マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

橋爪大三郎批判、その二(東谷 啓吾)

2022年08月03日 | サ行
橋爪大三郎批判、その二
-「社会学」の宗教理解における観念論性(後半)

3、社会科学の方法上の欠陥

 経験的な領域に議論を限定する「社会科学」が一面的であるということは、その歴史認識の方法を見れば如実に分かります。
 橋爪は多くの日本人が「宗教なんかどうでもいい」と思っていると断定した上で、その理由を次の論理で説明します。「本来、宗教というのは人々の間に調和や安定、団結を作り出すものである。しかし、その『団結』によって、時の政治があまりにもひどいと、反政府運動を引き起こす。日本は戦国時代に一向一揆などでそれが起こり、この流れを受けて為政者は仏教の腐敗・堕落キャンペーンを広めた。だから以後、現代に至るまで日本では宗教の地位は低いままである」、と。

 ここには二重の誤まりが存在します。
 まず、反政府運動が起きたから仏教は弾圧を受け、だから日本では宗教の地位が低いのだ、と単純な因果関係で歴史を説明してくれますが、こういう「社会科学的」説明は、人間の営みの総和としての歴史を世界史的な規模で類比的に捉えることをしない、無知にすぎません。「仏教」の弾圧を直接「宗教」の地位の低さに繋げる論理的飛躍には目をつぶるとして、こういった種の弾圧というのは、ことをキリスト教世界に限っても、2~3世紀のローマ帝国による原始キリスト教への弾圧、16世紀ドイツの農民運動に対する諸侯の弾圧等々、キリスト教ヨーロッパにおいても歴史上いくつも起っているわけです。にも関わらず、ヨーロッパでは「宗教の地位は高い」。上の論理ではこの事の説明がつきません。両者の歴史上で類比的に捉えうる弾圧がある時に、一方で日本では宗教の地位が低く、他方でヨーロッパでは正反対になっているのは「何故」か、というこの問いを説明することから全体的な認識に進むところです。しかし橋爪が行っているのは、歴史の中から一方だけ説明できそうな事実を持ってきて、「AだからB」と言っているに過ぎません。

 このように「経験的な領域に議論を限定」してしまう「社会科学」は、所与の事柄について、その新聞記事的な意味での「客観的」な事実を組み合わせることで事足れりとします。従って、それでは人間の営みの全体的な総和である歴史現象を時代や場所を超えて類比的に全面的に捉える問題意識には到達できず、歴史の一面、しかもごく皮相の一面において分かったつもりになり、その一面があたかも全体的な真理かのように説明されます。しかし、部分的な真実に過ぎないものを全体的真理かのように振り回すのは虚偽でしかありません。それは現実を正しく認識することを妨げます。

 また、そのような「社会科学」の姿勢は「宗教というのは人々の間に調和や安定、団結をつくり出すものなのです」という断定にも出ています。たしかに、宗教教団なり宗教的組織は表立っては調和や安定、団結を強調するでしょう。しかし、その人が自分たちをどう表現しているかということと、その人が実際にどうあるか、どうなっているかはしばしば異なるので、その「調和」や「安定」、「団結」といった観念が、上のパウロの例のように、個々の歴史の場において、どのように働き、どう作用しているかを見ていく必要があります。そして、それを見ていれば、様々な歴史的な条件や状況によって、同じ宗教現象でも多種多様なひろがりを持つものなので、宗教という歴史現象をいくつかの観念に直対応させて結び付け、それを前提するなどという初歩的な間違いは犯さないはずです。

 実は、この歴史認識の基本の一つは、マルクスがすでに述べていることです。「日常生活ではどんな商人でも、ある人が自称するところとその人が実際にあるところとを区別することを非常によく心得ているのに、われわれドイツ人の歴史記述はまだこのありふれた認識にも達していない。それは、それぞれの時代が自分自身について語り想像するところのものを、言葉通りに信じているのである」(古在訳『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫、72頁)。これはマルクスが当時のドイツの観念論者たちに言っていることですが、それから100年以上たった現代の「日本を代表する社会学者」さんにも当てはまってしまっています。


4、観念論批判の前提としての宗教批判

 ここまでのことをまとめると、橋爪の「社会科学」は歴史認識の基本的な方法が欠落して、個々の現象を個々の観念とのみ一対一に対応させて考えることしか知らないから、一方では歴史の現象も、他方では観念の領域の様々な動きも、認識することが出来ません。

 だから氏は、仏教やキリスト教などの宗教を表看板に掲げている、狭い意味での「宗教」しか宗教現象として捉えられず、「現代に至るまで日本では宗教の地位は低いまま」などと言って平然としていられるのです。
 しかし、最近話題の「統一教会」と自民党の癒着を例に出すまでもなく、創価学会と公明党、霊友会、本願寺両派等々、日本の権力中枢に密接に絡みついている宗教団体というのは調べればいくらでも出てくるので、その時点で事実誤認ですが、この認識では、狭義の「宗教」以外の宗教的現象に対して批判的〔註・非難ではない〕に切り込んでいくことが出来ません。ここに、この種の宗教理解の危険性があります。

 つまり、そのような広義の宗教的現象を批判的に切開し得ない姿勢は、一方で「社会科学」的に物事の一面を分かったつもりになって、他方でそれでは説明しきれない部分を宗教に求めて「宗教を知ることは、人生の質を高め、よりよく生きるための手がかりになるでしょう」などと教会の説教家のような発言をしてしまう。これでは宗教を温存することにしかなりません。断っておきますが、ここで私は宗教が悪だと言っているのではないということです。前半で論じたように、宗教という現象が社会にもたらす好い側面もあるので、それを無視して宗教を無くそうと言っても無意味です。しかし、そこからよほど注意していなければ、その好い側面が同時に社会に悪い影響を与えてしまう、というのが宗教の持つ特徴でした。
 従って、我々が行うべきは、この好い面を十分に継承していきながら、意識的に宗教的現象が陥る悪い影響を克服していくことにあるはずです。そしてそれは、我々を取り囲む歴史的社会的現象において、複雑に絡み合った現実と観念の関係を、統一的に捉えていくことで可能になるので、現実と観念を固定して一面的に見ることしかしない「社会科学」のように、一方で「科学的説明」を、他方で「宗教的真理」を両手に花で、都合のよい時にそれを出したり引っ込めたりするのでは、肝心の現実の総体にはいつまでも切り込めず、結局のところ、宗教を真に克服することにはなりません。何故なら、それでは人間の歴史社会において宗教という現象がどう働くか、ということの極めて一面的な知識を単なる知識として手にすることにしか、原理的に出来ないからです。

 実に、このように「社会学者」や「宗教学者」などと称される人々が宗教に無関心な層に対して行う「宗教には科学では説明できない何か人生の奥深い真理が隠されていますよ」といった形での呼びかけ、宣伝文句は、戦後、日本の知識人たちによって幾度となく主張されてきました。しかしそれは所詮、上で見てきたような意味で観念論の裏返しとしての宗教意識でしかなく、これも又極めて典型的な観念論的認識です。従って、そのような仕方で宗教に対する関心が高まったとしても、何故人間はこれほど長く宗教を営み続けているのか、その意義と限界を正確に捉えてそれを克服していく運動などにはならず、一時の宗教ブームに終わります。

 このような宗教ブームが度々起こるという事実が、無自覚的な観念論者が知的大衆の大部分を占めるということの反映ではないでしょうか。つまり、一度立ち止まって考えてみると、「宗教現象」といえども「政治現象」や「経済現象」などと同じく、広い意味での社会的な現象の一つであり、そのどれもが人間が歴史的に営んできた営み以上でも以下でもないのです。にもかかわらず、現代的知識人、特にブルジョワ学者たちにとっては、政治現象や経済現象などは「科学的」に分析し得るのに(註。彼ら自身はそう思っているものの、この「科学」理念自体が矮小な為に、その分析も観念論的で一面的であることは、マルクスのブルジョワ経済学批判を挙げるまでもないでしょう)、宗教現象は何だか古臭くて迷信的で「科学的」に捉えられない。だから彼らは宗教現象だけは特別に「科学」と対立するものとして抱え込んでしまう。
 しかし、そのように統一的に捉えられないのは事柄の性質の違いが主因なのではなく、彼らの「科学的」な認識それ自体が観念論的であることが問題だと言えます。実際、宗教現象というのは、他の歴史的社会的な人間の営みに比べて実に顕著に、現実を歪めた形で観念に反映していくものなので、どれだけ観念論を自覚的に克服しているかがその認識の深さを決定的に左右していきます。観念論に無自覚である彼らには、自分の認識が一面的であるかどうかも反省的に捉えることが出来ないのです。
 もちろん実際には個々の現象をこれは宗教現象、これは経済現象、などというように割り切れるほど歴史は単純ではなく、それらが何重にも重なって現象したりするわけですが、原則として、宗教批判をどれだけ徹底出来ているかということが、あらゆる歴史現象を統一的な歴史認識の方法において貫けているか、他の社会的現象に対してどれだけ観念論を克服し得るか、ということの一つの指標になるはずです。

 そう捉え返した時に「宗教批判はあらゆる批判の前提である」と言われる所以が分かります。しかし、橋爪社会学の宗教理解の水準から推察するに、少なくとも日本ではまだ、宗教批判は実践的にも本質的にも終っていないと言わざるを得ません。

 このように整理してみることで、現代の日本において我々が宗教批判を展開していくことの意味が、少しは明らかになったのではないでしょうか。

(後半 おわり)

 2022年8月3日
  東谷 啓吾

橋爪大三郎批判、その一(東谷 啓吾)

2022年07月28日 | サ行
橋爪大三郎批判
-「社会学」の宗教理解における観念論性(前半)

1、はじめに

 旧聞で恐縮ですが、「News Picks」というメディアにおいて「現代人が『よく生きる』ための宗教講義」(2020年11月13日、https://newspicks.com/news/5377724/body/ )という記事があがっています。「日本を代表する社会学者」との紹介で橋爪大三郎という人物が宗教について語っているものです。事実この人物、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011年)という「キリスト教のすべてがわかる決定版入門書(新書一冊程度で巨大な歴史現象であるキリスト教の「すべてがわかる」などと銘打てる出版社の見識をまず疑うが...)」で20万部以上売り上げていたりと、宗教に関する講壇学者の代表格と見做されているようです。また、上のメディア自体、現代のビジネスマンをはじめとした進歩的「知識人」に多く読まれており、その影響は無視できないほどです。実際、この種の記事を読んで、宗教について分かったような気になっている日本人は少なくありません。

 最近もまた、安倍何某の件で「統一教会」という宗教組織が連日話題になっていますが、それを取り巻くメディア等々で「論者」や「有識者」を観察していると、誰一人として宗教が何たるか、その本質において捉えている人はいないと思わされるほどです。「宗教は害悪だ!」と叫ぶだけでは宗教はなくなりませんし、ましてや法律によって規制すれば宗教現象がなくなると思うなど浅薄も甚だしいと言えます。その程度で取り除けるのであれば、人類の歴史上、あらゆる時代において様々に異なった条件下で生きている様々な人間たちが、それぞれの仕方で宗教にしがみ続けてきたことの説明がつきません。宗教現象というのは、その論者たちでは想像も出来ないほどに極めて複雑多岐な歴史現象なのですから。

 しかし、彼らがその程度の宗教理解を晒すのも、根本には橋爪大三郎ら、宗教についての極めて狭小な部分的真理を我が物顔で語るイデオローグ〔観念論者〕が原因にあると見るべきでしょう。観念論者が「宗教」という観念において極めて一面的な側面を固定し、歪めて反映し、それを振りまく図がここに典型的に現れています。そして、それが「世論」というイデオロギーを作り出す一つの機能として働く、観念論の悪影響がここに出ています。

 従って、今回は橋爪大三郎の宗教理解を取り上げて観念論批判の素材の一つにしていきます。


2、宗教の意義と限界

 まず橋爪は宗教の特徴として「人間が経験できないこと(超越的なこと)も、必要ならば議論として取り込んでいく点にある」と書き、そのすぐ後に続けて、「経験的な領域に議論を限定する社会科学とは対極的」だと述べます。そもそも、人間の現象を「経験的なこと」と「超越的なこと」に二元的に分けて考え、どちらかに「限定」できるなどと思っている「社会科学」が浅薄なのですが、それはまた後で論ずるとして、宗教の特徴を上記のように規定することで、氏の一面性が露呈しています。

 宗教というのは、超越的なことを「必要ならば」議論として取り込んでいく、といった甘いものではありません。それはむしろ、徹底的に、あらゆる場面で執拗に、現実の事柄を観念的な仕方で吸い上げていく営みです。事実、その徹底性が高ければ高いほど、「偉大な」宗教として現実に影響を与えていきます。たとえばキリスト教においてその役割を果たしたのが、パウロです。

「イエスの死後、彼をキリスト(メシア)として神格化し、その『神の子キリスト』が復活したという神話的表象をめぐって築き上げられた信仰体系が原始キリスト教という実態である。当然のことながら、復活したのはイエスではなく、信者の頭の中で神の子キリストの復活が生起しただけである。そういうことだから、原始キリスト教はその出発の当初から、およそ観念的な救済宗教として性格づけられていった。そしてその観念性をこの上もなく徹底的に追求したのがパウロという男だったのだ」(田川建三『批判的主体の形成』増補改訂版、洋泉社MC新書、2009年、99頁)。

 新約聖書学者の田川建三によると、パウロ思想というものがいかに徹底した観念性を主張しているか、次の一文に表れているといいます。

「女を持つ者は持たない者のように、泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のように、此の世を利用する者は利用しない者のようにあるがよい。何故なら、此の世の形は過ぎ去るからである」(第一コリントス 7章29節以下)。

 ここでは「此の世」すなわち、現実との関わりにおいて、所有することが否定されています(古代社会では妻も所有の対象だった)。また、現実に生じる苦しみや楽しみによって泣くことも、喜ぶことも否定されています。しかしこれは、近代の共産主義思想のように、現実の社会的経済的な、複雑に絡み合った関係から「所有」を放棄して皆平等になろう、というのではありません。また本気になって、泣くことの原因である「苦しみ」や「差別」(本来肯定的な「喜び」までも否定しようというところにパウロの徹底っぷりがうかがえます)等々を現実の社会から根本的に取り除こうとするわけでもありません。もしそういうことをしようとすれば、現実の社会関係全体と闘わなければならなくなります。そのようなことは古代でも現代でも徹底しようと思えばすぐに大きな壁にぶつからざるを得ません。

 そこでパウロは「現実の否定を、本当に現実的に実行するのではなく、観念の領域においてのみ実行する」(同上、101頁)。
 つまり、この宗教思想においては、現実に存在する一切の事柄、現実に生ずるあらゆる局面に対して、それがないかの「ように」振る舞えば、現実の問題は全て解決される、と主張されます。「此の世の形は過ぎ去る」すなわち、一切の現実はいずれなくなることを根拠に、現に目の前の構造的な問題は放置され、現実は何一つ変わらないけれど、この思想にすがれば、日常生活上の苦しみや矛盾から解放されたように思える。死の恐怖からも自由になった気分になれる。そして、このように観念の領域で現実の問題を「解決」したパウロは、奴隷制という極端に人間性を収奪していく現実を露骨に肯定していくのです。

「招かれた時〔クリスチャンになった時〕に奴隷であったとしても、気にすることはない。たとえ自由になることが可能であっても、むしろ用いるがよい〔奴隷であるということをそのまま保っているがよい〕。何故なら、主において招かれた奴隷は、主の解放された者なのだ」(第一コリントス 7章21節以下、〔〕内については田川建三訳著『新約聖書 訳と註 <三>パウロ書簡 その一』作品社、2007年、283頁以下参照)。

 これは一つの顕著な例ですが、このようにして、現実の極めて複雑な実態を観念の領域に移しかえ、そこでの議論に終始してしまう強い傾向をもつのが宗教の根本的な特徴の一つです。そして、こう整理した時に、宗教の意義と限界が見えてきます。

 それは一方では、以上の例からも分かるように、宗教の出発点は現実の苦しみや矛盾を反映しているところにあるということです。そういう現実に対して、何かをしなければいけないという問題意識を持つことに、一応の正しさがあります。
 しかし他方で、それが宗教信仰である限り、その反映の仕方は何ほどか観念性の中に歪められてしまい、出発点であった変えるべき現実に戻ることなく、現実の変革という課題は彼らにとって忘れ去られてしまいます。そして、それ故に結果として、宗教が現実をずぶずぶに肯定する機構として働くことになるのです。つまり、正しさを含んでいた出発点は消し飛び、かえって現実の苦しみや矛盾を温存する役割を担ってしまう。

 このように、宗教の意義と限界の両面を正確に捉えることをしていない橋爪の意識は次のような発言に表れます。曰く「宗教は『人間が死んだらどうなるか』について、先人たちが考え抜いた蓄積が反映されている」。問題は、それが「反映されているかどうか」ではなくて、「どのように反映されているか」、ということにこそあるのです。上で展開した議論に無批判であるからこそ、橋爪は「死について正面から考えてきた宗教は、これまで生きた人びとから、今を生きる人々へのプレゼント」などと言いますが、これに至っては笑止です。「死」という観念を宗教思想がどのように扱って議論を展開していくか、またそれによって振りまく害には一切無頓着であるから、宗教思想が語る「死」についての知識を表面的に知ることだけで満足し、それを「プレゼント」などと呼んで済ましていられるのです。その「プレゼント」がいかに現実を歪め、人間を抑圧してきたか、それら一つ一つの歴史的実態を認識していれば、そんな軽々しい発言は出てきません。

 しかし、この浅薄な宗教理解は橋爪個人の問題ではなく、いわゆる「社会学」の方法自体にその真因があります。以下、それを見ていきましょう。

(前半 おわり)

 2022年7月27日
  東谷 啓吾

「概念の価値の吟味」の現実的意味(東谷 啓吾)

2022年06月20日 | カ行
<はじめに>
 「マキペディア」の読者の皆様、はじめまして。東谷啓吾(ひがしたにけいご)と申します。
牧野先生のもとで2年ほど、認識論やドイツ語の勉強を集中的に行っていました。現在はドイツのハイデルベルグにて、歴史学や文献学、語学などの勉強を通じて「歴史認識の方法」を思想的に追究しています。牧野先生からの助言を得て、今月から「マキペディア」にて定期的に論文を発表させて頂くことになりました。最低でも月2回程度の頻度で投稿できるようにやっていきます。ご一読くだされば幸いです。

 今回は最初なので、自分の思想的行動の出発点を示せればと思い、書きました。甚だ序説的な文章で、議論の展開として不十分ではありますが、次回から具体的な観念論批判を発表していきたいと思います。コメント等頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします。


 「概念の価値の吟味」の現実的意味

 今からおよそ200年ほど前にヘーゲルは、当時のドイツの学問界の状況・思想的潮流を念頭に置いて次のように否定的な態度を表している。曰く彼ら〔当時の大学教授や宗教家など〕は「どこからか持って来た既成の前提から出発し、本質と現象、根拠と帰結、原因と結果といった通常の思考規定を使って、あれこれの有限な諸関係に則ったありきたりの推理をして、真理の探究を企てる」(牧野訳『小論理学』未知谷、第二版への序文、119頁、2018年)と。そしてこうした傾向に対してヘーゲルは本当の意味での真理探究の仕方としての「哲学的態度」を対置して、以下のように述べる。
「哲学とは、あらゆる内容を結びつけ規定している思考規定〔概念〕の本性と価値に関する〔明確な〕意識をもって真理を探究するものです」(同上)。

 では、この「ありきたりの態度」とヘーゲルにとっての「哲学的態度」とはどのように異なっているのだろうか。「思考規定〔=概念〕の本性と価値に関する意識をもって真理を探究する」とはどういうことなのだろうか。今回は、人間の思考、即ち認識について考えることでその現実的意味、我々にとっての意味を考えていきたい。

 まず、認識主体である我々の目の前には無限に豊かで複雑な「現実」がひろがっている。人間にとってその「現実」をそのまま全部一気に扱うことは、能力の面からしても、扱う対象の広大さからしても絶対に不可能なので、その現実のある部分を言語などによって抽象して、反映させたところに一つの観念が生じることになる。この際に「現実」は、人間の意識とは無媒介に存在する「自然現象」と、人間の営みによって形成されていく「歴史的社会的現象」の二つに大別されるが、今回は後者に限定してその観念の領域を例示するとすれば、例えば、政治的な観念の水準(民主主義、国家等々)や法的な観念の水準(民法、刑罰等々)、宗教的な観念の水準(神、原罪等々)、経済的な観念の水準(商品、資本等々)など、様々な観念の水準が階層をなし、それら観念同士が入り混じって更に次の観念を、それがまた二重三重に混合されて次の観念を、というように一見しただけではとても分からない複雑な観念の体系が築かれていく。そして、我々は実際に普段、何気なくこのように観念を操作して思考し、日常的な生活を営んでいるのである。

 しかし、この時に注意しなければならないのが、今述べたように、どんな観念といえども現実の一部の反映であるから、現実が観念に反映する時には必ず現実の中のいくつかの側面が切り落とされるという事実である。つまり、いかなる観念も一面的であることを免れない。であるにもかかわらず、日本的「知識人」に典型的に現れているように、彼らは一面的に規定された定義や既成の観念を前提して、それでもって本質と現象を区別したり、根拠付けを行なったり、原因をうまく説明してくれるものの、そこでは人間の現実のごく一部を何ほどか歪んだ形で反映させている観念体系が整理されているだけで、それによって何らかの現象が説明されたとしても、それは現存の社会構造に対して無自覚的に肯定的であるということに過ぎない。しかも、無自覚であるからこそかえって、現存の社会関係におけるイデオロギー的な影響に無批判で、自分がそれにずぶずぶに浸かっていることに気づけない。こうして観念論が出来上がる。ここでの観念論とは主に「観念が現実との接点を失ったところで観念操作を行っている」ことを指しているが、多くの人が大学その他で「この講義は社会の現実から離れているのでは?」といった類の感覚を抱いたことがあるのではないだろうか。それが現実の一面から取り出した観念でしかないものを現実の全体かのように錯覚して振り回す無自覚的観念論者の姿である。こういう事例は特に社会学や政治学等々、「客観的」な学問を謳う人々に顕著に現れているのであるが、まさにヘーゲルが「ありきたりの態度」として否定的に取り上げていた意味は、こういうことである。200年たっても学問界はまだまだ然るべき認識論的水準に達していない。

 では、いかにしてその一面性を克服するか。観念が上に述べてきたような性格を持っている故に、すべての観念的営み、即ち認識は常に観念論におちいる危険をはらんでいると言える。したがってその克服のためには我々も常に観念論批判を続けなければならない。それはまず第一に、現実が観念に反映する時に切り捨てられる側面を自覚的に拾い上げていく作業、すなわち「観念批判」に他ならない。そして第二に、これがより重要なのだが、我々が生きていて、それを認識しようとする現実自体があらゆる類の矛盾や抑圧、差別や貧困構造などの歪みを含む総体なので、その与えられた現実から観念的操作だけをして合理的な観念体系、思想的営みを作り上げられると思うのは間違っている。観念批判のみで、既存の観念体系だけを対象として批判するのではだめで、既存の観念体系を生み出し支えている社会的現実に対して、その歪みの構造は何であるかを解明していく形で、批判的に切り込んでいく作業が必要なのである。これを「現実批判」とすると、これだけでは現実主義に落ちてしまう。大切なことは、この「観念批判」と「現実批判」の両者を一体した作業を通じて、闘うべき現実に対してどのように批判的に立ち向かうか、ということである。

 以上、図式的に述べてきたが、その闘うべき現実はそう簡単に整理して捉えられるものではなく、歴史的社会的に極めて複雑な形成過程を経て成り立っているものなので、例えばキリスト教という観念体系がここドイツでどのように影響を与えているかを見ようとするにも、いくつかの観念と現在の現実だけをみれば分かるなどというものでは絶対にない。そこには極めて高い歴史認識の方法に貫かれた「歴史意識」が必要である。したがって、「歴史意識」を根底とした「観念批判」と「現実批判」の往復、これが真に現実を認識してそこから変革の力を生み出す学問的認識であると考える。カール・マルクスが観念論的ブルジョワ経済学者に対して行った政治経済学批判や当時のドイツ社会民主党の綱領への批判などはそういう作業の一つと見ることが出来る。そして、ヘーゲルのいう「哲学的態度」即ち「概念の価値の吟味」とはこういう方向のことを指しているのではなかろうか。どれほど見事に人間の現実の一部分を観念の領域にすくい上げていったとしても、人間にはその一面だけしか表現できないという限りにおいてどうしても歪みの構造をはらんでしまう。そこで、この観念はどういう一面を切り取ってきたものなのか、その際どこが切りすてられたのか、全体の中で位置づけるとどうなるのか、といったことからはじまり、その歪みの構造は何であるかを解明していく、そういった作業が、そういった知のあり方が我々には求められているのではないだろうか。

 もうそろそろ一面的な観念を無自覚に前提して組み合わせるといった、少なくと200年前から現在まで続けられている(本当はもっと長いでしょう)知のあり方を超えなければならない。それでは、いつまでたっても我々の中から現実を革新して、本質的に歴史を動かしていく力は現れない。我々はヘーゲルのこの「概念の価値の吟味」とは何かを考え続けることによって、そういった力を養っていく場になる必要がある。今の日本の社会では残念ながら、以上のような知のあり方や歴史を変革していく力について、日常ゆっくり反省し語り合う場がほとんどない。これは一人一人自分で注意していれば事足りるといったようなことではなく、そこに行けば常にその問題が語られている、という場が必要なのである。そういう人々が集まることによって、遠くは歴史を革新していく力が生み出されるのであるから。

  2022年6月20日
   東谷 啓吾

近況報告、その1

2022年05月31日 | カ行
近況報告、その1。2022,05.29

 昨年の11月くらいからかな、ブログが書けなくなりました。この三年くらいの間、どうして病気や故障ばかりしているのだろうと考えました。七十歳の十年間に『関口ドイツ文法』と『小論理学』との、いずれも千五百頁を超える物を出したので、神様が「少し休め」と命じているのだと、ようやく気づきました。
 眼の悪化が少し落ち着いて来たようですので、悪名の高い長文のブログは避けて、かんたんな問題提起に絞って、忘れないうちに、日記を書くような気持ちで書くことにしようと思います。守れるかな?
 

 今やNHKの看板番組の一つとなった感じのある「ラジオ深夜便」の一つ(だと思います)に、月に一度「日本語についての問題」をその部署の人(たいてい男性)が出し、女性アナがそれに応じて話を進め、既定の結論に達するというものがあります。
 いつも「もっと up to date な問題を出せないものかな」と思いながら聞いています。

 先日の問題は、係の男性が「~から歩いてき『たら』~に出会った」という文の『たら』と、「廊下を進んで行く『と』~が見えた」という文の『と』とはどうちがうかということだったと思います。
 認知症の私の記憶ですから少しは間違っているでしょうが、趣旨は正確だと思います。
 さて、二人はこの問題に関して思いつく例文を出し合い、結局「どちらかでなければならないという原則はない」ということを確認して、「日本語はむずかしい」という結論を出して放送を終えたのでした。

 <私の疑念>
①言葉について考えたり議論したりする場合は、必ず用例を幾つか使ってしなければならず、作例で考えたり議論をしたりしてはならない、という事をNHKの職員は知らないのでしょうか。
②この人達はなんらかの外国語については「こういうあいまいさはない」と言える程の理解をもっているのでしょうか。
 
 次回の選挙では「NHKに~する会」という団体に投票することを考えてみます。

誰が関口存男(つぎお)を殺したのか

2022年04月03日 | サ行
誰が関口存男(つぎお)を殺したのか

 関口存男は一九五八年の七月に脳溢血で亡くなった。奥さんの死後、わずか六か月後の死だった。
 この奥さんは頭ではどう理解していたかわかりませんが、その全生活を通して、夫君が並々ならぬ大学者であり、日本の宝だと「感じていた」ことはまちがいないでしょう。だから「自分はどんな貧しさに耐えても夫のために尽くそう」と努力したようです。
 関口さんにももちろんこれは分かっていました。武士の子として黙っていただけです。
 妻の死に面して関口さんの落胆は覆うべくもなく、お見舞いに来た親友のヴィンクラーさんに Das war das Ende (一巻の終わりだ)と言ったようです。
 精神的苦しみのほかに食事その他の世話はどうしたのでしょうか。その時でももし金銭的余裕があったならば、ご子息の家族や雇の家政婦さんに頼ることもできたでしょう。実際はどうだったかは知りませんが、奥さんの死後六か月で死んだという事実がすべてを物語っています。

 関口さんは経済的に「相当苦しかった」のです。ヴィンクラーさんには「大学が冷たい」といったようなグチをこぼすような事もあったようですが、これは少しなさけないと言えるでしょう。そもそも戦前に大学と縁を切って出版社と一緒に独立してやってゆこうと決心したのではなかったのではないでしょうか。ドイツと仲の良かった戦前なら見通しもあったでしょう。しかし敗戦後の日本では事情が変わっていました。年々英語の価値が高まり、ドイツ語の需要は下がっていったのです。印税収入はドンドン少なくなっていったでしょう。
 しかしその時でも関口さんのお陰でドイツ語ができるようになった弟子たちには高校や大学に教員の口がありました。しかも一九五〇年に勃発して五三年まで続いた朝鮮戦争は日本経済に特需をもたらしました。それはその後も続いて確か一九五六年頃には「もはや戦後ではない」と言われる程の復興を遂げました。
 何を言いたいのかと言いますと、関口さんの弟子たちの収入は年々あがっていたはずだということです。そして、それにもかかわらず、NHKのラジオ講座をやりながらその畢生の大事業である「冠詞論全三巻」に取り組む恩師の姿を傍観するばかりで、「我々二十人で毎月給料の五パーセント出して支えないか?」と提案する程度の常識者が一人もいなかったということです。後は言いたくもありません。

 直弟子の一人である舛田啓三郎先生には私は都立大学時代は修士でも博士でも入試の面接試験でお会いしただけで、先生のゼミには一度も出ませんでしたが、法政大学の講師になってからは教員食堂でよくお会いしました。拙著『生活の中の哲学』を出して一部差し上げた時は葉書を下さいました。「フトンの中に持ち込んで読んでいます。これは私には珍しいことです」とありました。
 追悼文集『関口存男の生涯と業績』には「神のような人」という題で思い出を寄稿していました。
 私が「関口ドイツ語学の研究」を出して(一九七六年)お送りした時はよほどビックリもし、感激もされたようでした。上下関係にやかましい先生からお電話をいただいたのにはビックリしました。
 開口一番「これは直弟子が出すべき本だった」と切りだされたので、しばらく本の内容について話しましたが、最後に「牧野君、ありがとう」という言葉には本当に、心の底からの気持ちがこもっていました。
 舛田先生は一九三〇年生まれですから、一九五七~八年ころはまだ三〇歳にもなっておらず、前記の「直弟子の責任」を中心的に受け止めることもないと思いますし、あの本自身も内容的に大したものではありません。それに比して二〇一三年に三度の病とたたかって上梓した『関口ドイツ文法』はやはり舛田先生にお見せしたかったです。

 関口さんの仕事のやり方に戻りますと、弟子たちを集めた雑誌の編集においても、弟子の書いてきた原稿を全部自分で書き直すことも多かったと聞きます。
 それくらいなら「三年つまり三六回で全文法を一巡し、三年後にレベルアップした文法を出す」というような企画は思いつかなかったのでしょうか。その途中で「理解文法と表現文法」という枠組みに気づいてくだされば最高でした。
 関口さんは、ヘーゲルは『精神現象学』や歴史哲学は読みましたが、どうも『論理学』は大も小もお読みにならなかったようです。その結果新カント主義の悟性哲学に惑わされて「als ob の哲学」などという愚論をアチコチで披露し、「点は実在しない」などと言って悦に入っています。点は実体としては実在しませんが、機能として実在しています。
 これくらいで終わりにしましょう。

 皆さんのご意見をおまちしています。

立憲民主党の代表選、その2

2021年11月28日 | 読者へ
立憲民主党の代表戦(その2)

 まず前回書き残した事を一つ書きます。
 それは、私の聞き違いでなければ、逢坂さんが、党員に対して県知事選挙や市長選挙や町長選挙といったいわゆる「首長選挙」及びその下の議員選挙にドンドン出てゆくことを奨励する、という趣旨の発言をしていたことです。それはこの選挙運動及び当選後の活動で政治家としての力を伸ばすことができるからでしょう。
 私はこの考えに賛成です。逢坂さん自身北海道のニセコ町長を経験して、それがいかに有益だったかを知っているのでしょう。党員にそれをすすめるなら、その費用や万一落選した場合の保証はしっかり考えておくべきでしょうが。
 っつまり、私は「逢坂さんについて、党員教育にとっての機関紙の意義を知らない」と書きましたが、機関紙だけが党員教育の手段と見ていた限りで、私の批判は一一面の正しさしかなく、半分は不当な批判でした。この点でお詫びします。
 あえて補足するならば、党員は何らかの地域運動に加わって活動をしていることを前提し、その活動をしていない人はサポーターにとどめるべきだとおもいます。


 第二に取り上げたいことは、「新代表は共産党との関係で苦労するだろう」という枝野現代表の言葉です。これは26日付け

の朝日新聞の記事の中にありました。
 この問題、すなわち社会民主党系の政党といわゆる正当な共産党との関係はいかにあるべきか、という古くからの大問題につながります。
 理論的にはそうですが、、、実際的には日本だけの問題です。なぜなら、政権を握った共産党や労働党はどこでも独裁党に変質しまっているからです。
 この問題は好き嫌いの感情的な問題となることが多く、どちらの側もマルクス、エンゲルス及びレーニンにさかのぼっての議論はほとんどなく、「科学的」社会主義の「科学とはヘーゲルに由来する語なのに、それを研究して理解している人は皆無であるため、本当の話し合いになっていません。
 このはなしあいを可能にするためにも、まずしっかりした論争のできる機関紙を発行しなければならないでしょう。
 

立憲民主党の代表選挙

2021年11月23日 | 読者へ
   立憲民主党の代表選挙

 選挙で負けた立憲民主党で枝野代表の辞任によって空席となった代表の席をめぐって選挙戦が行われています。
 四氏が立候補しました。今日21日、それぞれの考えを聞く会がNHKで放映されました。
 その内容に入る前に、或る程度以上大きくなった組織でトップの後継者を決める方法には大きく分けて二つあるということを確認しておきましょう。すなわち去り行くトップが決めておく方法と前トップが去ってから残った人々が選挙などで決める方法です。どちらがよいかは一概には言えないと思います。ともかく、立民は後者を採ったということです。
 では私はこれら四氏の発言をどういう点で評価したかと言いますと、①立民の運動の全体をどの程度落ち着いてみているかであり、②全体の中の核心をどこにみているかであり、③
その核心の実現手段をどう具体的に構想しているか、の三点でした。
結論としては。逢坂氏が80~70点、小川氏が70~60点、他はそれ以下、です。
 逢坂さんは教育を核心と見ているようです。この教育を国民全体のそれ及び立民党員のそれと見ているなら一層よい。ただし具体策はまだ分かっていないようであり、政党における機関紙の決定的重要性にも言及していません。
 小川さんは今回の選挙では、党内での政策論争が弱かったので、それが国民に十分浸透しなかったという意見のようですが、彼にも機関紙の重要性は思いうかばなかったようです。

 誰がトップになるにせよ、35歳以下の党員を「青年部」に組織して、政党助成金を全額青年部に与えて、「立民週報」を発行させるとよいでしょう。私も投稿させてもらいます。

 お断り、その1
 注意してビデオで見たつもりですが、四氏の発言を誤解している部分がありましたらお許しください。

 お断り、その2
  11月22日の、昼にNHKラジオ第1放送で放送された「候補者討論会」をきいてもこの考えはかわりませんでした。 
 

「その後」の説明

2021年10月10日 | 読者へ
「その後」の説明

ブログ前号で私の意見は今までにない反響でした。ありがとうございます。
その後、私はその「暗唱主義」のための教科書にもなれば、独習の参考書ともなる小冊子の執筆にかかりました。これを「星の王子さま」の独訳を使って作っているのです。最初の三つの節だけにするつもりですが、そこだけでも文法的な問題が結構出てきて、英訳や仏原典を見る必要に迫られた箇所がいくつかあります。時にはこれまでの和訳も見てみました。そうしたら何となく疑問を感じた所があるだけでなく、明らかに「誤訳」と言わざるをえないものもあることに気づきましました。

 一番ひどいのは第2節で「僕」が「王子」の言葉で起こされて、「えっ?なんとおっしゃいました?」と聞いて、王子が再度「羊を描いてください」と言うのを聞いて、びっくりしてとびあがる場面です。

岩波少年文庫(内藤訳)は「なん度も眼をこすりました。あたりを見回しました」と訳していますが、この「あたり
 見回しました」が完全な誤訳なのです。
 同じ間違いを、いずれ文化勲章を受けることが確実と思われる池澤夏樹も集英社文庫の中で犯しています。これはとても意外でした。
 そもそも「見回す」という動作は音声を発した主体は誰か、あるいは何かが分かっていない時に、その主体を眼で探す時に使うものだと思います。「えっ、何とおっしゃいました?」と聞き返すのは発生主体を見て、意味ではなく言葉を確かめる問いですから、今は発生主体自身は眼で捉えているるのです。この状況が分かっていたら「見回す」という訳は出てこないでしょう。
仏原文は j' ai bien regardeですから bien の意味を詳しく考えないで素直に訳すなら「よくよく見た」(管啓次郎約訳、角川文庫)とか「しっかり見た」くらいが穏当でしょう。

 しかし、ここでは私は独訳の genau hingeschaut に感心しました。日本語にすれば「ジーと見た」です。説明はここでは省きます。これは多分関口文法の不定冠詞論のなかにしか書かれていないとおもいます。英文学者にも仏文学者にも関口文法の勉強をおすすめする所以です。
 またまた興奮して脱線がひどくなりました。
 要するに、私は「星から来た王子」を全部訳すことにしたのです。ということは、「許萬元のへーゲル研究」の出版はさらに先になった
ということです。すみません。

 しかし、この間に、最新のコピー機は2萬円前後で買えることを知って、購入しました。まだ「使いこなしている」とはいえませんが、近所の方々の応援を得てがんばっています。


 

暗誦主義のドイツ語教育

2021年09月07日 | 読者へ
   暗誦主義のドイツ語教育


 視力の方は相変わらずですが、少しずつ慣れてきました。10日に次の診察があります。
 さて、眼の問題で苦しんでいる間に、或るきっかけで、自分のドイツ語教育を反省することになりました。
 同時に、大学で 
のドイツ語教育がジリ貧状態にあるという現実を知って愕然としました。
 そこで急遽『暗誦と文法でドイツ語マスター』という自習書を作っています。
 その小冊子の「はしがき」に次のように書きましたので、それだけをお知らせしておきます。9月7日 牧野 紀之

 始めに
 先に『辞書で読むドイツ語』という入門書を出して、 書名が好かったからか、お陰様で売れ続けているようです。しかし、著者としては、「独文読解の練習用のテキストが少な過ぎた」と反省していました。しかし、そのための具体案も浮かばないまま時だけが過ぎていました。
 しかるにこのたび「二八の言語で『星の王子様』で言語学をやる」とかいう本の広告を見て、関口存男(つぎお)の「語学はとにかく慣れることだ」という言葉を思い出し、更に「慣れるには暗誦が一番」という説も思い出して、本書のような指導法に辿り着いたわけです。

 多くの初等文法の授業では、単純な文を提示して、それをニ三回音読して文法の説明をすると思います。これのどこが悪いかと言いますと、例文が死んだ文であり、生徒の身についていないことだと思います。逆に、今回の我々の方法ではいきなり「生きた文」を取り上げます。しかもその文を文意もわからない内にスラスラ言えるようになるまで、暗誦するのです。何か、子供が母語を覚える過程に似ていると思いませんか。多分、子供はこういう過程を無限回繰り返しながら間違っているところは自然に気付いて治しながら、母語を身につけるのでしょう。我が家の子も最初は「作る」という語を「くる」と言っていましたが、自然に「作る」になりました。
 大人が外国語を学ぶ過程は子供の母語習得と完全には同じではありませんが、根本は同じでしょう。つまり「生きた文を暗誦して身に着けた上で、それを頭で理解する」という順序」です。
 大学で教えていた頃にこれに気付いていたら、もっと良い授業ができたのに、と後悔することしきりです。一週に90分ヒトコマの授業であっても秋には独検3級の合格者をかなり出せると思います。と言うより「ドイツ語の勉強は面白い」という感想を多くの学生に持ってもらえるでしょう。(私の授業では、中間に15分程度の『休憩』があり、さまざまなことをします。また、頻繁に学生の意見を聞いて、それを元に『教科通信』を発行します)

 さて、本書につぃて少し説明します。分かりやすさと暗誦のしやすさを考えて、ひとまとまりの塊ごとに区切り、番号をふりました。
  必ずその独文の1(ヒト)塊をスラスラと諳(そら)んじれるまで練習してから、説明を読んでください。また第1節が終わってもすぐに第2節には進まないで、第1節全体をスラスラ暗誦できるまで復習してください。『星の王子さま』をドイツ語でスラスラ言えるなんて、スゴイではありませんか。

 又、ドイツ語文法の説明に英文法等を引き合いに出すのは私の特色ですが、文法というのは本質的に比較文法であり、従ってその方が分かりやすいし、いろいろな事が考えられて勉強になると思うからです。




手術は成功(?)

2021年08月26日 | 読者へ
手術は成功(?)
 
 8月13日に、予定通り右眼の手術を受けました。手術が始まってすぐに寝てしまいましたので、手術自体には何の感想もありません。
 後日の検査では順調に眼圧が下がっているので、「手術は成功」といわれました。しかし劇的な変化を期待していた私としては、「成功と言われてもなあ」という感じです。確かに遠くは前より「少し」よく見えるようになりましたので、メガネを付けない時間が多くなりましたが、近くのものや小さいものは見えなくなりました。新聞が読めないのが困ります。そう言ったら、医者は「百均で老眼鏡を買って使うといい」と教えてくれました。なるほど最も強い老眼鏡をかけて、対象から10センチくらいまで近づけると何とか読めることが分かりました。
 新聞はイチイチ拡大コピーを取って読むわけにはいきませんが、勉強の本などは拡大コピーを取って読んでいます。
 そういうわけで、現在は手術後の視力に合わせた生活を模索しているところです。
 これで今回の報告とさせていただきます。