はじめて食べるコンビニの冷やし中華はたいへん美味であったが、問題は後片付けだった。プラスチックの容器を捨てる前に洗わなければならないのに、まったく水が出ないのだ。
目の前の蛇口は、まあたらしい公衆トイレの洗面台によくあるような蛇口だった。いわゆる自動水栓というものであり、上げ下げするレバーも、ゆるめたりしめたりするつまみも付いていなかった。代わりに搭載されているのは何らかのセンサーで、蛇口の口もとに手が近づくと自動で栓が開き、反対に遠ざかると自動で栓が閉まるつくりになっているという。
しかし、さきほどからわたしは蛇口のしたにふたつの手のひらを差しのべつづけているのだが、いっこうに水の出てくるようすはない。
本来なら、差しのべられた手のひらを目がけて、蛇口の口もとから水が飛びだしてくるものだと聞いている。飛びだしてきた水は、ふたつ合わせてお椀のかたちをした手のひらの、その小指と小指の境目あたりにぶつかる。ぶつかったはずみで手のひらはわずかにしたに押され、押されてできた空間をおぎなうようにして水が流れこみ、そのまま手のひらからこぼれおちていく。人工の大理石でできた流し台のボウルに広がって、じぶんの重みでボウルの中心に戻ってきて、勢いあまってまた広がって、をくりかえし、やがて中心の穴に吸いこまれていく。そうしているうちにも蛇口からは水が飛びだしつづけ、蛇口の口もとと手のひらとの間には水の柱が立ちあがる。はじめのうち、柱のまわりだけは水がたまらずにくぼみができているが、すぐにそのくぼみも埋まってしまう。手のひらについていた小便のしぶきはもののみごとに押し流される。そうなるはずだった。
洗面台の前で考え込んでいると、後ろで扉のひらく音がした。振り向くと、両目を大きく見開いた男が立っていた。
そこでわたしはひらめいた。
次にわたしが差しのべた手のひらはひとつきりだった。ひだりの手のひらだ。
手のひらは熱をもっていて、ねらいを定めることなく、めったやたらに赤外線をはなっていた。蛇口に搭載されていたのはどうやら赤外線を感知するセンサーで、左手のはなつ赤外線をとらえ、蛇口内部のしくみによって栓は開かれた。手のひらの数がふたつでないといけないと思っていたが、そういうことではなかったようだ。
蛇口の口もとから飛びだしてきた水がぶつかるまえに、わたしはひだりの手のひらを音もなく引っこめた。からぶった水のかたまりは、じかに洗面台のボウルへと流れこもうとしたが、そのまえに別のものが立ちふさがった。
わたしが差しのべた冷やし中華の容器だ。
冷やし中華の容器はとうめいなプラスチックでできていて、こい色をしたタレが底にたまっていた。こまかい段差がたくさんあるので、タレがよくからみつくのだ。きいろい玉子焼きのかけらもへばりついていた。
ひだりの手のひらの代わりにあらわれた冷やし中華の容器のなかに、からぶった水のかたまりはおさまりよく流れこんでいった。
冷やし中華の容器は冷えていて、赤外線をはなっていなかった。いっぽう、熱をもっていたひだりの手のひらは、蛇口のしたから遠ざかっていた。したがって、蛇口内部のしくみによって栓は閉められ、水はそれきり飛びだしてこなくなった。
冷やし中華の容器にたまった水は、容器ごとゆさぶられて、ちいさな渦をかいた。容器の底からはがれた玉子焼きのかけらが、渦に巻きこまれてくるくると回った。
しばらくくるくると回ったあと、玉子焼きのかけらは、まわりにあった水のかたまりごと、冷やし中華の容器ごとまっさかさまにひっくり返された。水のかたまりは洗面台のボウルに広がって、じぶんの重みでボウルの中心に戻ってきて、勢いあまってまた広がって、をくりかえし、やがて中心の穴に吸いこまれていった。玉子焼きのかけらは穴のふちにへばりついた。
冷やし中華の容器はすっかりもとのとうめいな姿をとりもどしていた。きれいに洗いおわったため、何度かしぶきをとばしたあとで、容器をボウルから取りのぞいた。穴のふちにはまだ玉子焼きのかけらが残っていたが、そのままほうっておいた。容器はきれいになったが、洗面台のボウルはよごれたままだった。
さきほど差しのべたひだりの手のひらももう不要なのでボウルに捨てた。まだ熱をもっていて、赤外線をはなっていた。わたしのとは大ちがいだ。蛇口の栓はふたたび開かれ、口もとから水が飛びだしてきた。
ひだりの手のひらがすっかり冷えきるまで、ずっと水は流れっぱなしだった。