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2020年 11月 24日
何事もスマホ一つで済ます息子が、封筒はあるか、切手はあるかといって、何やら書類を書いているので、何をしているのかと聞いてみた。すると、寮のネットの契約を変えたのでそのキャッシュバックの申請をしているのだという。いわく、「これずるいんだよね。契約してから半年後、忘れた頃にしなきゃいけなくて、しかもその時に必要な情報は最初のメールにしか書いてない」、と。数万円のキャッシュバックを得るためには、そういうことを初めにちゃんと理解して、最初のメールを保存し、カレンダーに半年後にリマインドする設定をしておけるというリテラシーがいる、ということを知る。しかも最後に書類を郵送するところで、切手の値段など知らない若者には料金不足で返送されてくるという関門まである。(実際息子は封書にいくらの切手をはっていいかまったく見当をつけることができなかった)。 そういう仕組みを考えている会社の会議の様子を思い浮かべた。申請の時期や方法をこういうふうにすると申請率が何%ぐらいになって、一方キャッシュバックの額をいくらにしてキャンペーンをこう打つと契約率がこれくらいになって、だからこういうふうにすると利益がどれくらい出ることになる。説明不足と訴えられないためには、云々。今時の商売の議論は大方そんなふうなのかもしれない。それはそれでデータを集め、シミュレーションして、広告デザインとメディアの企画を検討して、、、。会社とは無縁な日々を送る私は、ぼやっとその会議の風景を想像してみる。会議室は明るくて、清潔で。集まる人の物腰は柔らかく。その仕事の担当者は決して人を騙してやろうなどということではなく、ゲームのルールをつくり、回し、プロジェクトとして成立させるという、きわめてクリエイティブな仕事にやりがいをもって取り組んでいるのであろうなあ、とも。 さて私たち消費者は、そのようにして差し出されたたくさんの商品から選ぶ自由を享受する。情報を集めて、比較して、どれが一番お得なのかと。何かを賢く入手するためのリテラシーとして、メルカリをチェックすることに始まり、多種多様なポイント、ふるさと納税、GO TO。さらにはそれら多彩なサービスからよいものを選び、ガイドしてくれるサービス。そういうものに丸々囲まれるようになったのは、そう古いことではないはずだが、すっかりそれが当たり前になっている。 一冊の本を読んだ。熊代享「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」。2020年6月1刷、10月に3刷。著者は1975年生まれの精神科医であり「シロクマの屑籠」というブログで発信しているという。大船のペンギンの本屋で偶然見つけて求めた一冊。骨子は帯に集約されている。 「現代人が課せられる「まともな人間の条件」の背後にあるもの。 生活を快適にし、高度に発展した都市を成り立たせ、前時代の不自由から開放した社会通念は、同時に私たちを疎外しつつある。メンタルヘルス・健康・少子化・清潔・空間設計・コミュニケーションを軸に、令和時代ならではの「生きづらさ」を読み解く。」 私自身は「生きづらさ」とは遥か遠い日々を送っている。しかし、日々の行動がその「いきづらさ」という領域を前提にし、それと離れた「まともな人間の条件」に自身は身を置こうとしている、ということを改めて思う。 例えば大学における学生への接し方について、この10年以内の間に、さまざまな方策や知恵が整えられた。各種ハラスメントに対する注意に始まり、学業がうまくいかずに悩む学生やひきこもりかけている学生への接し方などである。大雑把に言えば、そういう「生きづらさ」を抱えた学生には、「がんばれ」とか「どうしたの」とか教員個人が立ち入るよりも、カウンセリングや専門医に任せた方がよい、という方向になってきた。幸い私の研究室にはそこまで深刻な状態にある学生はいなかったが、卒論を書き上げることができぬままフェードアウトしていった人は何人かいる。それ自体は人生の一つのあり方として全然不思議ではないと私は思うし、どこかで元気に生きてほしいし、応援できることはするよ、くらいに普通にうけとめている。 さて熊代の著書、「第2章 精神医療とマネジメントを望む社会」では、心の問題が社会に適応できないという行動の現れとなりし、それが見出され、ADHDやASDなどと診断・理解され、処置がなされ、その結果問題視されていた行動の改善やその行動への対応が準備された社会への復帰を目指そうとする、というプロセスというか社会構造が具体的に綴られる。これは、現代を「まともに生きられる」集団が中心にあり、そこからはみ出している人たちがそのはみ出しの程度によって同心円的に付置された社会、名付けて「秩序と社会適応の同心円」として描かれる。そして福祉とは中心から外周へと手を差し伸べるもの、として位置付けられる。この構造自体を否定するのは極めて難しい。しかし、この社会構造は決して人類の歴史において長くあり続けてきたものではないし、この社会構造ゆえの「生きづらさ」や「不自由さ」を感じざるを得ないという感覚は拭えない。予想通り、伊藤計劃の「ハーモニー」にどこかで言及されていた。 「第3章 健康という“普遍的価値”」 がもたらす格差や不自由さ、死生観の減退、「第4章 リスクとしての子育て、少子化という帰結」の抗えないメカニズム、「第5章 秩序としての清潔」という価値観が排除するもの、「第6章 アーキテクチャーとコミュニケーション」の無意識のうちの支配。この本のタイトル「健康的で清潔で道徳的な秩序ある社会の不自由さ」が多角的に、繰り返し語られる。そして最終章「資本主義、個人主義、社会契約」というキーワードから俯瞰的論考が加えられる。読み終えた時、冒頭で述べた、いまどきの商売が生み出され、消費されていく日々の風景と、この本で提起された違和感はぴったりと一致した。
キャンパスに戻るなら、私が学生時代を過ごし、いまの職場となっている51号館は18階建てだ。学生の頃は自由に屋上にでられて、そこは一つのアジールだった。職場として戻ってきた17年前、どの階も窓のアルミサッシを開けることができた。そして、年に一度、あるいは複数回、飛び降りて命を断つ人はいた。そのことはなんとなくみんな知っていたし、研究に行き詰まるってそういうことであり、逆説的に研究とはそういうものでもあると思い、心の中で皆合掌していたのだと思う。別のキャンパスで大学院生をしていたときには、よく知るとても優秀な助手の先生や、同じ専攻のとても高明な先生がやはり命を自ら絶たれた。ましてその先生は焼身だった。 数年前、51号館の全ての階の窓にはストッパーがついて、20cmほどしか開かないようになった。かつてあった投身自殺はなくなった。生きづらさ、もしくは大学がもとめる秩序に適応しない、できない人はいる。多分増えているだろう。ちゃんと学び、研究し、成果をあげていく同心円の中心にいる学生の、その外周にいる学生、若い研究者、教員は、その気配や兆しによって一時私たちに緊張を与えるものの、ほどなく見えないところ、私たちの世界から離れたところへマネジメントされていく。同心円の外周にいる人たちは、決して同質ではない。なぜ中心円にいないのか、いられないのか、その理由も意味も様々なはずだ。まして大学というところなのだから。もう一つ別の中心から円を描くことでその人の、その一人ひとりは私にとっての他者としての新たな意味をもってくるだろう。そうした他者と向き合う時に私は何かを得るだろう。失いもするだろう。その事件に自分が向きあえるかの自信は正直なところ、ない。のほほんと生きていきた私の悲しみに対する免疫は極端に低い。意図せざる出来事、出会いとの遭遇はリスクとしてあらかじめ避けられる社会は、その意味でもありがたい。「自分の研究室の学生が自殺されたりしたら困るから」という思いは、誰にでもある。その思いが、「いきづらさ」という領域を前提にし、それと離れた「まともな人間の条件」に自身は身を置こうという選択を後押しする。争うすべは、今のところ、こんなことを時々しっかり考えよう、という程度のことしか見出せない。 #
by yoh-lab
| 2020-11-24 10:44
| 読んだものから
2020年 09月 29日
あまり使わない部屋の掃除をしようと雨戸をあけると、ぽたりと降ってくるものあり。ひやっと身を反射的に縮めるも、おさだまりのヤモリであるとわかれば慣れたもの。ヤモリさんこんにちは。あなたはずいぶん大きいね。雨戸の開けたてはあまり勢いよくやってはいけない。ヤモリを轢き殺してしまうから。谷戸住まいのリテラシーの一つである。 今朝起きて居間のガラス戸から外をみると、そこには初めてみるヤモリの姿があった。クモの巣の一角、手足を胴にぴったりとつけてミイラのように包まれて、すでに息絶えているのだろうが、その目はまだ虚空を見上げている。小さなヤモリだ。尾の先には主たるクモが、これもそう大きくもなく、獲物の見張りのごとくじっとしている。 このヤモリのように命を失っていくときの気持ち、言葉としての気持ちではなく、感覚としての気持ちはどのようなものなのだろうか。この結末にいたるまでには、かなり激しい運動があったであろう。先日台所の窓の外の巣にかかった蛇目蝶とクモの攻防のように。クモの糸は実に強靭だ。目に見えぬほど細く、それゆえ朝一番に家をでる者の顔面に不意打ちを喰らわせる。雨のしずくを満遍なくぶら下げる。その美しく、恐ろしく高性能な糸という武器をもったクモは9月になった途端に出現する。名をしるのはジョロウグモのみだが、他にも数種類がいる。 家の中にいる巣を張らないクモは、これも一部屋に一匹以上ともに暮らすようにおり、主のような大きさのものには出くわす度にどきりとさせられるが、一定距離以上は近づかず、虫を食べてくれるとの理由で排除はしていない。これまでに数度、その家グモの子が家の中で生まれた場面にであったが、その時は流石にお引き取り願った。家グモは8本の足をひろげてわさわさと歩くが、獲物に対しては目を疑うばかりに飛びかかる。ジャンプというより瞬間移動だ。たしかにその技がなければ捕らえることはできないだろう。8本足のうち1本、ときに2本を失っているものもいる。かなり大きくなっているから、それでも生き延びられるということだろう。しかし、昨晩から台所に壁にいるものは、片側の4本が失われている。はじめは抜け殻かと思ったが、移動するから生きているのだ。よくみると失われた側の一番前の方にある、短い足らしきものを使って胴を支えているようだ。それが何かを見極めるほど近づいてみることはしたくない。 9月になるとでてくる、絵に描いたような巣を屋外に張るクモの他にも、家のなかでは、図形を描かず霞網のように張るもの、壁にわずかの隙間をとってテントのように貼り付けるもの、コロコロとした繭のようなものを額縁の裏などに飾り立てるものなどがいる。いずれもとても小さいが、掃除機で吸い取るのは容易でないほどの強さをもつ。 こんなふうに綴ると、クモ好きかと思われるかもしれないが、決して好きではない。名前も調べようと思わない。調べるために検索すればゾロゾロと出てくるであろう画像はやはり気持ち悪くて見たくないからだ。ただ、家の中に、窓の外に、庭にいる生き物として日々それらは目にはいってくる。特段の危害をくわえず、お互いに注意すれば接触も回避されるのだから、徹底的な排除はしないが、適度に殺生しているだけだ。 しかし、そのクモによって命の攻防の現場が眼の当たりになると、一段心情の層が深められてしまう。生きることはすなわち死によってなりたっている。 つい書いてしまったこのフレーズ。そこからはいろいろなところに話が飛んでいくだろう。でもそれは、やめたほうがよい。今は、ミイラのように包まれ、横たわり、うつろに宙に目をむけているような、あの小さいヤモリのことだけを、それもすこしだけ、思ってみることに留めておこう。 #
by yoh-lab
| 2020-09-29 09:50
| 日常
2020年 09月 28日
ヤマシタさんがFBで教えてくれた一冊。全く知らなかった著者、原民喜「夏の花・心願の国」新潮文庫、読了。裏表紙には「現代文学史上もっともうつくしい散文で、人類はじめての原爆体験を描き、朝鮮戦争勃発のさ中に自殺して逝った原民喜の代表的作品集」とある。大江健三郎のセレクトと解説。 著者との出会いとなる最初の一文。 「陽の光の圧迫が弱まっていくのが柱によりかかっている彼に、向こう側にいる妻の微かな安堵を感じさせると、彼はふらりと立ち上がって台所から下駄をつっかけて狭い奥の露次へ歩いて行ったが、何気なく隣境の空を見上げると高い樹木の梢に強烈な陽の光が帯のように纏わりついていて、そこだけがかっと燃えているようだった。」(p8) いきなり、3度読み返した。冒頭の節の「かかり」がよくつかめなかったから。その一方で冒頭からありありとその風景が目に浮かんだ。空気感とともに。そのためか、その後は「かかり」などまるで気にならず、すいすいと、本当に何のストレスもなく、すいすいと文を目が追い、風景が浮かぶ。裏表紙の「もっともうつくしい散文」という評価は後で気づいたのだが、うつくしい散文というのはこういうものなのか、と思う。 文庫にて十から三十ページ程度の短編12本が3部にわけて編まれている。まったくの私小説というか、自らが見、体験し、感じたことがそのまま綴られている。時系列で。したがってこの一冊は、妻の病と死の経過を共に生き、その後生地の広島にて戦時中の居候として生き、原爆を体験し、書き、その後約5年の月日を東京で作家として生きながら広島を久しぶりに訪問する、という著者の生きた時間をそのまま追うものがたりとなっている。よって、そのように編んだ大江健三郎の作品でもあるといえよう。 第一部の著者はまことに頼りない。妻を深く愛し、妻は著者の作家としての才能を信じ、しかし作品は書けず、中学校の英語教師などをしながらその日を生きている。しかしそのたよりない男の目に映る景色と気配のはかなくうつくしくおだやかなトーンは実に魅力的だ。その著者が広島にうつり、戦火のなかで生きる大家族の様子を描く第2部の冒頭からは、たよりなさはすなおさとなり、状況を批判するのでもなく、淡々とつづる。原爆を体験しなからなんとか郊外までたどり着いて生き延びるまでを綴った「夏の花」は、恐ろしいまでのリアリズム。直後の「廃墟から」においても、その冷静な観察眼がつらぬき、あのたよりなかった男がこうまで強く、淡々と、状況を、その場にいた人々の状況と心情を激昂することなく綴りえる。その強さがひたひたと伝わっている。それが第3部の「鎮魂歌」によって激変する。魂と感情の爆発が、まだ続くのかというほどに持続するのである。読むのが痛い。そして最後の2篇において、戦後復興も半ばであろう時期のそれでも日常が新たになった状況を生きる著者の一見明るく、しかし遺書となる文を携えて閉じる。 この一冊をどのように読むかは、様々であろう。わたしにとっては、全編が一続きの長編小説として、この著者を主人公とした映画をみるようであった。 冒頭にあげた一文にせよ、至る所に、風景、情景のありありとする記述に満ちているが、ついページをおった箇所は以下。原爆が落ちる前、広島で居候をしながら市街地と郊外を行き来していた「破滅の序曲」から、兄と一緒に電車での移動中に建物越しの山並みに目をやってからの記述。 「それは今、夏の夕暮の水蒸気を含んで鮮やかに生動していた。その山に連なるほかの山々もいつもは仮睡の淡い姿しか示さないのに、今日はおそろしく精気にみちていた。底知れない姿の中を雲がゆるゆると流れた。すると、今にも山々は揺れ動き、叫びあおうとするようであった。不思議な光景であった。ふと、この街をめぐる、或る大きなものの構図が、このとき正三の眼に描かれて来だした。……清冽な河川をいくつか乗り越え、電車が市外に出てからも、正三の眼は窓の外の風景に喰入っていた。その沿線はむかし海水浴客で賑わったので、今も窓から吹込む風がふとなつかしい記憶のにおいを齎したりした。が、先ほどから正三をおどろかしている中国山脈の表情はなおも衰えなかった。暮かかった空に山々はいよいよあざやかな緑を投出し、瀬戸内海の島影もくっきりと浮き上がった。波が、青い穏やかな波が、無限の嵐にあおられて、今にも狂いまわりそうに想えた。」(p122) 「或る大きなものの構図」とは何を指すのか。上記に続くのは、爆撃する側の目からみた日本列島のなかの広島のさらには爆弾投下目標地点への眼差しである。そうした上空からの眺めと地上からの生きた視点からの眺めの交錯が、その時はそうと知らずに、しかしなぜかありありとおそろしく精気にみちて見えたというその驚きか。回想のなかでありありと浮かびあがる風景。それが、その時確かにそれを眺めていたという自分の生と感覚を保証するものとしてある。わたしがその時確かに生きていたというのは、その時わたしが眺めた風景によって担保されるのかもしれない。 #
by yoh-lab
| 2020-09-28 11:28
| 読んだものから
2020年 09月 05日
昨日乗換駅の本屋に5分滞在のなかで、仕事の役に立たない感に惹かれて求めた一冊。池上俊一「動物裁判―西欧中世・正義のコスモス」講談社現代新書。一気読了。知らない著者。帯にひかれて手にとって、奥付をみて1990年9月発刊で2020年9月に第23刷とあるのが求めた主たる理由。 11〜12世紀に萌芽、13世紀以降本格化、14-16世紀にピークを迎えて、18世紀までつづいた動物裁判。これは、ブタ、ウシ、ウマなどの家畜から果てはネズミやバッタまでが被告として裁判にかけられ、判決がくだされ、有罪となれば処刑される、という正式な裁判。罪はこれら動物によって人間が殺された、怪我をした、農作物が壊滅した、というもの。中には獣姦の相手として人と共に処刑される場合も。 本書の前半では、この動物裁判の具体が綴られる。そのディテールが文書として記録に残されているところがすごいし、それをフランスの図書館で読みふける著者の仕事もすごい。被告は裁判所に出頭するように要請されるが、出てこない(当たり前ではある)。3回呼び出しても来ない場合は、被告欠席の状態で裁判が行われる。弁護もついて、その弁護者の切切とした訴えによって無罪となったネズミもいたりする。処刑は公開で見せしめ的な形となる。バッタやネズミなど被告を捕まえられない場合は、聖職者がそれらを破門する、という刑罰が処される。かかった費用の明細まで語られる。 こうした動物裁判を、本気で真面目にやっていた、というところが帯にあるはハチャメチャな面白さ、ではあり、確かに面白いのだが、歴史学としての肝は後半の第2部で、なぜ中世にこのようなことが起きたのか、の読み解きが行われる。 まず、中世という時代は近代に負けないくらいの革命が起きた時代である。家畜に引かせる重たい鋤、水車、風車、三圃農業による農業革命、恐れの対象であった森の開発、そして経済中心としての都市の誕生。自然を征服するという行為の展開が起きた時代として確認。 同時に土着的に様々であった信仰や制度がキリスト教といういわばユニバーサルな世界に移行していく時代でもある。それとともに、自然に対する感受性がこの時代に大きく変化・展開していくことが、景観・風景の発見として語られる。我々景観研究者にはお馴染みの話がここで出てくることにちょっと驚く。つまり西欧においては自然は風景として鑑賞する対象、少なくとも美しいと思って眺めたり、自己の心情を投影しながら眺める対象でなかった時期が長く、ようやく14,5世紀にそうした眼差しが生まれてくる、という話である。合わせて科学や哲学の転換もこの時代に起きてきて、つまり自然と人間の世界観が大きく転換したのが、ちょうど動物裁判が行われていた時期であった。 「自然のはかり知れない威力の前に平伏し、それを呪術的な方法で慰撫しつつ自然と共生し、自然の一部として生活を送ってきた」(p148)時代や、「風景を人間社会の論理から解きはなち、風景をそれにむかいあう個人が風景のためにのみ愛好・描写する時代、そして科学的客観性で自然をみて解釈し尽くそうという時代」(p178)のどちらの時代にも動物裁判は成立しえず、その転換過渡期において現れたのである。また動物裁判は、被害をうけて訴える、またその裁判と結果の処刑に立ち会う大衆と、国の制度にもとに体制化されていく裁判制度のなかで動物裁判を求め、執行していたエリート層、というそれぞれ異なる眼差しの両方があった故にも、この時代にあり得た。 「動物裁判とは、まさに自然界にたいする独善的な人間中心主義の風靡した時代の産物であった。それをイデオロギー的に裏打ちしたのは、権力と結びついた人文主義と合理主義である。その具体的展開をゆるした社会的現実としては、自然を支配・搾取するための不断の戦いがあった、といえるだろう。」(p212) なるほどー。そういう読み解きですかぁ。自然と人間の関係、およびその変遷という大きなフレームの中に置いたとき、西欧の中世という時代は実に面白い。本書でも最後に少しだけ言及されているが、それは日本の中世、日本の自然と人間の関係性とは大きく異なるものであることも、再確認できる。 ところで、記述として気になったこと。著者は「わたし」でなく、「わたしたち」という。これは著者と読者が一緒になって、歴史の読み解きを進めている、というメッセージなのか。もう一つ、2箇所、一瞬目を疑うような差別的な文節が出てきて驚いた。もちろん、その時代にそう言われていた、ということなのであろうが全くそうした注釈はない。初版1990年。30年前はそういう感覚だったのだろうか。 #
by yoh-lab
| 2020-09-05 13:49
| 読んだものから
2020年 08月 02日
8月になったら心を入れ替えて仕事しよう、と思ったものの、昨日求めた役に立たない本が素敵すぎて、またしも週末の朝寝坊寝床読書の至福の時間。 藤原新也「日々の一滴」 岸政彦「図書室」 読了。 藤原新也の新刊は、帯には愛らしい猫の写真がデカデカと入っているのだが、あえてそれを外したくなる。この人のつきる事のない「問い」と「自答」。その問いの源となる人、場所、出来事を求めて動き続けるエネルギー。そしてそれを写真として表現する力の揺るぎなさ。 心の底から尊敬する。 見開き2ページの文章の次に見開きで印刷された写真。(なので、写真の中央には大きくページの継ぎ目が入るが、そんなことは全く問題ない写真の力) 綴られることは、原発事故や現代の日本の均質化への憤りが通底する。と同時にそれを変えられない以上その責任の一旦を背負って生きている者としての当事者意識。突き放して批判するよりも、ずっとずっと問も答も深い。 社会学者、岸政彦の「図書室」は小説。同時に収録されている「給水塔」は自己を振り返っての、断片的な記憶とそこに居合わせた数多の人々の人生への想いと、それらとともに今ここに繋がってきた自分という存在への、多分、感謝。この人の生活史研究の土壌がその湿り気と温度と手触りをありありとともなって届けられる。この人が類まれな存在であることは今更いうまでもないが、その類まれな力が、この分野(大阪や沖縄を中心としたライフヒストリーのフィールド研究)に投入されたことに、心から感謝する。同時にそれはまた、岸さんの対象とする世界とは異なる世界への肯定感、(つまり、高級住宅街というかちゃんとしたお屋敷という場でのライフへの肯定感)から来ているという、しかもそれが小松左京の短編小説から発していたことが綴られていた。 こうした感覚が、彼の仕事の一番底のレイヤーとして薄く薄く、しかし一番底にあるあるがゆえに全ての枝葉を支える基盤としてあることには、驚きと同時に、とても納得した。岸さんが、いわば世の中から外れた人たちや極端な人たちを研究対象としているのは、言ってみれば正義や倫理への反抗から来ているのではなく、それらへの「肯定を肯定すること」ができる事の上にある。このことが、彼の文章、眼差しに、何かイライラした感じがない事の理由であった。深く深く納得した。 ここまで書いてきて、今気付いたのだが、藤原新也と岸政彦には、こういう共通点があったのだ。自分が惹かれる対象でないものへの肯定の肯定。だからどちらも、とても過激なこと、しんどい世界に真正面から向き合い、表現しているのだが、それを読むときに常に暖かい空気が漂う。そこがたまらなく私は好きなのだ、と。 彼らが向き合うようなしんどい世界に、私は直接向き合うことはできない。不幸、悲しみ、辛さに対する免疫がまるでない私は、そんな現場に立つことなど怖くてできない。立ってみたところで何の役にも立たず、足手纏いになるだけだ。せいぜいARCHのストリートカウントにちょっと参加してみたり、BIG ISSUEを(それもこのコロナになって初めて)買ったりする程度の超軟弱な人間だ。そして多分世の中の分類から言えば、ちゃんとしたお屋敷側で暮らしている。けれども両親も今の家族も、いわゆるそこからちょっとずれた価値観に自分たちがあることを自覚してきたし、そして、ちょっと誇りにもしている。そのどうにもこうにも中途半端な立ち位置で、何かを生み出すことができるのだろうか。そもそも自分が何かを生み出すことにまるで貪欲になれず、「ああ、この人いいなあ」「ああ、この光素敵だな」と与えられる幸せに日々満たされている。その恩返しは、まともにできそうもないので、せめて、私が「いいなあ」と思ったものを、どなたかにもお伝えるすことくらい、で勘弁願いたい。役には立たないだろうけど。 #
by yoh-lab
| 2020-08-02 11:56
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