築城 1582年 谷衛友
廃城 1871年
城郭 陣屋
天守郭 なし
標高 114m 比高 0m
知名度 ★★★☆☆☆
満足度 ★★☆☆☆☆
遺構度 ★★★☆☆☆
疲労度 ★☆☆☆☆☆☆
山家城(山家陣屋)は1582年に谷衛友によって築かれたと伝われる。谷衛友の父谷衛好は斎藤龍興に仕え、のちに羽柴秀吉に仕えた。
1578年には播磨国平田城にて6000石を領していたが、三木城攻城中に戦死、谷衛友は父の仇を討ち6200石の加増を受けた。1600年関ヶ原合戦の時は西軍に属して丹波田辺城攻めに参加さはたが、細川藤孝の斡旋により許され所領を安堵された。
しかし1628年に谷衛友が死去した後に谷衛政の代に弟谷衛冬1500石、甥の谷衛之2500石、谷衛清に分知され藩の石高は10000万石となった。
山家は山地が多く、稲作に適していなかったため、林業や特産品である黒谷和紙が藩財政を支えた。
明治維新の動乱においては、いち早く官軍方に恭順を示した。1871年廃藩置県により廃城となった。
13代続いた谷氏も華族になった。
宇治の自宅から北へ片道約70kmに位置に山家城があります。山家城といえば長野県にもあるが、、まさか長野県の山家城より後に訪問するとは😅
国道9号線を走るとこの看板が📍の位置です。
ここから800m先に駐車場があります。
ここは90度に曲がっています。
【駐車場】
数台は停めれるかな。
【表御門】
駐車場スペースの目の前に表御門。模擬門櫓があります。
門櫓を潜って先に鎮守があります
【鎮守】
守神かな。小さな社があります。
公園の東側を歩きます
【東御門】
縄張り図を見るとここに御門あとがあったみたい。
遺構としてはよくわからない。
更に奧へ井戸跡が見えます。
【井戸跡】
おお井戸跡が(笑)こんな囲いだとよくわからない。落ちる人いるのかな?
井戸の中、、水が溜まっていて良かった😅
山家陣屋の北側から西に向かって歩きます。
一段下がった曲輪から回り込むと
【石垣】
石垣が見えてきた😍
2段になっている石垣。さすが陣屋だど明治時代まで使われている事もあらり良く残っている。
べつの角度からの石垣。
山家陣屋の西側を南に向かって歩く🚶♂️
この先が番所だったのかな?
西側には空堀が見える
【空堀】
空堀、少しヤブ化しつつも良くわかる
【西曲輪】
空堀の奥に土塁を越えた所に曲輪がある。
これはなんなんだろうか?
山家陣屋はこのぐらいにして、ちょっと山城があるから登って見よう。
以上でサクッと山家陣屋は終わります😀
次回は甲ヶ峯城へ