台湾日記  2003年7月〜
 
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8月31日
無為の政策
○ 小泉さんは、「景気対策を何もしません」といって、総理大臣になり、結局、何もしなかった。せんじ詰めれば、「無為の政策」を公約にしたようなもので、それで少し経済がよくなったように見えてきたところをみると、結果論でいうと、「「無為の公約」は実行され、成果があった。」といえる。少なくとも、再選のためには、正解だった。

○ 小泉首相誕生の頃、公共事業などの対処療法的な財政出動による景気刺激は、結局、費用ほどの効果がないというのが、国民の合意に達していたと思う。市井の市民は、日本がカンフル剤を打って人工呼吸器をつけてなんとか成長率の数字に格好をつけ続けることを肌感覚で、おかしいと思っていた。小泉さんに期待したのは、そうしたバラマキ政治をやめることだった。そういう世論の合意に、小泉さんがたまたまのったのである。

○ 「自民党をぶっこわす」などとも言っていたが、当時、小泉さんを熱心に支持した人でも、自民党が本当に壊れるとは、思っていなかっただろう。結局、市民が期待したものの本質は、自民党を壊す事や郵便局の看板の架け替えでもなく、また、30兆円という想像力の限界を超えた数字の実行でもなく、「何もするな」ということであった。小泉首相は、他の公約はともかく、「無為の公約」だけは実行したので、世論は、今も高い支持を示しているのだと思う。

○ このように、小泉首相は、言葉や話し振りは、能動的で積極的であるが、実際の政治は、建設的というよりも否定的であり、受動的である。以前に述べたように(ココ)、日本社会においては、「能動的な受容性」が大きな役割を果たすことが多いが、その視点でみると、不思議な事に、無為と受容性を特徴とする彼の政治スタイルは、従来の日本的なリーダーシップの特徴を持ち合わせている。「丸投げ」などというのも、無為の政治手法の一典型といえるだろう。

○ これまでの論を延長すれば、小泉さんが総裁選や総選挙で細かな公約をしたりマニュフェストを作ったりというのは、無為の政治に反することであり、得策とは思えない。バラマキをしない、変わった人材を登用する、自民等的なる方法は否定するといった内容を歯切れよい言葉を上手く使って、実行していった方がいいように思える。亀井氏に「バラマキ大王」と言ってけしかけるのもよいかもしれない。しかし、建設的且つ詳細なプランを示すのは、得策ではないと思う。小泉さんにマニュフェストを持たせようとしている人は、混沌の神様に目や鼻をつけるようなもので、小泉さんにとって危険だと思うがどうだろう。


8月29日
嫉妬心と恋心
○ 醜くて恐ろしい嫉妬心は、実は、かわいくて、美しくさえある恋心より強い。と、思い始めている。前回に書いたように、学生の頃から、自分はもてないにもかかわらず、どういうわけか女の子に恋愛沙汰の相談を受ける事が多かった。歳をとると共にそんな事も減ったが、その分、間接的に見聞きする話の蓄積も増えてきた。

○ しみじみ思い返すと、結局、嫉妬心は、恋心より強い、もう少しだけ下品に言い換えると、嫉妬心は、性欲より強い、と言えると思うがどうだろう。読者の皆さんも、思い当たる事件の一つや二つはあるのではあるまいか。

○ 嫉妬心は、恋愛沙汰だけではないだろう。よく言われる「男の嫉妬心ほど怖いものはない」と言われるのは、社会的な活動に関わっている。もう悟りをひらいたような老齢の高僧が、「煩悩を消し去ったように思っても、嫉妬心だけは、なかなか消えません」と言っていたのを聞いて、驚いた事がある。

○ 僕のような凡人は、性欲などという下品な欲望との比較しか思いつかなかったが、確かに、他の様々な基礎的欲望、社会的欲望に比べても、嫉妬心は、なかなか消えがたいようだ。おまけに、食欲だの性欲だのという基礎的欲求は、歳をとると自然に弱まるが、嫉妬心だけは年齢に関わりがない。とすれば、比較の上では、自らの嫉妬心の強さを年とるともに実感するに違いない。そう思うとちょっと恐ろしくすらある。

○ 幸か不幸か、僕のようなさえないサラリーマンは、別に人に嫉妬されるようないいことは、殆どない。むしろ反対に、知らず知らずの内に自分が、そんな心を他人に向けているとすると恐ろしい。凡人には、どうせなくすことのできないものなら、巧く付きあう方法を探さなければいけないなあ。


8月25日
河合隼雄「神話と日本人の心」
○ むかしむかし、らくちんが若かったころ、女の子にもてないのに、どういう訳か、よく女の子から恋の悩みを相談されたものである。僕に話すことによって元気になる子も多かったけれども、なかには、逆に落ち込ませてしまったこともあった。その場は、それでも、少しでも気が静まればと、必死で色々なことをした。ひたすらお笑いで通したり、ちょっと冷静なことを言ってみたり、お兄さんぶってアドバイスなんかをしてみたり、一緒になって悩んだり。でも、僕も若かったし、相談する子にも色々な個性があって、こうすれば誰でも癒されるなんて方法は、見つからなかった。同じように応じていても○のときもあれば、Xのときもあって、驚いたりした。そんなことで悩んでいる自分の三枚目加減に苦笑しながらも、やはり助けてあげられないとどうしようもなく悲しかった。

○ その頃、出会ったのが、河合隼雄の本だった。実践的なカウンセリングの話などは、いちいち自分が友達の悩みを聞いた経験に思い当たる事が多かった。結局は、「自分は、余り話さず、でも、相手のことを真剣に思って集中して聞く。具体的なアドバイスはせず、本人の自然回復力に期待する。」というのが、一番大切だというような言葉を読んで、いたく感心したことを覚えている。それからは、僕に相談した子を却って落ち込ませるようなことも幾らかは減ったように思う。

○ 河合隼雄の本は、はまりだすとどんどん影響されていく自分が恐ろしくなる程だった。「影の現象学」なんて、余りに「濃い」内容なので、読んでいる間は、殆ど社会的活動停止状態で、さなぎのようになっていたのを覚えている。

○ さて、河合隼雄の「神話と日本人の心」であった。どうやら、まだ自分がちゃんと理解して消化していないようで、河合隼雄になじみのない方に上手く説明する方法の見当がつかない。そこで、仕方がないので、この本の中にあった考え方で面白く思ったものを、ほとんど自分あてのメモのつもりで書いておきたい。河合隼雄もらくちんの性格も知らない方には、ちょっとチンプンカンプンな内容になるかもしれけれども、許してください。

○ 日の女神アマテラスの特異性
神話というと、男―太陽、女―月という組み合わせが多いと考えがちだが、日本のアマテラスは、太陽と結びついた女性の神である。しかし、太陽と結びついているからといって女性優位の社会ともいいきれず、日本のアマテラスは、父親から生まれ出ている。また、同時に生まれた3つの神の一人でしかない。著者は、日本の社会が女性優位の社会だという単純な見方をとらず、むしろ、このように微妙なバランスをとろうとする傾向があることの方に注目している。

○ 中空構造
日本の社会は、中心に強力な存在があって、その力や原理によって全体を統一してゆこうとするのではなく、非機能的で受容的な無為の存在を中心に組み込み、その中心をはさんで役割の大きな複数の存在が、あるときは対立的になりながらも、ダイナミックに均衡を保っている。この状態を著者は、中空構造としている。例えば、アマテラスとスサノオの間で、目立たない中心の役割を果たしたツクヨミなどが中心の例として挙げられている。これは、非常に上手い視点で、この視点によって、日本の社会や日本人の考え方にまでも、共通するものを見出す事ができる。

○ 「原悲」
ユダヤ・キリスト教では、人間が自然と異なる事を明確にする時に「原罪」の自覚が必要となった。日本の神話のように、人間がその「本性」として自然に還ってゆき、自然との一体感の方に重きをおくときに、「もののあわれ」につうじる、「原悲」の感情が働くとしている。

○ 能動的な受容
女性の能動的な受容の姿の重要性を指摘している。天の岩戸伝説でも、最初スサノオが高天原に昇ってきたときは、アマテラスは、それに武装して立ち向かっているが、その後では、アマテラスは自分の意思で岩戸に入っている。ここに、著者は、「能動的な受容」の姿を見ている。僕が思うに、日本の中空構造においては、プレイヤーが時に、「能動的な受容」を上手に行う事が、全体の均衡をダイナミックに維持するのに重要なようである。

○ ところで、この本を読みつつ、常に思いを巡らしていたのだが、日本の神話と、今の日本の産業の構造に類似点があるように思えてならない。日本を代表する産業である、自動車と電機の業界で、トヨタとホンダ、松下とソニーという、社風の対照が似た構図が出来ており、しかもこの類似した対照が、そのまま、アマテラアスとスサノオ、ホデリとホヲリの対立と均衡の図式にそっくりである。そう思うと、やっぱり日本人が力を出すのは、こういう構図なのかなあ、と、若かりし頃の恋の相談と、古事記と、トヨタとソニーに考えをめぐらし、しみじみ感じ入るのである。


8月24日
台湾とパレスチナ
○ ますます和平が難しくなっていくパレスチナを見ていると、台湾は、よくここまで、平和な暮らしを実現したものだと、改めて感慨深く思います。

○ 台湾では、人口の10%程度である外省人が一党独裁の国民党によって、人口の9割近くを占める本省人を政治的に支配する体制が1990年ごろまで約半世紀続き、その間、数々の悲劇が起こっています。(代表的な2・28事件については、ココを御参照)その後、反体制運動家であった本省人の陳水扁が政権をとってから3年になりますが、外省人に対する人命に関わるような報復は、ありませんでした。台湾で過去の恨みを越えて社会の統合を実現しているのを見ると、本省人・外省人両者の叡智を感じます。

○ 本省人と外省人は、もともと、文化も言語も違います。本省人が話していたビンナン語(台湾語)と、外省人が標準語として強制した北京語(中国語)は、方言以上の違いがあります。例えば、カラオケで台湾語の歌を歌うときに出てくる歌詞の字幕は、方言ならば、漢字は、同じになるはずですが、意味は全く無関係で、発音で合わせた当て字の漢字を使って表記しています。

○今、台湾の政治経済の重鎮となっている本省人の人々は、学生時代の同級生の何人かが、反政府活動の罪で殺されたりしており、折に触れその体験を語ります。そんなつらい経験をしながらも、外省人の支配する国民党政府となんとか折り合いをつけて、したたかに伸びてきた人々です。

○ 一方で、外省人の方も、李登輝のような本省人を政府の幹部として起用し、また、アメリカの要求に従い徐々に民主化を行いながら、経済建設に力を注いできました。蒋経国は、本省人の間でも人気が高く、国民党独裁政権の全ての期間が単なる苛烈な圧制であったとは、いえないと思います。

○ こうした努力の末、民主化してから十年程、いわゆる社会的な平和が来てから数十年で、1世代を超えないうちに、外省人本省人の違いを超えて、平和で民主主義的な社会を実現しているのは、パレスチナやリベリアの状況をみるにつけ、改めて台湾の人々の偉大さを感じます。

○ 平和を実現した要因としては、中国の脅威や、アメリカからの民主化要求などが挙げられますが、僕は、台湾の人々がもつ、優しさ、あるいは、包容力のようなものが、平和の実現の大きな要因の一つだった思います。内部紛争で悩む社会は、台湾の例を見て、勇気付けられればいいなあと思います。

○ この台湾の人のもつ、優しさ、というか、包容力のようなものは、東及び東南アジアに共通する感情かもしれません。最近僕は、思い始めているのですが、東南アジアの社会に接して感じる、マレーポリネシア系の文化の「包容力」ともいえる性質は、台湾や日本の文化の基本的な部分に、静かに、でもしっかりと影響を及ぼしているのではないでしょうか。


8月23日
「イラクで殺されないために」
○ らくちんは、7月27日に、「何用あってイラクへ、イラクは殺されるところである。」と書きましたが(ココ)、偶然これに答えるかのように、今出ている文芸春秋で塩野七生が「イラクで殺されないために」というエッセイを書いており、興味深く読みました。どうも要約というのは苦手ですが、僕の興味の持った内容を簡単に紹介させてください。(詳しくは、是非、文芸春秋の92頁を読んでください。)

○ 
日本が自衛隊をイラクに派遣するのはやむを得ないがアメリカ側の意向を全て受け入れる必要はない。

日本は、次の二点を頭に叩き込んでおくべきだ。
一、 これは軍事上の派遣でなく、政治上の派遣である。
二、 それ故、日本の兵士からは、一人も犠牲者を出してはならない。

アメリカ以外の国にとっては、政治上の派遣であるのは共通しているが、日本の振る舞いで一番参考になるのは、英、仏、独ではなくて、イタリアだ。その理由は、
一、 イタリアは、昔から海外派兵をしており、ベイルート、湾岸戦争、ソマリア、ボスニア、東チモール、アフガニスタン、イラクと実績を積んでいるが、一人も戦死者を出していない。
二、 にもかかわらず自国の派兵費用以外の費用を負担させられたことはない。
少ない軍事負担で国際政治上多くを稼ごうとすると、行動面、思考面の両面で、格段の柔軟性が必要になる。国内の承認手続き等に対しても柔軟に動き、他国より早く小回りよく動いている。また、必要なら、アメリカにも軍隊引き上げカードを使って、毅然と反対したりしている。
(要約終わり)

○ イタリアは、こんなに沢山海外派兵していて、一人も戦死者を出していないというのは、すごいですね。それは、トップから現場に至るまで、これは政治上の派遣だと良く認識して、動いているからだと思います。

○ 第二次大戦の経験者から、「戦場では、最も勇敢な兵士から死んでいく。」と聞いたことがあります。一方で、また、「びびってしまう人が一番危ない。」とも聞きます。イタリアも、海外への派兵は、びびらずに誰よりも早く駆けつけ、状況が危ないと見るや、「勇敢であろう」などとせず、さっと慎重な手を打っているようです。ソマリアでは、現地の戦術が一致せず、アメリカの司令官がイタリアの司令官の解任を求めた時に、イタリア政府は、軍隊の引き上げという脅しをアメリカに使って解任をつっぱねたそうです。

○ 以前にも書きましたが、日本の場合も、派遣することは必要だと思いますが、派遣をした後は、最早、アメリカの意向よりも、自衛隊の人の命を優先して考えて欲しいと思います。


8月18日
奇怪な日本の若者
○ 日本から戻ってきて思ったことを一言だけ。

○ 金曜日は、新宿をうろついていた。土曜日に台湾に戻り、昨日の日曜日は、日本から観光で来た身内を台北の原宿と言われる西門町に連れて行った。西門町にて、親子で歩いている台湾の青少年をたくさん見て思った。

○ 台湾の青少年は、健全だ。日本の若者は、奇怪だ。

○ 新宿で、ズボンずらして、パンツはみだして、金髪で、ぞろぞろ群がって歩いている若い男達を見ていると、どんな文化相対主義も跳ね返す、「絶対的な奇怪さ」を感じる。一方で、我が身を振り返ってみれば、気温38度の台湾で、ネクタイ締めてスーツを着ている日本人サラリーマンも、「絶対的に奇怪な」存在かも知れぬ。


8月7日
スタコラサッサ
○ SARSによる出張の規制がとれ、堰を切ったように来客がある。喜ばしいことではある。僕が属している電子産業などは、人間関係がさっぱりしている業界なので、それほどではないが、化学品や鉄鋼などの歴史のある産業、素材産業の担当の人は、もう千客万来、今日は、担当一人で出張者5組受け入れ、明日は、3組とてんてこまいである。

○ 「いやあ、みなさん大変だなあ。けっこう。けっこう。」なんていいながら、らくちんは、来週からかっちり夏休みである。そいでもって、このサイトの更新も一週間程できそうもない。忙しいのは、どうも性格に合わない。逃げるに限る。スタコラサッサ。


8月3日
好調なパソコン産業
○ パソコン産業が元気だ。世界のパソコンの供給を支えているといっていい台湾の企業は、4−6月の四半期決算で軒並み好業績をあげ、株価も上げている。一般的に4−6月は、クリスマス商戦に向けた生産をする7−9月の準備をする期間で生産の暇な時期である。それにも関わらず、いい数字がでたので、非常に好感されている。SARSの影響は、結局は、殆どなかったようである。

○ 色々な後講釈がでている。どれも、それなりに正しいと思う。
−数年に一度の世界的なパソコンの買い替え時期がきた。
−ノートブックパソコンの出荷が非常に伸びているのは、家で使う時にもデスクトップ型ではなく、安くなったノートブック型のパソコンを買うようになったからだろう。
−一方で、6月の好調は、米国のOEMの需要見通しが楽観的になっているだけで、実需の回復は、未だ確認できていないとも言われている。

○ その他の産業では、唯一、携帯電話産業だけが、SARSの影響をもろに受けた。主要の中国市場が停滞し、ボロボロだった。ゲーム機も、今や、殆ど台湾で作っているのだが、PS2は、好調だが、ゲームキューブもXBOXも良くない。台湾からみると、世界中のIT産業の様子が実需ベースでみることができる。


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