2月初めに京都に行ってきた。
実は払い戻しできない京都往復の新幹線チケットを期限までに消化する必要があって、ちょうど田中泯さんのダンス公演(『朗読とオドリ』試演1」)があったので、これを見に一泊だけしたのだ。ついでにアート関係をチェックして、興味をそそられたイベントを見つけたので、こちらにも行ってきたのだが、ついでのつもりがものすごくハマってしまったので、いろいろブログに残すことにする。(このイベントは、来週末で終了します)
   

   

 

■Texture from Textile Vol.2 時間の衣
髙橋大雅ヴィンテージ・コレクション

https://www.hosoogallery.jp/exhibitions/clothing-of-time/

会期: 2022年12月3日(土)–2023年3月12日(日)
時間: 10:30–18:00(祝日休み、入場は閉館の15分前まで)
入場料:無料
会場: 
HOSOO GALLERY(京都市中京区柿本町412 HOSOO FLAGSHIP STORE 2F)
主催: 株式会社 細尾・TaigaTakahashi,inc.
    
HOSOO GALLERYでは、「Texture from Textile Vol.2 時間の衣―髙橋大雅ヴィンテージ・コレ クション」と題し、ファッションの分野で近年多方面から耳目を集める髙橋大雅が蒐集した1900年代 初頭の服飾資料のコレクションを公開いたします。


- 中略 -


Vol.2では髙橋のコレクションを通じ、同時代の服飾に焦点を当てます。服飾史も決して建築から乖離したものではなく、1900年代初頭のヨーロッパでは装飾美術運動などの影響を受け、テキスタイルを介してファッションと室内装飾が不可分なものとして扱われていました。髙橋の服飾コレクションは、1900年代初頭を中心にアメリカ・ヨーロッパを中心に生産された衣服であり、大量生産とデザインといったさまざまな問題提起のなかで生産されてきた衣服です。これらの衣服は、大量生産を単に否定するわけではなく、経済的合理性の追求によってもたらされた新しい時代の美意識の一つの到達点で あり、また20世紀初頭に起こった大量生産と工芸をめぐる社会的な現象を象徴するものとして捉えることも可能です。

髙橋は、10代より主に1900年代の服飾資料を約2,000点蒐集し、リバースエンジニアリングの観点から、当時の布地や縫製の技術を研究してきました。当時の生地を研究することで、日本の伝統技術や天然素材など、現代の日本ならではの製法で再現し、ヴィンテージの衣服同様、100年後に残るうな服づくりを目指し、探究を行ってきました。この度は、髙橋の残した服飾資料を展示することで、 新進気鋭のデザイナーの思考を辿るとともに、Vol.1と同様、20世紀に起きた装飾をめぐる美意識の変革について、衣服の視点から改めて焦点を当ててみたいと思います。

髙橋大雅プロフィール
1995年生まれ。2010年ロンドン国際芸術高校に入学し、2013年セントラル・セント・マーチンズに進学。2015年 ベルギーのアントワープやロンドンのメゾンでデザインアシスタントを経 験。2017年 同 大 学を卒 業 後、渡 米。 TaigaTakahashi,inc.をニューヨークで設立。2021年12月京都祇園に髙橋がデザインした服・建築・茶室・彫刻作 品からなる「服・食・住」すべてを体験できる総合芸術空間「T.T」をオープン。

 

 

 


会場は圧巻だった。
全て、私の好きな、男性物の古着たちだった。コート、レザージャケット、デニムジャケット、カバーオール、ジーンズ、などなど。それらが全て、均等にハンガーにかけられて展示されていた。
共通しているのは、全て状態がいいものだということ。これだけ状態がいいなら、高く売れるだろう。まるで古着の展示販売会のようだった。もし値札がついていたら、思わず買ってしまっていたくなる服がいくつもあった。しかし、これらは、あくまで髙橋氏が自身のブランドのコレクションを作り上げるために蒐集した、服飾資料だった。ということは、自身で身に着けたわけではないのだろうか。
中には、いかにも古着らしく、長年のダメージでくたくたのジーンズなどもあったが、ほとんどは状態がいいもので、また、同じような服がいくつもあり、いわゆる、一般的な古着蒐集とは違う基準で集められているというのが見て取れた。つまり、本人の趣味嗜好で気の赴くまま集めたというより、一定の目的と基準をもって集めた、まさに服飾資料だった。

 

 




実はこの髙橋大雅というデザイナー、昨年、27歳の若さで亡くなっている。
「タイガ タカハシ」のデザイナー髙橋大雅が致死性不整脈で死去、享年27

髙橋氏が、生前、自身のコレクションにおいて、この服たちをどのように参考としていたか、そしてそのことが、今回の展示においてどのように生かされているのか、ギャラリーで頂いたパンフレットの中の、井高久美子さんによるキュレーター・ノートにあったので、一部抜粋して紹介する。
 

. . . 髙橋のコレクションを見ると、1900年代前半のヨーロッパ文化の影響を受けた衣服は、非常に立体性を帯びていることがわかる。髙橋のファッション・デザイナーとしての代表作の一つであるレザージャケットは、1930年代のヴィンテージのレザージャケットを徹底的に研究することによって作られた。このレザージャケットは、この時代の衣服の立体性を最も象徴する資料の一つといえよう。髙橋曰く、このレザージャケットは、ファッションというより、馬に乗る際に着用されていたもので、身を守る道具としての意味合いが強かったという。革は原始時代から使われている素材であり、丈夫である反面硬い。そのため、当時の人々は、立体裁断を行い、馬に乗る際に不便が生じぬよう袖を湾曲させていたという。これを髙橋は、馬に乗っていた時代の身体のフォルムの記憶であり、このように身体の動作に合わせて作られた立体こそが1900年代初頭(1900-1930)のヨーロッパの衣服を象徴するものと見る。本展では、当時のハンバーに吊るして展示を行っているが、これはこの時代のヨーロッパの衣服がハンガーにかけたとしても立体的なフォルムを維持できる点を強調するためである。

一方で、1930年代に入るとアメリカで発展した衣服の大量生産による合理化は、これらの立体的なフォルムは見事に削ぎ落されていくこととなる。衣の襞はおろか、曲線はほとんどなく、ほぼ直線で構成されるようになった。これらの衣服をハンガーにかければ非常に平面的な印象を与える。本展では、1910-30年のイギリス、フランス、そしてこれらの国の影響を受けたアメリカの衣服から、1940年代以降のアメリカの衣服へとグラデーションを作って設置しているが、これらのフォルムの変化を眺めていると、オートクチュールの立体的な衣服から、徐々に平坦な衣服へとパターンが変容していく様が見て取れる。

   
「T.T」HP:https://taigatakahashi.com

彼のブランドのオフィシャルサイト(上記リンク)を見ると、現在のコレクションの写真があるが、その下の方までスクロールすると、いきなり洋服のリストが現れる。これらが、彼の古着コレクションの一部らしい。最初の方は写真や本で、途中からWW1 U.S.ARMY JACKETとあり、クリックすると1910年当時のアメリカ軍の上着の写真が現れる。このようなのが1960年のジーンズまで掲載されている。時代的には、産業が発展し、その後、第一次世界大戦や第二次世界大戦が勃発した時代でもある。(1900年代世界年表
彼の服飾コレクションは2000点というから、このリストはほんの一部だが、傾向はなんとなくつかめると思う。今回の展示自体も全部ではなくコレクションのほんの一部なので、彼の古着コレクションの全体像は正確にはわからない。ただ、もし今回の展示がほぼほぼ彼のコレクションの傾向を表しているとしたら、いわゆる高級ブランドものとかオートクチュールとは別の、ワーク系やミリタリー系など、ごく一般的な人々が着ていた服だと言える。

今回の展示会は、亡くなった彼への追悼の意もあると思うが、彼の存在を全く知らなかった私でも、このコレクションを見たら、わずか20代で、深く服の魅力に取りつかれ、膨大なコレクションを残した、これだけの目利きの人がいなくなってしまったことが、残念でならない。デザイナーとしても、もっと色んな世界を作り上げただろうに、と思うのだ。
  

手裏剣

   

私は古着を含めた「洋服」が好きだ。
「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という表現がある。
私は京都人ではないが、正に着倒れの人種だ。出身は熊本だが、熊本もけっこうファッション好きが多い土地柄で、給料に見合わない高い服を買う人が意外に多いと思う。ある意味、見栄っ張りなのだろう。
京都の人は、基本は渋ちんというか、ケチだと思うのだが、着物に金をかける着道楽の気風があることから上記の表現があるのだと思う。
私がこれほど服好きでなければ、服にお金を費やしていなければ、正直、マンション買えたと思う。周りを見ても、堅実に住居を確保して、老後の蓄えを十分に持った同年齢の女性たちとはかけ離れた人生を歩いていると自覚している。アリとキリギリスのキリギリスであり、着倒れの人種なのだ。

古着と一言で言っても、世の中にはいろんな種類の古着がある。
製品としてみると、昔の服、とくに100年以上も昔の服と今の服では、デザインの違いというより、服としての技術の違いが大きい。なぜなら、今の大量生産では、昔の縫製を再現することは難しく、同じ技術で作ろうとすると、かなりの高級品となるのだ。なので、ヴィンテージと言われる古着は、ただ洋服の古いもの、ではなく、コレクションになりうる高級なものとして市場に存在する。
一方で、新製品がシーズン過ぎて、安く取引されるものも古着だ。例えば全国展開している2nd street では手ごろな古着が手に入る。
あるいは、それほど古くなくても、希少価値で値段が高くなるものもある。そういうものを取り扱う、こだわりの古着屋もある。リメイクなど、古着に手をかけた商品を置いたり、古着とオリジナル製品を同居させるショップもある。


高校生の頃、父親や祖父があまり着なくなったジャケットなどを借りて着たりしていた(それも一種の古着だ)。
女性らしいファッションよりも、メンズライクな恰好が自分に似合うと思ったからだ。その後、映画「アニー・ホール」の中で、メンズアイテムをマニッシュにキメるダイアン・キートンに憧れたりもした。ただ、あんな風に着こなすほどのセンスはないし、服にはお金もかかるしで、ファッショそのものへの興味も薄れ、洋服は着やすければなんでもよくなった。

若い輝きを失うのと反比例して、経済的に余裕が出てきたころに、KAPITALという岡山のカジュアルブランドと出会い、レディースよりも、メンズのラインナップに魅了された。今はどうか知らないが、当時、彼等がシーズンごとに出していたカタログが、あり得ないほどの分厚さで、ちょっとした写真集となっていたが、その写真の世界観が素晴らしかった。特に私が好きだったのが、アメリカの開拓時代のイメージの、男性ファッションだった。いや、もしかしたらアーミッシュがモチーフだったかもしれないが、とにかく髭面の男性白人モデル(西海岸のポートランドあたりのコーヒーショップにいそうな感じ)がテーラードジャケットを羽織ってる写真があって、そのジャケットが無性に欲しくなったのを覚えている。おそらく高いか、あるいは男物で似合わないかで結局は買わなかったのだが。

それ以来、メンズの服への憧れが強くなり、KAPITALだけでなく、古着テイストのあるメンズがメインのブランドや、ユニセックスのブランドを好むようになった。
代官山にジャンヌ・バレ(JEANNE VALET)という古着屋さんがあるが、ここのオーナーがかつてプロデュースしたブランド(今は消滅)、ジャック マルソー(Jacques Marceau)とか、下北沢に直営店がある、クラシカ(KLASICA)、クラシカで店番やってた方が立ち上げたブランド、トキホ(TOKIHO)など。
靴ですら、メンズを買った。同じブランドの同じデザインの編み上げブーツでも、女性物は華奢すぎて、全くそそられず、こんなのは靴ではない、とすら思った。私はミッキーマウスの靴ぐらい存在感のある靴が欲しいのだ!と思い、足のサイズが25cmあるのをいいことに、メンズを買って、中敷きを入れまくって履いたりした。(が、とても疲れるので、すぐに履かなくなった)

古着も当然、選択肢となった。一時期都内の古着屋さんに通い詰めた。古着好きにとって、東京は天国だ。いろんなタイプの古着屋が、都内のあちこちにある。雑誌に載るような今どきの街だけでなく、普通のオフィス街や住宅街にもあるから油断ならない。
私が好きで通っていたのは、中目黒のジャンティーク(JANTIQUES)、オルゴー(olgou)、京橋のマインドベンダーズ アンド クラシックス(Mindbenders&Classics)、そして現在は真鶴にあるが、当時は鎌倉にあったスクランプシャス(Scrumpscious)など。
地方に行っても、古着屋をチェックした。京都のブラウン(Brown)は未だに通っている。
福岡にあるマルチェロ(marcello)は1Fがアンティーク家具のkrankで、たまたまネットでアンティーク家具を検索して引っ掛かり、福岡に行ったときに訪れて、その2Fにマルチェロというセレクトショップがあることを知った。行ってみたら古着も一部置かれていて、一時期、福岡に行く度に寄っていた。
神戸では、街を歩いていて立っているその場所で「近くの古着屋」とグーグル検索して、ヒットしたお店に立ち寄った。


しかし月日がたち、当初のような、服や古着に対する熱はいつの間にか冷めていた。少しづつ、服の趣味も変わってきていた。例えば、1900年代前半のデザインを復刻させたような服や、いい具合にほつれて汚れのついた古着を見ると、昔はアドレナリンが無条件で出まくっていたのが、ある程度買い溜めてきて、すでにコレクションにあるのに、買っても仕方ないではないか、実際、買っても着ないではないか、と現実を見るようになったのだ。実際問題として、服が増えすぎて、もう、これ以上、服を置くスペースもなくなっていた。
そして、私の財産として残ったのは、マンションではなく、膨大な服のコレクションだった。

現在は、単純に物理的に服が増えすぎたのと、経済的理由(残念ながら、お金は無尽蔵にはないし、そろそろ老後を考えなければならない)と、年齢的にこれ以上服が増えても着れる時間が残り少ないことを自覚し始めたこともあって、新しく服を買うのはできるだけ控えている。あと、ファッションに拘るのにはパワーがいるが、もうそのパワーが無くなったというのが正直なところだ。
古着についても、コレクションとしての古着愛は封印し、あくまで実用的理由のみでしか古着は買わない。なので、以前やっていたような、買ってもおそらく着ないだろうけど、このデザイン、縫製は現在にはない貴重なもので、この出会いを逃すと一生手に入れることはできないかもしれない、だから買うのだ、などという酔狂なことはもうしない。
今でも通っているショップは、京都のブラウンぐらいだろう。ここは普段着としての古着を置いていて、価格設定も東京より安い。

洋服には、お金とパワーと深い愛情が必要なのだ。
年齢を重ねるごとに、異性への興味や愛情は薄らいでいくが(個人差はあるだろうが)、これはおそらく物に対する執着も同じなのだろうと思う。わたしの場合はとくに、服とは、他人の目を意識して着飾るためのものではなくて、物としての興味の対象に近かったので、古着を前にして湧き出ていたアドレナリンも年とともに自然と減っていった感覚がある。
   

 手裏剣

 


今回の展覧会を見て、そのアドレナリンが久々に上昇したのを感じた。ただ、それは、以前経験していた、所有欲とともに現れる、あの急激に上昇するものではなくて、もっと穏やかなものだった。そして目の前にずらりと展示された服たちに対する、愛情と懐かしさが湧きおこっていた。おそらく、古着に対して愛着を持ったことのない人にはわからないと思う。でも、私にはわかるのだ、この服たちの素晴らしさが、という優越感みたいなものも味わっていた。そして、同じようにこの服たちに価値を見出していた、今は亡き髙橋氏に対して、一種のシンパシーを感じたのだ。
しかし、この服たちの素晴らしさを理解し、蒐集に情熱を傾けた氏はもういない。

 

 

彼は生前、下記のインタビューで、こんな風に話している。

●FASHION IN TURBULENT TIMES-ファッションにおける主観と客観。VOL.01
https://www.houyhnhnm.jp/feature/515389/

. . . 単純なことですが、100年前の服が自分の手元にあるのは、その服が100年間生き残ったという証拠です。そして、この服がどうやってつくられているかを理解すれば、自分がつくる服も100年後に残るのではないだろうか。時間をサバイブするような服をつくりたいのです。そういった観点もあり、一種の “分岐点” ともいえるいまから100年前、1920年代のアメリカではじまった大量生産、大量消費が生まれる前の時代のものづくりに関心を寄せています。 


そして今、主を失った服たちはどこに行くのだろうか。


「価値あるものだけが時を越え、生み出す者の想いとともに未来へと生き続ける。過去の遺物を、いまに蘇らせることで未来の考古学を発掘するのだ。」                       

髙橋大雅

 

      


 

 

 

彼のブランドは、現在、彼の名前のイニシャルであるT.Tとなって存続されている。

fashionpress 「T.T ティー・ティー」

ブランドのはじまり
2017年、デザイナー髙橋大雅がニューヨークにてタイガ タカハシ(Taiga Takahashi)をスタート。2023年、ブランド名を「ティー・ティー(T.T)」に変更。

ティー・ティーについて

タイガ タカハシは日本人デザイナー・髙橋大雅によるブランド。ブランドコンセプトは、「過去の遺物を蘇らせることで、未来の考古物を発掘する」。
10代より、海外のアンティークディーラーや古美術商を通じて70~100年以上前の服を収集。その数は数千着以上にもなる。それらのコレクションを通し、考古学の観点から現在もしくは未来にも存在する服を研究する。

2021年秋冬シーズンより、日本での本格的な展開をスタートする。
2022年4月、デザイナーの髙橋大雅が逝去。
2023-24年シーズンより、ブランド名を「ティー・ティー(T.T)」に変更。

【INFOMATION】
●総合芸術空間「T.T」(1階)/立礼茶室「然美」(2階)
〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側570-120
TEL:075-525-0402(1階)/075-525-4020(2階)
「T.T」HP:https://taigatakahashi.com
「然美」HP:https://rustsabi.com

  

   
<関連記事>

(時系列)

●【WWD】海外メゾンを離れ、独自路線を行く若きデザイナー 「タイガ・タカハシ」の“時代を超える服作り” 2021.9.30 https://www.wwdjapan.com/articles/1267650


●【HOUYHNHNM】26歳の異端児がつくる総合芸術空間とは。京都の花街・祇園に新名所 “T.T” が誕生しました。2021.12.6  https://www.houyhnhnm.jp/news/540055/

●【pen】若き現代美術作家・髙橋大雅が築いた、五感を刺激する総合芸術空間作品「T.T」とは?2021.12.27  https://www.pen-online.jp/article/009733.html

●【FASHIONSNAP】受け継がれる意志、27歳の若さで急逝したデザイナー・現代美術家の髙橋大雅がこの世界に遺したもの 2022.12.2  https://www.fashionsnap.com/article/taigatakahashi-feature/

●【Fashion Headline】夭折した異能のデザイナー・高橋大雅の「応用考古学」というキーワード 2022.12.3
https://www.fashion-headline.com/article/232337

●【Tokyo Art Beat】服飾から建築を考える。髙橋大雅が蒐集した1900年代のヴィンテージ・コレクションが京都「HOSOO GALLERY」で公開  2022.12.5  

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/ttt2_news_20221130


●【pen】京都・建仁寺のアート展、今年27歳で他界した髙橋大雅の遺作が寺と一体になって 2022.12.9
https://www.pen-online.jp/article/012159.html

●【美術手帳】HOSOO GALLERYで見る髙橋大雅のクリエイション。過去の記憶を未来につなぐ「布」2022.12.9  https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/26443

(今回の展覧会の写真多し)

●【京都知新】デザイナー・現代美術家 髙橋大雅 2023.2.5 TV放送
https://www.mbs.jp/kyoto-chishin/tv/2023/02_05.shtml

   

手裏剣

   


ちょうど東京都現代美術館では、「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ展」が開催中で、ここでは、1100点以上の貴重なアーカイヴ作品とともに、75 年 以上にわたるディオール(DIOR)の伝統とクリエーションが展示されている。人気が凄くて、私は未だにチケットを買えずにいる。数少ない当日券は、平日ですら開館とともに完売している状況だ。

今回の髙橋氏の服のコレクションの時代と重なる。方や大量生産された服、方やオートクチュールがメインの高級品としての服。

洋服の歴史を見ることで、その時代性を感じることができるはずだ。両方を見ることで、何かが見えてくるかもしれない。

 

 

ここから下は、現地で撮影した写真を残しておく。
このブログ記事を書きながら聞いた曲から、いくつか置いておくので、是非BGMに。

★Yo La Tengo - Leaving Home

 

 

★Max Richter - Iconography (Konx-Om-Pax Remix)

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ー 髙橋は、長きにわたり生き残るこれらの衣に、時間がもたらす特別な力を見出していたのではないだろうか。その力とは、ものが発散する、人々に愛着をかんじさせる魔力のような力ではなかったか。(キュレーターのことば。会場にて上映されていた短い映像より)

 

「時間がもたらす特別な力」「人々に愛着をかんじさせる魔力のような力」

古着好きは、ただただ、深く頷くばかりです。

 


★Peter Gregson - Gregson: Somnia