ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロなど弦楽器の良し悪しを見分けるには、値段とメーカー名を伏せて試奏し、最も気に入ったものを選ぶのが最良の方法です。
しかしながら、よほどの自信家でもない限り不安になってしまいますよね?

そのため知識を集めるわけですが、我々弦楽器業界は数百年に渡って楽器を高く売りつけるため、怪しげなウンチクを広めてきてしまいました。

弦楽器の製作に人生をかけたものとして皆さんはもちろん、自分を騙すことにも納得がいきません。
そこで、クラシックの本場ヨーロッパで働いている技術者の視点で弦楽器を解明していきたいと思います。

とはいえ、あくまで一人の専門家、一人の製作者としての「哲学」ですから信じるかどうかは記事をよく読んでご自身で判断してください。


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こんにちはガリッポです。


前回安価な戦前のザクセンのヴァイオリンの表板を直しました。
裏板はチェロのように厚く、周辺には削り残しがありましたが、修理代が高くなるので削り直すことはできません。これでどうなるでしょうか?

出来上がってみると新しい楽器とは違う鳴りの良さがあります。音は角があり尖っていて強さを感じます。明るい響きは抑えられ低音が強く深みがあります。このような「暗い音」はうちでは求めるお客さんが多いものです。暗い音で強さがあるというのですから基本的にはよく売れるものです。もし日本で全く違う評価がなされるとしたら、音なんてそんなものだということです。
実際、初心者用の弦を使っているお客さんが高級弦を求めて来店したときに、「明るい音が良いですか、暗い音が良いですか?」と聞くと「暗い音が良いです」と答えるのはいつものことです。そうなるとピラストロ・オブリガートから試してみてくださいということになります。

自作の新作楽器では板の厚みが音色の明るさに影響することが分かっています。しかし量産楽器や古い楽器になると何がどうなってその音になるかよく分かりません。

職人は、イタリア以外の楽器なら値段を技術的な面から説明できます。なぜその値段になっているか、安価な楽器は安上がりな方法で作られているということです。しかし音についてはなぜそのような音になっているか説明はできません。

それに対して弾いてみるしかないということになりますが、弾いても評価する方法も人それぞれで定まっていません。つまり楽器の音の良し悪しをはっきりと判定する方法すら確立していないのです。
10人中10人が、100人中100人がこの楽器の音は悪いとか、この楽器の音が良いということは言えないのです。
したがって技術者としては楽器の音を判定することはできません。

値段についてはイタリア以外のものなら製造技術によって説明ができます。

イタリアのものについては、商業的な理由でしか説明はできません。


このヴァイオリンはピアノを弾いてきた人がヴァイオリンを始めるそうです。修理の結果壊れたところは直り、音は出るので練習することは可能でしょう。駒のカーブが正しくないと弓がほかの弦を触ってしまいます、駒が高すぎるとE線を抑える時に指が痛いです。ペグが止まらないと調弦ができません。音自体については好き嫌いでしかありません。
裏板が厚すぎることも、音が悪いとはっきりわかるほどではありませんでした。広いホールなどで上級者が弾けば差は出るかもしれませんが、初心者が部屋で弾くくらいなら特に問題は感じないでしょう。

表板も仕上げ直したことでどう音が変わったかは、それ以前が分からないのでハッキリしません。しかし弓の操作による音の反応は現れるようになったのではないかと思います。
そういう意味で修理としてはコストパフォーマンスが高かったと思います。

結果として出てきた音は鋭く尖った音です。その前がどんな音だったのかは壊れていて分かりませんが、バスバーを交換するとマイルドになることを経験しますので、それ以前はもっとひどかったのかもしれません。なぜ鋭い音になるかは理由は分かりません。

鋭い音の楽器はこのような安価な楽器にもあるように、決して珍しいものではありません。したがって、ヴァイオリン族の弦楽器というのは鋭い音がするものだという事でしょう。そんな楽器を使っていることもありますが、初心者や子供の演奏を聴けば鋭い音がしていることが多く、先生くらいになると柔らかくて豊かな音を出しています。

こうなると柔らかい音がする楽器が希少で、なぜそんな音になるのか調べたほうが良いかもしれません。ところが、柔らかい音の楽器と同じ特徴を持つものでも鋭い音がすることがあります。オールド楽器では柔らかい音のものがあります。しかしオールド楽器でも鋭い音のものがあります。板の厚みやアーチ、ニスの特徴でも音が柔らかい楽器の特徴は見出すことができません。


いずれにしても鋭い音がすることは決して珍しいことではなく、柔らかい音の方が珍しいということですから、鋭い音が好みなら安価なものでもいくらでもあります。一方柔らかい音のものを好む場合は難しいです。新作楽器なら、まだ寝ぼけた様なおとなしい音で甘く聞こえますが、時間とともに鋭くなっていくことでしょう。

鋭い音の楽器を使っていると耳障りな音が嫌に感じるかもしれません。聞いている方がもっと感じます、鋭い音で下手な演奏はまさに近所迷惑です。ヴァイオリンが難しいというイメージができている所以です。

一方で柔らかい音の楽器をずっと使っていると手ごたえが感じられず物足りない感じがするかもしれません。オーケストラ奏者では舞台上で不満が出てきます。妙な改造パーツに飛びつくマニアも出てきて変な音になっていたりします。
傷んだ古い楽器では元気よく音が出ません。修理後は前と比べればよくなったと感じるかもしれません。それで満足するかどうかは心理学の世界です。

どちらにしても不満は出て来るし、満足する人はどちらでも満足できます。

基本的に音が出やすい楽器は優れた楽器と言うことができます。柔らかいよりも鋭い物の方が強く感じます。機械で同じように作られた同じメーカーの量産楽器でもものによっていくらか柔らかかったり鋭かったりします。好みによって選ばれます。

寒気がするくらい鋭い音のものでも、コツを身につけているのか柔らかい音を出している人がいます。だから結果として出てくる音は弾く人の影響のほうがはるかに大きいというわけです。
その弾き方で他の楽器を弾くとうまく音が出ないでしょう、それは練習用としては特殊すぎます。それも運命と言えば運命です。

音の評価が不確かなのはこんな状況だからです。自分で音が良いということを定義づけることで初めて語ることができるようになります。言ってくれれば共有することができます。
しかし他の人は当然別の定義となります。

不確かな「音」で値段をつけることはできません。それに対してほとんどのイタリア以外の楽器なら製造技術で値段を説明できます。それに対してイタリアの古い楽器は取引相場で考えます。私が仕事を始めたころは、同じような製造水準のモダン楽器がイタリア製なら他の国の3~5倍くらいしていましたが、今なら5~10倍くらいです。20年ほどの間にそれだけ値段が上がっていますが、音はそのままです。市場での値段の付き方はものすごく極端になります。職人たちは投機目的で加熱し楽器相場がバブルになっていると声を上げるべきでしょうが今のところはお金の力にかき消されています。
オールド楽器は独特な音があるでしょう。しかし、500万円や1000万円の予算では焼け石に水です。イタリア製に限るとただの中古品しか買えません。もっともっとお金が必要です。となると現実的な対処法が必要です。このことでは日本などは遅れている方でしょう。韓国、中国や台湾が日本の後をなぞっていくことでしょう。


今回の修理でもザクセンの量産品の中でも安価な楽器であることは確かです。古いということを考えても20万円が限界です。今回以上の修理を施す価値はありません。しかし100人中100人が音が悪いということはできません。ちゃんとヴァイオリンのような音は出ますし、むしろ強く音が出ます。値段や技術を知らずに弾いたら音が良いと思ってしまう人が出てくるでしょう。

職人が見て良い楽器とか安い楽器というのがありますが、演奏者はそれと違うものを選んでしまうことがよくあります。我々も思い込みで音を解釈してえこひいきをしてしまうものです。


一方、技術的に面白いのは表板の音への影響は大きく、裏板は厚すぎてもそれほど問題にならないということです。むしろ使う人によってはプラスに作用する可能性もあります。横板の厚みも通常の倍近くあり、横板が厚い方が良いという噂もあります。噂になるのはたいてい派手な趣味でしょう。
実際に裏板が厚すぎる楽器はたくさんあります。木材が表板よりも硬く薄くする作業が大変なので途中で投げ出してしまいます。すごく音が悪いかというとそうも言えません。今回の修理はとても合理的なものだったと言えるでしょう。
























こんにちはガリッポです。


前回修理のために表板を開けたヴァイオリンです。

バスバーは木材を取り付けておらず、そこだけ表板の一部を削り残してあります。


バスバーと表板の年輪の線がつながっています。一つの木材だからです。
板の厚みも正確に出されていません。
削り残しが多いので一部を除いて厚すぎます。バスバーの付近と周辺は特に削り残しが多いです。駒の来る中心が厚すぎるのでかなり厳しいでしょう。

表板の割れを直せば新品の状態には戻せますが、これで練習するのは酷です。表板を開けて閉めるだけでもお金がかかってしまいます。
それならいっそのこと表板を削り直して、バスバーを新しくしたほうが良いでしょう。

フレームに固定して表板にストレスがかからないようにします。表板の歪みが無いので接着面を合わせるのも楽です。

元のものとは大きな違いです。
技術的に見て安い楽器と高い楽器の違いはこんなところにあります。

裏板の周辺にも削り残しがあります。裏板も厚くチェロのようです。これじゃ子供用のヴァイオリンと実質同じことです。ただし、音は好みなので子供用のヴァイオリンのような音の方が好きな人が全くいないとは言えません。

裏板も隅まで削って薄くすればさらに「普通のヴァイオリン」に近づくことでしょう。しかし費用が掛かり過ぎます。表板は特に音に影響が強いので表板だけを改造修理することにしました。コストパフォーマンスが最大になる修理ということです。

横板の厚みは2mmあります。普通は1mm強で、チェロ以上です。
およそ楽器の振動が全体に伝わって行かないことでしょう。表板だけでも鳴れば鳴らないよりは良いでしょう。

表板を削り直すと分かってくることは、弾力が出てくることです。始めの状態では表板はとても硬くびくともしません。それが多少弾力が出てきます。厚みを仕上げ終えてもまだ硬いです。ザクセンの量産楽器の場合、表板や裏板の外がの周辺部分の溝がほとんど掘られていません。そのようなことも硬さの原因になっていると思います。

なぜ裏板は厚すぎるとはいえ仕上げてあるのに対して、表板は仕上げていなかったかと言えば、f字孔からのぞいた時に裏板は見えるからです。表板の内側は全く見えません。それだけの理由です。音がどうとか考えてやっているわけではありません。
また安価な楽器の多くはどちらかというと板が厚いです。
ですから「板が厚いのが本物だ」とか「安い楽器は板を薄くして安易に鳴るようにしてある」というのは嘘です。このような嘘の知識を語る人は他のことも嘘かもしれません。安易に鳴るようになるならぜひするべきですが、薄いからといって鳴るわけでもありません。



うちの工房ではこの前、ミルクール製のチェロのバスバー交換をしました。ミルクールの量産品ではありますが、プレスではない無垢の木材のもので、下手なハンドメイドの楽器と変わらないくらいの質のものでした。音は金属的な耳障りな音で長年売れずに残っていました。これではどうにもならないと同僚がバスバーを交換することになりました。

出来上がると金属的な耳障りな音は軽減しました。しかし依然として鋭い音は残っています。柔らかくなった上、楽器全体が大きく響くようになり、2段階くらいスケールがアップしたような感じがしました。値段は2万ユーロくらいのものです。チェロにしては手ごろであり貴重なものとなりました。

なぜバスバー交換でそのような変化があったのでしょうか?力が表板全体にじわっと分散するようになったからでしょう。それ以前はただ金属的な音がするだけでした。

バスバー交換によって音の鋭さがマイルドになりました。しかし逆にすることはできません。バスバー交換で音を鋭くすることはできません。

またなぜそのチェロがそのような鋭い音を持っているのかはわかりません。


そのミルクールのチェロにはイタリアの作者のラベルが貼られています。イタリアの作者は独学で学んだ人で、そのチェロはプロが作ったようなものなので違うことが分かります。同じ作者のヴァイオリンを見たことがありましたが、素人が作ったようなものでした。その素人のような作者のチェロなら1000万円を超えるでしょう。しかし楽器の質が高くがうまく出来過ぎているのでニセモノだと分かります。量産品以下の出来なのが本物です。

この修理では耳障りな音と、楽器がうまく機能して鳴ることの違いも分かりました。離れて聞いてる人のほうがよく分かって弾いてる本人には分かりにくい違いなのかもしれません。演奏者の方が鋭い音を好むことが多いです。弾いてる人には鋭く感じられ、聞いている人には柔らかく感じられるものが理想かもしれません。実際多いのはその逆です。聞いている方は黒板をひっかくような寒気のするような音でも本人は平気だったりします。

健康的にはなりましたが、依然として鋭い音を好む人に合ったチェロのままです。楽器の音は好みの問題なのです。


弦楽器は弓、弦、駒、表板、裏板など弾力を持ったものの集合体になっています。今回のようなヴァイオリンでは弾力が皆無です。表板は多少ましになりましたが、裏板はチェロのような厚さで周辺に削り残しがあり子供用の楽器のように実質的に一回りも二回りも小さいものと変わらないことでしょう。魂柱をグラグラに入れるといくらかましになるかもしれません。

板の厚い硬い楽器に、強い張力の弦を張り、重く硬い弓で力でギュウギュウ鳴らすというのでは変な癖がついてしまう事でしょう。音の話とはそれくらいのことです。

「普通の楽器」で練習をすることの重要さが分かってもらえるでしょうか?

こんにちはガリッポです。

こんなヴァイオリンが持ち込まれました。
いくらくらいの値打ちのものでしょうか?

古びた感じがします。
普通のヴァイオリンですね。

ヴァイオリンの形をしています。

スクロールには繊細な丸みがあります。

表板に割れがあります。もう少しで魂柱のところに達してしまいます。今のうちなら簡単な修理で済みます。これが駒の下まで達すると修理は高額になります。

表板を開けるとこのような感じです。

最低ランクのものでした。今ならもっとましな中国製品が10万円もしない値段であることでしょう。
バスバーは取り付けて無く、削り残したものです。内側の面は仕上げられていません。

戦前のマルクノイキルヒェンの量産品の安価なものはこんなふうに作られていたものもありました。今では機械で作られるようになったので同様のものは新品ではありません。

このような割れが生じる原因は、表板の下にナットという黒檀(安い楽器では他の木材)の部品が取り付けられています。時間が経つうちに表板が縮んでいくのに対してナットは縮まないので割れが生じるというわけです。

防ぐ方法としては、伐採されて間もない木材ではなく、長く置いたものを使う。ナットはぎちぎちに入れるのではなく、緩いくらいにします。私は隙間が空くくらいにしています。

この楽器では板の厚みのムラも割れの原因になっているかもしれません。


とはいえ現代の中国製のものでも開ければひどいものです。

量産楽器の音?


先日、先生と生徒がヴァイオリンを探していました。仕事をしながら音を聞いていましたが、先生が量産品を試すとさすがにどれも良い音がしています。
参考までにと1万ユーロを超えるものを試したいと先生が言うのでいつくか用意しました。
そうすると高価なものの方が、大人しく、控えめで、ぼんやりとした様な音でした。量産品の方がはっきりとカラッとダイレクトな輝かしい音でした。


安価な楽器の方がダイレクトで輝かしい音がし、高価なものの方が控えめでマイルドな音がする理由もわかりません。仕事の粗さが音の荒々しさにもつながっているようです。均質になっていれば弦から伝わった振動や弓の圧力が楽器全体に分散していくことでしょう。言い換えると表板にはばねのような弾力があり特定の振動が吸収されているわけです。一方ガタガタに作られていれば力が伝わりません。楽器全体にじわっと力がかかるのではなくすぐに跳ね返ってくることでダイレクトで手ごたえのある音になるのではないかとも思われます。

この説によれば楽器全体を大きく使って音が出るのが上等な楽器で、小手先で刺激的な音が出ているのが安い楽器というわけです。ダイナミックな演奏をする人では、楽器の性能差のように感じられます。ダイレクトな音は離れて聞くと、か細く聞こえます。しかし小手先の手ごたえも弾く人にとっては無視できず弾いてる本人の方が意外と安価な楽器を褒めていたりすることがあります。ナイロン弦の進化により、耳障りな嫌な音は低減し、上品で優雅な貴族趣味が失われ、むしろの最近の好みでは安価な楽器のような音の方が好まれるようになってきたのかもしれません。
とはいえ私はどんな楽器が分かって聞いているので思い込んでいるだけなのかもしれません。


穏やかな大人しい音のもので、本当にただ単に鳴らないものなのかもしれませんが、それが数百万円だという知識を持つことで良い音だと思い込まされてしまうこともあるかもしれません。
そういうことが怪しいなと私は気付き始めたところです。

左はマルクノイキルヒェンの戦前の量産品で、右が20年前に作られたハンドメイドのヴァイオリンです。これはお客さんが使っているものでちょっとした修理のために来ました。明かに量産品のほうが良く鳴ります。音には深みがあり味わい深さもあります。ハンドメイドの方は調弦するために弾いただけでも重たい感じがして鳴らないのがすぐにわかります。
低音は圧倒的に量産品のほうが良いですね。現代のハンドメイドの楽器はAとE線の高音は出るようです。低音が出ない「明るい音」の楽器です。日本の営業マンなら豊かな低音を「こもり」と説明する力技もあるかもしれませんね。
お客さんの楽器を預かるとこういうものが存在することを知ることになります。
現代の方も20年経っているので新品ではないですが、とにかく楽器が硬い感じがします。音はマイルドです。

何人かの演奏者が集まって、値段などを知らせずにこの二つのヴァイオリンを弾き比べたら、量産品の方が圧倒的だという空気になることがあると思います。新品のものならもっと差は開くことでしょう。そういう経験を私はブログでも話してきています。

この量産品とよく似た楽器でチェルーティのラベルが貼られて80年代に数百万円で売られていた記録の残っているヴァイオリンもありました。私たちが量産品であることを指摘しなければ、持ち主は本物のチェルーティだと思っていて気付かないことでしょう。事実を告げるのは心が痛みます。

しかしさっきの話だと、上等な楽器の方がおとなしく、控えめで、あいまいな音がするということもあります。高い楽器の音はそういうものだと言われると、下衆なものではなく上品な音のようにも感じられます。

量産品は音が悪く、ハンドメイドのものが音が良いと信じられているかもしれません。この時なされる根拠のない説明があります。
量産品は複数の人が部品や工程ごとに作業を分担して作っているので、「作者の意図」が無いため音が悪いというような説明があると思います。それについて私は、ハンドメイドの楽器でも作者が意図して音を作るのは難しいので当てにならないと現実を説明しています。

それに対して今回の写真のように安価な量産品はちゃんと作っていないということを知るべきです。逆に言えばちゃんと作ってあれば量産品でも音が良い可能性が十分あります。作者を神格化して高い値段で楽器を売るために都合の良い理屈が肯定されてきました。
一方ハンドメイドで一人の職人がすべての工程を手掛けたとしても、急いで雑に作ってあれば量産品と同じことです。量産品のような音のするハンドメイドの楽器を高い値段で買うのはバカバカしいと思いませんか?
私は、ハンドメイドであるということに特別な価値を感じません。

作者の意図とは関係なくたまたま音が望ましいものができることがあるということです。このような偶然のようなことはバカにできません。人によって求める音も違うため、相性の問題となります。ある程度ちゃんと作ってあればどこの誰が作っても既に「良い楽器」であり、音は好みの問題でしかありません。職人はそのように品質で楽器を見分けています

これに対して営業上がりの楽器店は、作者の名前や生産国で楽器を区別しています。このため、同じプロでも全く別の見方をしています。営業マンは作者の知名度が高いと「良いもの」と考えます。ストーリーを語ることでセールスがしやすくなります。
一方職人は品質が高ければどこの誰が作ったものでも「良いもの」だと考えます、音は好みの問題で誰か気に入る人が現れるだろうとその程度です。
このためコレクターが名品を持っていても、職人には笑われているかもしれません。
職人はそのような教育を受けるため品質が高いほど音が良いと思い込んでしまう職人が出てきてしまいます。

これも音を判断する上で紛らわしいことの一つだと思います。
実際オールド楽器では荒々しく作られたものでも数千万円、億単位の値段がついていたりします。デルジェスなんてそうですね。アマティやストラディバリはきれいに作られていますが、荒く作られているデルジェスやモンタニアーナのチェロなどもそれと並ぶものとなっています。

そこまで高価なものでなくても荒く作られたもので音が良いものは経験します、必ずしも荒く作られた楽器の音がダメで、丁寧に作られた楽器の音が良いというわけでも無いということになります。
ていねいに作られた楽器でも耳障りな音のものはたくさんあります。少なくともていねいに作るほど音が良いというわけではありません。



弦楽器の業界では値段ばかりの話をして良い音とか音が良いとは何なのかということは、真剣に考えられてこなかったと思います。そのことを当ブログでは投げかけています。
「良い楽器=音が良い」ということも当然のことではありませんでした。そのような思い込みがあるなら弦楽器のことをもう少し知ってほしいと思います。
ヴァイオリンは現在とは違う時代に、違う国で作られ、今でも独特のカルチャーの世界です。現代の日本で生まれ育った時に自然と身についてしまう常識を捨てることがより理解することになるでしょう。


楽器の音が分かるようになるには演奏者に技量が必要です。誰が弾いても鳴る楽器もあれば、ツボにはまると鳴る楽器もあります。
そのためには、練習用のヴァイオリンが必要ですね。完全にニュートラルな特性のヴァイオリンで腕を磨いて、それで理想のヴァイオリンを探すのが良いかもしれません。しかしニュートラルなヴァイオリンなんて思いつきません。500年の歴史の中で平均的なものを作ることはできますが、音は平均にはなりません。私が作ると私独特の音になってしまいます。

そんなものがあれば学生さんなどには最適なものなのですが、これを買っておけば間違いないというものが思いつきません。

熱心な親御さんは自分の子供が有利になるような何かとんでもなく優れた楽器を欲しいと思っています。現代の教育熱でそのような需要がありますが、嘘でも需要に応えればビジネスになるでしょう。それでとんでもない高価な楽器を買ってしまいます。製造する側からすれば現実ではない幻想の話です。ごく普通のなんでもない楽器を本当は選ぶべきなのかもしれません。


私一人にできることはありません。
私が作る楽器では、「古い楽器のような」とはっきりと目指すものを表明しています。同じ音は無理でも系統としては近いものになるでしょう。

人によって違ういろいろな良い音がごちゃ混ぜになって趣味趣向の方向性なども分類されていません。業界全体として私利私欲を超えて語られるには程遠いことでしょう。


こんにちはガリッポです。


ネックが折れたチェロですが、保険に入っていたおかげで修理代が出ます。修理代はチェロの値段に近いくらいですが、技術的には修理できます。

この前のヴァイオリンとは継ぎ目の方式が違います。

状況によっていくつかやり方を選ぶことができます。



チェロになると作業は膨大です。

GDPを成長させ経済を豊かにするには生産性を高めることが必要です。こんな面倒な作業をせず新品のチェロに買い替えを薦めるほうが仕事が楽です。新しいチェロを発注するだけで済みます。
粗悪品を高い値段で売れば所得が向上します。壊れたらまた新しいものを買えば良いでしょう。労働時間を短くして所得を増やせます。お客さんからすればどうでしょうね?
弦楽器以外の分野では現実の話です。ヴァイオリン職人だけが昔のままです。


このチェロは木材の感じが中国産で、おそらく中国製でしょう。外側はわりと綺麗に加工されています。中を覗くと中国製だなという感じがします。2003年に販売されたもので20年以上経っています。20年経った自動車を新車価格ほどの修理を施す人がどれほどいるでしょうか?

ニスは中国の家具のような濃い赤茶色で戦前のザクセンの量産品や西ドイツのものとは違う感じです。
赤茶色のニスの上に分厚く透明なニスが塗られています。これがプラスチックのような人工樹脂なら、プラスチックでコーティングされているようなものです。プラスチックは柔らかい素材なので響きは抑えられるかもしれません。それでチェロらしい深みのある「暗い音」になる可能性もあります。何がどう転じてその音になるかは予測がつきません。試奏して選んだチェロなので新しいものを探すのはまたまた大仕事です。


指板を新しくする必要があるかも問題です。指板はうまく外れる時と外れない時があります。このような量産品で木工用ボンドのような化学的な接着剤を使っていると剥がれなくなることもありますし、指板の質によっては剥がそうとすると裂けて割れてしまうことがあります。

難しいのは修理を始める前に見積もりを保険会社に提出するのですが、やってみないと分からないことが多くあります。
今回は指板も新しくすることになりました。
今回は休暇を取った先輩の仕事を引き継ぎました。

仕事を引き継ぐと同じ工房内なのに、自分とはやってることがだいぶ違います。

このようなテンプレートの型は写して作ってあるのでそんなに変わりません。しかし指板のカーブは私が加工する時とずいぶんと違いました。

彼は先輩であるだけでなく自分でもチェロを弾きます。私はチェロのことは分からないので、与えられた型に忠実に作業しています。先輩は仕事が速いのですが、こうやって仕事を引き継ぐと型には忠実に仕事をしていませんでした。いちいちチェックはせずに見た目の感じで丸みを出していたのでしょう。断面にするとかなり丸い感じがしました。職人の仕事はそのように、いちいち測ったりしてチェックしていると時間がかかってしまいます。規格に忠実でなくても、感覚で仕事して、演奏上問題がなければいいわけです。自分もチェロを弾く人なので、私が注意をするわけにもいきません。

以前から先輩のチェロの指板は丸すぎると思っていましたが、先日音大生が丸すぎて弾きにくいと教授にも言われたと持ってきました。作業する間、代わりに私が仕上げた指板のついたチェロを貸し出すと、そっちはとても弾きやすいとのことです。

私には断面が丸すぎるように見えても、先輩にはそのようには見えていないのでしょう。社長にそのことを指摘してもよく分からないようでした。
職人の間でも人によって見える見えないに差があるようです。自らがその楽器を上手く弾くとしても見えないと分からないです。感覚でやっていると慣れてしまいベテランほど癖が強くなっていくということもあるでしょう。
先輩も社長も気付かない問題が私には分かっていても、工房内で誰にも理解してもらえないということです。

そのため私が削り直しましたが、一度削りすぎてしまっているものを直すのは無理でした。新しい指板なので薄くすることもできません。

メンテナンスの場合には、それ以前に加工された指板が、使用によって摩耗するとそれを削り直します。この時完全に理想的な状態にすると、指板が薄くなりすぎてしまいます。そこで、最小限の削り取る量で、ビリつきなど現実として問題が出ないようにします。

立体の形が見えるか見えないかは職人によって差があります。このような違いも、楽器の音に違いが出る原因なのかもしれません。つまり意図的にできないことです。

職人の演奏がうまいからと言って任せて安心というわけでもありません。

指板を加工するだけでも宇宙のような広い世界を感じます。指板は先端が狭くなっているので、未だによく分かりません。カンナを理想的に調整しても自動的にうまく加工できません。こまめにチェックしながら加減をする必要があります。私はカンナの調整は普通の人とは全く違う厳密さでやっています。それでも理想通りには機能しません。突き詰めるほどなぜ上手くいかないのかわかりません。それに対して、常識レベルの職人は、あいまいな仕事をして、お客さんからクレームが来たら、ビリつく原因となる所をいじって適当なことを言ってごまかせばいいというわけです。実際にコントラバスになると、まともに加工していたらとんでもない作業量になります。昔はチェロでもC線のところだけを平らな面に加工していたのは、理想的に指板を加工するのではなく問題が出たら対処療法でごまかすという方法でしょうね。

指板加工を極めてそれだけの専門家として仕事ができれば面白いですけども、そういうわけにもいかないので、よく分からないまま現実として仕事をしています。指板もそれくらいのものです。

理想的に指板を加工することは不可能かもしれませんが、指板を加工するのは仕事としてはとても多いです。何とかならにないものかと思います。


別の話題です。

こんなヴァイオリンもありました。シェーンバッハと書いてありますが、ボヘミアの代表的な産地で現在チェコのルビーという所です。
ラベルはついておらず、この作者についても資料は何もありません。この人の家族については、自分の名前で楽器は売らず下請けのような仕事をしていたようです。

かつてネックが外れる故障があり雑な修理がしてありました。困ったものです。
悩んでいる時間がもったいないので上部ブロックを交換しました。

ボタン(裏板の突起)を新しくしています。

丸みのあるモデルでf字孔も個性的ですね。

アンティーク塗装で一枚板が使われています。オレンジが鮮やかで古い楽器には見えにくいですね。

スクロールも個性的?
個性的と言うこともできますが、お手本通りきれいに作られたものではないとも言えます。

ボヘミアでは大規模な工場ではなくても、それぞれの家に作業場があって、すごい速さで楽器を作っていたようです。作者名もつけずに販売者に卸していたようです。開けたことで中に名前が書いてあることが分かりました。
この楽器では内部の接着部分に甘い所があります。

ニスもテカテカのラッカーのような感じです。
工場ではなく家で作っていたなら個人の作者の楽器です。しかし、工場製の量産品か、ハンドメイドで急いで作ったものか区別する必要はありません。品質から見ると中級品であり、今の相場でも50万円位でしょう。

イタリア以外のものは「ハンドメイド」であっても特別高価になるわけではなく品質によって値段をつけます。イタリアの戦前より前の作者のものは品質に関係なく相場で値段を決めます。


しかし表板や裏板の厚みはきちんと出されていて、アーチも変な癖がありません。ボヘミアのマイスターのものと音響的に重要な部分は変わらないようです。
このようなものはとても珍しいので我々はおっと思うわけです。

実際に150万円くらいするボヘミアのマイスターの楽器のように20世紀の楽器らしく明るくまずまず鳴ります。それが50万円くらいですからコスパは良いですね。
しかし完璧に作られてはおらずニスも安っぽいです。これがマイスターの高級品との違いです。このようにイタリア以外の楽器は技術的に値段の違いが説明できます。

技術的な楽器の見方と音もだいたいあっている感じです。
しかし明るい音が良いのかどうかも各自の自由ですし、明るいというのも私個人の印象でしかありません。私は貴重なものだと思いますが、試奏した人は何とも思わないかもしれません。



次はこれ

私が若い頃に作った二コラ・リュポーのコピーです。長年チェロ奏者のコレクターが持っていて今は音大生が使っています。今になって音が変わってきました。音大生もこの楽器でする演奏を楽しんでいるそうで職人として何よりです。

アーチはとても平らです。
私はアーチは高くても低くても何でも良いと考えています。弾く人が個別の楽器をどう思うかだけです。私は基本的に「〇〇は音が良い」とか「××は音が良くない」と思われていることがあっても根拠がないことは否定しています。ブログ開始以来ずっとそうです。
何か特定のものを良しとしているわけではありません。



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こんにちはガリッポです。


イタリア製の冷凍豚まんを買ってきました。パッケージには漢字で猪肉と書いてありましたが豚肉のことです。中身が少なめですが日本の肉まんと味はほぼ同じです。こんなのが買えるようになるとは渡欧した当初とは変わったものです。
こういう蒸し饅頭は世界中にあるようで中身がいろいろ違います。韓国や台湾製のあんまんもあります。


今回はトリノのヴァイオリン製作の話です。
現在はイタリアのピエモンテ州の州都で、自動車産業など工業都市となっています。

トリノのヴァイオリン製作では一番古い時代にはジオフレド・カッパ(1644~1717)がやってきました。誰の弟子かははっきりしませんが、この人はアマティ的な楽器を作った人で一派を形成します。
同じ流派には南ドイツのフュッセンから来た、エンリコ・カテナリがいて、カッパの弟子にはスピリト・ソルサーナ、ジョバンニ・フランチェスコ・チェロニアティなどがいます。

その後、ジョバンニ・バティスタ・グァダニーニ(1711~1786)がやってきます(以下G.B.グァダニーニ)。この人はヴァイオリン職人ロレンツォの息子でピアチェンツァ、ミラノ、パルマなど各地を転々としたのちに、最後はトリノで生涯を終えます。イタリアオールドの作者の中では後の方の時代で、ヴァイオリンの値段は2億円にもなります。
G.B.グァダニーニには息子が何人かいますが、ヴァイオリン職人を継いだのはジュゼッペですがその前に独立していてトリノには来ていないようです。

トリノに残った息子のカルロとガエタノはギター職人です。
このため父のG.B.が1786年亡くなるとトリノにはヴァイオリン職人がいない空白期間になります。

その後1810年頃に、アレサンドロ・デスピーネ(1782-1855)とニコラス・レテがやってきます。
デスピーネはスイスで生まれフランスで育ちパリで医学を学び、ヴァイオリン製作も学びます。医者の家族とともに1810年頃トリノに移り、自分は歯医者として働きます。顧客には王家の人たちもいて高い地位を持っていたようです。アマチュアのヴァイオリン職人としては最も高価な作者でヴァイオリンなら3000~4000万円位になっています。裕福な人たちと交友関係があり、職人と顧客を結びつける役割も果たしたことでしょう。

同じころに、フランスのミルクールからレテ家のニコラスがやってきます。レテ家はミルクールでも力を持っていて様々な楽器の販売を手掛けていました。販路を築くためにヨーロッパやアメリカの各地に拠点を持って進出していました。ニコラスは妻とともにトリノに「レテ・ピレメン」という会社を作ります。ミルクールの楽器や古い楽器を販売するとともに、修理と製造も行いました。主力はオルガンで、小型のものですが、ギターや擦弦楽器も扱いました。ギターについてはカルロとガエタノのグァダニーニ兄弟に協力を得ていたようです。カルロの息子、ガエタノⅡとフェリーチェには擦弦楽器部門つまりヴァイオリンを作らせるように仕向けたそうです。

レテとデスピーネとグァダニーニ家はとても親密な関係にあって、大規模な楽器ビジネスを展開していたようです。

レテはミルクールから従業員として人を呼びます。少なくともヴァイオリン職人だけでも数十人規模だったようです。他の楽器や営業職やその家族も含めるともっと多いわけです。レテ・ピレメンでは主にオルガンの製造を主力としていました。ギターはグァダニーニが携わるというわけです。ヴァイオリンも作っていて、ミルクールから来た職人が安価なものも量産していたようです。イタリアには量産工場は無かったと言われているかもしれませんが、実はトリノに工場がありました。当時トリノはフランスの支配下にあり、当時はフランスだったとも言えます。ミルクールで途中まで作ったものをトリノで仕上げたことも行われていたようです。トリノでは、レテ・ピレメン社が楽器業界の中心だったようです。

ニコラス・レテが亡くなると、会社はオルガンと擦弦楽器に集中するようになります。ガエタノⅡとフェリーチェのグァダニーニ兄弟とレテ・ピレメン社の関係が続きます。ジョバンニ・フランチェスコ・プレッセンダはこのレテ・ピレメン社でミルクール出身の先輩らにヴァイオリン製作を習います。プレッセンダは古い本にはクレモナでロレンツォ・ストリオーニに師事したと書かれていますが、2000年以降の本ではこれが否定されています。もともと農業をしていたプレッセンダは40歳くらいになってレテ・ピレメン社でヴァイオリン製作を学んでいます。

のちのプレッセンダのヴァイオリンとガエタノⅡ・グァダニーニのモデルがとても似ていることからも、この3社の関係が密であったことが分かります。さらにデスピーネも関わっています。

プレッセンダは独立後もフランス人の職人を弟子や従業員として何人も使ってフランス的な楽器を作っていました。さらに弟子にはジュゼッペ・アントニオ・ロッカがいます。

このように、トリノでは一度ヴァイオリン製作が途絶えてしまい、フランスから弦楽器製作がもたらされました。このためトリノのモダン楽器はフランスの影響が強いことが特徴です。私も実際にロッカのヴァイオリンを見たときにはフランス的な楽器だと思いました。

このようなことも最近の複数の本には書かれています。
19世紀にはフランスが弦楽器界をリードしていたということです。

このようにかつてはプレッセンダはストリオーニの弟子で、ストラディバリ以来の伝統を受け継いで、ストラディバリに匹敵する才能を持ち、楽器が古くなれば次世代のストラディバリになると誤解されたため、値段が高騰しました。
ストラディバリに楽器が似ているのは、フランスの楽器製作の基礎を学んだからです。しかしよく見ると、ガエタノⅡ・グァダニーニのモデルによく似ているように思います。ガエタノⅡのモデルはG.B.のものを元にしているようです。これを当時のフランス的な考え方でモディファイし、近代的なヴァイオリンに作り変えました。このため祖父のものとは全く雰囲気が違うフランス風のものになっています。

フランスでは量産品と一流の職人の楽器とではランクの差をつけてあると説明してきましたが、トリノではグァダニーニブランドのものと量産品と差別化をしていたようです。このためイタリアの楽器には珍しく、フランス的な精巧さで作られています。

このようなガエタノⅡのヴァイオリンのスタイルが確立するのに、フランス出身の職人たちの影響が大きいはずです。グァダニーニ家の従業員については記述はありません。しかし、ミルクール出身の職人の果たした役割が大きいことでしょう。その後、アントニオ・グァダニーニの時代になるとさらに典型的なフランスのヴァイオリンになります、作っていたのはフランス人の従業員だと分かっています。ミルクールで途中まで作られたものを仕上げたものも売っていたそうです。

1975年の本にはプレッセンダがストリオーニの弟子だと書かれていますから、30年もしないうちにそれが否定されました。しかし楽器の値段は高騰を続け、今では、5~6000万円位になっています。ミルクールの流派の楽器としては異例の高値ですね。笑ってしまいます。

このように知識は変わっていきます。
今の知識も未来には変わってしまうかもしれません。そのため大事なのは「言葉」によるイメージではなく、楽器そのものだと思います。職人は流派の特徴や作風、クオリティが分かります。しかし音は自由です、音楽家であれば、セールスマンの話すことではなく音に耳を傾けるべきです。

ですので、トリノの歴史についてこれ以上詮索することは意味が無いでしょう。
モダンのトリノ派は単にフランスの流儀で始まった流派だとすればいいでしょう。


こんな子がいました。
うちのお店には、エンリコ・マルケッティという作者のヴァイオリンがありました。異常なヴァイオリン熱を持った家族がやってきて、コンクールの地方予選を控えた息子のためにそのヴァイオリンを購入しました。マルケッティはグァダニーニ家で修行して、初めはわりとまじめなフランス的なものを作っていましたが、晩年はやっつけ仕事でいい加減な楽器になっていきました。当時でも500万円くらいして驚いたものですが、今では800万円もします。両親は身なりも地味で特別お金持ちという感じではありませんでした。
息子はいかにも理系タイプの中高生という感じで、インターネットで調べてマルケッティがあのグァダニーニの弟子だということを知り、喜んでマルケッティを購入しました。音はギャーと賑やかな感じで量産楽器のような鳴り方でした。それまで使っていた量産楽器と音の出方が近いので弾きやすいのかもしれないと私は思いました。

でも歴史をもう少し知っていると、G.B.グァダニーニの伝統は途絶えて、ミルクールの職人によってヴァイオリン製作が再開されたことがわかります。楽器のクオリティが分かると、仕事はいい加減になっていて、見事なフランス風のモダングァダニーニのレベルには無いことが分かります。同じ値段なら一流のフランスの楽器が買えました。

その後大学に進学するとヴァイオリンの演奏を全くやめてしまいました。

こういう中途半端な知識なら無い方がましだというのがいつもの話なのですが、理系の人というのはものに興味が強いはずなのに、意外と言葉に弱いことがよくあります。だったら、音楽にしか興味がない人の方がまともな買い物をすることがあります。中高生で汚い商業の世界を知ってるわけもないので無理も無いんですけども。


また別の理系の人は「良いヴァイオリンの弦は何だ?」と聞くので何かのはずみでエヴァピラッチゴールドの名が挙がりました。そうすると自分はヴァイオリンに詳しいと思っているのか、それ以来自分や家族、知人の楽器にはみなエヴァピラッチゴールドを張らせていました。新作楽器、古い上等な量産楽器、オールド楽器何でもかんでもエヴァピラッチゴールドです。
そしてまた新たに知人の楽器のメンテナンスをすると何の弦を張るかということになって「エヴァピラッチゴールドは良い弦か?」と聞いてきました。その質問に対して「そうです、良い弦です」と師匠は答えました。しかしそれはピラストロ社の高級弦の一つであるという意味です。ナイロン弦のセットでは最も高価なものです。

理系で頭が良いなら、楽器や演奏家ごとにマッチする弦が違って試してみなければ分からないということがなんで分からないのかと不思議に思います。同じような経験を理系の分野ではしたことが無いのでしょうか?それとも「美」という概念は理系の経験では全く相いれないものなのでしょうか?
その人は理系の世界でも複雑な思考は嫌い、手っ取り早く正解を聞きかじってきて知ったかぶりをしている人なのかもしれません。

デスピーネのビオラ



デスピーネ1825年製のビオラです。胴体は40cm、弦長は小型のビオラよりも短いものです。
一見してもフランスの一流の職人のようなカッチリした感じが無く甘い感じがします。しかしオールド楽器とは全く違いモダン楽器になっています。モデルはストラディバリとは関係なく、注意深さはありませんがその後のトリノ派の感じはあります。

ニス自体はオレンジのものですが、木材が古く汚れもたまっているので茶色に見えます。実物は大きいので大味な感じがします。ニスはガエタノⅡ、フェリーチェのグァダニーニ兄弟に塗らせることもあったそうです。それとて、多忙な経営者本人なのか従業員なのかもわかりません。

アーチは駒の来る中央は比較的高さがあり、上と下はかなり平らになっています。フランスの楽器の特徴でもあります。

ネックは継ネックはされておらず、継ぎ足して長くしてあります。しかしそれでも長さが短く弦長はかなり短くなっています。
有名なイギリスの楽器商から買ったものだそうですが、修理の仕事がいい加減です。

スクロールの仕事には繊細さが無く、アンバランスです。



全体にアバウトで自由な感じです。一流のフランスの作者のようなカチッとした感じがありません。ストラディバリの特徴もありません。エッジの縁が黒く塗ってあることだけが、フランス流ですね。

不思議なことに「イタリアっぽさ」を感じます。フランス式の楽器製作を学び、仕事が甘いとイタリア風に見えるのでしょうか?
フランスでは一人前の職人とはみなされないレベルがイタリア風ということでしょうか?

これが3000~4000万円すると考えると、値段について何の法則性も見出せません。何の情報もなく楽器を見ただけなら、さほど腕の良くない人が作ったビオラでしかありません。


板の厚みはアバウトできちっとした規則性が見出せません。全体としては厚すぎることは無いため、問題はないと思います。

アマチュアが作った中ではうまい方でしょうかね?それが4000万円もするのは技術面からは意味が分かりません。

少なくとも職人が見たときには、並みの職人にはまねのできない名工による渾身の作品では決してなく凡人が作った楽器という感じがします。

過大評価?


デスピーネよりもはるかに腕が良いもミルクールの職人たちは全く無名なまま、なぜかこの作者は有名になっています。当時も、高い地位を持っていて、自分よりもはるかに腕が良い職人たちよりも偉い立場にあったことでしょう。
職人でも腕が良い人が偉くなって出世するとは限りません。下手な人が支配的な立場になることもあります。職人よりも高い地位を持っていたことで上から目線で職人たちに接していたことでしょう。

人間の社会は、職人の技能に対して特別な尊敬を持っているわけではありません。

またトリノのモダン楽器製作の歴史を見ると、現代のアパレル産業のような「ビジネス」の要素があります。それを現代になってストラディバリの再来と勘違いした人たちによって値段が高騰しました。


音は自由なのでこのような楽器の音が値段に見合っていると思う人がいるなら職人としては文句は言いません。しかし何千万円もするから音が良いと初めから思い込みを持っていて楽器が人生にとって大事なものだというのなら注意を喚起します。

このような高価な楽器を持っていても職人たちは「天才による見事な作品」とはこれっぽっちも思っていないということを知ってください。お金持ちのお客さんにこびへつらっているだけで、親身になって語ってはいません。


それに対してトリノ派でもプロの職人はフランス的な高い品質になっているものもあります。プレッセンダなどは値段も高価であり「イタリア的」な要素は少ないです。
イタリアにはフランスとはまったく違う美意識や価値観があり、フランス的なものは過剰なものとか邪道だと考えられているわけでも無いですね。イタリアのモダン楽器の中ではフランス的なものが高い値段になっています。でも本家のフランスの楽器の方が安いのです。

つまりイタリアのものならフランス的な作風を目指しても高い値段となり、そのレベルに達しないものも高い値段になるのです。

値段の付き方は産地や流派によって基本の値段があり、その中で腕が良いとか時代が古いとか差がつくという規則性がある程度見えてきます。イタリアという時点でまず価格帯がぐっと上がり、モダン楽器の中ではトリノが一番高い流派となります。その中で時代が新しい手抜き職人でも800万円になるというわけです。作者が不明(フランス人が作った)としてもトリノ派とかプレッセンダ派とか言って売られたり、偽造ラベルが貼られて売られてきたことでしょう。

このフランス的な作風は現在でも国際ヴァイオリン製作コンクールの基準となっています。クレモナで行われているものも例外ではありません。時代が現代に近づくほど、イタリアの優秀な作者の楽器は他の国の優秀な作者のものと酷似しています。フランスの楽器製作はトリノだけではなく、世界の楽器製作の基礎となっています。今の職人はそのことを知らないだけです。


私はこのような楽器に対しても興味津々で面白く、音は各自の自由です。
職人はどう思うかという事実を言ってるだけです。ご自分で考えてください。
こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを選ぶことがどういうことなのか想像しにくいかもしれません。
壁紙とかカーテンとか、布の生地を選ぶ時にも似ています。本のように束ねたサンプルの生地を見せられてその中から選ぶ場合です。すべての生地が少しずつ違うのですが何十枚も見ているとだんだんわかなくなってきます。楽器を弾き比べるのもそれと似ています。音もみな違いますが、それをどう把握するかも難しいです。

チェックの柄なんて面白いもので、色とか模様が無限にあります。音もそれに似ていると考えたらわかりやすいでしょう。こうなると機械のように性能とかそういうものではないと分かるでしょう。当然天才とか凡人とかそいうものでもありません。
何か特定の模様に限定すると探すのは困難です。かつて持っていたものと同じ柄を探すとなると製造していないとなって、時にはとんでもない高値になるかもしれません。柄の無い無地でも、生地の織り目が全く同じものを探すと、同じ機械で織ったものでなくてはいけないので手に入れるのは困難です。しかし他人からすればなぜその生地にこだわるのか謎です。ちょっと違ってもどうでも良いのではないかと思うかもしれません。

他の例えとしては、サッカーのワールドカップなどがあります。強豪国であっても、予選リーグで格下と思わるチームに負けて敗退してしまうこともあります。
個々の選手の能力は職人の腕前に例えられるかもしれません。一人一人が優れた選手でも、チームとして機能しなければ勝つことができません。弦楽器も、一つ一つの作業工程で、確実に正確な仕事をすると品質としては高くなり、値段も高くなります。しかし音でははるかに粗末に作られたものに勝てないかもしれません。そんなことはよくあります。
ましてや、サッカーならボールがゴールに入れば得点で、得点が多い方が勝ちという分かりやすいルールがありますが、さっきの布の生地の話のように、勝ったか負けたかさえよく分からないものです。

現代の職人は人それぞれ話を聞けば、いろいろな考えや理屈を話してくれるでしょう。しかし、いちいち相手にしてはいけません。画期的な音ではなくたくさんの音の一つでしかないからです。理屈を話すべきかどうかを私は迷っています。

ヴァイオリンというものはアマティ家によって形ができたときにはすでに完成していました。ですから少しずつ技術を解明して進歩してきたわけではありません。ヴァイオリンのようなものを作ったらヴァイオリンの音がしたのです。

料理のように砂糖を入れれば甘くなり、塩を入れれば塩辛くなり、酢を入れれば酸っぱくなるというふうに音を作ることができません。一つ一つの作業工程を完璧にやっていくと作業に時間がかかり値段が高くなります。
それに対して、大量生産品では何らかの方法で買いやすい値段にするように作ってあります。この時、音がどうなるかを分かっていてやっているのではなく、コストを下げつつ売り物になるものを作っています。
だからある部分をコストの安い簡易的なものに変更するとどのように音が悪くなると分かっていて作っているわけではありません。

そもそも音を良いとか悪いとか評価すること自体が難しいと冒頭で説明しました。誰にとっても共通するというのは難しいでしょう。

でも製品というのはみなそうです。
私は長時間立っていると足が痛くなってしまいます。それで靴にはすごくうるさくて見た目はきれいでも足が痛くなる靴はダメです。特にヨーロッパの靴はそうです。そんな話を現地の人にすると「軟弱だ」と言われました。靴の歴史が浅く、家では脱いでいる日本人は靴が苦手なのかもしれません。やたら日本人が幅広の靴を好むのも締め付けられるのが嫌なだけで、足自体の形ではないかもしれません。
つまり靴選びで私にとって重要な項目も他の人にとっては何でも無いことなのかもしれません。
立っていて痛くなるのは、足の裏の限られた箇所に体重が集中するものです。それに対して快適さが売りの靴にはクッションがついていたりします。それは私には関係ないです。もちろん値段の高い安いは関係ないです。

長距離歩くとなるとそれだけじゃなくて軽さや柔らかさが必要になってきます。でも柔らかいだけだと体重が支えられずに構造的に硬い所に体重が集中してしまいます。

体重がうまく分散すれば、一か所が痛くなることはありません。しかし素材が硬いと肌触りが硬く全体的に痛くなります。一方でふかふかのスポンジのような素材だと、履いた瞬間は柔らかいと思うのですが、体重でクッションが潰れ切ってしまうとそれ以上はクッション性が無くなるので意味がありません。

そうやっていい靴を見つけたと思っても10年後には同じものが見つからずまた振出しに戻ってしまいます。

店頭の試着程度ではわからないので買ってみないといけません、失敗するリスクを冒して未知のメーカーに手を出すか、夢の靴はあきらめて妥協するかです。


商品を選ぶというのはそういうものです。自分にとってしっくりくるものかどうかが重要なのです。

インソールとして売られているものは私にはゴミばかりです。不思議です、快適になるように研究を重ねているはずなのに、アシックスの靴に初めからついているものを超えるものがありません。工夫されているほど良くないようにさえ思えます。
アシックスの作業靴用のインソールを日本に帰ったときに買っておいてそれを加工すれば大概何とかなります。こうなると逆に見た目で靴を選べばいいというわけです。


一方消費者は誰か「専門家」に良し悪しを審査して格付けのようなことをして欲しいと思う人もいるでしょう。
なので、ヴァイオリン評論家のような職業を作って、その人の私見を発表すれば需要に応えてビジネスとなるでしょう。専門家が良いといったものと、何も言わないものでは実際は微妙な音の差しかなくても天と地の差があるような印象を受けることでしょう。
お金儲けしたければそんなことをすれば良いでしょう。

しかしそのことと、弦楽器の真実は全く別のことです。
消費者が物を購入するときは、私からするとはるかに軽率に行っていることが多いと思います。
そもそも「物」に関心が高い人が多くありません。なんとなく雰囲気で決めてしまうことが多いでしょう。そのため大企業は製品そのものではなく、イメージ戦略に多額の費用を費やしています。

それで買ったものに対して違和感も感じなければ幸せです。
世の中の人たちは忙しくて、いちいち身の回りのものの一つ一つに関心が無いことでしょう。何かイメージやセールス文句で良いものを買ったと思って疑わなければ良いのかもしれません。

楽器がそれほど重要なものなのかどうかそれが鍵になることでしょう。












こんにちはガリッポです。



知識として知るべきことは、有名な職人の名前ではありません。それをいくら知っていても弦楽器のことは全く分かっていません。むしろ知れば知るほど理解からどんどん遠ざかっていきます。知るべきことは弦楽器というのがどういう物かということです。

弦楽器というのはその時代の常識に基づいて作られています。でもなぜか一台一台音が違います。同じ時代の人たちは同じような考え方で作っていたので、個人の才能とかそういうものではありません。その職人が目指している音の特徴を出すために作り方を変えるというのは難しく、周りの職人が作っているのと同じようなものを作った結果、なぜかわからないけど音に違いが出るとそういう感じです。

現実には価格を安くするためや、職人の感性によっては雑に作られているものが多くあります。

つまり職人が生涯をかけて研究を重ね独自の音の境地に達し、一台一台全力で最善を尽くして作っているというのではなく、皆が作っているやり方を踏襲して、それが正しい作り方、音が良い作り方だと信じて作ってきたわけです。生活をしていくため売り物になるギリギリまで手を抜いて作っていた人もいるでしょう。産業とはそういうものです。

だから職人に話を聞くと音を良くするための秘訣をたくさん語ってくれるかもしれません。そのようなことは皆やっていることだったり、根拠が無いことだったりします。なので職人のしゃべることは信じずに音を確かめることが重要です。

最近よくマーケティング戦略を持ちかけて来る業者や個人がいます。今の若者はTikTokのような短い動画を見て情報を得ているので、長々として文章などはダメだと説明します。実際にデータで何パーセントの人がどんな行動をしているかを示すことも説得力があるでしょう。
ヴァイオリンを弾いている短い動画を載せて注目を集めて楽器を売れと言うのです。頭が古いと、そんな録音では実際の楽器の音は分からないのでダメだと考えるでしょう。
しかし特別な機材は必要なくスマホのカメラとマイクで収録すれば良いのです、なぜかというと見るほうもスマホで見るので音質などは関係ないのです。今の人はスマホが自分の目や耳、頭と同化しているわけですからそれ以外の世界なんて無いというわけです。スマホ上で良い音だと思えば良い音なのです。そんなバカなと思うかもしれませんが、見ている人の分母がけた違いに大きければそのような人も多くなるわけです。それがこれからの時代なのでしょう。

したがって面白い動画を作ったり、上手く自分をPRすることができれば職人としても知名度を上げて成功できるというわけです。

この時に職人は「〇〇だから音が良い」ということを語って人気を得ることでしょう。情報というのは実際にそうであるという事よりも、人々が求めているものが広まっていくのでしょうね。困ったものですね、

それに対して、私はいかに音を作るのが難しいかを熱弁しています。

頑固な楽器職人よりも、プレイヤーがやったほうが良いでしょう。音楽を演奏するよりも儲かるかもしれません。ヴァイオリン評論家とかテストプレーヤーいう新しい職業を作れば第一人者になれることでしょう。


ナポリの楽器製作の歴史


量産楽器のネックの修理とともにガリアーノのメンテナンスもしていました。

ナポリはイタリアの南部で、シチリアとともに古代から様々な勢力に支配されてきました。ヴァイオリンが作られる時代になってからイタリアが統一されるまでは、ほとんどの間はスペインの支配下にあったようです。スペインから統治するために副王が派遣されてきました。副王は城や宮殿を作っただけでなく、劇場や音楽学校を作り音楽の発展にも貢献しました。ベネチアと同様に男女の快楽の副産物(?)として生まれてきた子供たちを孤児院で育てて、音楽教育を施したのでした。優れた歌手やカストラートを輩出してヨーロッパでも有名になったようです。今の時代なら倫理感が滅茶苦茶ですが、芸術はそういう場所で生まれるのかもしれません。弦楽器も現代の人の常識で考えると理解は難しいでしょう。自分が納得できる理屈を求めるなら事実からは遠ざかっていくことでしょう。私はそれには絶対に応じません。めちゃくちゃなことがあって結果として美しい芸術が作られてきた歴史は私はものの考え方の基礎になっています。

カトリック教会=バロック芸術の総本山ローマからアレサンドロ・スカルラッティを招くとナポリ楽派の基礎を築きました。始めはベネチアから楽団を招いてオペラの演奏を行っていたのが、コメディのオペラを発展させ音楽界をリードするまでになりました。当時も音楽は殆ど歌もので、オペラや教会音楽です。演出や合間のために作られた弦楽器の曲はわずかにしか残っていませんが、とても美しいものです。バロックから古典派へと音楽が変わっていく「ミッシングリンク」のような作品も面白いです。
陸路の方が山賊が出て交通の便が悪かったようで、ヴェネチアなどと常に音楽家の行き来があったようです。


ナポリの弦楽器製作は、ガリアーノ家が重要な役割を果たします。
代表的な作者はガリアーノ家で占められてしまうでしょう。楽器製作は何世代も続き、近代のモダン楽器の製造法がなかなか伝わらなかった地域でもあります。オールドの時代とは変わっていて、なおかつ最新のものでもないという素朴なものが作られました。民族歌謡などの音楽も盛んでマンドリンを作っている職人が多かったようです。マンドリンの方がメインの職人もいた事でしょう。素人が作ったようなモダン楽器も作られました。

初代はアレサンドロ・ガリアーノで古い本にはストラディバリの弟子と書かれています。最近の本には何も書かれていません。楽器を見ても、ストラディバリとは全く共通点がありません。かなりフリースタイルで作っていますが、基本にはアマティがありそうです。アマティそっくりではありませんが漠然とその時代の常識的な楽器です。現代には決して作られないタイプのものです。私はコピーを作ったことがあって、ミラノのヴァイオリン製作学校の先生に見せたら目を丸くして驚いていました。

ナポリで生まれてナポリで亡くなったという以外にはどこにいたかもわからないのでしょう。ストラディバリどころかクレモナで修行したかどうかも定かではありません。ガリアーノ家の人の生まれた年や亡くなった年が本によってバラバラでよくわかりません。

研究が進むほど何もわからなくなっていくというのが弦楽器の知識ですね。より確かな知識というのは分からないということです。
アレサンドロ以前にもガリアーノ家やナポリの職人がいたのかもしれません。そうなると初代とさえも言えませんが、分かっている中では初代ということにしておきます。

アレサンドロの二人の息子が特に有名です、
ニコロ・ガリアーノとジェナロ・ガリアーノです。
ニコロはラベルはラテン語で書かれているので、ニコラウスとなっています。英語の本には二コラと書いてあるようです。いろいろな表記がありますが、アマティも二コラとかニコロでこれまでもあまり厳密に書いてきていません。同じ人だと思って下さい。
ニコロはさらにもう一人いるので二コラIと書かれていることもあります。二コラIIは孫です。

二コラIには4人の子供が職人として知られていてフェルディナンドとジュゼッペが有名です。
ジェナロはラテン語ではヤヌアリウスで同一人物です。


整理すると
(1世代)アレサンドロ
(2世代)ニコロ、ジェナロ
(3世代)フェルディナンド、ジュゼッペ

今回修理していたのは二コラI・ガリアーノです。
ニコロとジェナロの兄弟の作風は似ていて、区別は難しいです。
古い本にはストラディバリモデルで作られていたと書かれています。古い本ではf字孔も尖っていてストラディバリっぽい感じもします。しかし、アレッサンドロがフリースタイルだったのでその影響かもしれません。
何となくストラディバリに似てる感じもあります。フランスのモダン楽器のようなストラディバリモデルと言うほどは似ていません。
アーチは高くフラットではありませんのでモダン楽器の始まりとは言えないでしょう。

ガリアーノ家は家族経営の町工場くらいの感じで家族や従業員総出で大量に作っていたようです。そのため比較的数があるので私もたまに見ることがあります。木材は低質なものが多く品質は様々で雑に作られているものもあります。パフリングはぐちゃぐちゃで形は歪み左右は非対称だったりします。でも音は良かったり、逆に室内楽的でこじんまりしていたりします。裏板の中央が薄すぎて魂柱に耐えられずに変形していたり、アーチが不自然なために表板の中央が陥没しているものがありました。

そんな中最近の本ではアマティ型のとても美しいジェナロのものが出ていましたが、私も同様のものを何年か前に見てガリアーノのイメージが変わりました。本などで写真を見たり、実物をいくつか見たくらいで作者について分かった気になるのは危険だということです。何かのおまけに載っているくらいでストラディバリ以外は資料を探すのは難しいです。

父親のアレサンドロがアマティに似ていないのに、息子の二コロとジェナロがアマティに似ているものがあるというのは面白いですね。直接習ったというよりはマネして作ったのかもしれません。そうなるとストラディバリも真似た可能性はあります。昔はそれを「ストラディバリの弟子」として売ってきました。今でも楽器店の知識ではストラディバリの弟子なのかもしれません。

特にアマティの形のものが美しく作られているということは、それだけの能力があって、高級品があったのかもしれません。他のものは工房製というレベルなのかもしれません。したがって、ガリアーノでも美しく作られた楽器はあったのです。音については必ずしも見た目の美しさとは比例しないでしょう。余りに酷いと物理的に問題がある場合もあります。

フェルディナンドもニコロ・ジェナロ兄弟に近いもので、ガリアーノ家では美しいものも作っています。特に代表的なのはニコロ、ジェナロ、フェルディナンドでしょう。

値段は二コラとジェナロのものなら4~5000万円位にはなります。


ニコラ・ガリアーノのヴァイオリン



アマティの特徴がはっきりと表れています。ラベルには17までが印刷されていて50と手書きで書かれています。1750年と読めますが、50の方は後の時代の人が薄くなっていたものを上から書いたようにも見えます。

表板は左右で2枚物を張り合わせて無く、一枚の板ではないかと思います。木目も傾いているようです。
f字孔にははっきりとアマティの特徴があります。アマティを意識して作ったのは間違いないでしょう。

裏板もランクの低い木材で作られています。ニスは修理のために何度も塗り重ねられオリジナルはほとんど残っていないでしょう。表面も滑らかでヘコミなどもありません。普通は使っていると傷としてニスや木材が削れるほどではなくても、細かなヘコミが表面にはできます。それが無いので数十年前にも上からコーティングのニスが塗られていることでしょう。

イタリアのオールド楽器は黄金色だと知識では語られるかもしれませんが・・・

後ろにあるのがガリアーノです。茶色ですね。手前にあるのは東ドイツの量産品です。それよりも黒っぽいです。

形はストラディバリよりもアマティの特徴が強く出ています。

アマティに特有のカーブになっています。このようなカーブの特徴は二コラやジェナロのストラディバリ風のものにも見られます。したがって根底にアマティ的なものがあるように思います。少なくともガリアーノ兄弟はアマティを古臭い劣ったもの、ストラディバリを革新的な優れたものと区別していなかったようです。

パフリングもきれいに入れられていて、よくあるガリアーノのぐちゃぐちゃの感じではありません。やればできるんですね。

アーチにもアマティの特徴があります。


膨らみはかなりあります。オールド楽器らしいですね。裏板で18mmくらいありそうです。

表も17mmくらいありますが、駒の付近に陥没は無くきれいな状態です。アーチは力が上手くかかるようになっていないと駒のところが陥没してしまいます。そのような基本的なことも理解していない職人がいます。音が良いとか悪いとかではなく耐久性に影響してきます。250年経っても良い状態を保てていることで音にも良いというわけです。現代ではフラットなアーチが普通でそのようなこともあまり意識していないかもしれません。
音のことしか考えていないと楽器として基本的なこともわからなくなってしまいます。
横板も木材の質は低いですね。

スクロールはやや華奢な感じですが丸みが綺麗にできています。ペグの穴は何度か埋められていますが、4つの穴は均等ではなく上の二つと下の二つが近づいています。これはペグを持ちやすくするためです。このようなノウハウは音とは違って分かりやすいですね。

継ネックがされています。私が量産楽器に施したのと同じ修理です。



ガリアーノ家でも複数の人が働いたせいか、スクロールもいろいろです。トマソ・エベレーなどは現在のオーストリアのフィルスという所の生まれですぐ近くにはドイツの産地フュッセンがあります。ガリアーノに南ドイツのようなスクロールがついているものがあり、最初はニセモノかと思いましたが、そういう人も働いてたとすれば納得です。

厚みも測ってみました。
典型的なイタリアのオールド楽器の厚みです。現在の常識よりは薄いと思います。
実際にこういう楽器をよく目にするのですが、コメントでオールド楽器は薄くはないと怒られることがありました。不思議ですね。
裏板の中央が4mm以下だと現在は薄すぎると感じる職人が多いでしょう。3.5mmくらいなら何のトラブルもなく元気な音が出ている楽器がたくさんあります。

先日はひどく表板が変形している楽器が持ち込まれました。
石膏で型を取って押し付ければ直せるかもしれません、修理代を考えてその価値があるかどうかが争点となりました。しかし私が板の厚みを測ってみると1.5mmにも満たない部分が広くありました。1~1.2mmくらいでした。直してもそれでは耐えきれない可能性があるので、修理するには表板を新しくするしかないとなってしまいました。それは修理代が高すぎる上に、音は新品の楽器に近くなってしまいますし、骨董品としての価値も無くなります。

どれくらいが大丈夫な厚さなのかは、このような経験で知ることができます。

ボディーサイズも測っています。丸みのある楽器で幅は狭い感じがします。量産品と並べて置くと小さく見えます。
しかし中央はそれほどくびれておらず、ストラディバリと同程度で極端に窮屈ではないでしょう。

駒の位置を表す、f字孔の刻みをボディーストップと言いますが。196mmでした。
現在の標準が195mmですから、当時の測定器具などを考えるとかなり近いんじゃないでしょうか?

オールドらしいオールドヴァイオリン?

アマティの特徴が強いガリアーノでとても美しいものです。

先日はジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレア(デルジェスの父)のヴァイオリンも見ました。こちらもアマティ型で高いアーチのものでしたが、きれいなものを作ろうという意識は感じられませんでした。当時のヴァイオリン作りの常識に基づいてただ作っていただけのようです。それはデルジェスにも受け継がれて唯一無二の楽器になったようです。もちろん古さによる美しさはありますし、普通の人は値段を聞くとそれを美しいと考えるでしょう。しかし造形的には凝ったものではありません。だからと言って近代や現代の楽器とは全く違います。時代によって常識が違うからです。
アマティも無駄な部分がかなりあるというか、もっと簡素化し楽器としての機能性が確保できるギリギリまで突き詰めてはいないと思います。完全には効率的では無いオールド楽器ですが、それでも作業を効率的にする方法を考えていたはずです。現在の価値では、10本も作れば一生暮らすのに十分でも、当時はそんなに高い値段で買い取ってもらえたはずはありません。それでも当時の人たちの生活からすればやはり高価なもので、安く作ることは求められていたはずです。
そのような名残がオールド楽器を目にすると感じられます。フィリウスアンドレアの楽器には隠さずにそのまま残っているのです。自分をカッコよく見せようという感じが無いのが面白いです。


1750年ともなると直接アマティの教えが残っていないかもしれません。しかしガリアーノの兄弟は理解していたようです。量産体制で雑に作られたものが多いので私も近年になるまでイメージが違っていました。
雑に作ってあってもまっ平らアーチではなく、むしろ大げさにもっと高いかもしれません。しかしアーチが上手くできてないと陥没などのトラブルの原因となります。

そんなわけで見た目はいかにもオールド楽器というガリアーノでしたが、弾いてみるとやはり音もイメージ通りです。私が作っているものともそんなに全然違う感じもしません。普通新作楽器はオールドとは全く違う方向性の音で、その中である種の硬さを音の強さと考え競い合っているようですが、それとは全く違う世界の話です。
持ち主が弾くのを聞くと、新品のエヴァピラッチゴールドを張ったせいもあってか、刺激的な音が含まれている感じがします。弦ももうちょっとすれば多少は硬さも取れるでしょうが、もっと弱い張力の弦が面白いかもしれません。それに対して高音は柔らかく同様のものは近代以降のものでは滅多にないでしょう。
私のものの方が弾いているのを聞くと透明感があってウエットな感じがします。それに対してドライということですが、言葉で書けばまたまた勘違いを招きそうです。



駒と魂柱を私が交換しました。持ち主は音が強くなったと感じたそうです。駒や魂柱は30年くらい前のものでしょう。私のやり方の効果ではなく、駒や魂柱はすでにヘタっていたことでしょう。古い楽器は鳴ると言っていますが、適切な修理をしていなければヘタって音も弱っているかもしれません。

この前のチェコのヴァイオリンの方が明るくよく鳴る感じがします。100倍近く値段が違いますが、鳴るという事では劣っていません。


私が20年近く前にまっ平らなアーチの二コラ・リュポーのコピーを作りましたが、長年コレクターのチェロ奏者が持っていました。当然弾いていませんでした。今は音大生が使っています。これもだいぶよく鳴るようになっています。板の薄さのわりに最初はそれほどではなかった低音も強くなってきたようです。私は個人的な考えとして、技術的な要素は最終的には裏切らないと思います。まあでも音楽家の言うことは私とは全く次元が違います。
本人も演奏を楽しんでいると満足しているようですが、音大生くらいになると弾きこみの効果も早く表れて来るようです。
薄い板の楽器ですが、初めよりも今の方が鳴るようになっています。「薄い板の楽器は初めは・・・」という理論が嘘であることがまた証明されています。

私はアーチは低くても高くてもなんでも良くて、弦の圧力で壊れないように作られていて、板が厚すぎなければ、使い込んでいけば鳴るようになってくると思います。それ以上の奇跡的な鳴りの良さは運としか言えないでしょう。普通にちゃんと作ってあれば、弾きこむことで鳴って来ると思います。だから音が良い楽器に何か特別な特徴があるというのではなく、普通に作ってあるだけです。

それに対して、楽器の性格は数十年や100年程度ではあまり変わってこないでしょう。職人が楽器に与えられるのは音の性格です。音の性格は意図するしないに関わらずすべての楽器で違いがあります。新作楽器ではそれで楽器を選ぶのが良いかなと思います。

音というのは不思議なもので、先生や家族などお客さんも複数の人がお店にいると、集団ごとに注目するポイントが変わってきて、音の評価も変わります。
お客さんの方は自分たちの感じていることが相対的なものだとは思っていないでしょう。弦楽器店で働いていると、集団によって全く違うことを経験します。
アジアからのお客さんが来ると多くのお客さんが普通に使っているE線を薦めると「弱すぎる」と言われることがあります。慣れのようなものも大きいでしょう。

私は音楽教育の専門家ではないので、むしろ先生に、国ごとに音の好みや弓の使い方に違いがあるのか研究してもらいたいと思います。教えるのが仕事の先生と演奏するのが仕事の演奏者でも求められるものが違います。

新作楽器は特有の硬さを生かせば、新作楽器同士で比べると音が強く感じられるかもしれません。しかしそれはオールド楽器とは全く違う競争で私は参加する気はありません。しかし音の良し悪しの基準はそれぞれ自由です。音は作られて何年後に評価すればいいのかもわかりません。


こんにちはガリッポです。


ネックが折れたヴァイオリンでした。

新しいネックを継ぎ足す修理をしていました。

これでは音が良いも悪いも無いですね。まだ演奏ができません。

ネックを入れる溝を彫ります。
この時三つの面を加工します。それぞれの面の角度によって3次元でのネックの傾きが決まります。また深さによってネックの長さも決まります。
このために正確に加工する必要があります。

角度が決まっても終わりではありません。ネックを加工します。

楽器は量産品でも修理のネックはハンドメイドになります。作業がしやすいこの段階で95%仕上げておきます。

接着も簡単ではありません。せっかく角度を合わせて加工しても、接着でずれてしまえば終わりです。とても緊張するものです。

持った時に違和感がないようにと裏板のボタンの部分にピッタリになるように加工します。とはいえ、私の好みにするわけにはいきません。

つなぎ目が難しいですね。隙間なく接着ができています。

こちらもピッタリです。

新しい木材は白いので着色します。修理では古い木材の色を再現するのが基本的な仕事になります。

ニスの補修で特に難しいのはペグの穴を埋めたところです。作業に最も長い日数を要してしまうのはこれです。


穴を埋めた部分は木材の向きが違うために全く見えないようにはできません。この向きでないと加工が難しいからです。

ペグボックスの中は黒く塗られているように見えていましたが、よく見ると茶色が濃く塗られていることが分かりました。表面の光沢が失われ汚れがつくと黒く見えていました。
量産品のために塗り方も汚いですね。

穴を開けます。この時四つのペグの穴が等間隔になっているのではなく、先端の二つと根元の二つが近づいています。これはペグを持つ手を入りやすくするためです。

穴をまっすぐにあけるのは難しいです。不規則な形をしているので卓上ドリル(ボール盤)では加工できません。

上からの角度も見ないといけません。

ペグにはテーパーがついているので専用のリーマーという工具を使って穴を大きくします。

右のリーマーが少し下がっているようですね。写真にするとまた肉眼とは違って見えます。カメラも斜めになっているようです。

穴が大きくなってきたらペグを入れてみます。まだ穴が小さいので奥まで入りません。この段階ならまだ傾きを微調整できます。

目の錯覚がいろいろあってまっすぐにペグを入れるのはとても難しいです。20年以上やっていますが未だに完璧になったことがありません。

ペグがつくと穴を埋めた跡は目立たなくなります。継ぎ足した部分も違和感がないように塗装をします。

これでネックの修理ができました。これは正式な修理なので、これで楽器の値打ちが下がることはありません。ストラディバリなどのオールド楽器にも施されています。
今回が珍しいのは量産楽器に施すことがめったにないことです.修理代が高額だからです。
量産楽器にこのような修理を施すとネックだけはハンドメイドになります。

ネックを取り付け直すと駒と指板の関係が合わなくなります。修理前のものに対して新しく作った駒ではE線は低くなり、G線は高くなりました。作られたときはネックが傾いていたのでした。理屈ではE線がマイルドになり、G線が力強くなるのかもしれません。しかし壊れた状態で持ち込まれたので違いは分かりません。それよりもG線側の指板が低くなっていると腕をひねらないといけなくなりますので気持ち楽になった感じがするかもしれませんね。
魂柱もおそらく楽器が作られたときに入れられたものでしょう。ザクセンの量産品に独特なものです。これも交換しました。
ネックが折れたときに指板が表板にぶつかって傷をつけていましたのでそれの補修も行いました。表板のエッジにも損傷がありました。持ち主はネックが折れたことに意識が集中してエッジの痛みには気が回っていないことでしょう。放っておけないですが、見積もりに無いため簡易的な修理でサービスです。

これで再びヴァイオリンとして使用できるようになりました。
木工作業ばかりで、音楽にしか興味がない人にはつまらないことかもしれません。そのつまらないことをやっているのが職人です。

これはコントラバスです、表板を開けてみると接着する部分の加工がひどいですね。


横板にはライニングという部材がつけられ裏板との接着面を広げています。しかし隙間があって裏板と密着していません。これならライニングがついている意味がありません。このコントラバスは外側にもライニングがあるのですぐに壊れることは無いでしょう。しかし意味のない部材を取り付けるなら取り付けないほうがコストが安いでしょう。接着には伝統的なにかわではなく木工用ボンドのようなものが使われています。動物性のにかわは接着力が弱く、隙間があるとくっつきませんが、木工用ボンドは強力な接着力があり、隙間を合成樹脂で埋めてくれます。そのためさらに仕事が粗くなり、ボンドでさえトラブルが起きます。一方修理の時に開けようとすれば木材よりもボンドの方が強いため表板が裂けてボロボロになってしまいます。

「高級品は天然にかわが使われているから音が良い」なんてことを言えばイメージは良いですが、実際に音への影響は分かりません。いかにも高級品の商売をするセールスマンが言いそうなウンチクであり、職人としても保守的な考え方を正当化する理屈にすぎないのかもしれません。むしろカッチリ作りすぎていると音は良くないかもしれませんね。

コーナーブロックも入っていますが密着していません。外から見えない所は手を抜いてありますね。コストを削減するには作業を早くすることです。作業を早くするためには、品質チェックを行わないことです。チェック項目が多くなるほど作業に時間がかかりコストが増大します。
今回の修理では40万円は請求することになります。為替のこともありますので高く感じますが、楽器全体の値段を考えるとネックだけで40万円もするのはおかしいと思うでしょう。量産工場では修理してくれませんし、この楽器が作られたのは戦前です。
40万円でもコンピュータや自動車の修理や医療、弁護士に比べたら一時間当たりの単価は半分以下です。

ユーザーは音にしか興味が無いので、木工作業に対する対価を軽く考えていることでしょう。ブログのやり方を見て自分でやってみてください。

半月かかってようやく修理が終わったと思ったら・・・

あちゃーです。
こんにちはガリッポです。

50~100年くらい経っているヴァイオリンはよく鳴るものがたくさんあるという話をしています。それでも大半は新作よりも値段が安いです。現在の暮らしにかかる費用では昔の人に対して価格競争力がありません。

ですから、東京で巨匠だのマエストロだの言って売られている新作楽器よりも音が良いものが、何でもない中古品にゴロゴロあるというわけです。その中でもさらによく鳴る楽器がまれにあります。今回はそんな話です。

どうってことは無いただのヴァイオリンですね。パッと見たときは特別美しくも無いのでただの量産品だろうと思いました。

アーチは真っ平らで裏板の木材は年輪の幅が広くチープなものです。年輪は縦に入っている線でこの間隔が狭いと密度が高く良質な材料となります。ストラディバリの黄金期には最上級のものが使われています。カエデ材は標高の高い寒冷地で成長が遅いと目の詰まった高級な木材となるのです。そうするとこの木は低地で育った低級品です。でもよく鳴って音が良いのです。

オレンジのニスはアンティーク塗装で剥げたようにしてあるようです。これもわざとらしいですね。パッと見た感じでミルクールの量産品を真似ているような感じがしました。ラベルには産地はチェコのシェーンバッハと書いてあります。今のルビーという場所です。
ボヘミアの楽器としては典型的なものではなく、ミルクールっぽさがあります。しかし間違えるほど似ているわけではありません。シェーンバッハの楽器にしてはミルクールの雰囲気があるなという程度です。

スクロールは前から見た姿に特徴があります。

ペグボックスの終わりのところが丸くなっていてボヘミアの特徴があります。

ラベルにはフランツ・ウルシュミットと書かれています。

産地はボヘミアのシェーンバッハです。年号は読めませんが1927年でしょうか?

楽器は量産品のような印象があるので工場で作らせていたものかもしれませんし、この人が自分で作ったものかもしれません。この前のマルクノイキルヒェンのマイスターのものと違いハンドメイドでなければ有り得ないほどの品質ではないので分かりません。

この人について調べてみても、わずかな記述があるだけです。シェーンバッハの一族のようですが、この人はシュツットガルトやウィーンなど各地で修行して働いています。チェコ、ドイツ、ポーランド、オーストリアなど様々な国で修行しています。この辺りは島国の日本人が「国」というものに対して理解しにくい所です。
シュツットガルトはフランスに近い所でミルクールにも近いです。ここでミルクールの影響を受けたのかもしれません。
となるとこの人の楽器としてあり得ないことも無いです。しかしただの量産品なのか写真などの資料も無いので分かりません。

作者の経歴を知ってから見るとスクロールも量産品よりも質が高いようにも思えます。

量産品とハンドメイドの楽器は見分けられないことも多くあります。現在のものでは機械を使っている形跡があったり、ニスが人工的なものなら分かりやすいですが、昔は量産品も手作業で作っていたので量産品の上級品と特別丁寧に作られていないハンドメイドの楽器の見分けはつかないことがあります。実際にはかなりあります。現在でも私は機械で作っていると思っているドイツのメーカーでも、製造している側はハンドメイドだと言い張っていますし、日本ではそのように売っていることでしょう。日本で見たイタリア製のものも、量産品によく似ていました。言われないとイタリア製のハンドメイドだと気づかなかったでしょう。ハンドメイドでも量産品に似てしまうことがあります。なので差別化ということがあります。フランスの19世紀の楽器やドイツのマイスター作の楽器は、クオリティに明らかな差をつけました。イタリアではそれが無いので高級品に見えないことがよくあります。

しかしそこは厳密に区別する必要もありません。ハンドメイドでも量産品の上級品と同じくらいのクオリティのものは、値段も同じくらいで良いのです。そうなると5~60万円位のものです

ハンドメイドでも、雑に作ったり、不器用な人なら量産品よりも質が落ちるということは十分にあります。冷凍食品よりもまずい手料理もあるでしょう。それでもイタリアのモダンの作者なら500万円以上になります。このため鑑定書だけが頼りになります。審美眼などは関係ありません

それ以外の国なら、量産品の上級品と同程度の値段になるだけです。

したがってほとんど知られていない作者ですが、まれにあるとてもよく鳴るヴァイオリンです。複数の教師が音が良いと評価しました。我々も明らかによく鳴るということが分かります。何か音が良い理由があるのかと言えば、見ても変わったところはありません。

アーチはとても平らです。


アーチはペタッと平らなだけで特徴があるわけではありません。

板の厚さを測ってみてもごく普通です。特別薄くもありません。薄いとよく鳴るというイメージがあるかもしれませんが、私は低音が出やすくなると言っています。鳴る鳴らないとは関係がありません。厚めでも鳴る楽器はあります。
一方フラットなアーチでも物足りない楽器はいくらでもあります。立体的に凝ったカーブにしなくても良いというくらいのことです。

この作者は資料にも名前が記録されているくらいで楽器の写真などはありません。特別音が良いと有名になっていることはありません。よく鳴るのに有名になっていない作者がいるのです。ヴァイオリン業界では公平に音を評価して値段を決めるということは行われていません

200万円のクラスに混ぜておいて、これが50万円程度のものだと音楽家は気付くでしょうか?

こういうものがあると、500~1000万円しても大して音が良くないものが分かるので身近にあると音に対する感覚が変わってきます。層の厚さということになります。
日本では、ピラミッドの頂点だけを輸入したつもりになっています。しかし実際には比較対象が無いと全く見当違いかもしれません。有名な高価な作者の楽器だけを弾くとレベルが分かりません。


音が良い楽器というのは何か凝った方法で作ってあるわけでも無いし、作者が評価されて有名になっているわけではありません

技術的にはこれで十分です。
音が良くない楽器との違いも分かりません。同じ作者の他の楽器も知らないのでどうかもわかりません。

弦楽器というのはそんなものだということを知ってください。


弦楽器というのはとても奥が浅いので、マニアになってこだわるほどのものではないでしょう。ただ弾いてたまたま音が良いものを見つければ良いだけです。しかし、日本から買いに来てももう売切れて無くなっていることでしょう。こういうものは買うことはまず無理と考えたほうが良いかもしれませんね。

鳴るというだけで音を評価する人もいればそうでない人もいるでしょう。音の基準は人によって様々です。音について評価されて値段が決まっているなんてことは現実ではないと知ってください。
こんにちはガリッポです。

前回のギュッターのヴァイオリンです。

ペグボックスの中は本体と同じニスが塗られています。ペグボックスの中はほこりなどがたまりやすいものです。置いておくだけでも埃が入ってしまいます。

ストラディバリはおそらくペグボックスの内側にはニスを塗っていなかったのではないかと思います。しかしテノールビオラのように規格外でほぼ未使用で保存されているものでも、汚れがたまり木材も古くなっているので黒ずんで見えます。
したがってほとんどのストラディバリなどのオールド楽器は真っ黒に見えます。汚れがたまっているからです。さらに、穴を埋めたり継ネックをしたりしたときに、新しい木材を足すと白木が目立ってしまいます。そこで黒っぽい色を塗るのですが、その時に一緒に全体を塗ってしまうこともあるでしょう。黒い色というのは意外と色を合わせるのが難しいのです。光を多く吸収すれば黒くみえますが、青っぽかったり、緑っぽかったり、赤っぽかったりするのです。

これはニコラ・ガリアーノのものです。黒っぽく塗ってあります。茶色系です。おそらく修理の人が塗ったのでしょう。埃も見えます。その黒い色も剥げていて塗りたてホヤホヤという感じではありません。
作られた段階では内側の加工が荒いことがあり、仕上げ直したり、ペグが太くなると弦が突っかかってしまうことがあり、底を彫り直すこともあります。その時にも塗り直します。

現在では一番安い中国製のものには、中が塗っていないものがあります。それ以外は何か塗ってあります。

一番基本的なのは、本体と同じニスを塗る方法でしょう。ハンドメイドから量産楽器まで多くの楽器で行われています。またアンティーク塗装では、古い楽器のように濃い色にする必要があるでしょう。この時、上手く汚れの色を再現していることの方が珍しく、不自然な色になっていることも多いです。簡易的なアンティーク塗装なら、本体と同じニスを厚めに塗って色を濃くすることもあるでしょうが、真っ黒にしていることもあります。しかし自然な汚れはピアノ塗装のような完全な黒ではありません。塗りたてホヤホヤのような感じも不自然ですが、19世紀のものならすでに弦が擦れたりして剥げて来たり、埃が積もったりしてだいぶ自然に見えます。

19世紀終わりの各国のモダンの作者でも、本体と同じニスを塗っていたり、黒い色を塗ってあったり、茶色に塗ってあったり様々です。同じ人でも楽器によって違ったりすることもあります。1000万円を超えるようなものでも人によってバラバラです。

特に特徴的なのは戦前のチェコのボヘミアの楽器です。バーントアンバーのような赤茶色の顔料を使っています。修理の時にはこれを使えば良いのですが、バーントアンバーの顔料でもメーカーによって色味が違います。これは土からできている顔料で、焼くことで赤くなっています。植木鉢やレンガのように土を焼いて赤くなったものです。しかし、汚れの色とはだいぶ違うようです。
ボヘミアの有名なマイスターがそうしたので弟子や工場でもそれに従ったのでしょう。他の流派では統一されていることは珍しく製品によってバラバラです。ボヘミアでも違う場合がありますのでそれだけで楽器を見分けるのは危険です。

顔料は絵の具の材料ですが、画家は完成されてチューブに入っているものを買いますから、今ではほとんど売っているところがありません。イギリス、フランス、ドイツなどに一社ずつくらいあるような感じです。日本では多く色が揃っているところは無いです。もちろん日本画のものは別です。
顔料自体は様々な工業分野で使われるために製造はされているでしょう。しかし材料ごとに作っている場所が違うはずです。それを小分けにして揃えて売っている会社が少ないというわけです。

それに対して染料というものがあります。これは液体に色素が溶けているものです。ニスは染料で色を付けると、透明度が高く、顔料ではペンキのようになります。

染料には天然の染料と人工の合成染料があります。量産楽器のニスを補修するときには合成染料を使うとそっくりにできます。染料を直接木に塗りこむと色が染み込んで「染める」ことができます。にじみなどができて汚くなってしまうこともあります。どうせ真っ黒にするなら染めてしまったほうが早いでしょう。

真っ黒に塗られていても、つや消しでマットになっているのなら、黒い塗料を直接木に塗りこんであるかもしれません。


このようなヴァイオリンが持ち込まれました。あちゃ~ですね。

ネックが割れています。
これは製造上の欠陥ではないでしょう。強い衝撃が加わると天然素材のネックでは耐えきれません。ネック自体は胴体にしっかりと接着されていたために、ネックが折れたのでしょう。接着が悪ければネックが外れていたことでしょう。その時に裏板のボタンと呼ばれる突起まで一緒に壊れてしまいます。どっちにしても大変な修理になります。

修理は技術的には可能です。
しかし問題は経済的なことです。
量産楽器の場合には修理代が楽器の価値を超えてしまうことがあります。そうなると別のものを買った方が良いということになり、楽器は寿命を迎えることになります。
高価な楽器であれば全く問題ありません。ストラディバリなら修理代などは誤差のようなものです。

簡単に修理できないかとなるわけです。そのまま接着剤でつけてしまうことが行われます。しかし割れた面を見るとデコボコが繊維によって入っています。これはやってみるとパズルのピースのようにはピタッとは合わないです。
接着剤でつけて、木ネジなどで補強されることもあります。しかし、ネジと木材では硬さが違うため、ネジを中心にぐりぐりと周辺がつぶされて行き、だんだんグラグラするようになっていきます。本棚なら棚が落ちなければ良いのですが、グラグラするとチューニングが不安定になってしまいますので、弦楽器としては問題です。
チェロやコントラバスのほうがこのようなトラブルは起きやすいのですが、修理にかかる費用は何倍にもなります。

そのようなものを中古品で知らずに買ってしまうのは大変な失敗です。ネックが折れてくっつけてあるようなものは修理代を差し引いて値段を考えないといけません。

弓の場合には終わりです。
修理方法は確立されておらず、折れて接着されたものは価値がありません。
コレクションや資料、実用品としてそれでも欲しいという人はいるでしょうから買う人がいないということはありませんが、財産の価値が無いと私のいる国では判断されます。

ヴァイオリンの場合には直すことができます。安上がりに直す方法は業界として確立されていません。高価な修理方法は確立しています。安い楽器の修理専門の業者などがあれば良いのですが、当然儲かりません。ギターを修理する業者が少ないのは、ヴァイオリンに比べると楽器自体の価格帯がはるかに安いからでしょう。

一方しっかりと修理すれば、楽器の機能は全く損なわれません。それどころかネックの角度が下がっていたものは直り、ネックの長さや形状なども理想的にすることができます。音響上も演奏上重要な部分です。

きちんとした修理をすると時間がかかり、時間当たりの工賃が加算されて高額になります。きちんとしてない修理をする業者なら安くしてくれるかもしれませんが、大丈夫なのでしょうか?

仕事の水準を高く設定していると、量産楽器だから低くても良いというのは難しいです。これは職人の性というのもあります。

社会の側から見れば高いクオリティで早く仕事ができれば優れた職人ということになります。私もたびたび弦楽器職人の才能として、「細かいことが気にならず大雑把に仕事ができる人」と書いています。お客さんは音にしか興味が無いからです。やっつけ仕事ができる人が「天才職人」でしょう。

こちらでは労働者の待遇改善を求めてデモを起こしています。今の争点は週休3日とかでしょうか?若い世代はワークライフバランスを重視し、労働時間を短くするように考えています。
それを実現するためには、ネックが折れたら中国製の新しい楽器を高い値段で買ってもらうしかありませんね。弦楽器以外ではそうなっています。
いくら、待遇が改善しても粗悪品に囲まれて暮らすなら豊かになっているのでしょうか?

これは、日本人の多くの人が職人に求めるものとは違うと思います。
私もきっちり仕事をしたくなってしまうので弦楽器職人の才能が有りません。きっちりやってもできるだけ急いだらどうだと思うかもしれません。しかし大慌てで仕事をして欲しいと思うでしょうか?

良い仕事をするほど貧乏になっていくものです。


まずペグの穴を埋めます。
新しいネックを継ぎ足すと同じ場所に穴をあけるのが困難だからです。ペグの穴は大きくなりすぎていませんから、今回は二つだけで十分です。これも精密さのいる仕事です。

それから指板を新しくしました。これは必須ではありませんが、指板交換のタイミングに来ていればついでにやったほうが効率が良いです。指板交換だけでもなかなかの修理です。


ノコギリで切っていきます。四角いものではないのでハッキリと切断する場所や寸法を予測できません。



3つの面を完全な平面に加工します。これも工具をずっと改良してうまくできるようになってきました。また接着面も立体パズルのようなものですね。ペグボックスやネックの形状などによっても一台一台様子が変わってきます。
最初に答えが分かっていれば良いのですが、やりながら最終的な形が分かっていくので、時間がかかってしまいます。こればかり仕事をしていれば良いのでしょうが、ヴァイオリンの継ネックは一年に一回もありません。

冒頭の話で言うとペグボックスの内側は黒く塗ってありますね。

意外と大変なのは新しいネックの方です。

完成時の寸法をあらかじめ予測するのは難しいです。
寸法が足りなくなればやり直しですし、余分が多すぎれば作業に時間がかかってしまいます。

両側をきっちり合わせることができました。ネックの方も意外と難しくて三つの面を正しい角度にしないといけません。平面に加工できることは基本中の基本ですが、それすら他の木工ではできないレベルです。

本当に合っているかどうかは見ることはできません。しかしうまく合っていないと押し付けたときにギチギチきしむ音がします。無理やり接着して割れてしまったら修理してるのか壊しているのかわかりません。どれくらい雑にやっても大丈夫なのかのノウハウがないため、念のために安い楽器でもきっちりやります。

接着面が合っているだけでなく、ネックの方向が合っていないといけません。

どこも隙間もなくぴったりと接着することができました。これで一つの木材と同じことになります。


こちらも意外と大変です。
新しいネックとは接着面が合いませんから埋め直します。

この時埋め込む木材の繊維の向きに気を付けないといけません。この木材は矢印のように繊維が走っています。黒く塗ったところを落として面と合わせないといけません。木材は繊維の方向に逆らって切削加工するのが難しいからです。

写真で見えるのは年輪の線ですが、繊維の向きはそれではありません。

横板の部分は別の材料でできているのでそれを足します。

これを埋め込むことでネックを接着する土台ができます。

表板も埋め直します。ネックの方もこれで新作楽器を作る時と同じ状態になりました。新作楽器が作れるのは修理をするために必要な基本的な能力です。新作楽器が作れないのに修理だけができるということはあり得ません。楽器の製造の上に修理の技術があるのです。この時自分のやり方ではなく、作った職人の考えを理解しないといけません。いくら腕が良くても、自分以外の時代や流派の楽器作りを理解していないといけません。私はこのことをすごく気にしますが、気にしない職人の方が多いでしょう。

そんなことも政治のような社会全体のシステムでは無視されることでしょう。正論なんて聞いてもしょうがありません。

ネックを入れるのも難しい作業ですが、そのあとネックを加工するのも仕事の量は多いです。特にチェロの場合には接合面の加工よりもはるかに時間がかかります。
その後ニスの補修もあります。
新しい木材を足した部分は他と同じようにしないといけませんし、傷や損傷もあります。

このヴァイオリンは量産楽器ですが、昔のザクセンのものでしょう。しかしすごく荒いということもなく、ひどく手を抜いた個所もありません。板は厚めの感じですが、ハンドメイドのものでもよくありますから、量産品だからという事でもありません。
特におかしい所は無いので、上手く演奏すれば楽器として標準的な能力は発揮されると思います。レッスンを受けて練習することは十分できるでしょう。このため、このような修理をする値打ちはあるかなと思います。

かつては安物として馬鹿にされた量産品でも比較的良質で古いものは貴重になってきました。エコの観点から見ても修理して使うことは望ましいでしょう。今なら、楽器の値段より修理代が高くても愛用の楽器を直す意味が出て来たと思います。

先日はヴァイオリン教師の人が生徒のためにと量産ヴァイオリンを選んでいました。自分の趣味で楽器を選んで押し付けるのは先生には多いです。客観的に考えられる人は少ないですね。
さすがに何を弾いてもきれいな音を出します。聞いていると量産品だから荒々しい音という感じではありません。やはり弾く人のほうが楽器よりもはるかに重要です。そんな人ですから、音の美しさを言っていて、とにかく音量で選ぶという感じではありませんでした。
それでも10本以上ある中から選んでいましたが、どれか一本だけがずば抜けて優れているということはありません。悩んだ結果5本選んでいました。新品のルーマニア製のものが3本と古い東ドイツとチェコのものが1本ずつ選ばれていました。必ず古いものが優れているというわけでも無いようで、新しい楽器を高く評価していました。弾ける人なら古い楽器ならではの鳴りの良さはそれほど重要なことではないのかもしれませんね。