「いいね」と承認欲求
冬でバイクネタが無いので読書感想文ばかり書いているトモです。 ブログをやっていると「いいね」やコメントばかり気になってしまいます。気になることは健全なのでしょうか? 「いいね」「コメント」をたくさん欲しいというのは承認欲求と言います。 最近のひどい例になると回転寿司の美品を舐めたりした動画が問題になりました。ブログでも公道でウイリーしたり、崖の淵をバイクで走るようなのもありました。 要は目立ちたいとか注目されたいなどの他人目線を意識した承認欲求です。 バイク同士の排気量マウント これも他人のバイクの排気量ばかり気にしすぎてマウント取られただの思うことですね。他人は他人。自分は自分。アドラー心理学によれば「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。」(嫌われる勇気より) 人の「いいね」を期待した記事を書くために生きているのではない。といったところでしょうか。 承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。 そして、覚えておいてください。もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。(嫌われる勇気より) 読む人の期待するブログ記事を書いて、たくさんのいいねを貰おうとするのは他人の人生を生きることになるということですね。自分の価値はいいねの数のように他人に委ねられているようなものです。 じゃあどうすればいいの?アドラーによると「貢献感」を持つこと。一種の自己満足ですが「自分は正しい。いい記事をかけた。いいねは少ないないが、誰かの役に立つことができた」。そのように感じることが、正しい「貢献感」の感じ方。読者からの「いいね」や「コメント」が無いと不満なら、あなたは常に読者に依存していることになります。本物の貢献感は、相手に依存しない、自己満足でいいのです。 ただ、承認欲求は必ずしも悪者ではないと思います。いい記事書けば賛同してくれれば嬉しいもの。その後の励みにもなりますね。 私なんぞは1日の訪問者が50人くればいいほうです。ところが検索エンジンで来る人がとても多いです。要は書いたばかりの記事より過去に書いた旧車のバイクネタが誰かの役に立っているのです。 また、ヤフーやグーグルで特定のキーワードで検索1位になっている記事もいくつかあります。 これは自己満足ではありますがアドラーの「貢献感」ではなかろうかと思っています。 承認欲求は手段で、人生を豊かにするためのもの。認められることが目的となっては手段のために生きる人生となってしまいます。(承認欲求捨ててみたより) 承認欲求を捨てるためのトレーニングが紹介されています。1日に10人の顔を思い浮かべ「私はあなたに嫌われても構わない」「あなたに嫌われてもやっていける」と大きな声で50回声に出す。 実践的なのはとてもユニークです。仕事などで行き詰まっている人は一読してみるのもいいでしょう。嫌われる勇気Amazon(アマゾン)1,188円“承認欲求”、捨ててみたAmazon(アマゾン)1,335〜4,470円