マダム南平台のサロン

法とことばと社会についてのおしゃべりコーナー

法言語学の国際学会

2012-03-03 17:20:22 | Weblog

日時:2012年7月5日から7日                                                                                    場所:マレーシア、クアランプールのホテル(The Saujana Hotel Kuala Lumpur)                                 

基調講演:                                                                                          マルコム・クータード教授(Prof. Malcolm Coulthard, Centre for Forensic Linguistics, Aston University, UK)
スンドラ・ラジュー氏(Mr. Sundra Rajoo, Director, Kuala Lumpur Regional Centre for Arbitration (KLRCA),
Malaysia)
ジョン・ギボンズ教授(Adjunct Prof. John Gibbons, Monash University, Australia)
大河原眞美教授(高崎経済大学)
ジャネット・エインズワース教授(Prof. Janet Ainsworth, Seattle University School of Law, USA)

参加費:US$240、US&200(IAFL会員)、US$180(学生) 昼食や茶菓や学会資料集等含む

詳細は、http://umconference.um.edu.my/IAFL2012


労働委員会ニューイヤー・セミナー 2012

2011-12-25 23:10:06 | Weblog

群馬県労働委員会ニューイヤー・セミナー2012

講 演  市民から見た法律用語  


・日 時 平成24年1月26日(木) 午後3時30分~午後5時
・場 所 群馬県庁舎2階 ビジターセンター
・講 師 大河原 眞美(おおかわら まみ)(高崎経済大学大学院地域政策研究科長、群馬県労働委員会公益委員)
・対象者 一般県民の皆様
・受講料 無料 ※お越しの際はなるべく公共交通機関をご利用ください。
主催 群馬県労働委員会


《申込方法》
電話または電子申請(ホームページ)によりお申し込みをされるか、裏面申込書に必要事項を記入の上、FAXまたは郵送によりお申し込みをしてください。


《締切》
平成24年1月16日(月) ※締切の前でも定員を超えた場合はお断りをすることがあります。
《申込先》
群馬県労働委員会事務局(〒371-8570 群馬県前橋市大手町1-1-1)
電話 027-226-2785(平日8時30分~17時15分)
FAX 027-223-7000

●講師から
法律で使われている言葉はわかりにくい。これが法律用語に抱く市民の一般的イメージではないでしょうか。
裁判員制度の施行など司法と市民との距離が短縮されつつある今、このようなイメージのままでよいのか問い直されなければならない時期に来ています。
講演では法律の言葉を市民の視点で捉え直し、市民感覚に馴染む法律用語とは何かについて考えてみたいと思います。


村井家住宅 その10

2011-01-11 06:24:36 | Weblog

昭和48年の祖父の葬儀の時、村井家の方も何人かいらした。その中に、和子さんという実母や叔母とよく遊んだ方がいらした。実母と親しかったらしく昔の話を賑やかに話していたのをまだ覚えている。そして、私の相手もして下さった。ところが、和子さんは、それから数年後に亡くなられてしまった。それ以降、村井家の方との連絡はめっきり減ってしまったようである。私の世代となると、「またいとこ」でなく「はとこ」の間になってしまう。

我が家にとっては、村井家は昭和の古き佳き時代の思い出の詰まったお家なのである。(了)


村井家住宅 その9

2011-01-10 07:55:41 | Weblog

時代は、戦前から戦中になる。食糧は配給制となり、それだけでは足りない。それをまもって餓死したという裁判官がいたようである。農村に行って買い出しをする人が多かった。

大阪市内に住んでいる実母一家は、村井を頼って葛城に行った。戦争で一家の働き手が兵隊にとられているので、農村の生産量がそもそも少なく、農村でも食べ物は不足していた。そんなとき、都会から農村に行っても、農家が売ってくれることはまずない。村井の人が声をかけてくれると、農家の人が来てくれる。実母や祖母は、持ってきたお金や着物とお米などと交換できた。

村井の家でも、食べ物は決して十分ではなかった。それでも、村井のおっちゃんは、「たーんと食べていき」と言って、実母や叔母に沢山食べさせてくれた。実母は、食事をしながら、村井の家の人達の分は大丈夫なのかと思ったそうである。実母は、今でも、感謝している。


村井家住宅 その8

2011-01-09 09:39:54 | Weblog

子供達は、夜もその奥座敷で寝た。10人くらいいるので、夜、必ず誰かがトイレに行きたくなる。厠は、座敷の廊下を進んで、蔵の先の、さらに奥まった所にある。夜は、あたりが真っ暗で、屋敷も広大なため怖かった。村井家の子供達ですら、普段は主屋で寝ていて主屋の厠しか使っていないので、奥座敷の厠は怖かった。一人がトイレに行きたいと言うと、残りの者全員がこの機会にトイレに行っておこうと思う。怖くないようにと全員で厠に行く。厠を使う順番をじゃんけんで決める。ビリになると、誰も待っていてくれず、一人で奥座敷まで戻らなければならないかもしれない。真剣になってじゃんけんをする。全員で最後の人が終わるまで待っていると約束はするのだが、終わった人も待っているのが怖いので奥座敷に戻ってしまう。結局、ビリの人が終わって厠の外に出ると、誰もいない。ビリの人は、怖くてワーっと叫びながら一目散に奥座敷に戻る。その声を聞いて奥座敷に戻っていた子供達も怖くなりギャーっと叫ぶ。

あれから70年余りの時が流れた。実母や叔母は、当時を思い出して、まだ、「村井の家は、本当に楽しかった」と言っている。古き佳き時代である。


村井家住宅 その7

2011-01-08 08:12:03 | Weblog

実母が子供のころ、村井家には子供達が6,7人が行って滞在した。実母の妹や、祖母の実家の子供達も加わったからである。村井家にも子供がいるので、子供だけで10人くらいになった。子供達には、主屋に近い方の奥座敷があてがわれ、奥座敷を飾っていた書画骨董はお道具の蔵に入れて、何もない状態にしてあった。この奥座敷や庭で子供達は鬼ごっこやかくれんぼをしてワーワー言って遊んでいた。大人達は主屋にいるので、奥座敷が賑やかでもうるさいと注意されることもなかった。急な来客があれば、もう一つの奥座敷で応対すればよいので、あてがわれた奥座敷が散らかっていても叱られなかった。


村井家住宅 その6

2011-01-07 16:25:26 | Weblog

主屋は、6部屋ほどあったようである。通常は、主屋で生活していた。土間があり、囲炉裏のある部屋がありその一方には押入れ程度のの大きさの膳棚と呼ばれる食器やお膳を収納する家具あった。家族だけではその囲炉裏の部屋で食事をしていた。囲炉裏の部屋の隣には食事をするテーブルのようなものがあり、実母達が行くとそこで食事をしていた。さらにいくつかの和室がその周りにあった。

奥座敷は8畳の部屋が二つ続いて渡り廊下を向こう、蔵の向こうに厠があった。蔵は火災の時に延焼を防ぐため渡り廊下ではつながっていなかった。

当時の村井家は、三つの棟からなっており、それぞれに蔵と厠があったが、厠は一番奥の遠く離れた場所であった。


村井家住宅 その5

2011-01-06 06:58:04 | Weblog

門をくぐると、主屋がある。その主屋には蔵が併設されている。主屋の向こうに中庭があり、蔵が併設されている奥座敷があり、奥座敷の向こうにはさらに中庭があり、また、蔵が併設されている別の奥座敷があった。主屋と二つの奥座敷は、それぞれ渡り廊下で繋がっていた。

当時、蔵のある家はそれほど珍しくはなかった。しかし、三つの蔵となるとなかなかない。実母は、村井家のおばに「着物が一杯あるんやね」と言ったようである。その返事は、「この蔵は什器の蔵で、その蔵はお道具(掛け軸等)の蔵で、あっちの蔵は着物の蔵」、と三つの蔵の収納目的の説明があったそうである。


村井家住宅 その4

2011-01-05 08:33:28 | Weblog

実母が小さい頃は、新庄の駅がなかった。電車で村井家に行く時は、尺土の駅で降りた。尺土から村井家まで3キロ近くある。当時は、道が一本村井家の方にまっすぐに向かって伸びてていて、ひたすらその道を歩いた。子ども心にかなりの距離だったとか。

村井家は、一軒家というわけではなかったが、今のように新庄小学校などもなく、隣に家が一軒ある程度であった。屋敷の敷地は、今のよりずっと広く、新庄小学校の校庭のかなりの部分や近隣の家も含んでいたようである。屋敷の敷地はすべて塀で囲まれているわけでなく、裏の方は庭の植木や果樹、それがいつの間にか田んぼに繋がっていた。ずっと広がる田んぼの向こうに山が見えるという景色だったらしい。勿論、正面のあたりは塀で囲まれていて表門があった。


村井家住宅 その3

2011-01-04 07:44:54 | Weblog

私達の時代もそうであるが、実母の小さい時、祖母が自分の実家に子供達をよく連れていった。特に、夏休みとなると、子供達はかなりの期間滞在していたようである。実母達が行くだけでなく、実母の家にも、祖母の実家の子供(実母の従兄弟)が長く滞在し、行儀にうるさかった祖父が食事のマナーなど躾けていたようである。どの家も今よりずっと大きく、さらに使用人がいるような場合は、親戚の子供がいくら長くいてもまったく困らなかった。また、ディズニーランドのような家族単位で行くような子供向けの娯楽施設がなかったので、家族より親族という一つの大きなコミュニティーで子供達を互いに見ていたように思う。