一段と春めいてきています。
最近のドラマを見ていると、昭和の時代を取り上げる、といいますか、昭和の男の今どきあり得ないふるまいが、色々と取り沙汰されているものが目につきます。
確かにあの時代を経験した私も、「あった、あった、あんな事、そんな事」と思いながら見ています。
この男の振る舞いとは全く関係ないのですが、昭和の「台所」を思い出していました。
今こそオープンキッチンと言うのでしょうか、居間の続きようにキッチンが併設されてあるのが平均的なスタイルですが、私が中学生くらいまでは、区切られた別部屋のように「台所」がありました。それも北側の隅っこに。
「男子厨房に入らず」という言葉があったくらいですからね、一つの「部屋」でした。
今は、台所と言うよりキッチンと言った方がピンとくるようになりました。
そのような変化の兆しは、私が中学を卒業するあたりからで、家も長屋から団地に変わった時、台所はが「キッチン」に移行しました。
この時代に大いに普及した団地は、あの頃はとてもモダンで、ちょっとした憧れの形態でした。
薄暗く、寒くて狭い台所から脱却した新しい形式のキッチンは、明るくて家族と会話が出来、目が行き届く場所にあります。
それ以後は、キッチンの存在は当たり前のように家の中心とまではいかなくても、家族や友人が集えるような場所となっていき、中には「見せるキッチン」にまで変化した感じです。
料理家さんたちの素晴らしいキッチンは別として、他人からもろ見えのなので、使い勝手と美しく整頓された、を兼ね備えるのはなかなか大変な事です。
「台所」はまず、他人に見られることはなく、滅多やたらに他人が入ってこれるような場所ではありませんでしたから。
今は懐かしいあの台所は、子ども心にも「女の城」的な存在で、主婦の場所、という感覚はありました。
多分そこで涙を流そうが、ほくそ笑もうが、つまみ食いをしようが、誰にも知られない、ひょっとして貴重な自分だけの空間だったのかもしれません。
私は、母がそこで密やかに羊羹を食べていたのを発見し、慌てて口止めとして羊羹一切れを貰った経験があります(笑)
今でこそオープンになったおかげで、家族の顔を見ながら、時にはお喋りもしながら料理も出来ますが、昭和の「台所」は狭く、おいそれ他の人を入れるスペースもなく、一人で黙々と料理をする場所でした。
これは取りも直さず、主婦の立場を象徴したようなものだったのでしょうね。
主婦の当たり前の仕事の場所としての「台所」から、食は、生きる源であり、それらを作りだす「キッチン」は、人や家族にとってなくてはならない大切な場所、という位置づけになってきた事は、喜ばしい事だと思います。
つまみ食いは、見えない所で上手くやりましょう。