おせっちゃんの今日2

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覚悟の磨き方・・・新聞広告で見つけた言葉

2024-04-25 17:12:09 | 言葉

今、パソコン教室から帰ってきました。久しぶりの上天気。暑い!!
洗濯物、カラリt乾いて、おせっちゃん上機嫌。
そんなわけで、今日は手抜きブログです。本の広告の中にあった言葉ですけれど、そのままご紹介します
私も考えます。読んでくださった方で、興味を覚えた方、考えてみてください。

時代のすべての異端児たちへ「覚悟の磨き方」「超訳 吉田松陰」という本の広告です
「覚悟の磨き方というタイトルの下に

「不安と生きるか。理想に死ぬか」とあります。

なお、出版社の言葉でしょうか、
「時代の常識をことごとく破り、幕末の英雄たちに大きな影響を与えた吉田松陰から学ぶ176の言葉、とあります。

176ある言葉の、ほんの五つの言葉ですが・・・

人類が誕生して以来、一つのことに本気で取り組んでいる人の姿を見て、心を動かさなかった人はいません。

結果はさまざまです。全力を出せたかどうか、それだけを振り返りましょう。正解なのはそれだけですから。

私は人を疑い続けてうまくやるよりも、人を信じ続けて、馬鹿を見る男になりたい。

お願いですから、本当にお願いですからたった一回負けたくらいで、止めないでください。

最もつまらないと思うのは、人との約束を破る人ではなく、自分との約束を破る人です。

上の文を書き写しながら、この吉田松陰という人は、あの吉田松陰を尊敬し、自らその人になりきって書いている人ではないかと思いました。本ものの松陰が・・・まさかですよね。でも、おせっちゃん、味わいのある言葉と思います。そのまま投稿します。

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沈黙する子供たち…折々のことば

2024-04-24 13:29:11 | 言葉

昨日のニュースで、赤ちゃんが生まれ出る場面を見ました。帝王切開での出産だそうです。生まれた赤ちゃんとママには「おめでとう!!」の声が似あうはずです。
違うのです。戦争の爆撃で、赤ちゃんを体内に生かしたまま、母親は亡くなっているのです。どうにか息のある赤ちゃんを助けるため、医師団は奮闘するのです。赤ちゃんには人工呼吸らしきものがhどこされ、どうにか命は助けられたようです。よかった!!と思える私は甘いのでしょうね。医師がぽつりと言いました。

「この子は生まれながらに、孤児だよ」と。

多分自分の命の最後を注いで、子供の命を守った母親だったのでしょうが・・・

テレビ画面は、爆撃は、向こうが先にやった、これは報復のものだ、こちらの権利だ、と主張する国を率いる首長。あなたは親ではないのですか。何の罪もない子供のこの状態が、正義にかなうものだと思うのですか。

ただただ、この子の行く末の少しでも幸せで、平穏なことを祈るだけしかできない自分を嘆きながら新聞の切り抜きから、こんな「折々のことば」を拾い出しました。

『これほど多くの沈黙する子供たちと動物が一つの場所にいるところを、私は見たことがありません』

ウクライナの西端にある、人形劇場の芸術総監督は、ロシアの侵攻下、劇場をシェルターとして開放した。彼女が最も恐ろしかったのは、最初の二日間の底知れぬ沈黙だったと言います。子供というものは、周りの様子などどこ吹く風、騒いでばかりいるはずなのに。と。

その子供も動物も、それほどに打ちのめされていたというのですね。
兎に角、指導者は話し合いで戦いに幕を引けませんか。根本的な休戦は、少し遅れてでもいい。とにかく子供たちに、思いっきり大声と笑い声が出せる環境を与えてからのことにしては!!

 

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母に必要な物は

2024-04-23 14:52:00 | 言葉

『望むサポートは、これだけ近づいてもなかなか見えないものだ』 井形慶子(作家)の言葉

井形さんの言葉を読むよりは、解説者・鷲田清一氏の解説文を呼んだ方が具体的によく分かるような気がしますので、勝手ですが、おせっちゃんが引用して載せます。

井形さんは、80代の両親の家じまいを手伝った。彼らの思いを尊重したが、長く離れて暮らしていたもので、戸惑うことが多かった。

『母に必要なのは、掃除や買い物の代行よりは、備品の取扱説明書を解読してもらう事だった。家の売却より大事なのは、昼に食べるうどんのことだった。
どう生きるかの選択などをついぞ人に委ねなかった』

そう実際、電気製品の使用法など、もう少しわかりやすく説明できないものか。電気釜一つで、お手上げですよね。AIだか何だか知らんけど、米をご飯に焚き上げるのに、あれほど煩雑な設定がいるだろうか。コンピューターを駆使しなくても、羽釜に水を入れて、掌を米の上に広げて。水の深さを測れば、絶妙な銀シャリ飯が炊き上がるのです~だ。薄っすらと狐色の御焦げ付きで。(おせっちゃんのたわごと)

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折々のことば・・漁師の言い伝え

2024-04-22 13:50:34 | 言葉

『毎年一年生』・漁師の言い伝え

岡山の漁師・富永邦彦さんの言葉。自然に振り回されてばかりの仕事です。でもゴールのなさが、逆に楽しい、と。
季節は巡るが、毎年違う顔を見せる。年上のものは年少の世代の話を、若い世代は、昔の話をきちんと聞く。自然の厳しさが、人々に相互の敬意を促す。

おせっちゃんは瀬戸内海を小高い山の中腹の家から見晴らして、その美しさも、あらしの夜の怖さも経験して育ちました。戦後の食糧難の時代は、泳ぎに行ってもアサリを掘って、食料を取ってくるのが子どもの役目でした。漁師を訪ねていけば、生簀からピチピチの魚を分けてもらえました。今のパパママのように、子供の相手を親がするという時代ではありませんでした。父が、おせっちゃん、らい太エビをとrに行くぞ~と連れて行ってくれました。父は肩に横長の熊手のような海の砂を浅く掻くいましたし、私と妹は、魚籠と網を持っていました。父が後ろ下がりで、熊手状の道具を引きます。砂の中に眠っていたクルマエビがぴょんと出てくるのです。それ、はやく!!網でエビをすくうのです。
時々会うと妹と、食糧難というけれど、私達取れたての海の幸を頂いていたのね。贅沢したのね、と言い合うのです。

岡山の富永さんのお言葉とは、関係のない話に飛びましたが、お許しください。

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日本伝統の生活用品・・・畳

2024-04-20 14:35:16 | テレビから

夫と二人、昼食を食べていました。テレビはNHK.「探検ファクトリー」という帯番組で、今日は日本伝統の畳製造工場を訪ねていました。
社長さんは、若い女性・5代目だということです。畳は日本で完成したものだそうです。

製造過程は、時代とともに、材料そのものも改良され、今は、機械に頼るところは頼り、こここそ人間の手でなければ仕上がらないという所に集中的に熟練者の手仕事を使い、仕上げるのだそうです。

いろいろ説明を聞きましたが、それはさておくとして、。

私が大学生の頃、イグサは岡山県の方でも栽培されていました。これがなかなかの重労働続きの大変な作業だと聞きました。どんな?大学の掲示板に、アルバイト情報というのが張り出されます。その頃学生はみんな有利なバイトを探していましたから。
7月、刈り取りの時期です。夏休みに入りますから、いいバイトと思うわけです。それがいかに過酷な作業か知らずに、宿と、賄と、賃金とがつくと知らない学生が申し込むわけです。それが生易しいものではない、2度と行かん!!経験者は語るなのでした。今日はイグサの話は出ませんでしたが。今はどんな作業なのでしょうか。

私の父は、一家の主人として、家族を取りまとめ、命令することはするのですが、自分で労働をするということはほとんどしない人でした。戦争中にボロボロになった畳の表替えをするという時、自分でやり始めたのです。今、幼い頃を思い出すと、庭の涼み台の上に古畳を横たえ、表(これがイグサ作品)を変えて、ふちを縫い付けるのです。何処で手に入れたのか、長い針に、凧の糸のような丈夫な糸を通し、厚さに突き立て通し、仕上げていくのです。私とらい太は、ただ目を丸くしてみていました。父が助手もつけず、頑張っている姿は、印象に残っています。父を尊敬の目で見た珍しい風景です。

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