2024年4月29日月曜日

旧新潟税関庁舎

 先日訪れた「旧第四銀行住吉町支店」がある新潟市歴史博物館の敷地には、旧新潟税関庁舎がある。こちらも国指定重要文化財となっていて、無料で公開されている。

ペリー来航ののち鎖国が解かれ、日本では5つの港が開港された。横浜、函館、長崎、神戸、そして新潟なのである。建物の解説を読んで、遠い昔に歴史の授業でそう習ったことを思い出した。そしてこの建物は、五港のうち当時の税関建物が現存している唯一のものであるとのことである。

外観は洋風であるけれど、当時の大工が使っていた和風建築の技法を用いて建てられている(擬洋風建築)。入り口はアーチ状になっていて、二重の塔を建物の真ん中に有している。平瓦を並べたなまこ壁の外壁が特徴的である。赤、黒、白の色使いがどこかかわいらしい建物である。内部には農業で使われていた足踏み水車や唐箕などが展示されているけれど、やはりメインは建物である。見学所要時間は20分もあれば十分。ただ建物内には昔風のおしゃれな机と椅子が置いてあって休憩できる。

旧新潟税関庁舎の外観。二重の塔、アーチ型の門、なまこ壁


2024年4月28日日曜日

旧第四銀行住吉町支店

先日、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」を訪れる機会があったのだけれど、その敷地内には国の有形文化財に登録されている旧第四銀行住吉町支店があって、無料開放されているので見学してきた。

第四銀行というのは新潟の地方銀行なのだけど、「第四」というくらいだから、たぶん第一勧銀から数えて全国の4番目の銀行なのだろう。歴史ある銀行ということで、新潟市がたいへんに賑わっていた時代にその経済を支えてきたと推測される。現在は、北越銀行と一緒になって「第四北越銀行」になっている。

この旧第四銀行住吉町支店は昭和初期に建てられた建物で、その当時の洋風建築のスタイルを踏襲している。解説によれば住吉町にあった建築を2003年に移築したものらしい。列柱がならぶ外見には当時の「銀行」という雰囲気が漂っている。

旧第四銀行住吉町支店正面

いかにも銀行らしい外観

列柱が並ぶ玄関

内部の天井や手すりの装飾も派手ではないが気品があって、ここで働いていた人たちはたぶんバンカーとしての誇りを持って毎日仕事をしていたのだろうと想像する。

建物の一部はレストランと会議室になっていて、現在も使用することが可能であるとのことである。いつかここで開かれる会議とパーティーに出てみたいような気もする。

予約して使用可能な会議室。昔ながらの木製の机と椅子が並ぶ

ホールはパーティ開催可能。床のリノリウムの模様がおしゃれ

2階にはぐるっと手すりのついた通路がある

当時の電灯のスイッチ。ついつい見てしまう...



2024年4月27日土曜日

夢も予定もなく

 世の中はゴールデンウイークGWである。今年は比較的天気も良いようで、これまでコロナ禍で自粛していたレジャーがもう一度賑わいを取り戻せばいいなぁ、と心より思う。やっぱり世間が暗いのは、私のような老人にはつらいものである。

ただGWになったとはいえ、私はなにをするともない。というか、今日からGWだと認識したのは今週の月曜日なのだ。なにも特別な予定も立てていない。これから考えてみようかとは思う。

前半の3連休は、仕事の宿題をして、宿題をして、宿題をして...すぐに終わりそう。楽しみといえば、ずっと積読状態になっている本をいくつか読もうと思うのと、テレビの動画配信を見るのと、そして寝だめをすることかな。一日中ゴロゴロしているのもいいものである。

しかし、年を取るとやはり動くのが億劫になってきているのは感じてきている。いかにこれから自ら行動しようという動機となる、生活にハリとうるおいをもたらすテーマを見つけていくか、ということである。

夢も趣味もない人生というのはいかに寂しいものかと最近感じている。独居老人は早死にするとのことなので、もっと残りの人生の楽しみになるようなものを見つけたい。

2024年4月21日日曜日

ネットの書き込みは年寄りばかり

SNSというのは大変面白い。たとえば、テレビでは番組に対する視聴者の反応がわからなかったものが、今ではコメントが書き込まれることによって反応をいくぶん知ることができる。あるいはXなどへの書き込みによって、リアルタイムで感想がタイムラインにあふれることになる。そうした双方向性、即時性が昭和の時代にはなかったリアクションであり、面白さである。

一方で、コメントを書き込むことへのハードルが低すぎるということがずいぶんSNSを問題のあるものにしていることは間違いない。ラジオ番組への投稿も、ネットであればネタを思いついたらすぐに投稿できるが、以前はハガキで申し込まなければならなかったのでネタを何度も吟味し送らなければならずハードルは高かった(と、こんなことを書いているけれど私はハガキ職人でもなんでもないのだけれど)。

こうしたネタであればよいのだけれど、ネット時代になって番組への感想などもほとんどハードルゼロで書き込まれることになった。その結果、ひどい罵詈雑言の嵐がコメント欄に巻き起こる。ポジティブで建設的な意見ならばよいのだけれど、上から目線の非難(批判ではなく)なども多く、見ていて相当に不快になる。これがSNSの欠点であると思う。

そしてそうしたひどいコメントを見ていると、どうも書き込んでいるのは若い人ではなく、40代以上の大人が多いのではないかと感じる。

そもそも若い人は長い文章をコメント欄などに書き込まない。一方、ひどいコメントの文章は長く、そして上から目線で失礼なものが多い。その内容も説教じみて、昔の感覚を基準に書かれていることが多いような気がする。そんなに嫌ならば番組を視聴しなければいいのに。そこで偉そうなコメントを書くことで承認欲求を満たそうとしているのだろうか。

若い人の番組に感覚が合わないなどというコメントを書いてみたり(個人の感想ですよね!)、有名曲のカバー演奏の動画に「あなたの歌は本家にはかなわない」みたいなことを書いたりする(それもあなたの感想ですよね!)。あるいは、お笑い芸人の番組に向かってまるでお笑いのすべてを知っているかのような口調で説教する(お笑いのプロに説教できるほどの知識と経験があるの?)。そしてそもそも悪意のある人がコメントを書き込む頻度が高いわけだから、コメント欄は悪口に触発されて爆発的にネガティブな文章であふれかえることになる。本当に読んでいると不快で腹が立ってくる。そしてゲンナリする。気持ち悪いけれど、私もその世代の人間なのだから。

私もこの年齢でSNSを見ているわけだから,その気持ち悪さにある程度貢献していることは認識している。私はコメントを書き込んだりしないけれど、目を通しはしている。おおざっぱに言ってしまえば、こうした中年・老年によるネット公害は、老害のひとつに含まれるのだろう。

このブログだって老人の承認欲求の表れなのだから、他人を非難することはできないのかもしれないけれど、心無い誹謗中傷のコメントを読むたびに自分はそうはなるまいと自省を繰り返すのである。

#匿名性の高いXからスレッズなどに移行すれば少しは改善されるかもしれないとは思う

2024年4月20日土曜日

マンガ、アニメ、ゲームの擬人化に思う(3)~刀剣乱舞~

 以前、京都の名刹「大覚寺」を訪れたときに、玄関に男の子のポップが立っていて大変に驚いた。だって、「大覚寺」みたいに格式の高い寺社にアニメのポップが立っているなんて!ご朱印帳も以下のとおりである。

御朱印帳も膝丸エデション
「霊場」という言葉に不似合いな感じもするけれど...

でもこうしたキャラクターのおかげで、拝観者が増えているのだろうと容易に予想できる。このキャラクターはもちろん「刀剣乱舞」である。これは各刀に男の子のキャラクターを割り当てて擬人化しているゲームである(ゲーム内容は全然知らないけれど)。人気のあまり、アニメ化され、舞台化され、そして歌舞伎化もされていたりする。

擬人化されるのはイケメンばかりだから、ファンの大多数は女性になるのは当然かとは思うけれど,その影響で博物館や美術館で刀剣の周りには女性ばかりがいるようになったのは本当に驚きである。世の中は本当に刀剣ブームなのである。

まず雑誌。「刀剣画報」なる雑誌が書店に並んでいて驚いた。そんなに買う人がいるなんて信じられない…(まぁ、私が「秘伝」などという雑誌を読んだりするのも他人からみたら相当珍しいのだろうけれど)

次に,あちらこちらの美術館・博物館で刀剣の前で食い入るように見ている女性ファンの山が信じられない。足利市では山姥切国広の展示で3万7千人以上,来場者があったとか。学生時代,ときどき研究室で煮詰まるとサボって大学の近くの五島美術館に行っていた。平日だからかもしれないけれど,少し暗い館内で刀剣をずっと眺めていても誰にも会わなかった(まぁ,横山大観の絵の前に立っていても誰も来なかったような気がするけれど...)。それがいまじゃ,どの美術館,博物館に行っても刀剣の前には女性がいる(ような気がする)。そして彼女たちは刀剣の知識もたいへんに詳しい(ような気がする)。

そのうえサポートも素晴らしい。「山鳥毛」が瀬戸内市の所有になった話には本当に驚いた。寄付だけで9億円近くが集まったそうである。うーん,ひと昔前では考えられない。

本当に刀剣関係の人たちにとっては「刀剣乱舞」は大きな変革だったに違いない。大きなメリットとそしていくらかのデメリットもあっただろうけれど,刀剣に興味が集まるのは私はうれしく思う。



2024年4月14日日曜日

大阪中之島にあるシーザーペリの建築

 少し前、大阪に行った際に、大阪市立科学館に寄ろうと思って中之島に行ったらなんと科学館は改装中で閉館していた。

中之島美術館や国際美術館でも観て帰ろうかと思ったのだけれど、なんとなく乗り気ではなかったので展示は見ずに、建物だけを見ていた。そういえば私は建築物を見るのが好きらしい。

国際美術館はステンレス?の屋根が特徴的な地下の建物になっている。この建物はシーザー・ペリという建築家の手によるものらしい。私は関西に住むまでシーザー・ペリという建築家を知らなかったのだけれど、あべのハルカスも彼の手によるものらしい。夜間に見るとライトアップされていてますます綺麗に見えるのでお勧めである。

右側が国立国際美術館

そして中之島にはもうひとつ彼の手によるビルがある。中之島三井ビルディングである。ビルの上の階のデザインが特徴的である。

中之島三井ビルディング。高いビルなので離れないと写真におさまらない

こんな風に現代建築が並んでいる中之島は、大大阪時代のクラシックな建築との比較が楽しめる実素晴らしい場所なのである。ぜひ散歩されてみては、とおススメしたい。

桜を見ると思い出す

桜が満開である。

研究室でも花見BBQが行われ、まさに「花より団子」 、学生はだれも桜など見ずにひたすら食べることに集中していたけれど、食べづかれた私は桜をぼんやりと見ていた。

学生の一人が「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と梶井基次郎の文章について話していたので、そういえばそうだった、と思い出した。

桜の妖しい美しさは、その下に埋められた屍体のためだと梶井基次郎は看破して文章を書いたのだけれど、上野公園の桜の木の下に埋められているのは、戊辰戦争のときの彰義隊だったろうか、それとも東京大空襲のものだったろうかと、ふと疑問に思った。

よく考えてみれば、梶井の文章が発表されたのは太平洋戦争の前なので、東京大空襲の話を知るわけがないのだけれど、梶井は彰義隊の話は知っていたのだろうか?

彰義隊の話は悲惨すぎるのでたぶんそれとは関係なく梶井は「桜の木の下には」を書いたものだと思いたい。

それにしても桜と死を結び付けた梶井の感性に感心する。そしてどちらにも美学を感じるのは日本人の感性なのだろう(私は「死」には美など感じないのだけれど)。

最後に本居宣長の桜の歌を。

敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花 (本居宣長

柿川の夜桜



旧新潟税関庁舎

 先日訪れた「 旧第四銀行住吉町支店 」がある新潟市歴史博物館の敷地には、 旧新潟税関庁舎 がある。こちらも国指定重要文化財となっていて、無料で公開されている。 ペリー来航ののち鎖国が解かれ、日本では5つの港が開港された。横浜、函館、長崎、神戸、そして新潟なのである。建物の解説を...