2020.9.28
不思議なことに、ずっと前に公開した下記の記事に、この所突然のアクセス集中が続いている。
もしかしたら、女性週刊誌等の「中島みゆき引退か?」という報道のせいなのかもしれない。
それにしても、デビューから40年を超えて時代の第一線に立ち続けた歌い手と言うのは、本当に前代未聞、空前絶後である。このまんま瀬戸内寂聴のお歳まで、失恋ソングを歌い続けてほしいと切に願っているのだが……
[過去公開記事]
第524話 2019.1.22
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
中島みゆきの絶唱である。
1981年3月に発売されたアルバム『臨月』に収録されている
『雪』という曲だ。
「あの人」とは恋人のことではなく、父親のことだと中島は語っている。
医師だった中島の父親は帯広で産婦人科の開業をしていたのだが、働き盛りの若さで病に倒れ、1月の帯広で亡くなった。
実際、臨終の際には雪が降りしきっていたのだろう。その時、娘の彼女は23歳だった。
1975年9月 父・眞一郎は51歳にして脳溢血で倒れ昏睡状態となる。
同じ9月に 中島のデビュー・シングル『あざみ嬢のララバイ』が発売された。
さらに10月、「ポピュラーソングコンテストつま恋本選会」では『時代』を歌ってグランプリを受賞。
また11月15日に開催された「世界歌謡祭」で同じく『時代』でグランプリを受賞。
1976年1月 父親は昏睡状態のまま「永い別れ」を中島に告げた。
以上の記述は ネット記事 による。
産婦人科医だった父は、自らの命を捧げて、稀代のクリエーター・中島みゆきを産み出したとも言えるのではないか。
もしも、この時期にこのような出来事がなかったら、彼女は後年あれほど膨大な名曲を創ることはできなかったかもしれない。
そして、彼女が産んだ全ての楽曲に父親の血は脈々と流れていて、その言葉と曲の力は夥しい人々に感動と共感と幸いをもたらし続けている。
[私記]
1976年1月といえば、僕は高校3年生で受験勉強の追い込み時期だった。毎日、デビューしたてのシンガー・ソング・ライター 中島みゆきの『時代』を聴いて元気をもらっていた。もしも不合格だったら、人気のない所に行って一人でこの歌を大声で歌おう、なんて思ったりもしていた。
そして、この時期、仲良くしていた女子生徒のお兄さんが、雪道の交通事故で大けがを負い重度の後遺症が残る、という出来事があった。その直後に彼女と交わした言葉のやりとりは忘れられない。僕は心の中で何回か逡巡した後に、『時代』の歌詞について話題にした。彼女は気持ちよく、こちらの言葉を受け入れてくれた。
あの時、僕は18歳だった!
福井でも雪が降っていて、切ないドラマが起きていた。
[中島みゆきについて過去に公開したブログ記事]