青空研究室

三ツ野陽介ブログ

トップ固定記事

・最近はYouTubeを中心に情報発信をしています。チャンネル登録お願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCXo7gdGH6a4nSOX04BcpOBA

Twitterで気まぐれにつぶやきます(ツイート少なめ)。
https://twitter.com/ymitsuno

instagramに写真を投稿しています。カメラに興味を持ち始めました。フォローお願いします。
https://instagram.com/ymitsuno/

 ビデオブログという手法に興味を持っている今日このごろで、このブログは放置気味です。

中二病でも哲学がしたい!

 最近、二冊の哲学入門書をAmazonで注文した。

 『ソフィーの世界』と、池田晶子さんの『14歳からの哲学』。

  前者は20年前に凄く売れた本で、後者は10年ぐらい前に結構売れた本である。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

  話題になっていた当時、僕はすでに文学や哲学に興味があったのだから、読んでいてもおかしくなかった本なのだが、今回初めて手に取った。

 こういった哲学入門書、特に、「研究者」でない人が書いた入門書を、インチキ本として決め付ける風潮(あんなの哲学じゃない!)は、一理ないと思っている僕ではあるけれども、生意気だった頃の僕の自意識は、『ソフィーの世界』を読むのはさすがに恥ずかしいと感じていたらしい。ほんと、ベストセラーだったからな。

 今回この二冊の本を注文したのは、今週からまた、おもに新入生向けの入門的な哲学の授業をするので、参考になるかと思ったからである。これを読んだら何か、若いもんがハアハアするようなことを言えるようになるんじゃないか、と。

 どちらもまだ頭のほうしか読んでないけど、パラパラ眺めてみると、もっと早く、十代の頃に読みたかったな、と思えた。

 池田晶子さんの本は14歳の「君」に語りかけるという文体だし、ソフィーは14歳の少女という設定だ。

 これは、本来は難しい哲学の議論を、レベルの低い14歳のアタマにも分かるように語る、ということではないと思う。そうではなくて、哲学というものにそもそも、中二病的なところがあるのだ。

親愛なるソフィー、あなたは今、選ばなければならない。ソフィーは、まだ世界に「なれっこ」になっていない子どもかな? それとも、なれっこになどぜったいにならないと誓って言える哲学者かな?(ヨースタイン・ ゴルデル『ソフィーの世界』)

 つまり、哲学という中二病は、この世界にどうしても「なれっこ」になれず、不可視境界線の向こう側に目を向けてしまうという病気なのである。その意味では、14歳に向かって語りかけるという語り口は、根本的な哲学的態度なのだと思う。 

 僕自身はどうだろう?「なれっこになどぜったいにならないと誓って言える哲学者」なのか?

 正直言って、僕もまた、自分が少しずつ世界に「なれっこ」になってきているのを感じる。

 大学一年生ぐらいだと、まだまだ中二病が快癒してない人も多いと思うので、彼らに語りかけながら、教室でそのウィルスに感染したいなと思う。

 そして僕は、文を書き、ものを考えるときにはいつでも、「14歳に向かって書く」という態度を、どこかで持ち続けたい。

 
 

SEKAI NO OWARI「Dragon Night」と戦後日本

 「セカオワのドラゲナイト」こと、SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」は、最近のJ-POPではめずらしく、街を歩いていると自然と耳に入ってくる同時代ソングだと思う。
 その中に、こんな歌詞があった。

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう

 これは別にオリジナリティがあるわけじゃない、悪く言えばありがちな歌詞なんだけど、逆に言うと、日本の戦後サブカルチャーの基本的な倫理がここに示されているとも思う。戦後サブカルチャーの良質な部分、と言ってもいい。

 ジオンにはジオンの正義があったり、人類の敵ベジータといつのまにか仲間になったり……。

イスラム国にはイスラム国の正義が?

 ところで、紅白後に「Dragon Night」が盛んに流れていた時期と、イスラム国の人質事件が報道されていた時期が重なっていたので、この曲を聞いて事件を連想した人は多かったと思う。

 僕があの人質事件で印象に残っているのは、あのとき「でも、イスラム国にはイスラム国なりの正義があるんだと思う」と意見を述べた人たちが、かなり叩かれていたことだった。

 実際のところ、「ふざけるな!あんなものに正義なんかあるわけないだろ!」という主張のほうにずっと説得力を感じてしまうほど、あの人質事件はショッキングだった。絶対に分かり合えないと思ったし、分かりたくもないと思った。

  でも、「人はそれぞれ正義があって」「僕の嫌いな彼にも彼なりの理由がある」という想像力は、そういう時にこそ試されるのだと思う。

 平和な時代に、そのように歌うのは簡単だったのだ。

 僕たちの戦後倫理はこれまで、本当に試されたものではなかった。

 
 

考え方は人それぞれという考えは共有されうるか?例えば韓国と。

 言葉というものは不確かなものであるから、人との出会いとか、モノの手触りといった具体的なものから出発しよう。これが、東浩紀さんの去年けっこう話題になったらしい本、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』の、おもな主張だった。そういった理由からこの本のなかでは「観光」が勧められる。

 日韓問題を扱った章においても、東さんはやはり「言葉の解釈は無限に積み上げることができるので、被害者はいくらでも話をおおげさにできるし、逆に加害者はいくらでも屁理屈で逃げることができる。言葉だけでは争いは止まらない」と前置きしたうえで、以下のように続けている。

だからぼくは日韓関係については、もはや正しい歴史認識を共有すべきではなく、むしろ「歴史認識を共有できないという認識を共有すべき」だと考えています。従軍慰安婦問題に限らず、さまざまな事件について、韓国には韓国の、日本には日本の言い分があって、それぞれの国で過激な主張がある。そこであるひとつの「正しい」歴史認識を強引に共有しようとしたら、ヘタすると戦争になる。むろん、真実はひとつです。けれども言葉ではそこには到達できない。だとすれば、「真実を探さない」ことが合理的であることもありえます。

 僕もまた、「日韓は、歴史認識を共有できないという認識を共有すべき」というこの考えに同意する。
 しかし、僕が東さんの意見に同意かどうかはどうでもよい話で、重要なのは、韓国の人たちがそれに同意するかどうかだ。
 そして、ほとんどの韓国人は、「歴史認識は、国によってそれぞれ異なる」というこの考えを、受け入れないだろうと思う。韓国の一般的な新聞ジャーナリズムであれば、そのような考えに対して「歪曲」「妄言」という、いつものレッテルを貼るだろう。

 日韓問題というのは、日本の歴史認識と、韓国の歴史認識の衝突ではなくて、「歴史認識は他国と共有できない」という、多くの日本人が多かれ少なかれ身につけている姿勢と、「正しい韓国の歴史認識を、日本は絶対に共有すべき」という、多くの韓国人が多かれ少なかれ身につけている姿勢との対立なのだ。

 例えば、安倍首相は以前、「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁し、この発言は韓国でも「妄言」としておおいに叩かれた。

 しかし、ここで注意したいのは、安倍さんは別に「戦前の日本の領土拡張は侵略ではなかった」という歴史認識を、他国も共有せよと主張したわけではないという点である。「見方はそれぞれ」と言っただけだ。僕は安部首相と歴史認識を共有しないけど、この相対主義的な姿勢を共有していることは否定しない。

 韓国では、さんざん「極右」の極悪政治家として叩かれる安倍さんであるが、正直言って僕には、安倍さんが極端に過激な右翼であるとまでは、どうしても思えない。ヒトラーになぞらえたりするのは、明らかに過大評価であろうと思う。

 もちろん、相対主義は必ずしも穏当なものではなく、過激な相対主義というものもありうるのだけれど。

 AとBという二つの立場が対立しているときに、「考え方はそれぞれだよね」と言えば、その対立を調停できそうな気がするけれど、これが、「正義はただひとつ」という立場と「考え方はそれぞれ」という立場との対立だった場合には、第三の立場として「考え方はそれぞれ」は選択できない。

 そんなところにも、日韓関係の難しさがあるのだと思う。

 
 
 
 
 
 

桜から目をそらすのをやめて、春の到来をしぶしぶ認める

f:id:ymitsuno:20150330230008j:plain  近所の神田川に咲く桜を見てきた。
 
 「オレが桜を見るまでは、まだ春じゃないっ!」という自分ルールが僕の中にあって、ここ最近、すでに春が来ているのを薄々感じながらも、必死にヤツから目をそらしていたのだけど、とうとう諦めて、桜と正面から向き合うことにした。
 
 もう春が来たんだ。
 
 もちろん、春は一番好きな季節だし(夏になると「夏が一番好き」とか言っている気もするが)、暖かくなるのは嬉しいのだが、冬の内にやろうと思っていたこと、二〇一四年度中に済ませておこうと思っていたことの進捗が、はっきり言って思わしくない。だから、「あー、ヤバい。もう春が来てしまう」と思って、最近ずっと焦っていたのだ。
 
 でも、もう新しい年度が始まる。
 
 「研究者として論文を書く」ことをはじめとして、結局のところ、「書く」という行為を通じてしか、自分の人生みたいなものが開けてこない、そういう道を選びとっているはずなのに、キーボードに向かうと、スムーズに言葉を紡ぐことができない。おかげで人生けっこう行き詰まっている。
 
 ブログみたいなところで、こういうユルい文章を書くことが、僕にとっていいことなのかどうか。しっかりした論文を書くことだけに集中したほうがいいんじゃないか。そういう疑問はあるのだけれど、素振りするぐらいの軽い気持ちで、息をするぐらいの自然さで、「書く」という行為と、もっと親しんでいきたい。
 
 この春からは、そんな場として、このブログを活用していけたらなと思っています。
 
 とにかく僕は、もっともっと書くことで、自分の居場所を作っていかなくちゃいけない。