わたしではなく、わたしのなかの…… 

人と出会うこと、人と話すことそれじたいが祈りなんではと、もしくはそうであってほしいと思う、が出たばかりの、それも展示中の日々、神さまではなく目の前のあなたに声をかける、気にかける、そうしたケア-フルなありかたに神が宿る、霊が降りる、シュタイナーじゃないけれど、この先きっとそういう世界になるんじゃないかと思ったりする。

でもこのクリスマス・イヴの夜、いちばんに思うのは、まずは自分のことを、たったひとりの「わたし」のことだけは放っておかないこと、(金曜にトークをさせていただいた)中村佑子さんの新著の言葉を借りるなら、「自分への批評性」を失わないことが、他者への、世界へのやさしさにつながるんじゃないか……ということで、でもそれはセルフケアやご自愛だけじゃない、自分をぎゅっと抱きしめるだけじゃない、もっと、それこそ宮沢賢治のような透明なつめたい目でもって自分を見つめることでもあって…… 中学生のころ、どうして戦争(そしていま起きていることは戦争というよりジェノサイドじゃないのか)はなくならないの?と聞いた、そのときの答えが「お金儲けになるから」だった、そのことに心底がっかりして絶望してむかついて、でも大人になったいま、自分もまったく無関係ではないのだと何度も突きつけられている。だからそこには、見つめなくてはいけない「わたし」には、とうぜん消費行動をする自分のことも含まれている。ある部分では開かれていて、でも別の部分ではぐっと閉じてしまう、閉じているつもりでもあちこちに穴が空いていて、それでも気づかぬうちに誰かを排除しているかもしれないわたしのことも。

そんなふうに、ここにいる自分のことを、あらゆる意味で放っておかないこと、とくにクリスマスの時期には、とにかくそんなことが必要な気がしていて、大切にしたいと思うんです。

*

(そのうえで、ほんとにそのうえでこそ、オルガ・トカルチュクのこの言葉がひびいてくる:「文学は自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」。

トカルチュクのいう「優しい語り手」=閉じられた個人の一人称ではない「第四人称の語り手」のことをこの夏からずっと考えている。「あらゆるちいさなかけらに存在を与え」、「べつの存在、つまり『私』ではないものを注意ぶかく集中して」見ることのできる語り手。そしてシュタイナーのいう「高次の自我」、ずっとよくわからなかったけれど、まさにこの優しい語り手なんじゃないかって思ったり、ね……)

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December 24 2023 {♥ 10}

something flowing in from the future


夢の中で彼はたづねた

永いあひだ逢はなかった

青い蝶よ 昔の夢の宝石よ

なぜ今日 とつぜん君は来た?

夢の中で 秋の夢の中で

蝶が答へた

君の心の中心にある

泉のそばに花が咲き

その青い花のうたふ歌が

今朝からわたしを呼んだために……



⭐︎



これは片山敏彦の「青い蝶」という詩の後半部分、月に1回通っているオイリュトミーのレッスンではこの詩を毎回動いている。少しずつ少しずつ進めていて、フォルムもラウト(言葉)の動きもまだ前半しか覚えていないけれど、詩はぜんぶそらで唱えられるようになった。読むのではなく、言葉がいちど音として自分のなかにちゃんと入って、それを自分からいつでもすきなときに取り出せるようになることは、とても神秘的な行為だと思う。それだけで、言葉が頭だけのものではなく、からだ全体のものとして、というか人間全体のなかに流れるものとして感じることができるようになる。学校の授業でも、もっと暗誦を取り入れたらよいのにとも。今朝も髪の毛をとかしながらぶつぶつつぶやいていたら、オンに「もういっかい言ってみて」と言われてくりかえし、それから「もいっかい」と言われて三つ編みを編みながらくり返した。するとオンは「ふーん、あおい・おおきな・ちょう、かあ」と大きく羽ばたきながらどこかへ消えていった。

「言葉とどう出会うのかによって、世界観が変わる」と、また別のオイリュトミーの先生が言っていたことを思い出す。言葉の動きと感情、意味、そのすべてが一致すると、言葉は「信頼に足る」ものになると。そして、子どもにとっては何よりそれが心地よさになる。胸の前で、何かをつつみこむみたいに腕でOのかたちをつくると、あったかい共感の気持ちが心に広がる。オーと発音したときの口のかたちを感じる、そして音、気持ち。母音はわたしの胸の内を開示し、子音は自然・世界が形づくられたときの力をいまここで再現してくれる。

いくつもの詩と出会いながら、そうした言葉の凝縮力と響きの形成力にずっとあこがれて生きてきた。でもオイリュトミーをはじめてから、あこがれるだけじゃなく、そうした力をじぶんのからだのなかで使うやりかたがわかってきたように思う。凝縮されたものをひらく力、響きがものごとを形づくる力。凝縮されたものをひらいていく、というのはつまりシンプルに言えば言葉をあじわう、ということなんだろうけど、わたしがそれをひらくことができるのであれば、あじわうことができるのであれば、つまりその小さな粒のような言葉ひとつひとつに、響きや音がすでに入っているってこと、それからその言葉を見たとき・聞いたとき・つぶやいたとき、さらには動いたときにわたしの心にひろがる色や香りや音楽や風景、思い出や喜び、悲しみまで、そのすべてが目の前の言葉にすでにぜんぶ入ってるってことで(「昔の夢の宝石よ」という言葉が開示するイメージのなんて豊かなこと!!)、もっと言えば、それをわたしがのちほどひらき、あじわうことができる(その言葉が書かれたときにとっては未来の時間に)ということは、言葉というものは、それが書かれた時点で、そのなかにすでに未来が流れ込んでいる、ということなのかもしれない。しかもわたしのだけじゃない、読むひとすべての複数の未来が、すでにそこにぜんぶ入ってる。

たとえばひと粒の種を目の前に置いてみる。そのなかには、これから顔を出す小さな芽やふたば、ぐんぐん上へと伸びていく真っ直ぐな茎と、静かに深みへと広がっていく根っこ、いくつもの瑞々しい葉っぱ、ふくらむつぼみ、惜しみなくひらいてすべてをさらしてはあっという間に散っていく花、そしてまたふたたび種へと凝縮していく、その姿がぜんぶ入ってる、それがあなたには見えるかい? とシュタイナーは言う。この先そうなるであろうことが、すでの目の前にあるんだよ、と。いつも未来から流れ込んでくる何かがあること、それは教員として子どもたちを受けとめる際にも欠かせないものの見方でもあるーー未来に立ち、ひとりひとりの子どもをまなざすこと。目の前にいるその子のなかには、おそらく自分が目にすることはないだろう、未来の予感が響いているということに気づくこと。だからシュタイナー教育のモットーは「子どもを畏敬の念を持って迎え入れ、愛とともに育て、自由のなかに解き放つ」なんだね。

言葉を読むこと、ひらくこと、あじわうことは、これまでじぶんが生きてきた一生ぶんの人生すべてを使わなくちゃできないと思っていた。「りんご」という文字をほんとうに読むためには、これまでわたしが出会ってきたすべてのりんご、手のひらに載せ、たどたどしく皮をむき、ようやく口にできたあの甘酸っぱくて最高にさわやかなあの味、感激するくらいサクサクのものも、ちょっと残念なふかふかなものも、ぜんぶ、ぜんぶ、そしてりんごにまつわるすべての思い出(調理実習でうまくむけなかったな、だるまちゃんと雪うさぎちゃんで読んだうさぎ型に切るやりかた好きだったな、ホームステイ先の庭の木からもいだ小さな実は虫食っていたな etc…)、そんなものぜんぶが意識的・無意識的にはたらいて、じぶんの全人生、過去のすべてを使ってわたしは「りんご」をいま読んでいる、と思っていたけれどーー未来までそこに流れ込んできていたなんて!そう考えると、そのように言葉を読んでいるわたしとは、ある種のタイムトラベラーなのかもしれない(言葉をひらくたびに、いつも時空を超える感覚は確かにあったのだ……言葉をひらくたびに……ってことは、どこでもドアって、もしかして言葉のことですか……)

((飛躍しすぎる前に、片山敏彦の詩のこと。あの詩でわたしが何よりもすきなのは、「君の心の中心にある/泉のそばに花が咲き」という部分なのだけど、なんでだろうと考えてみたら、この二行が続くことで「花が咲いている」というという情報のほうが強調され、結果として「心の中心に泉がある」ということが、すでに了解済みになっている=詩人のなかでは、とうぜんのことだと見做されている、というような書かれかたをしている気がするから:「心のなかには泉があるってこと、みんなもちろん知ってるよね? そのそばに青い花が咲いたんだよ、それが今朝からわたしを呼んでいるんだ……」うん、知ってる、知ってるってことを、いま思い出したよーー)

じつは今日、いま習っている先生のグループの公演があった(わたしもちろん初心者なので出ていない、みなさん20年とか35年とか!続けていらっしゃる方々ばかり)。今年生誕130年を迎える詩人、尾崎喜八の記念事業の一環で、「口語自由詩とオイリュトミーのために」というタイトル。2年間かけて準備してきた、たった1日の公演、観に行けてほんとうによかった。じっと客席に座りながらも、詩の言葉と音楽(バッハのピアノ曲と、笙の演奏)が全身にしみこんできて、舞台の演者とともにこっそり・つたなく心がフォルムを描き喉がラウトを動いているのがわかった。もらったプログラムによれば、尾崎喜八は宮沢賢治や吉田一穂、片山敏彦といった明治生まれの詩人たちと同時代人であり、明治以降にあたえられた「人工言語」である標準語が形成されゆくなかで詩を書き続けた人。それらの詩人とともに、明治維新や関東大震災による「江戸・東京」との本格的な文化断絶を乗り越えるために、自己の感情や身近な風景をそのまま描くだけではなく、科学的・宇宙的な事象をいかに日本語の詩の言葉、ファンタジー世界へと洗練されるかを課題にしていた……つまり彼らは「ごく身辺の博物学的な自然から、宇宙・4次元までも『口語』で語ることができる詩の言葉を、この日本で生み出し定着すること」を目指していた詩人たちでもある。100年以上も前の人たちの言葉を、声を、いまここに生きるわたしたちがからだを使って開示することの意味とは? それが口語であること、話し言葉であること、自由であることにはどんな意味があるんだろう、言葉が断絶を乗り越える、言葉が世界を変えるとは? ちなみに今回はじめて知った尾崎喜八は、「巻積雲」という詩のなかで、ドイツの物理学者エルンスト・クラドニの「クラドニ図形」(銅板に粉を載せ、バイオリンの弦などをこすりつけることで、響きが物質の形態に影響を与えていることを示す実験)について言及していたため、今日はその実験映像も見ることができた。言葉の響きの形成力は、このあいだインスタグラムにも書いた「ヨハネの福音書」の冒頭の言葉ともきっとつながっている。いつかクライトとシュライアー(衣装)を身につけてわたしも表現することができるように細々と続けていこうと誓った土曜日、すきまの時間で吉祥寺の武蔵野文庫でひさしぶりにカレーも食べれたうれしい日。ババロアもはじめて、ありがとう

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February 04 2023 {♥ 4}

I’M LOVIN’ IT

目に見えないものを見えるようにするにはたくさんのエネルギーがいる。だから見えないものはたいてい見えないし、見えるものばかりが心のなかにふりつもる。毎日毎日、見えるものまでが、ぜんぜん見きれないままに。今日、マクドナルドで120円(値上がりしたな)の紅茶を飲みながら、あのびかびかの黄色のMマークがわたしの心に染み込んでいくのがわかった(生まれてから何度わたしはあのMを見た?)


⭐︎


1月の教員養成で、はじめて「子どもの観察」を体験した。それはこれまで受けてきた授業のなかでもっとも予想外の内容だった(予想:「7年ごとの成長段階を、実際の子どもの様子に当てはめるとか? あまりわくわくしないな……」)。学校の心臓ともいえる教員会では、時折ひとりの子どもを取り上げる時間を持つ(「心臓もまた学ぶ意志を持っている」)。何かしらの理由があってなのか・なくてもなのか、それは場合によりけりで。人と輪になって座る。それだけで立ち上がってくるものがあることは講座中しょっちゅう感じているけれど(通いはじめてから人生で最も頻繁に人と輪をつくっている)、ここではそれが意識的だ。何しろ、ここにはいないその子どもを、言葉を使って、イメージを通じて、その輪のなかにありありと存在させようとするのだから。まだ1年なのか、それとも9年か(横浜では9年間担任を受け持つ)、共に過ごし関わり続けてきた経験のある担任が中心となって、専科の先生やその他の先生も交えてみんなで子どもを描写する。その子はどんな髪の毛をしている? 表情はどう? 手のあたたかさは? どんなふうに歩く? 声はどう? 自分の感覚器官を使ってとらえられる外的特徴からはじまり、だんだんと目には見えない領域まで分け入っていく。ふるまいや行動、態度、生まれたときの環境などを通じて、魂や霊(とだけ記すと圧倒的に誤解を生みそうな)領域にまで。それをたんたんとする。たんたんと、具体的に。それぞれが知っていることをその場であたらしく思い出す。これはべつに魔術ではない、きわめて現実的なことだ。それで何が起きるのか? 問題は解決するのか? 関係が改善するのか? それとも劇的なことを期待するのか? yesでもnoでもない別の回答があるとしたら、それは時間とか眠りとか予感とか、もしくはかすかな響きといったようなものなのかもしれない。その子どもが、その人が、ここにいることを認識すること。ここにいないときでも、いることを。そうすると、いったい何が起きる(それとも起きない)?

輪のなかでわたしが見たもの:輪郭だけあるのっぺらぼうの顔、そこに表情が与えられていくさま、だんだんと動きが生まれ、体温が流れこみ、いつのまにかその子どもの全存在が立ち上がってくる(気がする)。それを頭だけでなく、全身全霊で感じる。爪のさき、目の輝き、それをいま目の前で見ているように見る。わたしはその子にあったことがない。会ったことがない人と、言葉を通じて、イメージを介して、そしてできるかぎりの共感と反感を超えたところで、会っている(気がする)。

知らない人のことを知るようになることは、見えないものを見えるようになることと同じなんだろうか? あなたに会わずに、あなたと会うことは?

シュタイナーは超感覚的世界なんかのことをやたらむずかしく説明しながらも、そこに到達するための秘密は、たとえば人と出会い、語り合うことだよ、しかもまるでそれが相手の言葉であるかのように語り、それが自分の言葉であるかのように相手の話を聞くことだよ! などと言ってくる。そしてあとから、その人のことをひとり思い出す。あの人とわたしは、なんてこんなにちがうんだろう、そして同時になんと似ていることだろう、なんて考えながら。あの人もわたしも、世界でたったひとりの人間なんだ、代わりはほんとにどこにもいないんだ! という事実に何度も驚嘆しながら。人を知るということは、その人が自分のなかで生きはじめること、同時にその人のなかに自分の居場所を見出すことだよ、とシュタイナーは言う。ポイントは人を知ること、そして人が人に関心を持つ、ということだよ、なんて指を一本立てながら。まさに「人・智・学」。それともこれはわたしの超訳・跳躍?

いちど誰かのことを知ってしまったら、とても無関心ではいられないはずだからーー


⭐︎


マクドナルドのMを見て思い出すのは、たとえば高校時代の放課後、海の見える三浦海岸の店舗で山盛りのポテトフライをナプキンの上に広げて、友人たちと大好きだった映画「エンパイア・レコード」について語り合ったこと(ひとりはAJが好きでもうひとりはマーク、わたしはやっぱりルーカスだった)。大学生になって、目白の小ぎれいな店舗で部活仲間と大人びた顔でミーティングをした夜(そのうちのひとりが100円のバーガーを毎回3個食べていた)。もしくは暑い夏のロサンゼルスで、キャンペーン中のキャラメル風味のアイスラテをばかでかいカップで当時のボーイフレンドと1日何杯も車のなかで飲んだこと(どの店舗にいってもリフィルフリーだった気がする)。それからずいぶん時が経って、今ではほとんど紅茶しか飲まなくなったけれど、あのびかびかのMのマークの奥にわたしはたくさんの人たちの顔を見る。若くて、元気で、でもいつもどこかくたびれていた、あの頃の彼女・彼たちの目に映る今とはちがうわたしの姿も。わたしにしか見えないけれど、たしかにそこにあるもの。


⭐︎


まったく余談だけど、coten radioの空海の回で、密教の宝具や手印について説明する際に、たとえばマックのロゴと同じです、あれみれば「I’m lovin’ it」とかマックのあれこれが一瞬で想起されるでしょう? 圧縮ファイルみたいなものなんです、教義のすべてが圧縮されてるみたいなもの、と言っていてずっと印象に残っている。

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January 30 2023 {♥ 6}

放課後、他校の幼馴染からもらった通学バッグにレンタルVHSをぎゅうぎゅうに詰め込んで電車に乗りバスに乗り15分ほど歩いて半島の先端にある家まで帰る。体力がないので夜更かしはあまりできなかったはずなのにいったいいつ観ていたんだろう? 毎日バス停まで歩きバスに乗り電車に乗りまたバスに乗って授業を受けて友だち付き合いをしてまたその逆を繰り返し……できていたなんて信じられない。


あのころは観るものも聴くものも読むものもたくさんあった、今よりずっと限られていたけれどとにかくたくさんあったんだ。たとえば「アーティストハウスが編集し、角川書店が発売。アメリカのペーパーバックのような体裁」のbook plusシリーズの海外小説——アラン・ウォーナーの『モーヴァン』、ジェニファー・イーガンの『インヴィジブル・サーカス』、そしてスティーブン・チョボウスキーの『ウォールフラワー』etc——、10代のうちに読んだものが大人になってずいぶんたってからもこんなふうに心に特別な場所を占めるものなんだって当時はもちろんぜんぜん考えもしなかった。成就した恋もなく、なんとなくいつもひとりでなんとなく誰のこともうらやましくてまぶしくて帰り道、がらがらのバスの後部座席(左奥)でMDプレイヤーから流れる曲を聴きながらぼーっと窓の外を見てるときだけ「わたし」がいるって感じがした。Pj harvey, drugstore, placebo, JJ72, tahiti 80, travis, air, weezerにfeeder……でもこっそりSugar Rayを聴きたくなる日もあった。上半身裸で腕をむきむきにしながら “answer the phone!!!”と怒鳴る白人男性のわたしもどこかにいた。


いつも学校帰りに借りていたレンタルショップの名前は「YOU & I 〜友愛〜」。わたしの名前はyumikoで英語圏の友人からは”you-me”「あなたとわたしだね」とか互いの胸を指差しされていたからなんだか遠い親近感を抱いていた。並んだVHSのパッケージに手を伸ばすときたいてい隣にはひとりの友だちがいて、わたしたちはいつも競うように映画を観て本を読んでCDを買った。タワレコのポイントカードにいくつ♪がついたか、HMVのにはいくつの💿マークが? でも競うように感じていたのはきっとわたしだけで、もしわたしたちが友だちではなく恋人同士だったらどうだったんだろう? と20年以上経ってたびたび思う。彼女はわたしの誕生日に「ロッキーホラーショウ」のVHSをプレゼントしてくれた。そのときに感じたうれしさと照れと小さな敗北感、それは関係性がちがったらたとえば熱い抱擁とか胸いっぱいの愛!!!みたいになっていたんだろうか?


と、前置きが長くなってしまったのは、ここ最近センチメンタルな日本映画ばかり観てしまったからで(松樹とiphone miniの小さな画面でくっつきながら観た『ちょっと思い出しただけ』が今年の、いえ人生の邦画ベストになりそう)、ほんとうは告知の投稿です。


🛸11/9-10には「淡の間感謝祭」にてワークショップをやります。みんなで輪になって「自分語り」をしながら、わたしの自己紹介ジンよろしくジンを一緒につくってみましょうの会。自分のことを話すこと、他者の声を聞くこと、誰かと一緒にいる時間を全身全霊をつかって体験すること。そんなことを、ジンづくりを通じて少しでも堪能できたらいいなと思っています。とはいえ他の出し物もある会場での気軽な集まりになりそう(すごくたのしそう!)。わたしもジンや編みぐるみの販売もします。場所は恵比寿のすてきなネイルサロンlowaly、詳細は

https://aynoma-aynoma.stores.jp/items/635102824b0839055c3aaa32 🤳(10日は満席みたいなので9日、ぜひ!!)


🛸 11/13には、me and you『わたしとあなた 小さな光のための対話集』の刊行を記念して、me and youのおふたり&イラストレーターでコミック作家のカナイフユキさんと一緒に「お話し会」をします。三軒茶屋のtwililightの屋上にて。こちらもだれが登壇🔥というのではなく、小さな灯火に手をかざしながら、集まった人たちみんなでぽつりぽつりと語り合えるような時間になったらいいなあと思っています。詳細は 

https://meandyou.co.jp/news/202210twililight1/ 💌


そう、”me and you” から “YOU & I”を思い出し、こんなに長い投稿になったのだけどワークショップの内容もお話し会のタイトルも近頃のわたしのテーマもシュタイナーの学びもジンで書き続けていることもやっぱりぜんぶつながっていて——「ひとと共にあることのすさまじさとすばらしさ」——、つながっているから生きてるって感じがして、毎日を生き延びているのでした。ここ数ヶ月いろんなことが重なってセルフ・エスティーム(これは『ウォールフラワー』で学んだ単語)を削られてもうだめかもとなるタイミングもあったのだけどやっぱり11月には息を吹き返す。ほんとはもっとちゃんとつらさを感じ切りたい気持ちがあるけどオンが生まれてからはそれができなくなった、それもまた僥倖、もしくは変化の、歳を重ねることのそれだ、ありがとう

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November 04 2022 {♥ 3}

summer solstice

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夏至の夜、窓を全開にして雨の音。ときたま間違ったところに雨粒が跳ね落ちる、高音の「テンッ!」にびくっとする。「間違ったところなんてないんだよ」と、仕事に行ったはずの松樹の声が聞こえてまたびくびく(どうしてこんなにもちがった人生観なのだろう!)

今夜はオンは寝つきがわるかった。わたしのひさしぶりの素話も途中で壊れて、しくしく泣き続ける汗だくの背中、そんな背中をふと撫でてあげられるような歌があってよかった。

おまもりください・わたしの・天使さま
昼も・夜も・あなたはわたしのそばにいる
おまもり・ください

歌詞が、というよりもメロディに心を落ち着ける力があり、文字だけでは伝えられないのがとても残念だ(どこかで出会ったら歌いますね)。

最近よくばりにも追加で英語の教員養成講座も取ることになり、この歌の英語版も教えてもらった。

Angel of mine, watch over me
Guide my work, to the good deed
May I be one who will work with my hands
Angel of mine, watch over me.

はじめと終わりの行はおなじだけど、2行3行目の歌詞にはっとする。「わたしが善いことを行えるように導いてください」、それも、「自分の手をつかってそうした仕事ができる人になれるように」。

シュタイナー学校には「手仕事」の時間があって、1年生の時から棒針編みを習う。かぎ針ではなく棒針なのは、両手をバランスよく使うことができるから、そしていちどやり方がわかれば、少し夢みがちなままでも編み進めることができるから(かぎ針だと一点に集中。視覚が育つけれど、知的にはたらくので1年生にはまだ早い)。つくるものは生活のなかで使えるもの。身の回りにあるもの、この世界にあるものは自分がつくることができるのだと体験を通じて学んでいく。「善いこと」というのはすごく抽象的な言葉だ。だけど自分がつくったものが、自分のためにも、他の誰かのためにもつかうことができるのだとしたら、それはやっぱり善いことなんだと思う。頭で知った気になっていたことの多いこと多いこと多いこと。そんなシンプルなこと、わたしはすっかり忘れていた。

手仕事のよいところ、たとえば編み物のよいところは、たとえ編み目を落としたとしても、糸をほどけばまた戻って編み直すことができること。失敗してもやり直すことができる、何度でもくりかえすことができる。そうした本質的なことが道徳であり、子どもの自己肯定感を育んでいく。わたしは失敗もするししょっちゅう間違える。これまで生きてきて間違ったところばかり、よれよれがたがたごつごつざらざら、とても無視できないテクスチャーばかりで本当にどうしようと思っている。先日も、松樹の実家から届いた梅を洗いながら、「痛んでいる梅を一緒に仕込むと台無しになっちゃうからな」と傷のあるものをよりわけた。これまでだったら、すぐにでも捨ててしまいたくなっていたそれらは、でもいまは冷凍庫のなかでかちかちに凍っている。もうすこしたって、心に余裕ができたら、取り出して梅ジャムか梅味噌にしてみようかと思う。

わたしは、まずは、梅仕事からだよ、てんしさま。

夏至の今日、オンの園ではヨハネ祭をささやかに祝ったらしい。蜂蜜パンをこね、焼き、ほおばり、木の実でつくった蜜蜂がぶらさがった小枝を持って帰ってきたよ🐝

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July 03 2022 {♥ 3}

i know you know

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「きっちゃんがわかってほしいだけオンはちゃんとわかってるよ」

毎晩、枕元の小さな電気を消して手をつなぐ、まだまだやわらかく水っぽい皮膚に顔をくっつける、「オン、だいすきだよ、生まれてきてくれてうれしいよ、おめでとう」。言わずにはいられないってことがわたしのなかにはあって、オンはそれをちゃんとわかってる、だからいちいち応えてくれる。

人が光で、この世界は愛に満ちてるってことを知ってるのに、ぼろぼろの心のままそれを言うことは偽善みたいで、ためらいと苛立ちと何より恥ずかしさを感じて毎日生きている。でももう、たぶんあんまり時間がない。だからぼろぼろのままでも心のつくろい途中でも、現在進行形の変化のさなかで、そうわたしは伝えたい。

映画の『カモンカモン』を観て、なにか書きたいとずっと思っているのに書けないままでいるそれじたいが、『カモンカモン』の感想みたいだ。誰もがその心とその身体のセットで生きているのだから、そのわたしが誰かと関わることでしか体験できないことがある。それをわたしはずっと避けてきたけれど、今オンと向き合い、オンがいることで松樹ともようやく向き合うことになった。ただただ他者と一緒にいるということが、どれだけ大変でほとんど耐えきれない修行みたいなことであるか、日々ほとんど気づかないままにみんな生きている。気づかないのは、言葉や知識やありとあらゆる知的な経験がバッファになっているからで、だから子どもはすべてにちゃんと気づいている。まるですでに修行を終えた人みたいに。

未来においては、「それぞれの人間が他の人と出会うということが、すでに宗教的な儀式、秘跡となる」とシュタイナーが書いているのは、つまりそういうことでなかったか。他者といる、ただそれだけのことが世界を善いものに変える力になる(2022ねん、わたしたちはとっくに未来にいる)。

絶望的でいろんなことに冷笑的な立場をとりたくなってしまう日々のなかで、それでも子どもの前では絶望的にも冷笑的にも居続けることはできない(それは決意というより不可能性みたいなものの話)。かなしい自分でいることで、苦しい自分を見つめることで、何かが生まれ誰かを救えると思っていたけれど、子どもの前ではその一歩先の自分でいたい(そしてこれは意志の問題だ)。たとえば、ぜんぜんだいじょうぶじゃなくても、ものすごくだめでも「だいじょうぶだよ」と言ってあげられるような存在、そんなのうさんくさいな、そんなの人間らしくない、なんて思っていたけれど、わたしはちゃんと人間で、もう大人だからこそ言ってあげられることがあるのを知る。(実際には、子どもといるというのは毎秒ごとに感情を試されることの連続で、そのなかで最適なチョイスをできないことなんてしょっちゅうだ、だからうまくいかなくても、何度も失敗しても、でも。)大人にならなきゃいけないということを、焦燥や諦観や絶望じゃなく、まるであたらしい喜びを持つように受け入れられるようになってきたんだ。

GWの間にシュタイナーの教員養成の3ブロック目を終え、大人と子どもは、こんなにも「ちがう」のだということに、ようやくはっきり気づくことになった。わたしにも子ども時代があり、でも時を経てちがう存在になったのだ。(親としてでも教師としてでも、そしてそのいずれでもない人であっても)大人として、子どもの前に立つことの、すさまじさとすばらしさ(in disguise)!

つまり、すさまじさの覆いをかぶったすばらしさというものがあるということ、覆いをとるのはしんどくても、これが覆いで、なかにはちゃんと別のものがあるって思えるからやっていけることがある。ひとりでするのは疲れるし、わたしはしょっちゅう忘れてしまう。だからこうしたヒントを見つけあい、みんなで共有できるような場所をつくりたいなと思っているよ。この映画はそんなヒントのひとつだと思う🥣

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July 03 2022 {♥ 1}

angels in disguise

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図書新聞4/16号に寺尾紗穂さんの『天使日記』の書評を書きました。いまの世にこうした本があることがすごく大切でとにかくうれしい気持ちなので、わたしの書評よりもぜひ本を読んでほしいのですが、お知らせです。

書評には扱わなかったけれど、引用されているシュタイナーの「それぞれの人間が他の人と出会うということが、既に宗教的な儀式、秘跡となるのです」という言葉、そしてジョルジュ・サンドの「ひとりでいることは、全員といるということであり、その中の数人とだけいることよりも価値があります」という言葉が、寺尾さんの文章のなかではハッとするほどに現実的なものとして響いてくる。それはまさに(評のなかでも書いたけれど)スピリチュアリティというものが、そして思想や哲学、文学というものが、生きている人間のリアリティを土台にしてこそ、人の心に訴える力を持つからなのだと思う。この本のなかには、本当にたくさんの人たちが登場して、そのたびに書評冒頭に挙げたシェイクスピア&カンパニーの壁に言葉〈BE NOT INHOSPITABLE TO STRANGERS LEST THEY BE ANGELS IN DISGUISE.(見知らぬ人に不親切にしてはいけない、相手は人の姿をした天使かもしれないのだから)〉を思い出したのでした。疫病や戦争という言葉が、過去からのばくぜんとした反射じゃなく自分の肌の上で感じる時代になった、だからこそ自分が知らない生を生きている他者を、どれだけ「遠くまで」「深く」愛することができるかという問いが生まれるし、そのためには共感力だけでなく思考の明るさみたいなものが必要になってくる気がしている。ほんとうにほんとうに、思考や客観性にあったかい血が流れることだってあるんだ、そんなことを思い出させてくれるような本でした。

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July 03 2022 {♥ 1}

5/2/2022の日記

今朝見た夢には「かつて好きだった女の子」が出てきたけれど起きたあとのわたしはその人が誰なのか知らない。彼女は日曜学校に行くために花柄のワンピースを着ていて、両手を広げて自宅玄関の前でわたしを迎えてくれた。ここは世田谷で、庭付きの大きな一戸建ての家で彼女は育ったのだということに心が少し乱れた。わたしは鉄塔のてっぺんにいて彼女のもとへゆっくりと降りようとしたけれど、途中で感電して落ちて死んだ。「どうしても好きなんだから(たとえば彼女がエスカレーター式の私立校育ちだったりしてもひるんだりせず)、好きと言わなくちゃ」と思って伸ばした手は届かなかった(好きな女の子のイメージを持ったのはいま読んでいるボーヴォワールの『離れがたき二人』、「鉄塔で感電」は昨晩観た『フレンチ・ディスパッチ』のせいだと思う)。

午後、もうすでに新しいとも言えなくなった渋谷パルコの周囲をぐるぐるまわり、ようやくなかに入ってからも迷いに迷い、不安と複雑な気持ちになったけれど、目指していた先がカナイくんの展示だったのでぜったいに諦めなかった(わたしはどうしてこんなにファッションビルがこわいんだろう?いつか服をなんの痛みもなく店で買える日がくるだろうか?お金の問題なのか心の問題なのかそのどちらもなのか?)。

何をさておいても見に行きたい展示と、読みかけの本をすべて伏せて開きたくなる読みもの(裏にPARCOと大きく印字されたこの冊子はここではzineではなく「ミニブック」と呼ばれている)がまだこの世にあるのってすごいことだ、そう感じられる自分まで好きになれる。

ココ・カピタンの展示も見た。「『消滅』とは、周縁に存在することだ……」わたしもずっと、”Join the club!”と言われることを待ち望んでいたのかもしれない。もしくはそろそろ、誰かにそう言ってあげられるタイミングを待つべきなのか。

ミニブックを読みながら思い出したこと:「恋愛睡眠のすすめ」も「ショートバス」も、わたしはサンセットブールバードにあった小さな映画館で観た。一つ目はコロンビア人の友人ハンスとで、彼もわたしもガエル・ガルシア・ベルナルの笑いかたが大好きだった。ハンスはトニ・モリスンとサッカーも同じくらい好きだと言った。二つ目は、カレッジの映画学科の白人教授とで、彼はのちに他の留学生の腰を触って訴えられた。わたしは”アシスタント”として彼の家に通い、認知症が始まった彼の母親と共に何度かTVディナーを食べたことがあった(セクハラもパワハラもDVも経験した留学時代だったけれど、すべてのことにきちんとした呼び名を与えられるようになったのはごく最近のこと)。

一方最近映画館で観た映画はカラックスの「アネット」と「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」で、前者は内容と宣伝文句を間に受けてしばらく心のバランスを崩してしまい、この春2度目のアクティングアウトをして電話口の両親と、同室にいた松樹に「家族っていうのが、親子っていうのがなんかもうすでにまちがってるんだよ!!」と言いながら大泣きした。宣伝文句はこんな感じだった:「子どもが生まれたことで、彼らの人生は狂い始める……」(早く「カモンカモン」が観たい)。後者については、すっかり彼女のファンになったものの、映画が物語ろうとするシュタイナーとの関係ばかりに気を取られ、見終わったあとに「?」が膨らんでそのまま頭が宙に浮いたまま帰宅した。果たして「シュタイナー → アフ・クリント=拒絶」という言葉が適切なんだろうか?ひさしぶりに買って帰ったパンフレットはオンがうきうき開いていた。

きのう友人たちと食べたおいしいタコスのひとつはサボテンと桜海老のサルサ煮込みだった。ベタベタの指、サルサがわたしの頬についてみんなで笑った。その前はトワイライライトで藤原辰史の『分解の哲学』の読書会(難しい本だけどフレーベルの積み木の話から一気に引き込まれる。朝の読書会、すごくいい)。今朝、瞑想アプリから聞こえてきたのは「たとえばあなたはきれいな水が飲むことができる。好きな食べものを選んで食べられる。とにかくすでにあるものごとに感謝しましょう」。ほんとにそうだよ、ありがとう

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May 02 2022 {♥ 0}

‖ ガイストたちの談話室 ‖

声と声、心と心、少しばかりの変化のじかん


議論が相手を説得しようとすることならば、対話とは自分も相手も変わっていくこと、なんだそうです。そんな言葉にみちびかれて、とりとめもないことを、それでもまっすぐ向き合って一緒に話してみませんか。あなたとわたしで対面しつつも、まなざしはぼんやり薄絹のむこう、視覚がつくる緊張をといて、まずはあなたの声に耳をかたむけ、そこに言葉を重ねていけたら。喫茶店でも電車のなかでも会話はいたるところで始められるし、展示やイベント会場なんかで立ち話で盛り上がることもある。だけどあえて時間も話題も前もって決めて、目の前に座ったあなただけと、ものすごくまじめに、でも楽しみながら話してみたい。いろいろなことに気を取られ気が散りやすい時代だからこそ、いちいち・わざわざ「話すこと」だけをやってみたいです。わたしには道を示すことも未来を占うことも心身を癒すこともできないけれど、対話を通じて一緒に変わっていくことならできる気がする。見えない看板に掲げた文句は「わたしはあなたにやさしくしたいし、あなたにもやさしくしてほしい」。まだまだ模索中の試みで、どうなることやらわからないけれど、そんな気持ちになったらばふらりと寄ってみてください。

持ちもの:対話のトピック(たとえば……snsには書けなかったけれど言葉にしてみたいこと、書いてはみたけどちゃんと声に出してみたいこと、誰かと話している途中に思いついたけれど話題が流れて話せなかったこと、読みたての本や観たばかりの映画・ドラマなんかについてひたすら言葉にしてみたいこと、「こんなことしゃべったら〇〇と思われそうだけど、わたしはただこれについてもっと誰かと一緒に考えてみたかったんだ」というようなことなど。それらに耳をかたむけ、応えます)、明るい思考と開かれた心!

わたしが用意するもの:薄いシルクのスカーフ(オンから借ります。わたしもあなたをそれを頭からかぶります。そうすることで相手の声に、言葉の手前の自分の思いにより深く向き合える気がしています。でも息苦しさを感じる場合はなしでも可、別のやりかたを考えましょう)、言葉のカード(話したいトピックがとくにない人へ。さまざまな本から引いた、思索を促すような言葉のカードを簡易で作っておきます。めくりながら対話をすすめましょう)、傾聴できるマインド、明るい思考と開かれた心、メモ帳、ペン

場所:very very slow gathering at SNOW SHOVELING の一画 (前投稿参照)
@veryveryslowmagazine @snow_shoveling

時間とお金:〜30分くらい、投げ銭式(はじめてのことなので、時間もお金もささやかなところから)

おみやげ:きくちの言葉シール1枚と、対話中に残したメモ落書き(……書けた場合のみ/お好みで)

予約方法:当日その場で、もしくはこれを読んでもう試してみたいと思ってくださるかたがいたら、dmでメッセージをください(開催日は4/29、時間は15:20-17:30まで)💌
(👉👉👉ありがたいことにすべての時間埋まってしまいました🙏きっとまたいつかどこかで😌🤍)

……ふう!たとえ今回は実現しなくても、アイディアをここにひとまず残しておきたかった!書くだけではなく、声や身体をつかったあれこれをこの先ももっと考えていきたいです

🦀

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写真1:イメージ画像
写真2・3:メモ
写真4:映画「ア・ゴースト・ストーリー」のワンシーン

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April 23 2022 {♥ 2}

welcoming year 3000

「だから今、わたしは今日の日記を書こうとするのに、次々に過去のことばかり思い出している。あの時うまく感じられなかったことが、こうして遅れてやってくる」

4年前の今ごろは、オンと松樹と沖縄にいたのだとfacebookの思い出機能が教えてくれた。その日に起きたことを毎晩こそこそ書きつけながら、それでもわたしは15年前に訪れたハバナの街のにおいとか、4年間暮らしたロサンゼルスで一緒に過ごしていた人たちのこと、それから卒業間近の大学の教室で恩師が残した言葉なんかを思い出しーー「いつまでも、揺れていろよ」ーー、それらに心も文章も圧倒されていたのだった。その恩師は震災後ほどなくして倒れ、帰らぬ人になってしまった。過去のことばかり、といってもたどり着けるそれにバリエーションはなく、たいていが上に書いた3つのこと、思い出すたびに解像度は低くなり鮮やかさばかりが増す。大学時代のことなんてほとんど花火みたいだ、いつかすべてがただのまぶしい光のように見える日がくるんだろうか。オンと松樹との旅も生活も今はまだ当然くっきり手触りがあり、薄いカーテンがしっかり引かれたままなかなか文章にはならない。

🌲

2016年の今日は、1994年発行のSWITCHを読み、星野道夫が書いた言葉を引用していた。まだ彼が存命中の特集号、ベーリング海に面したクジラ猟の村ポイント・ホープにて、その地に伝わる神話とそこで暮らす人々のことを思って書かれた文の一節だ。

「世界はめまぐるしく変わり続けている。かつて西暦一〇〇〇年を生きた人々は、私たちが越えようとする二〇〇〇年を果たして意識しただろうか。新しい世紀を迎えようとしている今、私たちは心の奥底である怯えをもって三〇〇〇年を意識してはいないだろうか」

3000年前、200年前、それから11年前の今日のことを思い出すと同時に、今から1000年先のわたしのことを、わたしは思い描くことができるだろうか。できるのであれば、わたしはそこに何を見るんだろう。そこにあなたはいるんだろうか。そこにわたしはいるんだろうか。わたしのなかに、何千年もの時間が凝縮する。そしてわたしも時間に散らばる。

もしわたしに役割があるなら、それは思い出すことだと思っていた。過去も未来も、すべて懐かしく「わたしがぜんぶ思い出してあげる」、でもそれはずいぶん傲慢だった。だから今日も昨日も明日も明後日も、ここにいるありとあらゆる人が書くこと思ったこと考えたことしゃべったことを、できるかぎり読みたいし想像したいし耳を傾けたい。今起きていることこれまでに起こったことこれから起きること、なにしろいつだって人が、ここにいるのだから。怯えではなく、やっぱり喜びや希望と共に西暦三〇〇〇年を迎えられるように。

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March 11 2022 {♥ 0}

some things we can see in our hearts

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「ジョジーに何が最善かを考え、そのために全力を尽くしました。いまでもよく考えます」

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カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を読み終えたあとでは太陽の光を見るだけで心が動き目がにじんでしまう、でもこれもきっと数日で終わってしまうだろう (いつだってそのくりかえし、だからわたしたちはまた本を読む) わたしたちの家にはナンナがいて、なかなか洗ってあげられない代わりに日光にあてて彼女を消毒する 生まれて3年が経ち、すでに至るところに破れ目ができはじめているこの人形が、オンのために最善を尽くさなかったことなどないと思う 命を持たないだろう何かが、日々自分のことを考え、全力を尽くしてくれているかもしれないなんて思ったこともなかった

でも、たとえば花屋で399円払って買って帰った2本のチューリップだって、全力で花ひらき散っていく、わたしたちのために わたしたちがそう思えば、心の中でそれが見えれば

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February 10 2022 {♥ 3}

when a knitted ball rolls into your hands

*

心が弱っているときには、帰り道の冬の木の枝いっぽんいっぽんを目にするだけでも刺されてすごく痛いなと思う。こうした心の状態を、頭のはたらきで覆い隠してついついなかったことにしてしまいがちなわたしなので、そのような指標があることはとても役に立つ。(でも雪が降った日、それらは包帯に巻かれたように見えてすこし気持ちが落ち着いた)

人に頼ることがとてもにがてだ。それ以前に、人と会うことがやっぱり得意でないのだと思う。だからここ10年、ほとんどひとりでジンをつくってきた。あえてタスクに名前をつけるなら、企画に構想、執筆に編集、デザイン、印刷会社とのやりとり、できてからの告知と営業、委託先とのやりとり、それからいまはウェブショップの運営と発送。それらすべての作業に必要な能力が自分にあるとはぜんぜん思えないのに、人に声をかけることができなくて(もしくは金銭やそれを集めるためのエネルギーがないために)ずっとひとりでやり続けている。元旦の夜に、松樹と『すばらしき世界』を観て、人の援助を受けることと、人に手を貸すことについてあらためて考える時間を持った。そのふたつのあいだにあるのは、信用とか信頼とかで、わたしにはそれがいまもうまくわからないし、考えるほどに逃げ出したくなると、松樹に伝えた。人に頼ることができない人は、人を助けることもできないんじゃないかと気づき、ものすごく恥ずかしくなったことも。それに対して、松樹は「100パーセントじゃなくていい」という答え方をした。信頼とか信用とか硬い言葉で考えるのではなく、ある瞬間に「誰かを助けたい」とか「助けてほしい」とか、「うまくやりたい」とか「うまくいってほしい」とか、そういう願いが確かにある、それでいいんじゃないのかと。

1月に受けたシュタイナーの教員養成講座で、とても印象に残った授業があった。わたしたちはみんなで輪になって座り、ひとつの毛糸編みの柔らかいボールを順番に転がした。自分の手元にボールがきたら、次に渡したい相手を探し、目でそれとなく合図する。そしてその人へとボールを転がす。少しいびつなボールは、意図した相手へとうまく届くこともあれば、途中で止まったり、ちがう人のところへ転がることもある。すべての人がそれをし終えたあと、今度は受け取るときも転がすときも、目をつぶってするように、という指示が与えられた。転がす相手は先ほどの相手、だから方向はなんとなくわかっているけれど、一度目を閉じてしまえば、あとは心の進む方向をたよりに転がすしかない。受け取る方も、ただじっと手の中にボールが転がり込むのを待つだけだ。ここでわたしが胸を打たれたのは、自分の転がしたボールが相手に届いたことや、自分の手がやわらかいボールに触れたことのうれしさではなく、自分の番ではないために目を開けている人たちの、ちょっとしたはたらきだった。そのはたらきとは、「見守ること」「手を貸すこと」のふたつだった。目をつぶっているふたりがその行為をまっとうする様子を、口を閉じてじっと見つめているところ。間違った方向にボールが転がれば、さっと手を出してボールが辿りつくべきところに導いてあげるところ。そのあまりにも自然で衝動的ともいえるくらいのはたらきを見て、そしてそのはたらきが自分のなかにもあることを知って、わたしは心を揺さぶられた。目をつぶっている人たちは、そのボールがどのようにして届けられたのかを知ることはない。自分の力だけでまっすぐボールが進んだのか、それとも途中で助けが入ったのか。ただ確かなのは、自分の手のなかに暖かなボールがあるというその感覚だけーー。おもしろいことに、そしていまだにうまく言葉にならないのだけれど、それは、「音楽」の授業で行われたことだった。

たとえ声を上げて助けを求められなくても、ときにひとりぼっちだと思い込んでしまっても、わたしはたくさんの人たちに助けられているし、すでに、そしていつだって救われているのだということを思い出し、忘れ、思い出し、忘れ、思い出し、それをずっとくり返し、今日もまた日曜の午後。言葉にして残すことは気持ちの定着を保証するものではないけれど、いつか何かのときに役に立つことを信じて。少しずつ、あたらしいジンをつくりはじめています。(いつも本当にありがとう!)


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February 10 2022 {♥ 1}

being everyone, everything

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神さま、という言葉には今でもどきっとさせられる。口にする場面や書きおく場所にかかわらず、ひとたびその言葉を使ってみれば、頭のなかの検索機が勝手にちくちく動き出す。わたしという人間がこれまで生きてきた全瞬間をかけた検索機、それはわたしを守ってくれる。でも、時にそれは過剰にはたらくこともある。はじき出された無数の結果が、いくつものwarning! で塗りつぶされて何も見えなくなる。

——

「頭から足の先まで
わたしは神さまの似姿です
心から手の先まで
わたしは神さまの息吹を感じます

口で話すとき
わたしは神さまの意思に従います

お母さんお父さん
すべての愛する人たちのなかに
わたしは神さまをみます
動物 木 花 石
すべてのいたるところに
わたしは神さまをみます

そのときわたしをおそれさせるものは
何ひとつありません
ただまわりすべてへの愛があるだけです」

——

これは、オンがふとした時につぶやいていた言葉を書き取ったものだ。あとから検索して調べると、ルドルフ・シュタイナーが書いた「幼児のための祈り」の言葉だった。おそらく子ども園でしょっちゅう唱えていて、自然と覚えてしまったんだろう。そのように思わず口について出る言葉が、彼女にはいくつもある。

神さまがなんなのかはわたしは知らない。知りたい、とも思わないし、誰かに教え諭されるのはとくにいやだ。でもそんなふうに書いてしまうのは、そもそもわたしはそれを知っていて、ただ思い出すことができないからなのかもしれない。ここ数年、さまざまなことを耳聞きし、読み、学ぶにつけ、頭のなかの検索機の性能が何度もアップデートされた。それはこの場所で生きる限り必要な機能だし、自分を守るためというより、むしろ他者への加害をふせぐものとして大切な役割を果たしている。そしてその自己検閲は結果として、インターネット空間で生きるわたしにとっての自己防御にもなっている。

でも、この言葉をオンの口から聞いたとき、わたしの頭はいったん動くのをやめた。言葉がそのまま心に流れこみ、手足まで染み渡っていくのがわかった。

「そのときわたしをおそれさせるものは
何ひとつありません」

こわいものが多かった。たとえば鬼、おばけ、男の子、車のワイパー。夜の天井、集団登校、歯医者、自転車。月曜日、班決め、蝶の鱗粉、給食当番の白衣、理科室。埃と台風、セイタカアワダチソウ。口裂け女とオカリナおじさん、算数で使う巨大な定規。ジェットコースター、足の届かないプール、体育、乱気流、文学理論、哲学書、お金、そして自分ではない人の心。

でもこの言葉をつぶやくうちに(わたしもすべて覚えたのだ)そうしたものが一つひとつ解きほぐされ、光の粒に変わっていく。粒はどこにも消えないけど、少なくともそこまでこわくはない。

「すべてのいたるところに神さまをみる」こと。それがどういうことなのかを、具体的に問うてみてもあまり意味がないような気がする。たとえば今、ひとり訪れた近所のスターバックスで隣の席に座る人に、いきなりそうした神性を見出すことはむずかしい。たとえ許されてジッと見つめたとしても、ただ時間ばかりが過ぎ、気恥ずかしさだけが浮かび上がってくるだろう。でも、その人がここにいるんだな、と思ってみる。名前も声も知らず知らないままに終わるけれど。小さいケータイのスクリーンでこれを打ちながら、「あなたがここにいるんだな」と、目も向けずに、ただ。

そんなことを少しずつくり返し、何かを書いていけたらいいと思う。そう考えると、わたしにとって、書くこととは、こわいものを一つずつ減らしていくこと。そんなふうにも思えてくる。2022年の抱負に変えて。

きくちゆみこ

ps. この言葉を聞いたときにまっさきに頭に浮かんだのは『フラニーとズーイー』だった。シーモア・グラスが兄弟たちに語っていたとされる “The Fat Lady” ——誰のために演じるのか? 誰のために靴を磨くのか? それは「太ったおばさん」のためになんだよ——。すべての人に神さまをみることと、 “being everyone, everything”(すべてのものたちになること)についても、ずっと考えている。

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January 01 2022 {♥ 2}

my 2021: year of pain but full of learning. 痛みだらけだったけど学びに満ちた年

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「これはなんて書いてあるの?」とオンが貼ったばかりのシールを指しながら聞いてくる。それはわたしがつくった言葉のステッカーで、「いちど手にしてさわったのなら 誰も何もうしなわない わたしは何もうしなわない」と薄いピンクの背景に黒い文字で並んでいる。「うしなわないってどういうこと?」何もなくさない、ぜんぶここにあるってことだよ。「それっていいことだよね? オンも何もうしなわないよ」

一度つくってからすっかりハマってしまった羊の編みぐるみを編む手が一瞬止まる。「うしなわない」と何度か口にするオンは「う」と「し」を続けて発話するのが難しそうで、聞こえてくるのは「うーしーなわない」、今ここで書き出してあっという間にゲシュタルト崩壊する。「でもね、赤ちゃんのころのはもうなくなっちゃった、赤ちゃんの思い出はもう、うーしなったよ」

今年は年明けから全身がヘビに巻かれ、さらには重たい大木が次々と肩の上に倒れてくるような毎日だったので(実際にそんな夢ばかり見た)、ふと気がつくとここにいることをやめてしまいそうだった。ぜんぜんやめるつもりなんてないのにからだが消えそうになるものだから、その度に巨人になったつもりでどしどし足を踏み鳴らす(心が折れてるときには、足音が聞こえなくなるんだよ! 大地のDa、だいじょうぶのDa、大好きだよのDa、それでも効かないときには、「どんなに・だめなやつ・だとしても・わたしは・わたしを・だきしめよう」のDadadadada…… 音はいのちだからね、こことわたしをつなげてくれる)。夕暮れどき、オンとふたりきりで早い夜ご飯を食べようとして、でも口に入るのは砂ばかりの日々があった。ぼおっと見ていた窓の外の夕焼けがうつくしく心底かなしかった。

変化のきざしは秋のおわりだろうか、蠍座の季節に入った時期(なんてわかりやすいんだろう)? きっかけはなんだった? 毎月の激痛の原因がようやくわかったこと? 前向きになれる治療法が見つかり、独特の処方で漢方を飲み始めたこと? 食習慣を見直して、早寝早起きを始めたこと? 毎晩寝る前に朝食のメニューを考え、付箋にメモして明日のわたしに申し送りする。podcastを聴きながらじぶんの食べたい朝食をゆっくり準備する朝の時間が宝になった。夕焼けの代わりに朝焼けを見る。窓を開けてあいさつする、「おはよう世界! きょうもあなたはすてきだね」。たったそれだけで、それだけでヘビが藪に帰り、倒木が焚き木にどんどん割れた(それはわたしの冬を暖めてくれている)。こんなにからだが軽いなんて!! 小学校から今まで、どれほどがまんしていたんだろう、ヘビと倒木と過ごした30年を思い、しくしく泣く。まだ毎月痛い、でもからだと心のはげしい取っ組み合い、それが少しずつたのしいダンスになっていきますように。

仕事においては: 2020年はまぬがれていたパンデミックの影響が1年遅れでやってきて、毎月の仕事が消えた。4月のBRUTUSの猫ちゃん号でブコウスキーの詩をひとつ訳し、5月にTiger Lily Tokyoさんのnoteに「ご自愛」をテーマにコンプレックスと向き合うエッセイを書いた。夏の記憶がぜんぜんなくてもう10月、慢性疾患や障害とともに生きる当事者がつくるイギリス発(now アメリカ)の雑誌SICK翻訳プロジェクトに関わり、先日「図書新聞」にタナハシ・コーツの『ウォーターダンサー』評が載った。そしてそのあいだじゅうずっと、昨日アップした、ひとつの本をずっと訳し続けていた。翻訳を通じて、読書を通じて、自分ではない人たちの声を、そしてそれが束になったときに現れる社会の姿にはじめて触れたような一年だった。それと同時に、じぶんが幼いころから感じていた痛みや混乱が取るに足らないくだらないものに見えはじめ、それを書きつづることに恥ずかしさを感じるようになった(だから、ここ10年ではじめて、ジンを一冊もつくれない年になった)。「わたしが生きてると、ここはどんな場所になる?」いままで無邪気に唱え続けてきたマントラの響きが変わる。でも、他者の声にじっと耳を傾けることと、じぶんの痛みを過小評価し脇に追いやることは同じでない。痛みを通じて他者を理解できる、なんて言葉は陳腐に聞こえるかもしれない。でもそれはたしかに連帯の可能性をつくり、より大きな構造をぶちこわすための力になる(気づくまでには時間がかかったけれど。わたしにはまだまだ、わたしが知っている以上にできることがたくさんある、それを真剣に考えていきたい)。

パソコンから顔を上げると、雪がちらついている。夜ははじめて、じぶんでかき揚げを作って年越しそばにしよう。羊の編みぐるみは今日のもので6体目になる。できなかったことができるようになることは、でも、できなかったじぶんをうしなうことではないよね。来年も、いくつものわたしと一緒に🦕

webshopから、みなさんがジンやステッカーを買ってくださったことにも本当に助けられました、ありがとうございました!来年はやっぱり、あたらしいジンがつくれたらいいな)


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December 31 2021 {♥ 1}

take eternity

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「語りの首尾一貫性ではなく、聞く人が『それ』を聞けるかが、世界への信頼を取り戻す鍵となる」

ほんとうに少しずつしか読み進めることができない。

「絶望と痛みは、まるで果物の皮のように、それを体験した人を覆い、閉じ込めてしまう」

破壊された人は、かつては「いまだ破壊されていない人」であった。そのあいだを分かつ壮絶な経験、世界が崩壊したあとで、それでもなお語られた断片的な言葉や空白をそのまま受け止めるうつわと、耳を傾けるための場所がわたしたちにはまだ足りていないと思う。

(それでも、わたしたちには、zineがある……というささやかな希望)

本書における「それ」に込められた深い深い意味とは比べものにならないくらいの傷だけれど、最近ようやく人に話せるようになったことがある。どんどん成長をすすめるオンを見つめる目がかすみ、幼少期の自分がぼやけて二重映しになる。このままではいけない、いけない!と思い、友だちに紹介してもらったカウンセラーの方に教えてもらった本。エミリ・ディキンスンは、「この人生など果物の皮のように投げ捨て、かわりに永遠をとる」と書いているけれど、わたしは皮つきのままでも、もう少しここにいたい。育つのをやめていたわたしのなかみに水と光と言葉をあたえ、大人になってようやくあなたと向き合いたい。

ps
とにかく忘れっぽい数時間後の自分へ(アラームをスヌーズにセットして): どんなに小さかったとしても、とるに足りないように思えたとしても、自分の感じている痛みをバカにしないこと!

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December 11 2021 {♥ 0}

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