“お坊さんに「幽霊と話すときの心得」と言うのを聞いたことがある。これが大変興味深かった。 例えは悪いんだけど、クラスで昼休みにぽつんと机に臥せっているようないけていない男子がいたとする。で、誰にでも分け隔てなく接するような 女の子が、この男子に優しい態度をとったとする。 この男子は生まれてはじめて人の優しさに触れた。で、どうすると思う?その女の子に迫り、拒絶されると逆上して、今度はその女の子に害を為 す。 幽霊もそういうリスクを抱えている。とにかく人にすがりたい、依存したい。優しい態度をとると喜ぶ。その喜びはホンモノだ。 だが、生者と死者は相容れない。幽霊を見放さなければならない局面がきっとくる。そのとき、すがる相手を失った幽霊は…引きずり込もうと する。 お坊さんというのは人の話を聴く、いわゆるカウンセラーみたいな仕事でもあるから、人間の怖さというのが身に染みているのだろう。旦那を失っ た後家さんに迫られ拒むと逆上して、だとか、賭博で身を持ち崩した男を黙って寺に迎え入れていたが、つい説教した瞬間「お前も、オレを棄ててきた人間達と 同じこと言うのかよ」とキレられるとか。 幽霊がいるとして、彼らの置かれている状況は生者よりも過酷なのだろうから、もっと理不尽で残酷な、つまりそこらへんの人間より人間らしい存 在なのだろう。 つかず離れずが難しいのだとそのお坊さんは言っていた。冷たく突き放しても、親身になっても、幽霊は自分に害を為す。だから、ほどほどに親切 に、ほどほどに突き放すのが大切なのだと。そのお話を聞いたときはまったく意味が分かっていなかった。 でも、自分が幽霊だな、とか、人が幽霊になっているな、という状態は確かに経験した。この女の子を手放したくないだとか、ああこの人は自分の 味方が欲しく、そのためにわたしに「踏み絵」を迫っているのだな、とか。 小さな例えで申し訳ないが、喧嘩したAとBの両方と仲良くしているCが、ある日Aから、Bと絶縁するか、自分と絶縁するか選べと言外に迫られ る。そういう類の理不尽に遭遇することがある。 幽霊だったらどうか。幽霊と絶縁するか、幽霊を受け入れない「人間世界」と絶縁するか。こういう二択を迫られた時点で、どちらを選んでも C(お坊さん)は何かを失う。幽霊の場合だったら、どちらを選んでも引き擦り込まれる。 だから、幽霊と目を合わせただけでアウトな場合も。 「この人は自分が見える」 「この人だったら自分を見てくれる」 「わたしを見ろー」 「見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見 ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ」 そして、彼/彼女は永遠に幽霊を見続ける。仄暗い井戸のそこで。 fin …でなくって、 生者も死者も、そういうものじゃないか?人間ってそういう生き物じゃないのか?”— 第一夜 幽霊と話すときの心構えについての話 - riverrun past… (via petapeta) (via pcatan) (via otsune) (via gkojax) (via rosarosa-over100notes)