B型肝炎と訴訟問題を考える

はじめまして。 B型肝炎に感染し、これまでとてもつらく、苦しく、悲しい思いをされたことでしょう。ここでは一緒にB型肝炎と訴訟問題について考えていきたいと思います。ここでの知識が、あなたのお役に立ちますように。

B型肝炎と訴訟について

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■B型肝炎訴訟 給付金の請求


ご存知ですか。
集団予防接種でB型肝炎ウイルスに感染した方は、最大で3600万円の給付金が国から受けられます。


■集団予防接種におけるB型肝炎ウイルスの感染とは?


昭和16年(西暦1941年)7月2日~昭和63年(西暦1988年)1月27日までに生まれた方の中で、集団予防接種(各種予防接種・ツベルクリン反応検査)を受けた際、注射器の使い回しによってB型肝炎ウイルスに感染した方が多数おられます。この感染者の数は平成26年現在で40万人以上といわれています。


■肝炎訴訟と支給金


集団予防接種によってB型肝炎ウイルスに感染した方々が国に損害賠償を求めた結果、平成23年6月、国と原告の間で基本的な合意がなされました。この合意によって国との間に和解が成立した方に対し、国は法に基づき給付金を支給いたします。



■感染者の方に ~給付金の受給とケアのすすめ~


人生を幸福に過ごすため、健康はなによりも大切なものです。

それにも関わらず、多くの国民をB型肝炎ウイルスに感染させたのは国のミスにほかなりません。 しかも、集団予防接種によって肝炎ウイルスに感染した場合、被害者が必要な手続きをしなければ、国は何の手当もしてくれないのです。

この集団予防接種によるB型肝炎ウイルスの被害者に対して訴訟を行うことで、国から、肝疾患はもちろん、感染そのものによって多大な苦しみ・悲しみを引き起こした償いの表明として、肝炎問題に対する種々のケアと和解金を受け取ることができます。

肝炎患者さんのための一日一語『形直影端』

「かたちなおければ かげたたし」と読みます。身体の姿勢をきちんとすれば、影も自ずから整うという意味です。

一見すると当たり前に思える言葉ですが、世界の真理の一端をつまびらかにしているのが禅語のスゴイところ。

私たちには、こころ、精神というものがあります。こころがあるから、あれがやりたい、これが欲しい、こういう人生を生きたいと色々行動してゆきます。

では、このこころ、精神を変えれば生き方だって当然変わることができるはずです。文字通り「心を入れ替え」れば、どんな聖人君子にも大富豪にもなれるはずです。ノーベル賞だってもしかしたら夢じゃないかもしれません。

じゃあ、この「こころ」をどうすれば取り出せるのか。目に見えないし、手に触れられない。あるのはわかっているのに、なんともし難いものなのです。

この「こころ」をととのえるためには、形をととのえねばなりません。たとえば、いつも猫背で悲しげにうつむいている人と、いつも背筋をピシッと伸ばして笑顔でほがらかな表情をしている人、同じ顔立ち、同じ能力でも五年・十年と見ていけばどっちが良い人生になるか自ずから明らかなはずです。

服装だってそう。お見合いの席で、同じ顔、同じ能力で、しっかりスーツを着ている人と、よれよれのTシャツとジーンズを着ている人、どっちを選びますか。

形を見るというのは存外大事です。姿勢であれ、スーツであれ「わたしはこういう人間なんですよ」とこころの主張を形で見ているためです。逆にいえば、形をととのえれば、自然と心もととのってゆく。

ここで大事なことは、自分がその状況に合うように形をととのえることにあります。B型肝炎でも「自分は肝炎で、いつ症状が悪化するかわからない」と、地面を見つめながらトボトボ歩いている人がいるとします。

でもそれに対して「検査もした。和解の手続きも行った。日々、自分でできる限り、精一杯健康には留意して、できることは全部やった。あとは運を天に任せるだけ」と堂々と胸を張って生きるのとでは雲泥の差があります。正確にいうと、形の上でも、精神面でも、幸福な人生として大きな開きを生み出すでしょう。

今、自分にできる精一杯のこととして形を整える。B型肝炎訴訟を考える際にはぜひ一助していただきたい言葉でもあります。

肝炎患者さんのための一日一語『一日不作一日不食』

「いちにち作(な)さざれば、いちにち喰らわず」と読みます。

とても有名な禅語です。読書が好きな方の中にはご存知の方も多いことでしょう。 百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という中国の高僧の話です。

高齢になっても毎日、えっちらおっちら畑仕事をしている百丈禅師を見て、弟子たちは「もうそんなお年で偉いのだから、畑仕事なんてすることないのに」と心配していました。しかし百丈禅師は聞き入れそうにありません。

そのため、ある日弟子たちは百丈禅師の畑仕事の道具を隠してしまいました。そうすれば禅師も畑仕事をしなくなるだろうと思ったからです。

ところが、道具を隠されてしまった禅師は、その日からずっと食事をとらなくなってしまいました。心配した弟子たちがたずねると、百丈禅師は「いちにち作さざれば、いちにち喰らわず」と答えたということです。

この話はそのまま読めば「働かざるもの食うべからず」と読めます。またそう解釈しておられる方は本当にたくさんおられますし、それは模範回答の一つといえるかもしれません。

当所がこの言葉を読むに、けだしもう一つ読み方があるのではとも受け取れます。それは「原因がなければ、結果はない」ということです。これは正しいとか、間違っているとか、立派とか、悪いとか、そういう話ではありません。

種まきをして耕せば野菜が実る。野菜が実らなければ、食事ができない。これ以上シンプルで厳然たる世界の摂理は存在しません。

この宇宙のありとあらゆる事柄が、このシンプルな一言に収まっています。

今回、B型肝炎でお悩みの方に申し上げたいのは、このシンプルな言葉。やれば、結果が出る。やらなければ、出ない。検査すれば、結果が出る。予防すれば、症状は抑えられる。放置すれば、具合は悪くなる。

シンプルです。ここに存在するのは、やれば結果が出る。やらなければ出ない。邪魔をするのは面倒だなという気持ちだけ。

世の中にはB型肝炎訴訟を行うべきかどうしようかとお悩みの方もたくさんいます。

そして、こういう方の場合「母親の状態が○○だから」とか「自分の仕事が今○○だから」と言ってなかなか身動きが取れないようです。

「今○○だから」と思ってB型肝炎訴訟をしない方は、実は単に動くのが面倒なだけなのです。そういう方は、どんな状況にあってもやっぱりやらないものなのです。

しかし、繰り返しますが良い結果であれ、悪い結果であれ、それを放置するのではなく、まずやってみること。相談してみることが何よりも大事です。

なぜこんなことを言うかというと、B型肝炎訴訟の相談をして、訴訟ができる、もしくはできないという結果が出たとします。その場合、出た結果の中でまた最善を尽くすことができるのです。

でも何もしなければ何もしない結果になります。ここで勘違いしてはいけないのは、何もしない場合、何もしないという結果が未来に出てくるのです。この結果、病気だけが進行したり、劇症肝炎が生じたりする可能性だって否めません。

健康は人生の柱となる大切なもの。B型肝炎にかかっていない人は、いない中で体重管理をしたりと最善の努力を尽くします。肝炎にかかっている人も、いる中で最善を尽くすべき。

身体をおろそかに扱えば、おろそかに扱うなりの結果が出ます。

「いちにち作(な)さざれば、いちにち喰らわず」

こんなシンプルな言葉でも、実は人生に大きな影響を与えるほど深い言葉でもあるのです。