2024年4月14日日曜日

桜を見ると思い出す

桜が満開である。

研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。

学生の一人が「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章を話していたので、そういえばそうだった、と思い出した。

桜の妖しい美しさは、その下に埋められた屍体のためだと梶井基次郎は看破して文章を書いたのだけれど、上野公園の桜の木の下に埋められているのは、戊辰戦争のときの彰義隊だったろうか、それとも東京大空襲のものだったろうかと、ふと疑問に思った。

よく考えてみれば、梶井の文章が発表されたのは太平洋戦争の前なので、東京大空襲の話を知るわけがないのだけれど、梶井は彰義隊の話は知っていたのだろうか?

彰義隊の話は悲惨すぎるのでたぶんそれとは関係なく梶井は「桜の木の下には」を書いたものだと思いたい。

それにしても桜と死を結び付けた梶井の感性に感心する。そしてどちらにも美学を感じるのは日本人の感性なのだろう(私は「死」には美など感じないのだけれど)。

最後に本居宣長の桜の歌を。

敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花 (本居宣長

柿川の夜桜



大阪中之島にあるシーザーペリの建築

 少し前、大阪に行った際に、大阪市立科学館に寄ろうと思って中之島に行ったらなんと科学館は改装中で閉館していた。

中之島美術館や国際美術館でも観て帰ろうかと思ったのだけれど、なんとなく乗り気ではなかったので展示は見ずに、建物だけを見ていた。そういえば私は建築物を見るのが好きらしい。

国際美術館はステンレス?の屋根が特徴的な地下の建物になっている。この建物はシーザー・ペリという建築家の手によるものらしい。私は関西に住むまでシーザー・ペリという建築家を知らなかったのだけれど、あべのハルカスも彼の手によるものらしい。夜間に見るとライトアップされていてますます綺麗に見えるのでお勧めである。

右側が国立国際美術館

そして中之島にはもうひとつ彼の手によるビルがある。中之島三井ビルディングである。ビルの上の階のデザインが特徴的である。

中之島三井ビルディング。高いビルなので離れないと写真におさまらない

こんな風に現代建築が並んでいる中之島は、大大阪時代のクラシックな建築との比較が楽しめる実素晴らしい場所なのである。ぜひ散歩されてみては、とおススメしたい。

2024年4月13日土曜日

オッペンハイマー

 これは傑作!間違いない、と映画を観終わって席を立つときに確信した。

アカデミー賞をとった作品だからというわけではない。まぁ、私はクリストファー・ノーランが好きということもあるけれど、作品自体がたいへん面白くて3時間の上映時間の長さを感じさせなかった。

本作は、彼がナーバスな学生時代から原爆開発のマンハッタン計画で頂点に昇りつめ、その後栄光と後悔を抱きながら生きていく。ひとりの研究者の人生を正面から描いた正統派映画であって、戦後名声が地に落ちそれが回復されるまでの過程が描かれている。一方で、一歩引いた観点からみれば、原子力爆弾がなかった世界から、それが「ある」世界へと変わってしまったエピック的な出来事を描いているともいえる。そしてオッペンハイマーは、それが世界に与える影響を予見していた。

作中では、オッペンハイマーは、一流の研究者で、「原爆の父」であったかもしれないけれど、ヒーローでもなんでもない一人の苦悩する男として描かれている。流行りの思想にも浮かれるし、女にもだらしがなかったりする。またマンハッタン計画でみんなをまとめるのに東奔西走したりする。つまりは身近にいる弱さをもつ男として描かれている。だからこそ、私も映画を観ながら、「私だったらどうするだろう?」と自問を繰り返すことになった。そして,彼同様,ニューメキシコの核実験のシーンではドキドキしたし,その後彼が罪悪感に苛まれるシーンでは私も身もだえした。映画を観ることでオッペンハイマーの人生の一部を生きたような気がする。すなわち本作はそう思わせてくれる傑作なのだと思う。

オッペンハイマーについては学生時代、「アインシュタインの部屋」という本で彼の人生を知った。この本は、プリンストンの高等研究所に招かれた天才たちのおかしなエピソードをまとめた本だったけれど(アインシュタインとかゲーデルとか。映画にも出てきた。もう読んだのは30年以上前だからちょっと内容はおぼつかない)、オッペンハイマーというハンサムな英雄の数奇な運命が紹介されていてそれが印象深かった。私は大学を出てから、日本原子力研究所に就職したこともあり、彼のことはずっと気になっていたのだ。それが今回、こんな形で、そしてノーランの傑作として、彼の人生を知ることができるなんて...とても...

研究者であるならば、そうでなくても世界を変えてしまった男の人生を知りたいと思う人であるならばぜひ観るべき映画である。観た後に余韻と映画が出す宿題を楽しむことができる。

星5つ!(満点)★★★★★

#実際のところ、彼の性格にはちょっと鼻につくところがあったのかもしれない、とストローズとの確執のエピソードをみて思う。残された言葉も少し芝居がかっているところがある。

#フォン・ノイマンが出てこなかった...

#音響が素晴らしい。ぜひ映画館で!映画館で観た4作目。

2024年4月7日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」。この映画を観て初めに思った疑問は,なぜこの映画が大ヒットしていないのか?なぜ話題になっていないのか?ということである。私の周囲の学生にたずねても,本作の存在自体を知らない人が多かった。

なぜ?こんな名作になりそうなにおいがするのに?

テレビ東京が製作委員会に含まれていてCMがメジャー局で流れていないからなのだろうか。どうして宣伝しないのだろう?本当にもったいない。

原作を読んだことはなかったけれど,「あのちゃん」,「幾田りら」が声優を務めているということで私は映画館に足を運んでこの映画を観た。原作者の浅野いにおも気になっていて,あの絵の感じに妙に惹かれていた。平日最後の夜の回。公開から1週間しかたっていないのに観客は私の他に5~6名がいるだけ。そんなものかと思っていたけれど、映画館を離れるときにはこの観客の少なさに腹が立ってきていた。

映画の内容は、宇宙から侵略者がやってきて大きな被害が出たのだけれど、その後大きな出来事は起こらず、侵略者が存在する世界で日常が進んでいく。そんな世界の女子高生の青春物語...と思っていたのだけれど、侵略者の存在はそんな軽いものではなかった。生活のいろいろなところに影を落とし、それが顕わにする私たちの生活の暗い部分。それを女子高生が(もっというと小・中学生のころから)経験していく物語である。

友達との関係、親との関係、教師への恋、陰謀論に翻弄される人たちとの不理解、暴走する正義感、弱者である侵略者などなど、女子が経験するにはつらそうなことばかりである。私はこの映画はあまりに生活の暗部をむき出しにしすぎるので、「残酷」だと感じた。観ていて胸が痛くなる。「どうかそちら方向にはいかないで!」と心の中で思うのだけれど、残酷にも私が予期するBad Endingに物語は向かっていく。

前章では、主人公である門出と凰蘭の日常と過去、侵略者との出会い、など、謎が散りばめられていて、最後に「どーなっちゃうの?」とある意味クリフハンガー的な終わり方で映画は幕を閉じる。観た人は後章が気になって気になってどうしようもなくなる最高の終わり方になっている。いいぞっ!

こんな名作の予感しかしない作品に懸念されるのは次のふたつ。

1.当初,「後章」は4月下旬の公開だった。しかし,現在は5月下旬に延びたことがアナウンスされている。いやな理由でなければいいのだけど...

2.原作を知らないからオリジナルの結末も知らないのだけれど,映画は映画独自の結末になっているらしい。こうした「アニオリ」みたいなもので成功した例ってあるのだろうか?原作者がちゃんと関わっているのであればひどい結果にはならないとは思うけれど...

でも私はかなりの確率で後章を観に行く。興行収入が悪いからといって短期間で打ち切りになりませんように...(やっぱり宣伝が悪い!と思う)

星5つ!(満点) ★★★★★ 

#この前章の主題歌になっている、あのちゃん feat. 幾田りらの「絶絶絶絶対聖域」が大好き。どこかで聞いたことがあるような気がするけれど思い出せない。それが名曲のあかし。

#作中のドラえもんのパロディ「イソベやん」がちょっとドぎつくてドキッとする

2024年4月6日土曜日

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(2)~艦隊これくしょん~

 最初にゲームの擬人化に感心した、いや呆れたのは、「艦隊これくしょん」である。大戦時の日本の艦船がかわいい女の子に擬人化されている。いつだったか、「島風」という艦船を検索したら、赤と白のハイソックスをはいた女の子の画像が並んで、やれやれ、とあきれたことがある。大戦時の戦艦、駆逐艦などを女の子に擬人化して怒られないのは、日本くらいのものだろう。アメリカでこんなことをしたら、軍人の団体から相当叩かれるに違いない。

学生に尋ねると、「艦これ」の女の子たちは、艦の大きさ、役割などが反映されたデザインになっているのだという(例えば、赤城のような空母にはしっかりとした女の子があてられているなど。詳細は知らないけど)。

「ゴジラ ー1.0」では、大戦後に残っていた(はずの)「高雄」と「雪風」などの艦船が出てきて、ゴジラとの闘いに大活躍する。私は「高雄」という軍艦は知らなかったけれど、「雪風」は「幸運艦」としての名前は知っていた。なぜって、「宇宙戦艦ヤマト」で古代進の兄、古代守が指揮していた艦だから。テレビシリーズ最初の第1話で、ガミラス艦隊との戦闘において沖田艦長に敬礼をしながら散っていく。こんな印象的なシーンが第1話だったなんて。小学生の私が震えたのも仕方ない(たぶん見たのは再放送だろうけれど)。その艦に描かれていた艦名が「ゆきかぜ」。つらい話なのである。

さらに「雪風」は私が大好きなハードSF「戦闘妖精・雪風」(神林長平)の主人公が乗る戦闘機の名前でもある。雪風は、異星人との闘いの情報を収集し、味方を見殺しにしても必ず帰還しなければならない非情の任務を負った戦闘機である。高度な電子機器で構成された雪風はいつか意思のようなものを持つようになり、機械のように感情に薄いパイロットといつしか心の交流のようなものが生まれる...というような物語で、とにかく傑作なので読んでいただきたい。「必ず帰還」というところから、この戦闘機には「雪風」と名付けたのかもしれない。

さて、ゴジラにおいても戦艦の名前を知っている学生がいるのに驚いた。ミリタリーマニアなのかもしれないが、「艦これ」の影響とは言っていた。これは弊害というべきではなく、良い影響といえるのではないだろうか。

艦隊が女の子で、戦争ゲームをするなんて...考えた人、奇才!

ただ艦船を名前を見て初めに女の子の姿を思い出すというのはどうかとは思うのだけれど。

2024年4月2日火曜日

2024年のエイプリルフール

 毎年エイプリルフールには気の利いたウソをつこうと思っているのだけれど,今年は単なる冗談で終わってしまった。自分でもトホホと思う...

本当は,パワーエレクトロニクスで必須なトランジスタの一種であるIGBTが,よくQという名称がつくということを紹介し,だからパワエレのコミュニティはもともとLGBT-Qについての受容性が高い。でも女性が少ないので,"I"GBTQであり"L"GBTQではない...とか,

単相の周波数・位相検出器(PLL)のSOGIについては,Sexual Orientation, Gender Identityの略なのだ,というウソをつこうとしたのだけれど,社会的な批判を恐れて,昨日の冗談になってしまいました。われながら情けない...

*本当の略は以下の通りです

IGBT ... Insulated Gate Bipolar Transistor
SOGI ... Second Order Generalized Integrator

毎年のタイトル「2024年のエイプリルフール」というのも村上春樹の「1973年のピンボール」,大和和紀の「紀元2600年のプレイボール」にちなんでいます...


これまでのエイプリルフールのウソ

2024年4月1日月曜日

リプルという名を持つお店

 パワーエレクトロニクスに関係している人たちは、「Ripple(リプル)」という言葉に敏感である。パワエレでいうところのリプルとは、基本的に直流に重畳する交流摂動成分をいう。

本来、きれいな直流電流・直流電圧が欲しいのに、回路動作が原因で,その直流成分の上に交流成分が重畳し、周期的に振動する。例えばインバータの直流リンク電圧においてこのリプルが大きくなると、インバータの出力電流のひずみが大きくなったり、コンデンサが過熱して寿命が短くなったりするやっかいな問題の原因となる。だから、パワエレの技術者はこのリプルの取り扱いに留意して電気回路を設計することになる。

しかし、この「リプル」のもともとの意味は「さざなみ」である。パワエレ技術者にとってはネガティブなイメージがあるこの単語ではあるけれど、一般的には美しいものと考えられていて、気づくとあちらこちらに「リプル」という名前のお店を見つけたりする。

長岡技術科学大学から車で40分ほどのところにある海が見える出雲崎の道の駅「天領の里」にも「さざなみ」という名前のアイスやコーヒーを販売する店がある。看板には確かに「Ripple」と書かれている。これを見たときに私は現実に引き戻され、美しい海の印象がしぼんでしまった...


道の駅「天領の里」のお店「さざなみ」の看板

先日はまた、N市で「リプル」の名前をもつ美容室を見つけた。興味を持ったのでネットで少し調べてみると、細かいパーマをかける「ソバージュ」が得意らしい。そしてそのパーマの度合いは、THDの大きさで指定するらしい。パワエレ関係の女子の御用達なのだろうか。恐るべし。

>> つづく

桜を見ると思い出す

桜が満開である。 研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。 学生の一人が 「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章 を話していたので、そういえばそ...