たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

毎度、当ブログをご覧いただきありがとうございます。

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無断での使用はご遠慮願います


ペタは、廃止させていただきました。

まだあきらめない!


人生も鉄道も、諦めたらそこでおしまい。

雨降って地固まる、寒さを堪えて撮影行脚はもう少しだけ続く。


4月3日、16:59。

乗ってきた外房線の電車のタイミング的に難しいかな?と思っていたが…

ここで(無事に)迎撃したのは、255系「わかしお16号」!


ここから一気に、車掌と思しき乗務員か3人も乗り込む。

車内での特急券販売対応だろうか?

それにしても結構な人海戦術ではある。


ただ、房総方面はどこもホームに券売機が無いのは、今の時代は不便。

それでいてダイヤ改正後は車内で買うと、車内料金が適用されるようになったのも何だかなと…


特に蘇我や海浜幕張なぞは一定の利用数があるのだから、なんとかしてもらいたいもの。

微妙なところアナログなのは、千葉支社の悪き伝統なのかもしれない。


さて、内房→総武線方面の電車と連絡も取って、17:00、定刻通り発車。


ゆっくりゆっくり動き出し…と、


先に1番線の電車がホームを離れた、と、


千葉で遭遇した回送編成が側線に!


E235系に隠れる形で、一番ホーム側の側線に停車していたのだった。


だがここではタッチの差で、頭同士の並びは叶わなかった。

南側は階段やエレベーターなど、駅舎施設の関係もあり発車前でもきっと撮影は困難だろう。

まぁ、2編成が同じタイミングで蘇我駅に居る、という証拠とはなったが。


まずは、先に東京に向かう「しおさい16号」を見送り…


今度は、3番線に並ぶ京葉線とも並立する姿を。


さて、ここから少し腰を据えて撮影を…


と思っていたら!


およ…


もう??


早ッ!!


ものの数分もしないうちに…


しかも誤算だったのは、京葉線ホームに停車中の東京行きよりも早く発車したことだった。


さざなみ3号は東京駅18:30発。

その前には今行った255系がわかしお13号で折り返して発車する。

いくらなんでも、東京に向かうのが早過ぎやしないかい??


ちょっと安房を…じゃなく、泡を食って京葉線ホームに向かう。

既に体力は限界寸前…ここからどうなる??

終始雨模様だったり、いきなり地震に遭遇するなど波乱含みではあったが…

雨降って地固まる、という諺にも通じる動きを水面下で見せつつ進んでいた。

が。

ここで少しばかり時間が空いたものだから。

あてもなくぶらり、また来た道を戻って大網へ。

そこから、前回いつ乗ったのか記憶に残っていない東金線に久しぶりに乗った。

2010年の夏に、誉田で201系の併合作業を撮影に赴いてはいたが(小湊鐵道に向かうついで)

そこからは心理的な距離感があったのか(ただ時間が足りなかったのか?)東金線内には赴かず

また朝晩の201系運用を追うこともしてはいなかった。


また、こういうタイミングでないと乗る必要が見出せない路線でもある。

沿線の方々には申し訳ないが、自分にとっては成田線我孫子〜成田間もまた同じだったり。

ちょっと不思議な存在感を醸し出す東金線は、令和になった今も健在であった。


さて、成東駅に着いて迎えたのは。

銚子行き「しおさい5号」。

3月改正でダイヤが変わり、15:47の到着。


E259系になってから、よくよく撮るのは初めてとなった「しおさい」。

まずこんな場所で、このE259系を迎えたのが初めて。

そもそも、この成東で乗車列車以外の特急列車を迎撃したのも初めてのことである。

二重に慣れない迎え方をしているが、これが今の新しい日常なのである。


そんな中、こちらは千葉行き普通で雨脚が強くなってきたところを戻っていく。

ちょっとだけ大回りで時間潰しをして、蘇我で「わかしお16号」を撮って、この日の撮影を全て

切り上げようか…雨も強いし…と考えていたのだが。


千葉駅に到着し、乗り換えのために5・6番線に移動してすぐのことだった。


5番線に、回送列車がまいります…


ん?

いやまて。

これはもしかして??


左右キョロキョロしながら、待つこと少し…


おお…


やっぱりか!


時間は、16:39。

なんとなく、そんな気はしていたのだ。

夕方の幕張車両センターから東京への送り込み回送が、あるだろうって!

東京18:30発、平日のみ運転の「さざなみ3号」に使用される車両の送り込みが!

それに上手い具合に遭遇することができた。


千葉では、乗務員交代もあって数分停車した。

しかし予備知識はないので、油断は禁物…


案の定、前後移動する暇はおろか、普通列車で先行することすらも不可能だった。


今や定期特急列車で、千葉駅を発着する255系は無くなった。

それだけに、回送であれども残り時間も限られた希少な風景となったのである。


だがこの日は、とにかく天気が良くなかった。


それだけが返す返す、残念なことであり…

また機会を改めて、別パターンも含め撮りに動きたいと考えているところではあるのだが…

この日決まった新たな流れは、平日の改めた動きを困難にしてしまっている。

次に可能なのは6月以降、さてうまくやれるだろうか?


その頃には、まただいぶ日も伸びているだろうし、という期待感も込みで。


あとは、雨が極端に多過ぎない梅雨でありますように、とも。


まずは、不完全な状況ながらも見送った。

さて、回送はどこまで向かう?

誉田まで行くのか?と踏んで、外房線電車に乗ったのだが…


…むむむ。


読めぬ動きは、さらに一回は諦めたオマケもつけて進んでいく。

新年度を迎え、そろそろ1ヶ月になる。

幸いにして家の方は比して穏やかに推移しているが、公的な部分で動きが大きくあった。

その結果が、先々週から週4〜5ペースで利用している西武鉄道であるが。

そのあたりの動きが顕在化したのが、4月3日のことであった。

業務そのものは年度替わりのドタバタで手隙で、それもあって昼前から房総方面に足を向けたが

移動中数度も電話のやり取りが入り、一気に話がまとまっていった。

モノが決まる時って、勢いも大事なんだなと改めて感じた一日である。


さて、用務先から武蔵野・京葉線経由で移動。

この日も255系Be-05編成は、京葉車両センター内に居た。

しかし手前側に京葉線のE233系が停泊しており全容は窺えず、この日はそのままスルー。


…そして蘇我から外房線に入り、そのまま進んでいく。

これまでは行ってせいぜい大網で、あとは誉田での併合作業や廃車回送の折り返し等で数度。

これ以外では会社の研修で安房鴨川まで往復したのと、いすみ鉄道に行った帰りくらい。

更に内房線に至っては、記憶が正しければ未だ木更津〜安房鴨川間が未乗車のはず。

距離感やかかる時間など、なかなかハードルが高いまま今にまで至っている。


今回、初めて上総一ノ宮で降りたが…

これまで通った時には寝ていたのか、全く通った記憶すらなかった。


そして、外房線は複線区間の南端。

ここから普通列車も大幅に本数が減る。

到着時点で12時前だったが、次の安房鴨川方面の普通列車は40分後。

すぐ後に「わかしお7号」が来るものの、特急停車駅の予備知識が皆無、かつ天気もイマイチで

さらに奥へ向かおう、という意欲はこの日は遂に起こることはなかった。


そんな折「わかしお7号」が到着。

やはり、5両編成というのはとても短い。

改めて見ると、自分の中では意欲が数段減退してしまうのである。

中央線沿線に住み続けていて、短くても6両、長くて11〜12両なんて環境に慣れ続けていると

千葉界隈の人には本当に申し訳ないが、結構な寂しさを感じてしまう。

これがまた首都圏外、東京近郊区間外に出ると考え方は一変するのだが…


頭の中で分かっちゃいるのだが、厳しい現実。

この現実をひっくり返すのは、並大抵ではない。

それもあって、この日は上総一ノ宮から先に向かうことがなかった。

そのあたりのリベンジは、月末以降に持ち越しとなっていく。


…結局乗ってきた電車で戻り、また降りたのは、

茂原。


ここも通過した記憶すらなく、初めての下車。

ただここは、事前にリサーチをかけた上での選定であった。

なお20分近く時間もあり、また雨模様のためベンチに腰掛けたりして待つ。


とここで、突然


緊急地震速報が!


次の瞬間、茂原駅の高架ホームがミシッ、グラグラと…

緊急地震速報を受信したので一瞬大いに焦ったが、幸いにして?震度3で済んだ。


ちなみにここから3時間半ほど前、台湾での地震の為沖縄諸島などに津波警報が発表されていて

津波注意報を経て先刻正午に解除されていたばかりだった。

正月の能登といい、いざ警報を受けると一気に緊張感が最大になる。


…その影響かはわからないが、待っていた列車は2分ほど遅れてきた。

ガスタンクを横目に見ながら…


255系による「わかしお12号」到着。


もちろん、外房線内で255系は(現時点では)初撮影である。

安房鴨川に行った時に撮ってなかったかなぁ?とも思ったが、見つからず…


結構な乗客が列車を待ち、一気に取り込んでいった。


そして、遅れを取り戻す意図があるからか、すぐに発車。


天気さえ良ければもっと、なのであるが、まずは初の割には淀みなく撮影。



そして、今度は京葉線直通快速で手早く戻る。

最近房総は地震が頻発気味だったので、万が一を考えると早めに都心に戻っておきたかった。

あとは体力温存もあるし、そもそも撮影対象もいないという事情もあった。


…ちなみに快速は、あれこれ言うほど直通利用は多いのかな?という印象。


そして、次の撮影は。

また舞浜。


それも下り線側。


しかも、雨粒が明確に捉えられるほど雨は降ってきていた。

どんどん撮影条件が悪くなっていってしまう、巡り合わせの悪さを嘆く。


天気良い時にもう一回、次は上りもセットでやりたいな…とも。

撮れば撮るほど、欲は増してくるものだ。

その欲が今回は、違う方向にも向いてくることになる。

記憶をゆっくり手繰り寄せながら、撮ったことのない画角を探しながら動く記録行脚。

ここのところの記録行脚では、すっかりルーティンとなっている動き方である。


蘇我は停車もあり必ず通るところなのだが、まだ未挑戦の画角がある。

そのひとつが、5・6番ホームからの東京行き後追いである。

今回はそこから「わかしお8号」の発車を見送る。


乗ってきた電車の到着時間と、わかしお8号の発車時間が同じ。

ギリギリどうなんだろう?と思っていたが、無事に間に合った。


…だが、次からはもう同じことはしないw


こうして歩いていると、意外に撮ってこなかったものだと改めて知るのである。


2010〜11年頃、201・205系の淘汰が進んでいた頃は足繁く京葉線界隈に足を運んでいた。

それに加えて113系も末期、逆に銚子電鉄では2000形がデビューという時期でもあり…

さらに縁ある人やメディアのイベントも界隈であったりで、折々に記録が残されていたものだ。


しかし、255系や特急列車の記録は、183・189系撤退後だったからか二の次になっていた。

ここのところ記録の再点検を進めているが、ビックリするほど記録数が少ないのである。

1995〜97年頃もまだ目ぼしいものは無く、自分の当時のスタンスに改めて愕然としている。


そんな10〜30代の葛藤を取り戻すべく、走る。

次は海浜幕張に急ぎ移動し、前日撮れなかったわかしお3号を迎撃。


既に201系や209系などでは、記録をしたことのあるポイント。

その経験を思い返しながら、満を持しての迎撃をしたのった。


海浜幕張に特急が停車するようになり随分経つが、東京から来て降りる人も結構いる。

入れ替わりに乗車もそれなりにあり、なかなかに需要は定着しているようである。

それだけに、7月以降の5両編成への減車は不安がつきまとう部分も。


特に今回のダイヤ改正では夜間の上りが削減され、各停の運転間隔が空いていることも相俟って

特に土休日の近隣イベント終了後は大変な混雑を呈することもあるらしい。

特にJR東日本は大手私鉄他社に比べると、臨時列車増発への積極性や柔軟性が低い。

それは既に指摘されて久しいが、どうもJRだけの肩を持てぬ難しい問題が段々見えてきている。


…となると、このまま本当に6月末で255系を落とせるのか?と根本的な疑問にぶち当たる。

京葉線沿線だと、プロ野球もナイターになるし音楽フェスもあるだろうし…とか。

確かにイベントのない閑散期など課題もあるのかもしれないが、確実に座って移動したいという

客層は相応にいるはずで、そのあたりの見極めをうまくして欲しいと感じる。

最近のJR東日本は欲張って逆に失敗している印象が折々に見られ、再考と積極策をを促したい。


ダイヤ改正から1ヶ月余り、早いうちの改善を熱望したい。

と思いながら、さらに京葉線内を移動。


この日のBe-05編成は、前日と位置は変わらず。


そしてやってきたのは、舞浜。

ここで「わかしお5号」を迎撃。

定番位置の割に、撮ってこなかったポイントの一つである。


一時期の撮り鉄のマナーが問題視され、ホーム先端付近は紅白の床面ペイントで注意喚起が。

一番問題視した方がいいのは“点字ブロックの延長線より線路側”であって然るべきで、先端全体を

まるっと規制してしまうのは極端過ぎる部分もあるかなというのが、個人的な感想。


舞浜ではスピードが乗っているため、あっという間に通過していく。

撮影している父を待つ親子連れも、そのスピード感には圧倒されていたようだ。


当駅発着の臨時列車以外、舞浜に特急列車は停車しない。

ごく一時期に一部が停車していたらしいが、それほど需要が無かったのだろう。

千葉界隈の停車駅事情は、かくも複雑で難解であることを改めて実感した。


…これにて、2023年度の撮影を終了!

ロスタイム突入と父の退院で、255系の記録蓄積もさらに加速がついた。

…とはいえ、先に決めている予定があくまでも優先。

3月30日は前々から成田に行く計画を先に決めていて、それに乗じた格好になっていた。


翌3月31日も、もともと決めていた予定を基にスケジュールを組んだ。

それも墨田区12:00と、撮影範囲から考えると前日より逆にタイトなものになった。

それもあって、また気持ち早めに自宅を出て記録に取り掛かったのである。


この日は3月末とは思えない、暖かいを通り越え暑くなった日だった。

そのくせに朝晩は冷え込むので、桜が満開になるどころかまだ蕾が開いていないという季節感が

まるでめちゃくちゃで、身体の感覚が追いついていかない苦悶の日となった。


そんな中で早起きして自宅を出て、また千葉方面に向かう。


まだ穏やかで、ほとんど誰も見向きをしないうちに。


その思いが、取り組む熱を少しばかり上げていくことになっていくが…

その前に。

両国で、209系B.B.BASEに再会。


実は6年前の夏、横浜一泊した後の足で墨田区内の朝市に参加するために向かう際に遭遇したが

以来なかなか撮影機に恵まれず、3月15日の銚子でも中途半端に甘んじていた。

B.B.BASE改造前に機器更新されているから、まだしばらくは走ると思うが…

こうした所謂ジョイフルトレイン系は意外に短命でもあるので、気にして捉えておきたいもの。


そして、前日に続いて「新宿さざなみ1号」を、今度は錦糸町で迎撃。


255系の時には中途半端だった、スカイツリーとのツーショットも。

もともと総武線内では、幕張車両センターへの回送以外はレアな形式。

2010年の夏頃には「しおさい」に運用されていたことが手元の記録で確認できるのだが…

これまでにも房総特急削減の煽りで余剰が出たり、2500番台・5500番台へ転用改造されたりと

実は255系よりも波瀾万丈な形式番台になっているかもしれない。


さて、後続の快速君津行きに乗って、次に降りたのは本千葉。

それは、前日の邂逅が早速の行動へと繋がったのであった。

5分ほど、日差しの暑さと思いのほか強い風に耐えながら待ち…


255系定期回送、迎撃!


千葉〜蘇我間では現在定期特急の設定はなく、回送のみがひっそり往復している。


先端のホームは、後から延ばしたのか意外に狭い場所があり…

列車の通過風も加わって、少しヒヤリとしたが。


まず、この日一発目の迎撃は無事に成功!


誰も他に撮る人もおらず、満足いくスタートになった。


続いて移動したのは、蘇我。


いきなり後続から、E131系の回送が現れ驚いたところで…


今度は、東京方で待つ。

ギリギリ、発車間際に反対側に見えた顔は…

さぁ、再記録は始まった。

それでも、まだペース配分が掴めていない。

早速ポカもかましたが、一方で収穫も。

悲喜交々ありつつ、できるところから。


…さて、新習志野で209系だけ撮って、幕張豊砂へ逆戻り。

ここで見えてきたのは…


やはり255系であった。


在籍数5本のうち、Be-05編成が遡ること二日前の3月28日、京葉車両センターに臨時回送。
更にその翌日、つまりこの撮影日前日に新潟車両センター所属のEF81 134がやはり臨時回送。
京葉車両センター構内で、この両者が連結訓練を実施したのである。


EF81が来たことを考えると、廃車回送先は郡山になるのだろうか?

しかも、それは比較的にすぐ行われるのでは?とも考えられたのだが。


EF81 134はこの日朝までに返却回送されてしまい、引き続き255系のみ留置されていた。

まぁ、留置自体は改正前にもあったから、さして珍しいことではない。

ただその後、現在に至るまで構内移動はあるものの、回送に向けた動きはないままなのである。

ここ最近は、座席のヘッドカバーが取り外されたところまでは確認できているが…

郡山には鶴見線の205系も廃車回送されているから、業務量が一杯なのかと推測できるが…

なかなか先行きが不透明な情勢に、気を揉みながら見守っているところである。


そんなところへ…

東京10:00発「わかしお5号」、接近。


撮りやすさで言うと、こちらの下りホームの方が良い感じだ。

まだホームドアも無く、柵の類も少ない。

3月7日の時点で確認していたが、まずは良好。

だからと言って、マナーを守って自制をしていかねばならぬのは当然のこと。

通過列車は下り勾配を降り切って割と速度も上がった状態で通過するから、余計に気配りを。


そしてこの日は、狙っていたカットを。


ロスタイム突入後も拘る!255系同士の並び!!


後追いは予測も込めるだけに、かなり緊張感が増す。

一閃シャッターを連写で捉えて、無事に撮れていると相当にホッとする。


結局この日は、Be-05編成は滞在時間中に動くことはなかった。

ということで、素早く見切りをつけて成田に向けて移動を開始したのだが。


蘇我で、ホーム上に気になる動きを察知。
まだ時間の余裕はあったので、少し待ってみると…

なななんと、四季島が!


255系を1本撮り損ねて1時間ロスしたことにはなったが、結果的に四季島を極めてレアな蘇我で

撮れたことは、後々を考えたら良い記録になったのではないだろうか。


…そしてこの後、個人的にちょっとだけ気になっていた列車に乗って…

向かった先は、


成田空港。


まだなおライブまで時間があったのと、3月9日に佐倉で気になり、乗ってみたのは…

209系による、成田空港折り返しの普通列車だった。


成田空港からのJR線は成田エクスプレスと東京方面直通快速がメインになっており、普通列車は

千葉行きが1日6本設定されるのみの希少な存在である。

かつては113系や211系も乗り入れていたが、現在は房総色の209系による運用である。

近年は都心方面の利用需要は、京成スカイライナーの圧倒的な速さに盛り返されているが…

東京以遠への乗り換えの少ない直通需要は、まだまだ揺るがないものがあり…

逆に千葉市街に行くにもJRが一番都合が良い。

あとは、成田線の分岐点あたりに駅ができれば、我孫子・松戸方面の需要もまだあるだろうか。


もっとも、肝心の航空機は国際線シェアが羽田発着も増えただろうからなかなか難しい。

加えて近年は、コロナ禍によるそもそもの利用落ち込みが顕著だったからね。

気難しい問題があちらこちらに垣間見える成田界隈、静かに行方を見守りたい。


…なお、無事にライブも見終わり、調子に乗って我孫子廻りで帰宅。

その途中に別の友達がMCをしているイベントに顔を出そうとしたのだが、あろうことか慣れた

上野界隈だったのに場所を思い切り間違えてしまい、辿り着けなかったという大オチ。

その顛末は、翌日ちゃんと当人に再会して白状しましたとさ…。

まだ3月のネタは尽きてはいない。

父の退院に乗じてというわけではないが、少し気持ちの余裕が生じ記録蓄積を再開している。

特に“3ヶ月半”のロスタイムが得られた方面へは、その思いは強くー。


3月30日、土曜日。


この日はもともと、成田に向かう予定を立てていた。

理由は、この方のライブがあったからである。

元光GENJI・赤坂晃氏。


実は中学の先輩でもある赤坂氏。(6年差)

デビュー当時のフィーバーぶりは、特に地元に居た身としては未だ記憶に新しい。

光GENJI解散後はドラマなど俳優でも活躍していたが、悲しいことに不祥事もあって表舞台から

遠ざかっていて、ことに地元に関しては黒歴史化している?とも訝しんでいたが…


一昨年から交流があるバンド、mahol-fulのピアニスト・ちえこさんが赤坂氏のバックバンドで

関わっていて、今回はさらにベースでお馴染みの小澤のぞみちゃんも参加することになった。

そんな偶然があり、成田は遠いが気分転換かたがた行ってみようか、ということになった。

メンバーにDMを送れば予約OKとのことで、のぞみちゃんに連絡を取り確定。

昼夜2回公演というパワフルぶりだったが、さまざまな情勢を考慮しつつ昼公演に参加へ。

一時は父のこともあり実行が危ぶまれたが、無事に参加できた次第。


ただまぁ、単純に往復するのもつまらない。

以前なら京成単純往復だったかもしれないが、今回はJR成田駅の真横が会場だったこともあって

JRの「休日おでかけパス」を活用する移動策を実行に移した。

地元からの場合、これを利用した方が格段にお得だったからというのもある。


まずは8:17、市川駅にて。

自分が乗っていた快速を待たせて通過したのは「新宿さざなみ1号」

E257系5両編成でやってくる姿は、快速で11〜15両、特急成田エクスプレスが12両の長編成が

頻繁に往来している姿を思うと、なんとも寂しいものがある。



そして快速は、幕張車両センターの横を走り抜けていく。

基地内には、総武本線・快速線内では定期運用を終えた255系の姿が。

ああ、これで日常としてはもう捉えるのはむずかしくなるな、と考えていたが。


乗っていた列車は、内房線君津行き。

そのまま直通に揺られ、蘇我に着く直前のことだった。

ん、おや?!


なんと、2番線に255系が居た!


8:50にこちらが着いた時には既に居て、8:53にはすぐ発車。


こちらの京葉線も8:53とほぼ同時発車で、後追いをギリギリ収めるのが精一杯。

いきなりの登場に、全く想定がなくビックリした。

どういうことかと時刻表を解析すると、平日ダイヤで前夜「わかしお21号」として運行。

上総一ノ宮で終点となって到着し、そのまま一泊した編成だったらしい。

そして、幕張車両センターに向けて回送される途中だったようだ。


これは…


このいきなりの邂逅が後日、記録アプローチを変えていくこととなる。


そして、次なる記録ポイントは

幕張豊砂。


前回訪ねた時に検分をしていた“つもり”で、早々と再訪したのだがー。


うーん?


意外に左手前の障害物が、邪魔だったなぁ?とか。


いざ撮ってみないと、わからないことって多い。


そんな経験がまた、自分の経験値も上げる。


こうしてまず、ダイヤ改正後最初の255系営業記録は「わかしお8号」から。

まずは良い滑り出し!と思っていたのだが…


なんとこの日、下りの東京9:00発「わかしお3号」の存在を失念していた。

幕張豊砂の駅構造が、列車通過をすっかり見落としていたのである。

ついうっかり、東京10:00発「わかしお5号」を撮る気で、朝食補給に動いてしまった。

最初に気づいていたら、幕張豊砂で上下記録もできたのに!


209系ケヨ34編成を新習志野で捉えられたのは、まだ良かったが…


まだまだ安心は禁物。

ロスタイムの記録行脚は、始まったばかり!

一段気持ちを引き締め直して、また計画を組み立て直していく。

ここ最近は、会津南部を除く首都圏外への遠征はままならず…

父の入院もあってそれは更に顕著な傾向だったのだが、3月26日の退院以降少しずつではあるが

足を延ばすようになってきていて、その端緒が28日の伊豆箱根鉄道の甲種輸送だった。

その頃、JR東海から大きなニュースが飛び込んできた。

リニア中央新幹線開業延期…もそうだが、315系に置き換えが進む211系の一部が、ここにきて

三岐鉄道に譲渡されることとなり、富田まで回送されたのである。

確かに規格上は問題ないとはいえ、なかなかの青天の霹靂でビッグインパクトであった。

それでなくても近年はひたちなか海浜鉄道やえちぜん鉄道、京都丹後鉄道、更にはミャンマー等

JR東海の車両は他のJR各社に比べると、車両譲渡は活発である。

最終的に15両が譲渡され、長い車両で還暦になる旧西武鉄道の401系や701系、新101系などが

いよいよ置き換えられることが現実的になってきたなと、強い思いを…


とは言いつつ、JR東日本管内ではまだ高崎界隈や、中央東線など長野界隈にも多く残っている。

JR東海は現有車は全て民営化後の製造だが、JR東日本では短編成化されたものの、国鉄時代に

製造された長老もトップナンバー含めまだまだ多数が生き残っている。

転用改造からまだ10年弱ということもあり、本格置き換えはもう少し先になるだろうか。

富士急山麓電気鐵道に乗り入れる定期運用もあるし、そちらの方が諸々記録したいが…


なんて言い出したらキリがないので、記録できる時にしっかり記録するに越したことはない。

しかも、今回の三岐鉄道譲渡に関連して引退時期は2025年度、とJR東海から公表されている。


ということで、3月28日の伊豆箱根鉄道甲種輸送に際し、211系もそれとなく撮影を増やした。

ダイヤ改正から熱海〜浜松間を直通する列車が増えたらしく、ゆっくり乗り心地を堪能するには

この列車を選ぶようにしたほうがいいかな、なんてことを一瞬考えたが…


これが併結されていると、話は別。笑


静岡に転入してから、2年。

孤高のグループは、今なお独特の存在感を保ち続けている。


相変わらず転換クロスシートに慣れない地域柄、未だに乗ると席の向きがバラバラ。

進行方向が逆向きだろうが、それでも座ってしまうから覆しにくい。

それさえ乗り越えられれば、熱海から浜松まで快適に乗り通すのも可能。

そういう車両を見てしまうと、やはりひと世代前のオールロングシートは不利だなと思う。


それでも、そんな情勢下で30年以上も一線で走り続けてきた。

各車両だいぶくたびれてきてはいるが、車体は錆びずに丈夫なステンレス。

大量生産でまだ部品の確保がしやすいこともまた、譲渡話のまとまる一因となっただろうか。


中央西線からは撤退したため、現状JR東海管内で残るのは静岡エリアのみになった。

一番長い編成は、東海道線での6両である。


そんな静岡エリアでも、313系を見かける機会はとても多い。

211系との併結も常態化している。


これがもう少しすると、315系も入ってきてさらに雰囲気が変わりそうだ。

既に試運転は始まっており、世代交代はもう間も無くである。


残るのは3両編成の5000・5600番台、そして2両編成の6000番台。

特に2両編成は当エリアにしかなく、希少価値は高い。

2両編成に置き換えが及ぶと、欲しがる地方私鉄も出てきそうではあるが。


さまざまな個性が拮抗する、静岡エリアへ。


時には、313系もこんな異端児が来たりするし!


残すところ、およそ1年。

なかなか距離はあるが、身近なJR東日本車と共に記録を増やしていければ…いいなぁ…と。

先日西武鉄道の話題に食いついた友人からは、こちらも勧められているのよねw

そうなると311系だって記録に赴きたいし、悩ましい夏が近づきそうである。



東海地区特有の前面展望も、どんどん希少になる。


捉えづらくなる前に、もう一押し!


JR草創期を支えてきた車両たちが、どんどん姿を消してきている。

私鉄もそうだが、鉄道趣味に一番興味を注いでいた時期に華やかに走っていた車両は、とりわけ

愛着が深かっだのだというのを身をもって実感している。


それは何も鉄道趣味に限らず、というのもまた実感するようになってきているのだが。


そんな強い思いが西へ、東へと、例年よりも力強く動き出す春となっていくのであった。

さて、3月15日以降は途端に記録ペースが鈍化、もしくは停止してしまう。

前記事に書いた通り、父が入院してしまったからである。

ここからしばらく、26日の退院までは仕事した後に病院に行く、という二重生活を送っていた。

もちろん、毎週末のように行っていた墨田のほうもひっそりお休みである。

まぁ短い入院の中にも色々あったが、それはジャンルが違うのでwここには書かない。


しかし、その間の20日、京王れーるランドで行われたイベントには顔を出している。
今年で17年目のお付き合いになる、ママ鉄アイドル豊岡真澄さんが出演していたからであった。

※ちなみにうちは、母もなかなかの“ますみんファン”である。

 先日の「よじごじDays」生放送を偶然見ていて「可愛かったよ」と感想LINEが来るというw

 鉄道タレントさんの中では、唯一会ったことがあるからであろうか。


そのイベントがうちから比較的近くて行きやすかったこともあり、お忍びで参加したのだが…

その時のトークショーやSNS上でますみんがひたすら愛を語っていたのでw

というか、以前からずっと注目していた車両がいた。


京王電鉄7000系である。

1984(昭和59)年3月のデビュー以来、今年なんと登場40周年!

登場当時は6000系とは同一性能、並行製造で、東武鉄道10000系のようにステンレス製車体の

工法変更や編成両数の増強に翻弄されつつ、1996(平成8)年までに190両が製造。

当初は各停運用専業だったが、準特急が設定された2001(平成13)年以降は種別限定の運用が

撤廃され、幅広い用途に使用されるようになっている。

編成両数の変遷が激しく、100回を超える改番も行われるなど一朝一夕には全容が掴みづらい。

現在は10両・6両・4両・2両の各編成があり、4両・2両の一部編成はワンマン運転対応である。


6000系の淘汰に前後し、車内リニューアルと制御装置のVVVF化を施工済み。

ただ、雨天の時には空転しやすいのが悩みどころではあるだろうか。

なお、2017年より編成変更や老朽化による廃車が開始されており…

このうち2017年中に廃車されたクハ7706の前頭部は、10両固定化で切り取られたクハ8809の

前頭部と共に、京王れーるランドANNEXで展示保存されている。


ここのところ、前期製造車の7704Fと後期製造車の7804Fは10両を組み運用されていた。

3月末までは「京王の電車・バス開業110周年」の記念ヘッドマークを取り付けていた。

この両者の連結の様は、ステンレス車体の好みの比較対象としてよく使われる。

ますみんも、それを出して


やっぱりコルゲート!


と仰ってましたがwさすがwww


動物園線は、特別ラッピング車となった4両編成の7801Fが専属運用。

土休日の増発運用に入る7802Fと共に使用されている。


7801Fには、京王れーるランドリニューアルオープン記念のヘッドマークが付いていた。


そして最近、存在感が高いのは10両貫通編成。

以前発生した車内での殺傷事件に鑑み、分割編成を順次置き換えていく方針となっている。

しかしこの7728Fのように、コルゲート車体を持つ初期車は軒並み35年を超えている。

6両・4両編成の所定数の置き換えが終わると、この貫通編成にも交代の波が訪れそうだ。


そして2両編成も、競馬場線や9000系8両編成の増結用として運用されているが…

こちらは車齢がまだ比較的新しいと言いつつも、もうかれこれ30年。


特に増結専従編成は、八王子・橋本方のクハ7870形のスカートが当初から省略。

昔日を偲ぶスタイルだが、こうした車両基地構内での入換くらいしか先頭が出る機会がない。

クハの割に運転台側に設置されたパンタグラフも、また異彩である。


この3月20日は、イベントへの往復に前後して7000系に意識を傾けた。

ただ、コルゲート車体の初期編成への遭遇機は少なく、年度跨ぎの課題となったのである。


側面だけ見ると、特にビードプレスの車体は8000系と混同しがち。

製造年度も似通っているから仕方ない側面もあるが、少しばかり狙いにくい。

そのくせ以外に遭遇機は高く、アッと気づいて見逃してしまうことも多い。


しばらくは京王電鉄も、意識高めに利用する必要が出てきた。

6000系撤退後のここ10年は、日常利用ばかりだったから特に。


廃車が進んでいるとはいえ、まだ7割ほどが残る。

数がそれなりにあるうちに、色々記録を仕掛けられるようにしたい。

現状を考えると、夏以降が取り組みどきになってくるだろうか。

ダイヤ改正前、これが最終記録!

255系「しおさい」の記録は、ここから唐突に終わりに近づいてくる。

それにつれて、さまざまな方面の波乱度合いも一気に増してきてー。


それは、総武本線の普通列車千葉行きに乗っていた時のことであった。

しばらく撮るものもなく、また朝から動き通しで疲労もあったため少し眠っていた。

それもあって、最初のLINEに気付くのが遅れたのだが。

およよよ?


母から、父が具合悪いとのLINEだった。

一昨年から、たびたび体調を崩している父。

良性頭位めまい症に始まり、昨年も脊柱管狭窄症、十二指腸潰瘍と続けて不調を起こしていた。

ただ、十二指腸潰瘍の治療後の経過が良好で、胃のピロリ菌退治も好結果を示していたのだが…


しかし、ちょっと思い当たる節もあった。

十二指腸潰瘍の治療後に、食欲も以前のように回復していたのだが…

この前の日、つまり3月14日の夜、某ファミレスで待ち合わせして夕食を共にした時のこと。

いつもより食いつきが鈍い、食べる量が少ないことに薄々気がついていたのだ。

元々自分が食べている美味しいものを周りにも分けたい癖があるのだが、それにしてもー。

なんとなくその時に感じていた違和感が、現実になったのだった。


困ったなあと返事に迷っていると、立て続けに

おいおい!


救急車なぞ、ただごとではない。

急ぎ、こちらも病院に向かうパターンを探し始めたのだが…


確認したのが千葉付近、意外に早く行けるルートがない!


この状況に、大いに焦っていたのだが…

逆にこういう時のうちの母は、妙なところ肝が据わっている性格である。

いくら救急車を呼ぶような切迫度合いであっても、症状的にそこまで急を要さないと判断すると

「又連絡する」と言って、一旦締めて見合わせるのである。
そんなこともあり、軸足は病院のほうに向けつつも…

急いでも急がなくても、もはや同じ。
場所的にそんなに変わらないし、行ったところで何か特別なことができるわけでもない。

そんな考えもあり、モヤモヤしたままではありつつも次の目的地に降りた。

降りたのは、

西千葉、である。


総武緩行線で千葉から1駅であるが…

微妙にローカル感があることと、まだホームドアもなく撮りやすい。

それに、意外なくらい撮っている人もいない。

そう通りがかりに判断していて、今回の来訪となった。

そのあたりは、7日の東船橋と傾向は似ていた。

先に往来する列車を試し撮りして、イメージを固める。

だがこの時、重ねてとんでもないことが目の前で起こった。


ホームの脇を、ふらふらと歩いている一般客が1人いた。

ヘルプマークをバッグにぶら下げているのが見えていたから、気にしていたのだが…


次の瞬間、いきなり線路に降りた?!


落ちた、ではなく、一応意識して降りた感じであった。

それもあり、降りてさらに歩こうとしている。

あまりに急な出来事に


おいおいおいおい!


と思わず叫んだら、はたと我に返ったのかすぐにホームに上がり直した!

あっさり上がり終え、何も無かったかのようにまたホームを歩いていったのである。

あまりの素早い動きに、非常ボタンを押すこともできなかった。


ちょうど快速線も緩行線も、列車が来ないタイミングだったことがまだ幸いだったのだが…

後方で撮影しようとしていた人と「なんだかねぇ」とただ苦笑いするしかなかった。

これがあと数秒ホームに上がらなかったら、即非常ボタンを扱うところだった。

いや、それ以前にちゃんと扱っておいたほうが良かったかと反省至極であったが…


そんなことはあったが、ウォーミングアップを続け…


14:07。


「しおさい5号」通過。


上りに被られることもなく、まずは一閃。


次いで、30分ほど待ち時間が。

途中、コンテナ貨物の撮影で具合を確かめて…


14:40。


「しおさい10号」通過!


とんだハプニングはあったが、撮影自体は極めて想定内の出来であった。


千葉とて、立派に栄えている街ではある。

しかし、特急も停車するターミナル駅からたった1駅で、しかもダイヤ改正で引退する日。

厳密には、幕張車両センターへの出入庫などでここを当分毎日走ることがあるにせよ、こうして

静かな環境で撮影することができたのは、この上ない収穫だったのであった。


まぁ、ヒヤッとしたけども、さ。


とりあえず、大事にならなくてまだ良かったけども。


そして父の容体は如何に。

前後してLINEで続報が。

やはり切迫度合いとしては低いことは分かった。

同時に、断片的に伝わる症状を手掛かりにして病因を調べることもしていた。

果たしてその結果は、概ねその通りだったのであった。


…そして大幅に予定を変え、病院に向かうためにそのまま千葉県から離れた。

ただ、帰りしなにもうワンチャン撮れる。

そう考えた結果捻り出したのは、馬喰町駅であった。


総武快速線で、幼少の頃に初めて知った駅。

国鉄時代は「国鉄で一番低い駅」と言われ、子供向けの鉄道誌にも載っていたからだ。

京葉線東京駅や海峡線の海底駅が開業してから影は薄くなっているが、思い入れは強い。


撮りづらさはあったが、ここで「しおさい7号」を迎えた。


まだ開業当時の面影を残す、馬喰町駅ホーム。

単線シールドを繋ぐように設けられている風除け兼用の通路から。


そして、これが。


総武快速線の単独区間で、255系を撮影した最後となった。

その後は、同時に廃止となった成田エクスプレスの八王子行きが東京駅を発車する際、懲りずに

奇声を発した厚顔無恥な輩が居た以外は、静かに運用を終えたようである。

銚子駅での最終しおさい14号の発車時は、銚子電鉄社員有志も見送ったそうだ。

つくづく最終に乗って帰ってきたかったが、こればかりは致し方ない。

これ以外にも、11号運用の送り込み回送で両国駅3番線に入線なんてネタもあったのだが、それも

記録できないまま終わってしまい、つくづく初動の遅さを悔いている次第だ。


…だが、京葉線系統はもうしばらく、当面6月末まではロスタイムとして運転が残る。

そして、総武快速線も錦糸町以東は少数「新宿さざなみ号」「新宿わかしお号」設定がある。

3月までの平穏さがあるかどうかは甚だ疑問だが、可能な限り記録に動いてみたい。


…なお、父はこの日以降入院したものの、26日に退院。

胆石からくる膵炎で、来月胆石と救急搬送時に入れたステントを除去する手術をする予定。

まだピークの半分も食欲が戻らず、もうしばらくは色々大変だが…

諸々連携して、困難を乗り切っていきたい。