絵本沼余談

絵本沼余談

吉田進み矢の絵本、児童書以外の感想文です。

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でか目の失敗をやらかした際に「あの時ああしておけばよかった…」そして「今から戻ってなんとかならんのか…」と、たまにけっこうガチ目に考えたりするのは、小学生の頃に読んでいた『ドラえもん』(藤子・F・不二雄/1969年)と、中学時代に8ビットパソコンで繰り返しプレイした国産アドベンチャーゲームの影響が大きいように思う。
我ながらバカだ。
 
で、日本では昨今もタイムリープものが切れ目なく生み出されている理由として、『ドラえもん』が果たした役割は小さくはないのではと思うことがある。
中学生になって『時をかける少女』(筒井康隆/1967年)を読んだ時もわりと理解できたのはドラちゃんのおかげ。

と、『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』(2019年、以下「映画版青ブタ」)を映画館で朝イチ鑑賞した後、上記のようなことを思った。
 
映画は朝イチ鑑賞に限る。
お客さん少ないし。
 
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私は本は読む方のようだが小説は滅多に読まず、ライトノベルは一冊も読んだことが無い。
ただ、ライトノベル原作のアニメ、特に高校を舞台にしたものはよく観る方だと思う。
なので2018年秋アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(以下「TV版青ブタ」)も観ていて、その際に思ったのは「淡々と熱い」というのと「系列でいえば『ハルヒ』(谷川流/いとうのいぢ/2003年~)の後続」というもので、アドベンチャーゲームのルート分岐が多用されるってのは、私の琴線に触れるんだなあとあらためて感じた次第。
 
で、『ハルヒ』では世界になんらかのエラーが起こったらその原因は基本的に涼宮ハルヒひとりで、そこに周囲が巻き込まれていく。
だから映画『涼宮ハルヒの消失』(2010)でエラー原因がハルヒでなかったのは驚きで、そしてダイナミックなルート分岐設定がとても印象深かった。
 
一方、『青ブタ』の世界もしょっちゅうエラーが起こるけどその原因は各人であり、かつ相互に影響を与えるものとして設定されているので、ルート分岐とタイムリープに関するプロットがより複雑になっている。
 
『青ブタ』のキャラ設定は主人公の咲太はコミュ障で過去に大きな事件を起こした男子高校生で、その彼女の麻衣さんは一学年上の国民的女優、彼女の妹はアイドルで、咲太の妹は強度のブラコン、2人だけいる友人のひとりはサッカー部のイケメン、もうひとりは巨乳ポニテのメガネリケ女、後輩女子はショートカットの方言女子と、全日のチャンカンさながらの顔ぶれ。
その中でTV版青ブタ全13話を通して、咲太に決定的な影響を与えていることはわかるものの、その具体的な内容と正体が一切わからなかったのが牧之原翔子なのだった。
 
その牧之原翔子のTV版青ブタでの謎の行動を伏線にして、それを完全回収するのが、映画版青ブタのコンセプトである。
なので、TV版青ブタを観ていることを前提にして作られてるので観てない人はわからんシーンのラッシュにはなっている。
 
出だしは本作、というよりもこのシリーズ全体における最大のルート分岐シーンからはじまる。
そしてTV版同様に演出は軽く、加えてTV版以上に説明も具体的で最低限にしぼり、物語がとにかくサクサク進んでいく。
 
中盤以降もルート分岐が重なり、途中に大悲劇があるも「これはバッドエンド・ルートだからその分岐に戻るんだな」とすぐに理解できるようになっていて、とにかく、曖昧な部分や「解釈は鑑賞者におまかせ」みたいな姿勢が無い。
 
このシリーズには主人公の妹にまつわる哀しいエピソードがある。
あれは「人生はトレードオフ」という自己啓発あるある的なものを描いたものなんだけど、著者はそういうところも切り取るんだと知ったので、今回も観る前は哀しいルート分岐で終わるのかなあなんて思ってたんだけど、結末に至るルート分岐には意表を突かれた。
あんなディズニー映画ばりのウルトラハッピーエンドルートに辿り着かせるんだと。
 
で、この結末の構造は『君の名は』(新海誠/2016年)に近いものがある。
王道といえば王道。
映画版青ブタの原作の初版は同年6月で『君の名は』は8月公開なので、似た時期に重なるもんだ。
 
映画自体は予想以上の出来だった。
まあ、私はTV版も3週くらいしてるから。
鑑賞後にもっとも感じ入ったのは、この複雑なプロットを徹底的にわかりやすくすることに拘ったつくりだったことだ。
そしてTV版の補足という面、そしてあの明解な結末は、観る側にとても誠実であり、そして、とてもファンベースだと感じ入った。
そのために捨てたこともあるだろうが、その捨て方も丁寧だった。
 
正直なところアマプラあたりになってから観てもいいかと昨日思ったのだけど、帰路を走るクルマを運転しながら、映画館で観て本当に良かったと思った。
映画館で観たからそう思ったという面もあるのだろうけれど。
 
吉田進み矢@絵本沼。
土曜日に7:30に起きてクルマで川口へ出発。
封切2日目の『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』は8:10開場、8:20上映で、客入りは3割くらいか。
観客はほぼひとり客で、土曜のこの時間なのに思ったよりも入ってる。
 
隣の「プリキュアミラクルユニバース」は封切からだいぶ経ってるのに賑わっていた。
 
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本作はTV版『響け!ユーフォニアム』直系の続編で、主役のユーフォニアム担の久美子は本作では二年生に上がり、それを押さえている人にとってはとてもファンベースな作品なんだけど、一方それは、原作とアニメを知らないとフルに楽しめない内容とも言えるのだった。
 
私は一期(2015年)・二期(2016年)は3周くらいしててスピンオフ『リズと青い鳥』(2018年)も映画館で観ている。
なので、
  • いつもの京都の街並み
  • 夕方のホームに入ってくる芋虫色の京阪電車
  • 久美子一年時と同様に描かれる入学式→新人勧誘→パート勧誘→サンライズパレード→オーディションの洗礼→合宿→地区大会のフロー
  • 過去シーンを同一キャラ・同一カットでなぞる校内のいたる箇所
  • 新部長となったトランペット担デカリボン先輩のリボンが地味な色になって小さくなっていること
  • 予想通り面倒見のよい先輩になったチューバ担の葉月とコンバス担の碧
  • そしてサービスカットのように登場するあすか先輩含む3先輩
などなど、故郷に帰省した時のような居心地の良さすら感じる。
 
本作のテーマはシンプルに「久美子の成長譚」で、トランペット担のれいな同様に自信家でめんどくさい性格の後輩でユーフォ担の奏にロックオンされる久美子、トロンボーン担の幼馴染の秀一に告白されお試し的に付き合う久美子、一年生の教育担当をなんだかんだ言ってそつなくこなす久美子、そしてれいなとは相変わらず百合的な親友関係を維持している久美子、これらをみて、成長したなあ久美子と、おっさんはつくづく思うのだった。
 
久美子の底意地の悪さ、というか、「無邪気の邪気」が今回もちゃんと発動してよかった。
本作の最大の魅力ってこれなのかもしれない。
れいなはそこに惚れたのだから。
 
また、今回のオーディションで気になってたのは葉月とユーフォ担の3年生の夏紀。
ここでは高校部活のリアルさが出る。
私も高校からテニス部に入ったので、10代における先行者利益のでかさはわかる。
 
そしてびっくりしたのは予想以上に「山田尚子度」が希薄だったこと。
『リズと青い鳥』のような、みてるこっちがげんなりするような、人間関係における衝突と消耗、混乱と葛藤、逃避と解放のようなものが薄い。
 
空をよぎる鳥や、繰り返し描かれる間接キスなど、隠喩は散りばめられてるけどいつもより少ない。
その分ストーリーや表現はとてもわかりやすくて、久美子の二年生の4月から8月末までが尺の短さをまったく感じさせないほどすっきりと描かれている、のだけれど、それは翻って、「この作品をもっと細かく12話で観たい」という気持ちにもつながる。
 
それともうひとつ、『リズ』の主役のみぞれと希美が完全にモブ扱いなのにも驚いた。
 
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閉幕後、タイトルに「フィナーレ」とあるが本作の久美子は二年時であり、明確につなぎの作品であるので、Cパートがあるかなと思ったらやっぱりあった。
 
久美子の三年時の副部長はれいなではなく秀一と予想。
 
あー、次は劇場版ではなく、TV版で三期をやって欲しい。
 
吉田進み矢@絵本沼。
ドラマ版『きのう何食べた?』をネットで視聴。
 
地上波は時間帯が「タモリ倶楽部」とかぶってるので、「GYAO!」でエアチェックすることに。
最近はたぶんテレビよりもパソコンの方が動画を眺めてる時間が長い。
 
キャスティングは筧よりも、ケンジがもうケンジにしか見えなかった。
内野聖陽さんすごいし、マキタスポーツさんもすごい。
今後原作を読むとキャラが役者に上書かれるように思う。
 
で、このドラマの原作は中年ゲイカップルの日常のちょっとした起伏を描いた物語で、いざ映像化すると、予想以上に映像的にあまりにも地味なのだった。
職場やスーパーのシーンなんか特にそう。
 
そして商店街でケンジがいちゃいちゃするシーンなんかは、なるほど、中年ゲイカップルを実写にするとこう見えるんだなあと、素でへーって思ってしまった。
こう、ヘテロのそれとほとんど違わんというか、ゲイ/ヘテロよりも「中年」という要素の方が上回るんだなと。
中年がもっとも街中でいちゃいちゃしない世代なのかもしれない。
 
あと、なんというか、語弊を恐れずに言えば、カップルにおける子供の有無ってのは、私はそんなに重きを置いていないなあとも気づく。
いや、もちろん、子供がいて後悔とか抱いたことないけど、でも、子供のいない人生ってのも私は味わってみたかったなあと、ふと思う時がある。
人生というシステムの最大の欠点は、一度しか経験できないことだな。
 
それにしてもほんとにメシが美味そう。
メシシーン力入れてるなー。
 
ドラマ版は初回から、老後は着々と近づいてくることを描いている。
まあ、不安もあるが、なんとかなると思うしかない。
それは本作の著者のよしながふみさん自身の想いでもあるのだろう。
本作のメインテーマはあらためてそれなんだなと感じた次第。
 
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本作はマンネリズムをベースにしていて、基本的に「筧職場ネタ」→「佳代子さんネタ」→「ワタル・小日向ネタ」→「ケンジ職場ネタ」→「それぞれの親御さんネタ」→「その他」のローテーションになっている。
ドラマもそうなってくのだろう。
そして登場人物は毎年老けていく。
 

最新刊15巻もいつも通り、みんなちゃんと歳をとっていく。
読んでて肩に力を入れる必要がなく、いつもの面々がいつもの日常の中で、いつも通りに小さな起伏があり、著者はそれを切り取っていく。
 
読者も毎年老けていく。
まだ続きを読めることに感謝。
 
吉田進み矢@絵本沼。