#044 夢の中からの盗作

夢の中で、誰か好きなイラストレーターが新しい絵を発表していることがあって、それを見て「誰々さんの絵は相変わらず素敵だな」などと思ったりする。目が覚めて、それが夢だったとわかるわけだけど、その「夢の中で見た絵」をそっくりそ […] 続きを読む →

#038 あたり

サイコロを2度振った時同じ目が連続で出る確率は1/6である。2度目は最初と違う目が出る確率は5/6であり、5倍もある。つまり2回サイコロを振れば 2回目は違う目になる可能性の方がかなり高い。確率を計算するまでもなく、感覚 […] 続きを読む →

#037 ゴッホの耳

子供なら誰しもいたずらをよくするものだが、大人がやるそれは時になかなか厄介である。かつてニューヨークの近代美術館で初めてヴァン・ゴッホ展が開かれ た時のこと、牛肉を使って人間の耳のようなものを作り上げ、それを青いビロード […] 続きを読む →

#036 雨の日の歩き方

雨の日に道を歩く時、なるべく水が跳ねないような歩き方をしたいのだけど、どうもコツがつかめない。まわりを見ていると、跳ねた泥水で足元が濡れている人がいる一方でほとんど汚れの無い人もいる。靴の種類も関係しそうだが、同じような […] 続きを読む →

#035 瞳の色と光の知覚

瞳の色は人種により異なり、そのせいで人種による色の感じ方や色の好みの違いなどが生じているという話がある。しかし、これは間違っている。瞳の色は、物の色の見え方に影響を与えない。▼瞳の色とは正確には光彩の色のことだ。光彩はカ […] 続きを読む →

#034 ダ・ヴィンチの世界風景

レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作である『モナ・リザ』の背景には不思議な光景が描かれている。乾燥した大地に岩山という、全く生気を感じさせない荒涼とした世界風景が描かれている。これは『キリストの洗礼』『岩窟の聖母』『聖アンナ […] 続きを読む →

#033 世界風景

絵の背景となる景色を描く際に、なるべくその景色がどの特定の場所でもないようなものにしたいという場合がある。ところが、例えば街並の背景を描く場合に京都の街を参考にして描いてしまうと、当然のことながらその絵は「京都の絵」とい […] 続きを読む →

#032 賽銭

賽銭箱は、参詣人が祈願成就などのためお金を奉納するための、神社や寺の前に置かれている箱のことを言う。最近知ったところによると、宗教法人の認可を受けていない一般人が賽銭箱を自宅の前に置いてお金を集めても、違法とはならないそ […] 続きを読む →

#031 鏡の向こう

靴屋で鏡を見ていた時に、うっかり鏡を倒してしまったことがある。直そうと思って倒れた鏡を見下ろした時、そこに映った像を見てクラっときた。まるで床の一部に穴が開いたように見え、その中へと落ちてしまいそうな錯覚がしたからだ。そ […] 続きを読む →

#030 内と外

全宇宙を一枚のビニール袋の中に入れる方法を考えたことがある。やり方は超簡単。ビニール袋の内側と外側を裏返す(ひっくり返す)だけ。こうすることで袋の内側だった面が外を向き、内と外の関係が逆転する。さっきまで袋の外側だった領 […] 続きを読む →

#029 ファースト・コンタクト

人類と異星人との最初の接触を「ファースト・コンタクト」と呼び、これはSF作品における主要なテーマの1つとなっている。異星人は『未知との遭遇』『E.T.』『地球の静止する日』などでは友好的だったが、『宇宙戦争』や『インデペ […] 続きを読む →

#028 階段

ある人がこんなことを言っていた。ビルの2階から4階に職場が移転して、登らないといけない階段の数も2倍になると思ったら、実は3倍になってしまった、 と。2階に上がるには階段を1度登ればよいが、4階に上がるには3度登らないと […] 続きを読む →

#027 技巧の巧妙

「技巧はうまい方がよろしい」と岸田劉生は書いている。絵を評価する際に、よく技巧ばかりがうますぎるとか、あまり上手すぎて面白みがないとか言って技巧の上手という事をいやしむ考えがあるが、これは間違いだと。技巧がうますぎる絵と […] 続きを読む →

#026 電信柱

画家の山口晃さんがNHKの視点・論点で「電信柱の美」について語っていた。時に景観を乱すものとして弾劾されることもある電信柱だが、これは日本の風景に馴染むものではないだろうか、と。電信柱の立ち姿を華道に例えて説明していたの […] 続きを読む →

#025 美しさ

芸術は何のためにあるのかと聞くと、それは美をあらわすためにあるのだ、といった答えが聞かれる。では、美とはどういうものか。画家の岸田劉生は「『美しい』と『きれい』はちがうのだ」と言っている。確かに、「きれい」の反対語は「汚 […] 続きを読む →

#024 ワインバーグの文章読本

『ワインバーグの文章読本』を読む。自然石構築法という、文章を書くための実践的かつシンプルなアドバイスが書かれていた。基本となる原則はたったこれだけ。1.興味あるテーマについて普段から話題の断片を無数に集めておき、2.断片 […] 続きを読む →

#023 始めるには

誰しも「こんなことができるようになればいいのに」と思っていることが1つや2つはあると思う。自分の場合だと語学とかがそれ。英文をささっと書けるようになりたい。でもそのうち勉強したいと思いつつ、ずっと手を付けられないままでい […] 続きを読む →

#022 絵は模型

小さい頃から絵を描くことは好きだった。良く描く題材は決まっていて、汽車と城と軍艦。どういうわけかこの3つが妙に好きで、描くものが決まらないときはいつもそれを描いていた。模型のパッケージの絵を参考にして描いていたと思う。汽 […] 続きを読む →

#021 ぽぽ

「たんぽぽの ぽぽのあたりが 火事ですよ」坪内稔典のこの句を初めて聞いた時、言葉の意味はわからなかったものの、響きのの良さ、リズムの良さは強く印象に残った。たんぽぽの「ぽぽのあたり」とはどのあたりのことか、それが火事であ […] 続きを読む →

#020 子供の目

新聞の投書に昔こんな話が載っていた。幼稚園くらいの子供が両親と一緒に空港へ行った。祖父母を見送るためだ。飛行機は飛び立ち、どんどん遠のいていく。それを見た子供がこう言った。「おじいちゃんたちが小さくなった」。▼小さくなっ […] 続きを読む →

#019 偽薬

子供が怪我をしたときに、母親がチチンプイプイと言ったりする。これを言えば痛みが消える。そのように子供には思える。痛みはしばらくすれば勝手に消えるものだ。何もしなくても治るものに、母親が「痛いの痛いの飛んで行け」なんて巫女 […] 続きを読む →

#018 血液型

こんな笑い話がある。ある人が運転免許証を取りに行っていた時に、教習所の先生が「オーガタの人はこちらに来て下さい」と言った。その人は自分の血液型がO型だったので、そっちへ行ってしまった。オーガタとは「大型」免許のことなのに […] 続きを読む →

#017 首

「首の先には頭がある。手首なら手、足首なら足。ならば乳首の先にまだ見ぬおっぱいがあるのではないか?男が乳首を追い求めるのはその探求心ゆえの行動だ。」ネット上で見つけたいわゆるコピペ文。確かに、この中で乳首だけがその先に何 […] 続きを読む →

#016 勉強

画家の安野光雅氏がソルボンヌの学生と話していた時のこと、「講義の時間だからそろそろ行かなきゃ」と学生が言った。安野氏が「勉強はimportant(重要)だからね」と言うと、その学生は「勉強はimportantではない、i […] 続きを読む →

#015 時計のある風景

『時計めぐりヨーロッパの旅』という写真集を読んだ。教会、街路、宮殿や市庁舎など、ヨーロッパの様々な国の街中の時計を集めたものだ。大小様々な時計が載っていて面白い。ヨーロッパの特に財力のある都市にはたいてい大きな教会がある […] 続きを読む →

#014 個性

「人はよく独創の話をしますが、生まれおちたときから、この世の影響をうけ、邂逅によってさらに生まれ変わらされたとすれば、独創とは一の空語にすぎますまい。大切なのは模倣です。邂逅の相手を模倣すること。」亀井勝一郎の言葉だ。▼ […] 続きを読む →

#013 創作講座初級篇

カート・ヴォネガットの短篇集の序文に、大学で彼が教えた創作講座初級篇が載っている。私は小説を書かないが、これは小説以外の創作活動にも援用可能かもしれない。いくつか抜き出してコメントを付けてみる。▼「例えコップ一杯の水でも […] 続きを読む →

#012 テンベア

アフリカのある種族の人たちは、20歳前後になるとふっといなくなる人が多いらしく、そして1,2年くらいすると、またふらっと帰ってくる。それは神隠しだという話もあるが、そうではなく、人間には動く本能があって、その欲求が思春期 […] 続きを読む →

#011 私の言文一致体験

書き言葉は基本的に標準語の世界で、生活の垢のようなものを持たない規格化された、その意味で死んだ言葉の世界だ。標準語というのは要するに近代化の必要の中で行われた言葉の効率化だ。しかし、場や空気を持たない言葉の不都合に耐えき […] 続きを読む →

#010 場の言葉

方言には独特のニュアンスがあり、これは標準語では伝えられない。大阪弁には「ほたえる」という言葉があり、またそれとは少し意味の違う「いちびる」という言葉がある。どちらも標準語での「ふざける」という意味の言葉だが、これらを標 […] 続きを読む →

#009 会いたい人に会う

大河ドラマ「龍馬伝」を見た。非常に高揚感のある回。龍馬は知り合いのつてを頼りに、どうにか憧れの勝と対面することになる。その熱意と情熱に、胸を打たれる。会いたい人に会いに行くというシンプルな行動の大切さを実感する。ともすれ […] 続きを読む →

#008 情報の適量

少し前にyoutubeがリニューアルされて、表示がずいぶんとシンプルになった。どういう意図なのか公式のアナウンスを見たわけではないので知らないが、おそらく見た目を単純にすることでユーザーフレンドリィな作りにしようとしたの […] 続きを読む →

#007 ×印

「僕は象を「可愛いと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実だった。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。「雲 などはどこが美しい? 象もただ大きいばかりじゃないか?」先生はこうたしなめ […] 続きを読む →

#006 You’re Crazy !

テレビに上杉裕世さんというマットペインターの方が出ていた。様々なハリウッド映画で背景に使われる絵を描いている人だ。映画の中の非現実的な風景はCGで作られているように思われているが、実際のところ全てがCGというわけではなく […] 続きを読む →

#005 夜空はなぜ暗い

夜空はなぜ暗いのだろう。唐突な疑問ではあるが、実は宇宙の成り立ちを考える上で重要な意味を持つ興味深い問いだ。この問いから、宇宙の有限性が導かれる。どういうことか。もし仮に宇宙が無限であるとすると、星もまた無限に存在するこ […] 続きを読む →

#004 それでも飛んでいる

何かをを作り終わっていつも思うのは、自分がどうやってそれを作ったのか自分でもよくわからないということだ。手順はよく思い出せないけど、ともかく色々やっていたらいつの間にか出来ていたという感じである。例えば絵がそれだ。自分で […] 続きを読む →

#003 やる気

やる気というのは気まぐれなもので、ある時急にやる気が出たかと思えば、いつのまにか消えてなくなっていたりする。この切り替わりはどう生じるのだろう。自分の場合、やる気が出てそのまま行動につながるような事態は外発的な動機付けに […] 続きを読む →

#002 書くと描くの類似性

文章を推敲していて思った。この作業は、絵を描くときのそれと非常に似ている。句読点を付けたり外したりその位置を変えたりという一見些細な―しかしそれによって読みやすさが大きく左右されるような―文章の微修正作業というのは、絵を […] 続きを読む →

#001 吉里吉里人

作家の井上ひさし氏が亡くなった。『吉里吉里人』は強く印象に残っている。日本の東北のある小さな村が独立を宣言し、それを阻止しようとする日本政府との攻防を描いた小説だ。一見突飛なストーリーだが、それを可能とするための様々な策 […] 続きを読む →