DISHONORED

2013年10月4日金曜日

DISHONOREDにはあらゆるものがある。ステルスがある。プロパガンダ放送がある。鯨油を利用したおもしろテクノロジーがある。随所に配置された銅線を盗みまくる後藤祐樹要素がある。…それぐらいかな。あれ?意外と無かった。いや、意外と無かったが、このゲームには重要な物がある。本質がある。本質という言葉は具体的な言及をするだけの知能を持たぬ人間が誤魔化しで使うことがあるものだが、ここで使われている本質はもちろんそれである。
 しかしまあ、思わずそんな言葉も飛び出すくらいDISHONOREDは愉快な体験であった。このゲームをプレイしている間、俺は自分が特別な人間になったかのような錯覚に囚われ続けたのだ。「自分の選んだルート以外に正解がありえるのか?」と思い込んでしまうぐらいのギリギリ感と同時に「こんな不安定なルートを作り手が想定していたとは思えない」という矛盾する思考が頭をよぎる。しかも、おそらくその両方ともが間違っている。
 DISHONOREDには自分が物語を構築しているという手応えがあった。シナリオライターが用意したストーリーの行間を埋めるかのようなゲーミング。自分の腕や知能、はたまた感情と相談しながら繰り返される決断の連続が白紙のページを埋めていく。そして筆を置いた時に去来する達成感と一抹の寂しさは、俺に再び最初のページをめくらせるのに充分な魅力を持っていた。

以下、どうでもいい雑感。
・ステルスゲームの敵はある程度マヌケでないとプレイヤーが太刀打ちできなくなってしまうものだが、このゲームの場合はどんな緊迫した状況でも敵が絵画鑑賞をおこたらないという形で隙を作っていた。警護対象が暗殺されたのにぼんやり絵を眺めるのは行き過ぎではないだろうか。
・テイクダウン等で気絶させた敵が倒れるときに頭を打って死ぬことがある!デウスエクスでもそうだったけど、この妙なこだわりは何なの。不殺プレイをしている時に非常に困る。
・重要人物と対峙した時の掛け合いやバトルがけっこう熱かったりするのだが、ステルスプレイだとその手の演出を見ることがないのが寂しいといえば寂しい。後ろから近づいてチョークスリーパーで終了なので、掛け合いとか発生しようがない。ここら辺はストーリー性のあるステルスゲームにおける永遠の課題なのかもしれん。デウスエクスでもここには解答を出せず、通常パートとボス戦の乖離が激しいものになっていたっけ。

BioShock Infinite クラッシュ・イン・クラウド

2013年8月13日火曜日

 バイオショックファンが水面に揺らぐラプチャーの影に興奮の声をあげる中、ひっそりとリリースされたBioShock InfiniteのDLC第一弾、クラッシュ・イン・クラウド。いや、ひっそりということもないはずなんだが…北米で400万本の売り上げを誇るモンスターソフトなんだから。でも、正直みんなやってないでしょ?これ。なにせラストまで通してクリアしてない俺の凡スコアがランキング200位くらい(Xbox360版)。分母を考えると明らかにおかしい。たしかにシーズンパスのための数合わせに作られたDLCという雰囲気が漂っているのは事実だが、果たしてそれは正しい認識なのだろうか…?

 …正しいんじゃねぇかなぁ。何が良くないってステージセレクトができないのが良くない。このDLCには特定の条件を満たした上で敵を全滅させてステージクリアするブルーリボンチャレンジというものが存在するのだが、ステージによっては敵の初期配置の把握が必須だったり運が絡んだりするにもかかわらず失敗したらステージ1からやり直さなくてはならない。敵が勝手にフレンドリーキルや高所からの落下で死亡してチャレンジ失敗になったとしてもだ。

 とはいえ、なんだかんだで遊んでしまう楽しさはある。そして遊んでるうちにゲームとしての BioShock Infiniteの快楽の一端を担う要素がはっきりとわかった。それはコール&レスポンスの気持ちよさだ。ティアの開閉や物資の受け渡しといったエリザベスとブッカーが共闘するシーンでは必ずお互いに短い台詞を発してコンタクトを取る。「開けろ」「オーケー」「やるんだ」「完了」「やってくれ」「もちろん」「キャッチして」「ありがたい」「受け取って」「了解」などといった風に。ストーリーが進行して敵の攻撃が激化するにつれこのコンタクトの頻度は高くなり、間隔は短くなる。そのテンポがプレイヤーを高揚させるのだ。
 その高揚の部分だけを抽出したようなDLCなのだからまったくもって楽しめないなどということはあるはずがない。本編でやったら野暮になるような特殊キルやコンボキルのボーナスポイント表示を取り入れたのも正解だろう。これまた高揚感に繋がる要素だ。そもそもビガーは単体でも強力すぎるので本編(難度:ノーマル)ではコンボを狙うにはオーバーキルすぎるのだが、ここでは思う存分に凶悪なコンボキルのスキルを試すことができる。図らずも韻を踏みまくってしまうぐらいの楽しさだ。
 デビルズキスの火の海にアンダートゥで敵を引きずり込むだとか、バッキングブロンコで浮かせた敵をチャージで場外へ叩き落すなどといったおもしろキルにはおもしろキル手当てが支払われ、デカデカとした表示でそのおもしろさを称えてくれる。豊かな気持ちにもなろうというものだ。

 ここまでやってくれるならもう少し作りこんでくれた方が馬鹿馬鹿しくて楽しいものになったのでは…と思ってしまうのだが、いやいやこのままでも充分楽しい。シーズンパスを買うだけかってこのDLCを放置してる人も、ちょっと遊んでみてはどうだろう。損はしない…んじゃないかなぁ?

Brothers: A Tale of Two Sons

2013年8月11日日曜日

Brothers: A Tale of Two Sonsについての感想です。
ストーリーの核心部分についての言及は避けますが、それでもいくらかのネタバレを含む可能性があります。ご注意ください。

 「夢の世界で大冒険」といえば、目を見張るようなファンタスティックな光景と心躍る大活劇、あとはバケツ一杯分の涙と妖精が七人くらい…というのを想像しがちだが、この物語でいうところの「夢のような」は文字通り「夢に似た」という意味である。我々が普段見ているような、うすぼんやりとしていてシーンごとのつながりが不明瞭で嬉々として友人に話しても迷惑そうな顔をされるだけのアレだ。XBLAの詳細説明文には「絶対忘れることのできない旅になるでしょう」という売り文句が書かれているが、実際のところ白昼の光の中にあっては瞬く間に溶けてしまう夢の性質さながらに一週間もすれば忘れてしまいそうな危ういストーリーである。
 しかしこれらのことがネガティブな要因としてこのゲームに影を落としているのかというとそんなことは全くない。現実感のない世界でのリアリティのないパズルはひたすらに心地よく、わずか数時間の冒険を一気に駆け抜けてしまいたくなる様な魅力がある。また夢には夢を読み解くコードがあり、この物語を最後まで終えた時にプレイヤーはきっとその断片を手にすることができるだろう。そこまでたどり着けば、もし冒険の内容は忘れてしまっても冒険をしたという事実は忘れ得ぬものになるに違いない(…とすると、あの説明文は間違ってないということか?)。

 このゲームの操作はややトリッキーで左スティックで兄を、右スティックで弟を同時に操作する。また左右のトリガーを引くことでそれぞれのキャラクターがアクションを行う。説明すると難しく思えるかもしれないが、実際に操作すると意外と混乱は少ない。基本的にはこれだけの操作で立ちはだかるパズルをクリアしていくのだが、このパズルの難度設定が絶妙なのだ。見た瞬間は全然意味が分からないのに、数秒後にはなんとなく見当がつくというほど良い湯加減。物語の流れを阻害しないくらい簡単なのに達成感はしっかりあるといった謎がラストまで連発されるのには感心するばかりだった。 その独特の操作方法によって起こる軽い混乱や予期せぬ失敗は心地良く、おとぎ話だから許されるとでもいうような無茶な回答が用意されたパズルには頷きながらも笑ってしまうといった具合。
欠点もなくはない。おそらくは物語への没入感を誘う目的でテキストによる操作説明等は最小限に抑えられているのだが、そのため操作可能なオブジェクトがわからなくて手こずる場面が何度かあった。「ワンボタンで操作できるのだから、とにかくトリガーを引きまくってればそのうちなんとかなるでしょ?」ということなのだろうが、あまりスマートな答えとも思えなかった。かといってオブジェクトを光らせてしまったりするとパズルの難度が下がるだけでなく光るオブジェクトを目指すだけのゲームになりかねないので、ここら辺の調整は難しいところだろう。

 最後に。製作者の意図通りなのかわからないが、とても印象深い場面があった。兄が怪我をして動けないため右スティックを用いて弟のみを操作するシーンがあるのだが、一般的なゲームではキャラクターの移動が左スティックに割り振られているせいか、知らず知らずの内に右スティックを操作すると同時に左スティックも傾けていたのだ。その時、自分はその場にいない兄の存在を感じてハッとした。兄弟の操作をそれぞれのスティックに割り振るときに左が兄で右が弟というのは自然なので単なる偶然なのかもわからないが、全編を通して一番心動かされるのが画面の中でなく自分の手元で起こってる出来事だったというのは「ゲームならではだなぁ」と幸福な気持ちになった。

 最終章からエピローグまでの畳み掛けるような流れは素晴らしく、ここにもまたゲームならではの仕掛けがほどこされている。最初に「父親のためにおとぎの国で薬を探す兄弟の物語」と聞いたときに想像した「ひと夏の成長物語」的な陳腐な予想は見事に裏切られたが、やはりこれは兄弟の成長の物語なのだと思う。ぼんやりとした夢の世界を舞台とした、喪失と獲得の物語だ。