昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

①続QRコード&タッチパネル論

 

1週間ほど前に中華チェーンの日高屋にいった。

前までは口頭で注文する形式だったのにいつのまにかタッチパネル方式になっていた。

日高屋はタッチパネルじゃないほうがよかった。残念。

タッチパネルでも楽なやつと面倒なやつがあり、鳥貴族のタッチパネルはわかりやすくて

楽なので好きなんだが、面倒くさいやつは入店人数とかから打ちこまないといけない。

日高屋はどっちだっけか。忘れてしまったが、とりあえず日高屋は口頭で店員に

伝えるほうが良かった。

 

鳥貴族のタッチパネル方式は好きだと書いたが、自分以外の人のことも考えると

それも問題があるようだ。

先日の東京新聞に

‘広がるタッチパネルに潜むバリア’

という記事がでていた。

オレも一応は障害者なので、バリアという言葉に敏感に反応してしまい記事を

読んでみた。

タッチパネルは凹凸がないので、目の不自由な人にはかなり不便とのことだ。

なるほど、それはいえる。

今は居酒屋のオーダーだけでなく、駅の券売機やその他いろんなところが

タッチパネル式になっている。

タッチパネル方式は人手不足を補うために導入されたデジタルだろうが

たしかに目の不自由な人には不親切なシステムに違いない。

 

タッチパネルだけじゃない。

以前ちらっと書いたQRコードシステムについても同じことがいえる。

おれは目は見えるが学習障害があるので、機械はおぼえられないのだ。

 

だいいち国民全員がスマホを持っているという前提でのシステムなのが

納得いかない。

この前Sさんと池袋ではいった焼肉屋もQRコードシステムだった。

オレのスマホじゃできないのでオーダーはすべてSさんにやってもらった。

もう紙のメニューすら卓に置いていないのだ。

だからスマホ見れないと、メニューになにがあるのかもわからない。

 

どうだろう。

QRコードやタッチパネル方式もありはありでいいけれど、お店側は最低限

紙のメニューも用意してもらい、また、

「わからない方、目の不自由な方は直接店員にご注文ください」

とおしるし願えないだろうか。

 

タッチパネルとQRコードだったら、まだタッチパネルのほうがいい。

店側がQRコード形式を増やしている理由は人手不足対策が一番だろうけれど、

それでもタッチパネルにしないのはコストがかかるからだろう。

それにくらべてQRコードだと、オレもよくしらないが、とにかく客がスマホさえ

持っていれば対応できるからコストがかからないんだと思う。

要するに客のスマホ頼みということである。

そこは納得いかないひとつだ。

 

とにかく、タッチパネルとQRコードシステムにおけるバリアフリーを

願っている。

 

 

 

 

 

②山川穂高へ

 

埼玉西武ライオンズから福岡ソフトバンクホークスにFAで移籍した山川穂高が

先日2打席連続満塁ホームランを打った。

西武ファンからしたら一番打たれちゃいけないやつに打たれた感じだ。

 

今回の山川の移籍はとても後味悪いものである。

西武で不祥事で活動停止を喰らって西武での最後のシーズンを棒にふったままFA宣言

してソフトバンクへ。

 

これには西武ファンも納得いかない。

本拠地であるベルーナドームではソフトバンクの山川が登場するたびに

地鳴りのようなブーイングが響いてる。

これは当然だ。

不祥事を起こしても見捨てなったライオンズファンの願いをふりきって

ライバル球団であるソフトバンクにいったのだから。

 

あと、Yahoo!ニュースで見たんだけど、そんなブーイングをした西武ファンと

西武球団にたいして、ホリエモンが批判していた。

そんな球団だから(山川が)愛想つかしてでていったんだよ、

と。

うーん、やはりオレはホリエモンは好きになれない。

 

 

 

 

 

③ 斗

 

みなさんは自分の名前が好きだろうか。

オレは正直どちらともいえない。

名前の読みは好きかもしれないが使用している漢字が古風な気がして

あまり好きじゃないのである。

 

じゃあ、自分で好きな名前をつけられたらつけるかといわれたら悩む。

その名前がかっこいいかダサいかというのは意外と自分ではわからない

ものなのだ。

 

そういえば昔、自分の名前じゃないが、もし子供が出来たらこう名付けたい

なと思ったことがあった。

「虎竜狼」

(こたろう)と読む(笑)

うん、今考えるとダサい。

一歩間違えたら暴走族である。

ちなみに女の子だったら「美奈子」

なんとなく響きが好きだった。

永井美奈子とか田中美奈子みたいな綺麗どころに多い名前のような印象だった、

それはさておき、名前といえば最近テレビとか観ていると、スポーツチームや

男性アイドル集団のメンバーにやけに名前に「斗」がつく男子が多い。多すぎる。

集団のメンバーだけじゃない。

生まれたばかりの赤ん坊や小さい子供にも「○斗」と名前がついているのを

よく見かける。

たしかに「斗」という文字は闘うという意味があり、かっこいい。

 

子供に「○斗」と名づけているのはおそらく父親のほうじゃないだろうか。

「斗」という文字には男性を引き寄せる魅力があるのだと思う。

 

 

 

 

スパン的に音楽記事をやる時期なのだが、とくになにをとりあげれば

いいのかわからなかった。ネタ切れ。

YouTubeで懐メロを検索してたら、徳永英明の「壊れかけのRadio」に

たどり着いたのでアップしておく。

 

今ドラマは観ない。

決して嫌いなわけじゃないけれど、ドラマって一回見逃すとストーリー

がわからなくなってしまいから観ないのだ。

(うちに録画できる機材はない)

 

阿部サダヲがでていたTBSの「不適切にもほどがある」というドラマは

懐かしいネタとかあって面白そうだったから観ておけばよかったなと

ちょっと後悔しているが、まあ他に気になるドラマとかはあまりなかった。

 

そんなドラマ観ないオレではあるが、高校生のころはけっこう観ていたのである。

好きだったドラマのひとつに高島政伸主演の「都会の森」というドラマがあった。

弁護士ドラマであり、ミステリードラマでもあり、なかなか面白かった。

記憶の限りだと、ある殺人事件の真相を追って回がすすむのだが、テンポが

よくストーリーがよくできていた。観ていた人いるだろうか?

そのドラマの主題歌がこの「壊れかけのRadio」だったのである。

 

今改めて聴いても名曲だ。

壊れかけのラジオっていう世界観もいい。

そういえばはじめてラジオを買ったのは中学校1年生のときだった。

小さなラジオでたしか千円もしなかったと思った。

ディスカウントストアのオリンピックで買った赤い小型ラジオ。

中学校1年だったので、なんとなく大人の買物をした気分になれたものだった。

あのラジオ、今はどこにいってしまったのだろうか。

今は父親からもらった小型ラジオを愛用している。

主に聴いている局はTBS。

次の日仕事だからあまり遅くは起きていられないのが残念だが起きて

いられれば、月曜は深夜1時から伊集院光の深夜のバカ力、火曜は深夜1時から

爆笑問題カーボーイ、

そして日曜深夜0時からは林原めぐみのトウキョウヴギーナイトを聴いている。

やはりラジオは面白い。

 

 

 

 

話は歌に戻って……

徳永英明のハスキーな声がメロディによくからまっている。

ものまねにもチャレンジしたができなかった。

徳永英明の声マネって誰にでもできそうできない。

けっこう難しいものだ。

 

徳永英明といえば「風のエオリア」も好きだ。

これ、エオリアっていうエアコンのCMソングだった。

 

 

 

 

 

以前の会社で同僚だったSさんと約1年ぶりに池袋で会ってきた。

最初にSさんのお気に入りの店にいった。

西口路地にある大衆焼肉コグマヤという店。

以前も一度入ろうとしたことはあったのだが、人気店のようで

満席で入れなかった。

今回の席はほとんど埋まっていたようだが二階席は空いていた

ようなのでそちらに通された。

肉がなかなか旨い。

レバーなどを中心に一時間ほど堪能したら店をうつる。

 

北口方面に歩き。世界の山ちゃんに入る。

手羽先と山ちゃんサワーを味わう。

ここでも小一時間くらい消費。

 

 

〆はラーメンにゆくことにした。

世界の山ちゃんの並びにあるラーメン屋へ。

 

 

『環七土佐っ子ラーメン』

東京都豊島区西池袋1-39-4佐久間ビル1階

 

 

店内はテーブルとカウンターだっただろうか、あまり憶えていない。

 

土佐っ子ラーメン 900円

 

 

 

スープは背脂醤油。

麺は中太

トッピングはチャーシュー、ねぎ、たまご、メンマ

 

いい具合のコクなるスープで、呑んだあとでも麺がスルスル入る。

だけど、これで900円はちょっと高い気がする。

旨いには旨かった。

 

前回、元連合赤軍の植垣さんについての記事を書いたが、

植垣さんのことを思うと、つい反射的に元オウム真理教の

最高幹部だった上祐さんのことも思い出してしまう。

 

自称フリージャーナリストを名乗っているだけあって、

歴史的事件をしる人物とは直接会ってみたいという興味があり

もう7年ほど経つが、上祐さんのところ(ひかりの輪)に

個人的取材へゆき、上祐さんとふたりで30分から1時間ほど

対話したことがあった。

(詳しくは2017年2月28日と3月2日にアメンバー記事『J』で

書いてアップしている。これまでコメントでやりとりさせて頂いた

事がある人はアメンバー申請をしていただければ承認させていただくので

ご覧頂きたい。ネトウヨとかに拡散されたくないのでアメンバー記事に

したが上祐さんと撮った写真なども載っている)

 

面談会場にいったついでに元オウムの人達(ひかりの輪の人達)と

ちょっとだけ話をする機会があった。

 

上祐さん曰く、ひかりの輪は特定の人や物を崇拝する宗教ではなくて

思想教室だとのことで、信者といういい方は違うのかもしれないが

そこに集まっている人たちはまじめそうであり、そして、

どこか弱っている印象を受けた。

 

ひかりの輪は今でも公安から監視の目をうけているが、そこにいる

人たちを見て思ったことは、はっきりいって

 

「とてもじゃないがこの人たちじゃ、国家転覆は無理」

 

といったところだった。

みんなとても弱弱しい。

こんなおとなしそうな人たちじゃテロはおろか、デモやストでも

おこせないだろうなと見えた。

頼むからそっと生きさせてくれ、といわんばかりの雰囲気を漂わせていた。

感じとしては週末のカルチャークラブの集まりといったところだろうか。

休憩時間にはお菓子を持ち合って食べながら談笑をしている光景が目に

残っている。

 

オウムはアレフとひかりの輪に分裂したが、ふたつの団体の大きな

違いは地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム事件について

教団の犯行だと認めているか、教団以外の存在の犯行だといまだに

信じているかにある。

 

アレフは今でも麻原信仰を続けており、地下鉄サリン事件は陰謀だと

主張している。

一方で、ひかりの輪は事件は自分たちの団体が起こしたことだと

認めている。

 

ひかりの輪は上祐さんの下の副代表にHさんという女性がいて、

Hさんともすこしだけ話をしたのだが、穏やかな女性で

とてもじゃないがあの事件を起こしたオウムとは結びつかない

印象だった。

 

話していて、まさかとは思ったが向こうから地下鉄サリン事件に

ついての話題を振ってきたのだ。

 

「(地下鉄サリン)事件のときは何歳くらいでした?」

 

オレは答えた

「まだ学生でしたね。19か二十歳くらいでした

 

「おどろいたでしょう?」

 

「はい、おどろきましたね……」

 

そのときのHさんの表情は本当に申し訳なさそうな顔を

されていた。

 

思った。

この人は自分自身が関わっていないにしても、あの事件が

自分たちの団体が起こしたことだとしっかり認めている。

アレフの人間は決して自分たちからサリン事件の話をする

ことはないだろう。

 

オレは人を見抜くプロでもなんでもないが、Hさんをはじめとする

ひかりの輪の人たちは、麻原を信仰しているアレフと本当に決別

したように見えた。

 

いやいや、ひかりの輪もまだまだ公安がついてまわっている危険な

団体だ。

ケンよ、洗脳されたか、騙されたか、という人もいるかもしれない。

 

疑い深いオレはそう簡単には洗脳されないし、騙されない。

あくまでメディアの情報だけでなく、自分自身で潜入して見て聴いて

話して感じとった印象である。

それをここで伝えたい。

 

ひかりの輪の人達について、今でも麻原を信仰しているじゃないかと

疑われるのが嫌ならば、そこで群れず、個人で思想なりヨガなりやれば

いいじゃないかという声も聞こえてくる。

でも、人間て弱いんだ。

だから、オウム真理教にも入ってしまったんじゃないだろうか。

 

 

副代表のHさんと話したあとはいよいよ代表の上祐さんとの対話になった。

 

事件当時、メディアであれだけ露出して、記者や視聴者をけむに巻いた

人物である。

実際目の前にすると独特のオーラがすごかった。

本当はオウムについての質問がしたかったのだが、ついつい圧倒されて

しまい、社会的な価値観についての質問しかできなかった。

 

どんな質問をしたかというのは当時のアメンバー記事で書かさせてもらった

のでここでは書かないが、オレがしたどんな質問にもすぐ答えが返ってきた

のはやはりかなり頭がいいのだと改めて感じた。

 

ひとつ感じたのは、元オウムの最高幹部にしては上祐さんは珍しく

麻原に洗脳されていないということ。そして麻原にたいするイエスマンでは

なかったということ。

 

最高幹部時代、上祐さんはテレビで教団を守るためにいくつもの嘘を

ついた。それは本人も認めている。

 

ただ、考えるのは嘘をついた理由として、上祐さんが守りたかったのは

教祖である原彰晃ではなく、自分の居場所だったんじゃないかということ。

つまり、オウム真理教という居場所だ。

 

今、上祐さんは多くの動画チャンネルやロフトプラスワンのイベントとかに

出演している。

そしてオウムや麻原のことについて、どんどん話している。

テロの匂いなど欠片もしない。

もはやタレントの域である。

 

これはもう麻原思想と完全に決別したどころか、自分の団体の維持費が

稼げるならば、麻原の秘密とかどんどん発信しようという考えではないだろうか。

 

つまり上祐さんは、もう、オウムではない自分の居場所を完全に見つけた

のである。

だからテロなどは微塵も考えていないだろう。

今考えているのは、ひかりの輪という自分の居場所を守りぬくことだけの

はず。

 

オウム時代、よく嘘をついていたのは教団を守るため。

麻原が逮捕されたら教団はなくなる。

自分の居場所を守るため、教団を守るために、麻原を擁護するような

ことばかりいっていたととれる。

 

上祐さんと直接至近距離で向き合って話したけれど、オーラは

感じたが、宗教家としてのカリスマ性は感じなかった。

だから麻原みたいに爆発的にひかりの輪の生徒を増やすことは

きっとできないのではないだろうか。

 

文化人の宮﨑学も本で書いていた。ひかりの輪に危険性は感じられないと。

オレも実際、上祐さんやひかりの輪の人達に会ってそう感じた。

 

 

 

 

でも、引き続き公安の監視の元に置くことには賛成だ。

上祐さんは教団の最高幹部時代に嘘をついてきたのは事実。

一般の人からすれば、まだまだ信頼できないだろう。

逆に公安がついていたほうが近隣の住民の人達も安心じゃないだろうか。

 

結論 

上祐さんが今本当に守りたいのは麻原信仰ではなくて、ひかりの輪と

いう自分の居場所。

 

ひかりの輪の人達も麻原による被害者なのだと思える。

信頼して入った団体の上のほうの人間が人殺しをやっていた。

本人たちも相当なショックを受けたに違いない。

それどころか未だにアレフと同類に思われている。

 

あくまで個人的な考えだが、ひかりの輪の人たちは、麻原信仰から

抜け出したということはオレは評価していいと思う。

ただ、世間の目はそう甘くはないだろうが、それは仕方ない。

自分の意志でとはいえ、あれだけの大きな事件を起こした教団に

入ってしまった事実はあるのだから。

 

以上、実際、上祐代表本人とひかりの輪の人たちと会って

見て訊いて感じたことのルポ。

 

そうそう、youtubeで上祐さんについて画像を検索していたら

TBS系、クレイジージャーニーでもおなじみの危険地帯ジャーナリスト

の丸山ゴンザレス氏が、上祐さんをゲストに迎えてのトークをやって

いて、観てみたら見応えあったので動画を貼りつけておく。

オウムについてたくさん語っていた。

お時間があるときにでもご覧いただきたい。

1動画は約30分。

 

上祐さん、危険性はもう感じないんだけれど、最近だんだん

露出がバラエティ寄りになっている気がする。

もうちょっとニュースや情報番組系にでて、テロやカルトの

危険性について情報発信したほうが信頼アップにつながる

気もするのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、オレ個人これからも事件の生き証人的な存在の人がでてくれば

個人的な取材に出向きたいと思う。

 

偏ったメディアや、まかり通った一般論には惑わされたくない。

極力、自分自身の目で見て、耳で聞いて判断したい。

 

もっとも恐ろしいのはテロではなく、世の中の偏見とイメージである。

流れてくる情報を外野で信じるのは簡単だ。

だか実際自分の足で確かめにゆくのはパワーと度胸がいる。

 

 

 

先日静岡の記事を書いていたら、同じ静岡つながりで「ふしぎな酒場スナックバロン」

のことを思い出した。

 

スナックバロンとは元連合赤軍の植垣康博さんが経営している酒場である。

訪問してからもう6年くらい経つのか。時間の流れは残酷だ。

当時の記事は下。

 

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誰かが店にいったことをブログにでも書いていないかと思って、スナックバロンで検索して

みたらいくつかヒットしたのだが、タイトルを見ると「スナックバロンが閉店」とでている

内容が多い。

 

なんだと。閉店だと?

 

いろんな記事を読んでみると、どうやら植垣さんの体調がかなり悪いらしく、

店をやっていくのが不可能になったようである。

 

そうだったのか、オレが行ったときは植垣さん、とても元気だったが、やはりあれから

6年も経つと体調も変化してきてしまうものなのだな。

まずは健康第一で、植垣さんの体調が心配である。

 

落ちついたころ再訪して、また連合赤軍の話を聞きにいきたかっただけに店が無くなった

のも残念だ。

 

歴史の生き証人と直接話をするのは面白い。

 

教科書には載っていない歴史、偏ったマスコミが報道しない真実を植垣さんは語って

くれた。

刺激的だった。

歴史的な事件や事故において、教師や評論家などの第3者が話すことよりも

渦中にいた第1者が話す内容のほうが、ずっと真実をついているし、核もついている。

 

もう、店はたたんでしまっているようなので、植垣さんが復活しても再営業は

難しいだろうが、元気になったらまた植垣さんからどこかで話しを聞きたい。

 

とりあえず植垣さんのご回復を願っている