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🌙 ⑫目黒区の辺境にある平和通り商店街
今回のシリーズは《東急沿線界隈ランダム散策》というタイトルをつけたが、多角形の銅板葺き看板建築があった場所は、かつて駅名の由来になった学芸大学があった場所だ
しかし、学芸大学駅の由来になったといっても、肝心の学芸大学駅からは軽く徒歩20分は離れた遠隔地で、しかも駅は目黒区にあるのに大学の所在地は世田谷区である
このように都心部から近い目黒区や世田谷区といえども交通インフラがバスしかない場所は、けっこうあちこちにあり、たとえばかなり以前の記事で取り上げた世田谷の砧などは、風景だけ見れば西東京市や埼玉県朝霞市のような田舎じみた雰囲気で牧歌的ですらあった
目黒区は多摩川べりの世田谷区とは異なり、さすがに牧歌的な風景というものはないが、最寄駅のない僻地のような場所は存在しており、祐天寺駅と目黒駅の真ん中ぐらいにある油面(あぶらめん)などは、その典型的な例だろう
今回訪れたのは、その油面より少し南東方向にある目黒本町にある「平和通り商店街」だ
この地図の画面右、左下から右上「↗️」に向かって東急目黒線が通っていて右端に「武蔵小山」の駅がある
武蔵小山は、東京でもっとも長い賑やかなアーケード商店街で知られているが、それは地図で見ると駅の東側(右側)で、そのあたりはオレンジ色の商業地区として表示されている
駅の西側にも商業地区はあるが、それはアーケード商店街と比べて、ごく小規模なもので駅の周囲に限られている
ところで駅の下側を、右下から左上「↖️」を学芸大学駅方面に向かって、やや広い道路が通っているのがわかると思う
その通りを15分ほど歩くと、それまで商業地区とは言いがたい町並みだった風景の左側から唐突に商店街がはじまっている
この商店街は「平和通り商店街」といって、昭和初期頃にはすでに繁華街のような賑やかな場所で映画館などもあったそうだ
このあたりは都心部から若干離れていたおかげで、空襲の被害を免れたから……
このような銅板葺き看板建築が残っている。商売のほうはとっくに廃業してしまっており、残念ながらどんな業態だったのかは不明である
この商店街は高校生の頃から何度も通っていたが、残念ながらその当時は今のように古い建物に関心があったわけではなく、おそらく現役時代を見ているはずだが、まったく記憶に残っていない
2015年までは向かい側にこんな出桁造り商家があり、以前撮影しているはずなのだが、アーカイブから発見できなかったのでストリートビューからキャプチャした画像を貼っておく
それにしても誤算だったのが、今回も休みの日曜日の取材だったことだろう。駅に依存しなくても賑やかなことで知られている「平和通り商店街」も定休日の店ばかりで、ほとんど通行人も通らず閑散としていた
ガラガラの商店街の写真を載せてもしかたないから、以前に撮影した平日の午後に撮影した写真を貼ると
ご覧のように、買い物客が途切れることなく訪れる賑やかな商店街だということがわかるだろう
商店街の中心部あたりには、先ほどの銅板葺き看板建築の他はあまり古い建物は残っていないが、賑やかな中心部を過ぎたところには、戦前型のモルタル外壁の看板建築が残って…………
残って…………
残って……
いなかった。ファッキン!!
なんということだろう。前回の旗の台と同様に、撮影する気満々だった平屋建て看板建築やモルタル外壁の看板建築は、跡形もなく消え失せてしまい、どうでもいい新しい建物に建て替えられてしまっていた
なので、やむを得ず今回も以前(2018年)に撮影した写真を再掲する
ちなみにこの写真の時点だと廃業してしまっているが、写真を眺めていたら、この素敵な看板建築は床屋だったことを、思い出した
念のため過去のビューをたしかめると、いちばん古い2009年の映像に、サインポールが写っていたので間違いないだろう
解体されてしまったこの元床屋の看板建築の少し先のほうに、以前はこんな渋い化粧品店があったが、僕がブログをはじめた頃にはすでに取り壊されている
ところでこの商店街には、ちょっと不思議な建物が残っていて、以前から気になっていた
それがこちらの、やけに横方向に長い出桁造りの建物である
正面から見ると向かって左側に普通の玄関があるのに、建物の右端には破風付きの玄関があり、つまり入り口が2ヶ所あるのだ。そして2階を見ると、通りに面した部分のすべてが窓になっているのがわかる
今はすべてアルミ製のものに替えられてしまっているが、その開口部には端から端まで高覧があり元は下宿屋か旅館だったのではないかと僕は想像している
ということで目黒本町にある「平和通り商店街」の項は終わりにして次回からは、いよいよ今回のシリーズのクライマックスである三軒茶屋を散策する
†PIAS†
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