「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

僕はメルカリにはあまり興味はなく、購入したこともない、

東京の相棒から次の出品物が数回出されているので注意するようにとあったので、念の為にお知らせしておきたい。

 

 

今井科学の「リモコン正太郎つき鉄人28号」、

画像だけでは、箱がコピーなのかよくわからない、

もちろん、これがコピーであることは説明文にはない、

 

 

箱を開けたこの状態の画像があったらしく、これを見ただけでもオリジナルではなく、復刻版のものだとわかる、他の部品の画像はなかったらしく、リモコンが欠品であると説明文があったとのこと、組み立て説明図もコピー、

 

まあ、これをオリジナルのものだと信じて購入する人はまずいない、

いや、ひょっとして箱はオリジナルかもと信じる人がいるかも、

価格は27、000円、

東京の相棒はこれを購入、

もちろん、全てをわかったうえで、

それと、上げ底の中にどんな部品が入っているのか見てみたかったので、

 

 

その上げ底の中に入っていたのは、再販物の部品、カレンダーもコピー物、

 

 

 

コピーもよく見ると継ぎ目が、

 

相棒は出品者に「模型探偵団」の名で警告しておいたとのこと。

多分もう出品はしないはず、

一応、念の為にお知らせしておきたい。

静岡ホビーショーで「模型探偵団」のファンの方から次の資料をいただいた。

 

 

このような資料は絶対と言っていいほど入手はできない、

未だに残っているということが奇跡的だろう、

静岡に行くたびに貴重な資料などをいつもいただき、本当にありがとうございます。

 

さて、この資料は一体なんなのか、もちろん、賃貸物件の契約書であるが、

 

次の日本模型新聞の広告を見ると判明した、

 

        (昭和49年9月5日 日本模型新聞)

 

そう、㈱タツノコランドの静岡営業所であった、

住所の静岡市沓谷6-18-5 とピッタリ合致、

 

そして、今井科学の本社の住所のすぐそば、

すでに紹介しているように、タツノコランド設立の際には今井科学は2、000万円を出資しておりその販売部門を請け負っていた。

 

 

 

80歳(四捨五入)になってしまった(笑)。

今のところ死ぬ気配はまったくない、いたって快調?ただ、明日のことはわからない、

この歳になると鏡を見るのもいやになってしまう、

頭の毛はなくなり、歯も抜けて入れ歯になり、顔の頬はたるみ、シワ、シミが段々と増え自分の顔を見るのが嫌になってしまう、昔の美少年?の頃の面影はまったくなくなってしまった。

 

一般的に人は歳を取ると段々と丸くなるという、

しかし、僕の場合はまったくその気配はない、段々と過激になっていく、

若い頃はそのような人間ではなかった、とても素直でおとなしい人間であった、

なぜか、プラモデル、模型というものに関わり出してから過激な人間になってしまったような気がしてならない(爆笑)。

 

そもそもが、僕はいい人だと思われたいとか、好かれたいとか、信用されたいとか、そのようなことは一切思っていない、

また、綺麗事も言いたくない、現実主義者だと思っている。

そのためなのか、プロの方々からは嫌われ敵視されている。

 

「類は類を呼ぶ」、「朱に交われば赤くなる」、とかいうコトワザがあるように、

この模型の世界に入ってから特にそのことを感じてしまう、

どの世界も同じことということだろう。

 

さて、今回の静岡ホビーショーで明石ファン?の方々から尋ねられたことがあった、

そう、例の書籍はまだ出版されないのですか、いつですか?と、

ご安心下さい、

来年には間違いなく出版されます、予定では去年の5月に出版の予定でしたが大分遅れているようです、

商業誌ではありません、

それぞれの分野の専門家(大学教授、博物館の学芸員、著名な玩具などの収集家等)30人ほどが執筆していますので、編集などの調整で遅れているようです。

もちろん、商業誌ではないので数名からなる専門家の編集委員の方々が査読作業などを行い、編集会議で決定したものです、僕はアレとアレの2項目を担当しています。

今しばらくお待ち下さい。

 

ということで80歳になりましたが、まだまだクタバルわけにはいきません。

静岡ホビーショーにて、

の続き、
 
さて、次はどうしても訪れたいブースがあった、
僕はお相手の方を知っているが、お相手の方は僕の名前はご存知であっても顔は覚えていらっしゃらないはずである、
お相手の名前は出さないでおこう、
どうしてもその方の話が聞きたかった、僕がどれだけ業界から嫌われているのか、
そして、今後本当の模型の歴史というものをお書きになるつもりがあるのかどうか、
実は、皆が心配していた、その方に会うと下手したら乱闘騒ぎになるのではないかと(笑)
でも大丈夫、僕は文章は過激であっても根は温和で優しい人間、
 
その方から激しい言葉を浴びせられることは予想していた、
いつもは激しい言葉で攻撃している僕なので、今回は攻撃されることにしていた、
 
「明石小五郎です、ちょっとお話させてほしいのですが、よろしいでしょうか」
相手の方は少し驚いた様子であったが、「どうぞ、隣にお座り下さい」ということで座った、
まずは追い返されることがなかったので、とりあえずはホッとした、
15分くらい話しただろうか、
 
僕は、「今後本当のプラモデルの歴史などを題材としたものをお書きになる予定はありますか」
と切り出した、
 
相手の方の話をまとめると次のとおり、
 
「貴方はなんでマルサンの悪口ばかりを書くのですか」
「貴方はどうして人の悪口ばかりを書くのですか」
「マルサンがプラモデルを全国に普及させたのは事実です」
「私は、もう模型のことを書くことはありません」
「私がなんで貴方のネタで模型のことを書かなければならないのですか、」
 
僕がいろいろと静かに説明しても聞く耳を持っていらっしゃらないというか、
そもそもが、プラモデル、模型の・・・・・・がまったくないご様子、
まあ、これではもう無理だなと感じたのである、
 
相手の方は途中で興奮されたのか、
「貴方は人の悪口ばかりを書くから皆から嫌われてしまうのです」と声を大にしておっしゃる、
話をしている最中に相手のスタッフの女性が席に戻って来られた、
その女性に、僕を指さして「この人ですよ、人の悪口ばかり言って皆に嫌われているのは、この人ですよ、この人ですよ」と声を大にしておっしゃるものだから、その女性も困惑されていた様子であった、
僕もそれに反応することなく、静かにしていたものだから、
相手の方も、「もうここから出ていって下さい」とまた声を大にしておっしゃる、
益々興奮されてしまったら僕も困るので静かに軽く会釈して出ていった、という次第である。
 
僕があのような悪口(悪口ではなく、間違い、デタラメを正しただけ)を書いたものだから、なにかしら相当なダメージとなったような気がしてならない、
 
御本人は「もう、模型のことは書かない」とおっしゃったが、はたしてそうだろうか、
「模型とは関わらない」とはおっしゃっていない、
ひょっとしたら、近い内にそのことがわかることがあるかも、
 
その他、いろいろな情報などがあったので書きたいが、とてもここで公開できない、残念、
 
さて、次のイベントは清水でのホビーショー、
 
 
まだ具体的なことは決まっていないようなので、今後はその都度お知らせしたい。

10日夜10時に車にて明石を出発、

さて、一般道にて静岡まで走るか、それとも高速を走るか、ずいぶんと迷ったあげくに結局は高速を走ることにした、

ゆっくりと?と走り、パーキングに3回トイレ休憩をはさみ、朝の6時半ごろに到着、

「静岡ホビースクェア」が入っているビルの南側の立体駐車場に車を止めた、

 

まず向かった先がフリマ会場、今回のフリマ会場は静岡駅の北側の地元では有名な「駿河屋」の施設の4階の場所、その入口がわからない、周辺をグルグルと回りやっと入口を見つけ会場入りをした、

売りさばく商品はすでに前日に東京の相棒達が搬入済みであった、

 

 

 

今回販売するもので特に力を入れたプラモがガンダムでここに写っているものはその一部、

そう、東京の相棒が全力を注いで集めてきたもの、

僕はまったくガンダム系はわからないが、相棒は昭和のプラモだけでなく現代のものにもめっぽう強い、ガンダムが好きな方々が見たら欲しくなるものばかりらしい、

ショップではプレミア付きの価格で売られているらしい、

 

しかし、相棒は金はあまりあるほど持っているらしく?、なんとこれをプレミアなしの定価で売るという、いや、それどころかその定価よりも割引して売るという、

「おい、おい、そんなことして大丈夫か」、メーカー、絶版ショップなどから益々要注意人物として嫌われるのではないかと心配したが、それでもいいと言う、

 

なぜなら、フリマ会場への人の呼び込みと、現在のショップの異常なほどの利益を追求した販売

体制へ警鐘を鳴らしたいのが目的だという、

 

そのため、フリマ会場の他の出店業者のガンダム系のプラモはほとんど売れなかったようであった、これで益々相棒は好ましくない要注意人物として業界から警戒され嫌われるのは間違いないだろう、まあ、僕も業界からは嫌われていることもあり、お互い似た者同士。

 

それで、人が殺到して混雑することが予想されるため、特に人気製品については抽選販売などとした、

 

 

 

実は、午前中はホビーショー会場に行かなければならないので僕らは留守番をお願いしてホビー会場へと向かった、

 

では、誰に留守番をお願いしたかというと、

 

 

そう、今回は連合軍とした、その連合軍の方々に留守番などをお願いした、

これからは、我が「模型探偵団」単独ではなく、連合軍として立ち向かっていかなければならない。

 

そして、ホビー会場へ向かった理由とは、

 

 

すでにご承知のように、今回は青島文化教材社の100周年、

そう、その100周年記念展示が行われている、

 

 

 

「模型探偵団」はその記念展示に協力させていただいた、

もちろん、それらの展示物は全て寄贈させていただいた。

 

 

その記念撮影のために会場入りした、

アレッ、東京の相棒が入っていない、

 

アオシマの社長さんが、「◯◯さんも一緒に入って」、

僕はコソッと社長さんに耳打ちする、「あのですね、◯◯はですね、実は指名手配中なんです、

ですから面が割れると非常にヤバいのです、」

社長さんは大笑い、

 

記念展示はホビー会場と駅前の「静岡ホビースクェア」の二ヶ所で展示されている、

その一部を紹介すると、

 

 

とにかく、これからも青島文化教材社さんには全面的に協力させていただくことになった、

 

そうそう、展示といえばアレも気になっている、

その気になる展示物というのは、

もう、僕が言わなくてもおわかりだろう、そう、アレですよ(笑)、

これからの成り行きを注意深く見ているところである。

 

一段落して次に向かったのが合同展会場、

そこで、まったくの想定外の事件?が発生、

何かというと、

超人気クラブの「ろうがんず」のブースの前も人で一杯であった、

もちろん、松井様もいらっしゃった、松井様がいらっしゃらないと「ろうがんず」も始まらない、相変わらず松井様も超人気で御本人も超ご機嫌、

こともあろうに、つい僕も松井様に両手を振って「松井さ~ん」と声を出してしまった、

 

絶対に無視されるだろうと思っていた、

すると、こともあろうに松井様は「おお~、ご活躍のようで」両手を上げもう満面の笑みで答えて下さった、

もちろん、皆も驚いたようで、

つい僕も調子に乗って「松井さんも大変ご活躍のようで、いつも悪口ばかり言ってすみませ~ん」と応答してしまった、またそれにも松井様も満面の笑みで答えていただいた、

それが演技であることはわかっていても、皆驚いたようであった、

そう、僕も松井様のあの満面の笑みは今まで見たことがなかった、

イメージ回復か?

ただ、僕の方針は今までと変わることはない(笑)、

 

そして次に回った先が、 <続く>「この人は人の悪口ばかりを書く人で嫌われています」、

11日、12日は「静岡ホビーショー」行きのためブログは休みです。

 

「モデラーズフリマ」も出店しておりますので、ぜひご来場下さい、

 

 

なお、会場図をご覧いただければおわかりのように、最近の諸事情に鑑み「模型探偵団」での名前では出ておりません、

会場図のブース名をご覧いただければ、どこにいるのかはおわかりだろうと思います。

ぜひお出でいただくようにお願いいたします。

 

11日(土)の午前中はホビーショー会場内にいます、

青島文化教材社では100周年記念として、ホビーショー会場内と静岡駅前の「静岡ホビースクェア」の2ヶ所で記念展示を行っておりますのでぜひご覧になって下さい。

 

11日の午後、12日の午前午後はフリマ会場にいる予定です。

 

ホビーショー会場内での出来事などについてはまたブログにて紹介します。

 

戦前戦中に広島の呉には多くの軍艦模型製作所が存在していた、

その中の一つに「海洋社」という模型製作所があった、

どのようなメーカーだったのか、具体的なことは不明、

 

その「海洋社」の型録があるので紹介したい。

 

 

次に、千葉支部よりその「海洋社」の軍艦模型の画像をいただいた、

「戦艦長門」の模型。

 

 

 

当時呉には「軍港みやげ」として多数の艦船模型製作所がありました。

中でも「海洋社」は本格的な艦船模型を製作していました。

しかし、呉市も大規模な空襲に見舞われ、これら模型製作所もすべて

が焼失してしまいました。現在残された資料も殆ど無く当時のことは

殆どが不明となっています。画像は「海洋社」製の戦艦「長門」、

ヤフオクからのものです。