ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヴァイオリン、ビオラ、チェロなど弦楽器の良し悪しを見分けるには、値段とメーカー名を伏せて試奏し、最も気に入ったものを選ぶのが最良の方法です。
しかしながら、よほどの自信家でもない限り不安になってしまいますよね?

そのため知識を集めるわけですが、我々弦楽器業界は数百年に渡って楽器を高く売りつけるため、怪しげなウンチクを広めてきてしまいました。

弦楽器の製作に人生をかけたものとして皆さんはもちろん、自分を騙すことにも納得がいきません。
そこで、クラシックの本場ヨーロッパで働いている技術者の視点で弦楽器を解明していきたいと思います。

とはいえ、あくまで一人の専門家、一人の製作者としての「哲学」ですから信じるかどうかは記事をよく読んでご自身で判断してください。


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こんにちはガリッポです。

この前は楽器の手入れの話をしてきました。今回は応用編です。

指板が薄くなってくるとこれ以上削ることができません。こうなると交換が必要です。指板の交換は頻繁なものではなく人生に何回かのものです。新しく楽器を買った時に指板が新しければそれからです。プロの演奏者なら若い時に一回、晩年に一回それくらいでしょうか?

厚みが3mmを切っています。さらにここから削り直すと2.5mm以下になるでしょう。オーケストラの演奏者で申請していたので、費用は楽団が払います。

指板を外すと表板のニスの手入れがしやすくなります。このヴァイオリンは1915年製のエンリコ・ロッカです。お値段は記録的なユーロ高の現在1500~2000万円にはなります。それでも10年前に比べてもほとんど値上がりしていません。イタリアのモダン楽器が軒並み値上がりしている中、どうなっているでしょうか?エンリコは有名なジュゼッペの息子で、トリノのビオラの話でも出てきました。

この前のマルクノイキルヒェンのラッカーのニスとは違い、オリジナルのニスは表面に光沢がありません。光沢は表面が滑らかになっていると光の反射でそう見えます。そのため過去の修理で上からコーティングのニスが塗られています。それが所々剥げていて手入れするには困ったものでした。掃除して磨いても光らない所があるのです。そこにコーティングを施さないといけません。指板を外すタイミングでそれが可能になったというわけです。

それが終ってから新しい指板を取り付けます。指板交換に10日間かかったなら7日以上はニスの修理です。
指板を取り付けた後もネック周りや裏板なども補修が必要です。

新しい指板を取り付けるとネックのところに段差ができます。これを削って段差を無くさないといけません。

指板を交換するときに気を付けないといけないのはプロジェクションというものです。プロジェクションは指板の延長線が駒に当たる所の高さです。

指板の延長線が赤い線で示されています。緑の矢印の寸法を言っています。

ネックの角度というのは赤い線の角度のことです。プロジェクションの高さとネックの角度は複雑な関係があります。

前回の話を元にすると、「プロジェクション+弦高=駒の高さ」ということになります。測るのは指板の中央なので弦はありませんがE線とG線の高さの平均値になることでしょう。
つまり駒の高さに影響するということです。指板が厚くなると厚さの分だけプロジェクションと駒の高さが高くなるというわけです。駒が低くなると弦が表板を押し付ける力が弱くなります。それと同時に弓が表板にぶつかりやすくなります。したがって理想的な状態にする必要があります。
多少の微調整は指板の成型でできるので、この機会に正しくしておくべきです。修理でも、ネックの修理をしなくても指板交換だけでプロジェクションを正しくすることができれば一石二鳥で修理代も安く済むというわけです。木材を継ぎ足すことが無いので見た目もきれいです。

このため指板を新しくすると駒も新しくしないといけません。指板交換は長期的に計画を立てておくのが無駄がありません。

それに対してメンテナンスで指板を削り直しても弦高はほぼ変わりません。
それも不思議な点ですが、指板というのは先端に行くほど幅が狭くなっています。カンナを端から端まで通して削っていくと先端の方が多く削れます。このため指板が薄くなることと相殺されて弦高が変わらないのではないかと思います。
一度の削り直しでは誤差のような差でも繰り返していくと大きな差になります。新しい指板になって駒は2mmほど高くなりました。

表板を綺麗にしたので、裏板はそのままというわけにもいきません。ピカピカにしました。

これが新品で買って間もないものなら方法も違います。ニスの材質によってもやり方が違います。この前のザクセンの量産品であれば、丈夫なラッカーなのでゴシゴシ洗うことができました。厄介なのは柔らかいニスで汚れがニスと一体化してしまいます。この楽器が厄介なのはオリジナルのニスの表面に滑らかな被膜ができず光沢が出ないことです。そこに過去の修理者によって透明なニスが塗られていて、その透明なニスが剥げ始めているのです。このような楽器は掃除をするほどにニスが汚れとともに剥げていきます。ところどころに穴のように光らない所が出てきます。特に体が触れる所で、皮脂と汚れが層を作っていて、皮脂を取り除くとコーティングニスがはがれてしまいます。ニスが無くなったところに皮脂でコーティングされていることも少なくありません。
したがって掃除を始めるとコーティングのやり直しが必要なため1日2日では終わりません。なので掃除を始めるには相当な覚悟が必要です。古い楽器には多いものです。
一方量産品のように丈夫なニスが分厚く塗られていれば楽というわけです。

この楽器で厄介なのは木材の表面が綺麗に仕上げられていないことです。カンナの跡が見えます。なぜこのような跡が見えるかというとわずかな凹凸があると掃除したり磨いたりするときにニスを擦るとくぼんでいる部分には残って凸になっているところはニスが薄くなって明るくなるのです。こういうのはちゃんと仕上げていないとヴァイオリン製作学校なら先生に怒られることです。それが2000万円というのですから、ヴァイオリン製作学校の生徒よりも品質が落ちることになります。良い悪いではなくて単なる事実でそういうものであるということを伝えています。

これは作者がそうやって作ったので見苦しくなったところに筆を入れて直すことはしません。作った人の責任で私の責任ではありません。しかし問題はコーティングが凸のところは剥がれてしまい光沢が無くなってしまっているのです。それを直さないといけません。おかげで苦労するわけです。

いろいろなやり方があるのですが、その場しのぎで光沢を出すこともできます。しかしまた次に掃除をすると同じことの繰り返しです。失われた部分にコーティングを施せば注意深い掃除ならコーティングは残っていることでしょう。掃除して磨くだけで済むはずです。

そのあたりはとても難しい所です。ベッタベタに厚く塗って耐水ペーパーで研磨すると新しい楽器の塗り立てのような感じになってしまいます。また凸のところが剥げるので分厚く透明ニスを塗らないといけません。音も変わってしまうかもしれません。かと言って層が薄ければまたすぐにはがれてしまいます。

ギトギトするような光沢になるのは楽器の表面がレンズのようにきれいに仕上げれていないからです。ニスもその凹凸に沿うようにすることで独特の雰囲気になると思います。それを分厚く透明ニスを塗って耐水ペーパーで研磨すると新品のようなツルツルになってしまいます。私は修理で気を使っているのはそんなところです。
父のジュゼッペはトリノでフランス流の楽器作りを学んだはずです。しかし息子のエンリコにもなるともうそのクオリティがありません。たった一世代で変わってしまうのがヴァイオリン製作です。

「高いもの=良いもの」という宗教を信じていると現実は見えなくなります。


修理前に比べて指板が厚くなりました。0.5mmくらいは厚すぎる感じです。一回削り直すとちょうど良い厚さになることでしょう。新しい指板ですから初期不良のように曲がってくることがあるのでその保険にもなっています。


今回の修理とは関係ありませんが、ペグの話もしておきましょう。

ペグがこのように曲がってくることもありますし、摩耗してくることもあります。こうなるとくさびとしてブレーキがかからなくなってしまいます。曲がってくると回転軸がぶれて回すとぎっこんばったんとした動きになります。

これを削り直します。

短くなりすぎたら交換が必要です。この作業でも数ミリは短くなります。本当に微妙な作業です。手元が狂ったらすぐにペグが中に入ってしまい交換が必要になってしまいます。
数ミリ短くなると反対側が飛び出るのでそれを削って短くします。
このあたりも頻繁に行われるメンテナンスです。

あとは弦の交換もあります。これは自分でもできる人もいるかもしれません。やり方は一度職人に教わったほうが良いと思います。
中高生が職場体験で来ます。会社が小さいので、自分が弦楽器を弾いている人に限定しています。また新人の職人も同じですが、必ずやるミスがあります。強くE線を張りすぎて切れてしまうこともあります。駒が倒れてバン!と大きな音がします。アジャスターが表板に傷をつけます。そうやって古い楽器では傷がついているのが普通なのですけども、お客さんの楽器や新品の楽器に傷つけてはまずいです。ですので必ずテールピースと表板の間で、アジャスターがぶつからないようにハンカチのようなものを挟んで弦を張るようにしてください。駒が倒れたときに衝撃で駒が割れることもあります。そうなると駒交換が必要になります。
新たに弦を張るときは弦に駒が引っ張られて傾いていくのでそれを常に直すようにしなくてはいけません。
こんにちはガリッポです。

前回は一番多い仕事として「掃除」を紹介しました。それに次いで多いのは指板の削り直しです。
壊れているように見えなくても徐々に狂ってくることがあります。中でも指板は定期的に削り直す必要があります。

指板は摩耗してくぼんできます。中古のヴァイオリンを人にプレゼントするそうです。それで万全の状態にして欲しいとのことです。

指板は真っ平らではなくカーブがあります。駒にカーブがあるからです。駒にカーブが無いとすべての弦を同時に弾くことになります。
駒だけにカーブがあって指板が平らだと、抑えた弦が低くなって弓が当たらなくなってしまいます。
このため指板のカーブは駒のカーブと同じします。

このようなテンプレートの型はこれまで上手くいったことが無かったです。それは人が作ったものを使った結果使い物にならなかったのでした。自分で高い精度で作ればちゃんと使えました。

さっきのヴァイオリンを見てみると指板が平らすぎます。


他の部分も平らすぎます。
丸くするためには両端を多めに削らないといけません。
このようになるのは、指板を材料として買って来た時に初めにそのようなカーブになっていて最後までちゃんと加工せずに取り付けているからでしょう。

楽器が作られた当初のものから交換されているようです。幸いにも端が厚くなっています。新作楽器なら5.5mmでやっていますが、6mm以上あるので多少削ることができます。今回は可能でしたが、両端がすでに薄ければ理想的な状態にすることはできません。

指板の材料はこのように荒く加工されて売られています。最近のものはとても精密に機械で加工されています。
それでも厚めになっているのでそのまま取り付けるわけにはいきません。
この時両サイドを十分薄くなるまで削っていなかったようです。職人によって立体感の見え方には差があるようで指板が平らすぎることに気付かない人が多くいます。量産品ではほとんどがそうです。

両端を削ります。

このようなカンナを使います。カンナという道具は台に穴が開いていて刃が出ています。台が15cmほどあるため細かな凹凸をならす事ができます。このようなものは買ってすぐに使えるのではなくカンナの台を削り直して調整が必要です。

この部分はカンナの刃が当たらないので削れません。つまりここが摩耗してくぼんでいるということです。

新しく削ったところとくぼんだ所に角ができます。

このような凹凸があると弦が触れてしまい異音が出る原因になるのですべてカンナが通るまで削らないといけません。

さらに削っていきます。

カンナが当たらない所がだんだん狭くなっていきます。

この時点で断面を見ると


上端と下端のカーブは正しくなりました。途中がへこんでいます。

つまりここが演奏で使うことが多かったというわけです。始めに両サイドから削ったのでEとA線が多く使われていたことが分かります。

もう一度見てみます。

くぼんでいるのはこの部分です。この時、このくぼみを無くすにはどうしたらいいでしょうか?


カンナが当たっていない部分以外のところをすべて削れば穴が無くなります。
想像してみてください。地面に穴が開いていた場合、穴以外のすべての土砂を取り除けば穴が無くなります。その原理です。穴を埋めることはできません。
例えばサンドペーパーでゴシゴシやれば削れていない所を無くすことができますが、深くえぐれたままで直っていません。

このため、指板を削り直す頻度を少なくしても多くしても、同じだけ薄くなります。



これで完成です。



だいたいカーブが合っています。

よく見ると真ん中のところは丸みがきつくなっています。なぜこうなるのかまだわかりません。しかし誤差の範囲でしょう。


縦方向はまっすぐではなくすべてこのようにわずかに弧を描くカーブにします。
使っていくうちにこれがもっと深くなっていくというわけです。

使っていなくても木材は天然のものなので曲がってくることがあります。曲がる方向はどちらも有り得ます。場合によって高音側と低音側が別の方向に曲がることもあります。

先ほどのようなカンナを使うとどうしてマイナスのカーブになるのかと言えば、一つは指板がネックと接着されている所より下側は、「しなる」からです。カンナを当てたときに重さがかかり指板がしなります。削った後に指板が戻るので真ん中に隙間ができます。
これだけだとネックに接着されている部分がしなりません。カンナを操作するときに加減をする必要があります。


直線定規を当てたときに、後ろに隙間をつくることで自動的に理想的なカーブになるはずです。…必ずしも自動とはいきませんがはるかに加減しなくても行けます。
これは指板専用に調整したカンナというわけです。指板を削るのはとても多い仕事なので徐々に改良をしてきました。

駒と指板の関係



高い音のE線と低い音のG線では駒の高さが違います。これは、弦の張りの強さと振幅が幅が違うからです。
弦はご存知の通り強く張れば音が高くなり、緩くすれば低くなります。高音の方がピンと張っていて、低音の方が緩くなっています。

音の高さは振動の速さによって決まります。早く振動すると高い音になりゆっくり振動すると低い音になります。低音の弦は緩く張ってあり、ゆっくり振動するので振動の幅が大きくなります。コントラバスなどは目で見ても振動が分かるくらいです。

この時、指で抑えた部分と駒の間で弦が指板に触れてしまうと異音(ビリつき)が発生します。低音では高くしないといけません。

ヴァイオリンでは俗に「ナイロン弦」と呼ばれる高分子系(プラスチック)などの人工繊維の弦が使われています。しかしE線だけはスチールが使われています。ヴィオラでもA線の多くはスチールです(人工繊維のものもあります)。

スチールは鉄に炭素が含まれたもので、鋼とも言います。金属なので他の弦よりも重さがあり張力を適切にするためには細くしないといけません。このためE線はとても細く、張りも強いので指に食い込んでしまいます。初心者は痛く感じるので駒の高さを厳密に調整しないといけません。初心者ほど整った道具が必要なのです。このためうちでは量産品でも駒がついていない状態で仕入れて、自分のところで駒を取り付けます。工場で取り付けられた駒では二度手間になるからです。

このように駒は高さを変えることで弦と指板との隙間を変えることができます。
この隙間を弦高と言います。
E線からG線まで徐々に弦高が高くなっていくようにしています。そのためには駒のカーブと指板のカーブを一致さることが必要です。
弦高は好みに個人差がありますが、低い方が抑える力が弱くて済みます。押さえつける距離も短くなるので深く押さえつけなくても良いことになります。

一方で高い弦高では駒にかかる弦の圧力を強められると考えられます。そのためソリスト向きセッティングと言われることもあります。

しかし必ずしも上級者ほど高くしているわけではありません。

プロの演奏者や教師でも、ロシアや東欧から来た人はとても高い弦高で弾いている人がいます。一方西側の人は低い弦高が好まれます。快適でらくちんなものを求める西側の人たちと、粗末な道具で厳しい鍛錬を受けて来た東側の人たちの違いがあります。チェロになると大きな差になります。偉い先生でもヴァイオリンのように低くする人もいれば、コントラバスのような高さの人もいます。

コントラバスではジャズやロックンロールのように弾いて使う専用のセッティングもあります。指板に弦をぶつけてあえて異音を発生させる演奏法もあるそうです。



もし駒が真っ平らでラウンドしていなければ、他の弦にも弓が当たってしまいます。リラ・ダ・ブラッチオという古い弦楽器ではすべての弦を同時に弾くため、平らに近い駒になっています。一本ずつ弾くためには駒がカーブしていないといけません。
もし弓が他の弦も触ってしまうのなら駒のカーブに問題があるかもしれません。

弓を正確にコントロールできるならカーブは平らに近くでも良いでしょう。そういう意味では上級者向きのセッティングになります。

このようにリクエストによって微調整ができますが、とりあえず「平均的な」調整から使ってみるべきです。これでプロの人でもまず不満は言われることはありません。駒のカーブは正確に加工しないといけません。加工の正確性の方が問題です。
高いものを低くすることはできるので売り物にする楽器では高めにしてあります。購入が決まった段階でその人に合わせて調整し直すことができます。低いものを高くすることはできません。また新しい楽器では変わっていく可能性があります。ヴァイオリンではネックが引っ張られて弦高が高くなっていくことが多いと思います。チェロでは予測不能です。

指板も駒と一致するカーブになっているという話でした。指板が真っ平らなら間の二本の弦高が高くなります。それを押さえつけると駒から離れると弦がほかの弦よりも低くなってしまいます。全く弾くことができません。

駒と指板が密接な関係にあるということが分かったでしょうか?

指板を削るとその分ナットが高くなるので削って低くします。低くすると溝が無くなるので新しく溝を付け直します。ナットの高さも感触としての弦の高さに影響します。高すぎれば弦高が高く感じます。低すぎると弦が指板に当たってビリつきが発生します。特にヴァイオリンのE線が食い込んでトラブルになります。A線も調弦をするたびにノコギリのようにギコギコ動くので削れて行きます。
ナットの形状も弦に角ができないように滑らかなカーブをしている必要があります。

したがってできるだけ低くする精密な加工が要求されます。
頻繁に職人のもとを訪れることができないなら高めにしておく方が安全です。

古いビオラの指板


次は古いビオラです。

指板の形状が違います。一番低いC線のところだけカーブしておらず平らになっています。このような指板はチェロでも行われていました。

先ほどの説明のように、弦はきつく張ると音が高くなり、緩く張ると音が低くなります。低い音になると張りが弱くなりプランプランになってしまいます。そこで「重量」を増します。重い弦なら低い音が出るようになります。低い弦が太くなっているのはこのためです。

かつてはガット弦が使われていました。ガットは羊の腸から作られるものでとても軽い素材です。太くしてもまだまだ軽いので張力が足りません。それで金属を巻くことが行われました。金属巻の弦は戦前にはすでにあるようです。
金属をガットの表面に巻くことで重量を増すことができるので、弦を細くしたり張力を上げることができます。表面も滑らかで弓で擦った音もクリアーになります。

チェロやビオラでは低音の弦がとても太くなり抑えにくくなります。張力は弱くプランプランです。そのため指板のC線のところだけ特別に加工しました。

現在チェロではスチール弦が主流となり下手すればヴァイオリンと変わらないくらいの太さになっています。張りも強く指板にこのような配慮は必要ありません。現在ではメリットがありません。

ガット弦を使っているチェロ奏者でもヴァイオリンのような指板で全く問題がありません。正確に加工されていれば大丈夫です。おそらくかつては応急処置的な感じで異音が出たC線の指板だけ削ったのでしょう。

このような古い指板がついていた場合、厚みが十分であれば角になっている所を削り落とすことができます。

指板の表面が洗濯板のように波打っています。

さらに弦の跡もついています。長年の使用で少しずつすり減っていくからです。

角になっている所から削っていきます。

指板のカーブを矯正しながら削り直していきます。

もともとの指板ではD線(上から2番目)のところが丸みが平らになっていました。このタイプの指板ではそういうことが多いです。C線も手が当たる所が摩耗しています。

これで現代的な指板になりました。今回は指板の厚みが十分にあったためこのように削り直すことができましたが、実際このようなケースはレアです。角は無くすけども形は少し歪んだ状態であきらめることが多いでしょう。特にチェロの場合はそうです。

ナットが高くなったのはそれだけ指板を削ったからです。

指板を削り直す頻度?

劇場のオーケストラのヴァイオリン奏者では、1年使っただけなら削り直す必要はありません。2年ではかなり減っています。修理費用はオーケストラが持つので2~3年に一回は削り直しています。アマチュアなら5年くらいは大丈夫でしょう。

ただし、特に新作楽器の場合は指板も新しいので使用頻度に関係なく勝手に曲がってくることがあります。これは材料の当たり外れで運としか言いようがありません。
その他新作楽器を作ることはヴァイオリン製作学校で初めに学ぶことですが、指板の調整は演奏者と接する実務経験が必要です。黒檀という材質は木材の中でも相当硬いもので加工はとても難しいです。平面ではなく丸みを加工するのも難しいです。

新作楽器の製作は「俺の作風だ」と言い張っていれば良いのですが、指板は高い技能とノウハウが必要です。指板を見れば職人の腕前が分かるほどです。
未だによく分かりません。

一方指板が薄くなってくるとこれも勝手に曲がって来る原因になります。削り直すとさらに薄くなりまた曲がってしまうのです。こうなったら交換が必要です。

木材というのは厚みが変わるとそれだけで曲がってきます。
太い角材がまっすぐでもそれを半分の厚みするとそれだけで曲がってきます。木材とはそういうものです。


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以前ネックが折れたチェロがありました。

膨大な作業の修理が必要です。

ニスを塗るのに1か月くらいかかってしまいました。問題は本体と全く同じ色にするのが難しいということもあります。同じ色のニスを作っても、木材に着色されていたり、木材が古くなっていると見え方が違ってしまいます。
今回は濃い赤茶色で、量産品なので人工の合成染料で作られていることでしょう。チェロくらい面積があるときれいに塗るのは難しく、形が複雑な立体になっていて塗りにくい所です。
また仮に塗れたとしても、層が薄いと擦れたときにすぐに剥げてしまいます。オリジナルのニスはスプレーを使っているのでしょう、赤茶色の上に無色透明のニスが分厚く塗られています。だから衝撃を受けたエッジ以外は徐々に色が薄くなることがありません。
厚い層にするためには塗る回数が必要です。アルコールニスを綺麗に塗るためにはできるだけ乾いてから塗ったほうが良いので一日に塗る回数を少なくしたほうが良いです。

特に難しいのは新しい木材との継ぎ目で、一度塗った後で剥がしてやり直しました。これで1か月もかかったわけです。ネックの部分のために作った同じ赤茶色のニスでは赤過ぎました。ネックがほぼ終ってからさらに色を変えて塗ったのです。

製造時は工場ではスプレーでシャッと終わりなんでしょう。しかし私はあくまでハンドメイドの楽器の作り方で修理をしているのでそんな技術がありません。量産品で分けていたら必要なニスや技術が多くなりすぎます。そうなると高級な方の技術を応用することになります。それで修理代も高くなってしまうわけです。

自動車のように塗装の修理専門で工場が分かれていれば、安くできるかもしれませんが職人の人数が少ないのです。修理が儲かるとならないとそんな細分化もできません。


学校の決められた時期になると中高生が職場体験のため1週間(5日)来ます。始めはレンタル用の楽器の付属品を取り外して掃除をしてもらいます。痛みが激しい楽器は社員が直します。
ヴァイオリンを掃除させると30分くらいで終わります。私がやると場合によっては2時間くらいかかります。職人の訓練を受けたほうが仕事が遅いというのはおかしいですよね?

なぜそんなに時間が違うかと言えば、私はきれいになったか見ているからです。
つまり生徒は台所のテーブルを拭くくらいの感じでやってるのです。


音楽学校の楽器を掃除する仕事です。音楽学校のものにしては戦前のマルクノイキルヒェンの量産品で中級品はあるでしょう。アンティーク塗装の手法がヴィヨーム風です。当時のドイツの楽器製作はフランスから伝わったのです。
40万円位はするでしょう。音楽学校の楽器としては高価なもので今では考えられませんが、いかんせん修理予算がありません。できるのは弦の交換と掃除くらいです。
マルクノイキルヒェンの量産品は独特のラッカーが塗られています。普通ラッカーは耐用年数が数十年で乾燥してひび割れが出てボロボロになってしまいますが、このラッカーは驚異的な品質で100年ほとだった今でも何ともありません。ギターの世界では高級とされているものです。

酷く汚れた楽器は台所用のクレンザーでガシガシ擦っても大丈夫です。

一通り掃除したつもりになっていても、f字孔の周辺と溝のところに汚れが残っています。こういうことを生徒は分かっておらずただ撫でただけです。

表板には松脂が付着しそこに汚れがくっつていきます。そもそもその様子をアンティーク塗装で再現したものでした。作ったときから黒くなっている所と、汚れがついている所の違いが分かるでしょうか?写真では青っぽくなてるのが汚れで、黒い所はアンティーク塗装で初めから塗られたところです。

汚れ自体は古さの趣きになっていきます。しかし、楽器を磨いてピカピカにするときにこれがついていると光らないのです。

汚れが残っている所を重点的にきれいにするとさっきよりもきれいになっています。

さらに磨くと光沢が出ます。

職人の差はこういうところに出ます。
30分で掃除が終わる人と2時間かかる人では修理代が4倍も違うことになりますが、実際にはそこまで価格に差がつかないでしょう。楽して儲けている人と、勤勉に働いて損している人がいるわけです。

今の世界はいかにGDPを上げて経済を発展させるかという時代ですから、30分で掃除が終わる人の方が優秀です。仕事ができるカッコいい人です。

裏板も掃除前です。

次は掃除後

ニスの補修ではなく掃除しただけです。
20年以上やってもずっと掃除の仕事です。これが修理では一番多い仕事です。

掃除をするときに光の加減を変えるためにいろいろな角度で見ます。汚れが残っていないか、光沢が無くなっているところがないか確認しています。その時、割れとか接着の剥がれなどが見つかるので重要な仕事です。ネックや指板が外れかかっていると作業のために持った時に、微妙な違和感を感じます。

普通の産業なら出世したら掃除なんて儲からない仕事は下っ端にまかせたり、パートの業者に外注したりするのでしょうけども、いちいちやっているとお金持ちにはなっていきません。うちでは掃除は駒や魂柱交換などの修理をするとサービスでやっていました。未だに曖昧な所です。いかに効果的に掃除するかは今の関心ごとです。ああでもないこうでもないとそんなことに夢中になっています。

ザクセンのニスは丈夫なので量産品ならガシガシ行きますが、それでも磨き傷をつけると厄介です。細心の注意が必要です。

掃除だけでも見違えるものです。

なぜ弦楽器はピカピカにしなくてはいけないのかも分からない所ではあります。しかし靴磨きと同じでピカピカになっていると仕上がったということです。靴職人でも靴磨きを極めるのに傾倒している人もいるでしょう。

楽器によってやり方が毎回違うので難しいです。特に厄介なのが擦ると色が剥げてしまうものです。ニスというのは、透明で厚みを稼ぐ成分の樹脂と、色素でできていて、塗るときには溶剤で薄められています。溶剤は揮発すると無くなってしまいますので、厚みが薄くなります。樹脂が十分にないと色が固定されずに剥げてしまうのです。掃除して汚れを取ると色まで取れてしまうのです。このようなものは個人のハンドメイドの楽器に多いです。量産品ほどタフではないにしてもとても高級品とは思えません。

工場見学できた人たちは、ニスの話をすると音について興味があるようです。しかしニスで大事なことは①作業効率②耐久性③見た目、そして4番目くらいに音となります。音以前に工業製品として売り物になるレベルのものを作ることがとても難しいのです。図画工作や現代美術レベルのクオリティのものは、メンテナンスをすることすらできません、罰として作った本人にやらせてください。私は触るのも嫌です。

オイルニスの場合には油がつなぎのような役割を果たします。無くなりはしないけどもそれ自体は樹脂ではないので強度のしっかりした厚みを構築するほどにはなりません。油絵の具をキャンバスに固着するくらいの粘着力はあるでしょうが、油彩画でもその上に透明ニスを塗らないといけません。そのあたりは楽器用のニスと共通していますが、画家の方が昔の画溶液の製法を知りません。

このようなオイルニスは古くなると光沢が出ないものが多くあります。過去の修理で上から透明なニスを塗ってある場合があります。それがはがれているところがあると、木材がむき出しになっているわけではないのに光沢は出ません。なので透明なニスを塗らなければいけません。そのニスの開発もしているところです。毎年、ちょっとずつ成分を変えています。
汚れの上から透明ニスを塗ると取れなくなります。それが古い楽器の姿です。そんなことで古い楽器の様子は一台一台違います。

そのため楽器ごとのやり方を見つけるのにも何日もかかるし、一日にニスを塗る回数が少ないほどきれいに仕上がります。ピカピカにするだけでも2週間とかあると助かります。ニスをいじるとなると最低1週間は見て欲しいと思います。面積が限られているとはいえ十分なニスの厚みを稼ぐには新作楽器と同じ回数ニスを塗らないといけません。一か月くらいは必要な所を工夫してそれだけかかるのですから。新作楽器ならさらに最低1か月は乾かさないといけません。


修理で難しい所は、新しく塗ったところはピカピカに光るのに古いニスのところは光らないのです。一か所補修すると他を全部ピカピカにしないといけません。最初のチェロもそうです。
でもネックが折れたらショックでネックのことしか考えていなくて、ニスをピカピカに磨く費用なんて頭に無いことでしょう。チェロの掃除にかかる作業時間は膨大です。それもサービスなの?という怪しい所です。
本来なら掃除に5万円請求すべきでも、お客さんにその覚悟があるでしょうか?

掃除について持ち主本人にできることは、演奏した後で乾いた布で松脂を拭きとることです。この時硬い粒みたいなものが布についているとひっかき傷になるのできれいなものを使うようにしてください。
演奏する前に手を洗うことも習慣づけてください。

一時帰国をした時パソコンの画面を拭くような布を探して電気屋を駆けずり回って見つけられなくて憤慨したことがあります。
結局100円ショップで見つけました。大きいもので常に新しい部分で拭けるものが良いと思います。原価が微々たるものなので100円ショップでないと扱えない商品なのでしょう。
こちらで弦楽器用に発売されているものはろくなものがありません。

本格的に掃除するには弦を降ろす必要があります。この時魂柱が倒れることがありますし、正しい位置に駒を立てなければいけないのでプロに任せるほうが良いです。

こんにちはガリッポです。

「音大を目指すならどれくらいのヴァイオリンが必要か?」というのは課題の一つです。先日はこんなことがありました。

子供用のヴァイオリンやチェロは、成長すると不要になりますが、量産楽器の値段はサイズが違っても同じです。小さくても大人用と同じ値段です。
すべてのサイズを買うのは大変なので、うちではレンタルを利用している人がほとんどです。したがって子供用の楽器を買う人がほとんどいません。
練習に耐えられずに辞めてしまう人も少なくありません。

先生から大きなサイズの楽器に変えるように言われると、お店にやってきます。よくあるのが、先生はやたらすぐに大きな楽器に変えさせようとするのですが、楽器を持たせてみると明らかに大きすぎるのです。正しいサイズのヴァイオリンでも大人がビオラを弾くくらいの大きさなのですから、それより大きいものを弾かせるのは酷でしょう。

うちではケースや弓を合わせて15~20万円位のものを貸しています、料金は月に為替にもよりますが2000円~2500円ほどです。アマゾンで数万円で売っているようなものを買って、上手く使えないと持ってくる人がいますが、修理に楽器以上の代金を払うよりもレンタルするようにお客さんには薦めています。

3/4のヴァイオリンを借りている子供の親から、4/4に変えて欲しいという依頼が来ました。聞いてみるとその子は才能が認められすでに音大に行ってレッスンを受けているそうです。したがってヴァイオリンを持っていないのに音大に行けてしまっています。

それくらいの才能があるなら、良い楽器を使うべきだと我々は思います。親はレンタルで済まそうとしているので師匠は説得しなくてはいけません。2000~3000ユーロくらい(30~50万円)のヴァイオリンになればレンタルのものよりはずっと質が良くなります。それでもヴァイオリンの中では安い方です。

とりあえず4/4のサイズに慣れるために売り物のヴァイオリンを貸して、慣れたら楽器を探してもらうように説得しました。売り物の楽器を通常とは別の料金でレンタルすることもできます。

私は楽器の値段と音(機能性)は無関係だということを言っています。
それは不特定多数の人が見るブログでは、いろいろな人が見ているからです。
芸術のための道具である以上、どんな道具が良いかは芸術家が決めることです。油絵の具が優れていて、他の画材が劣っているとは言えません。現代アートではコンピュータを使ったりペンキのようなものを塗ってある作品もあります。

一人一人のお客さんと対峙すれば職人の意見というものはあります。
歴史的に見て良い楽器というのがなんとなくあります。しかしそれを音楽家に覆されることがよくあります。





またまたこんなヴァイオリンがありました。戦前のザクセンの大量生産品では外から見えない所は手抜きが行われていました。安いものほど気軽に買うことができますから同様のものはたくさん作られました。
外から見ても気付きにくいので知らずに使っている人もいるかもしれません。戦前のザクセンの量産品自体が多くありますが開けてみないと分からないのです。

フランスでは安価なものは平らな板を曲げたプレスという手法で作られていました。日本でも鈴木バイオリンで作られました。それに対して、東ドイツでは無垢の木材を大急ぎで加工していました。
今でも物置などから出てくるガラクタとしてありふれたものです。

この楽器も不用品を売りたいと持ってきた人がいました。新品の楽器を仕入れて売った方が仕事が少なくて効率が良いです。しかし持っていてもしょうがなく数万円で良いというので購入しました。ところが外観よりも中がひどいものです。付属部品を交換すれば売り物になるかと思っていたら、こんな状況です。逆に言えば音が良くなる可能性があります。開けてみないとわからないのです。
私はこういう楽器を見分けることが最近できるようになってきました。


他に同じようなヴァイオリンが修理に持ち込まれました。

一見すると普通のヴァイオリンのようです。外から見ると分かりませんが、中を覗くとおそらく上のものと同様のものではないかと思います。ストップの位置がおかしいです。駒を正しい弦長になるように設置するとf字孔の位置に対しておかしく見えます。f字孔の位置が下過ぎるのです。

材質も安く安価な楽器です。

ギターと違い、ヴァイオリンではオーバーハングと言って裏板や表板が横板よりも大きく張り出しています。

しかしそれが一定ではないためオーバーハングが足りない裏板との接着が不完全です。今回の修理ポイントですが直すにはもはや改造というレベルの修理が必要ですので、剥がれをくっつけるだけしかできません。

ザクセンの量産品の特徴として木枠を使わずに作っていたということがあります。正確性が無いのでバラバラです。


スクロールもストラド型のお手本通り作られていはいません。ザクセンのものならただの安物ですが、なぜかイタリアの楽器なら営業マンから個性的と褒められるところです。

ペグを交換してうまく調弦できるようにしました。

ザクセンの量産品ではペグボックスの後ろの下のところに特徴があります。イタリアの作者のラベルが貼ってあっても、こうなってたら偽物です。

アーチは平らです。

前回では、修理前の音が分からなかったのでこのように荒く作られた楽器がどんな音がするかがわかりませんでした。これは、作られたそのままの状態で、魂柱、駒、弦を交換しました。

板の厚みは表は削り残しが多く厚くなっています。厚くしたというよりは薄くしなかったということです。裏はやや厚めですが普通でしょう。チェロのように厚くはありません。

修理が終わって弾いてみるととにかく鋭い音がします。前回修理したものよりもはるかに刺激的な音が強くキーンと耳が痛くなるようなやかましいものです。刺激的な音が含まれているというよりも、刺激的な音しかしないという感じです。
厚い表板だから鳴らないという事ではなく100年くらいすれば音は強く出ます。むしろ強烈な音です。

このような音をどう評価するかは人それぞれですが、心地良いとは感じにくいでしょう。
鳴るべきではない音が出て、鳴るべき音が出ていないということですね。それがはっきりします。こうなると鳴る鳴らないという言葉では語れません。
このことはアマティなどのオールド楽器の音を考えるうえでヒントになるかもしれませんね。
また、遠鳴りとかそば鳴りという現象を説明できるかもしれません。このようなやかましい音は遠くには届かないでしょう。

とはいえ、なにがどう作用してそのような音になるかはいまだにわかりません。分からないですが興味深いですね。

また「削り残しのバスバー」だから音が悪いとはっきり言えるかわかりません。もう少し丁寧に加工すればどんな音になるかはわかりません。しかし熟練した職人にとってはバスバーを取り付けるほうが簡単です。少なくとも私のようにバスバーをたくさんつけた経験があればその方が楽です。その私も初めの頃はバスバーをつけるのに1週間かかっていましたから。誰でもそうです。

また前回のような修理は刺激的な音を抑えて、鳴るべき音が出るようにする効果があることでしょう。

古いものが良いと言ってもとても安価なものは強烈な癖の強い音がすることがしばしばです。作りは現代の量産品よりも荒く、鳴りが強くなっている分だけ音も強烈です。こちらではそのような楽器がありふれていますが、日本で大手楽器店で普通に売られているのは新品のものでしょう。比較対象としての幅が狭いですね。

オールド楽器も作風や品質がバラバラで標準化されていないので極端な音のものもあります。

またとんでもなく不器用な人や独学で作っていたような人はどの国にもいて上等な量産品のレベルにも達していなければ同じことです。イタリアのモダンの職人なあら500~1000万円ほどになることもあります。また作者不明のイタリアのモダン楽器で数百万円ということもあります。
演奏者の中にはイタリアの楽器だと聞くと音が良いと言う人がいます。お客さんのタイプを見極める必要があります。師匠も外国からのお客さんの場合には「イタリアの楽器がありますよ」と出して来ますが、地元のお客さんの時には自分が心底良いと思わないものを薦めようとはしません。

ともかくこのヴァイオリンは作りが荒く、音も強烈な刺激的な音がします。このようなものを知っているので職人としては安価な楽器の音として認識します。「刺激的な強い音」の楽器を作るのに何か才能がいるわけではなく、何も考えずに、分業で最低レベルの製品を作るとそんな音になるということです。

個人の作者のハンドメイドの楽器でもここまでではないにしても、輝かしい強い音がする楽器があります。それは特別な才能が有って強い音の楽器が作れているわけではありません。どこの誰が作れるのかわかりません。そのようなものはよくあるので私は珍しいとは思いません。Youtubeに自分の楽器を自慢げに披露している職人がいますが、動画でも音が鋭いのが分かるほどです。


持ち主はコンサートマスターだと聞いています。どんな感想を言うのでしょうかね?職人とは全く違うことを言うかもしれません。

技術者としての私の考え方は、音は物理現象にすぎません。どのような音がするかというだけで優劣はありません。それをどのように意味づけするかは文化の問題です。
文化としての音をもっとよく考えるべきだと思います。

たとえば鉄道でも交通機関として利用する人と鉄道マニアがいます。鉄道マニアは独特の文化を作っているので、列車に対する評価も一般の人とは違います。

弦楽器でも音楽のための道具として使うのであれば実用本位に考えられるはずです。
一方名品を収集するコレクターなら全く違う評価になるはずです。そのあたりもゴチャゴチャになっています。「高いもの=良いもの」ではなく違いを分かってほしいものです。また違いが無いことも分かってほしいです。

文化というのはそういう趣味趣向によって細分化されて行くものだと思います。このため不特定多数の人が見ているブログでは何も言えません。

現実的には個人的な趣味趣向の問題となります。カルテットのメンバーでも共通する音の好みがあれば文化の出来上がりです。
それが「イタリアの楽器は音が明るいから良い」なんてのは技術的には嘘で文化として次元が低すぎます。

また、私自身が楽器を作るクリエイターでもあります。ものを作る人には創造性が必要です。答えを決めてしまうと何も生み出すことができません。ですから、答えを決めないままでオープンにしています。良いか悪いかを置いておいて、楽器を調べることは興味深いものです。ストラディバリだけでなく安物の楽器も研究対象として面白いものです。楽器を販売するだけの人であればその必要はありません。評論家気取りで偉そうにして安い楽器をバカにしていれば格好がつくでしょう。そのようなクリエーターとして最も才能が無い人が作者の才能を語っているのですから聞く価値があるか考えてみてください。



こんにちはガリッポです。


前回安価な戦前のザクセンのヴァイオリンの表板を直しました。
裏板はチェロのように厚く、周辺には削り残しがありましたが、修理代が高くなるので削り直すことはできません。これでどうなるでしょうか?

出来上がってみると新しい楽器とは違う鳴りの良さがあります。音は角があり尖っていて強さを感じます。明るい響きは抑えられ低音が強く深みがあります。このような「暗い音」はうちでは求めるお客さんが多いものです。暗い音で強さがあるというのですから基本的にはよく売れるものです。もし日本で全く違う評価がなされるとしたら、音なんてそんなものだということです。
実際、初心者用の弦を使っているお客さんが高級弦を求めて来店したときに、「明るい音が良いですか、暗い音が良いですか?」と聞くと「暗い音が良いです」と答えるのはいつものことです。そうなるとピラストロ・オブリガートから試してみてくださいということになります。

自作の新作楽器では板の厚みが音色の明るさに影響することが分かっています。しかし量産楽器や古い楽器になると何がどうなってその音になるかよく分かりません。

職人は、イタリア以外の楽器なら値段を技術的な面から説明できます。なぜその値段になっているか、安価な楽器は安上がりな方法で作られているということです。しかし音についてはなぜそのような音になっているか説明はできません。

それに対して弾いてみるしかないということになりますが、弾いても評価する方法も人それぞれで定まっていません。つまり楽器の音の良し悪しをはっきりと判定する方法すら確立していないのです。
10人中10人が、100人中100人がこの楽器の音は悪いとか、この楽器の音が良いということは言えないのです。
したがって技術者としては楽器の音を判定することはできません。

値段についてはイタリア以外のものなら製造技術によって説明ができます。

イタリアのものについては、商業的な理由でしか説明はできません。


このヴァイオリンはピアノを弾いてきた人がヴァイオリンを始めるそうです。修理の結果壊れたところは直り、音は出るので練習することは可能でしょう。駒のカーブが正しくないと弓がほかの弦を触ってしまいます、駒が高すぎるとE線を抑える時に指が痛いです。ペグが止まらないと調弦ができません。音自体については好き嫌いでしかありません。
裏板が厚すぎることも、音が悪いとはっきりわかるほどではありませんでした。広いホールなどで上級者が弾けば差は出るかもしれませんが、初心者が部屋で弾くくらいなら特に問題は感じないでしょう。

表板も仕上げ直したことでどう音が変わったかは、それ以前が分からないのでハッキリしません。しかし弓の操作による音の反応は現れるようになったのではないかと思います。
そういう意味で修理としてはコストパフォーマンスが高かったと思います。

結果として出てきた音は鋭く尖った音です。その前がどんな音だったのかは壊れていて分かりませんが、バスバーを交換するとマイルドになることを経験しますので、それ以前はもっとひどかったのかもしれません。なぜ鋭い音になるかは理由は分かりません。

鋭い音の楽器はこのような安価な楽器にもあるように、決して珍しいものではありません。したがって、ヴァイオリン族の弦楽器というのは鋭い音がするものだという事でしょう。そんな楽器を使っていることもありますが、初心者や子供の演奏を聴けば鋭い音がしていることが多く、先生くらいになると柔らかくて豊かな音を出しています。

こうなると柔らかい音がする楽器が希少で、なぜそんな音になるのか調べたほうが良いかもしれません。ところが、柔らかい音の楽器と同じ特徴を持つものでも鋭い音がすることがあります。オールド楽器では柔らかい音のものがあります。しかしオールド楽器でも鋭い音のものがあります。板の厚みやアーチ、ニスの特徴でも音が柔らかい楽器の特徴は見出すことができません。


いずれにしても鋭い音がすることは決して珍しいことではなく、柔らかい音の方が珍しいということですから、鋭い音が好みなら安価なものでもいくらでもあります。一方柔らかい音のものを好む場合は難しいです。新作楽器なら、まだ寝ぼけた様なおとなしい音で甘く聞こえますが、時間とともに鋭くなっていくことでしょう。

鋭い音の楽器を使っていると耳障りな音が嫌に感じるかもしれません。聞いている方がもっと感じます、鋭い音で下手な演奏はまさに近所迷惑です。ヴァイオリンが難しいというイメージができている所以です。

一方で柔らかい音の楽器をずっと使っていると手ごたえが感じられず物足りない感じがするかもしれません。オーケストラ奏者では舞台上で不満が出てきます。妙な改造パーツに飛びつくマニアも出てきて変な音になっていたりします。
傷んだ古い楽器では元気よく音が出ません。修理後は前と比べればよくなったと感じるかもしれません。それで満足するかどうかは心理学の世界です。

どちらにしても不満は出て来るし、満足する人はどちらでも満足できます。

基本的に音が出やすい楽器は優れた楽器と言うことができます。柔らかいよりも鋭い物の方が強く感じます。機械で同じように作られた同じメーカーの量産楽器でもものによっていくらか柔らかかったり鋭かったりします。好みによって選ばれます。

寒気がするくらい鋭い音のものでも、コツを身につけているのか柔らかい音を出している人がいます。だから結果として出てくる音は弾く人の影響のほうがはるかに大きいというわけです。
その弾き方で他の楽器を弾くとうまく音が出ないでしょう、それは練習用としては特殊すぎます。それも運命と言えば運命です。

音の評価が不確かなのはこんな状況だからです。自分で音が良いということを定義づけることで初めて語ることができるようになります。言ってくれれば共有することができます。
しかし他の人は当然別の定義となります。

不確かな「音」で値段をつけることはできません。それに対してほとんどのイタリア以外の楽器なら製造技術で値段を説明できます。それに対してイタリアの古い楽器は取引相場で考えます。私が仕事を始めたころは、同じような製造水準のモダン楽器がイタリア製なら他の国の3~5倍くらいしていましたが、今なら5~10倍くらいです。20年ほどの間にそれだけ値段が上がっていますが、音はそのままです。市場での値段の付き方はものすごく極端になります。職人たちは投機目的で加熱し楽器相場がバブルになっていると声を上げるべきでしょうが今のところはお金の力にかき消されています。
オールド楽器は独特な音があるでしょう。しかし、500万円や1000万円の予算では焼け石に水です。イタリア製に限るとただの中古品しか買えません。もっともっとお金が必要です。となると現実的な対処法が必要です。このことでは日本などは遅れている方でしょう。韓国、中国や台湾が日本の後をなぞっていくことでしょう。


今回の修理でもザクセンの量産品の中でも安価な楽器であることは確かです。古いということを考えても20万円が限界です。今回以上の修理を施す価値はありません。しかし100人中100人が音が悪いということはできません。ちゃんとヴァイオリンのような音は出ますし、むしろ強く音が出ます。値段や技術を知らずに弾いたら音が良いと思ってしまう人が出てくるでしょう。

職人が見て良い楽器とか安い楽器というのがありますが、演奏者はそれと違うものを選んでしまうことがよくあります。我々も思い込みで音を解釈してえこひいきをしてしまうものです。


一方、技術的に面白いのは表板の音への影響は大きく、裏板は厚すぎてもそれほど問題にならないということです。むしろ使う人によってはプラスに作用する可能性もあります。横板の厚みも通常の倍近くあり、横板が厚い方が良いという噂もあります。噂になるのはたいてい派手な趣味でしょう。
実際に裏板が厚すぎる楽器はたくさんあります。木材が表板よりも硬く薄くする作業が大変なので途中で投げ出してしまいます。すごく音が悪いかというとそうも言えません。今回の修理はとても合理的なものだったと言えるでしょう。
























こんにちはガリッポです。


前回修理のために表板を開けたヴァイオリンです。

バスバーは木材を取り付けておらず、そこだけ表板の一部を削り残してあります。


バスバーと表板の年輪の線がつながっています。一つの木材だからです。
板の厚みも正確に出されていません。
削り残しが多いので一部を除いて厚すぎます。バスバーの付近と周辺は特に削り残しが多いです。駒の来る中心が厚すぎるのでかなり厳しいでしょう。

表板の割れを直せば新品の状態には戻せますが、これで練習するのは酷です。表板を開けて閉めるだけでもお金がかかってしまいます。
それならいっそのこと表板を削り直して、バスバーを新しくしたほうが良いでしょう。

フレームに固定して表板にストレスがかからないようにします。表板の歪みが無いので接着面を合わせるのも楽です。

元のものとは大きな違いです。
技術的に見て安い楽器と高い楽器の違いはこんなところにあります。

裏板の周辺にも削り残しがあります。裏板も厚くチェロのようです。これじゃ子供用のヴァイオリンと実質同じことです。ただし、音は好みなので子供用のヴァイオリンのような音の方が好きな人が全くいないとは言えません。

裏板も隅まで削って薄くすればさらに「普通のヴァイオリン」に近づくことでしょう。しかし費用が掛かり過ぎます。表板は特に音に影響が強いので表板だけを改造修理することにしました。コストパフォーマンスが最大になる修理ということです。

横板の厚みは2mmあります。普通は1mm強で、チェロ以上です。
およそ楽器の振動が全体に伝わって行かないことでしょう。表板だけでも鳴れば鳴らないよりは良いでしょう。

表板を削り直すと分かってくることは、弾力が出てくることです。始めの状態では表板はとても硬くびくともしません。それが多少弾力が出てきます。厚みを仕上げ終えてもまだ硬いです。ザクセンの量産楽器の場合、表板や裏板の外がの周辺部分の溝がほとんど掘られていません。そのようなことも硬さの原因になっていると思います。

なぜ裏板は厚すぎるとはいえ仕上げてあるのに対して、表板は仕上げていなかったかと言えば、f字孔からのぞいた時に裏板は見えるからです。表板の内側は全く見えません。それだけの理由です。音がどうとか考えてやっているわけではありません。
また安価な楽器の多くはどちらかというと板が厚いです。
ですから「板が厚いのが本物だ」とか「安い楽器は板を薄くして安易に鳴るようにしてある」というのは嘘です。このような嘘の知識を語る人は他のことも嘘かもしれません。安易に鳴るようになるならぜひするべきですが、薄いからといって鳴るわけでもありません。



うちの工房ではこの前、ミルクール製のチェロのバスバー交換をしました。ミルクールの量産品ではありますが、プレスではない無垢の木材のもので、下手なハンドメイドの楽器と変わらないくらいの質のものでした。音は金属的な耳障りな音で長年売れずに残っていました。これではどうにもならないと同僚がバスバーを交換することになりました。

出来上がると金属的な耳障りな音は軽減しました。しかし依然として鋭い音は残っています。柔らかくなった上、楽器全体が大きく響くようになり、2段階くらいスケールがアップしたような感じがしました。値段は2万ユーロくらいのものです。チェロにしては手ごろであり貴重なものとなりました。

なぜバスバー交換でそのような変化があったのでしょうか?力が表板全体にじわっと分散するようになったからでしょう。それ以前はただ金属的な音がするだけでした。

バスバー交換によって音の鋭さがマイルドになりました。しかし逆にすることはできません。バスバー交換で音を鋭くすることはできません。

またなぜそのチェロがそのような鋭い音を持っているのかはわかりません。


そのミルクールのチェロにはイタリアの作者のラベルが貼られています。イタリアの作者は独学で学んだ人で、そのチェロはプロが作ったようなものなので違うことが分かります。同じ作者のヴァイオリンを見たことがありましたが、素人が作ったようなものでした。その素人のような作者のチェロなら1000万円を超えるでしょう。しかし楽器の質が高くがうまく出来過ぎているのでニセモノだと分かります。量産品以下の出来なのが本物です。

この修理では耳障りな音と、楽器がうまく機能して鳴ることの違いも分かりました。離れて聞いてる人のほうがよく分かって弾いてる本人には分かりにくい違いなのかもしれません。演奏者の方が鋭い音を好むことが多いです。弾いてる人には鋭く感じられ、聞いている人には柔らかく感じられるものが理想かもしれません。実際多いのはその逆です。聞いている方は黒板をひっかくような寒気のするような音でも本人は平気だったりします。

健康的にはなりましたが、依然として鋭い音を好む人に合ったチェロのままです。楽器の音は好みの問題なのです。


弦楽器は弓、弦、駒、表板、裏板など弾力を持ったものの集合体になっています。今回のようなヴァイオリンでは弾力が皆無です。表板は多少ましになりましたが、裏板はチェロのような厚さで周辺に削り残しがあり子供用の楽器のように実質的に一回りも二回りも小さいものと変わらないことでしょう。魂柱をグラグラに入れるといくらかましになるかもしれません。

板の厚い硬い楽器に、強い張力の弦を張り、重く硬い弓で力でギュウギュウ鳴らすというのでは変な癖がついてしまう事でしょう。音の話とはそれくらいのことです。

「普通の楽器」で練習をすることの重要さが分かってもらえるでしょうか?

こんにちはガリッポです。

こんなヴァイオリンが持ち込まれました。
いくらくらいの値打ちのものでしょうか?

古びた感じがします。
普通のヴァイオリンですね。

ヴァイオリンの形をしています。

スクロールには繊細な丸みがあります。

表板に割れがあります。もう少しで魂柱のところに達してしまいます。今のうちなら簡単な修理で済みます。これが駒の下まで達すると修理は高額になります。

表板を開けるとこのような感じです。

最低ランクのものでした。今ならもっとましな中国製品が10万円もしない値段であることでしょう。
バスバーは取り付けて無く、削り残したものです。内側の面は仕上げられていません。

戦前のマルクノイキルヒェンの量産品の安価なものはこんなふうに作られていたものもありました。今では機械で作られるようになったので同様のものは新品ではありません。

このような割れが生じる原因は、表板の下にナットという黒檀(安い楽器では他の木材)の部品が取り付けられています。時間が経つうちに表板が縮んでいくのに対してナットは縮まないので割れが生じるというわけです。

防ぐ方法としては、伐採されて間もない木材ではなく、長く置いたものを使う。ナットはぎちぎちに入れるのではなく、緩いくらいにします。私は隙間が空くくらいにしています。

この楽器では板の厚みのムラも割れの原因になっているかもしれません。


とはいえ現代の中国製のものでも開ければひどいものです。

量産楽器の音?


先日、先生と生徒がヴァイオリンを探していました。仕事をしながら音を聞いていましたが、先生が量産品を試すとさすがにどれも良い音がしています。
参考までにと1万ユーロを超えるものを試したいと先生が言うのでいつくか用意しました。
そうすると高価なものの方が、大人しく、控えめで、ぼんやりとした様な音でした。量産品の方がはっきりとカラッとダイレクトな輝かしい音でした。


安価な楽器の方がダイレクトで輝かしい音がし、高価なものの方が控えめでマイルドな音がする理由もわかりません。仕事の粗さが音の荒々しさにもつながっているようです。均質になっていれば弦から伝わった振動や弓の圧力が楽器全体に分散していくことでしょう。言い換えると表板にはばねのような弾力があり特定の振動が吸収されているわけです。一方ガタガタに作られていれば力が伝わりません。楽器全体にじわっと力がかかるのではなくすぐに跳ね返ってくることでダイレクトで手ごたえのある音になるのではないかとも思われます。

この説によれば楽器全体を大きく使って音が出るのが上等な楽器で、小手先で刺激的な音が出ているのが安い楽器というわけです。ダイナミックな演奏をする人では、楽器の性能差のように感じられます。ダイレクトな音は離れて聞くと、か細く聞こえます。しかし小手先の手ごたえも弾く人にとっては無視できず弾いてる本人の方が意外と安価な楽器を褒めていたりすることがあります。ナイロン弦の進化により、耳障りな嫌な音は低減し、上品で優雅な貴族趣味が失われ、むしろの最近の好みでは安価な楽器のような音の方が好まれるようになってきたのかもしれません。
とはいえ私はどんな楽器が分かって聞いているので思い込んでいるだけなのかもしれません。


穏やかな大人しい音のもので、本当にただ単に鳴らないものなのかもしれませんが、それが数百万円だという知識を持つことで良い音だと思い込まされてしまうこともあるかもしれません。
そういうことが怪しいなと私は気付き始めたところです。

左はマルクノイキルヒェンの戦前の量産品で、右が20年前に作られたハンドメイドのヴァイオリンです。これはお客さんが使っているものでちょっとした修理のために来ました。明かに量産品のほうが良く鳴ります。音には深みがあり味わい深さもあります。ハンドメイドの方は調弦するために弾いただけでも重たい感じがして鳴らないのがすぐにわかります。
低音は圧倒的に量産品のほうが良いですね。現代のハンドメイドの楽器はAとE線の高音は出るようです。低音が出ない「明るい音」の楽器です。日本の営業マンなら豊かな低音を「こもり」と説明する力技もあるかもしれませんね。
お客さんの楽器を預かるとこういうものが存在することを知ることになります。
現代の方も20年経っているので新品ではないですが、とにかく楽器が硬い感じがします。音はマイルドです。

何人かの演奏者が集まって、値段などを知らせずにこの二つのヴァイオリンを弾き比べたら、量産品の方が圧倒的だという空気になることがあると思います。新品のものならもっと差は開くことでしょう。そういう経験を私はブログでも話してきています。

この量産品とよく似た楽器でチェルーティのラベルが貼られて80年代に数百万円で売られていた記録の残っているヴァイオリンもありました。私たちが量産品であることを指摘しなければ、持ち主は本物のチェルーティだと思っていて気付かないことでしょう。事実を告げるのは心が痛みます。

しかしさっきの話だと、上等な楽器の方がおとなしく、控えめで、あいまいな音がするということもあります。高い楽器の音はそういうものだと言われると、下衆なものではなく上品な音のようにも感じられます。

量産品は音が悪く、ハンドメイドのものが音が良いと信じられているかもしれません。この時なされる根拠のない説明があります。
量産品は複数の人が部品や工程ごとに作業を分担して作っているので、「作者の意図」が無いため音が悪いというような説明があると思います。それについて私は、ハンドメイドの楽器でも作者が意図して音を作るのは難しいので当てにならないと現実を説明しています。

それに対して今回の写真のように安価な量産品はちゃんと作っていないということを知るべきです。逆に言えばちゃんと作ってあれば量産品でも音が良い可能性が十分あります。作者を神格化して高い値段で楽器を売るために都合の良い理屈が肯定されてきました。
一方ハンドメイドで一人の職人がすべての工程を手掛けたとしても、急いで雑に作ってあれば量産品と同じことです。量産品のような音のするハンドメイドの楽器を高い値段で買うのはバカバカしいと思いませんか?
私は、ハンドメイドであるということに特別な価値を感じません。

作者の意図とは関係なくたまたま音が望ましいものができることがあるということです。このような偶然のようなことはバカにできません。人によって求める音も違うため、相性の問題となります。ある程度ちゃんと作ってあればどこの誰が作っても既に「良い楽器」であり、音は好みの問題でしかありません。職人はそのように品質で楽器を見分けています

これに対して営業上がりの楽器店は、作者の名前や生産国で楽器を区別しています。このため、同じプロでも全く別の見方をしています。営業マンは作者の知名度が高いと「良いもの」と考えます。ストーリーを語ることでセールスがしやすくなります。
一方職人は品質が高ければどこの誰が作ったものでも「良いもの」だと考えます、音は好みの問題で誰か気に入る人が現れるだろうとその程度です。
このためコレクターが名品を持っていても、職人には笑われているかもしれません。
職人はそのような教育を受けるため品質が高いほど音が良いと思い込んでしまう職人が出てきてしまいます。

これも音を判断する上で紛らわしいことの一つだと思います。
実際オールド楽器では荒々しく作られたものでも数千万円、億単位の値段がついていたりします。デルジェスなんてそうですね。アマティやストラディバリはきれいに作られていますが、荒く作られているデルジェスやモンタニアーナのチェロなどもそれと並ぶものとなっています。

そこまで高価なものでなくても荒く作られたもので音が良いものは経験します、必ずしも荒く作られた楽器の音がダメで、丁寧に作られた楽器の音が良いというわけでも無いということになります。
ていねいに作られた楽器でも耳障りな音のものはたくさんあります。少なくともていねいに作るほど音が良いというわけではありません。



弦楽器の業界では値段ばかりの話をして良い音とか音が良いとは何なのかということは、真剣に考えられてこなかったと思います。そのことを当ブログでは投げかけています。
「良い楽器=音が良い」ということも当然のことではありませんでした。そのような思い込みがあるなら弦楽器のことをもう少し知ってほしいと思います。
ヴァイオリンは現在とは違う時代に、違う国で作られ、今でも独特のカルチャーの世界です。現代の日本で生まれ育った時に自然と身についてしまう常識を捨てることがより理解することになるでしょう。


楽器の音が分かるようになるには演奏者に技量が必要です。誰が弾いても鳴る楽器もあれば、ツボにはまると鳴る楽器もあります。
そのためには、練習用のヴァイオリンが必要ですね。完全にニュートラルな特性のヴァイオリンで腕を磨いて、それで理想のヴァイオリンを探すのが良いかもしれません。しかしニュートラルなヴァイオリンなんて思いつきません。500年の歴史の中で平均的なものを作ることはできますが、音は平均にはなりません。私が作ると私独特の音になってしまいます。

そんなものがあれば学生さんなどには最適なものなのですが、これを買っておけば間違いないというものが思いつきません。

熱心な親御さんは自分の子供が有利になるような何かとんでもなく優れた楽器を欲しいと思っています。現代の教育熱でそのような需要がありますが、嘘でも需要に応えればビジネスになるでしょう。それでとんでもない高価な楽器を買ってしまいます。製造する側からすれば現実ではない幻想の話です。ごく普通のなんでもない楽器を本当は選ぶべきなのかもしれません。


私一人にできることはありません。
私が作る楽器では、「古い楽器のような」とはっきりと目指すものを表明しています。同じ音は無理でも系統としては近いものになるでしょう。

人によって違ういろいろな良い音がごちゃ混ぜになって趣味趣向の方向性なども分類されていません。業界全体として私利私欲を超えて語られるには程遠いことでしょう。


こんにちはガリッポです。


ネックが折れたチェロですが、保険に入っていたおかげで修理代が出ます。修理代はチェロの値段に近いくらいですが、技術的には修理できます。

この前のヴァイオリンとは継ぎ目の方式が違います。

状況によっていくつかやり方を選ぶことができます。



チェロになると作業は膨大です。

GDPを成長させ経済を豊かにするには生産性を高めることが必要です。こんな面倒な作業をせず新品のチェロに買い替えを薦めるほうが仕事が楽です。新しいチェロを発注するだけで済みます。
粗悪品を高い値段で売れば所得が向上します。壊れたらまた新しいものを買えば良いでしょう。労働時間を短くして所得を増やせます。お客さんからすればどうでしょうね?
弦楽器以外の分野では現実の話です。ヴァイオリン職人だけが昔のままです。


このチェロは木材の感じが中国産で、おそらく中国製でしょう。外側はわりと綺麗に加工されています。中を覗くと中国製だなという感じがします。2003年に販売されたもので20年以上経っています。20年経った自動車を新車価格ほどの修理を施す人がどれほどいるでしょうか?

ニスは中国の家具のような濃い赤茶色で戦前のザクセンの量産品や西ドイツのものとは違う感じです。
赤茶色のニスの上に分厚く透明なニスが塗られています。これがプラスチックのような人工樹脂なら、プラスチックでコーティングされているようなものです。プラスチックは柔らかい素材なので響きは抑えられるかもしれません。それでチェロらしい深みのある「暗い音」になる可能性もあります。何がどう転じてその音になるかは予測がつきません。試奏して選んだチェロなので新しいものを探すのはまたまた大仕事です。


指板を新しくする必要があるかも問題です。指板はうまく外れる時と外れない時があります。このような量産品で木工用ボンドのような化学的な接着剤を使っていると剥がれなくなることもありますし、指板の質によっては剥がそうとすると裂けて割れてしまうことがあります。

難しいのは修理を始める前に見積もりを保険会社に提出するのですが、やってみないと分からないことが多くあります。
今回は指板も新しくすることになりました。
今回は休暇を取った先輩の仕事を引き継ぎました。

仕事を引き継ぐと同じ工房内なのに、自分とはやってることがだいぶ違います。

このようなテンプレートの型は写して作ってあるのでそんなに変わりません。しかし指板のカーブは私が加工する時とずいぶんと違いました。

彼は先輩であるだけでなく自分でもチェロを弾きます。私はチェロのことは分からないので、与えられた型に忠実に作業しています。先輩は仕事が速いのですが、こうやって仕事を引き継ぐと型には忠実に仕事をしていませんでした。いちいちチェックはせずに見た目の感じで丸みを出していたのでしょう。断面にするとかなり丸い感じがしました。職人の仕事はそのように、いちいち測ったりしてチェックしていると時間がかかってしまいます。規格に忠実でなくても、感覚で仕事して、演奏上問題がなければいいわけです。自分もチェロを弾く人なので、私が注意をするわけにもいきません。

以前から先輩のチェロの指板は丸すぎると思っていましたが、先日音大生が丸すぎて弾きにくいと教授にも言われたと持ってきました。作業する間、代わりに私が仕上げた指板のついたチェロを貸し出すと、そっちはとても弾きやすいとのことです。

私には断面が丸すぎるように見えても、先輩にはそのようには見えていないのでしょう。社長にそのことを指摘してもよく分からないようでした。
職人の間でも人によって見える見えないに差があるようです。自らがその楽器を上手く弾くとしても見えないと分からないです。感覚でやっていると慣れてしまいベテランほど癖が強くなっていくということもあるでしょう。
先輩も社長も気付かない問題が私には分かっていても、工房内で誰にも理解してもらえないということです。

そのため私が削り直しましたが、一度削りすぎてしまっているものを直すのは無理でした。新しい指板なので薄くすることもできません。

メンテナンスの場合には、それ以前に加工された指板が、使用によって摩耗するとそれを削り直します。この時完全に理想的な状態にすると、指板が薄くなりすぎてしまいます。そこで、最小限の削り取る量で、ビリつきなど現実として問題が出ないようにします。

立体の形が見えるか見えないかは職人によって差があります。このような違いも、楽器の音に違いが出る原因なのかもしれません。つまり意図的にできないことです。

職人の演奏がうまいからと言って任せて安心というわけでもありません。

指板を加工するだけでも宇宙のような広い世界を感じます。指板は先端が狭くなっているので、未だによく分かりません。カンナを理想的に調整しても自動的にうまく加工できません。こまめにチェックしながら加減をする必要があります。私はカンナの調整は普通の人とは全く違う厳密さでやっています。それでも理想通りには機能しません。突き詰めるほどなぜ上手くいかないのかわかりません。それに対して、常識レベルの職人は、あいまいな仕事をして、お客さんからクレームが来たら、ビリつく原因となる所をいじって適当なことを言ってごまかせばいいというわけです。実際にコントラバスになると、まともに加工していたらとんでもない作業量になります。昔はチェロでもC線のところだけを平らな面に加工していたのは、理想的に指板を加工するのではなく問題が出たら対処療法でごまかすという方法でしょうね。

指板加工を極めてそれだけの専門家として仕事ができれば面白いですけども、そういうわけにもいかないので、よく分からないまま現実として仕事をしています。指板もそれくらいのものです。

理想的に指板を加工することは不可能かもしれませんが、指板を加工するのは仕事としてはとても多いです。何とかならにないものかと思います。


別の話題です。

こんなヴァイオリンもありました。シェーンバッハと書いてありますが、ボヘミアの代表的な産地で現在チェコのルビーという所です。
ラベルはついておらず、この作者についても資料は何もありません。この人の家族については、自分の名前で楽器は売らず下請けのような仕事をしていたようです。

かつてネックが外れる故障があり雑な修理がしてありました。困ったものです。
悩んでいる時間がもったいないので上部ブロックを交換しました。

ボタン(裏板の突起)を新しくしています。

丸みのあるモデルでf字孔も個性的ですね。

アンティーク塗装で一枚板が使われています。オレンジが鮮やかで古い楽器には見えにくいですね。

スクロールも個性的?
個性的と言うこともできますが、お手本通りきれいに作られたものではないとも言えます。

ボヘミアでは大規模な工場ではなくても、それぞれの家に作業場があって、すごい速さで楽器を作っていたようです。作者名もつけずに販売者に卸していたようです。開けたことで中に名前が書いてあることが分かりました。
この楽器では内部の接着部分に甘い所があります。

ニスもテカテカのラッカーのような感じです。
工場ではなく家で作っていたなら個人の作者の楽器です。しかし、工場製の量産品か、ハンドメイドで急いで作ったものか区別する必要はありません。品質から見ると中級品であり、今の相場でも50万円位でしょう。

イタリア以外のものは「ハンドメイド」であっても特別高価になるわけではなく品質によって値段をつけます。イタリアの戦前より前の作者のものは品質に関係なく相場で値段を決めます。


しかし表板や裏板の厚みはきちんと出されていて、アーチも変な癖がありません。ボヘミアのマイスターのものと音響的に重要な部分は変わらないようです。
このようなものはとても珍しいので我々はおっと思うわけです。

実際に150万円くらいするボヘミアのマイスターの楽器のように20世紀の楽器らしく明るくまずまず鳴ります。それが50万円くらいですからコスパは良いですね。
しかし完璧に作られてはおらずニスも安っぽいです。これがマイスターの高級品との違いです。このようにイタリア以外の楽器は技術的に値段の違いが説明できます。

技術的な楽器の見方と音もだいたいあっている感じです。
しかし明るい音が良いのかどうかも各自の自由ですし、明るいというのも私個人の印象でしかありません。私は貴重なものだと思いますが、試奏した人は何とも思わないかもしれません。



次はこれ

私が若い頃に作った二コラ・リュポーのコピーです。長年チェロ奏者のコレクターが持っていて今は音大生が使っています。今になって音が変わってきました。音大生もこの楽器でする演奏を楽しんでいるそうで職人として何よりです。

アーチはとても平らです。
私はアーチは高くても低くても何でも良いと考えています。弾く人が個別の楽器をどう思うかだけです。私は基本的に「〇〇は音が良い」とか「××は音が良くない」と思われていることがあっても根拠がないことは否定しています。ブログ開始以来ずっとそうです。
何か特定のものを良しとしているわけではありません。



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こんにちはガリッポです。


イタリア製の冷凍豚まんを買ってきました。パッケージには漢字で猪肉と書いてありましたが豚肉のことです。中身が少なめですが日本の肉まんと味はほぼ同じです。こんなのが買えるようになるとは渡欧した当初とは変わったものです。
こういう蒸し饅頭は世界中にあるようで中身がいろいろ違います。韓国や台湾製のあんまんもあります。


今回はトリノのヴァイオリン製作の話です。
現在はイタリアのピエモンテ州の州都で、自動車産業など工業都市となっています。

トリノのヴァイオリン製作では一番古い時代にはジオフレド・カッパ(1644~1717)がやってきました。誰の弟子かははっきりしませんが、この人はアマティ的な楽器を作った人で一派を形成します。
同じ流派には南ドイツのフュッセンから来た、エンリコ・カテナリがいて、カッパの弟子にはスピリト・ソルサーナ、ジョバンニ・フランチェスコ・チェロニアティなどがいます。

その後、ジョバンニ・バティスタ・グァダニーニ(1711~1786)がやってきます(以下G.B.グァダニーニ)。この人はヴァイオリン職人ロレンツォの息子でピアチェンツァ、ミラノ、パルマなど各地を転々としたのちに、最後はトリノで生涯を終えます。イタリアオールドの作者の中では後の方の時代で、ヴァイオリンの値段は2億円にもなります。
G.B.グァダニーニには息子が何人かいますが、ヴァイオリン職人を継いだのはジュゼッペですがその前に独立していてトリノには来ていないようです。

トリノに残った息子のカルロとガエタノはギター職人です。
このため父のG.B.が1786年亡くなるとトリノにはヴァイオリン職人がいない空白期間になります。

その後1810年頃に、アレサンドロ・デスピーネ(1782-1855)とニコラス・レテがやってきます。
デスピーネはスイスで生まれフランスで育ちパリで医学を学び、ヴァイオリン製作も学びます。医者の家族とともに1810年頃トリノに移り、自分は歯医者として働きます。顧客には王家の人たちもいて高い地位を持っていたようです。アマチュアのヴァイオリン職人としては最も高価な作者でヴァイオリンなら3000~4000万円位になっています。裕福な人たちと交友関係があり、職人と顧客を結びつける役割も果たしたことでしょう。

同じころに、フランスのミルクールからレテ家のニコラスがやってきます。レテ家はミルクールでも力を持っていて様々な楽器の販売を手掛けていました。販路を築くためにヨーロッパやアメリカの各地に拠点を持って進出していました。ニコラスは妻とともにトリノに「レテ・ピレメン」という会社を作ります。ミルクールの楽器や古い楽器を販売するとともに、修理と製造も行いました。主力はオルガンで、小型のものですが、ギターや擦弦楽器も扱いました。ギターについてはカルロとガエタノのグァダニーニ兄弟に協力を得ていたようです。カルロの息子、ガエタノⅡとフェリーチェには擦弦楽器部門つまりヴァイオリンを作らせるように仕向けたそうです。

レテとデスピーネとグァダニーニ家はとても親密な関係にあって、大規模な楽器ビジネスを展開していたようです。

レテはミルクールから従業員として人を呼びます。少なくともヴァイオリン職人だけでも数十人規模だったようです。他の楽器や営業職やその家族も含めるともっと多いわけです。レテ・ピレメンでは主にオルガンの製造を主力としていました。ギターはグァダニーニが携わるというわけです。ヴァイオリンも作っていて、ミルクールから来た職人が安価なものも量産していたようです。イタリアには量産工場は無かったと言われているかもしれませんが、実はトリノに工場がありました。当時トリノはフランスの支配下にあり、当時はフランスだったとも言えます。ミルクールで途中まで作ったものをトリノで仕上げたことも行われていたようです。トリノでは、レテ・ピレメン社が楽器業界の中心だったようです。

ニコラス・レテが亡くなると、会社はオルガンと擦弦楽器に集中するようになります。ガエタノⅡとフェリーチェのグァダニーニ兄弟とレテ・ピレメン社の関係が続きます。ジョバンニ・フランチェスコ・プレッセンダはこのレテ・ピレメン社でミルクール出身の先輩らにヴァイオリン製作を習います。プレッセンダは古い本にはクレモナでロレンツォ・ストリオーニに師事したと書かれていますが、2000年以降の本ではこれが否定されています。もともと農業をしていたプレッセンダは40歳くらいになってレテ・ピレメン社でヴァイオリン製作を学んでいます。

のちのプレッセンダのヴァイオリンとガエタノⅡ・グァダニーニのモデルがとても似ていることからも、この3社の関係が密であったことが分かります。さらにデスピーネも関わっています。

プレッセンダは独立後もフランス人の職人を弟子や従業員として何人も使ってフランス的な楽器を作っていました。さらに弟子にはジュゼッペ・アントニオ・ロッカがいます。

このように、トリノでは一度ヴァイオリン製作が途絶えてしまい、フランスから弦楽器製作がもたらされました。このためトリノのモダン楽器はフランスの影響が強いことが特徴です。私も実際にロッカのヴァイオリンを見たときにはフランス的な楽器だと思いました。

このようなことも最近の複数の本には書かれています。
19世紀にはフランスが弦楽器界をリードしていたということです。

このようにかつてはプレッセンダはストリオーニの弟子で、ストラディバリ以来の伝統を受け継いで、ストラディバリに匹敵する才能を持ち、楽器が古くなれば次世代のストラディバリになると誤解されたため、値段が高騰しました。
ストラディバリに楽器が似ているのは、フランスの楽器製作の基礎を学んだからです。しかしよく見ると、ガエタノⅡ・グァダニーニのモデルによく似ているように思います。ガエタノⅡのモデルはG.B.のものを元にしているようです。これを当時のフランス的な考え方でモディファイし、近代的なヴァイオリンに作り変えました。このため祖父のものとは全く雰囲気が違うフランス風のものになっています。

フランスでは量産品と一流の職人の楽器とではランクの差をつけてあると説明してきましたが、トリノではグァダニーニブランドのものと量産品と差別化をしていたようです。このためイタリアの楽器には珍しく、フランス的な精巧さで作られています。

このようなガエタノⅡのヴァイオリンのスタイルが確立するのに、フランス出身の職人たちの影響が大きいはずです。グァダニーニ家の従業員については記述はありません。しかし、ミルクール出身の職人の果たした役割が大きいことでしょう。その後、アントニオ・グァダニーニの時代になるとさらに典型的なフランスのヴァイオリンになります、作っていたのはフランス人の従業員だと分かっています。ミルクールで途中まで作られたものを仕上げたものも売っていたそうです。

1975年の本にはプレッセンダがストリオーニの弟子だと書かれていますから、30年もしないうちにそれが否定されました。しかし楽器の値段は高騰を続け、今では、5~6000万円位になっています。ミルクールの流派の楽器としては異例の高値ですね。笑ってしまいます。

このように知識は変わっていきます。
今の知識も未来には変わってしまうかもしれません。そのため大事なのは「言葉」によるイメージではなく、楽器そのものだと思います。職人は流派の特徴や作風、クオリティが分かります。しかし音は自由です、音楽家であれば、セールスマンの話すことではなく音に耳を傾けるべきです。

ですので、トリノの歴史についてこれ以上詮索することは意味が無いでしょう。
モダンのトリノ派は単にフランスの流儀で始まった流派だとすればいいでしょう。


こんな子がいました。
うちのお店には、エンリコ・マルケッティという作者のヴァイオリンがありました。異常なヴァイオリン熱を持った家族がやってきて、コンクールの地方予選を控えた息子のためにそのヴァイオリンを購入しました。マルケッティはグァダニーニ家で修行して、初めはわりとまじめなフランス的なものを作っていましたが、晩年はやっつけ仕事でいい加減な楽器になっていきました。当時でも500万円くらいして驚いたものですが、今では800万円もします。両親は身なりも地味で特別お金持ちという感じではありませんでした。
息子はいかにも理系タイプの中高生という感じで、インターネットで調べてマルケッティがあのグァダニーニの弟子だということを知り、喜んでマルケッティを購入しました。音はギャーと賑やかな感じで量産楽器のような鳴り方でした。それまで使っていた量産楽器と音の出方が近いので弾きやすいのかもしれないと私は思いました。

でも歴史をもう少し知っていると、G.B.グァダニーニの伝統は途絶えて、ミルクールの職人によってヴァイオリン製作が再開されたことがわかります。楽器のクオリティが分かると、仕事はいい加減になっていて、見事なフランス風のモダングァダニーニのレベルには無いことが分かります。同じ値段なら一流のフランスの楽器が買えました。

その後大学に進学するとヴァイオリンの演奏を全くやめてしまいました。

こういう中途半端な知識なら無い方がましだというのがいつもの話なのですが、理系の人というのはものに興味が強いはずなのに、意外と言葉に弱いことがよくあります。だったら、音楽にしか興味がない人の方がまともな買い物をすることがあります。中高生で汚い商業の世界を知ってるわけもないので無理も無いんですけども。


また別の理系の人は「良いヴァイオリンの弦は何だ?」と聞くので何かのはずみでエヴァピラッチゴールドの名が挙がりました。そうすると自分はヴァイオリンに詳しいと思っているのか、それ以来自分や家族、知人の楽器にはみなエヴァピラッチゴールドを張らせていました。新作楽器、古い上等な量産楽器、オールド楽器何でもかんでもエヴァピラッチゴールドです。
そしてまた新たに知人の楽器のメンテナンスをすると何の弦を張るかということになって「エヴァピラッチゴールドは良い弦か?」と聞いてきました。その質問に対して「そうです、良い弦です」と師匠は答えました。しかしそれはピラストロ社の高級弦の一つであるという意味です。ナイロン弦のセットでは最も高価なものです。

理系で頭が良いなら、楽器や演奏家ごとにマッチする弦が違って試してみなければ分からないということがなんで分からないのかと不思議に思います。同じような経験を理系の分野ではしたことが無いのでしょうか?それとも「美」という概念は理系の経験では全く相いれないものなのでしょうか?
その人は理系の世界でも複雑な思考は嫌い、手っ取り早く正解を聞きかじってきて知ったかぶりをしている人なのかもしれません。

デスピーネのビオラ



デスピーネ1825年製のビオラです。胴体は40cm、弦長は小型のビオラよりも短いものです。
一見してもフランスの一流の職人のようなカッチリした感じが無く甘い感じがします。しかしオールド楽器とは全く違いモダン楽器になっています。モデルはストラディバリとは関係なく、注意深さはありませんがその後のトリノ派の感じはあります。

ニス自体はオレンジのものですが、木材が古く汚れもたまっているので茶色に見えます。実物は大きいので大味な感じがします。ニスはガエタノⅡ、フェリーチェのグァダニーニ兄弟に塗らせることもあったそうです。それとて、多忙な経営者本人なのか従業員なのかもわかりません。

アーチは駒の来る中央は比較的高さがあり、上と下はかなり平らになっています。フランスの楽器の特徴でもあります。

ネックは継ネックはされておらず、継ぎ足して長くしてあります。しかしそれでも長さが短く弦長はかなり短くなっています。
有名なイギリスの楽器商から買ったものだそうですが、修理の仕事がいい加減です。

スクロールの仕事には繊細さが無く、アンバランスです。



全体にアバウトで自由な感じです。一流のフランスの作者のようなカチッとした感じがありません。ストラディバリの特徴もありません。エッジの縁が黒く塗ってあることだけが、フランス流ですね。

不思議なことに「イタリアっぽさ」を感じます。フランス式の楽器製作を学び、仕事が甘いとイタリア風に見えるのでしょうか?
フランスでは一人前の職人とはみなされないレベルがイタリア風ということでしょうか?

これが3000~4000万円すると考えると、値段について何の法則性も見出せません。何の情報もなく楽器を見ただけなら、さほど腕の良くない人が作ったビオラでしかありません。


板の厚みはアバウトできちっとした規則性が見出せません。全体としては厚すぎることは無いため、問題はないと思います。

アマチュアが作った中ではうまい方でしょうかね?それが4000万円もするのは技術面からは意味が分かりません。

少なくとも職人が見たときには、並みの職人にはまねのできない名工による渾身の作品では決してなく凡人が作った楽器という感じがします。

過大評価?


デスピーネよりもはるかに腕が良いもミルクールの職人たちは全く無名なまま、なぜかこの作者は有名になっています。当時も、高い地位を持っていて、自分よりもはるかに腕が良い職人たちよりも偉い立場にあったことでしょう。
職人でも腕が良い人が偉くなって出世するとは限りません。下手な人が支配的な立場になることもあります。職人よりも高い地位を持っていたことで上から目線で職人たちに接していたことでしょう。

人間の社会は、職人の技能に対して特別な尊敬を持っているわけではありません。

またトリノのモダン楽器製作の歴史を見ると、現代のアパレル産業のような「ビジネス」の要素があります。それを現代になってストラディバリの再来と勘違いした人たちによって値段が高騰しました。


音は自由なのでこのような楽器の音が値段に見合っていると思う人がいるなら職人としては文句は言いません。しかし何千万円もするから音が良いと初めから思い込みを持っていて楽器が人生にとって大事なものだというのなら注意を喚起します。

このような高価な楽器を持っていても職人たちは「天才による見事な作品」とはこれっぽっちも思っていないということを知ってください。お金持ちのお客さんにこびへつらっているだけで、親身になって語ってはいません。


それに対してトリノ派でもプロの職人はフランス的な高い品質になっているものもあります。プレッセンダなどは値段も高価であり「イタリア的」な要素は少ないです。
イタリアにはフランスとはまったく違う美意識や価値観があり、フランス的なものは過剰なものとか邪道だと考えられているわけでも無いですね。イタリアのモダン楽器の中ではフランス的なものが高い値段になっています。でも本家のフランスの楽器の方が安いのです。

つまりイタリアのものならフランス的な作風を目指しても高い値段となり、そのレベルに達しないものも高い値段になるのです。

値段の付き方は産地や流派によって基本の値段があり、その中で腕が良いとか時代が古いとか差がつくという規則性がある程度見えてきます。イタリアという時点でまず価格帯がぐっと上がり、モダン楽器の中ではトリノが一番高い流派となります。その中で時代が新しい手抜き職人でも800万円になるというわけです。作者が不明(フランス人が作った)としてもトリノ派とかプレッセンダ派とか言って売られたり、偽造ラベルが貼られて売られてきたことでしょう。

このフランス的な作風は現在でも国際ヴァイオリン製作コンクールの基準となっています。クレモナで行われているものも例外ではありません。時代が現代に近づくほど、イタリアの優秀な作者の楽器は他の国の優秀な作者のものと酷似しています。フランスの楽器製作はトリノだけではなく、世界の楽器製作の基礎となっています。今の職人はそのことを知らないだけです。


私はこのような楽器に対しても興味津々で面白く、音は各自の自由です。
職人はどう思うかという事実を言ってるだけです。ご自分で考えてください。
こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを選ぶことがどういうことなのか想像しにくいかもしれません。
壁紙とかカーテンとか、布の生地を選ぶ時にも似ています。本のように束ねたサンプルの生地を見せられてその中から選ぶ場合です。すべての生地が少しずつ違うのですが何十枚も見ているとだんだんわかなくなってきます。楽器を弾き比べるのもそれと似ています。音もみな違いますが、それをどう把握するかも難しいです。

チェックの柄なんて面白いもので、色とか模様が無限にあります。音もそれに似ていると考えたらわかりやすいでしょう。こうなると機械のように性能とかそういうものではないと分かるでしょう。当然天才とか凡人とかそいうものでもありません。
何か特定の模様に限定すると探すのは困難です。かつて持っていたものと同じ柄を探すとなると製造していないとなって、時にはとんでもない高値になるかもしれません。柄の無い無地でも、生地の織り目が全く同じものを探すと、同じ機械で織ったものでなくてはいけないので手に入れるのは困難です。しかし他人からすればなぜその生地にこだわるのか謎です。ちょっと違ってもどうでも良いのではないかと思うかもしれません。

他の例えとしては、サッカーのワールドカップなどがあります。強豪国であっても、予選リーグで格下と思わるチームに負けて敗退してしまうこともあります。
個々の選手の能力は職人の腕前に例えられるかもしれません。一人一人が優れた選手でも、チームとして機能しなければ勝つことができません。弦楽器も、一つ一つの作業工程で、確実に正確な仕事をすると品質としては高くなり、値段も高くなります。しかし音でははるかに粗末に作られたものに勝てないかもしれません。そんなことはよくあります。
ましてや、サッカーならボールがゴールに入れば得点で、得点が多い方が勝ちという分かりやすいルールがありますが、さっきの布の生地の話のように、勝ったか負けたかさえよく分からないものです。

現代の職人は人それぞれ話を聞けば、いろいろな考えや理屈を話してくれるでしょう。しかし、いちいち相手にしてはいけません。画期的な音ではなくたくさんの音の一つでしかないからです。理屈を話すべきかどうかを私は迷っています。

ヴァイオリンというものはアマティ家によって形ができたときにはすでに完成していました。ですから少しずつ技術を解明して進歩してきたわけではありません。ヴァイオリンのようなものを作ったらヴァイオリンの音がしたのです。

料理のように砂糖を入れれば甘くなり、塩を入れれば塩辛くなり、酢を入れれば酸っぱくなるというふうに音を作ることができません。一つ一つの作業工程を完璧にやっていくと作業に時間がかかり値段が高くなります。
それに対して、大量生産品では何らかの方法で買いやすい値段にするように作ってあります。この時、音がどうなるかを分かっていてやっているのではなく、コストを下げつつ売り物になるものを作っています。
だからある部分をコストの安い簡易的なものに変更するとどのように音が悪くなると分かっていて作っているわけではありません。

そもそも音を良いとか悪いとか評価すること自体が難しいと冒頭で説明しました。誰にとっても共通するというのは難しいでしょう。

でも製品というのはみなそうです。
私は長時間立っていると足が痛くなってしまいます。それで靴にはすごくうるさくて見た目はきれいでも足が痛くなる靴はダメです。特にヨーロッパの靴はそうです。そんな話を現地の人にすると「軟弱だ」と言われました。靴の歴史が浅く、家では脱いでいる日本人は靴が苦手なのかもしれません。やたら日本人が幅広の靴を好むのも締め付けられるのが嫌なだけで、足自体の形ではないかもしれません。
つまり靴選びで私にとって重要な項目も他の人にとっては何でも無いことなのかもしれません。
立っていて痛くなるのは、足の裏の限られた箇所に体重が集中するものです。それに対して快適さが売りの靴にはクッションがついていたりします。それは私には関係ないです。もちろん値段の高い安いは関係ないです。

長距離歩くとなるとそれだけじゃなくて軽さや柔らかさが必要になってきます。でも柔らかいだけだと体重が支えられずに構造的に硬い所に体重が集中してしまいます。

体重がうまく分散すれば、一か所が痛くなることはありません。しかし素材が硬いと肌触りが硬く全体的に痛くなります。一方でふかふかのスポンジのような素材だと、履いた瞬間は柔らかいと思うのですが、体重でクッションが潰れ切ってしまうとそれ以上はクッション性が無くなるので意味がありません。

そうやっていい靴を見つけたと思っても10年後には同じものが見つからずまた振出しに戻ってしまいます。

店頭の試着程度ではわからないので買ってみないといけません、失敗するリスクを冒して未知のメーカーに手を出すか、夢の靴はあきらめて妥協するかです。


商品を選ぶというのはそういうものです。自分にとってしっくりくるものかどうかが重要なのです。

インソールとして売られているものは私にはゴミばかりです。不思議です、快適になるように研究を重ねているはずなのに、アシックスの靴に初めからついているものを超えるものがありません。工夫されているほど良くないようにさえ思えます。
アシックスの作業靴用のインソールを日本に帰ったときに買っておいてそれを加工すれば大概何とかなります。こうなると逆に見た目で靴を選べばいいというわけです。


一方消費者は誰か「専門家」に良し悪しを審査して格付けのようなことをして欲しいと思う人もいるでしょう。
なので、ヴァイオリン評論家のような職業を作って、その人の私見を発表すれば需要に応えてビジネスとなるでしょう。専門家が良いといったものと、何も言わないものでは実際は微妙な音の差しかなくても天と地の差があるような印象を受けることでしょう。
お金儲けしたければそんなことをすれば良いでしょう。

しかしそのことと、弦楽器の真実は全く別のことです。
消費者が物を購入するときは、私からするとはるかに軽率に行っていることが多いと思います。
そもそも「物」に関心が高い人が多くありません。なんとなく雰囲気で決めてしまうことが多いでしょう。そのため大企業は製品そのものではなく、イメージ戦略に多額の費用を費やしています。

それで買ったものに対して違和感も感じなければ幸せです。
世の中の人たちは忙しくて、いちいち身の回りのものの一つ一つに関心が無いことでしょう。何かイメージやセールス文句で良いものを買ったと思って疑わなければ良いのかもしれません。

楽器がそれほど重要なものなのかどうかそれが鍵になることでしょう。