TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『絵本太功記』二条城配膳の段、千本通光秀館の段、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段 国立文楽劇場

文楽劇場の場内アナウンス、「尼ヶ崎の段」の「あまがさき」が訛ってるような気がする。大阪公演だから?

 

 

第一部、絵本太功記。
『絵本太功記』は近年何度も出ている演目のため、感動的な展開!このシーンに震えた!このフリがカッコイイ!とかの素直感想は書きようがなくなってきた(元から書いてねぇだろ)。あまりに見すぎて演技を覚えてしまっているので、この人はこれやってるけどあの人はやらないとか、細かい差異が目につくようになっている。そこで、今回の感想は、極めて微細な部分に注目し、それを通して演者の性質を考察するという方向でいかせていただこうと思う。

 

『絵本太功記』は、文楽の中でも大好きな演目。また、光秀は時代物の男性の役の中でもクソデカい部類、かつ、最も派手な演出がついているので、玉男さんに似合いそうな役として、観るのが楽しみだった。
実際、今回の『絵本太功記』は配役が良く、『絵本太功記』の世界が存分に表現されていて、文楽の舞台として大変充実していた。しっかりくっきり濃い、という印象。よくよく考えるとそんなに長い上演時間ではないのだが、ずっしりとした重量感、充実感があった。配役上、タマ・ブラザーズがやたら集まっていたが、この配役こそ、時代物に力強い口当たりと辛口の切れ味を出している理由とも思える。(集結している理由自体は謎)

その筆頭、玉男さんは、光秀を底知れない豪傑として表現しているのかなと思った。光秀にも、玉男さんの演じる役全般にみられる、不気味さや、なにか隠されたもの、秘められた内面があることが感じられた。光秀は、漫然とした一般論で言うと「悲劇の英雄」風の振る舞いが期待されていると思う。が、玉男さんは、そこを通り越して、「決意の方向と太さが完璧に異常なヤバイ人」になっていた。逆にさつきのほうに感情移入できるッ。的な。

玉男さんと玉志さんは、光秀の方向性が違うんだなとも思った。玉志さん(2022年12月東京鑑賞教室公演)は、光秀の意志の強さが全面に出る。誇り高い叛逆者としての「威ありて猛からず」が突き抜けている。三手、五手先を読んで動くような、雑味のまったくない精度の高い演技だったため、より一層、光秀の意志の強さがクッキリと立ち現れていたのだと思う。
玉男さんは、演技の正確性自体は比較的高いけれど、精度そのものにはこだわらず、自然な所作として動いているように思われる。また、所作を振り付け的に処理しすぎて、動きのスピードが不規則にならないようにしていると思う(所作を過剰に旋律に乗せすぎない。また、演奏に間に合わないからと言って所作を素早くするとかはしない)。本や基本的な型に合っているけどマイペースは絶対崩さないという点、もしかして、これが玉男さんの遣う人形たちの「隠された意志」の印象に繋がっているのかもしれないと思った。

また、玉志さんと玉男さんでは、細かい芝居が違っていた。玉男さんは、じっとしているように見えて、意外と細かくリアクションしている。玉男光秀、なんか、さつきのこと、めっちゃ気にしてるんだよね。刺されたさつきの述懐を聞くところ、さつきが「これを見よ!」と言って刺された姿を見せつけてくる部分。セリフは「これを見よ!」だけど、芝居としては、「親の無惨な姿を直視することはできない(目を逸らしてしまう)」という趣向だと思う。ただ、玉男さんは、その時点で即座に振り向くまではしないが、そのあとに続くさつきのセリフのあいだに、ちょっと、見てますよね。わりあい素直な目線で。光秀がさつきのほうを見ていないようで見るという芝居は玉志さんも同じだが、玉男さんのほうが明瞭。帰ってきた瀕死の十次郎から「父上!」と呼ばれるときも、ちゃんと十次郎のほうに向き直って、「ぱし!ぱし!」していた(玉志さんは回によって違うのだが、十次郎のほうを向かずに扇で打つ返事だけをする場合が多い)。このあたり、何も考えていない人や、人形を遣うのに必死すぎて考えが及ばない人は、リアクションをすること自体が目的となって所作を漫然とやって場合が多いのだが、玉男さんはタイミングがよく図られており、光秀の意図をあらわす演技としてやっているように感じられた。
逆に、冒頭、風呂場に竹槍を突っ込む部分は、玉男さんは(相対的に)かなり演技を切っていた。玉志さんのほうが注意深く中を伺ったうえでやっている。扉に左手を当て、人形の目を風呂場側に寄せさせて様子を観察し、一度扉を軽く叩いてから素早く突き刺す。玉男さんはこのあたり、そこまで細かく演技を入れず、扉のところまで行ったらぱっと刺すという演技。この竹槍を突っ込む部分、実は勘十郎さんも玉志さんに近い細かめのフリを入れているので(ただし、玉志さんと勘十郎さんで、演技が細かい理由は根本的に違うと思われる)、玉男さんだけがシンプル化しているということになる。

このあたりを考えると、玉男さんは光秀の家族関係の描写を重点的に、重めにやりたいということなのかな。彼にとってはやはり家族も大切というか。そういう意味では、異様とも思える稀代の反逆者にも家族への情愛があったという、本来の物語に立ち返った芝居なのか。ただ、個性としての不気味さが強いので、本人の意図からは少しずれて見えているのかもしれない。玉志さんは信念と家族が別次元に存在しているような演技で、実際には、玉志さんのほうが自己と他者との遮蔽は強いのだが(浄瑠璃の内容には合っているが、芝居の慣例としては相当イレギュラーな解釈)。

それはともかく、光秀、まじで、デケェ!!!って感じだった。巨大ロボットがガションガション歩いている感じというか。220cm以上あるだろ。第三部「弁慶上使」の弁慶よりデカい。終演後、「明智光秀 身長」を検索した。(諸説あり)
「人形があたかも大きく見えるように遣っている」というのはもちろんあるが、おそらく、人形を構える位置がほかの人より若干高いのだと思う。座っているときにも人形の脚のラインが見えて、下半身の見え方がほかの人よりすっとしている。つまり人形の胴体の位置が高いのではないかと思った。木登りをして、松の木の上で決まる際も、人形の胴体がしっかり伸びている。光秀は、じっとしている状態でもぐらつきがなく、アクションで人形の位置をさらに高く上げるときも安定していた。相当大変だと思うし、事実、大変そうだと思ったが、本当にようやるなぁと思った。
2022年1月大阪公演で『絵本太功記』が出たとき、勘十郎さんが光秀を遣っていたが、「尼ヶ崎」の最後のほうで、人形の位置が尻餅をついているように下がっていた。ああこの人……と強いショックを受けた。玉男さんがこの状態になったら、私は舞台を直視できなくなくなると思った。そういう意味では、今回の『絵本太功記』は不安もあったのだが、玉男さんは玉男さんで、良かった。大変な役には間違いないが、玉男さんだった。

 

 

 

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以下、そのほかの感想。

二条城配膳の段。

蘭丸〈吉田玉翔〉と十次郎〈吉田玉勢〉は、非常に良かった。
蘭丸は、かしらや衣装にふさわしい、張りつめてやや険のある、若者ならではの鋭さがあった。目線がしっかり定まっているのが武士らしい。迷いやごまかしがなく、所作は以前の同役配役時より相当に洗練されている。ご本人が自信を持って演じられているのだと思う。前回見たとき、ターン綺麗すぎだろと思ったが、やはり今回もかなり綺麗だった。
蘭丸は、動く時、止まる時、ちょっとだけかしらにアクセントとなる動きを入れている。やはり初代玉男師匠を踏襲しているのかな。このアクセントがあると人形にメリハリがつくので、自分に合う方法を模索しながら深めていって欲しいと思った。

この段の十次郎は非常に可憐。パール色にいろとりどりの刺繍の入った、乙女チック(?)な揃いのスリーピース(スリーピースではない)と、ほやんとした表情のかしらに合った演技。漠然と、玉勢さんは、久我之助とかの美少年、美青年の役のほうが似合うのかもなあと思った。

浪花中納言兼冬〈吉田文司〉は、なんであんなにパンツの丈が詰まってんの? (答え:勅使だから) 「わんこ(ゴールデンレトリバー)を散歩後に風呂場で洗ってあげた人」みたいになっとらん?

尾田春長〈吉田玉輝〉は、ガングロサーファーみたいだった。玉輝さんにしてはオーバーリアクションが多いように思ったが、かなり割り切っているのか? 解釈の幅を持たせるため、もう少し落ち着いていてもよさそうに思った。

 

今回、『絵本太功記』は4/13・14・15の3回見たが、「二条城配膳」「千本通光秀館」は、13日黒衣、14日出遣い、15日また黒衣だった。一般に大序や端場、人形がガチャガチャ出てくる段は黒衣にする場合があるが、なぜ日替わり? 出遣いでいいと思う。

 

 

 

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千本通光秀館の段。

墨絵の襖のある、クリーム色主体の座敷の屋体。上手には、床間を神棚にした一間。床間に「八幡大明神」の掛け軸がかかり、左右に榊。操が塩を供える。下手は廊下。芝居は屋体の中のみで行われ、船底は使われない。

千本通光秀館」は伝承がなかったものを復活した段のようだ。観てみると、確かにいらんな、という印象だった。話としてはあったほうがわかりやすいけど、舞台として上演するほどの意味があるかは首をかしげる。現状では、「光秀が謀反を決意した」というあらすじ説明以外のものが何もないというか……。演出なりで、もう少しドラマティックさや異常性を盛ったほうがいいのではないかと思った。
今回は光秀が玉男さんのため、フラットな状況のなか、突然発狂したような行動を取るというのは、不気味な光秀像への演出として、合っているといえば合っていた。本来はダメだが、どこに心の変わり目があるのか全然わからないことがプラスに働いている。玉男さんのクマ感が活かせるというか。あまりに唐突すぎる謀反の決意、悠々とした動きに、玉男様のクマ・オーラ、ぴったり。くそでかツキノワグマ。月の位置、違うけど🥺 

九野豊後守は、佇まいや所作があまりに上品なので、春長が監視のためによこしたお目付け役かと思っていた。実は普通に光秀の家臣。めちゃくちゃ上品な理由は、配役が勘市さんだからです。

四王天田島頭は、短慮ながらそれが短所とならないところが、文哉さんに似合っていた。しかしこの人、8年ぶりくらいに見たな。8年前に見たときは、プログラムで、「四天王」と誤植されていて、お詫びの紙片が入っていたことだけ、はっきり覚えている。

謀反を決意した光秀を見て、操〈吉田勘彌〉がプルプルして顔を伏せるのは良かった。

 

 

 

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夕顔棚の段、尼ヶ崎の段。

非常によくまとまっていて、良かった。

操は艶麗で良い。以前の感想にも書いたが、操って、氏素性、謎ですよね。「夕顔棚」で家事の手伝いをする際、謎に小汚いエプロンをつけたり、尋ねてきた久吉の足を洗ってあげたりするけど、あれ、大名の奥方という身分にしては、不自然な行動ですよね。もともと氏素性知れないことをバカにされている光秀の妻だからなのか。普通はかなり違和感があるのだが、勘彌さんの若干鄙俗というか、しどけない味がプラスに出て、私の中の高校生男子が大興奮のお色気奥さん感があった(絶対にご注進しないでください)。

今回の番組編成で、操はかなり難しい役になったと思う。操は、「千本通光秀館」で1度、「尼ヶ崎」で2度、クドキとして光秀を諌める場面がある。それぞれ、なにを訴えかけているかが違うのだが、区別があまりわからない。訴える内容は、それぞれ主君、姑、息子についてと異なっており、操にとっての本当の意味での大切さや切実さは実際には段階ついてるのでは。「尼ヶ崎」の区別だけでも曖昧になっていることが多いのに、たいして意味がない段でも中途半端に見せ場があると、混線するな。ただ、操は悲劇を盛り上げるリアクション係の役割しか与えられていない、中身のない人物だ。たとえば『一谷嫰軍記』の相模と比較するとわかるだろう。この薄っぺらさこそ、若手会含め、誰が操をやってもそれなりに見える理由でもあるのだが、ある程度力量がある人が配役されると、彼らの力量の見せどころである内面表現を深めることが難しく、逆にそこが足を引っ張ってくる。
勘彌さんは上手い人ではあるが、独自のリズム感がある方で、床が盛り上がっていないと、独立して勝手に人形のみで盛り上がることはしない部分がある。十次郎が帰ってきた部分の操はリアクションが大きくなり、非常に悲しそうなんだけど、もっと大きく突き抜けて欲しい感があった。そのあたり、今後の変化があるといいなと思っている。独自の操の人物像をみずから構築しなくてはならないと思う。

操の足の人は真面目そうだった。勘彌さんは一見ゆったりとしているように見えて、感情の動きが非常に速い。そして、人形が決まるまでの動きもかなり早い。速度だけでなく動き始め自体が数手早く、左や足が追いつかなくなることが多々ある。「取りつく島もなかりけり」で、操は船底中央で背後姿勢になり、屋体の中の光秀と向かい合って決まるところなど、二手、三手前から決まる準備していたが、今回の足の人は勘彌さん同様、比較的早くから準備しており、手すりに突き当たったら人形の上半身が完全に決まるより早く、自分はすぐしゃがむなどして、人形が目立つよう配慮がなされていた。えらいっ。

なお、「取りつく島もなかりけり」での光秀の決まり方は、軍扇を広げる方法。玉男さんが軍扇を広げず腰に手をつけるやり方にする日は来るのか。「普通と違うほう」、「難しいほう」をやればなんでもいいというわけではないが、玉男さんはやるべき水準に達しているのでは。そこでなんか言ってくるやつがいたら手打ちにすればいいと思う。

 

十次郎は、実に良かった。刀をついて思案に沈むとき、鎧姿に着替えたとき、傷を負って帰ってきたとき、それぞれ的確に演じ分けがされていた。思案に沈む姿は、「思案に沈む姿を演じている」以上のものになるのがかなり困難なところ、十次郎自身が持つ愁いや、それが若さゆえの懸命さによるものであることがよく表現されていた。出陣のため鎧姿に着替え、暖簾奥から出てくる場面は華々しく、腕も若武者らしい力強さですんなりと伸びて、綺麗に決まっていた。
十次郎は、上手い人がやれば、もっと「上手い」とは思う。だが、十次郎という役の持っている懸命さ・青さと、いまの玉勢さんの限界まで頑張ったうえでの技術がうまくマッチしていて、非常に魅力的な十次郎となっていた。

しかし、尼ヶ崎の十次郎の刀の下げ緒、変色しすぎ、ズタボロすぎんか? おじ武士が持ってるならともかく、若武者なんだから、もっと綺麗なんに替えてやってくれ。刀といえば、この段でまじで意味わからんのが、初菊が十次郎の刀を受け取るくだり。初菊、水汲みがうまくできなくてウネウネしていたり、鎧櫃をゴチャラゴチャラと時間をかけて引きずったりしてますけど、あいつ、十次郎の太刀を片手で軽々と受け取るよね。太刀って、結構、重いよ。いまの片手での受け取り方、慣例なんだろうけど、『仮名手本忠臣蔵』判官切腹の段で、力弥が由良助から太刀を受け取る所作を安易に流用してるだけで、なにも考えられていないように感じる。頼まれてもいないのに刀を受け取るのは、わたしは十次郎の妻よッ!という意味であって、初菊という人物にとっては重要な行為であると見せたほうがいい。振袖を両腕に巻いて、十次郎にそこに乗っけてもらうという受け取り方のほうが、姫役っぽくて、よいのでは。そもそも直接素手で鷲掴みするのも違和感がある。と思った。(鷲掴み自体は配役された人の問題だが)

 

久吉は玉佳さん。玉佳さん、最後にキラキラになって出てくる役、良すぎ。久吉は、正体を顕わして奥から出てくる「♪三衣に替わる陣羽織〜」のところでいかに燦然と出られるかが勝負。超、キラキラしていた。キラキラは玉志さんも相当強いが、知的で美麗な方向にいく玉志さんより、武張って若い印象に寄っている。腕の突き出しや顔振りが強い。タマカ・チャンお得意の「陣屋」の義経に近いな。
最後に光秀と久吉が睨み合い、立ち位置が入れ替わりになって、同じフリになるところ。ここ、揃わない場合がかなりあるが、ちゃんと揃っていた。睨み合うところは、上手(かみて)にいる玉佳さんが光秀の人形が振り返るのを目視確認し、それに合わせて久吉を振り返らせていた。しかし、最後に振り付けが合うところは、玉男さん(上手)も玉佳さん(下手)も相手を見てないですね。演奏に合わせて動いているだけで合っている。いや、演奏に合わせて動いているからこそ合っているのだろう。ここまで揃っているのは驚異的だが、かつて師匠の光秀の左や足についていたときに「師匠はこのタイミングでこうしてた!」というのをお二人ともよく覚えていて、それを二人が同時に完全再現しているのだと思う。師匠が亡くなっても、師匠が舞台でやっていたことはこうして残っていくんだなと思った。
陣羽織になってからも良いが、旅僧姿の軽快さ、朗らかさもいい。若干頭悪そうなのもいい(よくねぇよ)。普通に考えて、あんな女性3人の住まいに僧侶と言えど泊めてくれとかありえない。そのへんの草むらで寝とけやと思うが、玉佳さんなら「どうぞー!」感、あるな。と思った。タマカ・チャンゆえに、ここが安達原なら、あとで鍋の具材にされて食われそう感もあるのも、また、良い。

 

「夕顔棚」の床、三輪さんは、さすがにベテランは急に音程が上がるところ(マカン)の処理が自然だなと思った。ただ、演奏が途中で詰まった日があった。直接的には、床本のページがうまくめくれなかったのが原因のようだが……、次になにを言うか自体はわかっていたとは思うが、演奏を止めたのは、自分のペースが崩れるからか。それなりの年齢の方だし、何かあったのかと思って、ちょっとドキッとした。人形は、そういったトラブルをうまいこと流れせるタイプの人の演技の番だったので、まあまあなんとかなっていた。翌日からは、なにごともなく、いつもの三輪さんに戻ったので、よかった。そういえば、太夫さんはどんなジジイでも床本のページちゃんとめくってるけど、出る前にハンドクリーム塗ってるのかな。

千歳さんは良かった。自分が見に行く前の日程で数日休演されており、大丈夫かと思った。実際、3回見たうちの最初の2回は、のどの調子が悪そうで、盛り上がりにも欠けた。しかし、3回目は、思う存分の演奏ができているようだった。光秀やさつきの語りには、旋律や拍子に乗りすぎない破調した部分が作られており、そこが「ささくれ」となって、人物の切実性が滲んでいた。
「尼ヶ崎」が出るといつも気になることがある。それは、二度目の操のクドキ「母は涙に正体なく『コレ見給へ光秀殿……』」の部分が、直前のくだりとシームレスすぎること。どこから操のクドキになるのかわからない。「母は涙に正体なく」以降の声量を目に見えて(耳に聞こえて?)上げたほうがいいのではと思っていた。で、今回、実際にそうなっていたのだが、それでも「?」な感じ。
そこで津太夫の「尼ヶ崎」の録音を聞き直してみたところ、「母は涙に正体なく」をデカい声で語っているというより、直前の「愛着の道に引かるゝいぢらしさ」を抑えた声で、かなり遅く語っていることに気づいた。このうち、「かなり遅く」というのが一番重要で、「母は涙に」から急速にテンポを上げていることが劇として、つまり操の内面表現として効果を生んでいるのだと思う。大きく盛り上がるところを作るには、引いて抑えるところを作らなデコボコはできんわな。義太夫という音楽および人形浄瑠璃という人形では、速度のメリハリは重要だと改めて思った。
昔の録音を聞くと、「ゆっくりしたところ」は本当に「ゆっくりしている」ように聞こえる。本当に今よりゆっくりしていたのかな。それとも、舞台で生聞いているときと、好き勝手な環境で聞いているときの、自分の感じ方の違いかな。
「尼ヶ崎」の三味線について、最後の「♪みわ〜た〜す、沖は中国よりおいお〜い〜いい数万(すまん)の兵船」のところ、三味線が非常に細かくなるが、あそこ、結構ミスするもんなんですね。過去の鑑賞教室でもかなりのミスが発生していたが、「若造」はともかく、ここまでのベテランでも難しいのか、と思った。観た回全部失敗したわけではないけど、いいところなので、失敗すると、目立つ。

 

 

今月は人形に休演が多い。「夕顔棚」の冒頭、妙見講に参加しているツメ人形は、通常4人だと思うが、3人になっている日があった。人を出しきれなかったのか。それでも、出されている湯呑みの数は4個。お茶注ぎ役の人は「あ」と思っただろうが、なんとなく少し触って、誤魔化していた。
それにしても、冒頭の「ナンミョーホーレンゲーキョー」、良すぎ。上手袖のカーテンの裏に若手太夫が隠れてやっているのだが、席によっては、若手たちツメ人形のように並んでワーワー言っているのが見える。ツメ人形、めっちゃおるwwwwwwと嬉しくなる。

 

 

 

  • 義太夫
  • 人形
    浪花中納言=吉田文司、尾田春長=吉田玉輝、武智光秀=吉田玉男、森の蘭丸=吉田玉翔、武智十次郎=吉田玉勢、妻操=吉田勘彌、九野豊後守=吉田勘市、四王天田島頭=吉田文哉、赤山与三兵衛=桐竹亀次、母さつき=桐竹勘壽、嫁初菊=吉田簑紫郎、旅僧 実は 真柴久吉=吉田玉佳、加藤正清=吉田玉延[前半]吉田玉峻[後半](吉田玉延、吉田玉峻休演につき、代役・4/14〜吉田和馬)

 

 

 

 

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玉男さんの光秀を見て、改めて、光秀は、配役された人によってイメージが変わるなと思った。
私は、人形を見るとき、人形遣いがその人形(役)をどのような人物として捉えているのかに関心がある。また、演者がそれをいかに高い精度で舞台へ定着させるのかを見たいと思っている。光秀だけでなく、ほかの役でも同じだが、「既存のその役に期待されるもの」をコピペしたような慣例的な芝居は、現代ではもう通用しない。「既存のその役に期待されるもの」自体をいまの観客はわからないから期待していないし、慣例的な芝居は好まれない。一般の舞台演劇、映像等の芝居で、近年、「憑依型」の俳優、あるいは「憑依型」という言葉が褒め言葉としてもてはやされるのも、その裏返しだと思う。歌舞伎を真似しても、じゃあはじめから歌舞伎行けばいいじゃんって話になるし。文楽文楽として、芸能としての特性通り、浄瑠璃の文章に沿い、その演者がよくよく考えた、独自の像を作っていく必要があると考えている。その意味で、今回の玉男さんの光秀は、興味深い人物像だった。

「尼ヶ崎」が近年繰り返し上演されているのを見ていると、人形の操演技術と、それが導く表現力だと、玉志さんがぶっちぎった状態になったと思う。精度が高すぎて、真正面からぶつかっても、もう誰も勝てない。そうなると、どのような解釈をどう表現するかという個性自体が争点になる。そういう意味でも、今後光秀を演じる人がどのような光秀像を描いていくのか、楽しみである。

 

 

 

 

文楽 4月大阪公演『御所桜堀川夜討』弁慶上使の段、『増補大江山』戻り橋の段 国立文楽劇場

ロビーに弁慶の生首が爆誕していた。
なぜ弁慶? 弁慶にしても、なぜ「勧進帳」ではなく、「五条橋」「大物浦」??

でも、お客さんがツメ人形のように「弁慶さんやーーー!」とたかっていたので、良かった。

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第三部、御所桜堀川夜討、弁慶上使の段。

「弁慶上使」は俗味が極めて強い演目で、それゆえに「かなり手慣れた人向け」の出し物だと思う。2022年2月東京公演で出た際には、非常に厳しいことになっていた。
しかし、今回はかなり良かった。具体的には、人形のおわさに和生さん、弁慶に玉志さんが配役され、物語の描写力が上がり、同時に、俗味に必要とされる「こけおどし」に強度が出たことによるものだと思う。

 

おわさは和生さんでないと成立しない、と思った。
和生さんには珍しく、おわさは「普通のオバチャン」の役。娘に呼ばれて久しぶりに来ましたよ〜!と侍従太郎ハウス(異常レベルのビッカビカ)へやってくる、縫い物で生計を立てている一般人。オバチャンならでは(?)の押しの強さで、ありとあらゆることにグイグイ来る。武家女房や乳人といった格式の高い役よりも、所作が全般的に シャコシャコシャコ! としているのが良かった。動きの幅が狭くて、その分、間が詰まっている感じ。「びっくりして後ずさり」のところとか、驚いた小動物みたいに、ピコピコピコ! と(あくまで抑えめに)動くのがかわいい。

おわさは3度、一人語りをする場面がある。卿の君の懐妊祝いに、おもしろおかしいおしゃべりを交えて海馬のお守りを差し上げる場面。娘時代、顔も知らない稚児と契った一夜の恋の思い出を恥じらいながら語る場面。最後に、愛する娘・信夫を失い、嘆き悲しむ場面。それぞれに、おわさという人のうちにある、まったく異なる一面が出ていて、彼女のさまざまな表情を楽しめた。和生さんはなかなか娘役をおやりにならないので(やるとめちゃくちゃかわいいのだが)、おわさに時々挟まる娘風の表情はかなり良かった。

おわさの難易度が高いなと思うのは、上記した3度の一人語りの区別。お母さん役として一番派手に盛り上がる「娘を失った嘆き」よりも、「お守りの語り」と「恋の思い出」のほうが大きな動きの振り付けがついている。小道具を持っていたり、特殊な動きもあったりして、見た目が派手になる。しかし、信夫が死ぬところでは、振り付けとしてはよく見る女方の慟哭の演技になる。そのまんま素直に振り付けだけをやってしまうと、一番盛り上げなくてはならない「子供を失った嘆き」が一番地味になる。
これがどうクリアされていたか。和生さんの場合、「お守りの語り」と「恋の思い出」は三味線に乗って舞踊的に緩慢に動き、「娘を失った嘆き」では演奏から離れて破調し、時折かなり素早い所作が挟まる動きにされていた。物語の構造として、前者二つは他人に聞かせるためのセリフの延長としての語りだが、最後の嘆きは自らの心のうちを自発的に述懐する、内面が漏れ出る場面という違いがある。それを表現に活かし、「娘を失った嘆き」はおわさの心の乱れ、慟哭、心拍の速まりがあらわされた、速く鋭い所作にしているのだと思う。突然不規則な動きになることによって、観客の注意を自然に、しかし強く引きつける印象があった。義太夫や歌舞伎のセリフは、七五調を外れた部分にこそ演者・観客ともに注意(集中力)が集まるという。それと同じことだと思う。やはり和生さんはよく考えて人形を遣っていると思った。

信夫〈吉田玉誉〉とテンポがしっかり合っていて、抱き合いなどが非常に自然なのも良かったな。これはまず玉誉さんが非常に上手い人だというのと、和生さんの左についていた過去があり、玉誉さんが和生さんのテンポを読み切っているのが勝因だろうな。ポーズ的にも、おわさの胸にちゃんとはまっていた。弁慶とタイミングを合わせる場面も的確で、お互い床の演奏をしっかり聞いてやっているからだろうと思った。相手が動いてからやったのでは間に合わない。二人とも曲と身体が一体化しているからこそのマッチングだと思う。

私が観た回のうち一度、和生さんがめちゃくちゃ喋りながら遣っている回があった。今回は休演が多く、人手が足らずにイレギュラーな左や足がついていたのかもしれない。少なくとも和馬さん休演してたし。だからと言って見た目として人形に違和感はなかったが、大変だったんだろうな。もはや実況中継だろというくらい喋っている状態になっている場面もあった。普段はイヤホンガイドいらない派だが、和生・実況中継・イヤホンガイドがあったら、借りたい、と思った。

 

弁慶は、派手さに大きく振り切った爽快な演技。
玉志さんはとても上手い人だ。しかし、こけおどしが強く要求される役は、技術面では十分及第しているにもかかわらず、派手さに思い切り振り切るところまで割り切れていないように感じていた。玉志さんの『妹背山婦女庭訓』の鱶七は、クールでかっこいい。「荒物だから雑でいい」に寄りかからない、古典への新機軸を打ち出した本当に素晴らしい演技なんだけど、押し出しが足りなくて、玉志さん自身の巧さ自体が立ってしまい、テクニックで押しているように見えていた。玉志さんは文楽において人物の内面描写が一番重要だと考えていて、表面的なものに拒否感があるのではないかと思う。ただ、こけおどしでしかない役も演目も文楽にも現実に存在しており、芸人としては「やらなくてはならない」。そこは弱いよなあと思っていた。けど、今回の弁慶は良い意味で割り切って、派手な役であるということ自体を全面に押し出していた。むしろ、前半はしっかり抑えて後半に華を持っていくという設計力があり、緊密な動きが可能な技術力のある人がやると、弁慶ってここまでカッコよくなるのかと思った。ここにきて、欠点が裏返って強みになったんだ、と感動した。また鱶七役が来たときには、物語の結尾を飾るに相応しい勇壮さを見せてくれると思う。

大きな動きがバタバタ見えないのは、伸びやかさがあるからだろう。相当、のびのび、しとるっ。すらりとした背筋とぱんと張った胸、ぴんと伸びた腕。大きく回す肩と上体がダイナミックに動く円弧は美しく、人形自体の大きさ以上のスケールを感じる。以前、玉男さんの演技にも使った言葉だが、アスリート的な美しさ。肉体のパフォーマンスを最大限に引き出すためにフォームの鍛錬を重ね、無駄が一切なくなった結果、極限的な美が出現しているというか。この弁慶、めちゃくちゃ運動神経よさそうッ!!!!! スポーツマン・オーラ、あるでっ!! インターハイ優勝かっ!? と思った。見ていて、あたかも自分が運動したかのようなスッキリした気持ちになった。(他人が運動しとるの見て自分が運動した気になるという、運動不足のアホの典型的感性)

また、玉志さんは動きが相当クッキリしている。動き、ポーズ、型がかなり明瞭。最後にどのような姿勢で止まるかを意識して動き始め、そこにピタッと合わせるスキルが高いのだと思う。また、大きく動く場面では、最初の姿勢よりも一旦引いてから動きを開始し、また、反動をいかし最終の停止位置を若干オーバーさせてから引き戻すことで、動きの大きさを強調しているようだった。「人形を安定して持てない」という意味で動き始めと止めにブレが出てしまうと見た目が汚くなってしまうが、始点も終点もしっかり安定させ、静動のメリハリをつけているため、スッキリとして見える。フィギュアスケートやバレエのような、鍛えた身体による洗練された所作で魅せる競技・芸術の身体の動かし方とでもいうべきか。
クッキリと見える理由として、腰以下の下半身をしっかり固定しつつ、上半身を大きくひねる動きがある。腰以下をしっかり止めることで、上体のダイナミックな動きがよく活きる。しかしこれ、どうやってるんだ? 人形の腰って所詮頭にぶらさがっているだけなので、上半身の動きにつれて腰から太ももくらいまでがブラつく人形はよくいるし、安定度の高い玉男さんあたりでもひねりが大きくなるとそうなる(実際、今回の「尼ヶ崎」光秀、最後のほうの石投げの見得はそうなっていた)。だが玉志さんはそうならないは、結構、不思議。本人の心がけだけで出来ることとは思えないので、足と左によくよく指導しているということか? あまりに下半身がびしっとしているので、めちゃくちゃお尻が「きゅっ🍑」として見えた。(人間に向かって言ったら一発アウトのセクハラ発言)

特徴的に感じたのは、前編通じて、弁慶の人形の身体に力が入っているように見えること。たとえば、第一部『絵本太功記』の光秀〈吉田玉男〉を見ると、同じように大型の人形、二の腕から肘にかけての上腕を張ったポーズを基本形としていても、光秀のほうが若干リラックスしているように見える。光秀は、「尼ヶ崎の段」ではすべての覚悟を決めており、また、武将だけあって悠々としているということなのか。弁慶は逆に、不本意な使命を帯びており、言動は悠々としていても、始終、緊迫した雰囲気を漂わせている。そのために所作を全般に鋭い方向に寄せ、止めを強くして力んでいるように見せているのだと思うが、「人形の身体に力が入っている」という表現ができること、そして、それを最後まで維持できるというのは、すごいなと思った。

でも、弁慶は、大きな演技だけをしているわけではない。最後、おわさや花の井を振り払うときの仕草は繊細で、優しい。振り払っているはずなのだが、「そっ」「そっ」と、自分からよけてあげているように見える。引き留めようとするおわさに、「……」と言っている感じがするのも、良い。弁慶は途中までは本心を出せないため(本心を出せないがためにこうなっているという話なわけだし)、本来の内面をそこに集約して出しているのだと思うが、こういった優しさが出てくるのが、玉志さんらしいなと思った。

ところで、今回の弁慶は、「プルルッ」とはしていなかった。
なんでや。
あの外見だと、普通の役以上に「プルルッ」としそうなのに。弁慶はこの程度(?)の用事でも立烏帽子に大紋という正装で来訪しており、「私」ではなく、あくまで「公」として振る舞っている人物だから? それとも、「弁慶上使」の弁慶は真面目が限界突破した性格だから? 第二部の浅利与市のほうが「プルルッ」としていた。

なお、弁慶は身長227cm設定とのことで、人形を通常よりもかなり高く差し上げて遣っていた。人形を高く差し上げた際、手・腕をそれ以上挙げられなくなり、人形の動きがちぢこまってしまう人もいるが、腕の位置もかしらの位置に応じた高さで演技がされていたため、極めて自然だった。玉志さんの場合、男性の役は動作のアクセントに「シュッと背筋を伸ばす」演技を必ず入れるので、基本姿勢でも本当の限界まで差し上げているのではなく、背筋伸ばしのための余白をとっている。そのために腕も動かしやすいのかもしれない、と思った。
ただ、身長自体は残念ながら(?)光秀のほうがバカデカかった。玉志がんばれッ。

 

玉誉さんは大忙しだ。第二部の「市若初陣」の代役を含め、前半は3役ついている。一番大変なのがこの「弁慶上使」の信夫〈前半配役〉だと思うが、ずっと出っ放しになってしまっていることを感じさせない、余裕のある丁寧で優美な姿。優しくてかわいい若い女の子そのままで、とても良かった。若い女の子って、本当にこんな感じだと思う。

卿の君〈吉田簑悠〉はものすごい前のめりになっていたが、わざと? テーブルの上に夕ご飯のお刺身が並べられているのを首を限界まで伸ばしてガン見しているネコちゃん(テーブルに乗ったらド叱られるので乗らないが、すきあらばおこぼれにあずかろうとしている)のようだった。
意図かどうかはともかく、卿の君のような品格の高い女性が子供っぽい変な姿勢というのはやめたほうがいいが、「妊婦さんなんだから、大人しくしてなきゃだめですっ!」と言われてあそこに一日中座らされているけど、暇してるところに面白オバチャン来ちゃって興味津々なのは仕方ないので、ある意味、間違ってない。

 

床は2022年2月東京公演と同じく、錣さん・宗助さん。当時はコロナによる出演規制が厳しく、濃厚接触者認定や感染による休演でこの本役が勤めた期間は短く、また、稽古不足からか、微妙な出来になっていた。しかし、今回は思い切り演奏ができたようで、良かった。
錣さんはこういった俗味の強い演目を躊躇なく俗に語ることができるのが良い。こけおどしでしかないものをしっかりと「こけおどし」に落とし込んでいる。そして、そこにじんわりと心のゆきかたを染み込ませている。このあたりのバランス取りは無二。また、錣さんの女性は本当に可愛らしい。ただただ初々しくて可愛らしい「娘」ではない年配になった、歳を重ねた女性ならではのチャーミングさがよく出ている。実際にはおわさが主役ということをよく立てた演奏だったと思う。

 

ところでこの話、最後に侍従太郎が自害して、信夫の首とともに自分の首も一緒に持って行かせる理由は、私は、「頼朝や、受け取り係として派遣された使者・梶原景高に偽首を黙認させるため」だと思っていた。でも、「卿の君を殺害され、乳人として責任を取ったと見せかけ、首が卿の君のものであると疑わせないため」というのが一般的な解釈なのか? プログラムの解説ではそう書かれている。
この部分、侍従太郎のセリフでは、「卿の君の乳人とは、鎌倉殿も知ろし召したる、侍従太郎がこの首を添えて渡さば、天地を見抜く梶原も、身代はりとはよも言ふまい」となっている。これ、「よも言ふまい」であることが重要なのでは? 「疑ふまい」ではなく、あくまで、「言ふまい」。
普通に考えて、義経の妻、しかも平家方の要人の娘の顔を、梶原や頼朝、あるいは鎌倉方の関係者が誰も知らないというのはあり得ない。だって、所詮乳人の侍従太郎の顔ですら、頼朝、知ってんでしょ。「その場しのぎ」にしても、弁慶がそのへんの小娘を殺して持ってきたのではなく、侍従太郎という重臣の首を添えて(つまり義経方もそれなりの犠牲を払い、頼朝の意図を承認している)実検に差し出されるからこそ、鎌倉方はあえて真っ赤な偽首を承認するという話なのでは。
直前の段で、義経へ卿の君の首を差し出すよう命じる使者は、梶原景高。しかし、その対面で、梶原は義経に重大な借りを作ってしまう。梶原は、彼ら父子の名前が書かれた平家の連判状を義経に焼き捨ててもらったのだ(=自分こそ頼朝へ不義を働いていることをもみ消してもらった)。義経自身は恩着せのためにやったことではないが(こんなもの存在しても誰も幸せにならないという判断)、梶原にとっては重大な借りができた以上、梶原は偽首を確実に承認する。頼朝の意図は義経を試すことであり、卿の君を殺すこと自体を目的としているわけではないので「梶ちゃんOK? ホナわしもOK」とする。そういう、建前さえしっかりしていれば「その場しのぎ」を正当化できるという、「武家社会の建前」の話のように思うな。「陣屋」の義経と同じ。あるいは「市若初陣」の裏返し。みなさんはどう思われますか?

 

 

 

  • 義太夫
    中=豊竹睦太夫/野澤勝平
    切=竹本錣太夫/竹澤宗助

  • 人形
    卿の君=吉田簑悠、妻花の井=吉田簑一郎、腰元信夫=吉田玉誉(前半)吉田簑太郎(後半)、母おわさ=吉田和生、侍従太郎=吉田文昇、武蔵坊弁慶=吉田玉志

 

 

 

◾️

増補大江山、戻橋の段。

インバウンド向けに派手な演出で上演しますってことなんだろうけど、人形は演技自体をしっかりやらないと、演出に負けている。特にこのような景事的ニュアンスが強い演目では、全身の動きが客席からどう見えているかを相当に意識しなければ、単なる雑に見えてしまう。2年ほど前に同じような配役で『紅葉狩』見たときも同じ感想を覚えた。これからも同じなんだろうなー。と思った。

しかし、人形の毛振り、配役どうこう関係なく、良いと思ったこと、一度もない。人形の背後に人形遣いが立っているせいで、「歌舞伎と同じ」ようには振れないんだし、根本的に人形に向いていない振り付けなのでは。玉男さんとかがやったら違うのかもしれないけど。玉男、やって!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

◾️

「弁慶上使」、今回、おわさを和生さんが勤めてくれて、本当に良かった。
おわさの演技中、周囲の女方系の方が、みんな、和生さんの演技をじっと見ていた。みなさん、いつかおわさをやりたいのだろうか。本当に、そうなるといいのだが……。
逆に和生さんは弁慶を見ていた。普通に客のように見ていた。和生、弁慶上使の弁慶、一生やらんやろ。玉志に「ご指導」してくれるんか? それなら頼むわ!!!!!!!!!!!

弁慶は、正直、玉志さんがここまで上手いとは思わんかった。ひとかわ、むけた🥺と思った。
「弁慶上使」の弁慶は豪快の典型……というイメージがある。でも、文楽でいうところの「豪快」という言葉は、「大きく遣う」「色気」と並んで、意味するものが恣意的すぎる。いまの文楽では、フリが大きく「雑」な演技をよしとする言葉として、「豪快」が使われていると思う。恣意的だからこそ、どんな人にも使える言葉として、劇評なり技芸員の芸談では便利に使われているのだろうけど。正直、この言葉を遣っている人は信用できないですね。海鮮丼の「豪快」とかは大好きですけど(特に、盛り付け、物理的に「豪快」であれば、あるほど、よき…🥰)。
「豪快」は、本来は、「雑」や「精緻さがなくてよい」という意味ではない。あらためて「豪快」を国語辞典で引いてみると、以下のような説明があった。
人の性格、やり方、また、物の動きなど、規模が大きく、のびのびとして気持のよいこと。また、そのさま。(日本国語大辞典
今回の弁慶は、本来的な「豪快」だわ、と思った。

ところで、今回販売されているプログラムに、玉志さんが「弁慶上使」の弁慶を遣っている写真が掲載されていた。おや、こんな良い役、前にもやったことあるんだ。と思ったが(失礼)、もしかして、若手会の写真? 調べると2007年の若手会で「弁慶上使」の弁慶の配役がついている。写真の玉志さん、見た目が今とあんま変わらんのやが。計算すると年齢もわかるが、研修生出身だから入門自体は遅いとはいえ、そんな歳になるまで「若手」扱いされるって、厳しいよなぁ。よく耐えたな……。と思った。

↓ あらすじ解説

 

↓ 2022年2月東京公演の感想

 

 

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文楽の「弁慶さん」一覧。

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そういえば弁慶って書冩山圓教寺出身なんですね。西国三十三所回ってるときに行った。姫路だよね。なにもかもかめちゃくちゃデカかったことを覚えている。

 

生口島公演にあった『二人三番叟』のパネル、文楽劇場に引っ越してきていた。顔出しパネルというより、普通の記念撮影スポットとして活用されていた。

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あいま時間に、大阪限定ちいかわグッズ、購入!

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文楽 『和田合戦女舞鶴』全段のあらすじと整理

2024年4月大阪公演、5月東京公演で上演される『和田合戦女舞鶴』の全段の解説です。
公演では断片的な上演となり、内容がわかりづらくなるため、全体を通した内容を紹介します。

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contents

 

 

┃ 概要

初演=元文元年[1736]3月 大坂豊竹座

作者=並木宗輔

鎌倉時代を舞台に、三代将軍実朝の妹・斎姫をめぐる執権2人の争い、それに乗じて幕府乗っ取りをたくらむ悪臣の暗躍とそれに対抗する人々を描く時代物。
題名に「和田」とついているが、和田義盛が主人公というわけではない。いわゆる「和田合戦」(和田義盛北条義時の対立)を着想源に、いまに語り伝えられるこの「和田合戦」とは、実は……という歴史の裏の裏を明かすという内容になっている。ただし、特定の人物をささない人名など、史実からずらされた設定も多く、虚構性が高い一面があり、最後のオチは「たったそれだけのことでこの大騒ぎ!?!???!?」という、実際問題としてわかりづらい面もある作品である。

 

今回上演される三段目「市若初陣の段」は、二段目の「板額門破り」(今回上演なし)と呼ばれる場面と深く連動している。

「市若初陣の段」を要約すると、以下のような内容になる。

主人公・板額(はんがく)は、夫・浅利与市から、武士の義理によって離縁されてしまう。その後板額は、実朝と対立する尼君(政子)とともに館に立て篭もる。実朝・尼君の対立の理由は、実朝の妹を殺害し失踪した犯人・荏柄平太[今回登場なし]の妻子、綱手公暁丸をなぜか尼君が匿っていることにあった。実朝は公暁丸の首を要求していたが、尼君は断固として応じていなかった。板額にはどうして尼君が公暁丸を保護しているのかわからなかったが、そうこうしているうちに、実朝からの討手(おこさま軍団)が館へ押し寄せてくる。板額はアドリブで彼らを追い払うが、その最後に、板額と与市のあいだの息子で、現在は与市が育てている市若丸がやってくる。板額は久しぶりの息子との再会を喜び、市若に手柄をさせようと、尼君に公暁丸の首を譲ってほしいと頼む。ところが尼君から、公暁丸は実は先代将軍頼家の子(=自分の孫)であることを明かされる。尼君は、公暁丸を守ってほしいと板額に懇願する。板額は、市若がここへ来たのは、事情を知る夫が市若を公暁丸の身替りにさせるためだったと悟る。板額は市若に、彼が板額・与市の子ではなく主殺しの罪人の子だと思い込ませる芝居を打ち、幼くとも武士の子としての責任から切腹させる。瀕死の市若は、罪人の血を引いてはいても、自分では育ててくれた板額・与市を親だと思っていると言う。板額は、さきほどの話は嘘で、やはり本当は自分と与市の子だと告白し、館の外に来ていた与市が声をかける中、市若は安心して息を引き取る。この様子に尼君は、公暁丸への未練を断ち、出家させることを決意する。与市は公暁丸の首として市若の首を受け取り、実朝と尼君の和睦をはかる。

この「市若初陣の段」のみを見ると、主人公・板額は、実の子供を騙して自害に追い込み、ただ嘆いているだけの夫頼りの女性と思われかねない。ここだけ見ると、板額は異様なまでの受け身であるように感じられる。文楽を代表する時代浄瑠璃の女性主人公、政岡(伽羅先代萩)、戸無瀬(仮名手本忠臣蔵)、定高(妹背山婦女庭訓)は、男性主人公らよりよっぽど覚悟完了している(異常レベルで)。にもかかわらず、板額は、娘役のようにただ嘆くだけの「弱い女」なのだろうか?
彼女はもとはヒヨヒヨ泣いているだけの女性ではなかった。実は彼女はフィジカル面では男性以上の「でかつよ」、六尺の身長と大力を誇る勇士なのである。なぜ彼女がここまで無力になってしまったのか。それには、直前の「板額門破り」に鍵がある。
「板額門破り」では、板額は夫のため、剛力にものを言わせ、藤沢入道(悪役)の館の門を破る。力づくで事態を解決しようとしたのだ。与市が喜んでくれると思ったのも束の間、夫からはそれを全否定される。武力で解決できるなら、もうしていると言われるのだ。そして、(彼女の行動自体が引き起こしたことではなくとも)養父が目前で自害するという最悪の状況に至る。彼女はここで自分を全否定される。武勇の誉れとなるはずの剛力は「理法権」(道理・法律・権力のこと。後述)の前では無意味であり、自らの無力さを思い知るのだ。無力なのは板額が女性だからではなく、「理法権」はすべてに超越する(べき)という時代浄瑠璃世界の鉄の掟によるものなのだが、本作では、男性のような地位・立場を持ちえないながら、フィジカルには男性に並ぶ腕力を持つ女性である板額を主人公にすることによって、道理・法律・権力に逆らえない弱い存在と、そこからさらに弱い存在である子供に皺寄せがいく悲劇性が強調される。

 

理法権

この物語を理解する鍵は、鎌倉幕府はそれ以前とは異なる秩序をもった権力であったと考えられていたという点だろう。それは、「理法権(りほうけん)」の存在である。「理法権」とは、道理と法律と権力のことで、物語の登場人物たちはこれらに縛られた〈武家〉に所属するがゆえに、その秩序に逆らうことはできない。
本作のヒロイン・板額は、女性として異例の体躯を誇り、堅牢な門を打ち破ることができるほどの大力の持ち主。そのへんのヘナチョコ武士など一捻りである。そして、将軍実朝の重臣であり鎌倉一の美男子である浅利与市の恋女房でもあって、彼との間にはかわいい一人息子がいる。実の両親は亡くなっているが、板額を引き取り育てた義理の父は篤実な幕府重臣で、嫁に行ったいまなお実の子同様に慈しみ愛されている。そしてなにより、本人はとても真面目で可愛らしい性格で、誰からも愛されている。個人の能力も高く、地位もそなえ、家族にも恵まれて幸せに暮らす申し分ない女性である板額だが、「理法権」に太刀打ちができないゆえに、悲劇へと巻き込まれてゆく。

鎌倉幕府の「理法権」の象徴として、武家法の最初の成文法典、「御成敗式目」が挙げられる。作中で登場人物が「式目の法を眞先に押立て……」や「追付捕へられ御政法の竹鋸」というセリフを発する場面もある。「御成敗式目」は鎌倉幕府滅亡後も武家政治の鑑として特別視され、「御成敗式目」を学ぶのが武家の修学教養として流行、「古典」として尊重されていった。近世においては出版文化の普及にともない、「御成敗式目」は毎年出版されるほど隆盛、日本中へ広がっていった。また、寺子屋でも利用され、子供たちが素読や習字で文字を覚えるための教材となった。
さて、本作には、一部、「史実」に反する部分がある。本作の舞台となっている建暦元年[1211]には、まだ「御成敗式目」は制定されていなかった(「御成敗式目」は藤原頼経将軍時代、貞永元年[1232]制定)にもかかわらず、「御成敗式目」(のようなもの)の存在やそれによる束縛を示すようなセリフがある。これにはどうもある程度のバックグラウンドがあるらしい。江戸時代においては、北条政子が「御成敗式目」を編纂したという伝説が広まっていたようだ。「御成敗式目」が寺子屋の教材として利用されていたとさきほど述べたが、その版本の口絵には、政子と幼い頼経の前で奉行が式目を奉読するものが入っていたという。また、そこには、「されば、この式目は後堀川院貞永の頃、鎌倉平尼政子、頼経を守立、任将軍、其時北条泰時を始執権十三人、普和漢両朝上古の徳政を糾明め、末代不易の条目を定給ふ也」という序文が掲載されていたようだ。むろん江戸時代当時も「史実とちゃうやろ」というツッコミが入っていたらしいが、本作で政子と「御成敗式目」を同時代的に描くのは、そのような俗説の取り入れからきているのかもしれない。

 

女性主人公・板額

本作は並木宗輔の単独作とされており、それゆえかストーリーの一貫性が比較的高く、キャラクター造形にブレがない。本作の特徴は先述した女丈夫・板額というキャラクターで、女性が子供関係のあれこれ以外でここまで出張ってくるストーリー構成になっているものも珍しい。これは当時豊竹座でスターであった女方人形遣い・藤井小八郎の見せ場を作るためと考えられているようだ。
板額は平安末期から鎌倉初期に生きたといわれる実在の女性で、本作の中にある、九郎資国の娘である点、勇力を奮って戦った点、浅利義遠の妻である点は事実。

 

門破り

二段目で板額が行う「門破り」は、朝比奈三郎が行ったとされる「朝比奈門破り」伝説をモチーフにしていると思われる。「門破り」はその人物の剛力を示すモチーフであり、樊噲も門破りを行ったという日本独自の伝説も存在する(本場中国の伝説では、建造物としての門は破ってない)。板額の場合、朝比奈三郎の母は大力の女武者である巴御前であるという伝説のイメージを移し替えているのではないかと推測できる。なお、板額が舞鶴の紋をつけているのは、歌舞伎において朝比奈役を得意とした中村伝九郎がつけていた紋だからだそうだ。

 

 

 

┃ 登場人物

北条政子 ほうじょうまさこ
故・源頼朝の妻。尼君(尼将軍)と呼ばれ、幕府最大の権力の持ち主。夫頼朝の没後、二代将軍となった長男・頼家も死去。そののち、次男・実朝を将軍に立て、自らは補佐を行っていた。ところが突然、幕府の法理に背くような行動に出て、実朝と対立するような状況になるが……?

源実朝 みなもとのさねとも
三代将軍。に、なる、予定。真面目だが、まだ若いゆえ、家臣たちに補佐されながら仕事をしている。幕府の法を犯すようなことをした母を訝しみ、立場上、どう対処すればいいか悩んでいる。

斎姫 いつきひめ
実朝の妹。兄の家臣である江馬太郎、和田常盛から想いをかけられるものの、本人は都の貴族・藤原為氏に夢中。いや、実は会ったことないんだけど、歌人でイケメンって聞いたから、ここいらみたいなド田舎のイモ武士とは違うよねって思って憧れちゃって、歌の添削のお願いの手紙とか出したりしちゃって……。キモ男は嫌い。そらそうか。

中の院藤原為氏 なかのいんふじわらのためうじ
都のイケメン官僚にして歌人藤原定家の孫。勅命により、源実朝征夷大将軍に任命する書状を持って鎌倉を訪れる。いわゆるプレイボーイのため、斎姫の想いを知りながら大事故に至らないよううまくかわす。

江馬太郎義時 えまのたろうよしとき
北条家の人、三執権の一人。斎姫を妻にと望む。本編中では「北条」と呼ばれることも多い。

和田新左衛門尉常盛 わだしんざえもんのじょうつねもり
三執権の一人。斎姫を妻にと望む。

藤沢入道安静 ふじさわにゅうどうあんせい
幕府転覆を目論む悪臣。斎姫や執権たちをそそのかし、内部分裂を計画する。

藤沢四郎清親 ふじさわしろうきよちか
藤沢入道の息子。父とともに幕府転覆をたくらむ。

浅利与市義遠 あさりよいちよしとお
評定の役をおおせつかった実朝の重臣。篤実な人物。鎌倉一の美男子と言われている。恋女房・板額を深く愛しているが、離縁。息子市若は手元に置き養育する。

板額 はんがく
浅利与市の妻。メチャデカで力持ちなアラサー女子。城九郎資国の姪にして養女で、幼いころに両親が死没したため、叔父である資国によって育てられた。夫と息子・市若を深く愛しているが、義理の兄(いとこ)である荏柄平太の叛逆により、夫から離縁される。

市若丸 いちわかまる
浅利与市と板額のあいだに生まれた息子。10さい。ともだちいっぱい、素直な良い子。

城九郎資国 じょうのくろうすけくに
実朝の重臣ジジイで、斎姫の乳人。荏柄平太胤長は実の息子。みずからの兄夫婦の没後、その娘である板額を引き取って養女とし、立派に育て上げた。

荏柄平太胤長 えがらへいたたねなが
城九郎資国の息子。斎姫に突然横恋慕し、恋が叶わぬと知ると姫の首を討ち、その首を持ったまま行方知れずとなる。

綱手 つなで
荏柄平太の妻。斎姫のお守り役。夫・平太の姫殺害事件のあとは尼将軍政子に保護されている。6年前に京都の養父母のもとを出奔し、鎌倉へやってきた。

公暁丸? きんさとまる
荏柄平太と綱手のあいだの子。母とともに尼将軍政子に保護されている。

鳥売り? とりうり
鶴岡八幡宮放生会で、放生をするための鳥を売っている男。遊びにきているやつはしみったれているから買わないし、後生願いのやつはdisってくるしで、全然商売にならない。

手車売り? てぐるまうり
鶴岡八幡宮放生会で、子供相手におもちゃを売る男。手車とは今でいうヨーヨーのようなおもちゃのことで、江戸時代には土でできていたそうだ。

阿闍梨 あじゃり
鶴岡八幡宮の若宮の別当。頼家の遺児・善哉丸を弟子として預かっている。善哉丸誘拐後は若君を探して諸国を勧進して回る。

善哉丸 ぜんざいまる
先代将軍・頼家の妾腹の遺児。鶴岡八幡宮若宮の別当阿闍梨の弟子。ちょっとしたお出かけでも取り巻き小僧がめっちゃついてくる。11さい。

因幡大江広元 いなばのかみおおえひろもと
実朝の家臣。尼君の館へ向かわせる軍勢として、ちびっこ武者軍団を編成する。

ちびっこ武者軍団 ちびっこむしゃぐんだん
大江広元の計らいによって、佐々木盛綱の子孫・綱若、土肥(実平)の子・実千代、千葉氏の兄弟・資若胤若、宇都宮氏の子息岩松、佐藤・竹下・相馬の子などで編成した子供武者軍団。実朝に従う大名の子息のうち、11歳以下のかなりちびっこい子だけで組織されているため、めっちゃかわいく、めっちゃすなお。

根来伴蔵 ねごろばんぞう
藤沢入道の郎等。綱手・公綱を追って粟田口へやってきた。そそっかしい。

関の車戸次 せきのしゃこじ
小倉山にある藤原為氏の山荘の留守守。綱手の父(実父ではなく、捨子だった綱手を拾って育てた)。もっっっっっのすごい強欲邪智。北条と内通。

車戸次女房 ※本文中無名
車戸次の女房、綱手の母。夫とともに為氏に仕え、夫同様、もっっっっっのすごい強欲邪智。和田と内通。

浪人 ろうにん
小倉山の山荘へやってきた浪人。為氏が百人一首を編纂していると聞き、自分の歌も加えてほしく尋ねてきた。作りかけの歌への教授を為氏に乞う。

 

 


┃ あらすじ

初段

大序 鎌倉将軍館の段

  • 京よりの上使・藤原為氏の来訪
  • 実朝の右大臣(征夷大将軍)任職
  • 斎姫の為氏への恋
  • 江馬太郎・和田常盛の対立
  • 浅利与市の妻・板額の登場

鎌倉時代。頼朝・頼家の逝去後、頼朝の妻・政子は若年の実朝を補佐し政を采配していた。そのため、彼女は「尼将軍」と呼ばれていた。
そんな中、鎌倉山に構えられた御殿に、都から実朝への右大臣(征夷大将軍)任職のための勅使として、参議藤原為氏が訪れる。ところが実朝は奥州の名所視察の留守中であったため、政子のほか、実朝の妹・斎姫、執権である北条家の江馬太郎義時、和田新左衛門尉常盛らが揃って出迎えを行い、宣旨を受け取る。宣命の儀は無事に終わり、為氏は斎姫を妻に迎えたいと戯れを言う。憧れのイケメンから声をかけられた斎姫は舞い上がり、尼君も喜ぶ。ところが江馬太郎が進み出て、斎姫は江馬の妻にとの頼家より内々の話があった(藤沢入道安静・談)と名乗り出る。そこへ和田常盛が口を挟み、頼家の遺言は、斎姫は常盛の妻にとなっている(藤沢四郎・談)と言い出す。
ふたりは尼君が止めるのも聞かず刀に手をかけて揉めはじめるが、そこへ実朝の寵臣、浅利与市義遠が歩み出る。ところがそれは浅利与市本人ではなく、彼の妻・板額だった。板額は女性ながら身長180cmを超える立派な体躯で、鶴の丸の紋が入った大紋を美しく着こなし、一同の前へ進み出た。板額は町廻りを警備する夫に代わり御前の警護に控えていたが、揉め事を聞きつけ出てきたのである。江馬と和田は武士同士の争いに女の出る幕ではないと言い、板額はこれ以上のことになれば力技で止めると言って三つ巴に睨み合う。そのさまを見た為氏がこれ以上は上への畏れと叱りつけると、一同はしんと静まる。
様子を見た為氏は改めて戯れを撤回し、遺趣なきように申し付ける。尼君は安心し、為氏の逗留の気晴らしに「紅葉狩」の能楽を見せたいと言う。太夫(シテ)は義時、間の者(アイ)は斎姫、ワキ(平惟茂)は常盛が勤めることになり、宣命の儀式は終わりとなってそれぞれ座を立つ。

 

 

 

別殿の段

  • 「紅葉狩」の上覧
  • 藤沢入道の陰謀

扇が谷の別殿では、藤原為氏歓迎の式能が豪華に行われている。「式三番」、「弓八幡」、「花月」、「松風」と進み、番組はいよいよ最後の「紅葉狩」となる。出番のためやってきた斎姫を出迎える乳人・城九郎資国、荏柄平太の妻・綱手。資国は、末社の神の役(八幡神の眷属、武内神)の姫は出番がまだなので、しばらく休まれるように言って奥の一間へ入る。
綱手と二人きりになった斎姫は、綱手に恋の相談。前々から憧れていた為氏とせっかくいい感じになれそうだったのに、和田と北条の争いによって泣き寝入りになっちゃいそう🥺なんとかして😭というのが姫の頼みだった。綱手は、「恋知り」の為氏がつれない返事はしないであろうから、歌の教授にかこつけて直接会ってやっちゃえやっちゃえとダイレクトなアドバイスをして、為氏を呼びに行く。姫がそんないきなりどうしよこうしよとモジモジしていると、綱手に呼ばれた為氏がやってくる。夫婦になってと言う(素直なので本当に直接言った)姫の心を察した為氏だったが、心に任せぬ理由があると言ってそれを断る。なおも一夜の情をと乞う姫に、為氏は、和田北条の妻争いを知っていながら姫と契れば天下の騒ぎ、国家には替えられないとして、姫に今生の別れを告げてその場を去るのだった。
嘆き悲しむ斎姫は自害しようとするが、立ち聞きしていた藤沢入道がそれを止める。入道は、自分の言う通りにすれば為氏と夫婦にさせると姫にささやく。それは、「紅葉狩」で末社の神(斎姫の役)が惟茂(和田常盛の役)に授ける八幡神勅の剣を、小道具の木刀ではなく、本物の剣に差し替えることだった。それでは怪我をしてしまうという姫に、きょうは鬼女(江馬四郎の役)の笞(打ち杖)も本物の鉄製になっており、江馬はそれで和田を殺す思案だというのだ。勅使を前に私怨で持って本物の武器で打ち合う和田と江馬を取り押さえれば邪魔者はいなくなり、姫は為氏に嫁入りできるという。この入道の悪巧みを真に受けた姫は喜び、太刀を受け取って鏡の間(楽屋)へ入る。

 

 

 

紅葉狩の段

  • 舞台での真剣の打ち合い
  • 斎姫と藤原為氏の別れ
  • 藤沢入道へ預けられる斎姫

やがて、シテ(高貴な姿の女)・江馬太郎、大鼓・荏柄平太、小鼓・綱手で、「紅葉狩」の演能がはじまる。物語は進み、惟茂役の和田がまどろんでいるところに、末社の神役の斎姫が近づく。姫は舞台を眺める為氏と目を見交わしつつ、和田の側に真剣を置く。惟茂が目を覚ますと、鬼女の姿になった江馬が現れる。江馬が鉄の杖を振り下ろすと和田も剣を抜き、二人は打ちかかるが、事態に気づいた荏柄夫婦が止めに入る。せき立つ和田と江馬は、二人とも藤沢入道の内通によって相手の武器が本物だと知っていたと言い、なおも争いを続けようとするが、資国が割り入り、政子よりの上意があると止める。二人は平伏して尼君よりの叱責を受ける。また、斎姫についても太刀を本物にすり替えた理由を確認するため、藤沢入道に身柄を預けられることになる。入道は、自分の気に入った者を斎姫の婿にさせるとのさばり出る。斎姫は桟敷の為氏を名残惜しく思いつつ、入道とともに別殿を去るのだった。
為氏は騒ぎは内密におさめるように告げ、都へ帰る車を呼んで、見送りの荏柄夫妻とともに出ていく。なおもおさまらない江馬と和田は取っ組み合いの喧嘩をはじめるが、資国が再び割り入り、争いは一旦自分に預けてくれるように言う。入道が両方に内通したのは胸に一物あるに違いないというのだ。二人は資国の思案を認め、お互い睨み合いながら左右の席に分かれて控える。
せっかくの祝儀の席だったが、「紅葉狩」が中断したため、五番のうち最後の一番が欠けてしまった(能楽の正式な上演形態「式能」は五演目を上演する。演目の順序・内容にルールがある)。資国は代わりに自分が「猩猩」の切を勤めるので二人には鼓を打ってほしいと言い、扇を開いて舞いはじめる。二人は不承不承に鼓を取るが、拍子はまったくあわない。資国はそんな二人のあいだを取り持ち、めでたく「猩猩」を舞いおさめるのだった。

 

 

 

二段目

鶴が岡放生会の段

  • 放生会の鳥売りと手車売り
  • 若君・善哉丸をめぐる大騒ぎ
  • 善哉丸を連れ去る鳥売り・手車売り

放生会が行われる鶴岡八幡宮では、境内にサギが放され、ハト、トンビ、スズメらものびのびと羽根を伸ばし、参詣の人々で大賑わいとなっている。
その中に、放生するための小鳥を売る鳥売り、子供相手におもちゃをあきなう手車売りの姿があった。頬被りをした姿の二人は鳥居の陰で冴えない売れ行きを愚痴りあい、ゲン直しにちょっと飲もうと相談。手車売りは酒を買いに走る。
そこへ、若宮の別当阿闍梨の弟子・善哉丸がやってくる。善哉丸は先代将軍・頼家の妾腹の子で、出家させようと幼少の頃より阿闍梨に預けられ、今年11歳になっていた。善哉丸が鳥を買おうとしていると、取り巻きの小僧たちがしゃしゃり出て値切りまくりのウナギないのと勝手を言いまくる。鳥売りは好きなものをとカゴの口をあけて差し出すが、実はこれが罠。1、2羽ほど欲しいという若君がカゴを覗き込んで手を入れようとすると、鳥が多数飛び立っていってしまう。小僧たちはびっくり、若君は涙目。鳥売りは鳥代3貫目を請求し、金がなければ着ているものをよこせと譲らない。思わず刀に手をかける若君、「このお方は実は世が世なら将軍!」と騒ぐ小僧たちと鳥売りは一触即発になる。若君はついに刀を抜いてしまい、刃先が鳥売りの肩先に当たる。小僧等はこりゃ大事と若君を抱えて逃げてゆき、怒り狂った鳥売りはそれを追う。
そのあとに、酒を買った手車売りが戻ってくる。鳥売りの姿がないのを見た手車売りがひとりで酒盛りを始めていると、若君を抱えた阿闍梨が走ってくる。阿闍梨は嫌がる手車売りにねじ込んで、若君をむりやり彼の荷箱へ格納し、もときたほうへ走り去っていった。箱の中の細工ものが壊れるー!と手車売りがうろたえているところへ、鳥売りと彼を追う寺僧が走ってくる。鳥売りはここにガキを抱えたジジイが来たはずと言い、手車売りの荷箱へ目をつける。ところが、荷箱へ手をかけようとする鳥売りを手車売りが蹴り倒すので、鳥売りは手車売りが若君を匿ったに違いないと言って、二人は取っ組み合いの大喧嘩になる。手車売りは鳥売りを取り押さえ、寺僧たちに荷箱を持って早く御坊へ帰るように言いつける。寺僧たちは彼の言う通りに荷箱を皆で抱え、走り去って行った。
寺僧たちがいなくなると、手車売りは鳥売りを放し、なにやら密談をはじめる。手車売りの荷箱は二つあり、実はここに残っているもうひとつの荷箱の中身こそが若君だった。二人は荷箱に朸をさして担うと、館のほうへ帰っていった。

 

 

 

藤沢入道館の段

  • 荏柄平太の斎姫殺害
  • 首のない斎姫の死体

斎姫を預かった藤沢入道は、姫をみずからの松が谷の奥御殿へ閉じ込めていた。姫の世話をつとめる腰元たちは暇さえあれば噂話、姫自身は為氏に惚れて恋煩いにまでなっているにもかかわらず、和田北条が女房争い、しかも荏柄平太まで姫に付け文をしているとピーチクパーチク大騒ぎをしていた。そこへ城九郎資国が姫の病気見舞いにやってくる。資国は真面目なので、乳人であっても姫は女性の主人として、腰元に面会の案内を申し込んでいると、彼の来訪に気づいた姫がやってきて不遇を嘆く。資国は、「姪の板額は幼いころに両親に死に別れみなし子となり、わたしが引き取って育てた。顔はまあまあいい感じだけど関取みたいなものすごい体格に育ち、でも、鎌倉に隠れもない美男・浅利与市の恋女房となり、二人はラブラブで市若という子供ができて今年10歳。姫もこのように気に入る男をもたせて可愛い子供もできるだろうから、いまは落ち着いていなさい」ということを面白おかしく言い聞かせる(途中からただの娘自慢)。
そうしていると、荏柄平太が政子の使いとしてやってくる。腰元たちはどうせ嘘だろキッショと囁き合うが、姫は考えがあると言って平太を通させる。平太が持ってきた政子の言とは、和田常盛・江馬太郎が姫を争っている件について、二人とも天下の大老であるため、政子のほうでどちらに嫁がせると決め難く、姫の所存を聞きたいというものだった。むろん、姫はどちらもいやとあっさり告げる。ところが姫は、嫁ぎたいのは平太だと言い出す。平太に嫁ぐが、妻子ある彼と鎌倉にはいられないから、駆け落ちしたいというのだ。自分に連れ出させておいて都で為氏とイチャつきたいだけだろ!と見抜く平太。本気なら手付けくれ!イヤーーーー!!!!とばかりに姫は平太にキックをかまし、一間へ逃げ込む。コケにされた平太は「一念通さでおくべきか」とつぶやき、恐ろしい顔色で奥の間へ入っていった。
そうしているところへ、館の主人・藤沢入道が帰館する。出迎えた息子・藤沢四郎と入道は、和田北条に争わせ隙をつき、実朝殺害の野望を成そうという密談を交わす。
ところがそこに、「荏柄平太が姫への不義が叶わない意趣晴らしに、姫の首を討って逃げた」という腰元たちの叫びが聞こえる。首のない姫の遺体が運び込まれ、入道は犯人荏柄の親族類族が異議に及べば殺すように命じる。

 

 

 

藤沢入道館門外の段(板額門破り)※現行上演可能

  • 浅利与市の板額離縁
  • 板額の門破り
  • 城九郎資国の切腹

その門前へ、女乗物を下部に運ばせた評定の役人・浅利与市義遠がやってくる。与市は役目のため、関係者の詮議にやってきたのだった。四郎は、与市の妻・板額こそ荏柄平太のいとこであり、与市も主殺しの類族だと喚き立てる。そう言うだろうと思ったとして、与市はここで板額を離縁すると言う。夫に呼ばれ、しょんぼりした姿で乗物から降りた板額は、評定の役儀のためにやむなく離縁するという夫の言葉に涙を流す。与市に嫁入りして10年、20代の若いときに離縁されるなら「あっそう」で済むが、30を越して可愛い息子・市若と別れるのが辛いという板額に、与市は市若のことは粗末にしないと告げる。
泣き入る板額を物見の上から見ていた四郎は大笑い。与市は門を破って館の中へ入ろうとするが、四郎に上への憚りと言われ躊躇する。与市が侮辱されたことに耐えかねた板額は、離縁された女は三界に家なし主なしと言って門柱を抱き、ひっこ抜こうとする。雑兵たちが止めても止まらず、大きな門と幅80m以上はある高塀がユサユサ揺れて壊れていく。門と塀は崩壊し、ドン引きした四郎は館の中へ逃げ込む。得意になった板額は与市を館の中へ通そうとするが、与市は、門破りで上への狼藉の不覚をとらせる気かと叱りつける。板額はどうしたら与市が離縁の気を変えてくれるのかと涙を流す。
そうしているところへ、館の中から、城九郎資国が与市との面会を望んでいるとの使いがやってくる。姫殺害の犯人・荏柄平太の親がいるならよい詮議の手がかりとして、与市は奥の間へ駆け込む。ヤケッパチになった板額は雑兵たちを相手に大暴れ。ついでに入道親子も首ひっこ抜いたるとばかりに館へ駆け込もうとする彼女の前に与市が現れる。資国は事態の責任を取り切腹、その介錯は与市と決まったというのだ。最期の別れをと促された板額は、白装束に衣装を改めた養父・資国と対面する。資国は、息子平太の主殺しの重罪は本人の責ながら竹鋸を引かれる行く末を憐れみ、また、養女板額が嫌われたわけでもなく離別され、女には無意味な大力で世間の人に嫌われないか、自分や夫に離れたあとの彼女を心配する。実の親にも勝る資国の慈愛、身代わりに死にたいと言う板額だったが、和田北条の争いを預かりながらこの事態に至らしめた責任は逃れられない、入道親子に恨みを言い残したことだけが無念として、資国は切腹。板額の嘆きとともに与市は資国の首を打ち落とす。
伯父の敵と入道親子を討とうとする板額だったが、与市に止められる。板額は、上への憚りに止まるのは忠義、親の敵を討つのは孝行という二つの道に迷う。板額は涙を隠す与市と目を見交わしつつ、別れゆくのだった。

 

 

 

三段目

鎌倉御所の段

  • 公暁丸・綱手を匿う政子
  • 政子と実朝の対立
  • こども武者軍団の出立

事件ののち、荏柄平太の息子・公暁丸、妻・綱手は、政子の館に引き取られ、匿われていた。主君殺しの罪人の係累として2人の引き渡しが要求されていたが、政子は断固として応じない。このことが問題となり、鎌倉へ帰った実朝と重臣たちは、連日、評議を行っていた。実朝の対応の仕方や政子の態度を巡ってうちのできのいい息子が引き取りに行っとるわいと言う藤沢入道と浅利与市が口論する中、公暁丸・綱手を受け取りに行っていた藤沢四郎がズタボロ姿で帰ってくる。政子の館の前には板額が立ちはだかっており、金毘羅のように荒れ狂っているというのだ。実朝は母政子の法に背いた態度に怒り、不孝の名を取るとも自ら直接出向いて二人を引っ立ててくると言い出す。そこへ因幡大江広元が現れ、公暁丸・綱手引き取りの軍勢を呼びあつめたという。与市は礼と不孝のために難渋しているにもかかわらず、安易に軍を集めて大ごとにするとは粗忽千万と叱りつける。

軍勢玉の小桜(景事)

ところが、実朝の高覧に入れると言って広元が呼び出したのは、かわいらしいちびっこ、鎧をつけ指物を手にした10歳ばかりのおこさまたち。彼らは佐々木、土肥ら実朝の従える諸大名の息子たちだった。

広元は、武力で制圧して公暁丸・綱手を奪うのは簡単だが、政子・実朝の親子の不和のもととなるため、実際には武力にならないおこさま軍団を差し向けることで、政子に実朝の孝心を感じてもらい、二人を安全のうちに引き渡してもらおうと考えたのだ。納得する与市だったが、おこさま軍団の中に自分の息子・市若丸がいないことを気にかける。広元は、与市が板額を離縁したとはいえ、板額の血を引く市若は叛逆者の血につらなるため、自分の計らいでは入れられなかったという。だから言っただろ〜wwwと言う入道だったが、実朝は臣下の習いは兄弟妻子の恩愛を超えるとして、市若を後陣の大将にするよう申し付ける。ただし、後陣の大将はほかの子供たちより責任が重く、仕損じては親子ともども世の人の噂話から逃れ得ないと付け加えた。与市は早速準備にかかり、広元はちびっこ武者軍団に出陣を命じる。

 

 

 

禅尼館の段(市若初陣の段)※今回上演部分

  • 市若の来訪
  • 公暁丸の正体
  • 板額の苦悩と芝居
  • 市若の切腹
  • 公暁丸の出家

政子は荏柄平太の妻子を館に匿い、物見の亭を高櫓として門をかためていた。
夜、腰元たちが板額ばかりが頼りだと噂話をしていると、綱手がやってきて、板額だけを頼りにする態度に文句をつける。綱手は落ち目になって気が僻んでいるのだった。そこへ当の板額がやってくる。実朝より、女房はともかく一子公暁丸は逆臣の子、首を討って渡せという要求があったにもかかわらず、尼君は応じず押し問答となってこの騒ぎ、勇ましいことを言うのなら綱手公暁丸を殺して自分も自害すればいいと言い出す板額。しかし綱手は、政子から匿いには理由があると聞かされており、死ぬにも死ねないと答える。そうしていると、板額は表を固め、綱手は奥へ来るようにとの政子からの上意が下る。
板額が政子の過度の慈悲によって天下に混乱が起こっていることを恨んでいると、人馬の物音と鬨の声が聞こえてくる。夜討かと板額は物見に上がるが、やってきたのはくだんのちびっこ武者軍団。ちびっこたちは「荏柄の一子・公暁の首を取りにきた、ここをあけろー!」と大騒ぎ。板額は実朝の政子への配慮に気づいて感心するが、ちびっこ武者軍団の中に自分の息子・市若丸がいないことが気になってしょうがない。板額は子供たちに声をかけ、浅利与市の子・市若丸が来ていたら呼んでほしいと頼む。ところが、子供たちは「市若とは友達だけど、誘っても来なかったのー!」「怖気付いて来ないんだもん!こんどから仲間に入れてやらない!」と口々に言う。その言葉は板額の胸に迫る。「夜討というのは人の寝込みを襲う騙し討ちなので卑怯なんだよ〜。市若はそれを知っているから来ないんだよ〜。みんなも手柄を立てたいなら、今日は帰って寝て、また明日の朝おいで〜」と板額が言うと、子供たちはきゃあきゃあ言いながら素直に帰っていった。
板額が息子を想い案じていると、ついに鎧に身を固めた市若丸がやってきて名乗りを上げる。その姿に板額は喜び、市若も久しぶりに会う母に抱きつく。板額は市若の立派な姿をほめそやすが、ふと、彼の兜の忍びの緒(あごひも)が結ばれていないことに気づく。市若いわく、母に会ったら結んでもらえと父から言われたとのこと。板額は与市は再度縁を結んでくれるという意味かと喜び、市若の兜の緒を結ぼうとするが、その拍子に緒が切れて落ちてしまう。はっとする板額、市若も、忍びの緒が切れるのは討死の暗示、自分は死ぬのかと涙を浮かべる。板額はそれを打ち消し、政子へ申し上げて荏柄の子の首はもらってあげる、兜の緒は母がつけなおしてやると言い、市若の手を引いて一間へ入るのだった。
その門外へ、市若を案じる浅利与市が現れる。与市は周囲を見回し、塀へ身を寄せて耳を澄ませる。
一方、政子が綱手公暁丸を連れて表の間へ姿を見せていた。板額はこれ幸いと、公暁丸の首を討って渡してほしいと頼む。むろん彼女は、それを我が子の手柄にしたいのであった。ところが、政子の口から思いがけない真実が告げられる。実はここに保護されている公暁丸とは荏柄平太・綱手の実子ではなく、先代将軍頼家の遺児・善哉丸だというのだ。実朝には子がないため、いざというときの跡目として与市・平太を頼み、鶴岡八幡宮阿闍梨から奪ってきたのだった。放生会の鳥売りと手車売りは平太・与市だったのである。取り急ぎ平太と綱手の子・公暁ということにして二人が預かっていたが、阿闍梨からの尋ねも厳しく、これ以上となると共に自害するしかないと嘆く政子。板額は、夫が公暁丸の正体を善哉丸と知って市若をよこしたことを知り、さきほど兜の緒が切れたことの意味を悟る。公暁丸は自分が死ぬことになっても祖母の命は助けて欲しいと板額に頼み、政子は孫のためなら自分の命は厭わないと板額に語る。板額を残し、政子、公暁丸、綱手は仏間へと入っていった。
残された板額は、与市がなぜこのことを相談してくれなかったのか、市若の兜の緒が切れるようにしてよこしたのは母の手で殺させるためなのか、自分はなぜ市若はまだ来ないのか待ちかねてしまったのかと数々のことを思いしゃくり上げる。その声を聞いた塀の外の与市も、もう一度会いたさに忍んできたと涙をこぼす。
そうしていると、何も知らない市若がソロソロとやってくる。市若は、友達たちが来る前に早く手柄を立てて父に褒められたいとねだる。板額は気を取り直し、手柄をさせると告げ、「もし自分が平太と綱手の子で、主君から討手を差し向けられたらどうするか」と尋ねる。主殺しの子と指さされるくらいなら切腹し、さすが武士と思われるようにすると答える市若。その言葉に板額は涙をこらえ、鎧姿では公暁丸も警戒すると言って、市若の鎧を脱がせようとする。すると鎧の下には死出の白装束が着せられているのだった。板額は、どんなことがあっても一間に忍んでいるように市若へ言いつけ、表へ出て燈を吹き消す。尼君と綱手は板額の様子を警戒して若君を隠し、与市は塀の外で静まり返った館の様子に耳をそばだてる。
板額はおもむろに板間を踏み鳴らし、大声を上げて荏柄平太が忍んできたかのような一人芝居を打つ。尼君と綱手は驚いて様子を差し覗くが、人影はない。板額は、架空の平太との会話の中で、市若丸は実は平太と綱手の子であり、平太がそれを取り返しに来たと語る。それを一間のうちで聞いていた市若は自分が平太の子だと思い、差添を抜いて脇腹を刺す。障子に飛び散る血煙に板額は一間へ駆け込み、でかしたと褒める。息も絶え絶えの市若は、話を聞けば主殺しの荏柄の子ゆえ潔く死ぬが、やはり板額や与市のことを親だと思っているので、子だと思って回向をして欲しいと頼む。板額は公暁丸が実は先代将軍の子で、身替りに死んでもらうために騙したことを明かし、市若はやはり与市と板額の子であると言って嘆き悲しむ。塀の外では与市が父もここにいると呼びかけ、念仏を唱える。その心が通じてか市若は目を開き、荏柄の子ではなく手柄も立てられるのかと言って母に別れを告げ、息絶える。
一同が嘆き悲しむ中、綱手は自害を試みる。政子は刃物を奪い、誠の心があるならば夫の行方を追って姫の敵を討つよう命じる。そして自分も愛着の念を断ち、公暁丸ひいては善哉丸を再び出家させて綱手とともに館から立ちのかせ、市若の後世を弔わせると告げる。この公暁(きんさと)丸が成人ののち、名高い公暁(くぎょう)法師となるのであった。
やがて明け方となり、鬨の声が聞こえる。板額は是非なく市若の首を討ち落とし、荏柄が一子公暁の首を討って渡すと告げて大門を開ける。そこには夫・与市が待っており、受取役の市若がここに控えていると言う。尼君は不憫さに回向の声明を唱え、若君は綱手とともに供養の旅に出る。作法にのっとって板額は与市に首を引き渡し、彼女の嘆きを振り切り、与市は将軍の御館へ帰っていくのだった。

 

 

 

四段目

道行こがれ松虫

綱手公暁は鎌倉を出立し、京都へ向かう。多くの山、坂を経由しつつ、二人は三条口へたどり着く。

 

 

 

三条口の段

若君を奪い取られた阿闍梨は、昨年の秋より方々を勧進しながら尋ねまわり、京都・粟田口まで辿り着いていた。粟田口では、藤沢入道の郎等・根来伴蔵が鎌倉から消えた綱手公暁を尋ね回っていた。阿闍梨と伴蔵が金くれ女探し中じゃと騒いでいると、笠で顔を隠した綱手公暁が通りかかる。阿闍梨を避けて通ろうとする綱手だったが、勧進僧が阿闍梨だと気づき平伏する。ところがそれを見ていた伴蔵が襲いかかってきたので、綱手は追手と斬り合いながら駆けていく。阿闍梨が半分だけできていた地蔵菩薩のハリボテ?を公暁に被せていると、戻ってきた綱手阿闍梨公暁を再び預かってくれるのを喜び、自身は夫を追って嵯峨へ向かう。
阿闍梨公暁厨子へ格納すると(人形だから入る…ってコト!?)、綱手が切った下郎の死骸の血を取って自身に塗り付け、女に子供をとられた、斬られた、死ぬー!敵とってー!と大騒ぎする。戻ってきた伴蔵は合点承知之助とばかりに走り出すが、阿闍梨から「あ。そっちじゃなくて右側の難波潟方面です。もうすぐ日が暮れるから急いでください(突然の冷静具体的指示)」と言われ、綱手が向かったのとは逆方面へダッシュしていくのであった。

 

 

 

小倉山山荘の段

藤原為氏は、風光明媚な小倉山にある山荘にこもり、祖父定家の残した名歌の記録を集めて百人一首の編纂に取り組んでいた。その召使いに、車戸次という欲深い男とその妻がいた。二人は毎日掃除ばかりしていても金は落ちていないし、鎌倉にいる娘を売れば金になるものをとブツクサ言っていたが、実は金になる思案をお互いに持っていると知り、寄りあってヒソヒソ話している。そこへ、笈を背負った綱手がやってくる。実は綱手は元は捨て子で、この夫婦に拾われ育てられたのだった。車戸次らは、6年前に家出をして以来、両親になんの音沙汰もなく悠々と旅行をしていると言って綱手を責めるが、綱手は金も土産もあるから一晩泊めてほしいと言う。🤑となった車戸次夫婦はいそいそと歓迎の準備に取り掛かり、掃除半ばに家へ入っていった。
日が暮れておぼろ月が見える時分、山荘の柴戸の前に、よしある風情の旅姿の浪人がやってくる。浪人は、為氏の歌道を慕い、自分の歌を百人一首に加えてほしく推参したと述べる。99首までは選んだものの、最後の1首がない為氏は彼を歓待する。浪人は、千賀の塩釜への旅によって「世の中は 常にもがな 渚こぐ 漁士の小舟」までできたが、下の七文字がまだ詠めないと言い、為氏に歌の添削を願う。しかし、為氏は下の七文字こそ重要と語り、今夜はここに泊まってその七文字を案じるように言って、ただものには見えない浪人を亭に上げるのだった。
文台に歌を書いた色紙を取り集め、歌集の編集作業をしている為氏だったが、いつのまにかとろとろとまどろんでしまう。すると、庭に死んだはずの斎姫が姿を現わす。ふっと目を覚ました為氏は思わず駆け寄るが、姫は、為氏が見放したために思わぬ人に思われ、この世を去ることになってしまった、この苦患を晴らしてほしいと語りかける。為氏は和田北条の争いの中で姫を奪うことはできず、つれない態度をとったが、この世も未来も夫婦であるから成仏してほしいと語る。すると柴垣から荏柄平太が現れ、姫に色直しをさせて祝いの支度をはじめる。驚く為氏、一方、車戸次夫婦も陰からそれを伺っていた。
実は、姫は死んではいなかった。為氏に去られ恋煩いとなった姫を見かねていた平太は、父・城九郎資国から藤沢入道親子の謀略を聞かされた。そこで新参の腰元を殺害して遺体を姫に見せかけ、父が切腹したとは聞いたものの、本物の姫を連れて為氏のいる京都まで来たというのだ。抱きつく姫を為氏は抱き返し、姫の気持ちを受け入れる。平太は喜び、紅葉の亭に入る二人を見送る。
夫は北条から、妻は和田からの依頼で、おそらく生きているであろう斎姫を探していた車戸次夫婦は、これを見てほくそ笑む。姫を綱手が背負ってきた笈に詰めて和田北条へ差し出せば褒美はガッポガッポ、二人は共謀して姫を誘拐しようとする。様子を見ていた綱手は走り出て両親の悪行を止めようとするが、養育の恩を突かれてしまう。母は綱手に平太を酔い潰すよう命じ、奥の間の様子を伺いに行くのだった。
綱手が育ての親が悪人だった不遇を嘆いていると、平太がやってくる。抱きついてくる綱手に平太はこれまでの事情を語るが、綱手は落ち着きなく銚子鍋の酒を飲む。何も知らない平太は酒をガバガバあおる綱手を不思議がり、「久しぶりで甘えたいのかな???」と思っていたところ、綱手が酔いに任せて姫に一大事があると言うのを聞き、血相を変える。綱手はこれは寝言として、和田北条がこの家の召使いである我が両親を使い、姫を誘拐しようとしていると語る。平太は驚き、車戸次夫婦を殺して姫を助けようとする。綱手が悪人でも育ての親、平太にとっても舅と姑と止めるので、平太は思案があると言って彼女を連れ、紅葉の亭へ走るのだった。
やがて暁も過ぎたころ、車戸次夫婦は和田北条どちらへ姫を渡すか密談していた。姫はすでにおびき出して笈に詰めてあった。車戸次夫婦の密談の裏で、平太は笈の中の姫を綱手と入れ替え、姫を連れ出す。いざ笈を運び出すとなると、車戸次夫婦は和田北条のどちらに渡すかで大喧嘩を始める。騒ぎの中、車戸次が刀を抜き、女房は笈を盾に身を隠す。そうするうち、車戸次は笈を真っ二つに斬ってしまう。中から出てきたのは、深手を負った綱手だった。綱手は非道な両親に心を入れ替えてくれるように頼み、夫との別れを悲しむ。姫は自分の身替わりになった綱手の姿を嘆き悲しみ、平太も涙を流す。ところが3人の涙も車戸次夫婦にはまったく効いていなかったので(まじ?)、車戸次夫婦は二人して和田北条へ注進と駆け出す。そのとき、二人の背中を矢が射抜く。息絶える二人の姿に姫も平太も驚くが、そこに、正装に改めた為氏、そして源実朝が姿を見せる。実朝は、殺された妹の敵、平太を射止めたと語り、和田北条の争いはそれが終わるまで見ぬふりをするという。また、さきほどの綱手の悲しみを見て、下の句ができたと語る。為氏は歌の教授を求める浪人が実朝であったと悟り、「世の中は 常にもがな 渚こぐ 漁士の小舟 綱手かなしも」という歌を受け取り、これまでの99人に実朝を加えて百人一首を完成させる。綱手は実朝の歌の供養を喜び、夫に別れを告げて息絶える。姫は涙に暮れ、平太は妻の遺骸をかき抱く。実朝は小倉山を発ち、東路へ足を向けるのであった。

 

 

 

五段目

戦場の段

  • 和田北条の和睦
  • 板額の藤沢入道親子の討伐

藤沢入道の謀略により、和田北条の確執は激化して、今日限りの戦いとなっていた。江馬太郎、和田常盛が直接立ち会うところへ、浅利与市が止めに入る。与市は縄をかけた荏柄平太を差し出し、確執の元・斎姫を殺した敵・平太を討って胸を晴らし、双方陣を引くように言う。与市の言葉に感じ入った二人は姫への執念は断ったと語り、たとえ都へ生まれ変わって藤原為氏と夫婦になっていても構わないと語る。与市は平太は自分が討つと言い、彼の兜を打ち割って落とし、平太は無事な身のまま済ませる。和田と北条は入道から聞いた讒言を互いに語り合い、誤解が解けて和睦となったので、与市も安心する。
そこへ軍を率いた藤沢入道親子が現れる。入道は、実朝より鎌倉を騒がせた罪で和田北条を誅せよと命じられたと語り、与市、和田、北条と斬り合いになる。そこへ武装した板額が現れ、入道と四郎を生捕にして手柄を立てる。一同は勇んで立ち返り、源氏の世は末長く続くのであった。

おしまい

 

 

 

┃ 参考文献