前回の続きである。党規約の講義などで「過去の再審査は5回された」と説明されるので、参加者は「どの大会ですか」と疑問を持つ。そして、講義をしている県委員長などに質問する。しかし質問に答えられる人はいない。県の幹部も党中央に問い合わせてくれない。
だから、疑問を持った人は、直接に党中央に問い合わせるしかないのである。ところが、党中央の対応も無責任きわまるのだ。問い合わせた本人から直接に聞いた話ではないので、多少違うところがあるかもしれないが、電話に出た党組織局の人はこんな説明をしたようだ。
「確かに5回あるんですよ。でも僕は幹部じゃないから全部は知りません。どれだったかなあ、13大会は臨時大会なので、そこで再審査がやられることはありません。11大会でやられたことは間違いありません。でも、目を皿のようにして見ないと気づきませんからね。」
「過去に5回あった」と全国に流布し、それで県の幹部が党員に対して講義もしているのに、党中央組織局が「全部は知りません」というのである。党中央って、いつの間にこんな無責任な集団になってしまったのだろう。
それにしても、「11大会は間違いありません」と自信を持って答えるのだから、私に見落としがあったかもしれない。そこで再び11大会(1970年)の「前衛」臨時増刊を、党中央組織局のアドバイスに従って、「目を皿のようにして」見てみた。しかし、私の目が良くないのか、どこにも見つけられなかった。
「審査」という言葉はある。しかしそれは、大会代議員の「資格審査」の文脈でしか出てこない。
さらに1箇所、最後のページの上段に、「大会幹部団の委託で塚田大願代議員が上申書の処理について報告し、確認した」とある。これのことだろうか。
けれども、それでは腑に落ちない。だって、除名問題の再審査というのは、規約上の正式な手続である。その「上申書」なるものが除名された党員の復党への訴えだったとして、再審査として扱ったのなら、なぜ「再審査」と呼ばなかったのか。
「上申書」の処理ということなら、他の大会でもやられている。例えば1964年の第9回大会でも、「寺田貢大会幹部団員が大会にあてられた上申書の処理について報告、大会は全員一致でこれを承認した」とある。11大会の「上申書」の処理の仕方に似ている。だからよく調べれば、「上申書」の処理の合計は5回あるのかもしれない。
しかし、9大会での「上申書」は、どう考えても除名に関連したことではない。この大会では、除名された中野重治などが復党を求める手紙を寄せたが、大会幹部団はその事実を紹介しつつ、「正規の規約上の手続を経たものではない」として、「無視する」ことを大会に報告し、代議員が拍手で確認している。党にとっては、除名問題の対応において、規約の手続にそったものかどうかは、きわめて大事な基準なのである。「上申書」が規約上の手続を経た除名の再審査だったならば、当然、中野重治とは異なって規約をふまえた訴えだとして、再審査を行ったというだろう。
ということは、11大会の「上申書」の処理がじつは再審査だったという党中央組織局の説明も、完全なこじつけだろう。いったい、どうなっているのか。(続)