自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

ブルベ600km inしまなみ 後編。

2024年04月30日 01時55分31秒 | 自転車
続きがなかなか書けなくてすみません
GW前後は発狂しそうなほど忙しくて…
それでは待たせた割に大したことがない後編です(笑)








200kmを9時間半で通過
身体はとても調子が良く どこも痛くなっていない
淡々と170Wで漕ぎ続ける



愛媛の松山を出たところでポツポツと雨が降り出した
雨粒が大きい
どしゃ降りになるサインだ



私はあることをずっと考えていた
それは どのタイミングで宿に入ろうかということだ





予約しているのは 折り返し地点の25km手前
西予(せいよ)市にある「まつちや旅館」だ


ここを走るのは確実に夜となる
ルート沿いで見つけやすい宿が良い
そして往復ともに宿の前を通過する(290kmと340km地点)ので
休憩のタイミングを選べる
快活な老夫婦が切り盛りして ご飯が美味しいという評価も魅力だ


それに私は「普通のホテル」が好きではない
なぜなら面白くないからだ
ほどほどに快適で
ほどほどに便利
お値段もほどほど
そんな人生まっぴらだ




考えているのは 行き(290km地点)と帰り(340km地点)の
どちらで休憩するかということだ

このまま行けば 290km地点には19時少し前
340km地点には21時に到着する


まつちや旅館に電話する
「21時になっても良いですか?」
「あらあ大変ね。自転車だわよね。それじゃあ夕ご飯は無しね」

ちょっと待ってくれ(笑)
お風呂に入って夕飯をゆっくり食べるために
まつちや旅館にしたのだ


290km地点での休憩が確定した(笑)






雨は本降りになった
いつもは嫌いな長いトンネルが
今日は天国に思える


風も強くなってきた
微妙に向かい風だ


走りながら クリームパンを食べていたら
突風で飛んでいった





切ない…





さらに風の影響で
平均時速が 22km/hから18km/hに落ちた
上下のゴアテックスが 風をはらんで
漕いでも漕いでも進まない



突然 前を走っていたトラックが停まった


何があったのかとトラックの前に出てみると
車が大破して道を塞いでいた


事故が起こった直後らしい
カップルが電話で警察に状況を説明していた


カーブを曲がりきれず 道の外側の岩に激突し
クルクル回って止まったらしい
岩がなかったら海にドボンだろう
2人で「死ぬまで一緒」とならなかったのは
不幸中の幸いか…



助けられることはないか?
事故渋滞の交通整理を買って出ようかと思ったが
以前 サイクルウェア姿で事故現場の交通整理をしていたら
私が自転車で事故を起こしたと勘違いされ 大変だったのを思い出した


警察が早く到着することを願い 先を急いだ







290km地点 旅館に着いた
予定より1時間多くかかってしまった


女将さんが
「まあまあご苦労さんでした。そのままお風呂に入ってください」
と タオルを持ってきてくれた

「濡れた服はそこのカゴに入れてください。脱水かけますから」

ありがたい
これで暖房かけて部屋干しすれば 出発までに乾くだろう


養生テープで防水加工したシューズは
見事なほど中が濡れなかった
さすが世界に誇る日本のガムテだ(笑)






古い旅館ならではの物干し





1着干すたびに落ちる(笑)





食事はボリューム満点
ご飯が多くて助かった
1泊夕食付きで6500円


ふと窓外を眺めると 雨が止んでいる
急いで天気予報を見たら なんと今から3時間だけ
曇りマークに変わっているではないか


このスキに折り返しポイント(宇和島)までの往復50kmを
走って来てしまいたい!


女将さんに「ちょっと走りに行って来ていい?」と聞いたら
「すぐに寝なきゃダメです」と 笑顔で却下(笑)
そりゃあ深夜1時まで玄関を開けて待ってるのは
いやだよねえ…


つまらなくても 便利なホテルにするべきだったか…


「今走ったら快適だろうなあ」
後ろ髪引かれるように眠りにつき
3時間後に起きたら ちょうど雨が降り出していた


深夜2時 まつちや旅館を出発し
後半戦へと突入した





岡山県倉敷を出て 現在290km地点
天候は雨
残り314km

体調は問題なさそうだが
雨がどう響いてくるか
ゴアテックスを着ても 首や腕から水が染みたり
汗が溜まって体が冷えてしまうことがある

体が冷え切ってしまったら致命的だ
そして胃腸がやられて補給ができなくなる可能性もある
それに雨の夜道は 対向車のライトが水たまりに反射して
道路の白線がまったく見えず スピードを落とす羽目になる


油断は禁物である





午前3時 折り返し地点の宇和島に到着
ちょうど数人の参加者がいたので
雨で大変だと笑い合う





数値がえげつない(笑)



スタート前 主催スタッフの女性が
寂しい道があると言っていたが
いったいどこだったか…


先日走ったフィリピンの山奥で 暗闇の中
野犬に吠えられながら走る恐怖に比べたら
四国の山道なんて 超ハッピーな天国でしかない





360km地点 八幡浜で夜が明けた
これで対向車が来るたびにスピードを落とす面倒から解放される






382km地点
インナーが濡れてきたので 伊予長浜駅のトイレで着替える


外に出ると 軽トラのおっちゃんが「どこへ行くのか」と話しかけてきた
「倉敷までです」と答えると 驚いてくれた
倉敷から来て すでに400km近く走っていることを言おうかと思ったが
話が難しくなるのでやめた


おっちゃんが脚を引きずっていたので
どうしたのかと聞くと
おっちゃんはトラックの運転手で
数年前に荷台から落ちて 脚を痛めたと言う
今日は大好きな釣りに出かけるところらしい


「12時ごろ雨が止むよ。夕方また降り出すけど」


釣り人が言うのだから この予報は信用できる
おっちゃんと互いの健闘を誓い合って 再び漕ぎ出した






422km地点
大好きな松山城を横目に見ながら
松山を通過






しまなみ海道にたどり着いたところで
雨が止んだ





しまなみでは たくさんの人とすれ違った


しまなみ海道はすごい
どこまでも同じような景色なのに 飽きることがなく
島に降りれば 立ち寄りたい店があちこちにある
地図なしでも走れるよう走行線や案内板が充実し
レンタサイクルなど ホスピタリティも素晴らしい


多くの自治体が ここを目指して
自転車を活用した町おこしを進めているが
一番大きな差は 目の付け所だと思った


自転車で走るとき やることが増えると「体感」が減っていく
例えば地図を見ながら ルートに気を配って走ると
その分景色を楽しむ心の量が減っていく
気を遣わなくて済むほど 自転車は楽しくなる


地図なしでも 道に引かれた青線を辿ればルートを走れる工夫は
最高のプレゼントだと思った


コンビニに置いてあるベンチも素晴らしかった
サイクルラックもいいが 本当に欲しいのはベンチなのだ




507km地点
生口島の 5つ目のチェックポイントのコンビニで
最後の食事をとる

固形物か液体か 迷ったあげくオムライスを食べたら
凄まじい胃痛に襲われた





胃が痙攣したように暴れて 耐えられないほどの痛みが襲ってくる
食べたものを全部吐き出してしまいたいが 吐き出せない
あまりの痛みに 道端の物置の屋根を借りて
座り込んだ


固形物を食べ続けたのがいけなかったのか
ある程度走ったら 胃に負担が少ないものに変えるべきだったのか



15分待ったが 痛みは変わらないので
ゆっくりでも進むことにした






再び雨が降り出した





痛みに耐えながら
因島(いんのしま)の15%ぐらいの長い激坂を上る


胃に穴があいたように ギュンギュン痛む
痛みで補給ができない
ハンガーノックにならないよう エネルギー効率が良い強度まで落として走る



激坂の途中に トイレがあった
山道では藤の花が満開だったのに
このトイレ前の藤棚は 花が咲いていなかった
痛みに耐えながら その理由をぼんやり考えながら通過した






船で尾道へ渡る
残り60km
胃痛はようやく治ってきたが
怖くて物が食べられない


ここから補給を高カロリードリンク(リッチカルピス)に切り替えた
ジェルも行けるだろうと飲んでみたら 胃が怒り狂ったように痛んだ
ジェルって意外と胃への負担が大きいのかもしれない




そしてスタートから37時間19分
雨の中で折れそうな心を叱咤しながら
日没とほぼ同時に 倉敷のゴールに辿り着いた





ゴールはアルハプスというサイクルカフェ
明るいスタッフの方が迎えてくれた





美味しそうなケーキやおにぎりを勧められるが
すみません 固形物を見たくないのです(笑)





係の方に 通過証明を見せて
600kmの「認定」をもらわねばならない
緊張の瞬間である

去年 福島の400kmで やらかしているので
今回も何かやらかすのではないかとドキドキだ


忘れ物の多い自分は ミスのないように
チェックポイントや 通過証明の写真を撮る場所などを書いたテープを
自転車のトップチューブに貼っている
ミッションを終えたら剥がしていくので忘れることはない


コンビニのレシート 5枚
通過証明の写真 4枚
サクサクとチェックが進んでいく
よかった 全部チェックOKだ


と思ったら


「それでは最後に 因島(いんのしま)の駐車場の写真をお願いします」







頭が真っ白になった


なんだっけ それ?


携帯の写真を1枚1枚見てみるが
そんな写真 撮ってないのであるわけない



不穏な空気を察して スタッフの女性がフォローしてくれる
「撮ったけどどこかに行っちゃったんですかね?」


何かウソでもつけば 突破できる可能性はあるだろうか?
「撮ったけど消えちゃいました」と言うべきだろうか?


だが私には 何も言えなかった
因島の 激坂の途中
藤の花が咲いていなかった あのトイレのある展望台
あそこで写真を撮るはずだったのだ


ではなぜテープを貼り忘れたか?
「椋浦休憩所」が読めなくて
「むくのうら」と読むのだと調べたら満足して
テープを貼り忘れたのだ(笑)




「写真、撮ってないです」
私はそう答えるしかなかった
そしてその場がシーーーーンとなった(笑)



「申し訳ありませんが……認定は出せませんね」


ここまでの37時間 雨の中で苦しみ続けてきたのは
なんだったのだろうか


秋に1,000km走るために SRを取得しなければならず
スケジュール的に 600kmを走れるチャンスは9月までない
ここで落とすのは 無念すぎた
せめて景色を楽しみながら 初めての道を楽しめたなら良かったが
残念ながら雨しか見てない(笑)



しょんぼりと帰ろうとした私に
スタッフが思い出したようにこう言った


「そうだ 今年から
 GPSの軌跡でも通過証明が出せるようになったんです」



私はサイコンを取りに猛ダッシュした(笑)



だが サイコンが雨で調子悪くなってたりして
GPSデータが壊れたりしたらアウトだ
ドキドキしながらデータを読み込む


サイコンのバッテリーが切れそうだ
よくもまあ ギリギリな事ばかり起こるもんだ
データがアップロードされた!
だが距離が長すぎて データがなかなか表示されない


待つこと5分
ようやく表示されたデータをスタッフに見せる
展望所に立ち寄ってなければダメだと言われやしないか
ヒヤヒヤしたが
無事に通過証明をもらうことができた


「去年までならダメでしたよ」


そう言ってスタッフの方たちは笑ってくれた



606km 37時間19分
TSS 897




なんとか300kmに加えて 600kmの認定ももらえた
残る200kmは6月中旬に岩手で
400kmは6月下旬に東京で参加予定
もうこんな失敗はしたくない(笑)



↑「FORM」(疲れ数値)が-15以下になると体の抵抗力が弱るサインだそうだ
 -87なんて見たことない(笑)






ブルベ600km inしまなみ 前編。

2024年04月22日 22時33分44秒 | 自転車
600kmを走ってきました


まさか300kmの2週間後にやるとは思わなかったでしょ(笑)




ブルベ(主催者が決めたルートに沿って走る走行イベント)には

200km
300km
400km
600km
1000km

というカテゴリーがあり
200〜600kmを全部クリアすると
「SR」という称号がもらえる
1000kmにチャレンジできるのは「SR」保持者だけだそうで
私もそのSR獲得のために仕事の隙間を縫って走っている



ブルベは全てが「自己責任」で
アクシデントを自分で解決する力が必要だ
それが旅を 冒険好きにとって魅力的なものにしているし
主催者は可能な限り安全に配慮した 走りやすく素晴らしいコースを選んでくれている


参加費は1,000円〜2,000円ほどで 主催者のかけた手間を考えると
まさにボランティアである
自転車旅好きには本当にありがたいシステムだと思う






ブルベ本番の前日まで 紀伊半島でロケハン(下見)していて
山道を300kmも走ってしまった
仕事だから手を抜くわけにいかなかったが
もうちょっと休んでブルベに挑みたかった(泣)


イベント前日 岡山県倉敷市へ





荷物を3日間おきっぱなしにできるマンションを
Booking.comで予約





どのウェアで走ろうか…


天気予報は
1週前までは快晴だったが
前日に雨になりやがった(笑)
最低気温10度〜最高25度に対応できるよう
守備範囲の広いX-BIONICのインナーに
メリのウールの長袖と ゴアテックス・インフィニウムの長袖をチョイス
さらにアウターとしてゴアテックスの上下
キャップもゴアテックス
シューズカバーは最強のヴェロトーゼ(第2世代)を準備した






サドルは今回から SYNCROSのSAVONA 女性用サドルに変更
女性用は幅が1cm広いのだが 全く問題なかった

前のふかふかサドルは 前乗りになると骨盤が安定せず苦労したが
これはバッチリ安定する
やはりサドルはそれぞれ設計思想があり 性能が全然違う




ここでいきなりアクシデントが





マジか〜
前輪がパンクしているではないか


フィリピンの旅から昨日まで まったく平気だったのに
ここにきてパンクかよ(笑)



「DNS」という言葉が頭をよぎる
重い荷物を持ってきただけで終わらせてたまるか





ロケハン終わりから倉敷に向かう際
ふと思いついて マクハル(タイヤ内の空間を密閉する液ゴム)の小さいボトルを放り込んできた
この少量でタイヤを再密閉できるか?


タイヤの片側をホイールから剥がし
シーラントを丁寧に流し込む
ここから先が大変だ
小さな携帯用ポンプでタイヤのビードが上がるのだろうか?

ダメだったらCO2ボンベを1本消費かと思っていたら
簡単にビードは上がった
これはフックレスホイールの最大の恩恵だ

10分ぐらい シーラントが全体に行き渡るようにホイールを回し続け
空気がピタッと抜けなくなった




この段階で こんな面倒が持ち上がるとは…
これは何かが起こる予感しかしない(笑)


午前1時 就寝




当日 4時10分起床 寝坊した


12km 30分走ってスタート地点へ
すでにブリーフィングが終わり 5時スタート組が次々と出発していた


受付のお姉さんが ブリーフィングで伝えた情報を教えてくれた

「折り返し地点の少し手前に 暗く寂しい道を通るのですが
 夜中なのでそこは通らず国道を直進しても構いません」


世の中にそんなに寂しい道があるのか?
楽しみだ


5時10分 参加者の最後尾でスタートした





岡山県倉敷市を出て しまなみ海道を渡り四国へ
愛媛と高知の県境近い 宇和島までの往復604km
制限時間は40時間だ


途中 休憩のために宿を予約した
290km地点と340km地点の往復で通過する
西予市の古い旅館だ

ルートから外れた宿は 通過してしまう恐れがあり避けたかったのと
お遍路さん御用達の宿に泊まりたかったのだが…
これが大変なことになるのだった(笑)





スタートしてすぐ 朝日が昇ってくる
腰の状態はだいぶ良い
寝坊で朝食が食べられなかったので
持ってきた「くるみ餅」を走りながら3本食べる


600kmの消費カロリーは ガーミン先生によれば14,000kcal
だが自分の経験だと10,000kcalほどだと思う

50kmに一度休憩をとり 500kcal程度の補給をする
走りながら2時間に100kcalほどモグモグする
そして行けるところまで固形物で補給を続けるのが目標だ








26km地点 通過チェックポイント
愛車と看板など 指定されたものを撮って
ゴールで通過証明として見せるのだ
撮り忘れたら…全てがパーになってしまう
くわばらくわばら…





今回の主催者も 粋なコース設定をしていて
尾道で 船がコースに組み込まれている
うまいこと船のタイミングにはまり 先行していた参加者に追い付いた





通行料 210円(人+自転車)
地元の人も乗っていらした
暮らしの中に船があるなんて素敵だ





雲行きが怪しくなってきた


予報は午後から完全に雨になっていた
おそらく200km地点の松山を過ぎたあたりで降り出し
半日ほど降り続くようだ


旅館の休憩と雨のタイミングを合わせられると最高なのだが







下船して 参加者のトレインに着かせてもらう


上りでパワーが上がり 下りと平坦で下がる
これではインターバルになってしまい かなりキツいので
早々に離れ ひとり旅を決め込んだ






良い道をチョイスするなあ






とても気分が良いので
時間を忘れてのんびり走る
この時間がずっと続いてほしい






造船所
とにかくデカい
船の世界にも 省エネやスピードアップなどの技術革新はあるのだろうか?






58km地点 鞆の浦
一度来てみたかった場所だ


10年ほど前 同じように昔ながらの風景が残る山口の萩の人に
こうした街並みが残っているのは
「発展」から取り残されたためだと言われたことがある


かつては経済成長から取り残されたと感じ
今までの暮らしを続けてきた場所が
歴史的価値のある場所と言われるようになり
観光客が訪れるようになった



思うのは 時代とともに変わってしまう価値観ではなく
自分の中の動かない価値観を大事にしてきたいものだ






100km地点
しまなみ海道に突入






実は初・しまなみ


これだけ巨大な橋梁なのに
鉄骨が細い つまり橋が「薄く」造られているのに驚いた


鉄骨の素材にも良し悪しがあって
おそらく最高の素材で造られているのだろう





この景色は 人々の工夫の歴史がくれた
贅沢なプレゼントなのだ






走り方が上手な ペースが合う参加者と一緒に走る


穏やかで クレバーな印象のあるナイスガイ・北村さん
ケツと脚があきらかに「速い」と語っていたが
北村さんからすれば 私は一目見て「自分より速い」と思ったという
面白いもんだ




この区間が暴風雨じゃなくてよかった(笑)






来島海峡大橋
橋の造形がすばらしかった




ドリンクがなくなったので コンビニへ
北村さんと「またどこかで」とお別れした





補給
胃も腰もまだ大丈夫だ



すごく速い 岡さんという女性の参加者とも一緒に走った
「ダラダラ長く行くのが好き」だというが
ケイデンスがめっちゃ高かった
しばらくピッタリ後ろについて来ていたが
「ここからは自分のペースで行きます!」と
元気よく千切れていった


またどこかで走りましょう
その時はもう少しペース合わせますね(笑)






212km地点 第1チェックポイントの愛媛 松山


参加者たちが 雨の準備を始めながら
「雨雲がヤバい」と囁き合っていた


いよいよ来るか……





近くの公園で 雨対策をする



ここでまさかの出来事が





破れやがった(笑)


これから10時間以上 雨の中を走るというのに……
ここから水が染み込み あっという間に右足は水没だ
気分が一気に落ち込んだ



だが これがブルベの醍醐味である
ここからリカバーしてナンボなのだ


シューズカバーを入手するのは現実的ではない
この街で手に入るもので 対策の可能性があるのは

①台所用手袋を足先にかぶせる
②ビニール袋を足先にかぶせる
③サランラップでぐるぐる巻きにする
④ガムテープでなんとかする


①は可能性を感じたが 足先に5本指がぷらぷらするのが気味悪かったので却下(笑)
②は耐久性に難あり
③と④は上手くやれば できるかもしれない





コンビニで養生テープを入手





露出した足先の通気孔をふさぎ





その上から 破れたヴェロトーゼをぐるぐるに固定した



行けそうな気がしないでもない







雨が降り出し やがて本降りとなった


果たしてどうなるのか?
ここからが 想定外の地獄の始まりで
ラストには大どんでん返しが待っていたのだが……
続きは後編で★









ぎっくりブルベ300km。

2024年04月13日 02時56分48秒 | 自転車



痛む腰を引っさげて 群馬にやってきた


今年初のブルベは前橋を発着する300km
仕事終わりで24時に渋川のホテルに入り 4時間寝た



悪夢のぎっくり腰から5日間
とにかく腰の回復だけに努めてきた
上半身を斜めにせず 常に重力方向に向けて
腰が痛まないよう 腹筋に力を入れて暮らした


だいぶ回復してきた気はするが
昨日 整体の先生からは
「腰を庇って全身がガチガチですよ…普通ならドクターストップです」と言われた


はっきり言って勝算ゼロ(笑)





それでもこうして ノコノコやって来たのは
200kmから600kmまで
どうしてもクリアしなければならない理由があるし
これを逃したら秋まで300kmに挑戦する時間が取れない

何より この状態でクリアできたら面白いじゃないかと(笑)



人生は冒険と自己満足の連続だ







5時に受付を済ませる
参加者は60人弱と言ったところか



制限時間は20時間
ベストな体調なら14時間ほどだと思うが
果たしてどうなることやら





ブルベ専用機 サーヴェロのグラベルバイクに
ホイールはZIPP303 FIRECREST





タイヤはPIRELLI CINTURATO 32C
極太で快適 耐パンク性能はバツグン
フィリピンの悪路をノーパンクで走らせてもらって以来
相棒のような安心感がある





そしてブルベ初投入のエアロバー
このために 3ヶ月かけて微調整してきたが
果たして効果があるのだろうか…






5時55分 車検を済ませ
祈るような気持ちでスタートした






「BRM406群馬300」
前橋をスタートし 赤城山麓を通って栃木県へ
日光を経て那須塩原まで北上
栃木県の平野部を南下して群馬に帰ってくる
距離302km 獲得標高3500m
腰への負担が増える激坂が無いことを祈るのみ



腰の痛みさえなんとかなれば 平穏無事に終わってしまうかもしれない
「何にも起こらなかったので 素敵な景色をお楽しみください」
というブログになる可能性もあるぞと思ったら
甘かった(笑)





スタートしてすぐ まさかのシフター電池切れ
ツールド沖縄といい なぜこう本番で電池切れになるかなあ





電池交換に15分
スタートからたった5kmで1人旅になってしまった





今日のテーマは とにかく「腰を守る」ことだ
ここ5日間 できる限り自転車に乗って 腰のことを観察してきた
ポイントはとにかく体幹を使うこと
腹筋(丹田)にじんわり力を入れて 骨盤が動かないようにすると
腰への負担はほぼゼロにできる


実は去年の10月から 密かに腹筋ローラーで
毎日体幹を鍛えて来たので
けっこう長く腹筋を使い続けられるようになっている
何が自分を助けることになるかなんて 分からないもんだ…





国道122号
日光周辺でトレーニングする時によく通る 好きな道





何にもないけど大好きな町 足尾
買い物をするにも苦労する小さな町だが
鉱山が盛んだった数十年前は 栃木県で宇都宮に次ぐ人口を有したという






以前 山道でパンクし 奇跡的に助けてもらった
自動車店の前を通過した
あんなこと2度と起こりませんように(笑)





日光を通過
日光って おいしい店が見つからなくて いつも食事に困るのだが
みなさんどこで食べてるのかしら?





85km地点 4時間走って最初のチェックポイントに到着
気温10度なのに 半パンの参加者が「暑い」と言っていた(笑)





食べられるうちは 固形物を食べる
ちなみに今回の摂取目標は10,000kcal
ロングライドをやると 食べ放題を楽しめますよ(笑)






見るとフレームバッグが開きっぱなしだった
あぶねー またやるところだった(笑)










100km地点を通過
パワーはずっと170Wで踏めているので 体調はまずまずだ
腰もなんとか持っている


それにしても エアロバーの効果はバツグンだ
なんて楽なんだ
体幹をしっかり使ってエアロフォームを取れれば
少ないパワーでスーッと進んでいく





とはいえ 無理をしたら万事休すだ
「腹で漕ぐ」イメージで ひたすら腹に力を入れ続ける





しかし天気予報は夜まで快晴だったが
雨が止まない(笑)
快晴の予報が大雨になることってあるか??







五十里湖
ダムなんて…と思って期待していなかったが
ここは美しい





上流の男鹿川は 高知の仁淀川に匹敵する美しさだった


ブルベの良さは そのエリアを走り尽くした人たちが
選び抜いた道を走らせてもらえること
旅好きにはたまらないイベントだと思う






自転車を停めて しばらく川を眺めていた








電池切れこそあったが
もうアクシデントはないだろうと思ったら
またもや甘かった




快晴の予報を信じていた私は
どうしてもそこから離れられず
雨に降られながらも すぐに止むに違いないと思っていた

これが大きな落とし穴だった
気がつけばウェアがかなり濡れてしまっていた


体を冷やすことは 最もやってはいけないことである
私はそれをやってしまった
そして150km地点
腹に嫌〜な痛みが走り始めた








「おさまってくれ!」
その願いも虚しく
痛みはどんどん大きくなってゆく


場所はまさに栃木県の平野部
周りにあるのは一面の田んぼのみ
いざとなったら助けとなる草むらが見当たらない(笑)


まさに絶対絶命
耐えられなくなって 漏らしてしもうたら
人に近づけなくなってしまう(笑)


グルグル言うお腹
痛みの波が近づいては遠のく
なぜお腹の痛みには波があるのだろうか?
体の中で分泌される何かの物質が一定量になると 痛みに変わるからだろうか


この波がだんだん短くなって
そして徐々に大きくなってゆく
最大値になったら 世界が終わりを告げるのだ(笑)


トイレはまだ先だと 心に言い聞かせる
経験上 もうすぐだと思うと痛みが大きくなる

まだだよ!
トイレまであと1時間かかるよ!と
必死に言い聞かせる


景色なんて全く目に入らない
私はここに何をしにやってきたのだろうか(笑)



あーもうヤバい
身を隠す茂みを必死に探していたその時


目の前に燦然と輝く道の駅が現れたのだった






トイレが埋まっていたら この世の終わりを体験するところだったが
天は私を見放さなかった
誰もいないトイレに駆け込み 必死にロングビブを脱ぎ捨てた
焦れば焦るほど 脱げなかった(笑)



そして私は 大幅な軽量化に成功した




軽量化して これで坂に強くなったぞと思ったが
本日の坂道は全て終了していたのだった(笑)








雨が止んで 残り130km
落ち着きを取り戻したお腹に力を入れて
最後まで170Wで走り切った





時間は予定より大幅遅れの 16時間11分
302km TSS459
全体の25番目のゴールだった






ゴールでは 運営の方々が待っていてくれた


その中に 見るからに体重100kgオーバーの方がいて
まさかと思い ブルベを走られるのかと聞いたら
今回のコース試走は17時間かかったよと笑っていらした


まじか…
世の中には想像を超える人物が まだまだいるもんだ






運営の方が モツ煮をご馳走してくれた
私はモツが苦手で 普段は絶対口にしないのだが
この時ばかりは美味しく感じた
ありがとうございました




さて
こうして私はなんとか300kmの認定をもらった
腰の痛みは増えていなかったが
代わりに 下腹と脇腹の筋肉がゴリゴリになっていた
そうか 腰に負担をかけずに走るには 腹筋群を鍛えれば良いのか
これを知れたことが 今回の大きな釣果だった




ちなみに次の日は 気温25度まで上がる
ウルトラ快晴だったとさ…








ぎっくり。

2024年04月03日 23時48分37秒 | おしごと日記
4月の放送回の編集に追われて
このところモーレツに忙しかった



新年度の4月の放送は 関係各所の注目度が高いので
完成度を高めたくて どうしても時間をかけすぎてしまう
さらに ちょっとチャレンジングなロケをしたら
編集がとんでもなく大変で
…まあこれは放送をご覧いただいて ぜひ感想をください(笑)


しかし忙しいのなんて 何にもなりゃしない上に
トレーニングがまったくできない





通勤ライドだけが息抜きだ…





しかし どんなに忙しくても
ちゃんとお父さん業もやっております





娘が高知の旅を見て 鍛冶屋さんに会ってみたいというので
代々木公園で開かれた「アウトドアデイ・ジャパン」というイベントに行ってきた


なんと あの高知の旅でお邪魔した
鍛冶屋の菊池さんも来ていた





あれだけ手間暇かけたナタが2万7千円…
信じられないぐらい切れて 手に吸い付くように持ちやすい
あのナタが…

作っているところを見ているだけに
この値段で売っているのが信じられない



鍛冶屋の菊池さんと
「またいつか会いましょう」と笑い合って
お別れした







編集の隙間をついて
今年の新入社員への研修90分
感想レポートを書きづらい とんでもない研修をやりたかったが
今まで作った番組をいくつか見せていたら
意外と普通に「夢の実現方法」を語るような
こぢんまりした研修になってしまった(笑)


来年こそ ヒミツ事項だらけの「とんでもない研修」をやってやる





研修を終えて
海外へ旅立つ友人のために
自転車を梱包して
愛情を込めて発送した


元気でな!!





そして 久々に帰宅すると
人生で初めての体験が待っていた


床に置かれた服を何気なくまたいだら
腰に電撃が走り
動けなくなった


あ〜
これか
確かにこれは「魔女の一撃」だ

重いものを持ち上げたり
腰に負担のかかることはしてないのだが
こんなふうになってしまうものなのか…


なんとか歩けるので
軽めのぎっくり腰だったのだろう
体がどうしても「くの字」になってしまうが
狂言の「摺り足」のように 膝をくの字にすると歩きやすい(笑)

ひょっとしたら狂言の摺り足は
腰をいたわるために考案されたのかもしれない


ここ最近の徹夜が体にこたえたのか
娘の習い事のために 8時間もドライブしたからか
アウトドアデイ・ジャパンで数時間立ちっぱなしだったからか
友人のバイク発送に手間取って 何度も郵便局まで往復したからか…



さあしかし これは困った
今週末は ブルベ300kmが控えているのに
とんだ初体験をしたもんだ



300kmブルベに出られるタイミングなんて もう秋まで無い
どうにか走りたい
さあ 私は土曜日のブルベに参加できるのか?


続きは来週(笑)

フィリピン800km 編集後記。

2024年03月22日 21時20分17秒 | 自転車
ここ数年 このブログをいつやめようかと
ずっと考えてきた


昔 おおらかだった時代には
ロケの出来事や番組の裏話など
いろいろ書いたものだったが
そんなことをしたら大問題という時代になり
仕事人間である私は ブログに書くことがなくなってしまった



それならば ブログをやめる前に
一度存分に筆をふるってみようと思った
旅のレポートを書くために むりやりでも休みをとって
仕事とまったく関係ない旅をすれば
何を書いても大丈夫だ




とはいえ
私は文才がないので 1日分のレポートを書くのに6時間もかかったし
レポートが長すぎて 途中で眠くなった人もいるに違いない(笑)
本当にすみませんでした(笑)


しかも読んだ人からの反応はまったく無かった(笑)
長すぎることを除けば けっこう面白く書けたと思ったのに
これは悔しかった
もっと上手に書けるよう もう一度レポートのための旅をしようと思った
次はもっと上手に書けるように頑張るので
どうぞ懲りずにお付き合いください



ちなみに今回の旅の総予算は
9万円だった
そっちの面では大成功だったと思う





そうそう 今年唯一エントリーしようと思っていた岩木山ヒルクライムは
諸事情で参加できなくなりました(早!)
他のレースへのお誘い 絶賛募集中です★

フィリピン800km 最終日

2024年03月22日 21時13分53秒 | 自転車




最終日は首都マニラまでの200km






国道を避けて裏道をゆく








追いかけてきた自転車少年


見たことのないコンポーネントを使っていた





「LTWOOのA5だよ!」

と自慢げな笑顔がまぶしかった






地元客で賑わう食堂で休憩
おっかさんは村の人気者のようだった





おとっつぁんが店の裏でポツンと
寂しそうな背中で
タマネギの皮剥きをしていた





豚の骨をネコにあげた








久しぶりの海






水上に建つ家
今回の旅で 最も貧困の空気があった





バイクタクシーは この村では自転車タクシーに変わった





ハンドル幅はトラック競技日本代表なみの狭さである






いいねえ













そしてスタートから800km
首都マニラに戻ってきた







ホテルのスタッフが 戻って来た私を見て
大喜びしてくれた
いかりや長介似のマネージャーが 満面の笑みで
輪行箱を運んで来た



5日間のTSS 1082
ヘトヘトだが 気分は爽快だった





しっかりお湯の出るシャワーを浴びて
泥だらけになったウェアとバイクをキレイにし
おみやげを買いに出かけた






なんということだろう
私が見てきたフィリピンとは かけ離れていた




・・・・・・


5日間の旅を経て 私は自分の「へり」を見つけられただろうか?
ギリギリだった気もするし もう少し頑張れたような気もする
この一連のレポートが面白かったかどうかが 私の「へり」になるとしたら
まだまだな気しかしないのだった★



フィリピン800km 4日目後編

2024年03月21日 18時12分10秒 | 自転車



食堂でヤキソバをかき込みながら
地図を眺める



日没まで3時間
ただいまバナウェから120km地点で ホテルまでは80km
途中標高900mの峠を越える
国道をまっすぐ行っても ホテル着は夜だ





国道を行ったとしても 十分に冒険なのだ
でもやっぱり田舎道を通りたい


冷静に考えれば 今日のホテルにたどり着く必要もない
大事なのは明日中にマニラのホテルに着くことだ




迷ったあげく 田舎道を選ぶことにした






ポブラチオンという木陰の多い町で左折し
国道にさよならした
どんな道が待っているのか ワクワクする





田舎道の迂回路は60km
衛星写真で見た感じだと そのうち10kmほどが未舗装だ

Googleマップに峠の写真がアップされてるようだが
通信状況が悪くて2枚しか見られない
その2枚の写真では 道はそこまで悪くなさそうだ





おおー
いい道だぞ





美しい


車はほとんど通らない


…ということは
この先の峠は車が通りにくいのではないか…?






ようやく見つけた売店で
ドリンクを多めに補給しておく



店の女性が「あなた日本人?」と聞いてきた

「正解! なんで分かったの?」
「お金を払う時、私たちを楽しませようとしたでしょう。
 あんなこと中国人はやらないわ」

この国の女性は本当にクレバーな人が多い




若い兄ちゃんがフラフラと近づいてきたので
この先自転車で行けるのかと聞こうとするが
英語がしゃべれない

こういう時は日本語とジェスチャーで突破を図る
「この道、山を越えてサラザーまで自転車で行ける?」
「あー行けるよ!」
「ほんと? ガタガタ道じゃないか?」
「大丈夫だよ、だって舗装路だぜ!」





足で道の舗装をバンバンとたたき
自信たっぷりに答える兄ちゃん


「サラザーまで2時間だ!」


にっこり笑ったその口には
歯がほとんどなかった(笑)



そうか 衛星写真で未舗装に見えた道は
舗装路なのか
希望が見えてきたぞ


店の女性に「峠まで自転車で行けるって!」と喜んだら
にいちゃんの方をチラリと見て「やれやれ」という顔をした







コンクリート舗装の道に 徐々に勾配がつき始めた






やがて20%を超える激坂となった
フロント40 リヤ33では脚パンパンだ






牛もさすがに大変そうだ



えっちらおっちら上っていくと
後ろから足音が近づいて来た





振り向くと 小学生の女の子たちが
笑顔で追いかけてくる

聞くと どうやらこの激坂の上に家があるらしい






カメラを向けると キャッキャと笑いながら
恥ずかしそうに顔を隠した



別れを告げて 先を急ぐ
日がだいぶ傾いてきた




すると
目の前に見たくないものが現れた







マジか(笑)





水底が見えないので ダメもとで突っ込んで行ったら
意外と浅くて助かった(笑)




だが 安心したのも束の間
もっと見たくないものが現れた






やっぱりこうなるか(笑)







あんにゃろう…と思って 兄ちゃんの顔を思い浮かべると
にっこり歯のない笑顔と一緒に 「スカポンタン」という単語が思い浮かんだ


私は兄ちゃんを「スカポンタン」と呼ぶことにした





道はますますひどくなり
勾配も30%を超え出した





ロードバイクで来る道じゃないな



道がひどくなるたびに
スカポンタンの自信たっぷりにうなずく顔が思い浮かぶのだが
不思議と憎む気にはなれないのだった






分岐点のたびに焦るが
携帯電波がギリギリ通じてくれて
なんとか地図を見られた



だが 地図にない5叉路が現れた時
さすがに困り果てた





時刻は18時ちょうど
まさに日没の時間
ここで道を間違ったら ここに戻ってくることすら困難となる


ふと振り向くと
なんと先ほどの 恥ずかしがって顔を隠した女の子が歩いて来るではないか


「家はもっと上にあるの?」
「そうだよ」
「どの道を行けば山を越えられるか知ってる?」
「この道だよ」


女の子が1つの道を指差した


「これを行けば この丘をぐるっと回って峠に行けるよ」


いやはや
感謝しかない
お礼に何かあげたかったが 何も持っていなかった
財布をさぐると 日本の新しい500円硬貨が出て来たので
プレゼントした
女の子は不思議そうに眺めて
「ありがとう」と言い 去っていった







さすがにこの路面で勾配20%超えとなると
まったく漕げない(笑)


重いバイクを押し上げながら スカポンタンの顔を思い出し
一人でクスクス笑った




この坂はいつ終わるのだろうか

つい「早く終わってほしい」と願ってしまうが
それでは気持ちがもたなくなる
無理やり自分に「あと10時間以上続く」と言い聞かせる






ふと見ると 車が停まっている

ああ これが最後の助け舟ではなかろうか
この車なら自転車ごと乗せられる



家の中にいたおっちゃんに乗せてくれるか聞いてみると

「いいよ! でも運転できるのは息子だけなんだ。今息子は麓の町にいる」

息子の帰りを待つかどうか迷ったが
いつ帰るか分からないし 息子が良い人とも限らない
諦めて先を急ぐことにした


「ガタガタ道なのはすぐそこまでだ。その先は走りやすいツルツルになるよ」


と おっちゃんが励ましてくれた



確かにガタガタ道は多少ツルツルにはなったが
勾配30%超えでまったく乗れなかった(笑)



バイクに乗ると時速4km
歩くと時速3km
戻った方が早いのでは? と何度も思った
でも 前にさえ進んでいれば いつかは峠を越えられるに違いない
そう信じて漕ぎ続けた






ずいぶん眺めがいいなあと思い 高度計を見たら
標高1000mを超えていた
おかしいな 国道より低い峠を求めて来たのだが(笑)



道が緩やかに下り始めた
どうやら峠を越えたようだ
私は誰もいない山道でガッツポーズをした





そして日が暮れた


星が恐ろしいほど綺麗だった





ライトは2灯で 計800ルーメン
バッテリーが切れても復活できる単三電池式
USB充電式は不安定で 切れたら終わりなので
旅では使っていない


ここでパンクしたら 気持ちの糸が切れてしまう
ガタガタ道を慎重に下る
道が悪くて時速5kmしか出せない



舗装路になったと喜ぶと たった100mで砂利道に戻る
ぬか喜びをするたびに スカポンタンの顔が思い浮かぶ
いい奴なんだけど頼りない
でも 優秀だけど冷たい奴よりよほどいい



1時間ほど下っていくと犬が吠え始めた
真っ暗で見えないが 人家があるようだ


追いかけてきて 足元で吠え続ける
何も言わないと吠え続けるが
「ワンワンワン(僕は悪い者じゃないよ)」
と吠え返すと すっと離れていくのだった(笑)






山道へ突入して4時間
20kmほどの悪路はついに終わり
ようやく小さな村にたどり着いた





小さな屋台の灯りが目に沁みた



店のおっかさんに恐る恐る話しかけると
普通に英語で返ってきた
売っていたシュウマイを「うまい! うまい!」と食べた
涙が出そうだった





6個で50円
揚げニンニクと甘辛いタレでいただく
美味しくて18個食べた


「今日はどこから来たの?」
「バナウェからです」
「自転車で?」

おっかさんは目を丸くした


「なんでこの村に?」
「あの山を越えて来たんです」


おっかさんは目をさらに丸くした(笑)


「どうして独りで旅しているの?」
「それはね、僕の旅について来たい人がいないからだよ」


おっかさんは私が降りてきた山の方を見て
納得したような顔をした




英語が話せないおとっつぁんは
自分も何かしてあげたいと思ったのだろう
隣の店から冷えたコーラを持って来て
一生懸命 身振り手振りで道を教えてくれた
全然分からなかったけど「了解、ありがとう!」と言ったら
嬉しそうに笑った





なぜおとっつぁんはテイトウワのポーズなのか(笑)



「気をつけるんだよ! 自転車とられないようにね!」
おっかさんとおとっつぁんは
見えなくなるまで見送ってくれた




そしてシュウマイの屋台から1時間
ついに国道にたどり着いた




獲得標高は3000mを超えていた(笑)








208km走って 夜10時半にホテルに着いた





連日走って疲れているので TSSは200以下に抑えたかったが
340を超えていた
明日は体が痛いだろうな





フィリピン800km 4日目前編

2024年03月19日 22時07分29秒 | 自転車



今回の目的地・バタッド村は
少数民族・イフガオが暮らす小さな集落だ






急斜面にあるため 階段がハシゴのようだ





歩きやすいグラベルシューズとはいえ
コケでツルツルな上に微妙に斜めっている階段は
地獄でしかない(笑)






ホテルはこの村の中にあり
窓からの棚田の眺めが売りらしい






1泊1500円





洗濯物をかける場所がない…



宿のおとっつぁんが淹れてくれた
薄〜いインスタントコーヒーを飲みながら
宿の説明を受ける


・電気は午後6時から9時までしか使えない
・シャワーのお湯も電気で沸かすのでその時間しか出ない
・今朝まで日本人女性2人がホームステイしていたが帰国した


女性ふたりはサステナブルなことを研究している方らしい
お会いしてみたかった









携帯の電波は入らない
洗濯物が乾くことを祈って干したり
窓からボーッと外を眺めて過ごした

待ちに待った電気開通と同時にシャワーを浴びるが
お湯は結局出なかった(笑)





ふらりと出てきたご老人
着ているのはイフガオの民族衣装だ
写真を頼むと 二つ返事だったが
あとで写真代を要求された(笑)
5ペソ(14円)渡したら しょんぼりしていた
さすがに少なすぎたな(笑)






夕食 (800円・観光地価格)を済ませると
宿のおとっつぁんが「マッサージするか?」と聞いてきた



1時間1400円
まさかこの山奥でマッサージが受けられるとは


「今すぐお願いできるか?」と聞くと おとっつぁんは
「そうだな…」と視線を泳がせ
「5分待ってくれ」という


おとっつぁんの視線の先を見ると いつの間に来たのだろう
3人のおばさまが談笑していた


あの3人は マッサージ要員として来たに違いない



30分後
ドタドタと音がして部屋に入って来たのは
2人のおばさまだった
黒澤明の映画に出てくる
千秋実と藤原釜足に似ていた


「2人?」と聞くと
「そうよ! 2人でシェアすることにしたのよ。
 だってお客はアンタだけなんだもんよ!」


藤原釜足が大きな口をかっぴろげて
ニンマリ笑った


きっとあの後 1つの稼ぎ口を巡って協議が行われ
この2人が譲らなかったのだろう(笑)




2人はどことなく似ていて 聞くといとこだそうだが
私は呼びやすいように心の中で「バタッドの美人姉妹」と名付けた



千秋実が脚を 藤原釜足が背中を揉み始めた
手のひらがガサガサして生活感を匂わせたが
想像よりも丁寧で上手だった


「オイルマッサージよ」と取り出したオイルは
タイガー・バームのような匂いがした
私は鼻が弱いので くしゃみを我慢するのに苦労した(笑)


お礼は 2人で分けやすいよう多めに渡した
美人姉妹は ふたり仲良くご機嫌で帰っていった








さて 帰路である


今日は2日目・3日目のルートを一気に戻る200km
獲得標高は2000mほど
途中 標高900mの峠越えがメインディッシュとなる





もう一度ここに来ることがあるだろうか…


二度と来ないと思った場所に 何度も行くことだってある
人生は先が見えないから面白い




宿のおとっつぁんが 自転車を預けたランボーに無線で連絡をとってくれたが
来たのはランボーの手下だった





ランボーは寝坊したらしい(笑)
自転車さえ無事ならなんでもOKだ


荷物を整理し チェーンにワックスを塗って
朝8時に出発した






来るとき通った激坂は 戻りの方が超激坂だった…





要塞のようなバナウェの町






ここにホテルをとり バスで棚田に向かうのが良いと思う
あそこは自転車で行く場所ではない(笑)





急斜面にある町は 激坂天国だった
これまで見なかった外国人観光客がちらほら歩いていた






この辺りは ルソン島を占領していた日本軍が逃げに逃げて
最後に降伏した場所だという
こんな異国の地で 村を襲って食糧を強奪しながら
兵士たちはどんな気分で生きていたのだろうか


「日本は神の国だ」という宣伝を盲信して他国に攻め入った人たちと
「こいつが犯人だ」という投稿を盲信してシェアする人たちと
人間は数十年ぽっちでは変わらないし
再び同じような過ちを犯すのだろうなあと ぼんやり考えた







さて


私は悩んでいた



このまま国道を通り まっすぐ平穏に帰って良いのだろうか?





地図を見ると 国道を迂回する峠があるようだ






衛星写真の解像度が低く これ以上分からないが
舗装路ではなさそうに見える
しかし道沿いには民家が点在し 路面は悪くなさそうだ



安全パイな国道を走るよりも
こっちの道の方が絶対に面白いに違いない
なぜならここには「生活」がある
それに峠の標高も 国道の峠(900m)より低いように見える



現在午後3時
日没まで3時間
決断の時が迫っていた




つづく★

フィリピン800km 2日目〜3日目。

2024年03月19日 00時09分06秒 | 自転車



2日目は距離107km 獲得標高1500m
もう少し進んでおきたかったが
ちょうど良い場所に宿がなかった






ホテルは3つ星で4,000円ほど
首都マニラを離れると一気に安くなる


ただしお湯はぬるいのしか出なかった(笑)






ゆっくり朝9時に出発する
朝の気温は20度ほど
昼過ぎには30度を超えるが その頃には高原地帯へ入っておきたい





田舎になって 大型車両が減って快適だ





ほとんどの幹線道路には広い路肩があって
自転車とオートバイは車を気にせず走れて良いのだが





いきなり砂利になるので要注意だ(笑)






迷ったが グラベルロード用サスペンションを付けてきて良かった
こういう時に かなりの威力を発揮してくれる





あー田舎はいい
仕事に向かうオートバイの若者が
にっこり笑顔で応援してくれる


そして日本と同じく
一見ツッパリ風の若者の方が
意外と礼儀正しく 人懐っこい笑顔で見送ってくれる


自転車と肉体労働 苦労する者同士
繋がるものが生まれるのかなあと ぼんやり考える






2日目のハイライトは 標高900mの峠
国道2号線は道もよく 排気ガスさえ気にしなければ非常に走りやすかった





日本のODAで作られているっぽい






さすが日本だ
素晴らしい舗装だ
ODAも建設業者も お金のことでいろいろ言われているし
実際にピュアな奉仕の精神だけではないだろうと思うが
その実行力と技術は凄まじいものがある





フィリピンへ来て まず強烈にインパクトがあったのが
ほぼ全員が英語を日常会話として話せることだ



調べてみると 英語はフィリピンの公用語であり
小学校の授業は英語で行われるという


山奥の老人ですら 私より英語が堪能な人ばかりで
時たま英語を話せない人がいると
それは平日の昼間から酒飲んでぶらぶらしているような
いわゆる「ダメ男」なのだ


日本の感覚で言うと「かけ算九九が言えない」ぐらいの感じではないかと思う
女性は勤勉なのだろう 英語が話せない人には1人も会わなかった





16時過ぎにはホテル着
明日の山岳に備えた






3日目は雨だった


距離90km
そのうち後半70kmで獲得標高3000mを超える激坂祭り
時間がかかっても日暮れ前にゴールできるよう
朝6時に出発した



標高800m地点で寒くなったので
山道の小さな売店で上着を着た





フロントバッグからゴアテックスのジャケットを出し
サドルバッグから長袖のミッドレイヤーを出した



この日最初の峠は 標高1400mまで上る
10%の坂道が延々と続く



キツいヘアピンカーブのところに 男の子たちがたむろしていて
通り過ぎた私に ヘイヘイ!と声をかけ 拍手を送ってくれた
私は坂がキツいので止まらずに 後ろ手に手を振った



20分ほど上っただろうか
暑くなったので ミッドレイヤーを脱ごうと停車した私は
サドルバッグを見て血の気がひいた




蓋が開いている…



中を覗くと 部屋着や防寒着が入った小分けのバッグが
消えていた



マジか?


落とした?


いったいどこで?


必死で記憶を辿る




そうか
ゴアテックスを着た売店からここまでの3kmほどで落としたのだ







急いで引き返す







無い


無い


ここにもない



山奥の道ならまだしも
ここは人家の多いエリアだ
すでに誰かが拾って 持って行ったに違いない



落とし物が戻ってくる国なんて
日本だけなのだ
他の国では 落とし物は
拾った人の物なのだ


血まなこになって 上ってきた坂を下り続ける



ハッと気付いてブレーキをかける
焦るあまり道だけを見ていたら 今度は下り過ぎてしまった
服を着た小さな売店より 5kmも下って来てしまった



体から力が抜けていった


なんてこった
落とした可能性のある場所まで このキツい坂道を5km上らないといけない
全力でも30分かかってしまう
落とし物が戻る可能性を 自ら潰してしまった



いや それでも全力で上るしかない
ここで諦めたら さらに残された可能性を潰すことになる
スカスカで疲れ切った脚を 祈る気持ちでぶん回す





20分で売店に到着
スピードを落として 目を皿のようにして坂を上るが
落とし物は影も形もなかった




道端に若いお兄さんがいたので
ダメもとで聞いてみた

「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「落とし物したの? うーん、知らないなあ」




まあそうだよね…
お礼を言って立ち去ろうとしたところに
バイクタクシーがやってきた

「どうしたんだ?」
「落とし物をしたんだ。知らないよね?」
「あ、お前か!
 丸いバッグだろ?
 拾った男の子たちが上で待ってるぞ」



あっ!!!


私はあるシーンを思い出した
ヘアピンカーブにたむろしていた5〜6人の男の子たちが
私に向かって「ヘイヘイ!」と手を叩いた
あれは応援ではなく 落とし物をしたという知らせだったのだ






急いでヘアピンカーブに向かうが
誰もいない
売店の女性に聞くと
「あなたね、落とし物したのは。
 あなたが下りていくのを見て オートバイで追いかけて行ったわよ」
売店の女性を口説いていた兄ちゃんが
タガログ語とジェスチャーでこう言った
「追いかけろ! そこを下ればすぐに追いつくぞ」


下って行けばまたすれ違いになる気がしたし
それに私はもうこの坂を下りたくなかった(笑)

「ここで待つよ。もう疲れた」

私は店でコーラを買って そこで待つことにした



それから30分
私は女性を口説く兄ちゃんの隣に座って
坂の下を眺めていた





男の子が戻ってこないので
もうひとりの男がオートバイで探しに行ってくれた





騒ぎを聞きつけた村人たちが
集まってきた
ちょっとしたイベントになってしまった(笑)


そして待つこと40分





兄ちゃんが私に落とし物を見せた瞬間
私は「おおー!」とバンザイをし
見物客たちは歓声を上げた







平日の昼間から ここでぶらぶらしてる男たち
みんな英語が話せなかった
たぶんダメ男ばっかりで 仕事もしている風ではなく
全員服はボロボロだった


だがお礼に渡そうとしたお金を 誰ひとり受け取ろうとしなかった


「お礼なんていいんだよ
 落とし物が戻ってきて 俺たちもハッピーさ」


そう言って とびきりの笑顔をくれた



ありがとう
あなたたちの誠実さを 私は生涯忘れない

















ゴールの棚田への道は 勾配20%を超える険しい道だった
でも 大きなエネルギーをもらった私にとって 大した道ではなかった


なんとか日暮れ前に 宿に着けそうだと安心していたら
神は再び我に試練を与えたもうた







道が完全に無くなった(笑)







本当にこの道で良いのか?
道の終点にあった売店で聞いてみると
ここからは徒歩でしか行けないから
自転車はここで預かるという





「俺の名前はランボーだ、よろしくな。
 自転車をここで預かるのは200ペソ(約560円)。
 ここから宿までの道案内は250ペソ(約700円)だ」


名前が「ランボー」?
信用できるのだろうか?
少し迷ったが
自転車はGPS(エアタグ)を取り付けた上でここに預け
宿への道案内は200ペソに値切ってお願いすることにした





山道を歩くので ヒル対策





ランボーに前を歩かせる
後ろにいさせると 何をされるか分からない


山道に人気はない
ランボーと私の靴音と セミの声だけが響いている



さらに歩くと 後ろに人がついてくる
私はランボーと後ろの人に挟まれる形になった

これは何をされるか分からない
後ろの人に道を譲り 前に行かせる
彼はランボーと何かひそひそと会話し 山へ消えて行った




村までの20分 私は警戒を怠らなかった
しかし結論から言えば 何事もなかった
ランボーは自称ではなく 身分証明書にも「RAMBO」と書いてあった
そしてマニラから400km
ついに 私は目的地に辿り着いたのだった






世界遺産 バナウエ・ライステラス(バタッド)

2000年前から作られ続けて来たという棚田

圧巻だった





つづく★

フィリピン800km 1日目

2024年03月17日 03時37分47秒 | 自転車



フィリピンへ行っていた



目的はロケハンなのだが
完全にプライベートなので
ただの自転車旅行とも言える



実を言うと 私は自分1人だけで海外自転車旅をしたことがない
ロケには「コーディネーター」という その国を知り尽くしたプロや
現地の車両ドライバーが同行し
ホテルの予約から 食事どころのチョイスや通訳など
余計な心配をせずディレクションに集中できるようになっている



つまり いざとなったら助けてもらえる環境でしか
海外の自転車旅をしたことがなかった





私は自分が何もできない人であることを知っている
モジモジして人に話しかけられず
英語はジャンクな片言で
ピンチになれば冷静でいられず ハズレの道を選びがちだ
自分だけでどれだけの旅ができるのか?
力の限界…自分の「へり」を知りたかった







成田発のANA便で マニラへ
片道4時間半で着くし ANAなら往復ともにトラブルへの対処が安心だ


輪行箱はBTBの「エボリューション2」
旅の間は マニラのホテルに預かってもらえるよう頼んでおいた


携帯のデータ通信は「TRAVeSIM」
これは海外データ通信できる eSIMで
ネットで簡単に申し込めて フィリピンは8日間6GBで1980円と格安
意外と広範囲の地域でちゃんと通じた






GRAB(タクシー配車アプリ)でホテルへ


ホテルの予約は全てBooking.com
マニラは日本とそれほど物価が変わらず
3つ星ホテルで8,000〜10,000円ほど


バイクを組み立て
ウェアをパッキングし
不安とともに 午前3時に就寝した







1日目
不要な荷物を詰めたBTB箱をホテルに預けて
午前9時出発





今回の行程は 片道400km
目的地は すんごい山奥にある世界遺産の棚田

ロケと違って帰りも走るので 往復800kmを5日間で走る
行きは厳しい上りがあるので3日間で
帰りは2日間で一気に戻る
「今日はここまで走れ」とホテルを決めておかないと
絶対に辿り着けない気がしたので
全てホテルは決めておいた


一番ハードなのは3日目…のはずだったが
4日目に地獄を見ることになった
その話はまたあとで★







初日は190km ほぼ平坦なルートだ






目的地の棚田が標高1400mまで上るため 冬装備も必要なので
バッグは3つ取り付けた

メインバッグはRapha x Apiduraのサドルバッグ
入っているのは
・部屋着 兼 冬装備
・小型ポンプ
・マッサージボール
・ビーチサンダル
これが3日目に大変な事件を呼び起こすことになる





ボトル2本と ツールボトル
下のボトルは泥まみれになるのでキャップを固く締めて
中身だけ上のボトルに入れ替える

フレームバッグには薬品や歯ブラシなど





フロントバッグには ゴアテックスのレインジャケット上下



これに加えて アソスのスパイダーバッグを背負い
補給食と携帯の予備バッテリーを入れた






マニラを出る前に旧市街をゆっくり走った


ここにキリスト教の聖堂が建てられたのが今から450年前
日本の安土桃山時代と同時代だ
スペインは占領政策のため 日本やここへ宣教師を送り込み
日本と違いフィリピンは スペインの植民地となった


その後もこの国は大変な思いをし続けてきた
アメリカの統治
そして日本軍の残虐





日本軍が占領していた地域を旅すると
自分がどういう気持ちでいたら良いのか 分からなくなる
たまに「日本人は優しかった」とか
「日本人は〇〇を教えてくれた」などと言ってくれる老人がいるが
それを額面通り受け取ってはいけないと思っている
ものを奪うために占領しに来た人が どんなに優しくたって
結局は強奪者でしかないのだ






この国で自分はどんな顔をして旅したら良いのだろうか?


もちろん普通にしていれば良いのだ
それは分かっているけれど
気持ちはざわつく



割と重い気分でマニラの街を後にした





走り出してすぐに 今回の計画が無謀だったと気づく
渋滞で全く進まないではないか


乗合バスがひっきりなしに停車し
路肩はガタガタ
三輪バイクタクシーはウィンカー無しで斜行してくる
まるで参加選手全員が斜行&ブレーキしまくるロードレースに出てる感じ





最初の1時間で進んだ距離は7kmぽっち
はあ〜
この調子で今日中に190kmも行けるのだろうか?






すると


私の目にあるものが飛び込んできた





私は見たとたんに「おお!」と叫んでしまった





「館林四中」(笑)


館林四中の方
あなたの通学自転車は こうして遠い地で
第二の人生を送ってますよ



しょうもないことだが 重かった気分が少し晴れた(笑)






50kmを3時間半かけて走り 最初の休憩



気温は32度
食べられるうちに固形物を食べておきたい


フィリピンの食事情などは調べてこなかったので
まったくメニューが分からない
こんな時はグーグル翻訳さえあれば何とかなる



と思ったが…





何ともならなかった(笑)



迷ったあげく「今日は規制を超えて」を注文したら






来たのは普通のあんかけ麺だった


どれが規制超えだったんだ?









走るパワーは120〜150W
スピードにすると時速30kmぐらい
トラックの運ちゃんは窓から手を振ってくれるし
肉体労働の兄ちゃんたちは笑顔で見送り
オンボロワゴンがクラクションで応援してくれる





すれ違った自転車少年が追いかけてきた





そして仲間が集まっている場所に案内してくれた


みんな笑顔で喜んでくれた
何を言ってるのかは全く分からなかったが(笑)





とにかく暑くて 休みをしっかり入れながら
190kmを10時間半かけてホテル着
TSS 214
あれだけ水分取ったのに 3kg痩せていた




明日からは山岳エリアだ
調べた感じでは激坂はなさそうだったが…
期待は見事に裏切られるのだった(笑)

男子部最終戦!

2024年03月05日 22時04分27秒 | チャリダー★



2018年に結成したロードレース男子部
ついに最終戦を迎えます






男子部の遠征は常に相部屋
トレーニングの話をしたり
レースの作戦を考えたり
バカ話をしたり


自分はディレクターなので 本来は別チームなのだが
結成当初から「押しかけメンバー」として参加させてもらった
必死にトレーニングしたけれど
最後まで自分と彼らの脚は とてもメンバーとして役に立たないほどの差があった


でも 彼らは絶対に自分をバカにしなかったし
信頼を持って話を聞いてくれた
とてもとても楽しかった





最終戦 つまりこれで男子部の活動は終わりとなる
五郎さんの夢から始まり
全員がその夢に向かって走ってきた

その夢がどうなったのか?
そしてどういう未来が待っているのか
どうぞ放送をご覧ください





ただ一つ心残りなのは
エースのシュガーが参戦できなかったこと
人生にはいろいろなことがあって
良いこともあれば悪いこともある
今のところ シュガーが走れなかったことは無念でしかないが
何年か経ってみると ひょっとしたら
悪いことではなかったと言える日が来るかもしれない


そのためには 自分もシュガーともう一度走れるように
頑張っておかなければいけないなと思う


シュガー!
僕はトレーニングを続けるぞ
またいつか走ろうぜ 男子部として



チャリダー「ロードレース男子部 涙の最終戦」
3月8日(金)夜9時15分〜(44分拡大版)

※放送開始が早いのでご注意を!










九州へ。

2024年02月27日 09時32分41秒 | 自転車
1人で飛行機輪行し 荷物を最小限に選び
パンクしたら帰りの飛行機に間に合わなくなりそうなドキドキ感
このドキドキ感をどうやって番組に盛り込もうか

そんなことを考えるために九州へ行ってきた





番組のことを考えてはいるが
プライベートなので なんの助けもない
裸一貫の清々しさ ドキドキだ





行き先は大分と熊本
いつか番組で旅したいと思っていた五家荘(ごかのしょう)を目指す





酷道はグーグルマップにも載ってない通行止めだらけ
仕方なく思いもよらない道を迂回する





いい道だ





さらにいい道になってきた(笑)


パンクに注意しながら丁寧に走る






こういう冒険感を番組で出したいなあと思うが
ここを走れる出演者がほとんどいない

例えばこの峠まで ガレた悪路な上に
8km平均勾配9%の激坂だ
五郎さんで1時間
猪野さんで1時間半
茂山さんは2時間
うじきさんは2時間半
女性陣だと4時間
パンクすればさらに時間がかかり
特に修理に慣れてない女性陣だと プラス1時間となる


番組になると この坂は長くて30秒ぐらい
場合によっては1カット8秒で終わる
視聴者のほとんどは 坂道だけをそれほど長い時間見ていられない
そこに2時間以上かかる出演者は なかなか連れて来られないし
そもそも本人がこんな道を求めていない(笑)





プロ選手のような 走れる人を連れて行ってほしいという意見も聞くが
今度は旅人としての発信力に欠けてくる
ほとんどの人は 自分をよく見せることだけが興味の対象で
例えばユーチューバーのみなさんは 特にそういう方が多い
旅の主役はやっぱり旅先で出会う森羅万象で
出会ったあらゆるものに目をキラキラさせられる人は 本当に少ない


そんなことを ブツブツ考えながら
そしてパンクに怯えながら
果てしない山道を走る





700年以上前に建てられたという堂宇
礎石の上にこうして柱が建てられている
職人の腕にため息が出る





分岐点
どの道を選ぼうか





自販機の下には
なぜドブの穴が口を開けているのだ
10円落としてしもうたではないか(笑)





峠の茶店
おっちゃんが素敵だった
いつか撮影でお邪魔したい





おっちゃんが目の前で揚げてくれる柚子胡椒蓮根 めちゃうまだった





暖かいお茶が沁みる
これから寒い下り坂に突入する背中を押してくれる








農家の入り口
アジアの田舎に行ったようだ




欲張って走ったら
帰りの飛行機ギリギリで
今回も空港でパッと購入したこれが夕飯

カメラ持って来られるのは いつになるかな…




12年目へ。

2024年02月21日 19時29分25秒 | チャリダー★
NHKからの発表通り
チャリダーは4月で12年目に突入します


いやはや
応援してくれるみなさんのおかげです
ありがとうございます



「チャリダー」がなくなってしまったら
自転車専門の番組が失われてしまう
いつもそんな危機感を胸に頑張っていますが
番組なんてそんなに偉いものではないし
無くなったところで 何の影響もない気もします



でも許された以上は 感謝を胸に
あと1年頑張らせていただきます






新年度のロケに向けて
バイクを整備


整備というか お掃除というか
実はこのZIPPのロゴ
アリエクで頼んだ中国製ステッカーで
貼っておくと確かに 傷からリムを守ってくれたのだが





微妙にズレてるんす(笑)


グラベルを大量に走り 傷だらけになったので剥がしてみたら





のりがベタベタに残ってしまった





養生テープでペタペタと
2時間かけてキレイにした





傷だらけになったら
また違う色のステッカーでも貼ろうかな







冬になるたびに
地球がこのままだったらどうしようと考えるが
思い出したように暖かい風が吹き 
土手にはオオイヌノフグリが咲いていた


また巡ってくれた季節に感謝
そして 半年以上前から考え続けてきた新企画のロケが始まる
みなさんに楽しんでいただけるよう
頑張りますね☆


たのしい計画。

2024年02月14日 14時19分03秒 | 自転車



今年はたくさんプライベートな自転車旅に出ようと思っている


目玉は「SR」の達成だ
SRというのは「シューペル・ランドヌール(仏)」の略で
ブルベの200km 300km 400km 600kmを
ぜんぶ認定された人がもらえる称号のこと


600kmでも40時間で走れば良いので
(去年の青森650kmは32時間)
体力的にはいけると思う
コースや天候によって難易度がガラリと変わるので
ちょっとした冒険感にワクワクだ


日本各地のブルベ主催者が発表したコースを見ると
楽しくて仕方がない


300kmは群馬のコースが楽しそうだ



スタート・ゴールは前橋
私の愛する足尾を通るところが素敵だ




600kmはこんなのが良さそう



倉敷をスタートし しまなみ海道を通って
愛媛の宇和島までを往復する
あ〜いいコースだ




ブルベは参加費が安くて
だいたい1000円〜2000円ほど
よほど遠くに行かなければ 意外とお金をかけずに楽しめる




旅の計画を立てるのって 本当に楽しい
たぶん現実逃避なんだと思う


こういうのは一気にやってしまうのが好きで
すでに6月まで飛行機と宿の手配をしたのだが
大抵その日にピンポイントでロケが入って
行けなくなるのだ(笑)

寒い日

2024年02月06日 01時00分48秒 | おしごと日記
今日は1日家にいた


調べたことを 自分の血肉とするために
ひたすら考え さらに調べ
浜松市の資料アーカイブをずっと閲覧していた
とても興味深かった





気晴らしに 最近買った針と糸で
落車で破けたウェアを補修





この針 布通りが気持ち良い
良い道具というのは本当に良いものだ
「弘法は筆を選ばず」と言うが
やっぱり筆は選んだと思う





裁縫道具を持ってなかったので
ハサミも買った
歴史好きなら唸りそうな
「菊一文字」のハサミ

糸を切る瞬間「ショリ!」と気持ち良く鳴る
これも素晴らしい道具だった




↑ずっこけて破れた大穴を直した




窓外を眺めると 雪がふわふわと舞っていた







数年前の 同じように寒い日
暮らしていたマンションに帰ると
エントランスがすごい匂いに満ちていた


郵便受けの小部屋の端に
黒い物体が横たわっていて
ギョッとした
その匂いの正体であるホームレスを
私は声を荒げて 追い出した


ホームレスのおっちゃんは
寒くて暗い街並みに よたよたと消えていった


私は激しく後悔した
おっちゃんがここでひと時の暖を取ることが
私にとって一体 どんな損があるというのか?


しかし私は優しくできなかった



寒い日が来ると
あの後悔を思い出す






20時から五郎教室


寒さと後悔を吹き飛ばした