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“お坊さんに「幽霊と話すときの心得」と言うのを聞いたことがある。これが大変興味深かった。 例えは悪いんだけど、クラスで昼休みにぽつんと机に臥せっているようないけていない男子がいたとする。で、誰にでも分け隔てなく接するような 女の子が、この男子に優しい態度をとったとする。 この男子は生まれてはじめて人の優しさに触れた。で、どうすると思う?その女の子に迫り、拒絶されると逆上して、今度はその女の子に害を為 す。 幽霊もそういうリスクを抱えている。とにかく人にすがりたい、依存したい。優しい態度をとると喜ぶ。その喜びはホンモノだ。 だが、生者と死者は相容れない。幽霊を見放さなければならない局面がきっとくる。そのとき、すがる相手を失った幽霊は…引きずり込もうと する。 お坊さんというのは人の話を聴く、いわゆるカウンセラーみたいな仕事でもあるから、人間の怖さというのが身に染みているのだろう。旦那を失っ た後家さんに迫られ拒むと逆上して、だとか、賭博で身を持ち崩した男を黙って寺に迎え入れていたが、つい説教した瞬間「お前も、オレを棄ててきた人間達と 同じこと言うのかよ」とキレられるとか。 幽霊がいるとして、彼らの置かれている状況は生者よりも過酷なのだろうから、もっと理不尽で残酷な、つまりそこらへんの人間より人間らしい存 在なのだろう。 つかず離れずが難しいのだとそのお坊さんは言っていた。冷たく突き放しても、親身になっても、幽霊は自分に害を為す。だから、ほどほどに親切 に、ほどほどに突き放すのが大切なのだと。そのお話を聞いたときはまったく意味が分かっていなかった。 でも、自分が幽霊だな、とか、人が幽霊になっているな、という状態は確かに経験した。この女の子を手放したくないだとか、ああこの人は自分の 味方が欲しく、そのためにわたしに「踏み絵」を迫っているのだな、とか。 小さな例えで申し訳ないが、喧嘩したAとBの両方と仲良くしているCが、ある日Aから、Bと絶縁するか、自分と絶縁するか選べと言外に迫られ る。そういう類の理不尽に遭遇することがある。 幽霊だったらどうか。幽霊と絶縁するか、幽霊を受け入れない「人間世界」と絶縁するか。こういう二択を迫られた時点で、どちらを選んでも C(お坊さん)は何かを失う。幽霊の場合だったら、どちらを選んでも引き擦り込まれる。 だから、幽霊と目を合わせただけでアウトな場合も。 「この人は自分が見える」 「この人だったら自分を見てくれる」 「わたしを見ろー」 「見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見 ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ」 そして、彼/彼女は永遠に幽霊を見続ける。仄暗い井戸のそこで。 fin …でなくって、 生者も死者も、そういうものじゃないか?人間ってそういう生き物じゃないのか?”

第一夜 幽霊と話すときの心構えについての話 - riverrun past… (via petapeta) (via pcatan) (via otsune) (via gkojax) (via rosarosa-over100notes)

petapeta:

“aiboで判明したのが、ロボットは人間より寿命が短い(修理用の部品が型落ちでなくなるため)っていう事実で、それを反映したSFがザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームのアンドロイドの葬儀をする話なんですよ。「寿命が無限なので死んだご主人を待ち続けるロボ」みたいなのは起こらないっていう。”

水原滝さんのツイート: “aiboで判明したのが、ロボットは人間より寿命が短い(修理用の部品が型落ちでなくなるため)っていう事実で、それを反映したSFがザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームのアンドロイドの葬儀をする話なんですよ。「寿命が無限なので死んだご主人を待ち続けるロボ」みたいなのは起こらないってい… https://t.co/VgmFmAglBg” (via sukoyaka)

(via yaruo)

shitakeo33:

“先日友人の薬学博士と話した時に面白い話を聞いた。彼は筆者が書いたブロックチェーンの記事を読んで、実は医薬の世界でも情報の蓄積が途切れることが大きな問題になっているというのだ。例えば、医師が診察して、投薬の処方箋を書く。薬局でこれらを処方するところまでは情報のチェーンはつながっているのだが、そこから先が途切れてしまう。  患者が本当にその薬を飲んでいるかどうかは自己申告に頼るしかなく、本当はタンスに仕舞い込んでいながら、「ちゃんと飲んでいる」と言われればそれを前提に次の処方箋が書かれることになる。  医者は症状が緩和されないことを見て、薬の投与量を増やす。そうやってどんどん大量の薬が処方されて、使われないまま大量にタンスに死蔵され、各自治体は健康保険料の負担に苦しみ、健康保険の不足を税で補填(ほてん)しているため、結局増税につながっていく。  だからこの薬にマイクロチップを入れて、胃酸と反応して発電し、情報を飛ばす技術が生み出された。これでいついくつ服用したか、ほかにどんな薬と一緒に服用したかが全て分かる。普通に考えてこのチップは人体に影響を与えないよう考慮されているのだろう。  まだ研究レベルの話らしいが、こういう情報技術によって、人のモラル任せでは解決できない諸問題が解決できることが世の中にはおそらく無数にあって、だからこそ情報化技術は「社会の発展」に寄与できる目算が大きい。”

トヨタとNTTの提携 途方もない挑戦の始まり:池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/5 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン

(via yaruo)

私は数年前に、市民講座の後の質問で「市販の食パンには保存料がたくさん入っているからカビが生えない」という意見に「市販のパンには保存料は入っていません。保存料を使用しなくても工業的に無菌的な環境で製造されたパンは、数日位の日持ちは当然です」と答えたところ、「私は市販のパンは買わなくて、自分の家で食べるパンは全部家庭で作っていますが、3日も持ちません」と答えられた。そこで、「申しにくいことですが、あなたの台所がパン工場より汚いからです」と答えてその方を激怒させたことがある。
janeforest:
“eddiewrey_109814843_562930181069572_9162234807747792090_n
”

janeforest:

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(via pomelo0o)

天然だから体にいいという思想は、自然は人間のためにあるという思い上がり

キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の3大宗教だけで、人口の64%を占めている。

この64%は日本人の価値観を理解できない人口であると言える。また、理解できても容認できないと思う人口でもある。

残りの30%近くも、平和や経済や平等が正しいと思っているかどうか分からない。

むしろ、イデオロギーが正義だとか、戦争で他民族で打ち負かすことが正義であるとか、他から奪うのが正義だとか、自分の一族だけが栄えるのが正義だとか、そのように思っている可能性が高い。

日本の価値観は、世界ではまったく「少数派」である。日本が異質だと言われるのは、そこから来ているのである。日本人が思っている世界と、現実が乖離している。

日本人は驚くかもしれないが、「平和や経済や平等」を世界に押しつけるのは、世界にとっては「冒涜」だと思われる可能性が高い。

なぜか。

「信仰や神よりも平和や経済を優先せよ」というのは、神が侮辱されても信仰が侵されても戦うなということだからだ。

「神の戒律よりも経済的豊かさのほうが重要だ」に至っては、まさに堕落した人間が口走る台詞であり、考え方だと思われても仕方がない。

また、「人類はみんな平等だと思え」というのは、自分の神を信じていない人間も自分と同じレベルであると認めることだからだ。

gkojax-text:

“子供の頃、小学校一年生くらいだったか、同級生の女の子が、「怖くておかしくて悲しい話って知っている?」というのだ。教えてもらた。  それは、「鬼が出て、おならをして、死んでしまいました」というのだ。  私は感動して、50歳になっても、思い出す。ナスラディンの英知かもしれない。  人間というのは、なんとなく生まれておならをして死んでしまうようなものであり、しかも、考えてみれば、おならをして、というあたりのおかしさに支えられて生きているものだ。”

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stoneshu:

“40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され。それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と2人の子供にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。 でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるくらい没入してしまう女子生徒が出現するんです。 今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振る舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちら見てしまいます。 その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします。 自己嫌悪に陥っています。もちろん、自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的な行動に出ることはないという自信はありますが、自宅でもその子のことばかり考え、落ち着きません。 数年前には、当時好きだった生徒が、卒業後に他県で水商売をしているとのうわさを聞き、ネットで店を探しました。自分にあきれながら、実際にその街まで足を運びましたが、結局店は見つかりませんでした。見つけていたら、きっと会いに行っていたでしょう。 教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか。 回答者 作家 車谷長吉 私は学校を出ると、東京日本橋の広告代理店に勤めた。が、この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、1日2食しか飯が喰えなかった。 北海道・東北への出張を命じられると、旅費の半分は親から送ってもらえと言われた。仕方がないので、高利貸から金を借りて行っていた。生まれて初めて貧乏を経験した。2年半で辞めた。 次に勤めたのは総会屋の会社だった。金を大企業から脅し取るのである。高給だったが、2年半で辞めた。30代の8年間は月給2万円で、料理場の下働きをしていた。この間に人の嫁はんに次々に誘われ、姦通事件を3遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かった。 人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。しかし私は不幸なことだと考えています。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。 世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。 あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失ったとき、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。 せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の9割です。 私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、31歳で無一物になった時です。 世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。 阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。”

モッ鳥: 悩みのるつぼ—朝日新聞6月13日 (via ukihiro) (via oho777) (via muramasa) (via yksk) (via handa) (via ipodstyle) (via yaruo) (via ukar) (via motomocomo) (via otsune) (via gkojax) (via pipco) (via rosarosa-over100notes)

gkojax-text:

“昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、 私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。  永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、 無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、 初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、 さして驚くこともなくなっていた。 午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。  頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、 倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、 その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。 着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。  その人は赤ちゃんを抱えていた。 さらに、その下には大きな穴が掘られていた。 母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。 どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、 その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。  赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。 小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。 だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。  わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。 どの顔も涙で汚れゆがんでいた。 一人がそっとその場をはなれ、 地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、 母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。 若い顔がそこに現れた。 ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、 苦痛の表情は見られなかった。  これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。 人間の愛を表現する顔であったのか。  だれかがいった。  「花があったらなあ――」  あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。 私たちは、数え十九才の学徒兵であった。”

「花があったら」-『写真版 東京大空襲の記録』から見えてくるもの

http://ihope.jp/tokyo-bomb.htm

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edieelee:

“■海賊FMラジオのこと ※この話は実話を元にしていますが、あくまでフィクションです。 大阪。1994年の春頃。俺は15歳で高校受験の年だった。 当時は、勉強しながらよくラジオを聞いてた。友人たちがよく聴いていたのはAM放送のほうだったのだが、音質も悪くて、トーク主体の番組が多い気がしてどうも性に合わず、俺はもっぱらFM放送を聴いていた。 あの頃の大阪のFM放送といえば、5年前に開局した80.2MHzのFM802が斬新な放送スタイルで一大ムーブメントを形成しており、FMが流れている店は大体FM802にチューニングされているといった風潮だったが、洋楽主体とはいえ、基本的にチャートインするようなメジャーな楽曲ばかりを流す802は俺には物足りなかった。 なにしろその頃の俺はYMOを経て電気グルーヴを聴き始めた頃で「テクノ」と名のつく音楽に飢えていたからだ。 ネットもない時代。サブカルに半分足を突っ込んだ引っ込み思案の中学生には情報もないし、それを補う行動力もない。しょうがないのでCDレンタルで、とにかくそれっぽい音楽を、BUCK-TICKやカシオペアや姫神、ようするにシンセが使われている音楽ならなんでもいい、といったところまでストライクゾーンを広げて、片っ端から聴いて、なんか違うよなあ、と思いつつ、飢えをしのいでいた。 そんな時、周波数75MHz付近にラジオ放送欄に存在しない局が存在することに俺は気づいた。 音質はかなり悪く、兄から受け継いだ馬鹿でかいラジカセのアンテナを限界まで伸ばしてようやく視聴可能というその謎のラジオ局は、だいたい19時頃から受信可能になり、深夜3時頃にぶっつりと止まる、明らかに海賊ラジオ局なのだが、俺はすぐさまその局に夢中になった。 なにしろ、その局は、俺が全く聞いたことも無いようなレイブ系テクノばかりをCMもトークも無しにノンストップで延々と再生しつづけるという、まさに狂気のラジオだったからだ。 それからというもの、家に帰って飯を食うと、勉強と称してそのラジオを聞くのが日課になった。 そのうち、音楽の合間に海賊ラジオの主とおもわれる若い男のコメントが一瞬はさまれる事に気づいた。 彼は「○○MHz、バンブーラジオ」とだけボソリとつぶやくとすぐに次の曲をかけた。 バンブーラジオのレイブ系テクノの垂れ流し(いわゆる今は中古CD屋で100円以下で叩き売られているジュリアナ系コンピのようなノリと思ってもらえば良い)は、それほど当時の俺の嗜好に合っていたわけではなかったが、TUTAYAで借りたチックコリアよりはよっぽどテクノっぽかったし、中には心の琴線に触れるような名曲もあったのだ。 その度に俺は、この曲は何という曲なのか、どこに行けばこの曲が入ったCDを買えるのか、切実に知りたかったが、なにしろ曲名を読み上げもしないバンブーラジオなのだ。それを知ることはできなかった。 そんなある日、いつものようにバンブーラジオをかけると、珍しく人の声がした。おそらく生放送で、バンブーラジオ局の主とその友人とおもわれる若い男が二人で楽しそうに会話している。 会話は主が友人に海賊ラジオを始めるよう勧誘する内容で、 「FM放送なんて簡単だって、日本橋でパーツ買ってきて、ちょっと改造したらええだけやん。3万もあればできるで」 みたいなことを言っていた。俺は、個人でFMラジオを開局するという、そのとんでもない発想に興奮し、乗り気でない友人に替わって、自分にその方法を教えてもらえないものか、とすら思った。 ダベリ放送は延々と続いていたが、日付が変わった頃、主が 「そうだ、リクエスト受け付けてみるか」 と言い、おそらく主の自宅の電話であろう、電話番号を読み上げた。 俺の胸は高なった。「同じテクノの好きな人間と話すチャンスかもしれない!」 電話番号をメモしたものの、しかし、実際に電話をかけるとなると、躊躇した。俺は無知なただの中学生で、しかも主のかける曲名、ましてやそのジャンルが何というのかすらまったくわからなかったからだ。(当時はディスコでかかるような曲、という程度の認識だった) リクエストしようもないし、そもそも俺が知りたいのは、いつもかかる曲の曲名のほうなのだ。 そんな質問をするために自分が電話していいものか…さらに言うと、携帯もない時代に、固定電話のある真っ暗な居間に降りていって、見知らぬ、それも違法めいた事をしている男に電話をかけるというのも、何かすごく悪いことをするような感覚があった。もし電話しているところを厳しい母親に見つかったら、と想像すると、俺の興奮は急速に冷めていった。 ラジオの向こうの電話は鳴らなかった。 正確には一回だけ鳴ったが無言電話だった。もちろん犯人は俺ではない。 そのうち、主とその友人も飽きてしまって、元のノンストップ放送に切り替えた。 残念な気もするが、まあ、また機会もあるだろう、俺はそう思って納得することにした バンブーラジオはその後も放送を続けていたが、やがて、いつもの時間でも休止していることが多くなり、放送があっても、まったく関係ない、違う個人運営のラジオ放送(素人くさい女DJがJ-POPをトークの合間にかけるといったもの)を中継していることが多くなった。 季節は冬になろうとしていて、受験本番の日が近づきつつあった。 ある時、習慣でバンブーラジオにラジオを合わせると、聞き慣れたレイブテクノが聞こえた。 ああ復活したんだな、良かった。 と俺は思い、そのまま聴き続けたが、合間にいつも主がはさむ「○○MHz、バンブーラジオ」の名乗りに変化があった。 「○○MHz。バンブーラジオ。今夜が最後です。」 俺は驚愕して、眠い目をこすりながら放送を聴き続けた。深夜2:00頃だろうか、音楽がふいにフェードアウトし、主のボソボソ声に切り替わった 「最近忙しくて、ちゃんと放送ができなくて申し訳ない。この放送は、○○(大阪の地名)から放送してるんですが、なんかどうも電波が岸和田あたりまで届いてたらしいですね。どれぐらいの人が聴いてくれていたかは知りませんが、今までありがとうございました。」 「放送を辞めるのは、神戸に引っ越すからで、そこでも放送を続けるかは正直わかりません。やりたいとは思ってますけど、設備の問題もあるので。」 「ではそろそろお別れです。スイッチを切ったら、屋根のアンテナ外して、これでバンブーラジオは本当に終わりです。」 そして、数秒のブザーの後、放送は止まった。ヘッドフォンからはホワイトノイズが流れていた。 あの時、電話しとけば良かったなあと俺は少しさびしくなったが、実は、その時にはそれほど感慨はなかった。 なぜなら、俺は既に電気グルーヴのテクノ専門学校シリーズを手に入れて、自分の好きな音楽がクラブ系テクノミュージックというものであることを知ることができており、またテクノ専門学校のセールスがそれなりに良かったのか、ソニーミュージックの海外インディーズレーベルを中心としたリリースラッシュ(Apchex TwinやBlack Dog、デトロイトテクノ系アーティストなど)もあって、大きなCDショップに行けば、簡単に好きなテクノミュージックが手に入るようになりつつあった。 なので、好みの合わないレイブ系のラジオが終わっても、わりとどうでも良かったのだ。 それから1ヶ月もしないうちに、1.17 阪神・淡路大震災が起こった。 俺の家の被害はガスが止まったぐらいで大したことはなかったが、尼崎に住んでいた叔父一家が被災するなどして、大混乱だった。親戚全員の無事が確認された後、俺が真っ先に思い出したのは神戸に引っ越したバンブーラジオのことだ。 ラジオで読み上げられる無数の被災者の名前を聞きながら、俺はバンブーラジオの主の無事を祈ったが、もちろんそれを確かめる方法はなかった。 その後、志望校に合格し、春から始まる高校生活を前に、期待と不安で宙ぶらりんになっていた俺は夢を見た。 大阪の電気の街、日本橋に入学祝いのお金を握りしめて、FM放送のための機材を買いにいく夢だった。 何故か、ピエール瀧とバンブーラジオの主が同行してくれて、俺に色々とアドバイスをくれる。 棚に並べられた、無線機の列を眺めながら、俺はこれから始めるFM放送の構想にワクワクしている。 目が覚めた。そして、朝日の中、それが夢だとわかった時、本当の寂しさが襲ってきた。 俺の好きな音楽を一緒に楽しめる友人は、本当は一人もいないのだ。 中学の友達にAphexTwinのAmbient Worksを聞かせても曖昧な笑みを浮かべるだけなのだ。そんなわけのわからん音楽よりこれ聴けよ、と渡されたカセットテープにはボンジョビとミスターBIGが90分詰まっている。trfじゃないだけマシだけど、俺にはこの良さがさっぱりわからないのだ。 同じように、誰も、誰一人、AphexTwinの初期アンビエントの空気感や、カールクレイグの無機質なマシンドラムの良さなどわからない。 俺はどうしようもなく一人だった。そしてそれは、春から始まる進学校での高校生活でも同じだろう。いやもっとひどいかもしれない。 夢で訪れた日本橋の無線ショップに、俺は1週間前に実際に行っていた。自分もFM放送を始めればあるいは、と思ったのだ。 膨大な機材に圧倒され、マヌケにも「FM放送をしたい」と馬鹿正直に店員に告げた俺は、表情を一変させた店員に「それは犯罪だからね。帰ってくれる?」と追い出されたのだった。 幸いクラブ系ミュージックはその後、ファッションの文脈を得て一大ムーブメントを巻き起こした。送信機の代わりにシンセを買って宅録するようになっていた俺にもその手の友人が何人もできて、俺は一人ではなくなった。 ブームが終わって、俺が挫折して、シンセを全部売り払った今でも、彼らとの親交は続いている。 彼らとたまに昔話をする度に、俺はバンブーラジオを思い出す。向こうは俺のことなんて知らないだろうけど、今でも俺にとってバンブーラジオの主は、音楽を好きになって最初に出来た頼もしい先輩で、そして大切な友人だからだ。 皆がオフラインになった冬の夜、決してチューニングできないどこかの周波数で、あのアッパーでどうしようもなく頭の悪いレイブテクノが、あの時のままノンストップで流れ続けている。 俺は、まだそういう夢を見ている。 追記:海賊放送と書きましたが、バンブーラジオが本当に違法だったのか、実は知りません。でも電波が飛んでる範囲からして、当時のコミュニティFMに許された範囲は超えていたように思う。あと、念の為書いておきますが、この文章に違法行為を助長する意図はありません。不正電波ダメ・ゼッタイ。いい子は各種法律守ってネットでやりましょう。”

海賊FMラジオのこと (via judago)

(via gkojax-text)

五嶋英門「何を運んでいるの?」

kiwamarisou:

みなさまいかがお過ごしですか。
水戸のキワマリ荘の五嶋と申します。久しぶりに展覧会を開催したいと思います。期間は10月14日から12月10日、時間は午後1時から夜の7時までです。何かとお忙しい時期かと思いますが、ちょっと息抜きにでも足を運んで頂けたらうれしいです。時には飲み物や食べ物を作ってお待ちしております。( 毎週は無理かも知れませんが・・ )開催は土・日・祝日のみです。どうぞよろしくお願いします。
 今回は大洗、阿字ヶ浦、いわき、石巻の海で拾ってきた石や骨や木などを使って、音が重なったり、隣に並んだり順番に鳴ったりした時に現れる不思議な効果を物と光を使って再現してみたり、あとドローイングを少しと、音が出る装置を少し。それから一昨年友人のスケーターたちに協力してもらって作った映像などを組み合わせてみます。

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五嶋英門「何を運んでいるの?」

期間:2017年10月14日~12月10日

時間:13時~19時(土日祝日のみオープン)

場所:水戸のキワマリ荘

※駐車場はありませんので近隣コインパーキングをご利用になるか、徒歩でお越し下さい。