2024年2月27日、大学院に進学して一年目の春休みに、かねてより実行したかった「自転車で京都から千葉の家まで行く」という大冒険に出発した。
一日あたり大体180km走るとして、一日目は豊橋、二日目は沼津、三日目は最終目的地の柏まで走るという目標を設定した。
各日の最終目的地において、快活CLUBで寝るものとした。
一日目(2/27)
出発当日は天気が悪くて雨やらみぞれやらが降っていて天候の回復を待っていたことと、前日は労働で遅くまで起きていたことから、京都を出発するのは13時過ぎとなった。
結局、待っていても雨はやまず、雨具を着て出発した。
いつものように山中越を行くほど気分があがっていなかったので、南下して国道1号線を走ることにした。
瀬田のアルプラザで小便をした。
ありがとう平和堂。
平和堂のE-WA!どら焼きが好きです。
栗東市手原で国道1号線から国道8号線に分岐し、道中の道の駅 アグリの郷栗東で豆腐休憩。
豆乳ドーナツとまるっぽ豆腐(もめん)を食べた。
まるっぽ豆腐は極めて細かく破砕した大豆から作る豆腐で、おからが発生しないという特徴がある。
胡麻豆腐くらい濃厚で重ために感じたが、特に強い味はなくて食べやすかった。
少しざらっとしていたような気もする。
豆腐ドーナツも、もっちりしてやさしい甘みがあっておいしかった。
豆腐休憩を済ませてからは近江八幡市にある国道421号線の端点を目指して北上した。
北風が強くて苦しかったが、雨はほとんどやんでいてよかった。
その後、国道421号線を行き、道の駅 奥永源寺渓流の里まで走った。
石榑トンネルまで上り坂ではあるが大したものではなかった。
道の駅は定休日であり、そもそも到着時にはもう18時を回っていて、営業日であっても閉まっている時間だった。
持参したハスの佃煮と、塩抜きして電子レンジで再糊化させた酢飯を食べた。
米は老化するとおいしくなくなるので、早いうちに食べるのがよい。
食べ終わったら石榑トンネルまで上り切り、トンネルからは下り坂の快走路となった。
三重県いなべ市まで駆け下り、そのまま桑名市まで国道421号線を走り切った。
最後には桑名駅のあたりに出た。
割と大きめの建物がたくさんあったので、ここは大津と同じくらいの都会だなあと思った。
県庁所在地の津市より栄えているかもしれないと思った。
そこからは国道1号線に復帰し、名古屋を目指した。
揖斐川、長良川、木曽川を越えて「ついにこんなところまで自転車で来てしまったのか」と感慨深く思いつつ、河川生態系に強い影響を与えている悪名高き長良川河口堰を目にして負の感情を昂らせた。
名古屋に到着したことに達成感をおぼえつつそのまま進みながら、そろそろ夕食を食べたいと思ったので、チェーン店以外で、1号線沿いでまだ営業時間に余裕のありそうな店が現れることを期待しながら走った。
23時過ぎに安城市で0時閉店の中華料理店を発見したので入店した。
たくさん料理を食べつつ脂質を摂りたいと思ったので、油淋鶏と春巻きと焼き餃子を注文した。
油淋鶏は鶏の唐揚げに甘酢だれをかけたという感じで、しょうがやねぎなどの刻んだ香味野菜はかかっていなかったが、鶏のもも肉2枚分が出てきてすさまじい量だった。
味にも大満足であった。
春巻きは小麦のパリッとした皮にひき肉と春雨とキャベツの炒め物が巻かれたもので、私の母がよく作ってくれたさつまいも入りのものほどのおいしさではなかったが、一般的な春巻きとして特に文句はなかった。
焼き餃子は強い味こそないものの、野菜の甘みが感じられておいしかった。
これだけ食べて1144円という圧倒的安さ。
よい店だった。
ぎりぎり0時までに食べ終わって退店した。
遅くにありがとうございました。
エネルギー補給が済んだところで、一日目の目的地である豊橋に向けて残り2時間強頑張ろうと走り出した。
豊橋に入ると、4回生の秋にポケモンサークルの仲間たちと豊橋総合動植物公園へポケモン化石博物館の企画展を見にきたときに通った場所に来て、あのとき仲間のひとりが「この国道1号線が京都の五条通までつながっているんだなあ」と呟いたことを思い出して、「今、その京都からここまで自転車でやってきたんだ!」と感慨深く思った。
そうして豊橋には着いたのだが、泊まろうと思っていた快活CLUBを見つけられないまま、風に背中を押されて静岡県に達した。
母が送ってくれたポーチ入りのポケモンmeetsメリーチョコレートをおいしく食べて休憩し、浜松市の快活CLUBを目的地にすることとした。
浜名湖を通り過ぎて、午前4時前にようやく快活CLUB 浜松都盛店に到着し、シャワーを浴びて寝た。
とはいうものの、フルフラットシートのブースが空いてなかったためマッサージチェアで妥協することになり、大して眠れなかった。
5時前に寝て、無料の食パンを二枚食べてまた寝た。
二日目(2/28)
10時ごろに出発した。
朝食を十分に摂れていなかったので、11時ごろにやってきた袋井市で静岡名物である炭焼きレストランさわやかに入った。
以前さわやかに来たときはおにぎりハンバーグをオニオンソースで食べたので、今回はげんこつハンバーグをデミグラスソースで食べた。
生肉らしい容易には噛み切れない歯ごたえを堪能した。
ソースなしでもおいしそうだが、ソースのおかげでセットのライスが進んだ。
ハンバーグを食べても疲れと睡眠不足による倦怠感は払拭できなかったが、だからといって進まないで休んでいるわけにもいかず、頑張って走った。
道の駅 掛川が道沿いにあったので立ち寄り、三河湾のアオサ粉を買って、大判焼きと掛川産いちごソフトクリームを食べた。
ソフトクリームはいちご入りの氷塊が混ざったような印象で、ちょっと微妙だと思った。
食べ進めるといちごの無いミルクソフトの部分が出てきて、これは文句なしにおいしかった。
ミルクソフトとしては掛川のジャージー牛乳100%ソフトクリームが提供されていて、これが氷塊を混ぜる媒質となっているのだと予想された。
大判焼きはもちもちの生地の中に、どら焼きに入っていそうなつぶあんが入っていておいしかった。
糖質を補給してもやはり体は重く、苦しさを感じながら金谷峠に向けて坂を上りだすと、パンクしたのか、ほどなくして自転車の後輪の空気が抜けてしまった。
自転車をこげなくなって不幸なのか、あるいはきつい峠道で自転車を押して歩く口実ができて幸いかなどと考えながら、島田市の金谷駅あたりにある自転車を目指して険しい峠を歩いて越えた。
おそらく、もし自転車が無事だったとしても、このときの体力では急勾配の上り坂で足が止まっていたように思う。
歩きだったので景色を写真におさめる余裕があり、富士山が見えたところで写真を撮った。
1時間強歩いてやっとこさ自転車屋まで来たが、なんと営業していなかった。
田舎なので薄々そんな予感はしていたが、辛い気持ちになった。
大井川を越えたところにある別の自転車屋を目指すことにして、まずは体力と気力を回復させるべく食鮮館タイヨー 栄町店で補給をおこなった。
静岡のご当地パンだというのっぽパン、静岡の郷土食である黒はんぺん、焼津市の入万横田金平商店の伊達巻を買って食べた。
のっぽパンはまあ普通の菓子パンだなと思ったが、一個¥170なので高く感じた。
かねいわ商店の黒はんぺんはカタクチイワシの煮干しのような味で、食感も煮干しを感じさせるものだったが、原材料の魚はサバとタラらしい。
伊達巻は大変おいしく、我が好物なのだと改めて感じた。
新大井川橋を渡って東詰の自転車修理店を訪ねたが、ここも営業していなくて悲しい気持ちになった。
最後に島田駅の南の浦川サイクルという店にたどり着き、店主さんに17時ごろ自転車と望みを託した。
なんとか直してもらったが、タイヤ交換はできなかったため、元の古びたタイヤのパンクの修理にとどまり、「このあと100m走ったらまたパンクするかもしれないし、そうなっても知らない」とのことだったが、もう峠を抜けて市街地まで出てきたし、恐れていてはスピードを出せないと思い切って、何も考えずに走ることにした。
この日はパンクのせいで自転車をこがずに歩いていた時間が長かったことが幸いして、自転車で走る体力は回復していた。
19時前に島田を発ち、沼津方面へ向かった。
藤枝市と静岡市の境である宇津ノ谷峠はさほどきつくなく、上りも下りも気持ちよく走ることができた。
清水区興津から清水区由比の西倉澤までは、自転車進入禁止でこそないがどう考えても危険である富士由比バイパスを怯えながら走った。
西倉澤で踏切を渡るとバイパス脇の東海道に出ることができ、道なりに行って県道396号線を走ることにした。
補給したかったので22時頃、夕食を食べられそうな店を見つけて入った。
ラーメンとチャーハンのセットと、揚げ餃子を注文した。
ラーメンは豚骨ラーメン、チャーハンはニンニク炒飯を選んだ。
ラーメンのスープは想像よりあっさり目で、ちゃんぽんのそれに似た印象を受けた。
麺はスーパーで買える袋麺のような、あまり硬くない縮れ麺だった。
炒飯には刻んだにんにくがたくさん入っていて、生っぽい辛さを感じた。
とかなんとか言ってるけど、普通においしかった。
¥1180で満足できた。
食後、31km走って沼津の快活CLUBまで来たが、なんと工事中で営業していなかった!
幸いにも4km先に快活CLUB 三島店があったので、そこに転がり込んだ。
今回はフルフラットシートでよく眠ることができた。
三日目(2/29)
8時間ほど寝て、最終日は10時に行動を開始した。
まずは補給のために伊豆 村の駅でみしまコロッケぱん、大美伊豆牧場のクリームまんじゅう、牧之原の深蒸し茶、特濃ミルクソフトを食べた。
みしまコロッケぱんは、三島馬鈴薯100%使用で黒胡椒の効いたポテトコロッケにソースを吸わせ、中華まんに似たふわふわでもっちりした白いパン生地で挟んだもので、おいしかった。
クリームまんじゅうはカスタードクリームの入った蒸しパンのような印象を受けた。
萩の月感はない。
牧之原茶はいやな味が全く感じられず、非常においしかった。
ソフトクリームは重たく感じるほどに濃かった。
さらに、エブリィビッグデー 三島南店で黒はんぺん2種と豆腐を買って食べた。
丸六の黒はんぺんは少し甘く、軟らかくほろっと崩れるような食感で、はんぺんらしい弾力は弱めだった。
一方、山下の黒はんぺんは固めで、少し苦さがあった。
食事を済ませて力が湧いてきたところで箱根峠を越える覚悟を決めた。
京都市内の順当にきつい峠である花脊峠(京都市中心部側)に比べると、箱根峠(静岡側)は距離が少し長くて勾配はやや緩いらしく、花脊峠を惰性で上りきることのできるわしなら、たとえ辛くなっても上りきれるだろうと踏んでいた。
実際、やはり勾配は想像より緩く感じられたのでだらだらと上ることができた。
上の方は結構雪があった。
道の駅 箱根峠では春華堂のまんじゅう2種と、ゆずらしき柑橘を購入した。
箱根路みそまんも、八丁みそまんも順当においしかった。
八丁みそまんの方はサービスエリアなどで見かけて気になっていたので、こうして食べる機会がやってきてよかった。
八丁味噌を使用したお菓子は大抵ちゃんと八丁味噌の風味を感じられるので好きだ。
柑橘は最初なんなのかわからないままビタミンC補給にと思って購入したが、食用とは考えられないほど種が多かったことと香りからゆずだと判断された。
おやつ休憩をしてさらに下っていたところで再び上りになって大変だったが、なんとか国道1号線最高地点まで頑張ってこいだ。
それ以降は完全に下りだったが、神奈川側は観光地化されていて、先頭を走る観光バスに律速されて速く下ることはなかった。
神奈川側は道が狭めで勾配もきつい印象を受けた。
観光地らしく、道沿いにたくさんの店があって面白そうだったが、遊んでいる暇はなかったし天気も崩れ始めていたので、立ち寄りはしなかった。
走り続けて茅ヶ崎まで来たところで、イオン茅ケ崎中央店で休憩した。
横浜市の会社のつくる関東風と関西風が両方入った桜餅があったので購入して食べた。
関東風の薄い餅は老化が進んだのか固かった。
手持ちのお菓子はここで全部食べ切り、気合いを入れた。
茅ヶ崎を出て横浜市に来るといよいよ雨が強くなり、一旦サミットストア 権太坂スクエア店で休憩して雨具を着用した。
サミットは柏に無いので、松戸に行ったときには利用して、休憩させてもらった恩をいつか返そうと思った。
雨具・ザックカバーをまとい、国道1号線の起点である日本橋を目指して再出発した。
都心部は地味な起伏、信号が多く、曲がる箇所も多かったので、あと少しのはずなのになかなか着かないように感じて苦しんだ。
29日の22時半ごろ、ついに日本橋に到着。
濡れて、疲れて、もう補給しなければ進めないと思い、iPhoneで周辺の飲食店を探していたら段々と体力が回復してきたので、結局補給無しで家までの30km強の道を行くことにした。
日本橋を発ち、新日本橋のあたりで道路標識に「柏」の文字が現れたとき、ついにここまで来たかと最終決戦へ向けて感情を昂らせた。
しかし、雨具を着ていても靴と靴下はもうびしょ濡れになっていて大変寒く、信号待ちで止まるだけで寒さがこみあげてくるのを感じた。
この寒さを紛らすため、熱くなるような歌を歌いながら国道6号線を走り抜けた。
Clear Mind、BELIEVE IN NEXUS、明日への道〜Going my way!!〜、ウルトラマンガイア!、ガイア・ノ・チカラ、Supernova、Burning My soul、JAM Projectの曲などを歌いながら自転車をこぐ変な人になった。
6号線で行くところまで行って、いよいよ最寄り駅のあたりまで来たら、5D'sのテーマ、遊星テーマ、遊星バトルなどを鼻歌で歌い出し、勝利を確信したかのような気分でついに家にたどり着いた。
家に入ると午前1時前だというのに母が起きてきてくれて風呂を追い炊きしてくれた。
入浴後、何も食べないまま水だけ飲んで就寝した。
翌朝起きると、大変ありがたいことに冷蔵庫に料理が入っていて、おいしくいただいた。
米は二合くらい食べた。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
~終~
1日目
2日目
3日目
このあと、千葉から京都への復路は高速バスを利用した。
もともと、今回の旅の目的のひとつは自転車を千葉の家用に置きにくることであった。
大学に入学するときに購入してから5年弱乗りまわし、もうガタが来ていると自転車屋にいわれ、新たな自転車を購入する転機が訪れていた。
これまで乗っていた自転車を修理するより、新たな自転車を買った方が安くつきそうだったため、既存の自転車は千葉で軽く移動するとき用に置いておき、京都で新しい自転車を購入しようという考えである。
それを果たすために、この自転車で京都から千葉まで行く必要があったのだ。
道中で一度パンクしたとはいえ、よく頑張ってくれたと思う。
今度帰省したらタイヤ交換くらいはしよう。
この自転車は今まで色々なところに私を連れて行ってくれた。
琵琶湖博物館に行きだしたのを皮切りに、滋賀県全域、京北、美山、芦生、京丹波、若狭、敦賀、吉野、熊野、伊勢、摂津、丹波、播磨と、本当に色々な場所に行くことができた。
この自転車と共に積み重ねた経験を糧に、今後出会うであろう数多の困難を越えていきたい。
そして、この旅のもうひとつの目的として、3/2に東京で開催された第一回関東エメラルドフェスタへの参加があった!
つづく