祈りの力 祈りのコツ 2
祈りの方程式は感謝 願い事 愛と真自分の一定の祈りの方を決めます。1、感謝 神霊祖への感謝2、ライトブルーの透明に近い球体 (サーチネ星)3、氏名 生年月日4、願い事 愛と真がベースにある こと5、マントラと真言や祝詞のりと祈りのコツ1、気軽に祈りに接する 布団やベッドの中、お風呂台所で調理しながら、車の中散歩など、途中であっても心も軽く祈る。。2、時間帯は何時でも、定期、不定期関係なし3、夜中に目が覚めて、眠れなくなった時は「お祈りの力」を借りる。便秘の時は「お祈りの力」さま、さまです。つまり、困ったときの神頼みと同じノリで大丈夫です。3、祈りの力はすごいんだと思って、祈ると期待以上の効果が得られます。効果とは祈りはヒーローを作る。そのヒーローはもう1人の自分だと知ってください。4、人間は電気仕掛けで生きています。自分の中の至るところで、微弱な電気を発電しています。五感は電気信号によって機能しています。お祈りの力は、体内の生体電気を正常に作動させる唯一のエネルギーです。祈りによって体内に流れている生体電気は活性化されます。祈りは発電システムの一部です。5、祈りを習慣化し、特別なものにしない、宗教と祈りは別のものです。悪い考えやマイナス思考に陥ったときに祈ると気分がクリアになります。電気によって生きている人間だから電気障害を受けやすいので、正常化には、祈りの力(エネルギー)が必要です6、人間は、霊的動物と言われるように、霊的障害をしばしば受けます。祈りは万能です。祈りが万能と知っていることが、祈りの最大のコツです。祈りのコツは、何度でも重ねて祈るのが、私たち凡人としては一番確実な道です。剣道や野球に素振りは欠かせません。何千回何万回気の遠くなるような素振りを繰り返しています。能力の高い人とは、何でもコツの掴み方も早く、すぐに祈りについて、自分なりの合格点に達し、他人からも上達が早いと褒められます。簡単に身に付いたものは、簡単に身から剥がれてしまいます。筋肉と同じで、にわかに筋トレをしてつけた筋肉は風邪をひいて2日ほど寝込むと取れてしまいます。野球選手、ラグビー、格闘技など筋肉を必要とするスポーツ選手は、トレーニングによって強化してそれなりの必要な筋力を蓄えていますが、競技人生が終わると後天的に必要に応じてつけた筋力は短い時間で年齢とともに衰えていきます。しかし、生活に必要な筋肉、例えば漁師や大工、石膏材木に関わる人たちは、毎日筋力を使っているので、生涯簡単に衰えたりはしません。お祈りは何のためにするかの目的や意識は人それぞれですが、困ったときの神頼みの人と、自分の日課の中に祈る習慣のある人は、非常事態になった時や、とっさの危機に出会った時に大きな差が出ます。祈りに習熟している人は、すぐ祓詞はらえことばやマントラが口にをついて出てきます。そうすると、気持ちが落ち着いて適切な行動ができます。困った時しかお祈りをしない人は、まずうろたえて、頭の中が真っ白になります。しばらく経ってから困ったときの神頼みを思いつきます。私の少年の頃に経験をし、父親を尊敬するようになった事件がありました。父親に連れられて「海賊バラクーダ」アメリカ映画でした。当然フィルムを映写機にかける時代です。映画が終わりに近づいた頃、映写室から白い煙が出始めると観客が「火事だ」の声に促れ、一斉に立ち上がり、出口に向かって走り出しました。その時、父親はいつも以上の大声で「慌てるな!立ち止まれ!」と怒鳴りました。私の周りの人たちは、父の怒声に驚いて立ち止まり、出口に殺到した人たちも走るのを止めてゆっくり出て行きました。父は祈りの人でした。お祈りがすごいと思って、祈ると大きな効果があります。お祈りは時間がかかって嫌だけれど、祈ったふりだけでもした方が祖父母や両親からいい子に見てもらえるや親から強制されたお祈りに抵抗を示す子供たちは多いです。知人のお年寄りは、幼い孫に小額のお小遣いをお祈りのたびにあげると声をかけると来るようになったけれど、孫の親の娘からは、お金は小額でもあげないでと言われている。しかし、「私はお祈りを好きになってもらうためにやっているのだ」と付け加えて言うならば、人間の脳は報酬脳と言って何かをしたら何かを得られるという反応を示します。何も得られなかったら、次の行動には移らなくなるのが脳の仕組みです。子供は両親と一緒にお祈りをしても何も得られないから、嫌がるのであって、祖父母とお祈りをするとご褒美をもらえるので嬉しいのです。お祈りは子供にとっては大人と一緒にする遊びです。大人は祈りの効果を実感できるような学習をしていますが、子供はしていません。子供が自主的にお祈りをするようにならせるには、時期があると思っています。しかし、幼い時に、祖父母との良い思い出があれば、大人になっても、祈りに対する印象は良いはずです。幼少の頃を思い出してみますと、神道系の家に生まれましたから仏壇はなく、神棚はあちらこちらにありました。一般家庭と違っていたのは、台所に竈門神かまどがみ、トイレには厠かわや神、手水を使うところには、手水神ちょうずがみ。なのように家の至るところに神様が祀られていました。しかし、その神々を、全てお祈りしなければならないわけではなかったのです。自宅に隣接して、父親が建立したお稲荷さんがありました。かつては、日本中に、大小を含めて数多くの神社がありました。戦争に負けるまではお祈りを嫌がる子供や大人はいませんでした。しかし、敗戦後230,000団体の宗教法人が乱立し、花粉症のように日本人に宗教アレルギーが発症してしまいました。多くの人々がお祈りに偏見と恐れを抱くようになりました。純粋な祈りは、宗教には全く関係がないのに、お祈り=宗教と見られるようになってしまいました。宗教が教えを広め信者を獲得するために祈りを利用したのです。日本人が永年行ってきた、ご先祖様と大自然を崇拝する行為を宗教的に見ること自体が大きな誤りです。子孫に祈りを伝え…。真心のささやきを貴方へ❤️