しばりやトーマスの斜陽産業・続
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三途の川を渡れ『アイアンクロー』

 伝説のプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックと彼の息子たち“フォン・エリック一家”はマット界で一世を風靡し、次々とチャンピオンを生み出し「最強の一族」の名をほしいままにしていたが、いつしか彼らは「呪われた一家」と呼ばれるように。

 フォン・エリック一家の物語をスクリーン界で傑作、名作を次々生み出すA24制作で描かれた『アイアンクロー』はまさに最強タッグの映画だ。

 

 悪役レスラーとして人気を博していたフリッツ・フォン・エリック(ホルト・マッキャラニー)だが、実態はトレーラーハウス住まいの貧乏暮らし。キャデラックにトレーラーハウスを引っ張って見せても腹は膨れない。妻と子供に「俺はいつかチャンピオンになる。お前たちもパパの後を継げ」と見栄を張る。

 フリッツは有言実行の男だ。必殺技アイアンクローを武器にAWAヘビー級王者になった彼は家を持ち、プロモーターとして辣腕を振るい、息子たちをプロレスラーとして育て上げる。最終目標は「史上最強の一家」になること。次男ケビン(ザック・エフロン)、三男デビット(ハリス・ディキンソン)。四男ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)と次々リングに上がらせ、自分の夢を実現させようとする。

 が、心優しく口下手なケビンは父の期待を重荷に感じるようになり、タレント性のあるデビットやケリーの方にフリッツは期待を寄せるようになる。その期待に応えデビットとケリーは才能を開花させていく。だがそんな家族に悲劇が襲い掛かる。デビットが全日本プロレスのリングに上がるため来日先のホテルで急死。デビットの代役として王者リック・フレアー(アーロン・ディーン・アイゼンバーグ)と対戦したケリーは見事勝利するもバイク事故で片足を切断。ケリーがリハビリに励む中、五男マイク(スタンリー・シモンズ)はミュージシャンになる夢があったが、父の教えに従いレスラーの道へ。兄弟たちでもっとも体が小さいマイクは試合のケガが原因で重い障害が残る。絶望したマイクは安定剤を飲み自殺。ケビンは「俺たちの一家は呪われてる」ことを確信する。

 フリッツと息子たちは仲たがいするようになり、ケリーは一家の呪いを口にし、自殺をほのめかすような電話をケビンにかける。ケリーを気にかけて欲しいというケビンの電話に父フリッツは「あいつもいい年なんだ。ほうっておけ」と冷たく言い放つ。ケリーを心配して自宅にかけつけたケビンの耳に銃声が轟く。自ら胸を撃ったケリーの遺体を目にしたケビンは父親に殴り掛かる。ケリーの事を気にしてと言ったのに、あんたの息子じゃないか、これまであんたの言う通りにしてきたのに・・・

 

 プロレスは他の格闘技やスポーツと違って相手と同じだけ自分を痛めつける競技だ。ボクシングみたいにスウェーしたりブロックばっかりしてたら絵にならない。技を受けたら倍にして返す。傷ついてナンボだ。エリック一家は父の期待を一身に背負って技を受け続ける。フリッツはレスラーなのにまるで相手(息子)の痛みがわからないようにこれでもかと痛めつける。

 フォン・エリック一家の悲劇は有名だからオチもわかっているんだけど、映画『アイアンクロー』は悲劇だけの話ではなく、ケビンたち兄弟の愛情の物語でもある。時には喧嘩し仲たがいする兄弟たちがしっかりと深い愛情に結ばれている様子が描かれているのがこの手の実話モノにありがちな苦しめて泣かせるだけの物語になっていないところが良い。

 

 死んだケリーがボートに乗って川を渡るとデビットとマイク(ギターを持っている。ミュージシャンになる夢をかなえたのか)が対岸で待っていて、しっかと抱き合うと傍らには幼子が。それは六歳で亡くなった長男ジャック・ジュニアだ。

 要するに三途の川みたいなものなんだけど、アメリカ人に三途の川は理解できるのか?ギリシア神話のステュクス川みたいなもんか。

 古代ギリシアの学者プラトンの名を冠したプラトニック・ラブ(精神的な愛)は肉体よりも精神的な愛を貴ぶもので、鍛え抜かれた肉体(プロレス)によるつながりよりも内側に潜む脆い精神のつながりこそ美しいという『アイアンクロー』はなるほど古代ギリシア的な物語だったわけだ。古代ギリシアの格闘技パンクラチオンはプロレスの原点みたいなものだし。

 

 

 

 

 

検閲という名の悪魔教、その戦いの記録『オーメン:ザ・ファースト』

 70年代オカルト映画ブームの代名詞でもある『オーメン』が2020年代に蘇った!『オーメン:ザ・ファースト』は1976年の第一作『オーメン』は2006年に一度リメイクされたが、今回は第一作の前日譚という位置づけ。悪魔の子ダミアンが如何にして誕生したか?その謎に迫る。

 

 だから作品舞台は一作目より以前の1971年。ローマの教会にやってきたアメリカ人修道女のマーガレット(ネル・タイガー・フリー)はローマ中に蔓延する若者たちの反体制運動を目の当たりにする。教会の権威が失墜する中、教会内の孤児院で隔離されるように暮らしている少女カルリータ(ニコール・ソラス)の事を気に留めるようになる。

 街中で会った神父ブレナン(1作目でダミアンを殺せと忠告してきたあの神父!演じている役者は別)は教会に気をつけろ、カルリータから目を離すなと忠告(1作目のように)。以後カルリータの周囲では不可思議な出来事が起き続ける。アンジェリカ修道女が「あなたのためよ!」といって自らの体に火をつけ、首つり自殺を遂げる(1作目の再現)。

 

 マーガレットはブレナンの元を訪れる。彼の口から教会内のある派閥が修道女に悪魔の子を産ませようとしている計画が語られる。悪魔の恐怖が世間に蔓延すれば人々は悪魔に対抗する存在として神への信仰を取り戻すだろうと・・・壮大なマッチポンプ!

 その反キリスト派たちは修道女を山犬と交わせて悪魔の子を産ませようとするが、ほとんどが死産であったり、女児であったりと失敗を繰り返す(悪魔の子は男児でなくてはならない)。生まれた女児にはさらに山犬と獣姦させて悪魔の子を生み出させようとし、その「道具」とはカルリータなのでは?

 教会内の反キリスト派に命を狙われながらカルリータの出生記録を手に入れたマーガレットとブレナン神父は恐るべき事実にたどり着く。

 

 

 舞台設定が70年代ということもあって映画全体のテイストが70年代に貫かれている。例えば修道院が舞台だったりするのは『サスペリア』風だし、反キリスト派が悪魔の子をそうと知らず女性に孕ませて産ませようとするのは『ローズマリーの赤ちゃん』(これは60年代だけど)っぽく、昨今の激しいゴア描写をスピーディーに描くタイプのホラーではなく、神経にねじ込むような厭味ある描写はまさしく70年代のオカルト描写にプラス、教会内の不祥事にも似た恐ろしい陰謀が隠されているというのは『ヴァチカンのエクソシスト』みたいな現代風サスペンスも描かれているのだ。

 前日譚だけあって最後は1作目につながるような話にしているのだけど、別の世界線が提示されており、ここから救世主と悪魔の戦いとなる新3部作に展開しそうな予感。

 旧シリーズは悪魔の子をそうとは知らず与えられてしまった父親の葛藤と後悔だったけど、今回はそうとは知らず悪魔の子を産んでしまい、悪魔とはいえ我が子を手にかけられなかった母親の葛藤と後悔というモチーフに変えている。女性が物語の中心に置かれているのも現代風だな。

 

 あと気になるのは火あぶり首つりとか、人体真っ二つとか1作目を凌ぐエグイ描写がストレートに描かれてるのに、悪魔の子が誕生するシーンはモザイク入りって??人の死より生命の誕生の方が見せてはいけないものってこと??

 監督のアルカシャ・スティーブンソン(女性)は膣を映すシーンを残すかどうかでMPA(レイティングを管理するアメリカの映倫)と長い戦いを繰り広げた。スティーブンソンは「悪魔の陰茎を描くのは何も言われないのになぜ膣だけにクレームをつけるのか」と憤っていたが全くその通りとしか。

 検閲という名の悪魔教と戦ったスティーブンソンのメッセージを映画で確認してくれ!

 

 

 

 

 

 

 

わしは痛まない!『インフィニティ・プール』

『ヴィデオドローム』『裸のランチ』とか気持ちの悪い変な映画ばかり撮っているデヴィット・クローネンバーグの息子、ブランドン・クローネンバーグの長編第3作『インフィニティ・プール』は親父譲りの面目躍如というか、相も変わらず気持ちの悪い変な映画。ちなみに親父の最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』の国内興行を上回った。単なる親の七光りではない、名実ともに後継者と目されたわけだ。倒錯的で歪んだ性癖映像作家として(褒められてる?)

 

 処女作を発表したばかりの作家ジェームズは妻のエムは観光地の島、リトルカにバカンスにやってくる。処女作の評価も売れ行きも芳しくなく、大手出版社の社長の娘婿という立場に甘んじるジェームズとエムの中は冷え切っている。

 観光地でジェームズのファンだという若妻ガビとその夫アルバンと知り合った二人は意気投合し、「観光客は敷地内から出てはいけない」という禁忌を破って秘密のビーチへ繰り出す。

 木陰でジェームズは立小便していると、突然現れたガビが背後から股間を手コキするのであった!なぜ?わけがわからない。夜遅くにホテルへ戻るためハンドルを握ったジェームズは車のライトが点滅したことで道を横切ろうとした島の住民をうっかり刎ねてしまう。ガビに「島の警察は外国人差別者で信用できないから」とその男を置き去りにしてホテルに帰るよう進言。動揺するジェームズはガビに言われるがままに犯罪を隠匿する。

 翌日、すぐに事故を起こしたことは発覚し、夫妻は警察に拘束される。取り調べの警察官は「この島ではどんな些細な犯罪も死刑になる」と告げる!しかし外国人観光客の外貨によって糧を得ている島では外国人特権として大金を払い、クローン人間をつくってそいつが罪を被れば本人は無罪になるというのだ。そのクローン人間は外見だけではない。記憶すらも完全にコピーした同一人物。ジェームスは同意書にサインし、自分のクローンが処刑されるところを目の当たりにする(それが条件)。

 あまりのおぞましさに目を覆う妻のエムだが、ジェームズはこの状況に密に興奮していた。再開したガビとアルバン、その仲間の金持ちたちに「俺たちは金さえ払えば何をしても許されるのだ」これは一種の特権であるということを教えられる。一国も早く帰国したがるエムだが、パスポートを紛失したことでリトルカ島の滞在期間が一週間延長され、再発行されたパスポートでエムは帰国するがジェームズは島に残りガビらと特権を享受する。いくら盗んでも、傷つけても、たとえ人を殺しても自分たちは許されるというバカンスを。

 

 傲慢すぎる金持ちどもの振る舞いは吐き気を催すレベルだが、主人公側もそれに加担してしまうのが何より恐ろしく、赤の他人だと思い込んで虐待した相手が実は自分のクローン!安全な位置から他人を傷つける喜びは、自分自身を傷つけても得られるという歪みの極致。『カイジ』の兵藤会長の

「折れた足をいじられると彼は痛いが・・・わしは痛まない・・・!」

にも似た真理かもしれないがそれを受け入れるほど人間落ちぶれたくない。人間以下の犬畜生にすら劣る金持ちたちって本当に嫌だねえ(ちなみに途中で本当に犬にされた人が出てくる)。

 そしてクローネンバーグなので希望に満ちたような結末にはならず、悲観的に幕を閉じる。無限に続くプール(インフィニティプール)のように絶望がどこまでも続いていって終わりがない。少しぐらいは希望を見せてくれてもええんやで。

 

 

すっぱいはちみつ映画『プー あくまのくまさん』

 少年クリストファー・ロビンは100エーカーの森に暮らすくまのプーやピグレット、イーヨー、ティガーといった動物たちと仲良くなる。進学のため森を離れることになったクリストファーは再会の約束をしてプーたちと別れるが、その約束は長年果たされず、食事のすべてをクリストファーに依存していたプーたちは飢えに苦しみ、ついに最も弱いイーヨーを餌にし、共食いが始まる。次第に狂暴化していったプーたちはこんなことになったのは自分を見捨てたクリストファー、そして人間のせいだとして怒りを露にしたプーたちは100エーカーの森周辺の人間たちを食い殺していく。

 それからしばらくたち、クリストファー(ニコライ・レオン)は婚約者のメアリーを連れて森にやってくるが彼らが目にしたのは恐ろしい殺人鬼となったプーとピグレットだった。メアリーは即惨殺され、クリストファーは森の奥に連れ去られる。さらに数年後、幻覚に悩まされ、心の病を患うマリア(マリア・テイラー)は休養のため友人たちとともに100エーカーの森の一軒家を訪れる。そのころ、森ではシャーリーン(ダニエル・スコット)がプーに襲われていた。

 マリアの友人たちは一人、また一人とプー達の犠牲になり、窓には「出ていけ!」と血文字が書き込まれた。捕らえられていたクリストファーを助けたマリアたちにプーとピグレットが襲い掛かる。

 

 

 可愛らしいプーさんがはちみつの代わりに人の生き血を啜るというゲテモノホラー『プー あくまのくまさん』ほぼ出オチで終わっており、壺の中には、はちみつの残りカスしかなかった。原作に対する新解釈とかそういうのは一切なく、そもそも原作無視も甚だしい。プー達が飢えて仲間を食い殺すというのも変。みんな普通に木の実取ったり、魚釣ってなかった?

 原作無視といえばプーとピグレットの図体。僕はてっきり2~3等身のぬいぐるみを動かしてスゴイ勢いで襲ってくるのかと思ったら大人が入った着ぐるみにプーやピグレットの被り物をしているだけで、そいつらが冷凍ナイフやハンマーで殺しに来る。それはプーじゃなくてジェイソンやブギーマンなんだよ。

 

 低予算でCGなんてまともに使えなかったのはわかるけど、プーさんの世界を使っている理由がほとんどないってのは問題だね。殺しのテクニックもありきたりのものばかりでセンスが感じられない。走って逃げればすむものを、どいつもこいつも殺されるためにわざと向かっているようにしか見えない(ダメなホラーの典型)。画面も暗すぎて何やってんのか全然わからない、きっと照明代をケチったのだろう。

 思えばくまのプーさんを使ったのも原作がパブリック・ドメインになったから金をかけなくていいからだろうなきっと。

 なぜか続編、シリーズ化が決まっていて、モヤモヤさせる終わり方をした本作はロッテントマトのワースト100に入るほど壮絶にズッコケ失敗したが、現在公開中の「2」は大ヒット中で評論家の評判も上々。何があった!?「1」が大失敗で「2」が大成功するのは珍しい。「1」のおかわりはもう結構だが、「2」が気になってしょうがないぜ!

 もっと美味いはちみつを舐めさせろ!すっぱいはちみつ映画はもう御免。

 

 

 

 

後悔の連続『ドラキュラ デメテル号最期の航海』

 ハリウッドの老舗、ユニバーサル映画は1930年代に人気を博した怪奇映画のキャラクター、ドラキュラや狼男、フランケンシュタイン、透明人間その他を現代風にリブートし、シェアード・ユニバース(マーベル・シネマティック・ユニバースみたいなやつ)化した「ダーク・ユニバース」計画をぶち上げた。

 しかし第一弾の『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』予想外の不入りとなったため計画をなかったことに。後にリー・ワネル監督の『透明人間』が予想外のヒットとなったが、これらのシリーズは単発でリリースしていくことに。そして第4弾としてつくられたのが『ドラキュラ デメテル号最後の航海』だ。

 

 ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」は読んだことなくてもみんなが知っている有名キャラ。その本の第7章「デメテル号船長の航海日誌」の部分の映画化。

 

 1987年ルーマニアからイギリスに向けて出港する商船デメテル号は積み荷を乗せて出港の準備をするが、積み荷のひとつ、ドラゴンの紋章が描いた木箱を見て臨時雇いの船員たちは恐れおののき船を降りる。黒人医師のクレメンス(コーリー・ホーキンズ)を仕方なく船に乗せ出航。

 船から衰弱した密航者の女アンナ(アシュリン・フランシオーシ)が発見され、前後して家畜の動物や船員たちが襲われる事態が頻発。意識を取り戻したアンナはこれらはドラキュラ伯爵の仕業だという。ルーマニアの古城でドラキュラの召使兼食料(血液の)として飼われていた彼女は餌のなくなったルーマニアを捨て、ドラキュラがイギリスに上陸しようとしているのだと。

 ひとり、またひとりと闇の中でドラキュラに襲われる船員。わずかに残った数人でイギリスに上陸する前にヤツを始末しようと作戦が立てられる。

 

 船の中で現れた吸血鬼との戦いという『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』のクライマックスみたいな話である(ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』はたぶん作者の荒木飛呂彦に影響を与えているはず)。ドラキュラというと貴族面したイケメンという定番をくつがえし、本作のドラキュラは毛も映えていないただの化け物である。だから「ドラキュラ映画」というよりは「モンスター映画」として見るのが良いです。

 全長50メートルのデメテル号のセットを実際につくり、マルタ島の海の上にセットを浮かべてジンバルシステムで船の実際に波にもまれているような動きを再現するという手の込みようで、さすがドリームワークス制作作品だけあって画面の迫力は桁外れ。内容の方も桁外れ、というわけにはいかなかったようだけど。

 

 ドラキュラといえば「太陽の光に弱い」という弱点があるのが定番で、この映画では事前情報としてそれが知らされておらず、それがサスペンスを盛り上げるようになっている・・・わけでもない。劇中、何人も血を吸われた人間が太陽の光を浴びて死ぬ場面があるのに、最後の最後まで登場人物たちはそこに気づかない。頭悪すぎだよ。

 こんな航海に出なきゃよかった。まさに後悔。これじゃダメテル号。ダーク・ユニバースは失敗続き!

 

アンドレ・ウーヴレダル監督の作品集

 

 

 

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