鉄道省半田鉄道局

鉄道省半田鉄道局

1/80鉄道模型(Jゲージ)工作記事を中心に、鉄道と身の回りの出来事を書いてゆきます。
​(平成26年11月8日Yahooで開設、令和元年6月22日こちらに移転しました)

日曜日は朝から雨かと思ったら昼まで天気が持ちそうだったので、メーカースプレートの塗装を行いました。

これは、160形サイドタンクのエッチングと同時に製作したものです。明治村12号機の現車の陰刻のメーカースプレートを模したものです。8組のうち一番ましなものを使いました。ATLAS WORKS の文字でも全部再現されているわけではなく、ドライフィルム式エッチングも精密なものは課題があります。

キャブに貼り付けました。「名」の区銘板も貼り付け。炭庫にも#40の黒い布ペーパーを切ってはめ込み、石炭に見立てました。t0.3ポリカ板を前後妻板に貼りました。これで竣工し車籍簿に記載しました。あ、キャブの鎧戸をつけ忘れている。追加工事にしましょう。秘密結社KK○諸氏の美しい作品に比べ、くたびれた160形になってしまいました。

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突然160形に戻りますが、気候も良くなったし、9700形と同時塗装なぞは避けたかったので、土曜の好天を狙って塗装することに。

分解し部品は液体クレンザーで洗浄のあと「パイプユニッシュ」によるアルカリ脱脂を行いました。庭に出してトビカTOPガードで塗装しました。

塗装を考えて部品を作ってない証拠ですね。TOPガードは一度に吹きすぎないことが肝要です。

再組立て。塗装部分はウェザリングブラックを付けた筆で磨いて、鈍いつやを出しました。イコライザー、抑え金等は黒染めしましたが、これも「パイプユニッシュ」による完全脱脂でキレイに染まります。いったん組み立てただけではショートし、再分解しました。

ナンバープレートは、ドライフィルム式エッチングで作ったもの。歩留まりを考えて多く配置したので予備が沢山できました(笑い)。出来栄えの良いもの上位4枚を使いました。

ナンバープレートの貼り場所は、名鉄12号機の古い写真のボルト後から縦リヴェットと判断。キャブ内のジファード形?インジェクターハンドルと逆転用丸ハンドルには金色を入れました。この筆入れはKK○掲示板等で紹介された100均のネール用筆を用いたところ、大変塗りやすかったです。圧力計には銀のマーカーで丸く銀を入れました。機関士人形を入れたいですが、立ち姿の人形を探さないといけません。

再組立てしたらショートは解消しました。メーカースプレートを用意し忘れたので、車籍登録はもう少しあとにします。9700形は梯子に取り掛かっています。

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東京出張報告でD51453のキャブに丸窓があることを報告しましたが、高名な機関車研究家TG氏より、同じ汽車会社製造ロットのD51456落成写真では丸窓無しということで、戦後の後天的改造によるものとご教示いただきました。柏の現地ではパニクっていましたが、ちょっと安心しました。こうなると、何時のどこの工場による改造だろうか、と別の興味もわきます。

9700形の工作も続けています。

煙室扉(ボイラー鏡板)は製品オリジナルを使います。このパーツ、真鍮のドロップフォージングですが、実に堀が深くシャープであり、加工技術の高さがうかがえます。ずらっと並んだクリートがすごい。さて中心には製作済みの「9705」ナンバープレートを貼るので、それに合わせた皿回し状のネジを旋盤で削りだし、内張りになる円盤にネジ止め。扉中央は膨らんでいるので、1枚カラーを入れてあります。

煙室への嵌め合いは何時も手を焼くのですが、製品のままでピッタリはまり、精神衛生上好ましい。

ランボードを付けます。製品は左右バラなので、外幅が設計寸法・・・キャブ部32㎜、前端部30㎜になるよう、保持材を仮止めしました。

しかし、前端部は保持材が干渉して邪魔になり、結局中心から寸法を測って、製品に付いているランボードブラケットに半田付け。”意識高い系”の工法は当局の性に合わないようです・・・orz

キャブ前妻板も、配管類を通す関係からキャブ側面等と一体とはせず、ボイラ、ランボードに半田付けしました。これら配管のキャブ内には、エジェクターやセーラー式インジェクターを付けなければなりません。

インジェクターについて書き忘れていたのですが、靖国神社遊就館のC5631に見られた、トキコ式?ノンリフチング・インジェクターについてもTG氏からご教示をいただいており、南方に持っていくに当たってそれに適した装備としてメーターゲージ改造とともに鉄道省工場で施工されたとのことです。氏の著書にもちゃんと書いてありまして、不勉強を恥じる次第です。

上と代り映えしない写真ですが、右側に真空ブレーキの通し管(Φ0.8)、左側にブロワーパイプをΦ0.3ピアノ線でつけてみました。ピアノ線は硬いのでピンとするだろう、と採用したのですが、半田付け後の洗浄で早くも錆びてしまった。ステンレス線を一度試してみるか。

ついにここまで来たら、やっかいなボイラ梯子に嫌がおうにも取り掛からねばなりません。

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この週末は東京に出張でした。金曜日は午後3時に離脱、公文書館はもう時間がないので、東品川公園の2850形を再訪することに。

桜が終わりかけ。子供たちが元気に遊んでいて、機関車にも上っていました。ゲームオンリーでないのに安心しました。

新馬場で品川に戻る合間に撮り鉄。ホームから安全に撮るには気を使います。運転士さんに危険を感じさせない立ち位置に注意しました。この後、秋葉原で電子部品を購入。模型屋さんには寄りませんでした。

東京、横浜のホテル代高騰は目を覆うばかり。出張費で泊まれるのはカプセルやバックパッカー向けの宿しかなさそう。止む無く柏に泊まりました。柏は1968~1971春まで住んでいて50年ぶり。昔は木造の田舎駅だったのに、この変わりようは浦島太郎。でも、丸井はありましたよ。確かこんな8階建てのビルだった。昔は401系の赤電は止まらなかったのがコンプレックスでした。

せっかく柏まで来たので、保存機関車ないかと探したら、駅向こうの柏西口第一公園にD51453号機があるとか。朝早めにホテルを出て見に行きました。黒光りしていて、大変状態が良い。汽笛にはエアホースが接続されて、汽笛も鳴らせるようです。こういう標準型のD51って一番きれいかな。

模型的に細部を観察。驚愕したのは、453号機なのに、丸窓があるではないですか。以前カツミシュパーブラインD51のレストアの際、丸窓の廃止時期を調べて「丸窓があるのは昭和13年度まで」と認識したのに、それを超えたD51で丸窓があるとは。うーん、これはまた調べ直さないといけません。こういった保存機関車があるおかげで気づくわけで、屋舗要さんが全国の保存機関車をくまなく巡った偉業を見習って、積極的に訪ね歩く必要があります。

で、国立公文書館に移動。今回は9:15の開館同時に入場。守衛さんも私を覚えてくれていたようで「閲覧ですね」と。今回は大井川鉄道、弘南鉄道、福井鉄道、釧路臨港鉄道等を調査。上は弘南鉄道が戦後、鉄道省のト1形、4000形、4700形、4900形、14800形、ワ1形を譲渡された書類を見つけました。珍しく車輌竣工図表まで添付。しかし弘南ト23(旧国鉄ト1形1657)がダブりでト26が欠落と、明らかな誤記が。こういうことがあると運輸省から照会が入るのですが、今回は見逃した? さてこの図を見ると妻が山形(ト1形その他を山形妻に改造してト15000番台になっている)なのでこの図の旧番ト1657は間違いとわかりました。

もう一つ驚いたのは、神有三木電鉄、今の神戸電鉄が貨車の鉄道省払い下げを受けていたこと。やはりト1形、6000形、トム5000形、ワ1形です。鉄道ピクトリアルの私鉄車両巡りを見ても、貨車を黙殺、おそらくは調べてもいないだろうというケースが散見されますが、電鉄会社の貨車も先入観を持たずに調べないといけないな、と気持ちを引き締めたところ。あ、貨車も真面目に取り上げた「名鉄の貨物輸送」は例外(心から拍手)ですね。

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月曜深夜から火曜日までは大雨。通勤路に大きな空き地があるのですが、大雨で巨大な水たまりが。そこにカモのつがいが浮いて、水に顔を突っ込んで餌を探していました。おいおい、そこには魚はいないよ。夕方雨が上がると水たまりも消え、カモも消えていました。雨の中、一服の清涼剤ではありました。

ボールドウィン型の逆止弁、考えた結果、帯板を兄字に曲げ割ピン状にし、ボイラに差し込んで逆止弁本体にしました。

給水管はΦ0.7、ここに短く輪切りにしたパイプを刺し、逆止弁直前の継ぎ手を表現。エジェクター排気管も先のΦ1は太すぎたのでΦ0.8に変更しました。ボイラ梯子はハンドレールの下をくぐる、するとランボードを先に付けなければならない、キャブとの兼ね合いは?? とちょっと手順は考えないといけません。

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