算命学を学んでいます。占技の質問にはお答えしていないため、コメント欄は閉じております。
私は元々心配性なほうですが次男が病気になってからおそらく過度に心配性になっています(←自覚はある)特に次男のことは何もかもが心配になってしまってまるで幼稚園児に接するのと同じような扱いになってしまい次男が自分で出来るだろうことまで私が手出しして、むしろ自分で出来なくさせてしまっているのではないか??という側面があります。我ながら良くないな・・・と思っているし頭では「信じて任せる」ことが大事なのは分っているものの病気の次男にはまだ早いのでは??とか、無理をさせたくない!!とか、母親らしい感情ではあるものの非常に私のエゴ的なものが奥底にあることに、自分でも気付いています。心配のあまり次男がやるより前に私が先回りして口出ししてしまうのは要するに、私の思うようにしたい、という表れのようなものそれって”私を心配させないで!!””私の思うように動いて!!”という要求を次男にしているようなもので心配って結局、信頼の真逆もう少し回復してきたらもう少ししっかりしてきたらそうしたら、本人に任せるけれど今はまだ病気だからまだ早いからとあまりにも思いすぎて私が何でも手を出してしまっている・・・以前受けた、介護職員初任者研修でも”何もかもやってあげるのではなく、出来ることは自分で”ということは繰り返し言われていたことを思い出します。一般のサービス業だったらかゆいところに手が届くような、おもてなし?が良いと思うけれど介護とか病気に対してはリハビリというか、むしろ自分で出来ることは極力自分でというほうが良いことは分っているのですがなかなか、頭と心がついていかなくて「信じて任せる」には覚悟も必要ですね。失敗しても、それはそれで受け止める覚悟あ~、でも病気だしなかなか覚悟が持てません・・・でも、一応心配し過ぎの感は認めているのでちょっとずつでも「信じて任せる」にシフトしていかないとな。。。もちろん無理は禁物なので塩梅が難しいけれど
何となく、他責は良くなくて自責が良い・・・と思っていましたというのも他人のせいにしても何も変わらない、全ては自分次第!という意味で自責を使っていたので他責より自責のほうが主体的で良いよねと単純に思っていました。1月から闘病中の次男ですが同じような病状の人のYouTubeなどを見ると他人を責めたり、自分を責めたり様々な苦悩や葛藤を吐露する場面があったりして見ていると私まで胸が痛くなってしまっていたのですが・・・そういえば次男って最初から、自分のことも他人のことも責めないなということに気付きましてねちなみに夫も次男と同様で自責でも他責でもないんですよ。。。「あいつが悪い!!」とか「自分のせいだ!!」とか、夫からも次男からもこういったセリフって、ほぼ聞いたことがないし、それっぽい思いも聞いたことがない。私自身は、何か起こると真っ先に「私のせいだ!」と思っちゃうし、私のせいでないならば、他の誰かのせいにしたくなる^^;もちろん、「自分のせい」というネガティブな意味だけでなくポジティブな意味で自責を使うこともあるけれどどうも私は、”どこかに責任の所在を求めたい!!”という思いが結構強いなと思って・・・その責任の追及先が他人か自分かの違いだけで。ポジティブな自責は確かに主体的に生きるには必要だけれど、自分でも他人でも誰のせいでもないことって、世の中には結構あるわけでそれこそ自然の法則というか・・・そんな自責でも他責でもない感覚というのを最近、夫や次男から学びました
先週から夫が発熱し熱は一晩で下がったもののゲホゲホと咳だけ残っていて通常なら、夫のその程度の風邪では私は移らないのですが私自身も、月曜日から声が全く出なくなってしまい熱はないけれど寝ようとすると咳が酷い病院に行ったところ気管支炎になりかけ、ということでした今年1月からの疲労が相当なもののせいかそしてホッとする時間が未だない・・・咳以外にも鼻にニキビみたいなでっかい吹き出物がでたり膣炎気味だったり、膀胱炎気味だったり他にも小さな不調がたくさん一気に吹き出た感じで私にとって「害」月は6月なんだけど今からこんなで大丈夫でしょうか💦・・・むしろ5月の半会が沢山ある今月にわ~っと(不調が)拡大して害月の6月は、休めるという予測だったりして??まぁ今は気温の変化が激しいし世間ではGW終わって疲れが出て私以外でも体調崩している人は多いかもしれないですね。一時は算命学の動画準備が進んだものの状況的にもいろいろあって、ここ数週間算命学関係に触れられていません💦ま、焦らず出来るときにやっていきたいと思います先日のワタナベ薫さんのブログワタナベ薫『人生を劇的に変える方法』※今月からアラジンのトライアルは、通常のアラジン、アイスコーヒー、デカフェの三種類になります。100gずつのが三つの種類が入っています。約30杯分。何度で…ameblo.jp 好きなことをずっとずっと続けて、 続けながら、それに関しての 発信を勇気を出してしてみること。ほんと、そうだよねー、って思います。・・・今の状況の私には、くじけそうになることが多いですがそれでも、好きなことやりたいことは続けていきたい。ただし、出来ないときは無理しない。こんなにあっちこっち不調だらけの時はまず身体を休められる時は休めてよく考えたら少し前まで私自身の病院に行く、ということすら難しかったし自分のペースで、続けていけたらと良いなと思います
先日、「最近の好きな言葉」という日記をUPしました。『最近の好きな言葉』「しょうがない」という言葉が最近のお気に入りです「しょうがない」というとネガティブなイメージがあるかと思いますが確かに良いことや嬉しいことがあった時に「…ameblo.jp夫にも「聞いて聞いて-」と報告したところ「まぁ、言わんとすることは分るけれどオレだったら”ケセラセラ”とか”なるようになる”とか”なんとかなる”とかのほうが好きかな」と言われまして・・・言われてみれば確かにね、って感じ「しょうがない」という言葉の場合だと「ない」という否定で終わるし言わんとする意味を伝えないと誤解されそうな言葉だけれど夫が言った言葉のほうがいちいち意味を伝えなくても聞く人に伝わりやすいわねじゃ、しょうがないケセラセラなるようになるなんとかなるなどなど、どれも良いけれど・・・夫の言葉にヒントを貰いつつ思い巡らせてみると自分では「明日は明日の風が吹く」が、今のところしっくりきますというのも「明日は明日の風が吹く」って、基本的にはポジティブな意味合いで使われるんだろうけれどそのまま受け取ると、ポジティブでもネガティブでもなくニュートラルとか中庸な感じがして好きです寒い風も暖かい風も吹くもんだよね、的なとはいっても、他の言葉もそれぞれ良いなと思います
「しょうがない」という言葉が最近のお気に入りです「しょうがない」というとネガティブなイメージがあるかと思いますが確かに良いことや嬉しいことがあった時に「しょうがない」という言葉は出て来ませんしね嫌な事、思った通りにいかなかった出来事に遭遇した時に「しょうがない」という思いになるわけですがただ嫌な事、思った通りにならなかった出来事があった場合真っ先に「しょうがない」と思うかというとそれはあまりなくて最初は、ショックとか、否定、怒り、悲しみ、などの感情が湧いてきて「しょうがない」という気持ちはすぐには出て来なくてもっと後に出て来る気がします。「しょうがない」という気持ちは「諦め」とも違って「受容」に近い感覚です。生きていれば、嬉しいことばかりでなく出来れば起きて欲しくなかったこと等もあるわけでそういうときに「まぁ、しょうがないよね」と思えるようになるとかなり気が楽になりますでもこれ、人から言われるとムカつくんですよね自分で「まぁしょうがない」と思えるから気が楽になるわけで人から「しょうがないじゃん」とはあんまり言われたくない・・・。実は、私の母がよく「しょうがないじゃない」と言うんですよ私の両親は、父は少し神経質というか悲観的で母は圧倒的に楽観的です。で、父が体調を崩して検査を受けたりすると父は「悪かったらどうしよう」と悲観的になるわけですが母は「悪かったら悪かったで、しょうがないじゃない」と、へろっと言うんですよね・・・。父としても最初は、そんな母の言葉にムッとしたようですがでも言われてみれば、確かにしょうがないんだよな・・・と父自身も思うようになってきてそんな話を父から聞いて私も父譲り?で心配性というか神経質なところがありま、主星が調舒星だしね私も母からよく「(そんな心配したって)しょうがないじゃない」って言われた覚えがあって言われる身としてはムッときたけれど今、私はなかなかヘビーな状況を過ごしているのですが自分自身で「ま、しょうがないな」って思えると、すごく気が楽になったんですよね。ちなみに母については人にだけ言うんなら、お前はなんだよ、って言いたいところですが母自身に起きた出来事についてもちゃんと「しょうがない」と思えているのはさすがだな、と思います。繰り返しになりますが「しょうがない」は諦めじゃなく受容に近いニュアンス介護職員初任者研修のテキストで確か、死や病気の受容の経過で否認⇒怒り⇒悲しみ⇒受容の経過を辿る、と書いてあったような気がしましたがテキスト読んだときはまぁ、そうだろうねーと他人事?のように思っていましたがなるほど、こういうことかそして受容というのは「しょうがないな」という感覚に近いんだななんてことを身をもって体感しました心から「しょうがない」と思えるとこんなに気が楽になるものなんだな・・・起こってしまったことは「しょうがない」と現実を受け止めてそこから、じゃ、どうしようかなと、ようやく気持ちが前に進めるようになる感じ。なので「しょうがない」というのは一旦、立ち止まるというか、マイナスから0に戻るというかそんな感覚です。母からは、直接そういうものだと教えられたわけじゃないけれど、間接的に教えてもらった気がするのでそこは感謝そういう意味では、母は最初から受容しやすい人ってことなのかもま、とはいえやっぱり自分で「しょうがない」と思うから良いわけで母から言われたくはないですけどね^^;
原典算命学大系には、よく「次元」という言葉が出て来ます。特に4巻で、原典を読み始めた頃は「次元」というのが「心」の次元を指しているのか、「霊魂(精神)」の次元を指しているのかあまりよく分からないまま読み進めていましたはっきり言って「心」と「霊魂」の次元というのが自分の中では、かなりごっちゃになっていました💦霊魂の中にも魂と魄に分かれてたりするので通読しただけでは頭ごっちゃごちゃ算命学では「霊魂(精神)」と「心」は別物として考えています。ちなみに霊魂と精神は、ほぼ同義(ただちょっと違いはあったと思う・・・)心は霊魂と肉体を結ぶものなので、「極」であり霊魂も肉体も含まれているんですよね。算命学に馴染みのない人は「肉体」と「霊魂」という言葉にもえ??って感じがするかと思いますが肉体とは現実的なこと霊魂とは精神的なことというような意味合いです。なので、霊魂と心は別物だと分かるんだけど原典算命学大系って、分厚い上に11巻もあるので読んでいるうちに、なんかごちゃごちゃになってくるんですよね(←私だけ??)1~2巻あたりは、心の次元うんぬんって書いてありそして4巻では、「星の次元」という箇所があるのですが星(ここでは十大主星)というのは、心ではなく「精神(霊魂)」を指すため肉体(現実)から物を見たり考えたりしても「星の次元」を理解するには無理があって星の次元は、心の次元ではなく「精神・霊魂」の次元なのよね同じような気付きを、過去のブログでも書いたような気はするものの・・・で、私が興味あるのは、「心の次元」なんですよねだからといって「精神・霊魂の次元」に興味がないわけじゃないですなぜなら、やっぱり生きている以上肉体(=現実)も大事じゃないですか。現実も精神も大事で、その極が心なわけでちなみに心は、一応「肉体の一部(=日干)」として定義されているのでやっぱり肉体(現実)と霊魂(精神)、どちらだけに片寄るのではなく両方からのアプローチに惹かれるんだな、私はなんてことを、ふと考えていました
昨日ふとメンターって、いたほうが良いのかななんてことを考えていたら本日のワタナベ薫さんと、椎原崇さんのブログでメンターについて書かれていましたワタナベ薫『メンターの選び方』GW真っ只中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私は通常運行で過ごしております。昨日の深夜は筋トレでボッチ筋トレしているお兄ちゃんたちに(基本筋トレはボ…ameblo.jp椎原崇『結果が出るメンターの条件』昨日、Facebookに、〜〜〜〜〜ここだけの話ですが、メンターを心の底から尊敬している人よりも、メンターを尊敬しつつ、心の中でちょっとナメてる人の方がうまく…ameblo.jpおおお!なんてタイムリーそして、ワタナベ薫さんの記事を読んで私って、結婚当初夫がメンターみたいな役割を果たしていた!ということに気付きました。直属ではないものの元上司のような立場で年の離れた夫は仕事以外でも、物の考え方など私にはとても新鮮で視野の広がりを感じさせてくれる人でした。夫と結婚した時に感じたのは、まさに薫さんが書かれたこの文章↓あたり あなたのメンターは、 あなたの良い資質を 引き出せる人です。 多くを語らず、真髄を付く 鋭い質問一つ投げかけるような そんな人です。 そして、あなたの奥底に眠る 資質と同じものを感じる人。 結局あなたが惹かれる人は、 あなたの中にあるから 惹かれるのです。そうそう、夫にそんな魅力を感じて結婚したのでした。でも今思えば、当初はこれを恋愛と思っていたけれど、どちらかというと尊敬とかメンター?に対する感覚に近かったのかも。が、結婚して月日は流れいつの間にか夫は薫さんの記事にある選んではいけないメンター・従わせようとする・いつも助言をする・いつも考えを正すなどなど(薫さんの記事から引用)に該当するようになっていき・・・いつの間にか私は依存が強く主体性を欠いていき周りからも、「よくそんなにダンナさんの言うこと聞くよね」と言われていましたかといって、じゃあ夫だけが悪いのか??というと、結婚当初夫のことはもちろん好きだったけれどそれ以外にも年の離れた夫に頼って甘えて生活していきたいという私の元々の依存体質が招いた結果のような気がしています。。。それが、ここのところ次男の病気発症からどうにもこうにも夫と向き合わなければならない状況になり苦しいながらも夫と向き合い今まで言えずに我慢して従っていた思いや話してみて分かった、私の思い込みなども確認でき、今は、良い意味で夫は私のメンター的なところも、まぁ少しはあるかな?・相手に考えさせる・答えを与えない・相手がする失敗も学びと見ているなどなど(薫さんの記事から引用)程度の感じになりました。また、椎原崇さんの今日のメンターについて書かれているブログもうんうん、って頷いてしまいました。 メンターを心の底から尊敬している人よりも、 メンターを尊敬しつつ、心の中でちょっとナメてる人の方がうまくいくナメているという表現が適切かは不明ですが、なんかちょっと分かるというか^^;夫をメンター化してしまうのは危険ですがあくまで、メンターというか一部を参考にするという程度にとどめて結局は、夫がどうであれ私の人生は私が主体で決めるものでそしてそれは今後、メンターと呼べるような人が現われてもみだりに「師」と仰ぎすぎずそれこそ、算命学でも「自力本願」コーチングでも「主体的」というし、頭で分かっていたつもりなんだけど・・・やっぱり「頭だけ」で分かってたんだなぁなんて思って実際、腹落ちしたのは本当に最近💦今頃になって結婚当初の自分の浅はかさを思い知らされています・・・。なんていうか、螺旋を一巡したような??そんな感じです。。。
アメブロ管理画面に1年前に書いた日記が上がっていました。普段は過去記事が上がって来ても特に気にしないのですが、ふと、今回は読み直してみる気になりました。そして、昨年の今日考えていた「心の次元」を上げる、ということこそがずっと変わらず算命学に惹かれる理由だと改めて感じました。今、私が動画を作成しようと思っている内容はまさに昨年の私が求めていたことそのもの。算命学を始め、今まで学んできたカウンセリングやらコーチングやらの内容を総動員してコンテンツとしてまとめているところです。今、自分がそんなものを作っていると昨年の自分が知ったら、すごく驚くだろうな私は「作品」というつもりで動画を作るつもりですが一番のお客さんは、昨年の自分自身と言えるかもしれません。昨年の自分よ、出来上がりを楽しみに待っててねなんて気分です。5月になって、月運も変ってきているせいか算命学的にはまだ4月だけどようやく昨日からしっかり睡眠が取れるようになったお陰もあり、だいぶ私も元気が戻って来ました
気がついたら4月も終りですね。ふと見るとドットマネー(=アメブロのアフィリエイトポイント)が1,000円を超えていて、今月末までに失効するポイントもあったので慌てて銀行振込みしました💦以前は、失効前にスタバのポイントに換金するなどしていたのですが、ドットマネーは1,000円からは銀行振込みに出来るのでそっちのほうが嬉しい私は「お任せ広告」もオフにしているのですが昔の記事にはお任せ広告が入るみたいで気がついたら「お任せ広告」のお陰でドットマネーが増えている感じです私はアフィリエイトはやっていないけれどそうはいっても、ブログ書いているだけでお金が入るのは嬉しいなんたって我が家、悲惨な状態なので感慨ひとしお皆様ありがとうございます!!「お母さん、算命学の動画作成進んでいるの?」と以前はプレッシャー?をかけてきた次男ですが先日「お母さんのペースでやれば良いんだよ」と言ってきました。なんか微妙に上から目線・・・ここのところ、不眠&動悸などもあり動画作成どころか、まずは私も体調第一!!といったところです^^;でも、不思議と動画作成のヒントになるような出来事は次々と起こるので作成が進む時は進むし、進められない時は進められない自然の流れに乗りながら仕上げていけたら良いなと思っています
次男の病気は、夫婦関係にも大きく影響を及ぼしました。次男のことを巡って夫と私で意見の相違がものすごくて否が応でも夫婦関係を見直すというか、再構築せざるを得ない状況になりました。いつの頃からか私は夫に自分の意見が言えなくなっていました。夫の意見に逆らっても逆上されたり、その後夫の体調が悪化したりと夫の意見に逆らうと、後がものすごく大変という経験を何度もすると夫に何を言われても、黙って従うしかない・・・そんな風に私の中で胸の内を閉じ込めるようになりました。夫は結婚当初から「何でも話し合おう」と言う人でそれはずっと変わらないのですが・・・そうは言っても自分の意見押しつけて怒鳴ってくるだけで、話し合いにならないじゃんという思いが私の中で積み重なって私は全く自分の思いを夫には言わなくなっていました。私の行動についてもああしろこうしろ言われて嫌だったけれど、それはまだ嫌々ながらも従ったけれど夫が言うには強制したつもりはなく、一意見だったらしい・・・次男の病気に関しての意見相違についてはさすがの私も黙って従えず夫の方針は、医師とは全然違うものだったりもするため私からすると、それって病状を悪化させることにならない!?とヒヤヒヤすることが多くだけど、血は争えない?のか意外や意外で、次男は夫の方針で良くなったりもするので私も完全に夫を否定するわけにもいかず・・・先日自分で作った夫婦関係ワーク?を自分で実行して夫婦関係のコミュニケーションはだいぶ改善されたもののそれでも先日心が折れそうなことがありストレスから私の更年期症状が悪化したのか動悸&不眠という状態に陥りこれはもう、このままだと私が潰れるそして私が潰れたら次男はどうなる!!という思いに駆られたせいか夫と、本当に腹を割って話し合いをしました。夫とちゃんと向き合って途中、私がわーわー泣きながらも夫に自分の本音が言えたことで分かったことは私は夫を恐れすぎ夫に自分の思いを言わなくなってどんどん本来の夫を見なくなっていたのかも・・・腹を割って話せば、ちゃんと聞いてくれる結婚した理由も2人で再確認してお互い、この人とだったら一緒にいて気付きが多くてお互いを高め合える関係自分だけでは思いつかなかったような意見や発見が多くて1人+1人=2人じゃなくて、何倍にもなるんだなそう実感したから結婚を決めたんだった。結婚してからは、あまりにもいろんなことが多すぎて結婚当初の思いなんか、とっくに忘れていたけれど次男の病気を通してまさかこんなに夫婦関係を見直して再構築することになるとは思いませんでした。・・・まぁ、これですべて一件落着というほど甘くはないのは分かっているけれどそれでも、突っかえていた胸の内をかなり出せたことで私の動悸はかなり良くなりました
久しぶりに婦人科に行きましたしばらく落ち着いていた更年期の症状私の場合は、頭痛と動悸ですが漢方薬を半年くらい飲み続けたら症状も出なくなったのでそれっきり飲んでいなかったのですが最近になって、目眩⇒(生理)⇒頭痛⇒動悸という順に症状が出て来てしまいました。動悸が酷くなった原因に思い当たるフシもあり・・・更に困ったのが、動悸が酷くて眠れない動悸からの不眠は避けたい私まで体調崩したら、家中病人!・・・とういうことで、以前訪れた婦人科に行き。婦人科の医師に最近の変化など聞かれたので1月に発症した次男の病気のこと、次男の治療で私と夫とで意見が対立しがちなことなどなどを話したところ非常に親身に聞いて下さり私も次男が病気になってから今まで親以外に自分の苦しい胸の内を話していなかったのでこんなに親身に聞いていただけたことでかなり胸のつかえが取れました家の現状が変わるわけではないけれど話を聞いてもらうって、やっぱり大事ですね。それにしても、更年期の症状が以前出ていたから今回の動悸や不眠も婦人科に行こう!って思えたのでここの婦人科にかかっていて良かったと心から思いました
次男が病気になってから今までずっと「早く良くなりますように」と祈っていたのですがふと「早く」という言葉に違和感を覚えました。確かに早く良くなって欲しい次男自身も、早く良くなりたいと言っているしそう思うからこそそうならない現実が苦しい・・・最近この「早く」という言葉に逆に苦しめられている気がしてきて今できることは服薬して、ゆっくり過ごして、よく寝ることそれしかないし、そうしているけれどそれでも、日によっても時間によっても症状は一進一退。いつになったら良くなるかなんて分からない・・・ふと、算命学の「情」と「理」を思い出しました。「情」は人情ともいえて病気になったことを嘆き悲しんだり、それこそ、早く良くなりますように!など祈る気持ちも「情」に入るのでしょうね。「理」は理性ともいえて病気になったことはなったこととしてそこから何を学ぶか、何が出来るのかなど感情を交えず、状況を客観的・理性的に捉えるのが「理」。今まで「早く良くなりますように!」とどうしても「情」で反応していたし、これは人として当たり前のことだとは思いますがやること(服薬・睡眠)はやっているし今後、次男がどれくらい回復するのかもどれくらい時間がかかるのかも、今の時点では分らないわけで何事も、「時期」や「タイミング」というものがあるのは分るそう気付いたら「早く」という執着にも似た感情も少しずつ手放せるようになってきました「情」としては、辛いものがありますが人事を尽くして天命を待つ、じゃないけれどジタバタしても、しょうがない。。。そして次男自身が「病気になっちゃったもんは、しょうがないしなー」と結構冷静なのも救い。母親の私のほうが右往左往しやすいので、気を付けなきゃね^^;
私はブログの中で配偶者のことを今まで「ダンナ」と書いてきました。が、今後は「ダンナ」改め「夫」に呼び方を変えようと思います。何その決意表明??知らんがな、って感じだと思いますが・・・ここのところ、算命学の動画作成の前段階としてCanvaやパワポで資料を作成していてるのですが西(=金性)のところの項目としてパートナーシップに関するワークも考えていまして私、算命学でいう「東西南北中央」で一番苦手で、我ながら出来てないな~と思う課題箇所はずばり「西(=金性)」なんですよねもともとパートナーシップが課題だなーと思っていたところに次男が病気になったことで夫に非常に感謝する機会が増えた反面、今まで以上に、頼むから止めてくれっっ!!と思うことも増え、もっというと、感謝or怒り夫に関しては、この二択だけしか感じないという両極端な状況が続いていましたこんな極端じゃなくもっと穏やかな関係を築けないもんかな~と思い自分の作ったパートナーシップのワークを自分でやってみたらなんか、すっごい良い感じまだ時々、夫に対してムカッとかヒヤッとかは出ますがかなり穏やかな関係に変化してきました。関係が変わってくると今までブログで「ダンナ」と言っていた呼び方にも違和感が出て来て「ダンナ」という言い方って良く言えば、ざっくばらんだけれどママ友との会話で「うちのダンナが~」って言うような感じでも、雑な印象がある目上の人とか公の場では「ダンナ」って言わないしかといって私からすると「主人」だと、ちょっと立てすぎなので^^;「夫」がちょうど良い感じ??と思えたので今日から「ダンナ」改め「夫」に呼び方変更・・・小さいことかもしれないけれど感覚が変わると、使っている言葉にも違和感が出てくるものでそういう違和感を見逃したくないな、と思っています。しかも、パートナーシップを見直したことで今までどうしても腑に落ちなかった金性の攻撃本能というのが、なぜ家庭という休息の場所が定位置なのか??ということも併せてしっくりきました。パートナーシップも改善し算命学の理解も進むというそんなつもりで動画を作ろうと思っていたわけじゃ全然なかったのですがすごい副産物✨・・・後は、途中で放り投げずに、最後まで動画が作れると良いな💦需要があるかは不明ですが^^;
美容院は予定通り行ってきました。延期延期で、ようやく縮毛矯正かけられて良かったぁ今まで全然髪の毛がまとまらなくてずっと一本に引っ詰めていたけれどこれでようやく髪下ろせるし、手入れが楽になりました美容師さんも、やり甲斐あるわーって言ってました。^^;次男も、だいぶ自分で服薬管理が出来るようになったので私の留守中も、ちゃんと薬を飲んでいるだろうと安心していたのですが帰宅後、薬ケースを見ると・・・昼の薬、飲んでないじゃんあれだけ言ったのに!!紙にも書いたのに!!私が帰宅したのは16時。次男に確認するとすっかり忘れていたそうな・・・まぁ、それはそれで薬飲まずにいられたってことは、ある意味、具合悪くなかった、ってことだね♪とポジティブに捉えてみたものの・・・薬を飲んでいないことに気付いたせいか?急に具合が悪くなる次男その後、薬を飲んでも夕方以降は、どんどん酷くなり⤵⤵あ~あ、って感じ・・・まぁしょうがない。以前は、いちいち次男の体調で一喜一憂していたけれどそろそろ、どーんと構える心でいたいものです。
昨日・一昨日と、次男の症状が少し落ち着いていたので、思い切って明日、美容院の予約を入れました。1月に縮毛矯正する予定だったのが延びに延びて、はや4月。縮毛矯正は4~5時間かかるのでそんなに長い時間、家を空けることが出来ずにいましたがさすがにもう限界!!次男も日中は比較的落ち着いているし、もう良いかな??と思って予約を入れたんだけど・・・今日は夕方から、また次男の調子がいまいち⤵う~、キャンセルしようかなぁ。。。1月からは、何度も美容院の予約をキャンセルや日程変更しているのでもうあんまり変更したくないのになぁ・・・と思ったら何かちょっとイラついてきた全然自分の用事が出来ないで、ああ、イラつける、というのは余裕がある証拠だな、とも思いました。1月2月なんかは全く余裕がなく時々、イラッとすることはあったけれど直ぐにその後、イラついてる場合じゃない!!というような緊急事態になってたっけ・・・今回は、普通にイラつけたのでイラつくって、多少なりとも余裕があるから湧く感情なんだろうな有り難いことなのかもしれないな、なんて思いました。。。さて、明日美容院に行けるでしょうか・・・
私は仕事を辞めてちょうど2年が経ちます。仕事を辞めてからも、元の職場の人達や友人と会ったりMCCコーチングスクールで新たな出会いがあったりと基本、引きこもり生活をしつつもそれなりに人とは交流のある生活をしていました。それが一変したのが、今年の1月。次男が病気を発症して予定は全てキャンセル。いまだ美容院の縮毛矯正に行けず・・・本当に閉じられた生活をしていました。家では、ダンナと次男という病人二人に囲まれて健康なのは私だけ、というなかなか閉塞感のある日常最近まではブログもほとんど書けず、他の人のブログも見に行けずという日々でしたがそれでも、最近ようやくブログを読んだり書いたりする時間が取れるようになり家に閉じこもり病人二人に囲まれて隔離されたような生活をしているもののそこまで閉ざされた感じがしないのはやはりブログをやっていたお陰です。インスタやらXやら他のSNSは使っていないもののこうやってブログなど何か一つでもSNSをやっていると外との繋がりを感じられます。私はコメント欄も閉じていますがそれでも「いいね」などで、いつも訪問して下さる方々や皆さんのブログを見に行ったりするだけでも閉塞感から解放されるものだなぁと、しみじみ思います。そして、まだ外出したり個人的に人と話すのは疲れてしまうので今は、これくらいの刺激がちょうどいい感じです。SNSは場合によって傷付いたり、嫌な思いをすることもあるのでしょうけれど私としては、やってて良かったSNS(ブログ)という感じです。ここのところ、連続してブログが書けて嬉しいなぁ
アメブロの管理画面に、「1年前に書いた日記」というのが上がって来て。それは「MCCコーチングスクールの最後の集合研修」という日記でした。そして、ワタナベ薫さんのブログを拝見したところちょうどMCC4期生の最初の集合研修だったようですね!懐かしいなぁ、私はMCC2期生なので、あれから1年か集合研修3回目にして、ようやく最前列に座って薫さんとツーショット写真を撮ったという思い出♡いや~、1年前に受講しておいて良かった!今じゃ長時間の外出が出来ないもんなぁ・・・1年前は今の状況なんて予想だにしなかった私は心理学やらカウンセリングなど「心」のことについて興味があるもののコーチングだけは食わず嫌いでした^^;というのも、コーチングって商業的な臭い??がして、なんか胡散臭い・・・と思っていたんですなので、コーチングを習おうと思ったことはなかったのですがワタナベ薫さんが教えて下さるなら話は別!!ということで飛び込んだMCCコーチングスクール2期。結果としては、とっても良かったほんとに食わず嫌いだったなと思いました😅薫さんに会えたり、教われたのも嬉しかったけれどMCCに通ったことで、新たな出会いもたくさんあって。今は状況的に外に出られないもののきっと家の状況が落ち着いたら、MCCの仲間達はいつでも受け入れてくれるだろうな、という安心感もありますそれに今、算命学の動画を作りたいと思っているところですがその中にワークも取り入れようと思っていてワーク自体は私のオリジナルですがMCCで教わったことも大きなヒントになっています。動画は、算命学の考えをベースにした「心の次元」や「心の成長」といった内容ですが実践で扱うにはコーチングの手法が何気に大事でそんな意味でも、去年MCCに入ったのは大きかった・・・今思えば必要なことは必要な時に、ちゃんとやっていたのかもしれないなだけど本当は履修もしたい、来年行けると良いな・・・なんて、思ってしまいました後はしっかり動画作らなきゃね💦←こうやって自分にプレッシャーかけるのも大事
次男の体調が落ち着かないため、私もまだ、長時間の外出は出来ずにいます。昨日は体調の悪かった次男ですが、今日は比較的マシだと言うので私もちょっと遠いスーパーまで足を伸しました。ちょうど桜も見頃ですね🌸でも、今までのように「桜、きれい~」というような気持ちにはなれずまだちょっと世界がどんよりして見えます。。。算命学では、悲しい心で自然を見ると桜の花びらも悲しさの色を帯びて見えると言います例では葉っぱだったかな??楽しい心で自然を見ると花も葉っぱも楽しげに見えるそうです。結局は、どんな心で世の中を眺めるかということ。・・・今だから、ああこういうことかと実感が湧きます。でも出来れば楽しみの心で実感したかったなぁ大型のスーパーは賑わっていて小さい子達のはしゃぐ声や親御さんが何だかとても眩しく見えました。あんな頃があったなぁ。小さい子って、どんどん成長するよなぁ。懐かしいなぁ。・・・あと一歩で社会人、夏からは一人暮らしの予定だったのになぁそこまで考えたら、どうしても泣けてきました。本当だったら、手に出来るはずだった次男の社会人生活。失ってしまったものや、これからの不安。来年の4月になったら社会人として再スタート!と単純に考えられるものでもなく・・・次男の病気というのは、なかなかに厄介なものでして。次男の病気のことで、私も誰かに話を聞いてもらいたい思いはあるので母に聞いてもらったりしたのだけど母から「次男とあなたって、ちょっとべったりし過ぎだったわよね。病気の原因は、あなたの育て方にも問題があったんじゃないの?私のように、もっと突き放せば良かったのよー」という、それ思ったとしても絶対言っちゃダメなやつ!!というフレーズを母からぶっ込まれまして・・・母は別にカウンセラーじゃないし、そんなに傾聴が出来るわけじゃないのは分るけれどカウンセラー資格持ってなくたって、弱っている人間に言っちゃダメな言葉くらい分るだろう!?と、つい腹が立って思わず母の言葉に反応して、私も言っちゃいけない言葉を言いそうになりましたが、ここはぐっと飲み込みました。私の言いたかった言葉。それは「何言ってんの!?私がべったり子育てになったのは、私自身が甘えが足りなくて寂しかったからじゃない!!それって、私を放って育てたお母さんのせいでしょ!?」というフレーズ。でもこれって、お互い原因のなすりつけあいをするだけで何の意味もなく不快に終わるだけなので言葉は飲み込みました。原因なんて分らない。でも、次男は午未天中殺。家系の最後を受け持つ天中殺。次男から見た家系はダンナ側の家になるけれど私の命式では子供達は私の実家と縁が深くいずれにせよ、次男は家系の様々な因縁を終わらせる役目、ということは言えて。次男には何の責任もないのに、様々な因縁が次男にいってしまったのだとしたら、何だか申し訳なく思えてくる。。。今回、次男が病気になった時期を見ると年運は月支の天剋地冲だけど守護神回り。そして大運では、大運天中殺に入るちょうど5年前にあたります。「辛い思いをするけれど、結果的には良い方向になるだろう」・・・と、身内なのでどうしても色眼鏡の入った解釈になりますが^^;まだ体調も三寒四温だと言う次男ですが、季節は4月。そろそろ体調も落ち着いてくると良いな
次男から「本当は1月には算命学の動画作るはずだったんでしょ?僕のことがあったから作るの遅くなっちゃったね、ごめんね」と言われました。・・・確かに1月には作りたいと思っていましたけれど、実際に作れたか??というと、う~ん・・・どうなんだろう。私の性格を思うに何かきっかけでもないと、いつまでもずるずる先延ばしする傾向にあるしそれにやっぱり始めてのことって怖いししかも当初はYouTube予定だったから尚更動画作る、ということもあえてブログで宣言するつもりがなかったのは不言実行で行きたいからそのほうが格好良さげだし・・・というのは表向きの理由で宣言しなければ結局、私が動画を作らないで終わったとしても動画作るなんて言っていなければ誰からも何にも思われないで済むしね実際、動画作成についていろいろ調べたところ、分らないことだらけで挫折しかかってたし宣言しちゃうと否が応でも作らなきゃ!というプレッシャーを自分にかけるわけじゃない?とはいえ誰からも「動画作って!」なんて言われていないので、勝手に自分にプレッシャーかけているだけなんだけど💦プレッシャーに弱い私。。。なので、不言実行というよりは宣言しなければ、出来なかったとしても最初からなかったことに出来ちゃうし~という、ただの逃げに走っていただけ自分の弱さ、自覚してます・・・今回、次男が病気になってもちろん動画作成どころじゃなかったけれど逆に今は、まだ私が外に働きに出ることも難しいわけだし次男も働けないしダンナは無理しようとしているし(←ここがまた厄介)それこそ、動画作るなら「今でしょ!」って感じ私らしくなく、こうやって作るぞ宣言もして自分にプレッシャーかけてみたりして・・・今年は、十干の最初の干支である「甲」の年。そして4月は「甲」の月。⇒と思ったら、甲月じゃなくて戊月でした💦新しいスタート、というのが自然の流れなのか、そんなことを否応なく感じています。ちなみに私にとって今年は「石門星」。仲間がキーワードなので、そのうち仲間と何かするのかなぁ
次男から「算命学で稼いでね」と言われましたが、まぁまぁ洒落にならない状況なんですよね。。。この4月から、本来は次男も就職して子供達にお金はかからなくなる予定だったのがむしろ、一変してお金がかかる状況になってしまい親としても想定外私は、昨年の秋くらいから算命学の動画を作りたいな~とぼんやり思っていたのですがそれは算命学で私は何がしたいの??ということを、前々からずっと考えていてようやく私は、算命学の中でも「心」に特化したことを伝えたいんだ、それも算命学だけでなく、今まで学んできた心理学・カウンセリング・キャリコン・コーチングなどなども組み合わせて自分の考えも反映させた「作品」のような形にしたいんだという考えに至りました。良い物作りたい!という私の主星「調舒星」や才能星が改良改革の「龍高星」サービス精神旺盛な「禄存星」異分野を融合させる半会持ち、というところからも、私らしい答えだよな、と我ながら思っています。じゃ、それをどうやって作品にするか?という手段として「動画」を作ってみようと思ったわけです。ただ、それで稼ぐぞ!!と気合いを入れていたわけではなく良い物作りたい!!の調舒星を満足させその作品を良いな、と思う人がいれば買ってもらえると嬉しいというくらいのつもりでいて。また、算命学の動画とは別に次男が4月に就職したら私も5月くらいからはパートにでも出て社会保険料くらいは自分で収めたいななんて思っていたわけです。仕事辞めて2年経ち、自分の貯金も底をついてきたので・・・が、パートに出るにもまだちょっと次男の回復を待たないと難しいし売り上げ度外視!と思って、動画も当初YouTubeで無料公開しようかと思っていたけれどそもそも算命学にまつわることってあんまりオープンに出すのも憚られるところもあったのでクローズでほそぼそ販売?にしたほうが良いかな、と思うようになりました。。。売上げとか儲けとか考えるのがどうも苦手なんだけど純粋に良い物作りたい!!の思いが、儲けを考えると曇りそうな気がしてしまうのですがそういう思い込みや偏見こそが私の課題でもあるし・・・本来は、良い物作って、売り上げてさらに良い物作る、という循環が望ましいのは分っているので私も覚悟を決めて頑張ってみようかと思いますって言いながら、まだまだオロオロしながら準備段階の状態ですが^^;そもそもニーズがあるのかも分らないし😅