アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

死刑制度と裁判員制度、その危険な関係

2024年04月20日 | 人権・民主主義
   

 日本では死刑囚に執行が通知されるのはその当日です。それでは不服申し立てもできず権利が侵害されて違法だとして、確定死刑囚2人が国に慰謝料などの損害賠償と当日通知の変更を求めた訴訟の判決が15日、大阪地裁でありました(写真左は死刑執行室)。

 横田典子裁判長(写真中)は、「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受する義務がある」として請求を退けました。違法性については判断しませんでした。きわめて不当な判決です。

 そもそも日本が死刑制度を続けていること自体、国際的に特異で異常です。アムネスティ・インターナショナルによると、2022年末時点で死刑を廃止している国が144カ国。先進国で存続させているのは日本と米国の一部の州だけです(16日付京都新聞=共同)。

 さらに、執行通知が当日というのは日本だけです。同じ死刑存置国のアメリカでは、十分な期間をとって通知されます(2022年10月11日付ブログ参照)。

 死刑制度を考えるうえで、もう1つ見過ごせないのは、裁判員制度との関係です。

 日本の裁判員制度は、最高刑が死刑か無期刑の刑事裁判に市民を参加させる制度です。その結果、市民裁判員も死刑判決に加わることになります。それは2つ問題があります。

 1つは、裁判員になった市民の精神的負担が大きいことです。

 今年初め、京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告に京都地裁が死刑判決を下しました(1月25日)。その裁判員の心境がこう報じられました。

「「裁判に関わったことのない人間がこんな結論を出してよいのかな」と思う瞬間があった。事実関係に争いがなかったことで判決内容に納得できた自分がいたが、「もし、被告が否認し、少しでもえん罪の可能性があったとしたら違った心情が押し寄せたかも」と吐露する」(2月25日付京都新聞)(写真右は同裁判の裁判員=記事とは無関係)

 もう1つの問題は、市民が死刑制度に取り込まれ制度存続に利用されることです。

 京アニ裁判の死刑判決について、ルポライターの鎌田慧氏はこう指摘しています。

「(裁判員は)市民を代表して死刑の評決に加わる。それもプロの裁判官と一緒だ。映画「十二人の怒れる男」のように、裁判員としての市民が熱弁を振るって、死刑拒否の判決を決定するなど、まずありえない。
 ということは、死刑制度に疑問をもたない世論を背景に、市民を死刑判決に動員して死刑維持の世論強化にする。生と死の決定。なんと重い責任を市民に負わせたのか」(藤原書店発行月刊誌「機」24年2月号)

 この危惧は裁判員制度発足(2009年)の時からありました。木村晋介弁護士はこう述べていました。

「裁判員制度は、裁判所が国民を絡め取る制度なのか、それとも国民が裁判所を変える制度なのか。その評価は、制度の改善もさることながら、負担に耐えて裁判員を経験した人々の経験の重さを、日本の社会がどれだけ尊いものとして受け止め、自分たちの中に生かしていくかにかかっている」(木村晋介監修『激論!「裁判員」問題』朝日新書2008年)

 それから15年。裁判員に対するかん口令もあり、その経験は生かされることなく、重罰化はいっそう進みました。世論調査では約8割が死刑制度に賛成し続けています。
 裁判員制度は、市民が裁判所を変える制度ではなく、国家権力が市民を死刑制度に絡め取る場になっているのです。

 死刑制度、裁判員制度ともに、廃止へ向けて抜本的に見直す必要があります。自民党政権が日米軍事同盟の下で戦争国家づくりを急いでいるいま、それは喫緊の課題です。

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アイヌの漁業権認めない不当判決とその根源

2024年04月19日 | 差別・人権・沖縄・在日・アイヌ
   

 アイヌ民族が生業としていたサケ漁はアイヌ民族の固有の権利だとして、北海道浦幌町のアイヌ民族団体(ラポロアイヌネイション)が国と道に対し漁業権があることなどの確認を求めた訴訟で、札幌地裁(中野琢郎裁判長)は18日、漁業権を認める法的根拠はないとして請求を退けました。日本政府がアイヌ民族の生業(経済権)を奪ってきた歴史を踏まえない不当な差別判決です。

 判決は、アイヌには固有の文化を享有する権利(文化享有権)があるとしながら、「(漁業権は)文化享有権の一環または固有の権利として認められない」としました。「文化」と「経済」を切り離し、前者のみを「固有の権利」とし後者を否定したのです。

 判決を前に、アイヌ文化伝承者の宇梶静江さん(91)は、こう語っていました。

土地を奪われて、生きるすべだったサケ漁や狩猟もどんどん禁止された。明治になってアイヌ民族の生活は枯渇していきました。それまで食べていたものも禁止。民族としての生き方を取り上げられたのです」(14日付朝日新聞デジタル、写真右。写真はすべて朝日新聞デジタルより)

 漁業権を「固有の権利」とみなさない判決がいかに不当で差別的かは明白です。

 重要なのは、今回の判決にはその根源となるものがあることです。それは日本政府(橋本龍太郎内閣)が提出し国会が全会一致で可決・成立した「アイヌ文化振興法」(「アイヌ文化の新興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」1997年7月1日施行)です。

 同法は、日本の法律で初めて「アイヌ」という民族名を使い、アイヌ文化の尊重を明記したもので、その点は画期的でした。しかしそれにも増して重大な問題点があります。

「日本政府はなぜ、文化に絞ったのでしょうか。世界のどこを見ても、文化のみの民族政策などありません。この法律は、文化という甘い言葉を使って、民族の権利の保障をするという重い問題をたくみに回避したものといえます。別の視点からいえば、アイヌ文化振興法には、アイヌの民族としての権利がまったく規定されていないのです。アイヌ民族の歴史認識の共有を前提にした、土地や資源の権利、政治的・社会的・経済的権利、教育の権利などは一切認められていません」(上村英明著『知っていますか?アイヌ民族一問一答』解放出版社2008年)

 今回の判決が「漁業権を認める法的根拠はない」としたのはこのことです。

 同法制定に先立つ1984年、北海道ウタリ協会は権利回復のための「アイヌ新法案」を作成していました。同案は、①基本的人権②参政権③教育・文化④農業・漁業・林業・商工業等⑤民族自立化基金⑥審議機関-の6項目で構成されていました。

 「アイヌ文化振興法」は、「「アイヌ新法案」の6項目と比較したとき、まがりなりにも実現したのは「文化」のみで、残り5・5項目は棚上げにされた」(上村英明氏、前掲書)のです。

 その後、日本政府も賛成して先住民族の権利宣言が国連で採択(2007年)され、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で可決(08年)され、アイヌ施策推進法が施行(19年)されました。

 しかし、「こうした(日本での)動きは文化や福祉、観光面に重点が置かれ、経済的な自立にもつながるような具体的な先住権については触れられてこなかった」(15日付朝日新聞デジタル)のです。

 今回の判決だけが問題でないことは明らかです。国会(全会一致)、政府、司法の3権、そして主権者である「国民」含くめ、日本は、先住民族であるアイヌを弾圧し入植支配してきた歴史を棚上げし、アイヌの政治的・経済的・社会的先住権を認めてこなかったし今も認めていないのです。すべての日本人がその責任を負わねばなりません。

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イランを挑発してガザ攻撃批判逸らすイスラエル

2024年04月18日 | 国家と戦争
   

 イランの報復攻撃(日本時間14日午前)を境に、イスラエルを見る世界の目が一変しました。加害者を批判する目から、被害者に同情する目へ。
 それを演出したのはイスラエル自身とアメリカをはじめとするG7諸国であり、加担したのが西側メディアです。

 G7 はまるで待ち構えていたように、14日早々にオンライン会議を開催。「イスラエルとその国民に対する全面的な連帯と支援を表明し、イスラエルの安全保障に対する我々の関与を再確認する」という声明を発表しました(15日付朝日新聞デジタル、写真中)。

 それを受けて16日、朝日新聞は「イランの攻撃 報復の連鎖 総力で断て」、毎日新聞は「イランの大規模攻撃 報復の連鎖断ち切る時だ」と題する社説を掲載しました。共同通信は「イスラエルがイランに反撃するかどうかが焦点」とする解説を配信しました(16日付京都新聞)。

 上川陽子外相は16日、イラン外相に電話で「強く非難する」とし「自制を強く求め」ました(17日付共同)。

 そもそも今回のイランのイスラエル攻撃の発端は、イスラエルによる在シリアのイラン大使館空爆(1日)という暴挙です。大使館を空爆されれば報復は必至です。イスラエルのイラン大使館攻撃はそれを見越した(それを誘発する)明白な挑発行為です。

 ところがこのイスラエルのイラン大使館空爆について上川外相は、「イスラエルは関与を認めておらず、事実関係を十分に把握することが困難で、確定的な評価は差し控えたい」(17日付朝日新聞デジタル)と述べイスラエルを擁護しました。二重基準(ダブルスタンダード)も甚だしいと言わねばなりません。

 中東調査会の高岡豊・協力研究員(中東地域研究)もこう指摘します。

「在外公館の安全は外交関係の基本なのに問題が軽んじられている。イランがイスラエル領を攻撃するのが悪いのなら、イスラエルがやってきたことはどう評価するのかという問いに答えなくてはならない」「問題化した起点が恣意的だ。日本を含むG7 諸国の対応は他国から二重基準とみられかねない」(17日付朝日新聞デジタル)

 イスラエルとアメリカはじめG7 各国の狙いは明白です。世界の目をガザから逸らせ、イスラエルによるガザ攻撃(ジェノサイド)への批判をかわすことです。

 慶応大大学院の田中浩一郎教授(西アジア地域研究)は、「イスラエルが在シリアのイラン大使館領事部という「飛び地」を攻撃し挑発したことで、イランが直接手を下すしか選択肢がない状況になっていた」とし、「報復の連鎖が起これば、パレスチナ自治区ガザでの戦闘から「国対国」の次元の違う戦争に発展する恐れがある」(16日付京都新聞=共同)とその狙いを指摘します。

 さらに田中氏はこう予測します。

「イスラエルが反撃しない可能性は低いが、米国からの圧力で自制に応じた場合には「対イランで妥協した」引き換えとしてガザの戦闘を激化させかねない」(同)

 それはまさに悪魔のシナリオと言わねばなりません。世界の目がイランに向けられている間にもイスラエルはガザを攻撃し続けており、犠牲者が続出しています(写真右)。

 「焦点」は「イスラエルがイランに反撃するかどうか」などではありません。イスラエルのガザ、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に対す攻撃・ジェノサイドを直ちにやめさせることです。それ以外に焦点はありません。

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日米比首脳会談で原発輸出を合意した岸田政権

2024年04月17日 | 原発・放射能と政治・社会
   

 米バイデン政権の意向で行われた初の日米比首脳会談(日本時間12日)で、メディアが注目していない重要な問題があります。日本がフィリピンへ原発を輸出することで合意したことです。

 日米比首脳会談の共同声明には、「フィリピンのインフラ整備で協力する」とあり、その中に「フィリピンの民生用原子力の能力構築を支援する」があります(12日付京都新聞夕刊=共同)。

 これだけでは何のことかよく分かりません。実は首脳同士の会談と並行して、斎藤健経産相、レモンド米商務長官、パスクアル・フィリピン貿易産業相の会談が同日ワシントンで行われました。そこでは次のことが合意されました。

「会談では、中国が影響力を強めるクリーンエネルギーでも協力が確認された。目玉は日米両国の大手企業が注力する次世代型原発の小型モジュール炉(SMR)。フィリピンへの導入に向けた調査や人材育成などを進める。
 原発輸出は中ロが先行し、核不拡散の側面で懸念が大きい。フィリピンにとっても、電力の安定供給は必須だが、対立する中国への電力依存は避けたい考えだ。日米にはSMR導入が、中ロの影響力の低下につながる」(12日付朝日新聞デジタル)

 日米両国の原発企業が力を入れる次世代型原発の小型モジュール炉(SMR)をフィリピンに輸出する。それは中ロに対する政治的対抗でもある、という合意です。

 日本(自民党政権)は東京電力福島原発「事故」に何の反省もなく、原発再稼働をすすめていますが、自国で原発を続けるだけでなく、アメリカと一緒になってフィリピンにも輸出するというわけです。

 岸田首相は米議会での演説(日本時間12日)で、「広島出身の私は、自身のキャリアを「核兵器のない世界」の実現という目標に捧げてきた」と述べましたが、それがいかに厚顔無恥なウソであるかはこの一事をとっても明らかです。

 さらに留意する必要があるのは、原発の輸出はフィリピンの人民・民主化運動への敵対でもあるということです。

 フィリピンはかつて、現在のマルコス大統領の父・マルコス大統領の独裁政治の下で、米ウエスチングハウス社製のバターン原発の建設が強行されました(1976年着工)。これに対し、原発に反対する各界各層の市民によって「非核フィリピン連合」が結成され(81年)、「非核バターン運動」が展開されました。

「マルコスの軍事独裁政権に立ち向かった人々にとって、バターン原発はマルコスの悪行と不正を象徴するモンスターだった」(ノーニュークス・アジアフォーラム編著『原発をとめるアジアの人びと』創史社2015年、上記の経過も同書より)のです。

 原発の輸出は、核の拡散だけでなく、現地の市民運動に敵対し、「モンスター」を再来させるものです。日本の市民として絶対に容認することはできません。

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自衛隊の「大東亜戦争」記述と「尊皇攘夷」思想

2024年04月16日 | 自衛隊・日米安保
   

 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が5日公式SNSに「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と投稿したことが8日朝の報道で発覚して問題になったことから、自衛隊は同日午後、この記述を削除しました(写真左は削除前、中は削除後)。

「大東亜戦争」の記述はなぜ問題なのか。それを最も的確に報じたのは、(私が見た限り)韓国のハンギョレ新聞でした。

大東亜戦争という用語は、太平洋戦争のA級戦犯である東条英機内閣時代の1941年、公式な表現として閣議決定された。この表現は、日本の主張した「欧米の帝国主義からアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を築いてアジアの自立を目指す」とする「大東亜共栄圏構想」から来たものだ。敗戦後、日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)は、公文書などでもこの用語の使用を禁止した」(9日付ハンギョレ新聞デジタル日本語版)

 「大東亜」という用語が公式文書に登場したのは、東条内閣の閣議決定よりさらに1年前の第2次近衛文麿内閣にさかのぼります。

「1940年7月に成立した第二次近衛内閣は、同盟国ドイツのヨーロッパ戦線での快進撃という新情勢の展開に促され、組閣直後に「基本国策要綱」を閣議決定した。そこでは「大東亜新秩序の建設」が打ち出され、新たな中国支配構想を提唱した」(纐纈厚著『侵略戦争』ちくま新書1999年)

 「大東亜(戦争・共栄圏・新秩序)」が、帝国日本のアジア侵略・植民地支配を象徴する言葉であったことは明白です。

 さらに留意すべきは、「大東亜共栄圏」思想は天皇崇拝と密接な関係にあることです。

「大東亜戦争の目的は、アジア人が共存共栄する「大東亜共栄圏」の建設だとされました。ここに至っても、尊皇攘夷の思想が焼き直されているわけです。現実はもちろん違います。世界大恐慌のあと…東アジアだけでは資源が足りない。とくに石油がありません。そこで「東亜」を「大東亜」に拡大し、東南アジアや南アジアまでを占領し、ブロック経済をつくらなければならないと考えた。これが「大東亜共栄圏」の現実でしょう」(片山杜秀・慶応大教授、島薗進・東京大名誉教授との対談集『近代天皇論』集英社新書2017年)

 「大東亜共栄圏」思想は、幕末から明治維新にかけて天皇制政府を樹立・強化するための思想だった「尊皇攘夷」の焼き直しだという指摘です。
 さらにそれは、現在の自民党政権と無関係ではありません。

 前掲書で片山氏と対談した島薗進氏は、安倍晋三首相(当時)が2016年のG7サミットで各国首脳を伊勢神宮に参拝させた(写真右)ことについてこう指摘しています。

尊皇攘夷で育まれ、日露戦争勝利で膨張した対外優越意識が、伊勢志摩でよみがえってしまったところがありますね。戦前に回帰するように、現在の政権もなんとかして伊勢神宮に国家的な地位を与えようとしているわけです」(前掲、片山氏・島薗氏対談集)

 自衛隊は最近、陸自隊員や海自隊員の参拝、元将官の初の宮司就任など、靖国神社との接近を強めています(3月19日のブログ参照)。そして今度は「大東亜戦争」。
 それらは無関係なようで根は1つです。根底にあるのは「尊皇攘夷」思想―天皇崇拝と対外優越意識・アジア人民蔑視であり、行き着く先は侵略戦争・植民地支配肯定です。

 こうした自衛隊の体質が、「軍拡(安保)3文書」による日米安保条約(軍事同盟)のかつてない深化の中で表面化してきているところに、現在の情勢の危険性が端的に表れています。

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