2020年11月8日。
白川さんプチドキュメンタリー猪柵設置編❗️
2020年11月8日。
白川さんプチドキュメンタリー猪柵設置編❗️
2020年9月24日。
白川さんを訪ねました。
2020年7月12日。
農家のルーティン
白川さんちの美味しいお米@鹿野町
昨日、最後の投稿と言いながら、今朝見た夢の中に無愛想ないなちゃんが出てきたので、いなちゃんのことを少し書いておきます。
おはようございます。
八百屋barものがたりの共同創業者、もとオーナーであるいなちゃんこと、稲荷くんのことも、ちょくちょく人に聞かれます。
大好きな農業をすると言っていた彼ですが、農業を専業にはせずに、福祉関係の仕事をしながら、その業務の中で畑や子どもの相手もしているそうです。
仕事は楽しいそうで、元気そうでした。
去年の12月に、八百屋barに来てくれたし、友人の家で一緒にご飯を食べました。
鹿野にはいませんが、いまも鳥取市内に住んでいます。
八百屋barを辞めることを告げると、特にリアクションはなかったです。
さて、以上です。
八百屋barはいったい何だったのか、はっきりと良い意味で捉えられるのは、これからの僕らの人生次第でしょう。
美しい、大切な、あたたかい、たくさんの想い出を、ときどき想い出すことは間違いないと思います。
八百屋barをやめても鹿野にはいるの?
とたくさんの人に聞かれましたが、当分は鹿野にいます。
1月31日から近所の「鳥の劇場」で見習いとして働いています。
年末に店を閉めると発表したところ、息子の通っている保育園から、12月中に再就職しないと働いていないということで、保育園を退園してもらうという連絡を受けました。大工作業も必要な膨大な撤収作業もあるし、廃業届も出していないのに、なかなか鬼のように追い込んで来るな〜と焦りました。
子育て王国を名乗る県の割になかなか追い込みが激しいです。
交渉の末、「12月中には就職先が決まり、1月末までには働き始める」ということを特別に了承してもらいましたが、頭の中は、閉店するまでは店の最期の日々をいかに営業するかということでいっぱいいっぱいで、閉店してからは、店の片付けを1ヶ月で終わらせるにはどうしたらいいのかわからなくて途方に暮れてフリーズしていました。
妻が鳥の劇場でパートをしていたことがあり、妻がまたパートをしたいので話してみると言っていたので、ついでに僕のことも聞いてもらったところ、すぐに面接をしていただいて、事情を話すと、すぐに採用を決めて頂きました。妻もパートで雇用して頂きました。
ということで、鳥の劇場さんのご厚意により保育園の継続が決まり、僕の就職活動も始める前に終わりました。
これも運命かもしれません。
ということで、鳥の劇場の中でどんな仕事をしていくのか、はっきりとしてませんが、裏方のお仕事の見習いをいまはしています。
今まで、鹿野で一番面白いのは(個人的に!)八百屋barだと思っていました。
次に面白いのが、鳥の劇場だと思っていました。。(すいません)
鹿野で暮らしを続けるのなら、鳥の劇場で働くのはきっと面白くなりそうだと思います。
さて、これにてこのブログの更新はおしまいにします。
にて毎日、日記を書いているので、よかったらそちらを見てみてください。
ではでは。
いままで、ありがとうございました。
昨日、八百屋barほど居心地のいい店にこの先出会える気がしないですって言われた。八百屋barがなくなっても、僕が八百屋barだ。僕のまわりはいつだって居心地いい場所だよ。って言える自分でありたいと思った。
— 成瀬望📪 (@nozomunaruse)2018年1月29日
今日、掃除と雑巾掛けをして、八百屋barの片付けは完全に終わりました。
あとは、まちづくり協議会に最終チェックしてもらうだけです。
僕がこの場所を改修してきたことの、およそ3分の1程度の仕事が消えてなくなったようなイメージです。
床も壁も、電気配線も、水道工事もまだ残っている。
何より、もともと膨大にあった庭のゴミ、撤去した味噌蔵とその中のゴミ、宮内くんが住んでいた蔵のゴミの撤去に、庭のゴミ山を崩して平らにしたこと。
たくさんのことをやってこの場所に愛情を注いできた証がまだまだ残っている。
なくなったのは3分の1どころか、5分の1程度かもしれない。
壁や柱に刺さっていた無数の釘やシールを取ったことや、床にこびりついていたゴミを取ったことなどを、限りなく想い出す。
音楽を聴くと想い出が蘇ったり、匂いや味で記憶がフラッシュバックすることがあることと同じように、空間にも記憶は宿る。
この空間にはたくさんの記憶が宿っている。
もう足を踏み入れる機会はほとんどないだろうけど、きっとこの空間に入ると、たくさんの記憶が呼び戻されるんだろうな。いつか。
八百屋barが出来る前、第一回のまちみせで初めてイベント営業をしたときの看板が出てきた。
あの頃、面白かったな。
海の家みたいな、少し猥雑で楽しくて怪しい店だった。
まずいとか、看板が汚いとか、いろいろ言われた笑
完全に出来そうもないことを、完全に出来ると信じていた。
バカで、無敵だった。
八百屋barのブログを熱心に見てくださっている方に、ときどき出会う。
八百屋barが終わっちゃったので、このブログも終わりにしようと思います。
僕の人生の物語の続きは、こちらの個人のブログにて更新して行こうと思いますので、興味のある方は、こちらをのぞいてみてください。
終わらない文化祭。
夏休みの自由研究。
生きることのハードルを下げる。
手作り。
足元から地軸を傾ける。
いろいろ言ってたなーとか、想い出しながらの孤独な作業は、この場所を終わらせるための儀式のようでもあり、祈りにも似た時間でした。
撤収作業に関しては、本当にごくごく数人で行いました。
ほとんどの日を一人で作業していましたが、倉吉の山田先生にはトラックを貸して頂いたことを始め、めちゃめちゃお世話になりました。
八百屋barを作るときは、夢があったし、壁塗りや床はりなど面白い作業もあり、やってみたい人が多く、2階にも泊まれたので、旅人を始め、たくさんの人に手伝ってもらいましたが、撤収作業は基本的に壊したり運ぶだけなので面白みはないし、心理的に誰かに手伝いをお願いし辛かったです。
八百屋barの隣の田中邸では現在、ゲストハウスを作っている真っ最中で、プロの方達やいろんな人が出入りしてどんどん完成していっているのに対し、八百屋barは一人で静かにどんどん壊していっているというギャップがちょっと面白かった。
次にお店をやる予定はないですが、調理関係はなるべく残しておきたいと思い、妻の実家にかなりの量の荷物を置かせて頂きました。
もちろん僕の住んでいる家にもたくさん運びましたが、これだけでもなかなかの時間がかかりました。
八百屋barを作るときは開店まで約1年半、開店してからも何度も店を休みにして追加の改修や工事をコツコツとしていたので、膨大な時間をここに費やしてきましたが、撤収は1ヶ月ちょっとでのスピードで行いました。
片付けをしているということは、働いていないということなので、息子が保育園を退園しなければならないと保育園から言われたので、最長でも1月末には僕が再就職する必要がありました。就職してしまったら、片付けがものすごく長引く可能性があり、まちづくり協議会からも早期の撤退をと言われていたし、家計から言っても僕の早期再就職が必要でした。
なので、12月20日閉店の、1月30日完全撤収が目標となりました。
ちなみに、床や壁も僕がもともと工事したのですが、さすがにそれは撤去しません。
八百屋barが閉まることが決定したあと、たくさんの人からこの場所を継続して欲しい声を頂きました。
僕一人では、この場所を運営できないにしても、何人かでこの場所をイベントスペースとして共同運営するというアイディアを出してくれた方もいました。
大家さんである鹿野のまちづくり協議会に聞いたところ、次にこの場所を使いたい立候補者も複数出てきているという話でしたが、まずは八百屋barの設備を全部撤去してもらってから今後のことを考える予定と言われました。
「“空っぽ”の方が不動産的には貸しやすい」そうです。
ということで、シンクや給湯器、調理台、棚、冷蔵庫、椅子、机、2階の建具や玄関の格子に到るまでの本格的な撤退作業となりました。
あけましておめでとうございます!
元旦は初詣に行こうとして、ふと神さまよりも友人のわかめちゃん氏に会いたい気持ちが湧いてきまして、その1時間後には、図々しくもなんとわかめちゃんのご実家で御親族一同と一緒に鍋を囲むという異空間な正月となりました。
楽しかったです!ごちそう様でした。
そして、その場で思いつきの話からクラウドファンディングを生まれて初めてやってみる流れになり、元旦中に公開するまでいたりました。
ひとことで言うと、今月20日、雪山でかまくらを作ってお泊まりに初チャレンジします。
超寒いかまくらの中で震えながら御礼のお手紙を書くので、よかったら僕にあたたかい服や装備のための投げ銭をご支援くださいませ。
https://polca.jp/projects/uZ29aUwsyPG
八百屋barも終わったし、今年はいろんなチャレンジをしていきたいです。
今月いっぱいは、八百屋barの撤去作業が続くと思うので、その様子も含めて今後のことなどもブログに書いて更新していこうと思います!
今年もどうぞよろしくお願いいたします!