バイロイト音楽祭2017、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を、バイロイト祝祭劇場にて(19日)。

 

指揮:フィリップ・ジョルダン

演出:バリー・コスキー

ハンス・ザックス:ミヒャエル・フォレ Michael Volle

ファイト・ポーグナー:ギュンター・グロイスベック Günther Groissböck

クンツ・フォーゲルゲザンク:Tansel Akzeybek

コンラート・ナハティガル:Armin Kolarczyk

ジクストゥス・ベックメッサー:ヨハネス・マルティン・クレンツレJohannes Martin Kränzle

フリッツ・コートナー:Daniel Schmutzhard

バルタザール・ツォルン:Paul Kaufmann

ウルリヒ・アイスリンガー:Christopher Kaplan

アウグスティン・モーザー:Stefan Heibach

ヘルマン・オルテル:Raimund Nolte

ハンス・シュヴァルツ:Andreas Hörl

ハンス・フォルツ:Timo Riihonen

ヴァルター・フォン・シュトルツィング:クラウス・フロリアン・フォークトKlaus Florian Vogt

ダーヴィット:Daniel Behle

エーヴァ:アンネ・シュヴァーネヴィルムス Anne Schwanewilms

マクダレーネ:Wiebke Lehmkuhl

夜回り番:Karl-Heinz Lehner

 

バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団(合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ)

 

2年ぶりのバイロイト。事前に暑いと聞いていたのだが、晴れているにもかかわらず気温は20度前後ととても快適である。

今回の主な目当ては、昨年行けなかったため観られなかった新制作の「パルジファル」と、今年の新制作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。あとは、2度目となるティーレマンのトリスタンだ。

マイスタージンガー、前回の演出は当音楽祭総監督である大作曲家のひ孫、カタリーナ・ワーグナーだったのだが、これはあまりに斬新で悪趣味だった。それに比べれば、ユダヤ系オーストラリア人、ベルリン・コーミッシェオパー総監督であるバリー・コスキーの今回の新演出はだいぶまともに見える。とはいえ、今やドイツの最先端を行くワーグナーの実験劇場であるバイロイトゆえ、もちろん一筋縄でいくような代物ではない。

 

前奏曲が始まるとそこはワーグナーの終の棲家であるハウス・ヴァーンフリートの一室である。肖像画でおなじみの帽子をかぶったワーグナーと妻のコジマ、その父親であるフランツ・リストと、ひげを生やしているのはユダヤ人でありながらワーグナーを熱烈に信奉していた指揮者のヘルマン・レヴィ。しかしよくできていて、みな本物に似ている。

ワーグナーが、舞台左手に置かれているピアノを弾き出すと、ワーグナーと同じ格好をした人間が3人だったか、ピアノの中から出てくるのである(このうち小さいワーグナーは、フォークトの息子カッレ君だそうだ)。

前奏曲が終わって第1場が始まると、次第にそれらの人々の役割がわかってくる。すわなち、

ワーグナー=ハンス・ザックス、コジマ=エーヴァ、リスト=ポーグナー、ピアノから出てきたワーグナー=ヴァルター、レヴィ=ベックメッサー、女中=マクダレーネ、というわけである。観ているうちになんとなく読み替え演出の意味がわかってくる。エーヴァに恋心を寄せる年老いたザックスが老ワーグナー、実際にエーヴァと相思相愛の関係にあるヴァルターが若き日のワーグナーという位置付け。リストとコジマの親子関係は、ポーグナーとエーヴァの親子関係になぞらえられている。そして、嫌われ者ベックメッサーはユダヤ人指揮者レヴィ。この人はパルジファルの初演までした指揮者である。しかしコスキーの解説によれば、ワーグナーはレヴィのことを結構侮辱していたようだ。よく知られているように、ワーグナーは反ユダヤ主義者であった。

第1幕はヴァーンフリート館が舞台で、幕の終わりにその舞台は奥に引っ込んで行って法廷のようなセットに変わる。第2幕、第3幕はこのセットが使われるのだが、これはニュルンベルク裁判の法廷。ナチの高官が、ユダヤ人大量虐殺の罪で裁かれた法廷であり、米英仏ソの国旗が見える。

第2幕は壁こそ法廷のものだが、地面は草地になっている。最後の方でげっそりと不気味な風貌のワーグナーの張りぼてが登場。まるで、収容所でやせ細った捕虜のようである。そして最後は巨大で不気味なワーグナーの風船のようなものが…なんとこの不気味なワーグナー、頭のてっぺんにユダヤ帽をかぶっているのだ。なんというか、自らもユダヤ人である演出家コスキーのどこか屈折した心理を表しているのか…いや、ワーグナーの反ユダヤ感情自体がかなり複雑なものだった可能性もあるので、そうしたことを言っているのかもしれないし、ユダヤ人でありながら反ユダヤ主義のワーグナーを信奉して尽くしたレヴィの感情もなかなか一筋縄で行くものではなかろう。

第3幕はまさしく法廷そのものが舞台。歌合戦の場面は法廷における証言のようにも見える。ベックメッサーが歌うシーンでは、実際にラウテの女性奏者が舞台上で演奏した。最後のザックスの演説の後は、舞台の奥からオーケストラと合唱が現れるのだが、オケは合唱団が演じているようで、楽器を弾いているように見えるが音は一切出していない。最後はザックスがこの合唱付き偽オーケストラを振って終了。

 

さて歌手陣だが、大勢の歌手のうち、なんと私が知っている歌手はフォークト、フォレ、グロイスベック、シュヴァーネヴィルムスの4人しかいない。歌手の世代交代は早いものだ。

最も印象深かったのはやはりヴァルターを歌ったフォークトということになろう。英雄的で伸びやかで突き抜ける美声は変わらず!声質は以前に比べるとわずかに重さが出てきただろうか。秋のバイエルン国立歌劇場来日公演におけるタンホイザーにも期待が高まる。

ザックス役のフォレも申し分ない素晴らしい歌唱である。この長大な楽劇で最も出番が多い歌手であるが、最後まで馬力を失うことがなく安定しているし、味のある歌を聴かせてくれた。

エーヴァ役のシュヴァーネヴィルムス、声は文句なく素晴らしいのであるが、若いエーヴァの役としてはちょっと尖っているように感じた。この人、新国立劇場の「ばらの騎士」では元帥夫人を歌っていて、そういう役だとはまるのであるが。

ベックメッサー役のクレンツレの歌は、この役の嫌味をとても巧く表現している。正直、見た目は全然イヤな奴には見えないのであるが。この人、フォレとともに2015年のMETに同役で出演していたようだ。

ポーグナー役は新国立劇場や東京春音楽祭でもおなじみのグロイスベック。フランツ・リストのそっくりさんを見つけてきたのかと思いきや、グロイスベックだったのだ。高い鼻がまさにリストにそっくりだ。声は若々しいが、低域はやや詰まって聞こえる。

ダーヴィット役のダニエル・べーレも個性的でいい声の持ち主だ。この人は秋のバイエルン国立歌劇場来日公演「魔笛」でタミーノを演じる予定。

 

指揮はスイスのフィリップ・ジョルダン。2012年にここで聴いた「パルジファル」のときも感じたのだが、とても理知的な指揮をする人である。しかしティーレマンのように低音をぶんぶん鳴らすことはせず全体の音量バランスを重視するタイプなので、私の好みとは若干違うかもしれない。今回の私の席はラッキーなことに1階最前列、まさにかぶりつきだったので、この劇場特有の絶妙な音のブレンドを堪能することができた。一方で、各幕のエンディングでもっと音がガンガン来て欲しいところでなぜかあまり音が飛んで来ず、遠くに抜けていくかのような印象を受けたのはマイナスポイントかもしれない。あとは、オケと合唱が微妙にずれて聞こえたのは席のせいなのだろうか。

なおフィリップ・ジョルダンは12月にウィーン交響楽団と来日する予定。

 

16時開演で、1時間の休憩を2回はさみ、終演は22時半を回っていた。やはりこのオペラはあまりに長くてつらい。特に、まだ時差ボケが解消していない段階では、こう言ってはなんだが苦行に近いと言っていいだろう。

なお、昨年からだそうだが、テロ対策で劇場正面の道路は通行止めになり、以前は通ることができた劇場裏から正目に抜ける通路が封鎖されている。また、ホテルで貸し出されていたクッションも持ち込み禁止。劇場内で一人1枚だけクッションを無料で貸してはくれるものの、これを劇場の外に持ち出すことも禁止だ。

 

総合評価:★★★★☆