコンのない家が多い。
 伝え聞いた話によると、猛暑の夏の熱帯夜をエアコン付きの車の中で
 何日も過ごすことになった者が多数いたらしい。

 給湯器が何故か壊れた。
 それも在庫が払底するちょっと前に交換が完了した。
 その後は皆様ご存知のとおり、半導体不足や海外の工場の休業なんかで
 国内へ資材が入ってこなくなり、給湯器の在庫がなくなってしまった。

 仕事の流れは例年通り。全く変わらなかった。
 朝と夕方に田んぼの見回りをして、倉庫を片付け、農機の修理をして
 ハウスを解体し、移築する。
 夏はトマトの収穫を手伝い、やがて稲刈りの時期になった。

 秋、コメの単価が下がった。
 妻の試算では100万円近い減益を予想していたが、結果的には2万円弱の減益に収まった。
 厳密には増収減益になるんだけど、単価の下落幅や肥料代の出費を考えると
 これはもう立派すぎる結果と言っていい。
 猛暑を逆手に取った高度な水管理が豊作を招き、減益を最小限に抑えた。
 いろいろ言いたいことはあるけど、今はこれが最善なのだろう。

 高い収量を確実に出すには日々の小技の蓄積が重要だと知った。
 特に農業では「土壇場で大技をかまして一発逆転」なんてのは絶対にありえない。

 結局、世の中の騒動とはほぼ無縁の状態が続いた。

 「未来はこうありたい」と描いたイメージそのものの一年だった。
 自分の人生は自分で選び、作れるのだという自信が戻ってきた。

 世界的に見ると確かに波風は大きかったし、影響もあった。
 ただ、心を軽く保ち、日々淡々と目の前の仕事に集中していくと、波頭から波頭へ
 渡り歩くように生きていけることを再確認できた。
 時間の流れは過去から未来へ一方通行に流れているのではなく、目の前の「今」が
 らせん状に連なり、過去も未来も「今」に連動している。
 だから、今一瞬に集中して確実に仕事を片付ける必要がある。

 自分が関われない世の中の遠いことに思いを巡らす必要はない。
 それは冷酷でもなんでもない。
 地球の裏側だろうが、宇宙の果てだろうがそれは一緒だ。
 共感の幅を狭め、自分の行動半径に収まる範囲に留めることで
 自分の心は随分軽くなり、意味のないダメージを負うこともない。
 そもそも近所付き合いすら希薄なこのご時世に、そんな遠いところにいる
 誰かが自分に関わる機会など絶対にないし、自分が救える度量もスキルもないのに
 そこに思いを巡らせること自体が無駄だ。
 今確実に自力でできることに注力しないと人生の無駄遣いになる。
 できないことに時間や金銭を使うのはやめ、まずは近所の平和を守ろう。
 ユニセフなんぞに募金する前にまず近所の子供達を支えることを考えるべきだ。
 それが難しければ、せめて水回りと玄関の掃除をして身の回りをきれいにしよう。

 しなくてもいい苦労をする必要はないし、幸せになるのに回り道をする必要もない。
 不幸な過去を振り返るような日本海沿いのような湿っぽい思想も捨てた方が良い。
 誰もがラブ&ピース&リスペクトできるのが当たり前でなくてはいけない。

 この先もいろいろ細かな障壁は現れるだろうが、どれも大したことではない。
 解決策を考え、突破するまでの時間は年々短くなり、悩む時間も減っている。
 なんとかなるのだ。
 自分の人生は自分で作れる。
 自分の人生を自分で作ると宣言することから、自分の本当の人生が始まる。



■2021.12.07 火曜日 「片付けて、捨てて、そして片付けて、捨てて、さらに片付けて」

 倉庫の片付けを始めてから5年、あるいは6年。
 いや、それ以前からだったか。
 もはや調べるのも面倒なほど、随分長い年月をガラクタ掃除に費やしてきた。
 片付けと掃除は日常の習慣で仕事の一部となってしまった。

 一方、母屋の片付けは必要に迫られて進めてきた部分はあったが
 自室(兼・事務所)やオーディオルームはずっと後回しになっていた。
 特に繁忙期は寝る時しか事務所に行かないし、オーディオルームを使う時間はないので
 物置寸前の状態になってしまう。
 しかも冬になったらすぐ倉庫の片付けに突入するので、結局何年も後回しになってしまうのだ。

 自室には棚代わりに使っているカラーボックスがある。
 これがとんでもない年代物で、25年ほど前に新宿の大久保の家具屋で
 買ってきたものを大事に使っていたのだが、今年の夏の終わりに突然棚板が割れて
 使い物にならなくなった。

 自室は不要物で埋め尽くされており、中身を一旦退避する空間も
 カラーボックスを組み立てる空間もない。
 幸いというか偶然というか、棚板が崩落しても中身が飛び出さなかったので、
 農作業が終わるまでつっかえ棒を立ててごまかすことにした。

 同じ頃、事務所のMacのHDDの空き容量がなくなってしまい、iPhoneから
 画像のバックアップができなくなった。
 これも農作業が終わるまで一旦予備のHDDに移し、秋までなんとかごまかしながら
 使うことになった。
 当然ながら自室の片付けやガラクタ整理は後回しである。

 10月の雑記の更新の後、自室の床を片付けて空間を確保し、カラーボックスを組み立てて据え付け、
 中身を移動しながら整理し、11月の中旬にはHDDの交換までなんとかたどり着いた。

 しかしここからがまた長かった。
 元々のHDDはパーティションを切って3ボリュームで運用していたのだが
 新HDDはどうやってもパーティションが切れない。途中でエラーを起こす。
 なんとかパーティションを切ったものの、今度は一部のボリュームがマウントされず、
 転送したデータが行方不明になった。
 パーティションが切れない原因は分かったが、一部ボリュームが見えなくなる問題は不明で
 別のHDDに交換して1パーティションで初期化、フォルダによる仕分けで運用を再開。
 行方不明になったデータは大昔のバックアップからなんとか復元できた。
 もしかするとHDDは初期不良だったのかもしれない。

 結局、HDDの再交換と各アプリケーションの連動で1週間ちょっとの時間を費やし
 昨晩ようやく通常運用に戻った。
 古いHDDはしばらく通電したまま動態保存となった。

 残るはオーディオルーム。これから片付けに入る。
 大したものは置いてないけどなかなか手強い。
 早く片付けないと、冬休みがなくなる。



■2021.12.03 金曜日 「終活のような断捨離のような」

 更新再開、とかいいながら、本格始動は結局この時期になってしまう。
 なかなかうまくはいかない。
 これまたいろいろな事情があるのだが、機会があれば書くかもしれないし
 書かないかもしれない。


 2021年の春先のことである。
 とある農家さんから、倉庫の片付けついでに農機や資材を引き取ることになった。
 どちらかといえば片付けとか引き取りというより遺品整理とか断捨離、あるいは
 終活に近いもので、亡くなった農家さんの納屋にある諸々から使えそうなものを
 できるだけ引き取って、片付けのお手伝いをしようという、そんな感じのもの。

 どうも近年はこういった掃除とか片付けとか、そういったものに縁があるらしい。
 それも既に亡くなっている人の残したものとか、事業を放棄して逃亡した
 バカな経営者の後始末とか、結構荷の重い仕事が続く。
 そのせいで自分の部屋(一応事務所)の片付けや電算機の整備が全く進まない。
 今も雑然とした事務所でHDDの不調にビビりながらこの原稿を書いている。

 そこの農家さんは数年前に離農しており、利用価値の高いものから順次引き取り先が
 決まっていた。
 我々は最後の後片付けというか、相当の技術がないと扱えないものを
 引き取りに向かった格好だ。
 そこにある物品がどういう性格のもので、オーナーがどういった考えを持っていたのか、
 周辺機器や付属品は残っているか、破損や故障や欠品はないか、そこまで踏み込んだ推測を
 しながら作業にあたることになる。

 今回引き取ったのは、倉庫にあった大量の資材のほか、大きめの農機がひとつ、
 それに付属する作業機が四つほど。
 資材は仕分けて格納すれば終わりだが、機械の類は点検整備が欠かせない。
 故障や破損もある。
 今は農機や作業機の整備を重点的に進めている。

 亡くなった農家さんは離農後に重篤な病気に罹ってしまった。
 発病前は極めて几帳面な人で、その時点までの整備や修理は済んでいたが、
 病気の進行に伴い全てが停まった。
 整備や修理ができていたものは放置されて劣化してしまい、正常に動いていたものは
 操縦ミスで壊れて使用不能になり、そこに規格の違う部品を無理やり使って
 さらに重症化する、といった問題が起きていた。
 オイル交換や清掃は言うに及ばず、作業機の設定やタイヤの空気圧、全てがめちゃくちゃになった。
 (追記:交換前のエンジンオイルはかなり危険な状態で、ギヤオイル並みに粘度が増していた。
 普通、汚れたオイルは一旦粘度が下がり、更に劣化すると粘度が上昇する)

 唯一の救いは農機の基幹部分が壊れてないことと、我が家で同じ系統の車体を持っていたこと。
 だから共通の部品があって普通に整備ができて、必要があれば改造もできる。
 他にも色々細かな問題はあるが、さほど困ることもない。
 数年前に仕分けした部品類を探せば最適な代替品が出てくる。

 引き取った農機は電気系に自己流の間違った改造が施されており、一度全撤去のあと再配線が必要だった。
 現代では携帯電話やFMトランスミッターなど比較的小さな機器が多く、一方で除雪機などの
 大電流の必要な機器もあり、そのへんを考慮した設計が必要だ。
 不要な配線は全て外し、新たに大電力用と小電力用の2系統の電線を引いた。
 これも同じ系統の車体をいじった経験があるからできる。配線もほぼ同じだ。

 そう、細かな問題はあるが困難ではない。
 他所から来た農機なのに作業手順を知ってるし、なぜか我が家の倉庫に部品がある。
 恐らくそれは単なる偶然ではない。

 春先に引き取った資材や機械は最近ようやく片付き、全てが使える状態になった。
 重複する機材の一部は知り合いの農家さんに譲り、大層喜ばれた。

 どうやら、ガラクタを捨て、空間を開けておくと、どこかから新しいものが入ってくるらしい。
 そこで引き取った資材を取捨選択して、また空間を開けておく。
 この繰り返しで資材の品質が上がり、効率よく働けるようになると気づいた。
 今は中古品だけど、この工程を繰り返せばさらに品質が上がり、新品の導入が増えるはず。

 本当は何もない空間を眺めて余裕を満喫するのが一番楽しいのだが、まあ悪くない傾向だ。
 資材とお金が常に循環するのは事業が健全な証拠だから。



■2021.10.16 土曜日 「記録的猛暑と、記録的豊作」

 更新再開。
 例年より早いのはいろいろ理由があるが、それは追々書くかもしれないし
 書かないかもしれない。
 そんなわけで、例年通り今年の稲作の報告からスタート。


 今期は田植えの段階で問題があり、施肥量が理論値より過剰な状態であると
 相方から報告を受けていた。
 (相方は田植え機担当、僕は水管理と稲刈りを担当)
 肥料が多すぎるといつまでも出穂せずに背丈だけが伸び、最後に倒れてしまう。
 つまり生育前半で大量に肥料を消費させ、出穂のタイミングを
 平年並みに合わせるしかない。
 イネに肥料を食わせるには地温を稼ぐのが早道だ。

 相方からはもうひとつ気になる報告があり、特定の水田で施肥量が
 不足しているらしいという情報が。
 これは今後の生育を確認して、何らかの対策を打つことにした。

 ちょっとリスキーだが、雑草が生える覚悟で水位をギリギリまで下げ、
 地温を目一杯上げて肥料を食わせる作戦に出た。
 施肥量が多すぎるなら、生育前半で大量に肥料を食わせて茎数を稼げば草丈が抑えられ、
 そこで後半の余力を残すぐらいに仕上げておけば豊作が狙えるはずだ。
 茎数を増やすにも肥料を食わせるにも、共通の操作は水位を下げること。
 施肥量が足りない水田が特定できたら、そこの水位を一時的に増やして追肥する。
 水位を増やし、水に溶けやすい養分を使えば養分の拡散が促進され、生育が揃う。

 全てがうまくいった、とはいかないものの、生育初期の晴天と異常な高温に助けられ
 過去4期で最高の収量を記録した。
 かつて真夏の練馬で経験したあの猛暑が味方したのだ。
 水田への追肥も未経験ながら無事に完了し、そこでは通常あり得ないほどの豊作となった。
 施肥量過剰と土壌の水分過剰で倒れてしまった水田が何箇所かあったが、そのほかは
 概ね順調な生育で、稲刈りも12日ほどで完了。
 生育中期以降の雑草対策では貴重なデータが入手できた。

 近隣の農家では施肥量と水管理が猛暑と高温に追従しきれず、収量にかなりの差が出たらしい。
 晴天続きで油断して平年通りの水管理をした結果、猛暑で肥料の消費が早まり
 後半の余力が不足したのだ。
 そのほか、耕深や苗の活着などでも大きな差が生じて明暗を分ける結果となった。

 今期も当農場ではケイカルを投入したが、好天で登熟が急加速し、稲刈りが早まったことで
 ターボブースト全開にはならなかった。効き具合は去年の7割ぐらいか。
 それでも過去最大の収量。満足だ。 

 去年考えていた条件は全て揃った。
 施肥量と前半の好天で茎数を稼ぎ、不完全ながら後半のターボブーストで籾重を稼ぎ
 ほぼ狙い通りの結果を出せた。
 天候や田んぼの潜在能力を考えるともう少し上が狙えるはずだが、上げ幅は
 それほど残っていないだろう。
 今年の収量が普通に管理して狙える上限かと思う。


 余談だが、近所に住む親戚のおじさんも稲作農家で、今年は苗の生育不良でやむなく疎植にした。
 水田の面積に対し苗が足りないので疎植で水田全部を埋める作戦に出たのだ。
 その結果、株間が空いて茎数が増大、隙間があるので日当たりも完璧。
 株数が少ないので肥料の消費も平年並みで後半の余力が十分残り、結果的に豊作となった。
 生育初期の黄緑色のヒョロヒョロ苗が深緑のムキムキマッチョになり、黄金の稲穂に
 変身する様子にはもう、驚くしかなかった。
 偶然の産物にしてはあまりにも出来過ぎな、あまりにも完璧すぎる結果だった。
 詳しいことは今後の解析を待つことになるが、当地で疎植で豊作になった例としては
 極めて貴重なデータになるだろう。



■2021.04.12 月曜日 「劇的大改造!」

 母屋の2階の物置部屋の改修が完了した。
 70年代の初頭に作られた、陰気で悪霊の出そうなボロい2部屋の壁を大胆にブチ抜き
 傾いた床を精密に水平に直し、徹底的に断熱を強化してモダンな内装を与え、
 猫と面白おかしく暮らせる快適な部屋を作り上げた。
 とはいっても、基本コンセプトを考えたのは相方で、施工したのは熟練の大工さんで
 僕は家具の選定や細部の監修をしただけなのだが、完成度の高い美しい部屋に仕上がった。

 2階のリフォームは2017年2月にも自力で行なっているが、今回はプロの手を借りて
 電気系から水回り、暖房、キッチン、換気設備まで技術的に可能な限りの改修を依頼し、
 壁にはキャットウォークまで用意され、毎日仕事から帰るのが楽しみな環境になった。
 朝食も昼食も夕食も、昼寝の時間さえも楽しい。
 初夏には冷房も用意されて、年中快適な環境が完成する。
 この部屋は相方と猫らの暮らす部屋になる。

 貴重な冬休みを費やし、毎朝現場の除雪をやった甲斐はあった。
 正直言って慢性的な寝不足で体調も悪いのだが、それに見合うだけの結果は出た。
 先代猫がいたらきっと喜んでくれるだろう。
 今も彼がどこかで必ず見ていてくれる。

 猫飼いの本気は現実を軽々動かす。
 暗くて汚い物置部屋を輝く新居に変え、灰色の過去を虹色の未来に変える。
 猫のためなら躊躇なく全力を出せると、今なら憚ることなく大声で言える。



■2021.02.05 金曜日 「最後の良心」

 かつてJ-WAVEでオンエアされていた、OZ MEETS JAZZをたまに聴き返している。
 OZ MEETS JAZZはその後、THE PLAYERSを経てJAZZ IS ALIVEへと
 引き継がれ、2014年の秋に終了するのだが、「小曽根真がJAZZを楽しく
 伝える番組」というテイストは最後まで一貫していた。

 手元には合計54回分の録音が残っている。
 いずれも東京で録りためたもので、FMやradikoの音声を無駄に高い音質と
 ビットレートでサンプリングし、恐ろしく丁寧な再編集をしてMP3へ落とし込んでいる。
 当時色々と苦労もあり、忙しかっただろうに、編集された音を聴くと
 「こいつ、暇人だろ?」とさえ思わせるほど徹底的に作り込んである。
 毎回どれだけ楽しかったのかが、その録音から読み取れる。

 聴き返して驚くのはその音質と編集だけでなく、番組自体の完成度が高いこと。
 ものすごく面白いのだ。
 一番古いのは2010年のクリスマスの放送で、当然ながら当時の時代性も
 至るところに出てくるんだけど、それを軽々踏み越える普遍性と面白さがある。
 一度聴いてるはずなのに面白い。
 内容を知ってるのに何度聴いても新鮮。
 絶妙な選曲。
 JAZZ初心者を一発で引っ張り込む強烈な引力。
 たまたま見た深夜のアニメにハマって二度三度繰り返し観てしまう、あの感覚だ。

 これらの番組に出会う前、僕はJAZZをどう聴いたらいいのか分からなかった。
 かつてJazz Lifeを愛読してきた人間として断言するが、JAZZの敷居を
 無駄に高くして新規のリスナーの参入を遠ざけてきたのは評論家やライターの
 小難しい話があったからだ。
 本来JAZZは哲学的でもなく小難しいものでもなく、もっと広く浅く
 楽しく聴く手立てがあることを、小曽根真は簡潔な言葉と明確な行動で
 広めたのだと思っている。
 プレイヤーとして、また表現者として、一段も二段も上の次元の話を
 とてもわかりやすく伝えていることに今更ながら気づくのである。

 今も凋落を続けるFM専門局に一番最後に残った、本当の音楽番組。
 この一連の番組を、僕は密かに「J-WAVEの最後の良心」と呼んでいる。



■2021.01.29 金曜日 「整理完了」

 1年越しでコンテンツの整理を完了。ずいぶん時間が掛かってしまった。
 20年前だったら半日で片付くレベルだ、と言いたいところだが、振り返ると
 あの頃は今よりはるかに暇があった。

 農家は本当に時間が足りない。
 夏の繁忙期は殺人的に忙しく、冬は毎朝除雪で時間を取られ、家に帰ると温度差で
 血圧が下がり、昼まで動けなくなる。

 かつて会社勤めをしていた生活は、結構楽だったのだ。暇があったのだ。
 今の自分にはもう無理だけど。
 近頃は「社畜」などと自嘲する者が多いが、自営業でやっていく野望や根性がない人は
 一生会社員の方が気楽でいい。

 今回の整理では古すぎて利用価値のないものや、技術革新で意味のなくなったものを
 重点的に削り、管理しやすいデザインにしてみた。
 将来的にはBlogやSNSのアカウントなども削減して、機動性の高い構造に改める。

 今後も随時サイトの見直しを進めて行く予定だ。



■2021.01.07 木曜日 「林檎使いの試行錯誤 その2」

 前回「OSのアップデートで色々動かなくなった」という話を
 書いたが、動かなくなったのはソフトウェアだけではなく
 ハードウェアにも及んでいた。

 データの転送や出力、印刷なども大きな影響を受けた。
 ハードを制御するアプリケーションが32bitだったり
 ドライバーのバージョン違いでデータが送れなかったり
 再インストールや再起動で正常に動くようになったりと、その症状は
 様々なものがあった。

 我が家は携帯電話がiPhoneで、Macへのデータ転送は割と簡単に
 行えるはずなのだが、画像やテキストの転送で従来の手順が使えず
 解決策を探すのにかなりの日数を費やしてしまった。
 画像は農業に関する資料に使うし、テキストは業務日誌の下書きに使う。
 プリンターは資料や日誌の印刷、農産物のラベルやステッカーの出力にも使う。
 全てが動かないと困る。

 macOSはバージョン10.15から純正のアプリケーションの動作が変わり
 元々iTunesに内包された機能がFinderとミュージックへ振り分けられた。
 AirPrintで印刷する場合は元々のプリンターの設定を一旦削除しないと
 ドライバーのバージョンが更新されず、プリンターが動かなくなってしまう。
 そこで引っかかってしまったのだ。

 ラッキーだったのは、冬休みでも一番暇な年末年始にこの問題が起きたこと。
 原因の切り分けと分析に十分な時間があった。

 まだまだ小さな問題はたくさんあるが、何とかするだろう。
 いずれマシンを新調してOSはバージョン11になる予定だ。
 なんと言っても、面倒な気持ちよりも新しい環境への期待の方が強い。
 この先、新しいシステムに乗り換える最高の準備期間だと思うことにする。



■2020.12.28 月曜日 「林檎使いの試行錯誤 その1」

 色々あって、macOSをアップデートすることになった。

 うちのMac miniは2013年の秋に導入。
 32bitと64bitの混在する環境のまま、なんとなく7年間使っていた。
 農家だから繁忙期は最新情報に疎くなるのだが、その間にmacOSは64bitに
 完全移行していたのだった。

 当然ながら32bitアプリケーションは動かなくなっていた。
 あるものは更新が終了、あるものは長いこと更新が停まり、
 またあるものは開発者が亡くなっていたり。
 同じものを使うのは不可能だった。
 しかも我が家では重要な作業に使うものばかり。急いで代替品を探さなくてはならない。
 アップデートはめんどくさいので後回しにしていたのが裏目に出た。

 この原稿を書いて編集している環境も、今回新たに用意した代替品である。
 HTMLエディタもFTPクライアントもまったく使ったことのないアプリケーションに
 切り替わった。
 うまく使えるか自信はないが、試行錯誤しながら何とか使いこなすだろう。

 2013年以前はPowerPC搭載のMac miniを使っていた。
 そこではエミュレータでOS 9とOS Xが混在する環境だったのだが
 買い替えでOS 9がエミュレートできなくなり、PowerPC専用のアプリケーションが
 全部動かなくなった。
 CPUが全部インテルになってしまったせいだ。
 なんだかあの頃とよく似ているな、と思う。

 生粋の林檎使いとして、かれこれ26年。
 こういった問題は慣れているし、今回もたぶん何とかなる。
 今はどうにもならなくとも、未来の自分が何とかするだろう。
 まあ、マイクロソフトのOSを使うよりはずっとマシだ。



■2020.12.01 火曜日 「ハウス瞬間移動イリュージョン」

 この地で農業を始めて、間もなく10年になる。
 当時、近隣の住民の反応は冷淡なものだったが、それでもここで結果を出すしか
 手段がなかったので、とにかく一生懸命働き、勉強を重ねた。
 昔から独学で何かを覚えるのは得意だった。これが役に立った。

 やがて品質重視で作られたミニトマトが評判を呼び、トマトの美味い農家となった。
 その一方でアーチパイプを使う農業用ハウスに関して、当地ではおそらく誰よりも
 詳しく、誰よりも数をこなす農家となった。
 建設、解体、修理、改造。その全てが速い。
 いつも晩秋の短い期間に急いで建てるので、技術力は嫌でも向上するのだ。

 毎年ハウスに関しては何らかの改修をしているが、今年は農機を保管するハウスを改築し
 55mのハウスを1棟移築し、70mのハウスを1棟解体した。

 55mのハウスはトマトの栽培用。
 元々あった場所はトマトの育ちが悪いので少し離れた場所に移築した。
 アーチパイプを分解した翌日に別の場所に同じアーチが超高速で建ったので
 近隣の住民は巨大なハウスが瞬間移動したと思ったらしい。

 その後すぐに70mのハウスを解体。
 知り合いの農家さんが「全部バラして片付けてくれたら全部譲る」と言ってくれたので
 わずか2日半でバラして更地にした。
 あまりの速さに農家さんは驚いていた。

 ハウスを瞬間移動したり高速で消したりするのは当農場の得意技。
 僕は「イリュージョン」と呼んでいるが、引田天功やデビッド・カッパーフィールドのような
 カラクリや仕掛けは一切ない。全てが技術と経験の賜物だ。

 解体や移設が得意ということは、ハウスの規格や構造、特性にも詳しいということ。
 どこにどういった部品を使うか、特殊な部品の調達や代用法、規格外の部品で規格通りに
 建てる方法は何か、いつも考える。
 一見普通に見えるけど、強度重視でアーチパイプが異様に太いとか、ハウスの内部に
 補強材を仕込んで強度を上げてあるとか、農業用ハウスでは使われない部品を使うとか
 そういうのも設計する。
 もちろん、幅や高さも細かく変更できる。

 テレビに農家が出てる時は、ハウスの外観や内部構造を見ていることが多い。
 農家のBlogを見るときもやはりハウスの画像を見ている。
 地域や作物が違えば強度や高さ、構造が変わり、製造元が変われば部品の構成が変わる。
 そこが重要なヒントになる。

 世の中にはハウスや温室に関する専門書もあるけど、実際に自分でバラして組み立てると
 それ以上の膨大な知識と技術が得られる。
 農業用ハウスは自分で建てるに限る。



■2020.11.26 木曜日 「大改造!トイレでピンチ!」

 ここ数週間ほど、トイレから異臭がするので気になっていた。
 なんというか、有機物の腐敗臭のような、そんな感じ。

 試しにトイレの消臭剤を置いたが、異臭は消えない。
 芳香剤も効かない。
 つまり、トイレ特有の悪臭ではない。

 このトイレ、以前から特定の気象条件で雨漏りが起きており
 「何か異常が起きている」と考えた相方は地元の大工さんに依頼して
 壁をバラしてもらうことにした。

 壁の向こうは空洞になっていた。
 本来あるはずの柱が消え、本来あるはずの断熱材の一部が消えていた。
 ついでに床下も見てもらうと、ネズミの死体と糞だらけ。

 柱は腐敗が進んだ末にアリの巣作りに使われて原型がなく
 わずかに残った柱の残骸はまるで木綿豆腐のように崩れてしまった。
 断熱材はネズミの巣作りに使われ、どこかに持ち去られていた。
 悪臭の元が腐った柱かネズミかはわからないが、とにかく改修が
 必要なことは間違いなかった。

 まず消失した柱を作り直し、断熱材と壁を張り替えて換気扇を新設。
 水道管に電熱線を巻き、冬の凍結を防ぐ。
 ついでに便器も最新の節水仕様に交換する。
 ここまでわずか2日で完了させた大工さんの技術力も凄まじい。

 我が家のトイレは上下に2ヶ所ある。
 上下で壁がつながっている以上、2階も改修しないといけない。
 ついでに2階の空き部屋を改修して我々夫婦の住居にしようかと
 相談しているところだ。
 空き部屋改修は来年以降の作業になるだろう。

 この家を設計したのは先代で、とにかく設計ミスが多い。
 加えて途中で大規模な改修をした際、義母が適当な発注をした上に
 施工業者が手抜きをしたせいで至る所に欠陥を抱えている。
 そんな訳で、当初は欠陥住宅の後始末、みたいな悪印象を持っていたが
 よく考えたら我々の好きなように大改造できることに気づいた。
 テレビの向こうにあったビフォーアフターの世界が目の前にあって
 今、我々はその主役なのだ。
 全てを自分で考え、デザインして、オーダーできる。

 快適性を高めるためなら、常識の範疇で何をやってもいい。
 楽しくなることと面白くなることを第一に考えていけばいいのだ。



■2020.11.22 日曜日 「米は力だ!」

 更新再開。
 例によって3月頃までの更新となるが、時々思い出したように
 何か書くかもしれない。



 さて、今年の稲作。
 収量は去年よりも若干多く、豊作に終わったのだが
 稲の初期生育は去年よりも悪いという、一見謎な展開を見せた。
 6月の天候不良で初期生育が悪く、なんとなくスカスカの状態のまま
 7月が過ぎ、お盆の草刈りの時期になっても復活する兆しはなかった。

 北海道の稲作はちょっと特殊な生育パターンを持っていて
 初期生育でとにかく茎数を稼ぐ「先行逃げ切り型」が主流だ。
 これは気候の関係で無効分けつが少なく、管理も単純なことから
 殆どの米農家が定石とする手法だけど、初期生育の良し悪しが収量に直結する。
 スタートダッシュに失敗すると負け確定なのだ。

 しかし、初期生育がいまいちでも、理論上コメが豊作になるパターンが
 ひとつだけあって、ゴール前でターボブーストが掛かる現象がある。
 いわゆる「追い込み型」だ。
 今年、我が家がその条件を備えていることを僕は知っていた。

 去年、施肥量過剰のため稲が倒伏したので、今年は施肥量を減らした。
 さらに倒伏を抑えるため珪カルを投入している。
 この珪カルが効果を発揮するのだ。
 (珪カル=珪酸カルシウムの略)

 珪カルの珪酸分は茎の強度を上げるほか、葉の長さや面積を増やす。
 幅が広く垂直に立ち上がった葉で、光合成の効率が向上して
 稲刈り直前まで栄養分を籾に供給できる。
 ここに9月の好天で光量が増し、光合成に加速が掛かった。
 結果、不稔が減り、米粒は大きくなり、籾数が増えた。
 これがターボブーストのカラクリである。
 まだ正確な数字は出てないが、去年より1トンほどの増収となる見通し。
 一安心である。
 当地では9月は晴れの日が多い。稲刈り前の追い込みには絶好の条件だ。

 去年は施肥量と前半の好天で茎数を稼ぎ、豊作となった。
 今年は珪酸分と後半の好天で籾数と米粒の大きさを稼ぎ、豊作になった。
 理想を言えば両方揃って大豊作なのが一番だけど、最悪の場合でも
 どちらかが有効に働けば不作のリスクを回避できることが分かった。
 全ての条件が揃えば、もっと収量を稼げる。

 稲作は嫌いだが、その仕組みを解明して結果を出す過程には
 たまらない魅力があり、自分はそれが得意であると気づいた。
 好きな分野と得意な分野が同じとは限らないのだ。



■2020.04.27 月曜日 「価値観の逆転」

 大都市圏では疫病が大流行しているが、我が家の周辺では
 疫病への警戒もしつつ、いつもの日常を保っている。

 ホームセンターのレジではビニールの仕切りが設けられたり
 地元の飲食店では営業時間が短くなったり、連休中は休業になったりと
 やや物々しい雰囲気になってはいるけど、そのおかげもあるのか
 なんとかいつもどおりの生活ができている。

 この土地に引っ越してちょうど9年。
 最近まで長いこと「なんでこんな田舎の僻地で
 暮らさなければならんのだ」と思っていたが
 その理由が昨今の騒動を見た時に直感的に理解できた。
 いわゆる「腑に落ちる」という感覚である。

 どうやら、ここに自分が流れ着くこと自体に
 大きな意味があったらしい。
 細かいことはよくわからないが、自分はここにいなければ
 ならなかった、と。

 人との接触が少ないから、ヒト由来の感染症のリスクが極端に少ない。
 確かに、今まで人に接触しなければ風邪をひくことがなかったし
 インフルエンザが流行しても感染することはなかった。
 トイレを借りに病院へ立ち寄って夏風邪に罹った経験があるので
 病院ですら安全ではないことはよく知っている。

 ああ、そういうことだったのか。
 全てはここまでの長い長い伏線だったのか、と思った。

 田舎の僻地の農家で良かった。
 人間嫌いの引きこもり体質で良かった。
 心底そう思った。


 常識なんて、価値観なんて、たった一晩で簡単にひっくり返る。
 だから、これが常識だ、とか、これが普通だ、という主張は
 今や信用に値しない。

 田舎の僻地、山奥であればあるほど、最高。
 人がいなければいないほど、最高。
 引きこもり、最高。
 もはや大都市に住む時代ではないかのような、そんな状態。

 こんな驚くべき興味深い事象が、あっていいのだろうか。



■2020.01.11 土曜日

 さて、2020年である。
 西暦2020年、って書くとすごい未来に来たような気がするけど、
 近所を見渡せば旧態依然で時代遅れの、どうしようもない田舎の寒村。
 なんともシュールな年明けだ。

 まあ例によって例の如く、正月だからといって何か特別なことを
 してるわけでもなく、我が家は平常運転である。
 雪が降れば除雪をするし、ストーブの灯油がなくなれば倉庫で給油するし
 夜食に即席麺を食ったりもする、至って普通の生活をしている。

 雪国の農家は冬休みが長いので、年越しは長期休暇の一部という
 認識になってしまっている。
 サラリーマンには到底不可能な、とても贅沢な暮らしだ。
 こんな調子で2月まで過ごす。

 2017年、諸般の事情により不本意ながら始めた稲作であったが
 地道な土壌改良と厳密な水管理が奏功して、3年目にして
 満足の行く収量が達成できた。

 コンバインに潜在的な不具合があるのを見抜き、メーカーで
 分解整備を依頼したのも効いた。
 さらに脱穀機の処理能力に合わせて刈り取りの速度を抑え、
 籾の回収効率が格段に良くなった。

 水田の土壌改良と日々の水管理。
 農機の整備と修理、そして現場での運用方法。
 大きな結果を得ようとするとき、ハードウェアとソフトウェアの両面を
 改良する必要があることを、これで証明できた。

 しかし、これが大成功だとか、一つの到達点だとは思わない。
 目標はもうすこし遠く、高いところにあって、そこに到達できる確信がある。
 田んぼの潜在能力や現時点での技量を考えると、更に5パーセント超の
 増収が可能であることが分かっている。
 どうやら、相方(妻)も同じようなことを考えているらしい。

 あともうひとつ、不作の年の収量の落ち込みをなんとか抑えたい。
 豊作の年に穫れるのは当然だけど、不作の年に穫れなければ
 農業は事業ではなく、ただのギャンブルになってしまう。
 僕は賭け事は大嫌いだ。

 毎年、天候は変わる。
 豊作の年もあるし不作の年もあるけど、常に一定以上の収量があれば
 経済的にも精神的にも安定する。
 健康で、食料も燃料も農機もあって、財布の心配をしなくていいとなれば
 これほど面白い仕事はない。
 ただし、近隣住民が善良な場合に限るけど。



■2019.12.17 火曜日

 今年の2月にアンプを作った話を書いたが、詳しい経緯みたいなものを
 はったりオーディオ研究室の方に載せた。
 大した話じゃないんで、暇なときにでも目を通していただければ幸いである。

 「研究室」と銘打ってる割には肝心の図面が載ってない。
 そう思う人もいるかもしれない。
 他の改造系の記事なんかも、詳細な図面を載せていなかったり
 画像に写り込んでるメモ書きをあえて隠してあるのだが
 実は記事の内容が理解できればすぐ調べられるよう、ヒントは必ず書いてある。
 そこには単なる模造品対策ではなく、各自考えたり創意工夫するのを
 楽しんでほしい、そんな意図がある。
 仕事ならまだしも、趣味で結果だけ追い求めてもココロは豊かにならない。
 すぐに結果が欲しければ組み立てキット買った方が早いから。

 ものづくりって、完成させるだけが楽しみではないんだよねぇ。
 何を作ろうか考えるのも、試作して失敗するのも、改良して完成度を高めるのも、
 全部が楽しい。
 ヒントを頼りにネットで調べて、意外な結果にたどり着くのも楽しい。
 それらに取り組んでる時間には「自分の一生を丁寧に扱ってる」って実感があって、
 実はすごく大事なことなんじゃないかと思うんだよね、最近。
 年寄りっぽい言い方になるけど、未来の人生の縮図がそこにあるような気がする。

 何かに熱中することで、自分の意識が「今」という時間にフォーカスする。
 それが、自分の直感力や気づきの力を養うことに繋がり、無意識の領域から
 アイデアを引き出す鍵になる。
 日常で雑多な物事が積み重なり、かつ振り回される時も、今この一瞬に
 一つずつ集中して取り組むことでほぼ全て解決できる。
 それが結果的に自分をレベルアップさせる近道にもなる。

 掃除してゴミを捨てることも、廃材を片付けるのも、物置を破壊することだって
 全ては未来に向けて何かを作り、自分を向上させる為の行動だ。
 全てが「作る」という一点に収束すると、人生の色々なものが面白くなるし
 「作る」をキーワードに様々なものが解釈できることが分かってくる。

 何かを作るために何かを考えることは、最終的に自分の人生を作るために
 「今」を考え続けることにつながっていると、僕は思うんだな。



■2019.12.15 日曜日 「緊急指令:物置を破壊せよ!(最終章)」

 かつて印刷業界でも散々な目に遭ってきたが、頭のおかしい人の
 仕事の後始末をするのは極めて腹立たしい。
 先代は後片付けをせずに死亡、義母はそもそも片付けができない上に
 「いつか使うかも知れない」という名目の上に
 ゴミを溜め込む始末。
 前任者はさらにゴミを溜め込み、農業すら放棄して逃走。
 それを血縁者でもない娘婿の僕が無給で嫌々片付ける。
 本当に腹立たしく、とても惨めな思いがする。

 

 ここで体得したのは、嫌でもとにかく仕事をしなければ
 ならない時、まず感情を自分の意識のちょっと外に置くことと
 目指す結果を精密にイメージし、正確に作業を進めることだった。
 面白おかしい未来を作るため、現状が何であれ
 今やるべきことは今すぐ全部やらなければ後悔する。

 極めて冷酷な言い方をするが、感情とは脳から発せられる
 雑音でしかない。
 「心を鬼にする」とは、狂気に身を投じることではなく、
 一時の感情を封印して自分の本当の心の声に耳を傾けること。
 つまり、ノイズキャンセリングである。
 感情こそが目的達成を阻む最大の壁であり、情に訴えて
 無茶振りをする人間は全て敵だと悟った。
 そして、他人の評価を絶対に当てにしてはいけない。
 他人は自分の人生を保証しないし、保証できない。
 だから一切耳を貸す必要がない。

 

 今、感情に翻弄され目的を見失えば、未来の幸せを見失う。
 全神経を集中し、僅かな雑音すら意識の外へ追い払い、
 困難な判断と取捨選択を正確に繰り返す。
 危険な超高所や空気の汚れた薄暗い場所で、さらに命の危険と隣り合わせで
 それでもなお冷静さを失なわず、目下の仕事を粛々と進めていった。

 そんなこんなで、物置の中身の撤去に3ヶ月。
 物置本体の解体と撤去作業に4日。
 それ以前からの準備作業を含めると、合計で6ヶ月ちょっと掛かった。
 束石の掘り出しに重機を使った以外は、人力と軽トラだけ。
 毎晩毎晩、物置の惨状を思い出しては打ちのめされ、
 朝になるとちょっと気を取り直し、なんとか全てを片付けたのである。

 

 巨大な廃材だろうが、汚いガラクタの山だろうが、元々は
 バカの能無しの怠慢の蓄積の連続。それだけだ。
 実際、僕は33年間溜め込まれた廃材と鉄くずの山を3年で捨てた。
 つまり処理速度は11倍速だ。
 物置に至っては40年以上放置されたものを半年で更地にした。
 処理速度は約80倍速。
 数値化と可視化で見えてくるのは、異様な速さで掃除と片付けが
 進んでいることと、自分が目指す未来への改修が
 間違いなく進んでいるという揺るぎない事実である。

 

 障害になるものはそれが何であれ、実力をもって速やかに排除する。
 ゴミは躊躇なく迅速に捨てる。
 毎日少しずつ、しかし極めて確実に、環境は良くなる。
 今も妻と猫たちの面白おかしい暮らしを作るため、真冬の倉庫で
 黙々と作業を続けている。



■2019.12.10 火曜日 「緊急指令:物置を破壊せよ!(その3)」

 鉄くずを放置して溜め込んだのは、先代と前任者の仕業である。
 交換後の磨り減った部品とか、規格が古く使えないボルトやナットなど、
 それらを適当な箱や缶に大量に溜め込んで、倉庫の奥の方に
 まるでテトリスのように隙間なく押し込んであったのだ。

 

 テトリスなら隙間なく並べれば消えて解決、となるが、これは鉄くずだ。
 いつまでも消えることはないし、使い道もない。
 前任者は知能に問題があるので、捨てるものと残すものの判別ができない。
 それらを一個ずつ、ネジ山や歪みを検査して仕分け、数年かけて
 規格ごとに分けて箱詰めして、使えないものを全て洗い出した。
 磨り減った部品はどうせ使えないから、そのまま鉄くず行きである。

 

 さらに、先代が放置した鉄くずが大量に残されていた。
 使い道のないタイヤチェーン、短すぎて使えない極太のワイヤー。
 どこから回収したかわからない大量の腐った古釘。
 倉庫の屋根に付いていたであろう、巨大な換気ダクト。
 なんだかよくわからない半分腐ったトタンの波板の切れ端。
 昔のことは知らないが、今や鉄くずを溜め込んでも金にはならない。
 見ているだけで頭が痛くなってくる。
 鉄くずは物置や農機小屋にもあって、それらを集約して搬出するのに
 これまた多大な時間と労力を要した。
 再利用できるものを仕分けるのに、予想以上の時間が掛かってしまった。

 

 結局、ネジや釘や小さなものを集めるとペール缶20個以上になり
 そこに使えない機械類を加えると2tトラックが満杯になった。


 しかしここで話は終わらない。頭痛の種はまだ続く!



■2019.12.07 土曜日 「緊急指令:物置を破壊せよ!(その2)」

 常識ではありえない場所に回収不可能に近い置かれ方をした廃材。
 その様子がこれだ。

 

 倉庫の梁の至る所に、超々重量級の柱や梁の切れ端が
 こんな状態で大量に載っていた。
 常識的に考えれば高所に置くのは軽いもの、重いものは
 床面に、となるはずなのだが、この家の人間はどういうわけか
 重くて扱いに困るものをとにかくやたら高い場所へ詰め込む。
 物置の中2階、倉庫の2階、農機小屋の2階、その全てに
 重量級の廃材が山積みになっていた。
 僕の目には、明らかに知能に問題のある人間の行動にしか見えなかった。

 数週間悩みに悩み抜き、フォークリフトと脚立で少しずつ降ろせる可能性が
 あるかもしれない……という結論に至り、危険を覚悟で渋々作業に入った。
 これが失敗したらもう、自力で片付ける手段はなかった。

 

 何しろ階段もはしごもなく、脚立に登ってギリギリ手が届く高さだ。
 (安全上、脚立の最上段を使わない前提なのは言うまでもない)
 廃材の両端は屋根裏の梁に乗っているので、バランスを崩すと
 全部が一度に落下する危険もあり、巻き添えを食ったら大怪我間違いなし。
 命の危険も無いわけではない。
 毎日少しずつ……とはいっても、軽トラを満杯にするぐらいの量を
 毎日数回運び(!)1ヶ月ほどでなんとか片付けた。
 同時に、農機小屋と物置の2階の廃材も撤去できた。

 しかし廃材は木材だけに限らない。
 処分に困る大量の鉄くずが倉庫の隅々に放置されており
 これが頭痛の種になっていた。

 さらに次回へ続く。



■2019.12.03 火曜日 「緊急指令:物置を破壊せよ!(その1)」

 さて、前に予告した超大物の話。

 旧態依然の設備と格闘し、あるものは仕分けて片付け、
 あるものは廃棄、なんとか使えそうなものは大改修……
 そんなこんなで3年が過ぎようとしているのだが、
 設備が古いということは当然、それを収める建物も古くなっている。
 今回はそんな建物を1棟、解体することに成功した。

 倉庫と道路の間には、物置が建っていた。
 この物置、元々水平が狂ってる上に毎年の積雪で歪みが増し
 1年ほど前から傾き始めていた。
 一方、相方(妻)は新しい倉庫を建てる場所を探していた。
 利便性や設備の管理を考えると、物置を解体した跡地に
 倉庫を建てるのが良さそうだ、という話になった。
 そんな流れで、嫌々物置を解体する計画になってしまった。

 物置と言ってもホームセンターで売ってるイナバ物置みたいな
 小さな物ではなく、敷地面積で約42平米、中2階もある大きなものだ。
 その大きさにも圧倒されるが、中身の極悪ぶりにも圧倒される。
 物置というよりも、半ば廃棄物置場のような状態だった。

 重要な機材の一部はここが常置場所なので
 今まで嫌々仕方なく使っていたが、それ以外の収蔵品は
 ほぼ全てが廃品と廃材。
 まるでゴミ捨て場のような悪臭を放っていた。
 米ぬかと廃油と除草剤にネズミの糞と死骸を混ぜて、
 そこに盛大に黒カビを生やした、そんな臭いである。
 困ったことにいくら戸を開けて風を通しても、臭いが消えない。

 重要な機材の占有率はごくわずかで、倉庫と農機小屋を
 片付ければなんとか機材が格納できることは分かっていた。
 わざわざ物置を維持する必要はない。
 しかし裏を返せば、物置と倉庫と農機小屋を同時に片付け、
 三つの空き領域を把握しながら機材を移動させなければ
 物置の解体にたどりつけないことが分かってしまった。
 これが最大の難関だった。

 ところが難関はそれだけではなかった。
 倉庫には、常識ではありえない場所に回収不可能に近い置かれ方をした
 巨大な廃材が大量にあったのだ。

 次回に続く。



■2019.11.21 木曜日 「農業における可視化と数値化」

 本題に入る前にまずお知らせ。

 ヤフー親会社とLINEの経営統合が正式発表されたことを受け
 昨日、当茶房はYahoo IDの削除を行った。
 近年、ヤフーの利便性の低下により、IDを保持する必要がなくなったことと
 個人情報の保護・保全の強化が主な理由である。
 今後も当茶房は、利用価値のないサービスや安全性に疑問のあるアカウントは
 随時迅速に見直しを進めていく。

 * * * * *

 さて、本題である。
 数年前から、当農場の全工程を記録してマニュアル化する作業を進めている。
 農作業の無駄をなくし、効率を極限まで高めるのが狙いだ。
 先代も、前任者も(こいつは論外だが)作業工程を記録したり
 手順書を作ることには興味がなかったようだが
 基本的な作業は毎年同じなのだから、こういった手順書が
 あれば無駄や改善点を洗い出しながら余った思考リソースを
 他の作業に振り分けることができる。
 余計なことを考えずに農作業に集中できるという副産物も得られる。
 もちろん出来上がった手順書にも利用価値はあるが、実は作成中に
 気づく些細な問題点、これがものすごく重要な鍵となる。

 手順書は閑散期に少しずつ作り始めて、今は稲作の工程のほぼ半分で
 言語化と可視化が完了している。
 紙媒体にするにしろ、電子化するにしろ、作業工程を一旦全て書き起こして
 眺めることで、思わぬ利点や欠点、問題点が明らかになる。

 年間を通しての農作業の全体像が見えてくると、一年間でできる仕事の総量や
 自分の体力の限界が明確に把握できる。
 日々どういった運用をすれば自分の能力を最大に発揮できるか、
 連続作業で疲労を残さない速さはどの程度なのか、苦手な動作は何か。
 そこに季節ごとに異なる気象条件や日照時間を加味することで
 作業工程を変幻自在に設定できるようになる。
 ここはまとめて処理する、ここは分割した方がいい、ここは並列処理で
 効率を上げるなど、現場の状況判断だけではすぐ実行できない
 複雑な処理が可能になるのだ。

 それらの基礎になるのが、毎日の作業記録だ。
 記録をとっている最中は気づかなくても、後で見返すと思わぬ問題点や
 解決策が見えてくる。

 人の労力や思考力には限度があり、人海戦術に頼る時代は遠い昔に終わった。
 人手不足を嘆く前にまず無駄を省いて余裕を作るのが先決だ。
 この領域において、農業は大幅に遅れている。



■2019.11.13 水曜日

 

 これは先週の金曜日の写真。今季の初積雪である。
 東京暮らしが長かったせいか、雪景色を見るのが本当に苦痛だ。

 天気は一進一退という感じで、いきなり真冬の景色になったり、晩秋のような
 風景に戻ったりで、平年よりも根雪になるのが遅い。
 今は雪がすっかり溶けて、まるで関東の冬のような風景に戻っている。

 晩秋になると思い出されるのは、練馬の街で耳にする音の数々。
 環七の騒音。遠くに聞こえる焼き芋屋の声。
 大晦日になると、火の用心の声。
 ラーメン屋とか、餃子の移動販売なんかもあった。
 しかし我が家の外から聞こえるのは白鳥の間抜けな声と、エゾシカの雄叫びだけ。
 寂しい限りである。

 この集落では毎年恒例の断捨離祭りが始まったらしく、集積所のカゴが
 毎週ゴミ袋でいっぱいになっている。いい傾向だ。
 我が家でも超巨大なものをひとつ片付けたが、これについては後日
 少しずつ書いていこうと思う。



■2019.08.14 水曜日 「祭りの終焉」

 夏になると、田舎の小さな夏祭りや花火大会なんかを見物することがある。
 忙しい夏場の唯一の息抜きだ。

 そこで調子に乗って遊びまわる中高生を散見することがある。
 いわゆるクラスの人気者とか、グループの中心人物なのであろう。
 最近の表現で言うところの、リア充と呼ばれる部類の人間だ。

 でも、彼らがその後どうなってしまうのか、僕の目には大体見えている。
 学校生活で華々しい活躍を見せているからといって、その後も
 華々しい人生があるかと言うと実はその逆で、彼らの運気の山が
 今この時代にあるというだけでしかない。

 人生山あり谷あり、というのは、その運気の上下を指している。
 運気の上下は努力や精神論でどうにかすることはできない。
 悲しいかな未成年の乏しい知識ではそこまで予見することができず、
 運気の下り坂と共に挫折や転落の道を進むことになる。

 クラスの人気者がその後の同窓会で見るも無残な姿になっていたり、
 当時天才と呼ばれた少年少女が大学受験に失敗したりと、
 そんな驚愕の実例は非常に多い。
 逆に、当時地味で目立たなかった人が大都市圏へ進出して一定の成功を収めたり、
 そこからUターンして地元に反撃を仕掛ける実例も、これまた多い。

 傍若無人な振る舞いをする青少年を遠目に見ながら
 この集団の中で何人生き残るだろうか、こんな田舎から
 何人脱出できるだろうかと想像する。
 そして、こいつらの人生のピークはここで大体終わってしまい、
 田舎から一生出られないのだろうと、少し哀れな気持ちになる。

 まもなく、時間と運気の流れが彼らに非情な審判を下すだろう。
 祭りは終わり、長い冬が来る。



■2019.02.27 水曜日

 美しい風景、いい音楽、日々努力と向上を怠らない人からは
 いい空気が流れてくる。

 その逆もある。
 醜悪な風景、陳腐な音楽、人の陰口と噂話ばかりする人は
 常に淀んだ空気を纏っている。

 こいつと同じ空気を吸いたくねえ、って思うのは、気のせいではない。



■2019.02.13 水曜日 「美麗にして精緻な、面白おかしい完成予想図」

 他の人はどうなのか知らないが、僕のものづくりの手順はまず
 精密な設計図を作り込んで、それを基に加工を始める手法をとる。
 詳しい図面もなしに、頭の中の曖昧なイメージだけを頼りに
 完成形に持って行こうとしても、ろくなものはできない。

 とりあえず試作品を急いで作る時も、傍らで図面や寸法図を書きながら
 それに従って部品を加工している。
 だから加工にかかる時間が他の人よりちょっと長いかもしれないが
 完成度や耐久性は高い。
 原料が廃材のリサイクルだったり、予備の資材を調達する時間がないために
 後の微調整ですぐ完成品にするつもりで作る、という事情もあったりする。

 電子工作では回路図が最初に存在するが、単に電気的な接続を示しているだけで
 そこから実体配線図に展開して基板上に部品を並べたり、出来上がった基板を
 ケースに収めて綺麗にまとめるには、やはり完成形のデザインを事前に
 作らないと作業できない。
 一部の部品は試作が必要になり、ケース加工では採寸や作図が不可欠だ。

 これらのプロセスには、かつての製本職人の経験が生きている。

 印刷物を目的の形状に加工するには、依頼主からの指示書が要る。
 紙媒体の宿命で、一度加工に失敗すると絶対に修正ができない。
 紙代、インク代、時間、全てが無駄になる。
 だから製品の仕様が全て決定しない限り、絶対に機械を稼働させない。
 よく分からない部分は徹底して調べ上げる。
 依頼主や印刷屋の営業を質問攻めにすることも多々あった。

 そんな中で、同じ加工精度で個人的な工作をするのに
 指示書に相当するものが自分の中にあれば、仕事レベルと同等の
 高品質なものが失敗なく作れることに気づいた。
 そうやって、余った紙で市販品のような美しいメモ帳を大量生産して
 粗品がわりに配ったり、使わないノートを再加工してシステム手帳の
 リフィルを自作したり、そんなことも手がけるようになった。
 原料は廃棄待ちの紙と余った接着剤なので、会社からも
 何か言われるようなことはなく、心置きなく技術の向上に専念できた。

 詳細かつ精密な完成予想図と、完成予想図に寸分違わず加工する技術。
 これが製品の完成度を高める最大の鍵だということ。
 同時に、これらの考え方が他の分野においても極めて有効に働くことと
 精密にして詳細なイメージこそがあらゆる成功を引き寄せる鍵だと
 この時悟った。

 電子工作は製本屋以前から手がけてはいたが、完成度が今ひとつで
 素人臭さが抜けず、使い勝手もいまひとつだった。
 それが製本屋に勤めてからは完成度が劇的に向上し、市販品と
 見間違えるような外観と使い勝手になった。
 人間工学に照らし合わせ、実際に使う前提のデザインが描けるか。
 一旦紙に書き起こして検討しているか、いないか。
 その差が品質を大きく左右する。

 その後、まさか農業に参入するとは予想すらしていなかったが、
 製本屋で身につけた概念は強力な武器になった。
 鉄パイプでも塩ビ管でもベニヤ板でも、それこそ何でも自由自在に
 加工する基礎が身についていたのである。

 ものづくりだけに限らず、仕事の取り組みに関しても同じだった。
 出来上がりの明確なイメージや正確な最終目標が最初にあれば、
 途中の工程は後から勝手についてくるものだと知った。

 こういった話をするときにいつも思い出すのが、建物の完成予想図。
 建築パースともいう。
 建物とそれを取り巻く環境が精緻に美しく描かれている、それだけのイラストだ。
 そこには間違っても犬のフンやカラスの死体などは描かれていない。

 あれを単なる出来上がりのイメージだと思ってはいけない。
 自分の人生設計に関係する重要な答えが、そこにある。
 虹色かバラ色かは分からないが、楽しい人生の予想図は精緻で
 美麗であることが最重要で、犬のフンもカラスの死体も必要ない。
 しかしさらに重要なのは、いかにその緻密で美麗なイメージを
 結果が出るまで強く持ち続けるか。この一点に尽きる。

 長い時間と手間をかけた工程の途中には、製作者の意図が変化して
 本来の美麗な方向から外れてしまうことがある。
 人間の意図など簡単に変化してしまうものだ。
 人生を面白おかしく作っていく過程でこれが起きると、不幸な結果を招く。
 だから、常に自分の目につく場所に、美麗で面白おかしい人生の予想図が必要だ。
 ちょっと語弊があるかもしれないが、自分で自分を、本当になりたい自分へ
 洗脳していかないと、楽しい未来なんかやってこない。



■2019.02.07 木曜日 「『箱』:『棚』と『音』の原点」

 中学生の頃の話。
 学校の図書室に、それはあまりにもレベルの高すぎる本があるのを
 発見した。
 今思えばそれがオーディオ機器を自作しようと思うきっかけだった。

 その本は、スピーカーボックスの図面集と作例集。
 どう考えても中学生の頭では理解の難しいものばかりだ。
 ありがたいことに図書室担当の先生のご厚意で譲ってもらったものの
 今見ても複雑でちょっと理解しにくいところがある。

 そんな関係で、長岡鉄男の音響理論が好きであり、図面集も持っている。
 でもなかなか作る機会はなく、いつも眺めているだけだ。

 スピーカーボックスの要点はただひとつ。
 木の板を精密に切って箱を組み立て、密閉するということ。
 板の断面が直角であることは言うまでもないが、この直角が難しい。
 更に0.5mm単位での精密な切削が要求される。
 今でこそ手鋸でも必要十分の精度が出せるようにはなったが
 当時はそんなスキルもなく、工具だって両刃鋸と金槌しかなかったから
 組み立てには相当な集中力が必要で、どうやっても曲がる。
 真四角にはならない。
 しかも、図面通りに作っても狙い通りの音が出るかは分からない。
 不確定要素が多いのと、製作に時間がかかりすぎるので
 自分には向いてないかもしれないと思った。
 でも当時の資金や技術で音作りを自分でコントロールできるのは
 スピーカーの箱ぐらいしかなかった。
 だから、とにかくそこに集中した。

 箱作りに熱中していたのは中学3年の頃だった。
 時期が時期だけに当然、担任には文句を言われた。
 運悪く製作中の箱を家庭訪問で見られてしまったからだ。
 まあ、他の生徒とは明らかに違う、変な趣味の子供ぐらいにしか
 思われていなかったことは、なんとなく分かっていた。
 結局推薦枠をむしり取って無試験で高校に行ったので
 異端視されていた件は不問にしてやろうと思っている。

 電気的な細工で低音を出すのに凝っていたのもこの時期だった。
 すごく単純な回路で低音だけを抽出できて、これまたすごく簡単な
 増幅回路で低音だけを増幅すると、簡単にズンドコ言わせることができた。
 箱はそこそこの音が出ればいい。あとは電気的になんとかして音を膨らます。
 当時ようやく一般的になりつつあった、スーパーウーハーの概念だ。
 これは実父にひどく怒られたので、相当な重低音が出たのであろう。
 今考えると公営住宅の壁の薄い部屋でズンドコ言わせたら迷惑極まりない。

 しかし、その時悟った。
 自分は木工よりも電気的な何かの方が合っていると。
 アンプらしきものを作り始めるのはそれよりも5年ほど後のことになるが
 実はその原点はスピーカーの箱作りだったのだ。

 今は田舎の一軒家。色々やりたい放題だ。
 スピーカーの箱は組み立てキットで十分だけど、アンプは自分で作る。
 それも一風変わった変なものばかり。
 重低音を出す回路はそのうちまた作ろうと思っている。



■2019.02.04 月曜日 「 音 」

 前回の細長い棚を作るちょっと前の話だ。
 安いICを2個使って、オーディオアンプを作った。

 

 心臓部には新日本無線のNJM386Dが二つ。
 電源部にOSコンを1個ずつ奢るというプチ贅沢をして
 いつものプラケースに収めた。
 一時期流行した、LM386革命アンプというものだ。

 以前、東芝のTA7232Pを使ってアンプを作ったが
 輪郭が鮮明で押し出しの強めな音が得意な一方、
 空気感や奥行きの表現がやや苦手だった。
 テクノとかEDMとかダンス系とか、そういう方面には最高なんだけど
 ジャズのピアノトリオだと、なんだか耳が疲れる。

 今回のアンプは空気感や奥行きの表現が優れている。
 それでいて、音の分離が良く、音像や定位が明確だ。
 ライブ録音だと客席の音も相当細かい部分まで聞こえるし
 各楽器の配置や奥行きも正確に再現される。
 何より、耳が疲れない。

 どちらに優劣があるか、という話ではない。
 どちらにも得意な音があり、苦手な音がある。
 ジャンルによってアンプを使い分ける贅沢が
 これからずっと楽しめるということだ。





■2019.01.31 木曜日 「 棚 」

 倉庫を片付けていたら絶妙な厚さの単板が出てきたので
 細長い棚を2個作った。

 スピーカースタンド、というほど豪華な造りではない。
 まずは簡単な棚を作って音の変化を見ようと思った。

 

 この部屋はどういう訳か、スピーカーの音像や定位が
 きちんと定まらない。
 ニアフィールドだと音像がビシッと定まるのだが
 ちょっと離れると、どの楽器がどこで鳴っているか分からない。
 タイムドメインminiだとそこそこ音像が定まるので
 それで2年ぐらい使っていたけど、奥行きの表現に関しては
 ちょっと不満が残っていた。
 まだ何か問題があるんじゃないのか。そう思っていた。
 簡素なアンプと自作スピーカーでもきちんと鳴る環境が欲しかった。

 去年の暮れのこと。突如トイレで閃いた。
 音源を耳の高さまで持ち上げ、部屋の両隅に配置する
 イメージが降ってきた。
 そう。スピーカースタンドが必要だ。
 なんだかよく分からないが、これで解決できるような気がした。

 僕は倉庫の片付けをする一方、使える木材はないか探した。
 200mm幅の棚板が4枚、倉庫の2階から出てきた。
 ささっと手鋸で切って、コーススレッドで棚を組み立てた。

 さっそく試聴。
 出てくる音がまるっきり別物になった。
 点音源に近くなったことで、定位と奥行きが明確になった。
 一方で、部屋の反響が結構あることも分かった。
 2000Hzから4000Hzあたりに反響音のピークがあるらしい。

 とりあえず今回は音像や定位が改善したので、大成功だ。
 反響音の出所やその対策も大体の見当がついている。
 あともう一歩だ。



■2019.01.26 土曜日

 平成最後だかなんだか知らないけど、我が家は30年前に和暦を廃止した。

 確かにいろいろ楽しいことはあったよ。
 自分の中で重要な節目はこの時代に全部あったけど、世の中の出来事を
 見ていくと、こんなにひどい時代もないと思うね。
 本当に、ろくな時代じゃなかった。
 さようなら平成。

 新元号?
 いらねえよ、そんなもの。



■2019.01.20 日曜日 「趣味のもの、仕事のもの」

 かつて練馬に住んでいた頃、買い物に行くといえば決まって池袋西武で、
 本屋とCD屋と文具店、というのがお決まりのメニューだった。
 時々家電量販店や楽器店や雑貨屋にも行った。

 田舎に移住して8年。
 買い物に行く機会は激減した。
 本屋もCD屋も文具店もない。楽器店や雑貨屋なんか見たこともない。
 ヤマダ電機が閉店した後、ケーズデンキは新製品が高くなった。
 自宅から最寄りのコンビニまで5kmもある。

 ネット通販の利用頻度が増えた。
 たまに出かけるとホームセンターに立ち寄るのが習慣になった。
 仕事でも遊びでも一番よく利用する店だ。
 ジュンク堂書店やイルムスが懐かしいと思いつつ、ホーマックに行くという
 そんな日常である。

 練馬にいた頃も家の前にはホームセンターがあって、よく通っていた。
 当時は特殊な工具や部品を買うのに行くところ、というイメージがあって
 今ほど生活に近い存在ではなく、また商品知識もなかった。

 最近買ったのは、アーク溶接に使う溶接棒と、ガスバーナー。
 質実剛健を通り越して、もはや殺風景なラインナップである。
 これでも一応趣味の買い物なのだが、自営業ゆえの事情があって
 経費で計上できるか否かでレシートの扱いが変わる。
 僕の買うものは仕事でも使うものが多く、大抵は経費扱いになる。
 当然、溶接機を買ってもドリルを買っても怒られることはない。

 仕事のものでありながら趣味のもの。
 趣味のものでありながら仕事のもの。
 完全な趣味の買い物なのに、仕事で使えるのかそうでないのか、
 いつも考えなくてはならない。
 仕事と遊びの境界が曖昧になると、自分が何をしているのか曖昧になり
 精神的に不健全な状態になりかねない。

 趣味はあくまで趣味であり、純然たる遊びであってほしい。
 しかし、これがマンガの本とかアニメのDVDやフィギュアだったら
 単なる無駄遣いになってしまい、相方に何を言われるか分からない。
 どっちがいいかと言われればまだ経費で計上できる買い物の方が
 マシなのかもしれない。



■2019.01.09 水曜日 「近代化改修」

 

 溶接機の様子。全て最新型に入れ替えた。
 納入業者の都合でリョービのロゴがついているが、中身はSUZUKIDの
 IMAX 120(SIM-120)とArcury 120(SAY-120)である。
 IMAX 120は100Vと200Vの兼用機で、アダプターを介して両方に
 対応できるよう改造した。

 Arcury 120は初夏に使える状態になっていたが、
 IMAX 120のテストができたのは12月の中旬になってから。
 で、3mm厚のアングルの切れ端でテストしたのがこの結果。
 直流制御なのに、実に汚い仕上がりだ。

 

 単なるパワー不足のように見えるがそうではない。
 ひどい時はアングルの上で玉になってくっつかない。
 平面で超低速で炙れば何とか形になるが、それでもビードは
 きれいなカマボコ状になってくれない。
 これが垂直面になるともう無理。
 溶接棒から溶けた鉄の玉がただ落ちていくだけだった。

 

 外の風景を見て、重要な問題に気づいた。
 溶接時の適温は摂氏20度とされているが
 テスト時の気温は氷点下。
 つまり母材が冷えすぎて溶けない。
 平面で超低速で炙ると何とか形になるのはそういう理由だ。

 真冬の寒さがあったからこそ、アークの熱量だけでは
 母材が溶ける温度まで加熱できない現象を知った。
 溶接機と昇圧器の他にガスバーナーが必要だ。

 寒冷地で真冬に趣味で溶接する人などいないから
 ネット上にそういう話は載ってない。
 当然、検索してもわからない。
 Amazonでの溶接機のレビューにも、うまくいった、失敗した、という
 話はたくさん載っているが、電圧や溶接棒の太さだけでなく
 外気温と母材の厚さが分かれば解決できる事例も多いと気付いた。
 よほど厚手の素材でない限り、直流制御でアークが安定していれば
 あとは母材の温度次第、ということになる。
 場合によってはもう少し厚手の素材もいけるような気がする。
 面白くなってきた!

 
 これは今まで使ってた交流溶接機。
 重いし仕上がりは汚いし、どうしたものか。



■2019.01.04 金曜日

 世間がまだ正月の雰囲気にどっぷり浸かっているそんな中、
 僕は寒い倉庫で壊れた資材を修理していた。

 義務感で嫌々作業しているのではない。
 正月だろうがなんだろうが、何もせず、黙って時間が
 過ぎて行くのが我慢できなかった。

 毎年冬になると暇つぶしのように、倉庫で何かしらの作業をしている。
 ガラクタやゴミの片付けだったり、動噴のメンテナンスだったり、
 壊れた機材の修理だったり、内容は色々だ。
 でも、そのどれもが嫌々やっているのではない。

 暖房などない、北海道の真冬の倉庫。
 正直言って寒い。指先の感覚はすぐになくなる。
 足の裏は寒さで痛くなる。
 それでも、倉庫のガラクタを処分し、使えない資材を
 使える資材に改良していく過程にはたまらない快感がある。
 規格違いで使えない高圧ホースの継ぎ手を改修し、
 劣化して使えないブースターケーブルをばらして改修し、
 屋根裏に詰め込まれた廃材を引きずり下ろして仕分け、
 使えない木材は裏の林に捨てに行く。
 毎日ひとつでも、確実に修繕が進んで、環境は良くなる。
 夏場の作業効率は上がる。

 今、他の農家が何をしてるのかは知らないが、
 少なくとも農業に関する仕事はしていない。どうせ寝正月が関の山だ。
 しかし我が家は違う。
 毎年ここでハードウェアの改修を進めて、春先に備えている。

 年末年始だろうが、日曜祝日だろうが、関係ない。
 どれだけ豪華な料理があろうとも、どれだけ酒を飲もうとも、
 ガレージや工作室でものづくりに没頭できる時間の有難さに比べれば
 そんなものは大したことはない。
 寒くて指の感覚がなくても、他に理解してくれる人がいなくても、
 それでも、自分が今作る機材は当農場の主力になる。
 毎日小さくとも、何か一つでも作業が進めば、それで僕は十分だ。
 その晩は満足して眠れるだろう。
 近い未来、この小さな改修で劇的に作業環境が変わる、そう確信して。

 他の誰もが休んでいる時間、あるいはその時期に、何らかの改修をする。
 その工程の連続が、大きな価値と格差を生み出す。
 僕は、それを知っている。




■2018.12.24 月曜日

 先代の猫がこの世を去って、とうとう1年が過ぎてしまった。
 今も思い出すと悲しく、寂しい。
 それでも、悲しくて何も手につかないほどではなくなったから
 1年前よりいくらか落ち着いたのかもしれない。
 食べ物のうまいマズいが判別できるほどには回復しているようだ。

 遺骨は今も僕のデスクのそばに安置されている。
 深夜になり、ひとり原稿を書いていれば、思い出さないわけがない。

 どれだけ感謝しても足りないぐらいの大きな大きな幸せと
 面白おかしく楽しい思い出を置き土産にして
 先代はこの世を去っていった。

 今も毎日、寂しい思いをしながら、それでもなんとか暮らしている。

 生前、十分なお世話ができただろうか。
 もしかして、もっと長生きしたかったのではないだろうか。
 没後は十分な供養ができているだろうか。
 一日も早く毛皮を着替えて帰ってきてくれないだろうか。
 毎日毎日、そんなことばかり考えている。

 新たにお迎えした兄妹がいてくれるから、前ほど辛い思いはしていない、と
 思ってはいるのだが、いなくなってしまった先代の存在が
 それで埋められるわけではないし、そういう考え方は間違っている。
 先代がいなければこの兄妹をお迎えすることはなかったけど
 この兄妹は先代とは直接の関係はないし、当然ながらこの子らは
 先代のことは知らない。
 だから、子猫の兄妹に対し、どうやって接したらいいのか悩んでいる。
 いかに公平に無償の愛を与えられるか。日々楽しく過ごしてもらうか。
 ひたすら猫の喜ぶ顔だけを脳裏に描きながら、苦悩する。

 今はただ、先代が我が家を終の住処に選んでくれたことと
 最後まで我々夫婦にお世話をさせてくれたことに感謝するしかない。



■2018.12.21 金曜日

 二代目和風総本家、視聴中断。
 やっぱりダメだ。
 タイトルが似ているだけで中身が別物になってしまった。

 二代目って言うぐらいだし、最初から大きな違和感が生じるのは
 分かった上で我慢して見ていたが、自分の中で生じていたのは違和感じゃなくて
 質が低下したことによる耐え難い不快感だと気付いた。

 地井さんがいなくなり、ナレーションの麻生さんがいなくなり、
 MCの増田アナがいなくなった和風総本家に何の未練があるだろう。
 あと、真ん中に座ってる子供はいらない。

 今年10月、初代和風総本家の最終回を視聴した時に
 「本当にこれで終わってしまうのだろうか?」と疑問を抱いたが、
 本当にあれで終わってしまったのだと確信した。

 過去に遡って思うに、木曜の夜8時に「空から日本を見てみよう」、
 続いて9時に「和風総本家」、このラインナップが本当に好きで、毎週楽しみにしていた。
 ところが2011年に「空から日本を見てみよう」が放送終了。
 数年後にBSで復活するも、これも今年10月に不可解な放送終了を迎える。
 さらに遡ると、金曜の夜には「ポチたま」があったが、これも2010年に終了。
 その後BSで復活するが、旅人と旅犬の単なる旅番組になってしまった。

 いずれも共通するのは一定の人気がある長寿番組であり、丁寧に作り込まれた
 質の高い内容であることと、なんとも不可解な終わり方をしているということ。
 テレビ東京が抱える持病は治っていないどころか、悪化の一途を辿っている。

 テレビに取られる時間が減ったから良しとしなくてはならない。
 そう思う一方で、テレビで安心して見られる質の良いコンテンツが
 なくなることには漠然とした不安感を持っている。



■2018.12.19 水曜日 「番外編:デジタル断捨離祭り」

 このたび、長年使ってきたKDDIを解約することにした。
 色々文句を言いながらも、それでも愛着があったというか
 使い慣れたサービスが手放せなかったんだけど
 近年それらも廃止されたり、一部は縮小されたりと
 もはや我慢の限界に近づいていた。

 一番困ったのは、2016年の夏。
 ホームページ公開サービスをやめると言い出した時だ。
 サーバの癖が違うから他の会社を使うのはギリギリまで
 回避したかったのだが、そうも言っていられない。
 慌てて「かえる茶房」を移転させた。

 かつてはBlogのサーバもKDDIだった。
 今はSeesaaで農産課を更新してるけど、以前はKDDIの
 LOVELOGというサービスを使っていた。
 色々不満の多いサービスで僕は早々に引っ越したのだが
 数年前の廃止宣言で利用者は随分混乱したらしい。

 2016年以降、メールアドレスだけがKDDIという状態のまま
 1年ちょっと使ってきたのだが、それもサービス縮小で
 いくつかの便利な機能が使えなくなった。

 月々の出費は大した額ではなかったけど、その対象が徐々に
 不便なものになってくると、なんだかものすごい浪費を
 させられているような気がしてくる。
 相方もKDDIを解約すると言ってるし、いい機会だから
 僕も解約してしまおうと思った。

 これで、気になってることがひとつ片付いたし
 自分の中で大きな足枷が外れて軽くなったように思える。
 なんとなく未練のような気持ちがあるけど、今はこれが
 最良の判断なのだと確信する。

 まあ、これも一種の大掃除であり、冬の片付けの
 ひとつなのだろう。



■2018.12.15 土曜日 「毎年恒例、冬の断捨離祭り」

 前回の更新で「軽トラ2台分の廃材を捨ててきた」と書いた。
 数年前には軽トラ5台超のゴミを捨て、その他数々の廃棄物を
 家から追い出した。

 巨大なゴミ屋敷を掃討するのだから、毎回の排出量など
 そんなもんだろうと思っていたし、もっと極端な例が
 他に沢山あるだろうと思っていた。

 当然、片付けに関する指南書も沢山熟読しているし、
 掃除や片付けに関するサイトも毎日見ている。
 実のところ、他所様の過程や捨て方はよく見ていたのだが
 規模や量はさして重要ではないと思い
 今までほとんど見てなかった。

 改めて他所様の排出量を確認すると、そこで驚愕の事実が発覚。
 我が家のゴミ・ガラクタの排出量は極端に多かったのだ。
 時間単位での排出量も、総量も、格段に多かった。
 しかもまだ終わらない。
 探せば探すほど、毎回同じ量が出る。

 もしかすると自分はとんでもない大仕事に
 手をつけてしまったのではないだろうか?
 一瞬、そう思った。

 僕の性格上、一度着手したからには中断も撤退もありえない。
 作業を続ける限り必ずゴミの総量は減ると知っている。

 毎回同じような量が出るということは、作業のペースが
 落ちていない証だ。
 片付けるたび、必要な資材を探す時間が短くなるのだから
 不要物が減っているのは間違いない。

 面白いのが、毎年冬になると集積所に出るゴミの量が激増すること。
 我が家のゴミではない。他所様のゴミだ。
 他所様のゴミを観察するのは僕の趣味じゃないが、それらを見ると
 長年死蔵されたガラクタの数々であったことは間違いない。

 表紙が旧仮名遣いで右から左へ書かれた本の束を、
 バブルの時代に流行したダブルデッキのラジカセを、
 地デジ化に伴って用無しになったVHSのビデオデッキを、
 ここ数年、この集積所で沢山見てきた。

 僕はガラクタ整理を他の誰かに薦めたことはないし、そういったことに
 熱心に取り組んでる話も口外したことはない。
 毎年冬になると誰に命令されるでもなく、掃除と片付けをしてきただけだ。
 全てを知っているのは相方だけで、彼女もそれを口外したことはない。

 我が家のガラクタ整理は2016年に最初のピークを迎えるのだが
 それに連鎖するかのように隣近所で同時多発的にガラクタ整理が始まった。
 2017年も、今年も、落ち葉の舞う季節になるとゴミが増え始め
 集積所の三つのカゴがオーバーフローするのが恒例になった。
 収集日が近づくと、どうやってゴミを出そうか悩むぐらいだ。

 それが何を意味するのかは分からないし、説明しようがない。
 そこに現代の科学では解明できない何らかの力が働いて、僕らの意思が
 伝播したとしか言いようがない。
 しかし悪い傾向ではないことは間違いない。

 不要物が一掃され、光と風の通る清潔な場所に悪いものは寄り付かない。
 それが隣近所で同時多発的に発生している、この驚き。
 現時点で何もしていないのは、向かいに住む老夫婦だけ。
 二階の部屋に古本が山になっているのが道路から丸見えだ。

 僕は今日も、倉庫のガラクタと格闘している。
 昨日も倉庫の屋根裏から超重量級の廃材を降ろしてきたばかりだ。
 これから、廃材をバラして資材にする。

 この先、いいことも、悪いことも、あるだろう。
 それらに一喜一憂されることなく、粛々と片付けを進めて行く。
 この先、様々な場面で、廃材から蘇った資材の数々が僕を支えてくれるだろうし
 廃材から解放された清冽な空間が、邪悪な要素を退ける助けになるだろう。

 朝晩神仏に祈る暇があるなら、朝晩部屋を掃除しなさい。
 健康の心配をする暇があるなら、毎日筋トレしなさい。
 僕はそう断言する。

 掃除と片付けはまだまだ続く。



■2018.12.01 土曜日 「この倉庫は俺の領地とする!」

 わが農場の機材は、40年前から進化が止まっていた。
 先代亡き後からごく最近まで、義母が経営を引き継いでいたが、
 義母はお世辞にも頭のいい人とはいえず、壊れたまま放置された機械や
 整理されずに散らかった工具など、とても効率的な仕事など
 望めない環境であった。
 バカ義弟がいた時期は更に劣悪で、太さや長さの違うボルトやナットが
 ごちゃまぜになって箱詰めされたり、すり減って使えない部品を
 大量に箱詰めして工具棚に積み上げるなど、正気の沙汰とは思えない
 異常な行動に散々悩まされた。
 使える部品と廃品との仕分けにはその後1年半を費やしたが
 今も倉庫の屋根裏や物置の隅などに廃材が大量に押し込まれており
 毎年この時期になると大々的に片付けをしている。
 今日も軽トラ2台分の廃材を捨ててきたところだ。

 冷静になって考えると、義母もバカ義弟も精神疾患か脳の疾患があると思われる。
 再利用する明確な予定もないのにゴミや廃品を収集する行動には
 精神疾患か脳の病気のどちらかが関連していることは最近の研究でも明らかであり、
 都市部や住宅密集地で問題化している「ゴミ屋敷」の住人にもそれは当てはまる。
 それが社会通念上異常な状態なのを指摘しても、当の本人が狂っているので
 認識できないし納得しない。
 つまり、もともと指摘する意味がない。
 極めて冷酷な言い方になるが、そいつらをサルかカラスだと思って対処しないと
 時間と体力の無駄になる。

 倉庫の機材管理は僕の独断で行うことに決めた。
 逐一確認をとったり説得する時間があったら、黙って実行したほうがいい。
 どうせどこに何があるのか覚えていないから、物があってもなくても認識できない。
 だから、普段目につかない物置の奥や倉庫の屋根裏はやりやすい。

 それらと並行して、トラクターの修理と改造を進めた。
 電装系や冷却系、ボディの補強、壊れた部品の自作など、数え上げればきりがない。
 仕上がりはあくまで純正風なので改造に気づくことはない。

 冒頭で、「40年前から進化が止まっている」と書いたが、40年前の当農場には
 馬が飼われていたらしい。
 ジャガイモを掘る機械も馬が引いて使うものがあって、恐ろしいことに
 去年までそいつをトラクターに引かせていたから呆れてしまう。
 つまり、トラクターを操縦する人と後ろでイモ掘り機を操る人の二人が必要。
 省力化にならないのだ。
 めんどくさいので地中に刺さるパーツだけ分離して、サブソイラーの部品と
 コンパチになるよう改造した。
 これでジャガイモを掘り起こすのが一人でできる。
 ちょっと鉄骨を切って溶接するだけで、人手が減って快適になるのだ。

 溶接と言えば、その溶接機も40年前の骨董品を使っていた。
 これがまあデカくて重い上に使えないやつで、ド派手にスパッタが飛び散る上に
 仕上がりは最悪。
 200Vしか使えないし、薄板を溶接すると一瞬で穴が開く。
 腹が立ったのでインバータ式の直流溶接機と、薄板用に半自動溶接機を買い、
 100V用の昇圧機も買った。
 古い溶接機はそのうちどこかに捨てよう。

 自分の手で新しい現実を作り、バカを封じる仕組みを作り、自分が望む未来を作る。
 妻と猫と共に面白おかしく生きていける世界を作る。
 それが今の僕の野望であり、夢である。



■2018.11.21 水曜日 「枯れない花」

 IMG_2976s.jpg

 これは今年10月下旬の庭の様子。
 例年ならすっかり勢いがなくなって花の色もくすんでいる時期なのだが
 鮮やかな黄色の花が沢山咲いている。

 この花は近所の集会所の花壇に植えたものの残り。
 花を植えているのは義母である。
 なぜか毎年マリーゴールドが植えられているが、いつも花の数が増えないし
 9月の中旬を過ぎると葉っぱが黄緑になって勢いがなくなるのが気になっていた。

 去年から、除草剤を撒くときに尿素を混ぜる手法を試しているのだが
 その関係で使いかけの尿素の袋が倉庫にあった。
 本当は硫安が一番吸収効率がいいけど、硫安は高級品でもったいないので
 安くて手軽な尿素で代替して、ジョウロで撒いてみた。

 計算上、水10Lの場合、尿素は40g。
 硫安でも比率は同じ。
 重量換算で希釈率250倍だから、農作物の葉面散布には濃度が高い。
 一応肥料焼けを回避するため、この後水10Lを散布した。
 これをシーズン中3回ほど行った。

 結果がこの写真である。
 この花の追肥には効果絶大のようで、葉色が一気に濃くなり
 花の数が平年の3倍以上に増えた。
 しかも11月に初霜が降りるまで、生育は失速しなかった。

 綺麗な花を咲かせるには色々な手法があることは知っているし
 そのために色々な肥料も売られている。
 しかし、こんな簡単な方法で立派な花を育てることができる。
 基本的な理屈を知れば、花の世話はそんなに難しくない。

 その一方で、今まで花に適切な追肥をしていなかったことが
 明らかになった。
 この調子では集会所の花壇も無肥料で放ったらかしなんだろうな。
 僕は関係ないからどうでもいいけど、もったいないよね。



■2018.11.12 月曜日 「猫飼い Season 2」

 先代の猫を保護した頃、猫をお世話するのはこれが最初で最後になると思っていた。
 だから、可能な限り猫の意向を優先する生活を心がけていた。

 我が家にたどり着く前の先代猫は、それはそれは粗末な扱いを受けていた。
 当時、推定年齢13歳前後。残りの寿命を考える時期だ。
 せっかく来てくれたのだから、とにかく可愛がって、甘やかして、
 おいしくて健康にいいものを好きなだけ食べてもらおうと思った。
 夜中に削り節が欲しいと言われれば出すし、トイレについて来て欲しいと
 言われればついて行った。
 寝不足でも、疲れていても、猫さえ元気ならそれで楽しかった。幸せだった。

 それから3年と4か月後、猫はお星様になってしまった。
 クリスマスイブの夜明け前、フライングしたサンタのソリに乗って帰って行ったのだと
 僕は勝手に考えている。

 もっとお世話させてほしかった。
 もっともっと色々な話がしたかった。
 せっかく我が家に来て面白おかしく暮らしていたのに、これはあまりにも短すぎる。

 僕はクリスマスもサンタクロースも嫌いになった。
 今、もし空飛ぶトナカイやソリを見たら、絶対に撃墜する。

 猫のいない日々は、とにかく悲しく空しい日々だった。
 雪解けを迎え、春になり、どれだけ暖かい場所にいても、寒かった。
 でも、この先ずっとこれでいいと思っていたし、猫のいない生活に戻るのが
 当然の帰結だと考えていた。
 相方はそのことを大層不憫に思っていたらしい。

 新しい家族をお迎えしようという話になったのは、ごく自然な流れだったような気がする。
 先代猫はちょっと不思議な能力を持っていたので、彼の許しさえ得られればお迎えできるし、
 ダメだったら何らかの不可抗力が働くだろう。
 次もカメオタビーの子がいいと思った。

 実際、最初のお迎え候補のカメオタビーの時は、不可抗力が働いた。
 2日後にペットショップへ出向いたらなんと猫がいない。
 店員に聞くと、前日に売れてしまったという。
 何ヶ月も買い手がつかなかった子が来店前日に売れてしまう奇妙な偶然。
 お迎えすべきはその子ではないと妙な納得をして、僕と相方は店を後にした。

 次に機会が巡って来たのは5月。
 ペットショップにカメオタビーの子が来たのだが、この話も奇妙な方向へ脱線する。
 カメオの子にはシルバータビーの兄妹がいて、店員と相方との協議の末、なぜか2匹両方を
 お迎えする流れになってしまった。
 2匹も面倒見られるのか?と思ったが、相方は先代猫の介護で膨大なスキルを
 身につけていたし、たぶん何か大きな意味があるのだろうと思い、これを了承することにした。

 今、我が家で猫の兄妹が元気に暮らしているということは、先代猫のお許しが
 あってのこの結果であり、1匹ではなく2匹なのも何らかの意味があるのだろう。
 年齢的にも体力的にも、猫を全力でお世話できるのは本当にこれで最後になる。

 もう一度、全ては猫のためだけに。



■2018.11.01 木曜日 「史上最長の探し物、あるいはパズルの最後のピース」

 今期の更新再開は11月か……。
 かれこれ8年間この問題を考えているけど、農繁期の更新は極めて難しいと
 思い始めている。
 どこかに予想外の解決法があるかも知れないと思うけど。

 今期の稲作は初夏の悪天候に見舞われ、不作に終わった。
 天気には勝てなかったが、技術的には相当なレベルまで来ていることが確認できた。
 あの黄金の稲穂を見た瞬間、隣近所の稲作農家は相当に焦ったはずだ。


 稲は不作に終わったが、そんな中でも、嬉しい出来事がいくつもあった。
 今回はそのうちのひとつ目。
 90年代の末に耳にして以来、20年以上探し続けてきた楽曲が
 偶然にも仕事中に手がかりを得ることができ、無事に楽曲の入手まで
 たどり着いたのだ。

 それはアコースティックギターで演奏されるフュージョンかインストの楽曲。
 特異なのはギターの演奏者が2人いること。
 自分の記憶では1995年にJ-WAVEで初めて聞いたので、それ以前のリリースになる。
 その後2000年にもJ-WAVEで聞く機会があり、2回とも楽曲の問い合わせをしたが
 無情にも一切返答はなかった。
 余談だが、この一件で僕はJ-WAVEに対する評価を大幅に下方修正することとなる。

 アコギだからアール・クルーなのかと思っていたが、どうも曲調が違うし
 アドリブの癖があまりに違い過ぎていた。
 今ならSoundHoundという最終兵器があるが、肝心の音源がないので使えない。
 ただひたすら、どこかから音が聞こえてくるのを待つばかりだった。

 今年からトラクターの運転中のBGMにネットラジオを聞いているのだが
 そこであの楽曲の一部と、海外のジャズフェスの宣伝が流れたのである。
 その手の宣伝は大抵出演者の楽曲を使うと決まっているのだ。

 これは人生最後のチャンス、逃したら一生聴けないと確信した。
 僕は水田の真ん中でトラクターを停め、ジャズフェスのオフィシャルサイトを探し
 出演者を調べると、アコースティックギターが2本のグループが1組いるではないか。
 帰宅後、iTunesでそのグループの楽曲を片っ端から試聴すると……あった!
 1995年に聞いたオリジナルのバージョンだ!

 現在、2018年。
 検索開始から23年。
 これは自分史上最長である。
 当時20歳の青年は43歳になっていた。

 その楽曲は、いわばジグソーパズルの最後のピースだった。
 今まで探していた楽曲はこれで全て揃った。

 愛猫を亡くして打ちのめされたり、慣れない稲作に頭を悩ませる日々が続いていたが
 今回の一件で、暗い出来事はそう長く続かないことを思い出した。
 いつどんな時も望みを捨てるな。未来へ進め。そう猫に言われた気がした。

 嬉しい出来事はまだ続くのである。



■2018.02.20 火曜日

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 久しぶりに電子部品を発注した。
 前回の発注が2010年だから、実に8年ぶりになる。

 見ての通り、個人が発注する電子部品としてはかなり数量が多い。
 画像にあるのはごく一部で、この他に抵抗器やダイオードなど
 合計2000個以上の部品を仕入れている。
 当然金額も相当なものになるが、ここでそれを語るのは
 無粋というものである。

 前回買い置きした部品は最長4年分の備蓄を想定していた。
 当然、8年も過ぎれば不足や欠品ばかりになる。
 そのあたりはホームセンターで代替品を探したり
 百均で買ってきたものを分解して流用したり
 ひたすら努力の連続で何とか乗り切ってきた。

 部品の発注ができなかったのは経済的な理由もあるのだが
 それ以上に、我が家はここ3年近く混乱続きで、部品の選定や
 見積もりをする精神的余裕が一切なかった。
 2017年も冬になり、今期はようやく発注できるかと
 思っていた矢先、猫が亡くなってすっかり気力を失い
 そのまま5週間が過ぎてしまった。

 そんなある日。
 唐突に、脳裏でこんな声が聞こえた。

 「人間がいつまでもこんな有様では、猫が喜ばないよ」

 それは愛猫の訴えなのか、自分の心の声なのか。
 いずれにせよ、今のままではダメだ。なんとかせねばなるまい。
 そう思った。

 何をするにも気が重いし腰が重いのは仕方ない。
 しかし、飼い主が今よりも魅力的になれば
 猫だって毛皮を着替えて帰って来るかもしれない。
 あるいは、未来は既に存在していて、そこで猫が
 我々が来るのを待っている。
 猫のいる楽しい未来を再び選び取れるか否かは
 今一瞬の自分の感情で決まるかもしれない。

 ……そんな荒唐無稽でぶっ飛んだ妄想にたどり着いた時
 今こそ頑張って前に進もうと思った。
 何かを作れば前に進むのなら、何でも作ってやる。
 部品もケチらず沢山仕入れてやろう。

 そして、段ボール箱一杯の部品の山が届いた。

 未来をこの手で作り、1mmでも確実に前に進む。
 全ては猫のためだけに。
 それこそが自分の理念であり、自分に課せられた仕事だったはずだ。

 よし、行こう。未来で猫が待ってる。
 たぶん。



■2018.02.06 火曜日

 20年以上前のこと。
 今もこのことで相方にネタにされるのだが、中古の写真機を
 買い集めるのに没頭していた時期があった。
 一眼レフならボディ1台にレンズ3本もあればそれで十分なんだけど
 製本職人に転職して資金力が大幅アップした勢いで片っ端から
 買い集めるようになってしまった。
 物欲が物欲を呼んで翻弄され続ける、いわゆる「欲しい欲しい病」ってヤツだ。

 相方はその金額をネタにするが、今回の話はそっちではない。
 その時に経験した不思議な出来事があったのだ。

 今でもそうだが、僕は基本的に国内メーカーの
 中古のカメラが好きでよく買っていた。
 マニュアルフォーカスの比較的安いボディやレンズを買っては
 週末に写真を撮りに行く、そんな遊びをしていた。
 高級なものよりも、一風変わった癖のある機材を好んで使っていた。

 そんなものだから、欲しい機材もやっぱり変わったものが多い。
 高級だから買えないのではなく、流通量が少ないから入手できない。
 あれが欲しい、これが欲しいと考えながらカメラ屋に通う日々。

 不思議なことに、血眼になって欲しい欲しいと探し回ってるうちは
 希望のものが一切みつからない。
 そのうちすっかり諦めて、散歩ついでにカメラ屋を見に行くようになると
 欲しかった珍品が何故か安値で売られているのを見つけるようになった。

 もしかすると心の持ちようひとつで品物が集まったり離れたりするのだろうか?
 そんなぶっ飛んだ仮説を立てた僕は、「欲しいものリスト」なるメモ書きを作り
 そこに欲しいものを片っ端から書いていき、あとは何も考えないようにした。

 するとどうだろう。
 予期しないタイミングで、予想外の場所から欲しかったものを入手できるようになった。
 ネット上の知り合いからも「こんなカメラあるんだけど」って感じで
 欲しいものを譲ってもらったこともある。

 その時、あまり執着しない、固執しないことが結局近道になると気づいた。
 欲しいもののイメージを頭の片隅に置きつつ、それに執着しない。
 なおかつ気楽に探しまわる。
 そんなスタイルが僕の中で出来上がった。

 「欲しいものリスト」は「調達予定品リスト」と名を変えて電子化され
 今は携帯電話の中に入っている。
 農業資材の調達で余計なものを買わないようにするのが主な目的だが
 これが予想外の威力を発揮する。
 本来必要な資材が入手できない場合、すぐに同等の代用品が見つかったり
 別のものを加工して作るアイデアを思いついたりするのだ。
 カメラ集めをしていた頃はカメラが目的だったが、資材の調達は同じ機能と
 強度が出れば他のものでもいいので、代用品やアイデアを思いつくのは
 理に叶っている。
 変に固執しなければすぐ目的は達成される、ということだ。

 やりたいこととか、なりたい自分の姿とか、願望なんかをノートや手帳に
 書いておいて、一旦忘れる。
 気がつくとそれらの内容が実現しているという、そういうメソッドもある。
 今回の話題からはちょっと脱線するが、基本的なところはよく似ている。

 一旦思いや願望を手放し、心を軽く保ち、気楽に気長に行動しているうちに
 予想外の形で実現されること、実は結構あるんじゃないだろうか。



■2018.01.29 月曜日

 猫を亡くしてから5週間。
 自分の中では12月24日で時間が停まったままだ。
 毎晩酒を飲みまくって猫の話ばかりしているので、相方に嫌われていないかと
 それだけが気がかりだ。

 世間では1月も10日を過ぎると仕事始めとなるようで、出入りの資材屋さんが
 年始の挨拶と納品に来ていたのを思い出す。
 ああ、そうなのか。黙っていても時間は流れてゆくのだなあ。
 ぼんやりと、そんなことを考えてみたりする。

 先週までは創作意欲が一切湧かず、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。
 とりあえず遺品整理だけはやっておこうかと思い、愛用していた猫ベッドや
 爪とぎなどを僕の読書部屋にまとめ、そこで気力が尽きた。

 猫部屋には定点カメラがあって、その録画が残っているのを見つけた。
 猫と人間が動いているのを淡々と記録する、ただそれだけの動画。
 何の演出もないその動画には、何もない日常の幸せが記録されていた。
 気力がなくても機械的な単純作業なら何とかやれるだろう。
 そう思った僕は、録画から猫の映像だけを抜き出して保存した。
 4週間、ただそれだけを繰り返す毎日だった。

 その後、携帯電話の猫画像を全部バックアップしてフォルダにまとめ
 写真を印刷したり祭壇を作ったり、気がつけば5週間が過ぎた。

 いつまでもうつむいてばかりでは何もいいことはない、と思うのだけど
 地面を見ても空を見ても、思い出すのは猫のことばかり。

 何を見ても寂しいし、辛いのは変わらない。
 青い空に向かって「もう一度会いたい」と願っても、それは叶うことはない。

 おそらく当分の間はこんな調子で生きていくだろう。
 たぶん新しいことを手がける余裕はないだろうし、実際そんな気力も湧かない。
 今季は亡くなった家族を偲ぶ時間をできる限り作って自分の気持ちに向き合い、
 愚直に淡々と生きて行こうと思う。



■2018.01.03 水曜日

 

 24日に愛猫が永眠した。
 享年、15歳か16歳(推定)。
 アメリカンショートヘアの平均余命は13歳から14歳だというから
 ウチの猫は長生きと言えるのかも知れない。

 当初、元飼い主から預けられた先から脱走してきた、と思っていたのだが
 その後すぐに判明したのが、実は劣悪な預け先から逃げてきて、我が家に
 救助を求めてきたという事実であった。
 それはいわば亡命してきた難民。
 僕ら夫婦は難民を保護し、何不自由なく余生を過ごせる家を用意した。
 2014年の晩夏のことである。

 ここ2年ほどは毎日の投薬が欠かせず、高齢であったことも考えると
 やはり15歳か16歳という年齢はよく頑張った方なのだろう。
 2017年の秋頃からは体調を崩しがちで、病院に通ったり薬を飲ませたり
 相方(妻)は大変苦労していた。

 一方、かかりつけの獣医も苦労していた。
 今までの患畜で見たことのない症例で、どうすれば症状を抑制できるのか
 知識と経験の限りを尽くして答えを見出そうとした。
 もしあの時最適な治療方針が見つからなかったら、猫の命は
 2年短かっただろう。

 高齢であるということは、残された時間が多くはないということ。
 最期のことはいつも頭の片隅にあった。
 猫の体調が良く、熟睡する姿を見るのが何よりの幸せだった。
 何もない普通の毎日がとても貴重だった。

 最後まで面倒見るから、元気で長生きしよう。
 それが、猫との大事な約束だった。

 猫は長生きした。
 僕ら夫婦は最後まで一切手を抜くことなく、全力でお世話させて頂いた。
 共に約束は果たされた、と確信している。


 今はただ、とても寂しい。
 相方も寂しい思いをしている。
 あれから一週間経つが、とても立ち直れそうにない。

 二人で最期を看取り、火葬前の最後のお別れを済ませ、
 自分の手で骨を拾ってもなお、実感はない。
 いつものようにその辺にいるような気がする。

 世の中の「大人」と呼ばれる人々は往々にして、悲しい出来事や大きな喪失感に
 見舞われたりすると、大丈夫なふりをしたがるし、実際そうする人が多いけど
 本当は大丈夫なふりをしてはいけないと悟った。

 もし大丈夫なふりをして自分の気持ちにフタをすると、その気持ちは膨張を続け
 いつか爆発して取り返しのつかないことになる。
 そうなった時、本人も回りの人もどうなってしまうか分からない。
 更なる悲しい出来事や大きな喪失を招くこともありうる。

 そう。
 寂しいと感じる自分を認め、時間をかけて少しずつ折り合いをつけていくしかない。
 もしこれが一人だったら到底耐えられないが、二人ならきっとなんとかなる。

 僕ら夫婦は猫を自分の子供だと思って面倒を見てきた。
 寂しくてどうしようもないのは、これまで掛けてきた愛情の大きさを示しているから。
 だから、今の自分の気持ちに大きな誇りをもって生きていこうと思う。




 できることならば、もっと早く出会いたかったし、もっと長く一緒に暮らしたかった。





■2017.12.10 日曜日 「いつまでも、あると思うな」

 北海道に移住して早6年。
 地元のラジオ局がろくな番組を作らないので、相変わらず東京のFM局をよく聴いている。
 2014年からインターFMを聴くことが多いのだが、そこで楽しみにしていた
 番組のひとつが10月で終わってしまった。

 今年はトマトの管理があまりできず、稲刈りの最中はコンバインの騒音がひどいので
 ラジオを聴くことができなかった。
 11月になってタイムテーブルを見たら、番組がなくなっていた。

 忙しいのを理由にラジオを聴かなかった訳ではない。
 慣れない機械の操縦や騒音の問題など、どうにもならない事情があって
 じっくり聴く機会が得られなかったのだ。

 テレビやラジオに限らず、いつも楽しみにしている物事があるのなら
 たとえ一瞬であれ、それに中途半端に取り組むのはやめたほうがいい。絶対後悔する。
 それが遊びや趣味なら尚更、中途半端は許されない。

 もしその物事が永久に存在すると思うならば、それは幻想だ。
 全ては有限であり、いずれ必ず終わりが来る。
 今楽しめるものは今こそ十分に満喫しておかないと、この先もまた同じ思いをすることになる。



■2017.11.25 土曜日

 前回の更新から数日ほど、あれも作りたい、これも作りたいと悶々としていたら
 きちんと休暇を取っていなかったのを思い出し、思い切って休むことにした。
 農家の悪い癖で、僅かでも暇ができると無意味に焦ってしまうのだが
 疲れが溜まっていては思うような創作は出来ない。

 振り返ると今季は2月下旬からかれこれ8か月以上、ずっと休みなしの生活だった。
 休みがないだけでなく、時間的な余裕も精神的な余裕もなかった。
 大きな事故もなく(細かいのは色々あるけど)よくぞここまでやってこれたものだと
 我ながら感心する。

 確かにあらゆる意味で大変だったけど、去年の暮れよりはずっとマシだった。
 バカ義弟のせいで農協や役場や法務局へ出かけなくてはならず、一日たりとも
 気の休まる日がなかったのだから。
 2016年はまさに戦争としか言いようのない一年間だった。

 だから今、何もしない、何も起こらない一日がある幸せが、身に染みる。
 恐らくは平和というのはこういうことを言うのだろう。

 今日は何をしようか、何を作ろうかと考えつつ、結局何もしないまま一日が終わる。
 遅い昼食をとったら昼寝して、起きたらもう夜。
 そんな日を、2日ほど満喫させてもらった。
 いいなあ、幸せだなあ。
 心からそう思える。

 明日のことは明日になってみないと分からない。
 この身が明日も健康であるかどうか、保証はない。
 ただ、今この時だけは平和で幸せだ。
 これだけは間違いない。



■2017.11.20 月曜日

 ようやく、更新再開。

 一昨日から雪が降り始め、外は真っ白。
 当地ではそろそろ本格的な冬に入ろうとしている。

 例年通りだと閑散期に入る10月頃から更新再開、となる予定なのだが
 その後も掃除に片付け、シーズン中に壊した機材の修理など
 雑多な予定が続き、気がついたら11月も下旬になってしまった。

 今年の冬は趣味の工作を満喫しようと、雪の降る前からせっせと材料を運び入れて
 倉庫や作業場も十分なスペースを作った。
 しかし、仕事がらみの工作が一向に片付かないのでちょっとストレスが溜まっている。
 今日も夕方まで倉庫で乾燥機の修理。なかなかうまくいかない。
 そうこうしているうちに相方が「リビングに小さい壁掛けのテレビが欲しい」と
 言い出し、外付けのチューナーと小型の液晶モニターがあったなぁ、などと考え始め
 念願の趣味の工作がますます遠のく。
 まあ、壁掛けミニテレビは前々から考えてはいたんだけど。


 そういえば、間接照明や電飾を作りたくて部品を買い集めていたのを思い出す。
 去年はバカ義弟のせいで何も出来なかったから、今年は色々やろう。



■2017.03.03 金曜日 「心の柱をリフォームで構築した話」

 ここ数日、強い南風が続いている。気温も高い。
 雪が湿って飛距離が出ないので、除雪はお休みしている。

 リフォームの済んだ狭い方の部屋では、毎日アンプやスピーカーを
 取っ替え引っ替えしながら音楽を満喫しているのだが
 この部屋はなかなかのクセモノらしく、どうやってもセッティングが決まらない。
 こういう試行錯誤が最高に面白い。

 とにかく生活感のない、モデルルームのような部屋。
 昼も夜も静かで、音楽と読書に集中できる環境。
 そんな部屋を大規模なリフォームによって構築することができた。

 もっとも、当面は隣の仕事部屋でステッカー貼りの内職があるから
 読書と音楽に没頭する機会はないんだけど、内職の合間に部屋を覗いては
 充足感に浸るのが最近の大きな楽しみである。

 この部屋には東京で買い集めた椅子や照明器具が置かれていて
 その周辺からいつも東京の空気と雰囲気が放たれている。
 何処へ行っても自分を見失うな、田舎の雰囲気に染まるなよ、と言われているようで
 深く落ち着きながらも自分を鋭く律する、理想的な場所になったと愚考している。

 どうか末永く、この部屋が自分の「心の柱」であってほしいと思う。



■2017.03.02 木曜日 「汚部屋絨毯爆撃&ビフォーアフター」

 一か月ほど前のことだが、義弟が失踪した。
 ここ数回の雑記で「頭のおかしな住人」と表現しているのは、義弟のことだ。

 実はいずれ失踪するであろうことは一年前に既に分かっており、
 度重なる説得にも一切応じなかったので放置することにした。
 彼は自分の意志で出て行ったのだが、事実上の放逐である。
 もはや死んでも帰ってこないし、もはや帰ってくる場所はない。

 義弟が占拠していた部屋は徹底的な片付けと清掃を経て
 半月に及ぶ工期と莫大な資材の投入により、リフォームが完了した。
 広い部屋は相方の仕事部屋、狭い方の部屋は僕の読書部屋になった。

 ここでようやく遅い冬休みがやってくるかと思いきや、野菜類の種まきや芽出しが
 始まり、野菜苗のハウスや稲ハウスの除雪が始まり、夜になれば梱包資材にステッカーを
 貼る内職仕事をしたり、休む暇がない。
 一昨年、去年に続き、今年の冬も休みなしのようだ。

 さて、僕が野菜苗のハウスだけでなく、稲ハウスの除雪をしている。
 ここに違和感を持った人は目の付け所が鋭い。
 つまり、我々施設栽培専従班は今季からトマトと稲作を兼業するということだ。
 野菜稲作兼業班に変更である。

 「トマト作れるんだったら、コメも作れると思いますよ」
  出入りの資材屋さんはそう話す。
 理論上は可能であることは分かっているけど、他の誰かにそう言われたら
 更に可能性は高くなる。
 いや、可能性の領域ではなく、既に可能なんだと言える。
 義弟にできることで僕にできないことなど、ないのだから。



■2017.02.03 金曜日 「整理整頓、そして創意工夫へ」

 前にも書いたような気がするが、資材の在庫を正しく把握することは
 農家の基本である。
 いや、個人事業主だったら誰でも基本中の基本だろう。
 種別、数量、置き場所がすぐ分かるのは当たり前。
 工具が規格別に並んでいるのも当たり前。
 しかし、今まで我が家の倉庫ではそれらが全くできていなかった。

 何処に何があるのか分からない。
 ネジの種類がバラバラで仕分けされていない。
 消耗品の残量と数量が分からない。
 そこに置いてあるものが使えるのか使えないのか、ゴミなのか資材なのか
 一見しただけでは全く分からない。
 とにかく筆舌に尽くし難い状況であったというしかない。

 不具合を抱え、使われずに放置された機械類もあった。
 草刈り機、灌水用のエンジンポンプ、バッテリーの充電器、電動丸鋸などなど。
 草刈り機はどうやってもエンジンが掛からないとのことだったが、エアフィルターを換え
 排気管を掃除して、シリンダー内を溶剤で洗浄したら直った。単なる整備不良だった。
 電動丸鋸はモーターが回らず、カーボンブラシを換えても動かないという
 話だったが、調べてみると何のことは無い、前に修理したACケーブルがほどけて
 いただけであった。
 以前断線したところを適当にネジってテープで留めてあったのがバラけてしまい
 再び断線してしまったのだ。
 通電してないのにブラシを換えても意味はない。

 エンジンポンプと充電器はちょっと整備するだけですぐ起動した。
 これも整備不良であった。

 消耗品は一旦並べ直し、見ただけで残量が分かるようなレイアウトに変更。
 ネジ類は一個ずつ仕分けてパーツボックスに収め、これも見ただけで分かるように
 配置し直した。
 規格の古すぎるネジは仕分けのついでに廃棄。

 機械類と消耗品の管理者は件の「頭のおかしな住人」で、不具合や故障箇所の
 特定ができなかった。
 それが、全ての事の顛末である。
 しかしこの程度、さほど難しい作業ではない。順番にやれば中学生でも何とかなる。
 ネジの仕分けに至っては小学生でも楽勝のレベルだ。
 知能が低いとこれほど簡単な問題すら解決できないらしい。

 かつて製本屋に就職した頃もそうだったが、作業場で不調のまま放置される機械や
 散逸する資材の数々を見過ごすことができない、そういう性分だった。
 僕の目には、それ自体が常に何らかの損を生み出しているように見えた。
 だから、放置することができなかった。

 機械の不調を直し、使いにくいものは改良し、作業効率を上げることで
 作業時間は短くなり、人間の負担は減り、そこに新たなアイデアを生み出す余裕ができる。
 新たなアイデアがあれば更に改良を進め、更に効率を高めていくことができる。
 何か問題が起きたときも、ネジ一本単位で在庫が分かっていればすぐ修理でき
 繁忙期のタイムラグやチャンスロスを極限まで短縮できる。
 それが、「創意工夫」という言葉の真意であり、神髄である。

 全ては時間短縮、負担軽減、利益の向上のため。
 必要とあらばネジ一個、ヒモ一本でさえも、倉庫から瞬時に探し出し
 可能な限り迅速に供給する体制を作る。
 壊れたもの、不具合を抱えるものは可能な限り完璧な状態へ、あるいは
 シーズン中に故障しないよう整備する。

 それを、これからの我が家の常識にするのだ。



■2017.01.30 月曜日 「母屋掃討作戦」

 前回の続き。

 12月一杯を費やし、物置と倉庫の片付けをほぼ完了して
 次に着手するのが母屋である。
 詳しいことはまだ公表できないが、先週末に住人が一人減ったので
 その部屋に全力で進攻した。

 とにかくまあ、頭のおかしな奴で、こいつのせいで一年間気の休まることが無く
 仕事の引き継ぎすら満足にできず、年末年始も一切休養が取れなかった。
 白髪は増え、胃が痛み、血圧は上がり……まあとにかく、思い出すだけで
 腹が立って腹が立って腹が立って仕方が無いので、衣服や持ち物や家財道具や
 とにかく全てを廃棄することに決めた。
 あらゆる痕跡を消して一切思い出さないようにしないと、ストレスが減らない。
 相方と二人で散々文句を言いながら部屋を集中攻撃した。
 布団を切り刻み、衣服を圧縮してゴミ袋に詰めまくり、ゴミの日に出した。
 家具はバラバラに砕き、裏の林に捨てに行った。
 徹底的に掃除機を掛け、窓や廊下を隅々まで水拭きし、空気清浄機を設置して
 24時間作動させた。

 部屋の中にあったのはほぼ全てがゴミだった。
 軽トラ1台にすし詰めで山積み。
 今までは大量のゴミが出るたびに達成感があったのだが、今回はあまりの量の多さに
 呆れてものが言えなかった。

 12月までの物置倉庫掃討作戦では、最終的に軽トラ4台を満杯にするほどの
 ガラクタを排出し、洗面器3杯超のネズミの糞、みかん箱10箱に相当するホコリやゴミ、
 更にみかん箱5箱超に相当する廃材、みかん箱2箱半に相当する鉄くず、古い畳8枚、
 廃油140Lを片付けることに成功した。

 しかし、母屋にはまだ片付けなくてはならない部屋がいくつも残っている。
 利用率の低い部屋は当然物置になり、そこに置かれる家財も利用率が低い。
 修繕しなくてはならない箇所もある。
 物置と倉庫は整理が進むと新たに不要物が発見され、それらを片付ける作業に
 追われている。こちらもまだ終わってはいないのだ。

 それよりも問題なのは、我々夫婦の自室の片付けをする時間がないこと。
 どこかで見切りをつけて自室の片付けに移行したいのだが……。



■2016.12.09 金曜日 「物置・倉庫掃討作戦」

 サイトの移転が完了。
 どこかに不備があるかも知れないが、とりあえず移転完了ということにする。

 いつもならば晩秋か初冬には更新再開となるはずなのだが、諸般の事情により
 原稿を書く時間すら確保できず、机の前で沈思黙考する時間さえも確保できず
 毎日毎日煩雑なデスクワークに追われている。
 色々な縛りがあって、まだ詳しいことが公表できない。
 いずれ時期が来たらここで書くことになるだろうから、どうか気長に待っていてほしい。

 …………

 さて、例によって例の如く、農閑期の片付けと掃除に突入している。
 今までは母屋の中だけに限定していたが、今季からは物置と倉庫全体に範囲を広げ
 聞き取り調査と並行しながら大々的に作業を進めている。

 今回の物置・倉庫掃討作戦は前述の「諸般の事情」が全ての発端ではあるのだが、
 過去30年以上手つかずのままゴミと化した資材を廃棄し、見通しの良い環境を
 迅速に構築できるのは、自分しかいない。
 相方の熱心な説得の効果もあり、義母はガラクタ処分を容認しやすい雰囲気に
 なっている。やるなら今だ。

 ここ1か月間で既に軽トラ2台分の廃材を処分し、洗面器1杯分のネズミの糞を片付け
 全ての資材の置き場所をほぼ把握できた。
 敷地に放置され伸び放題になった雑木も、今年ようやく切り倒した。

 片付けが進む中で判明したのは、資材の棚の利用率が極端に低いことだった。
 広く大きな棚が何段もあり、奥までぎっしり荷物が載っているのに
 実際に使われている資材は棚の最前列に並ぶものだけ。
 棚の後ろに載っていたのは全部ゴミとガラクタだったのだ。

 そこで、資材を最前列だけに隙間を空けて並べ、奥は採光のために物を置かないことにした。
 壁は半透明の素材で外光をよく通し、資材棚が格段に見やすくなる。





 ……っていうか、なんでゴミばっかり溜めてるんだろうねー、この家は。
 呆れてものが言えないよ。
 これじゃ幸せもお金も寄り付かないね。


 次回に続く。




■2016.10.09 日曜日 「かえる茶房、移転開始」

 8月の下旬のことだ。
 KDDIからメールが来た。
 ホームページ公開代理サービスが終了するという予告であった。

 「かえる茶房」はKDDIのホームページ公開代理サービスを利用している。
 サービス終了でこのアドレスが使えなくなり、茶房は閲覧できなくなってしまう。
 早く移転先を探さないといけないのだ。

 BlogやSNSが全盛の昨今、HTMLで書いてFTPで更新する人が
 少なくなってるのは分かるけど、サービス終了させるほど需要が無いとは思えない。
 何しろ軽いし速いし表示がシンプルだし、サーバと手元に同じデータがあるから
 バックアップの心配も無い。
 少なくとも我が家は、この仕組みが無いと本当に困るのだ。

 さて面倒なことになった。
 とはいえ、全く何も考えていなかった訳ではない。
 古くからあるサービスや、便利だけどコストの掛かるサービスを縮小しようと
 する動きがあることは、既に2009年頃には気付いていた。  初契約からかれこれ17年である。
 長いことKDDIを利用していれば察知できることだ。
 最近何だか調子に乗ってるな、と思ったら、こういうことをする。
 そういう企業だ。
 しかもサポートセンターの応対が悪く、その横柄な態度に散々悩まされてきた。

 一方、こちらもKDDIの利用は段階的に縮小する方針を採ってきた。
 北海道に来てからは専らNTTぷららのお世話になっているので
 今が乗り換えの好機なのかも知れないと考えている。

 この話を書いてて思い出したが、auユーザ向けの「じぶん銀行」の優待を
 終了させる話が出たのは7月末か8月上旬のことだった。
 時期が近いだけに、全く関係がないとは言いがたい。
 数年前、Blogサービスを終了させて利用者を少なからず混乱させた記憶も
 新しいだけに、この先KDDIは要注意なのかな、と思う。
 長く利用してきた者にとっては寂しいことだけど。

 そんな訳で現在、移転作業と全ページの動作確認を進めている。
 正式発表までもう少し待っていてほしい。



■2016.10.08 土曜日

 気がつくと10月になってしまっていた。
 2月に勃発した面倒な問題は進展がなく、未解決のままだ。
 それだけではなく、仕事の取引先では運営上の問題が表面化し
 知り合いのところではこの先家業が続けられるかどうかの瀬戸際に立たされている。

 我々の周辺が、大きな変革の時期に来ているのは確かなようだ。

 ミニトマトに関しては何とか損益分岐点を超えそうなところまで来た。
 相変わらず農協の反応は冷淡なものだが、個人の顧客が着々と増えてきており
 直売所での売り上げも順調に伸びている。
 地元自治体からも依頼が来ており、来年度は黒字転換が達成できるだろう。

 僕はかねてから規模の縮小と収益の増大は高次のバランスで両立可能だと考えてきた。
 規模を拡大しないと成り立たないビジネスモデルには重大な欠陥がある。

 厳しいことを言えば、農協は農業の専門家ではない。
 地域の農家や酪農家が抱える問題を把握する能力もない。
 高額な手数料で農家の利益を極限まで吸い上げようとするのが農協の本質であり
 現状では可能な限り距離を置き、可能な限り速やかに離脱するのが最善だ。

 そもそも、自分が生産したものの価値を自分で決められない現状に大きな問題がある。
 付加価値を高めて多様な納入先を確保することで収益の増大を目指すのが
 今後の農家の定石になる。

 農家の定義は、農産物を作って売って生計を立てている人のこと。それだけだ。
 農地があるか無いか、農協の組合員であるか否かは全く関係がない。



■2016.03.22 火曜日 「激怒!」

 本来ならまだ更新が停滞する時期ではないのだが
 色々と面倒な問題が持ち上がり、それに忙殺されている。
 書きたいことは山のようにあるのにそれに集中できず、時間が確保できない。

 これにはものすごく複雑な事情があって、一切の詳細を書くことができない。
 更新を待っている人に申し訳ないというよりも
 執筆したいと念願する自分自身に申し訳ないと思ってしまう。
 解決の進まない問題にジリジリ、イライラしながら
 農作業に集中しなくてはならず、夜も熟睡できない。
 もっとも農作業だって十分集中できている訳ではなく
 常に心配事を抱えながらの不安定な状態だ。

 諸悪の根源が誰なのかは既に分かっており、我慢できないほど頭に来ている。
 耳から血が出るほど激怒していると言っていい。
 仕事もプライベートもこれから面白くなろうかという
 このタイミングで邪魔が入る。
 我々の仕事の邪魔をするということは、半殺しにされても文句を言わないということ。
 いや、文句を言っても容赦なく半殺しにするけど。

 相方は知らないが、僕はものすごく気が短い。
 なおかつ、僕の家系は一切の屁理屈を嫌う。
 父からは、地域の安定を乱し、つまらない理屈をこねて調子に乗る者があれば
 即座に鉄拳制裁を下して全てを破壊すべし、と教わっている。
 まともな議論の通じない者に対する最終手段だ。

 該当者においては、今のところ生かされているだけでも奇跡だと認識するべきだ。
 もう一度言う。僕は気が短い。



■2016.02.19 金曜日 「他者と自分と自分自身、そして『作ること』について 1984 - 2016」


 ……ウチらの時代、子供は大抵マンガ読んで育ったでしょ。
 コロコロコミックとかコミックボンボンとか、そういうのがあったな。
 少し大きくなると少年ジャンプ。
 そういう時代、何故か自分は学研の「学習」と「科学」。
 少し大きくなると「初歩のラジオ」を読んでた。
 自分にとって「人生の教科書」ともいうべき雑誌で、これがなかったら
 人生どうなってたか分からない。

 学習も科学もなくなっちゃったね。
 初歩のラジオは誠文堂新光社が出してた電子工作の入門誌。
 これもなくなっちゃった。
 いい本だったんだけど。勿体ないね。
 「カネで買えない物やこの世に存在しない物は作ることができる」という選択肢を
 この3冊から学んだ。
 実際に満足のいくものを作れるようになるまでには、そこから十数年掛かったけど……。

 人と同じものに興味がなかった訳じゃないよ。
 友達が見てたコロコロとかボンボンとか読んだことがあるけど、面白くなかった。
 なんていうか、無駄に金ばかり掛かる幅の狭い遊びしか得られないと思ったんだな。
 与えられたオモチャを決められた約束事でしか遊べないなんて、つまらないよ。
 好きなように改造して好きなように遊べばいいじゃないかって思った。
 多分、子供の遊びの世界に商業主義を持ち込まれるのに、心が強烈に反発したんだと思うよ。
 あるいは大人の経済戦争に子供を巻き込む汚さに反応したのか。
 あの頃から自分には「うさんくさいセンサー」が働いていたのかも知れないね。

 最近だとカードゲームがそうなんだろうね。遊びの幅が狭すぎる。
 横から見てると悲しいほどにショボい。
 あれ、作る方はすっごい楽なんだよね。版下が小さいから印刷代は安い。
 粗製濫造して当たれば大きいし、売れなくてもリスクは少ないんだ。
 ある意味子供を巻き込んだギャンブルであり、子供を食い物にするビジネスの典型だね。

 ゲームといえば一時期ゲーセンに通ってたけど、架空のものに没入するのが
 ものすごく苦手で(苦手って言うかほぼ不可能)ゲームという媒体を通して
 自分の内面と向き合う遊び方が多かった。
 ホントは遊びとは言えないのかも知れないね。媒体を介した真剣勝負っていうか。
 ゲームしてる自分を観察するもう一人の自分がいるっていうか、そういう視点で
 アプローチするやり方しか知らないし、他のアプローチができなかった。
 だからシミュレーションや格闘が特にダメ。無理。
 殆どシューティング専門で、そこに大型筐体のレースゲームがちょっとだけ。
 筐体がきちんと作り込まれてるとまあまあ没入できるね。ワンコインですぐ醒めるんだけど。
 RPGとか延々やってる人を見ると、長い時間よくそんなことできるなって感心する。
 ただ、感心するけど尊敬はできない。

 中学高校になって周りがライトノベルに走ったり、当時流行りのバンドブームに手を出す中
 何故か自分だけが椎名誠のエッセイを読み、T-SQUAREとかカシオペアとか聴いてた。
 毎晩寝る前はNHK-FMのクロスオーバーイレブンと、TOKYO FMのジェットストリームが
 定番だった。
 城達也と津嘉山正種のナレーション。あれが毎晩聴けたのは最高の贅沢だった。
 今思い出しても鼻血が出そうだ。

 一時期、AMのポケットラジオを改造して、夜な夜な海外の短波放送を聴いたりもしてたな。
 これ、いつも言うんだけど、真夜中の闇の向こうから電波が飛んできて
 耳元で声がするってすごいことなんだよ。
 今この耳元で世界が語ってるような気がしてくるんだ。
 今はネットの普及も手伝ってか短波放送も縮小傾向で、局数が少ない上に
 ものすごく偏った内容の局しか残ってない。
 短波帯は小さい電力で遠くまで届くから、途上国向けの放送とか
 政情不安な国のプロパガンダとか、そういうのに利用されやすいんだよね。
 あとはキリスト教の怪しい宣伝とか。
 アフリカ方面とか中東のヤバそうな地域とか、朝鮮半島の北の方とかは
 今でも短波放送バリバリだし。
 それがいいことか悪いことかは分からないけど、面白くない。
 ロマンがないよね。そこに楽しい想像が入り込む余地がないから。

 椎名誠は確か、「岳物語」の一節が国語の試験問題に出たんだな。
 なんだこれは、こんな面白いものを国語のテストに使っていいのか、
 表現ってこんなに自由でいいのかと思ったね。
 それで気になって買い始めて、椎名誠のエッセイや紀行文は今もずっと読んでる。
 当時は「昭和軽薄体」とか言われて小馬鹿にされてたみたいだけど
 これは究極にして最強の言文一致で、言葉を文章に置き換える際に
 これ以上の文法はないと思った。
 伝えたいことがダイレクトに伝わってくる感覚、そこに心が震えたんだな。
 小説はほとんど読めない。架空のものに没入するのが苦手なんで。
 長時間読むことができないんだ。

 ジャズとフュージョンは……なんだろう、一時期交通情報とか天気予報のBGMが
 気になりだして、毎日そればっかり調べてたらまっすぐそっち方面に行っちゃったんだよね。
 自分の耳には別の星か異次元から来た次世代の音楽に聞こえた。
 その音から、自由を謳歌するための基本的な約束事があると悟った。
 これまた心が震えたんだ。目指す未来は間違いなくこっちだと思えた。
 ちょうど日本のフュージョンの第二世代が一番盛り上がっていて、
 そのまま邦楽から離脱してジャズ方面へ行って、今は時々ハウスとか最新の洋楽も聴いてる。
 ジャズとハウスには今も自由と未来と規律がある。そこがいいんだ。

 自分の周囲の環境と音楽との関係は、その頃からずっと考えてる。
 たぶん自分にとって食事と同じ。常に耳から吸収して生きてる。
 極端に言うと人生の糧、心の栄養。
 街の雑踏も風の音も、自分の耳にはみんな音楽に聞こえる。
 だからいい加減なものは一秒たりとも耳に入れたくないし
 いつも未来を感じられる音を探している。
 リリースが新しいか古いかは関係ない。

 20代に入って写真撮るようになってからは、映像も同じように考えてる。
 枯れ葉や枯れ草も、街に沈む夕日も、道行く人々も素晴らしい風景に見える。
 東京で見る日没はいつ見ても本当に美しい。
 「目の保養」っていう言葉があるでしょ。あれは本当だと思ったね。
 だから全然テレビ観なくなった。面白くないし美しくないから。
 目から吸収されるものも、たぶん心の栄養なんだよ。
 そう考えると、「目の毒」っていう言葉も本当なんだと思うね。

 今振り返ると悪い選択じゃないと思うんだよね。
 学研の学習雑誌も、初歩のラジオも、フュージョンも。
 これはもう奇跡の三点セットと言ってもいい。
 常に変化を繰り返し、前に進む基礎を授かった……っていうと極端なんだけど
 そこで確かに他人とは全く違う視点と価値観を手に入れたんだと思うよ。
 だから、一般的な人と比べても、他人と自分との境目はより明確に意識できると思う。

 目の前にあるものの仕組みや構造を考えるとか、リスクを負ってでも自由を得ることの
 重要性とか、人と違うことをしてもいいんだと考え始めたのは、間違いなくあの頃だと
 思うんだ。
 意見の合わない他人と協調して自己を捨てるより、自己表現のために協調を捨てる道を
 選んだのかも知れない。
 だから友達が少ないんだけどね。当時の同級生とは連絡取ってないし。
 高校までの同級生は自分の所在は一切知らないし、むしろ死亡説が流れていれば
 ラッキーだと思ってる。
 まあ実際、あの頃の自分は既に死んだものだと思ってるけどね。
 この間、同窓会名簿も燃やしちゃった。

 議論だの主張だの、世の中は何かと「声を上げる」ことを重要視する風潮があるけど
 実際に重要なのは自分の考えをとにかく形にすることだと気付いたのが、20代の後半。
 それまでも作る行為は好きで続けてきたけど、その重要性は正直意識していなかった。
 30代の後半になって農業に参入して、口先だけの田舎者を黙らせるのに
 現物と現実と現象の三要素が最強に効くことを実感した。
 どうせ闘うなら派手に楽しく前向きな方が長続きする。
 想像を形にして事実を示し、現実が着々と変わる過程には、一種の快感がある。
 この集落は先祖代々の稲作専業農家ばかりで、機材の開発力もたかが知れてるから
 我が家が何を作り出すか分からない怖さは相当あるだろうね。
 実際、大きなガレージと工作機械を手に入れたMakerは強いよ。

 人生はそんなに長くないよ。
 2007年に自分のオヤジが68で死んでるから、仮に自分もそうだとしたら残り27年。
 短いよ。余計なことしてる時間はないねぇ。
 そう考えたら、自分の求めるものを直感に従って貪欲に追っかけていった方が
 絶対楽しくなるような気がする。
 周りの人は、ジョーダンじゃないよ、たまったもんじゃないよ、とか言うかも知れないけど
 人に振り回されるより人を振り回す方がきっとみんな幸せだと思うんだ。
 根拠はないけど。
 その代わり全力でやっていかないと後ろ指差される。
 自分のやりたいことに優先順位をつけずに、全部片っ端から実行していきたい。

 アニメは……うーん、今考えると一体何なんだろう。
 親友に出会えた大きな転機だったけど、長い時間と大きな出費を強いられたのは
 事実なんだよね。
 アニメにハマると不自然なほどお金が掛かる。
 ただ、あの時彼らがいたから自分も生きている。これは揺るがない事実なんだ。
 今まで20年、高い創造性を保ち続けてこられたのは彼らがいたから。
 自分はこの先何をしたいのか、何が自分を突き動かしているのか。
 それを考えるきっかけというか、基準点だったんだろうと思う。
 人が作ったものをあれこれ評論する立場から実際に作る側の立場になったことと
 自分にとって「作る」ということが何なのか……それらを考える全ての出発点だったとも言える。
 自分のこともままならないのに人の行く先を案ずるのはどうかと思うけど、
 忙しい毎日や悪い習慣で貴重な人生を無駄遣いしないよう
 彼らにはどうか創造的な人生を歩いてもらいたい。
 まかり間違っても、人が作ったものを評論する立場には戻らないよう……
 ……自分にはただ祈ることしかできないんだけど、
 遠い田舎からそんなことを考えている。


 作ること、あるいは創造性に一貫して関わることができる自分は
 幸せと言えるのかも知れないね。



■2016.01.29 金曜日 「更に予測不能」

 カメラのフリーズの件、迷走中。

 ACアダプターを代替品に交換。カメラ起動。
 換気扇を回す。フリーズしない。
 しかし今度は作動中の換気扇を止めるとフリーズするようになってしまった。

 以前は回すと固まり、今回は止めると固まる。
 電圧の変動がトリガーなのは分かったが、具体的にどういった状態で
 症状が再現するのか、これで分からなくなった。
 ひとつ気になるのが同じコンセントに電気ドリルを繋いで回しても
 カメラは一切フリーズしないということ。
 どうも換気扇の構造に問題があるのと、ACアダプターの特性(スイッチング式)に
 問題があるのと、その両方が最悪のタイミングで噛み合っているとしか思えない。
 このアダプターはAC100-240V対応のモデルなのだが
 動作電圧が常に下限ギリギリの可能性も考えられる。

 あまり面白味がないのでこの辺でやめておこう。
 このまま行くと電源回路を全部自作しないといけない。
 回路が大きく重くなるのは避けられないし、手間も時間も掛かる。
 代替品を部品箱から探し出すのも大変だ。

 自分の直感では、解決策が思いついたところでやめておくのが吉と出た。
 これ以上手を掛けてメリットがあるとは思えない。



■2016.01.28 木曜日 「予測不能」

 カメラのフリーズの件、まだ作業中。

 代替になりそうなACアダプターを部品箱で発見するも、筐体から生えてるはずの
 電線がなかった。どうも廃棄する予定のものだったらしい。
 数時間の格闘の末筐体を切開、電線とDCプラグを繋いで使えるようにする。
 とりあえず規定の電圧が出ることは確認した。

 結果の予測できない実験のために機材を用意したり修復したりする。
 改善されるか否かはテストしないと分からない。
 機材の準備もテストも手間が掛かって面倒だ。
 どうもすっきりしないというか、腑に落ちない感覚があるのは確かだ。

 でも、やらないと前に進まない。
 満足できる結果が欲しければ、可能な限り自分で何とかしないといけない。
 せっかくアダプターを修復したのでテストはやっておきたい。

 最終的には電源電圧の変動に強いACアダプターを作るしかなさそうな
 そんな気がしてくる。
 回路図は大体頭の中で出来上がっている。
 果たしてそこまでやる必要があるのか?という疑問はあるけど
 このまま猫トイレの換気扇を回さないとうっすら臭うので困っている。

 やっぱり何とかしないといけないんだろうな。



■2016.01.25 月曜日 「印 刷」

 田舎の僻地に住んでいると予想外の需要が……という書き出しを
 何度使ったか分からないが、今回も予想外のものを製作することになった。

 今回製作するのは、ステッカーの版下。
 発送用の箱の側面に貼るもののようで、寸法がえらくシビアだ。
 普通、こういったものは専門のデザイナーに依頼して作ってもらうのが
 一般的だが、それなりの費用が掛かる上に意図しないデザインで納品される
 危険性が高い。
 突き詰めると自分で版下を作るしかない。

 ならば、オレがやるか。
 なにしろ元製本職人、今でも超一流の断裁士だ。
 紙の加工に関してはそこらの印刷屋より詳しいし、デザインソフトの扱いも
 良く知っている。

 さすがに最初の半日は勘を取り戻すのに難儀したが、その後1日半で
 必要なデータを作り上げ、更にその後1日で版下を完成させた。
 とりあえずインクジェットでの出力テストではおかしな色は出ていない。
 ただ、実際に印刷するまで油断は出来ない。
 色調に関しては多少のズレを覚悟しなくてはならないと考えている。

 正直こういった面倒なものは作りたくないというのが本音だ。
 データだけきちんと作り込んでも、出力から印刷までの設定にはバラつきがあり
 どこかがちょっとでも違うと仕上がりが大きく変わる。
 特に4色刷りの印刷物は今でも管理が難しい。
 印刷まで全て自分で管理できなければ、意図しない仕上がりになることは
 火を見るより明らかであり、素人にはそれが理解できない。

 DTPという言葉が世に出て随分経つが、それで印刷が簡単になった訳ではなく
 身近になった訳でもないというのが僕の正直な印象だ。
 「誰でも手元で扱える」というだけで、その難度は今も全く変わらない。

 本気で印刷物作るんだったらプリンターまで自分で管理しないとダメだ。
 実際の紙に実際のインクで刷ったものを自宅で確認できてこそ、印刷は完結する。



■2016.01.21 木曜日 「2年ぶりの東京」

 カメラのフリーズ再発。
 これはカメラのACアダプターにも問題アリと見た。
 そのうち解決策を考えよう。

 …………

 先週、所用で東京に行ってきた。
 2年ぶりの東京だ。
 猫に留守番をさせているのでほんの数日だけのスケジュールだったが
 とても有意義な滞在だった。
 午前中はホテルの部屋で原稿を書き、昼になると行きつけのラーメン屋で
 麺を堪能してそのまま街歩きに行くという、実に楽しい毎日を過ごした。
 北海道はマズくて高いラーメン屋ばかりで安心して食える店は少なく
 慢性的な麺類欠乏症に陥っていた。
 毎日おいしい店が選べるのは贅沢の極みである。

 ホテルの部屋は当然ながら最小限度の調度品しかない。
 視界に入るものが少なければ少ないほど原稿書きが進むという、奇妙な現象が起きる。
 東京分駐所でも当然、最小限の機材しか置かない。
 やっぱり原稿は恐ろしいほど進む。
 創造性は部屋のシンプル度に比例して発動するようだ。
 家の机は音楽鑑賞や工作もやるのでそこまでシンプルにはできないが
 せめて視界に入る範囲だけは片付けておきたいと思った。

 東京の空気を吸ったことで、やっと自分のペースに戻れたと、そう確信した。
 2015年夏の大混乱以降、精神的に落ち着けない状態が続いていたが
 ここにきてようやく自分を取り戻した感じがする。
 今でもやっぱり、自分の地元は東京なのだ。



■2016.01.10 日曜日 「電圧降下」

 田舎の僻地に住んでいるとたびたび問題になるのが、電気関係。
 この地域は元々電力網が弱く、電圧が安定しない。
 白熱灯が一瞬暗くなったり、モーターの回転数が変動したりする。

 ちなみに今、足下のコンセントの電圧を測ったら、約97Vだった。
 平常時でも100V出ていない。

 この家で更に問題になっているのが延長コードの劣化と容量不足だ。
 古くて細い線で長々引っ張り回すので電圧降下が激しい。
 元々電圧が低くて不安定なのに、更に電圧が落ちるとなれば
 デジタル制御の機器は動作が不安定になる。
 掃除と片付けの傍ら、この延長コードを太いものへ新調している。

 猫部屋には監視カメラがあって、動体検知で録画するようにしてある。
 当初、カメラは古い延長コードで給電していたが、猫トイレの換気扇を
 回すとフリーズするので困っていた。
 換気扇もカメラも同じコンセントから電気を引いている。

 延長コードは断面積が0.5sqぐらいの太さで、長さは6m。
 30年ほど前によく使われていた灰色のビニール平行線だ。
 カメラのACアダプターまでは2m弱あって、面倒なので長い線を束ねていた。

 換気扇に限らず、モーターを使う機器は電源を入れた瞬間に一番電気を食う。
 ものによっては定格の倍以上の電力を食うものもある。
 隣に繋がっているカメラの電線は細くて長いから、急な変動に追従できない。
 電圧が低くなるタイミングで大電流を食われるとフリーズする。

 せっかくの機会なので延長コードを作り直す。
 太さ1.25sqに変更、最短距離で配線。
 今のところフリーズは起きていない。

 換気扇は小さいから電気を食わないし、カメラに影響は出ないと思ったが
 この判断が甘かった。
 電柱から来ている電気や延長コードの太さまで頭に入れておくべきなのだ。
 手抜きするとろくな結果にならない。



■2016.01.08 金曜日 「奇想天外、逆転の発想」

 なんか毎年恒例行事のように、この時期になるとGIMPの話を書いている気がする。
 例によって例の如く、画像を縮小するとジャギーに悩まされる。
 前回は「アップデートで解決」みたいな話を書いたんだけど、特定の条件では
 やっぱりジャギーが出る。
 こうなったら試せるものは何でもやる。
 半ばやけくそになって、縮小前に画面全体にガウスぼかしを掛けてみた。

 すると、あれほど悩まされたジャギーが丸ごと消えた。
 縮小後にほんの僅かにピントが甘くなる加減を狙って処理するのが
 最大の効果をもたらすらしい。

 この現象に気付いた時、何が起きたのか理解不能になった。
 せっかくピントをきっちり合わせて撮ったのに、縮小前にぼかしを掛けるなど
 もってのほかだと思っていたが、これが逆に画面全体が硬調に傾くのを防いで
 処理前より仕上がりが良くなる。

 あとはシャープネスを改めて調整して、JPEGに圧縮すれば出来上がり。
 色調も適度に渋く、自分好みの画になった。
 随分と長い闘いになってしまったが、これでPhotoshopの代替は完了する。

 まさに逆転的発想。奇想天外だ。
 これが自分の頭からいきなり出てきたのが驚きだ。
 かつてPhotoshopを一週間でマスターした時のように、変な先入観や固定概念は
 さっさと捨てた方がいいのだな、と思う。
 思いつく限り何でも試して、それで学んでいくのが正解なのだろう。



■2016.01.03 日曜日 「続・掃除と片付け」

 正月である。
 が、例によって例の如く(例年通りともいうけど)変化の薄い日々を過ごしている。
 やっぱりテーブルにあるのは雑煮と黒豆ぐらい。
 そして午後からは片付けや原稿書き。
 何も変わらないけど、それでいいと思えるようになった。

 今年の年末年始ぐらいは酒でも飲んでダラダラ過ごそうかと
 思っていたのだが、すぐ飽きてしまった。
 静かな年越しはいいけど、怠惰な時間を満喫するのは
 どうも自分のキャラクターに合わないのだ。

 そんな訳で、年明け3日目にして既に平常運転。
 電算機のデータ整理をやっている。
 1999年から2005年あたりの古い図面や画像を片付けているんだけど
 今見ると資料的な価値が薄くなってるものばかりで、必要なものだけ残すと
 全体の0.1パーセントしか残らなかった、なんてことも珍しくない。
 時代の変遷によって情報の利用価値はどんどん変化する。
 普遍性と汎用性の高いものだけ手元にあればいい。

 当時はネット上でも現実でも、人との交流が一番活発だった時期。
 データの中にはそういった記録もあった。
 あの人今は何やってるのかな、元気でいるんだろうかと考えたりするが
 知ったところで何のメリットもないから、みんなまとめて捨ててしまう。
 古い記録に固執するのは自分の心を過去へと引っ張る足枷にしかならない。
 いくら思い出や資料が沢山あっても、それが今の自分を豊かにすることはないからだ。

 恐らく今年も変化の大きな年になるだろう。
 心を軽く保ち、波頭から波頭へ飛ぶように渡り歩く、そんな姿勢を心掛けたい。