遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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イスタンブールへ飛んでゆこう 9

2024-04-22 01:29:14 | 旅行
ああ、一か月に一本ずつしかイスタンブールの旅行記が挙げられないとはなあ。
すみませんすみません。いや、自分の記憶と記録の為だけなら「これでいいのだ」とバカボンのパパ的発言をするが、それでもこんな辺境の、アジアの片隅でちまちま挙げるブログを楽しみにして下さる方もおいでらしいので、やっぱり謝っておこう。そう、わたしは挨拶一本で世渡りする女…

というわけで前回はドルマバフチェ宮殿の巨大で豪華なのに圧倒された話でしたが、今回はそこから脱出した後のことです。

わたしはイスタンブールに行くのなら
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)寺院
・ボスポラス海峡クルージング
・サバサンド
この三つは絶対にと思っていたのだが、いずれもこの日までに味わうことがかなった。
ガラタ橋に出ているサバサンドの店へ案内してもらったのだ。


美味しいわ

気の毒に二人ばかりがサバに当たりやすいそうでハンバーガーにされたが、わたしはほんまにラッキーですわ。
いやー美味しかった。
そもそもサバサンドなるものを知ったのは青池保子「エロイカより愛をこめて」からなのよね。
どけちのジェイムズ君が珍しく自腹切っておいしそうにサバサンド食べてるのを見てそそられたのだよなあ。
わたしはマンガに出てくるのを見て食べたくなる人なのよ。あんばたパンやアルフォートが好きになったのは「塀の中」から。
フランスパンに焼き鯖と玉ねぎとレタスにレモンとをいうのが定番なんだが、ここで食べたというのがやっぱり嬉しいね。90tlでしたわ。
今現在どないしょうもない円安やけど、まあ500円以下でこんな美味しいものを食べれるわけですよ。
トルコは美味しい食べ物が総じて安かった。ありがたい。

さて13時半いよいよボスポラス海峡クルージング。これも似たような値段のに乗れた。100tl
この海峡クルージングも「エロイカより愛をこめて」で知ったのね。
「第七の封印」ラストで少佐が「こぐまのミーシャ」を狙ってバズーカ砲を撃つのがこのボスポラス海峡なんだけど、砲撃は成功したもののミーシャは既に離脱してソ連へ帰還。
少佐はその直前の大けがで数ヶ月入院とリハビリを余儀なくされるし、必死で守ったブラックボックスもそれ自体が壊れる設計を為されていたというオチもあり、ミーシャはソ連で叙勲されるがあのブラックボックスはやがてソ連で大混乱を招くだろうという恐ろしい予想もあるという話。
今調べたら1984年から85年の連載だった。うわーとんでもねえな。リアタイで読んでいた時はこちらもまだ学生で社会人ではないしコンピューターのことも全くわかっていなかったのよな。
途中から授業でCobolとBasicを始めたが、それでもブラックボックスの本当の怖さをわかっていなかった。
それどころかこの84-85年の時点ではソ連崩壊は全く見えなかった。レーガン大統領とチェルネンコ書記長の時代かー。
因みにサバサンドは2002-04年の「ビザンチン迷路」でだったかな。
わたしも中学生の頃からだからファン歴は長いぞー


暑いのでカバーの下に隠れる。いろんな国からの観光客で船はごった返し。
最初は二階の甲板にいたが途中で降りて船の先端に近いところに移る。
いやー気持ちええわ。








かもめが飛んできた。
北海道へ羊蹄丸で行った時もかもめが来たな。あの時も舳にいた。はっはっはっ


両岸の建物を眺めるのも一興。
旧市街地と新市街地とを隔てる海峡。リゾート地と一般の地と。


モスクもよく見える。








これはドルマバフチェ宮殿ですな。
全景は海からしか見えんそうな。


新しいビルも見える。





ああかもめたちよ。




ちょっとばかり「白鯨」や「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」を思い出した。


ヨーロッパとアジアよ。











実に気持ちいい。爽快。



橋が見えてきた。






間もなくターン。




巨大な旗が見える。
チョットばかり昔の朝日放送を思い出したよ…







昔の砲台だか見張りの砦だか。




かっこいいねえ。

さあ戻れ戻れ








ああ楽しかった。

下船後はエジプシャン・バザールへ。
こちらの方がわたしはまだ買えるものがあったな。大量のキャンデーやいちじくの半生を買い、真空パックにしてもらった。味見した半生タイプのフルーツはいずれも美味しかったね。

バザールの中に面白い建物があった。



いい階段。1664年に完成した市場。
キャンデーを売ってたのは坊や。夏休みにはお店の仕事を手伝う子供が多いのもトルコの特徴らしい。

暑かったので出口のストアで飲み物など購入。これも安い。
この日もまたお惣菜のお店で購入したおかずと桃とわたし以外は皆ビールで酒盛りの女山賊の宴でありました。

イスタンブールへ飛んでゆこう 8

2024-03-17 17:15:45 | 旅行
朝になりましてやっぱりおいしく上の階で朝食をばいただきました。
天井を見上げる。


バスから見えるもの






ああ海が見える。


古い石畳の町なので歩くだけでも楽しい。
素敵な柵がある。

ビルの隙間にもいい町が広がる。


石畳に猫の足

今日はドルマバフチェ宮殿へ。

これは時計塔

1856年完成。西洋風の建物と庭園。1922年までオスマン帝国の宮殿だった。
近代のトルコ共和国もここを引き続き使った。
初代大統領アタチュルクがここの住人となったのだ。



広い。とても広い。





可愛い花壇がある。

池に映る建物







これだけでも素晴らしいなあ。


中へ入ると撮影は禁止です。



内部についてはこちらへ

あまりに巨大すぎて自分がどこを歩いたのかわからなくなった。
素晴らしい内装。宮殿の全長は600mだそうで、全部を歩くわけではないにしろあまりに大きすぎて方向音痴のわたしはどこをどう歩いたか一切脳内再現できない。
シャンデリアも素晴らしかった。説明によるとフランス製かイギリス製なのだが、これまたあまりに豪壮過ぎて目がチカチカした。大理石の素晴らしさにおいては況んや(いわんをや)。
古語が出るほどびっくりしてるわけですわな。

実際これまで見てきたトプカプ宮殿などよりずーーーっと警備が厳しく、やっぱり迎賓館なんだなあ。
ただ、この暑いのに冷房装置はないのか作動していないのか知らないが、本当に暑かったので、冬も寒いかもしれない。

出て中庭を往く。
外観は撮影可能なのでパチパチ。





いい具合の文様。

ああ猫がいる。






中庭の林は少しばかりアジア風






百合が咲いている。






ショップには宮殿を描いたマークが。


宮殿側から海を見る。




この宮殿はボスポラス海峡からなら全景(といっても全貌ではなく片側だが)みることが出来るそうな。

イスタンブールへ飛んでゆこう その7

2024-02-14 18:01:38 | 旅行
随分と間が開いたが、まだ記憶を保持しているのでなんとか書けますわ。


乗れなかったのが惜しい。


今回は地下宮殿へ参りました。
階段を下りると広がる別世界。
さすがにちょっとは涼しくて外の猛暑とは違うけど、まあ人が多すぎて案外気温も高かったかな。

地域の水不足解消のためにユスティアヌス皇帝が拵えた地下貯水池だそう。
どこにあるねんと思うくらい地上ではわからんのですが、地下には138Mx65Mの空間に336本の大理石柱が並ぶ。
柱によっては「しもた、長さが足りん」というのもあって、それらにはメデューサ像が根元に使われているそうな。
そんなん目が合うたらこっちが石になるやん、と思うものの空間は基本的に明るくないのでまあ大丈夫です。

ライトアップしてて、その光が変化するのも楽しい。








これが孔雀の羽文様の柱









暗いのもけっこう面白味があるが、なにしろ観光客が多い。

水の所にはクラゲのオブジェなどもある。







これだけ見たらちょっと土生姜にも似ている。



通路を歩くだけとはいえけっこう楽しかった。


秦の始皇帝の地下宮殿は水銀の運河などをはり巡らしているので発掘はムリらしいけど、トルコのこんな地下宮殿はいいよね。ちなみに始皇帝の地下宮殿は横山光輝「項羽と劉邦」に少しばかり描かれている。
阿房宮を項羽が燃やして3か月以上かかってもまだ完全な焼失に至らなかったという話もあるが、そんなん拵えた奴が地下宮殿に手を抜くことは考えられんし…怖いな、規模も設備も。
ついでに言うと今新説があって、阿房宮でなく咸陽宮を放火したという話もあるそうな。

地上へ上がりランチへ向かう。
トルコ風ピザ「ピデ」なるものをば注文いたしましたわ。
ホウレンソウが使われてたりでいろいろ工夫もあってとても美味しい。

三種類ほど取ってシェアした。

どれもこれもおいしい。
サラダにはバルサミコ酢が使ってたけど、これはわたしの好みではないので仕方ない。
よく「世界三大美味」というけれど、そういう大上段に構えずとも、シンプルに美味しいトルコ料理ですわ。
われわれは毎晩夕食を女子会メンバーでホテルの近所の惣菜屋さんなどで購入するのだけど、そのどれもが美味しかったしね。ホテルの朝食も毎日よかったなあ。

テーブルはミシンを転用していた。

こういうのも好きなポイントだね。
この店の奥にはランプがたくさん釣られていた。
どうしても画像が横向きになるけど、こんな感じです。

ホテルでもあるそう。
KybeeHotelRestという名前。
こちらはチャイ。ラーレと言う花の形らしい。 

レストランの向かいの壁面には陶片が埋め込まれて、なかなか綺麗なモザイクになっていた。
ビザンチンの昔からトルコは美意識が高い。

ここから商店街にあるとある一軒の織物屋へ。
よくある旅行客をつれてゆくパターンの店ではなくて、これはわれらのツアーの首魁たる「先生」のリクエストでございましてね。
(先生ご乱心なんてことは口が裂けても言えません←書いてるがな)

わたしはわたしでユーロをトルコリラに交換しに行った。
正直な話、ユーロは使えるというけど、それはデパートとか空港とかホテルとかの話で、街なかではムリ。
わたしが最初につかったユーロは美術館パスポートの為にだったけど、これ以外はこのツアーでは本当に使わなかった。次に使ったのは空港の土産物屋で、だけ。
だから今からイスタンブールに行く人で街なかを自分らで歩く人はトルコリラでいいですよ。
わたしらのガイドのエムラさんという男性は本当に親切でよくしてくれたけど、この辺りのことをもっとはっきり言った方がいいと思ったので、後に伝えた。

さてグランドバザールへ。
グラン・バザールというと
♪グランバザールグランバザールああ~ 
というCMソングが蘇ります。なんやというとパルコらしいね。
こちらがどうやらその本家本物
30700㎡に4000軒の店舗。





歴史のある建物なのですよ。

放し飼いになるわれわれ。
しかし非常に困ったのはわたくし個人。
なんでやというと、基本的に土産物を買う習慣がないのよ。
これには理由があるのだけど、ここでは挙げない。
食べ物以外は買わないことにしている。

グランバザールはけっこう同じ種類の店が多くて、ちょっと飽きるのが早かった。
しかしお仲間の皆さんは吟味されてるから「一抜けた」というわけにはいかない。
とりあえずここでは目を養おうと思った。

最後に行った店でゾウさん三連の魔除けを購入。少しばかり七宝が使われていて、あの魔除けの目玉がついてもいる。ゾウさん好きなので嬉しい。125tl。
飲み物も購入して皆さんと合流。

みかけた建物たち










水道橋もあった。これは車窓からで後日観に行った。








ホテルへ戻りました。



コンヤの舞の絵

今夜も山賊女子会の開催で楽しく食べて飲んで大いに満足しました。

イスタンブールへ飛んでゆこう その6

2023-12-10 00:19:00 | 旅行
またまた長らく間が空きましたが、それでもエピソード記憶と言うものはありがたいことにけっこう埋もれた記憶を呼び起こしてくれるものですね。
というわけで、8/22の続き。
1891年開館の考古博物館へ。

完全なる「洋風建築」で、これは調べたところ「ネオ・グレック様式」とのことで、この辺りの知識がちょっと欠けてるのでまたいずれ。
設計は現地のアレクサンドル・ヴァロリ。開館は1891年ながら門には1869の数字がみえる。これは設立を決定した年ということ。









いざ。

獅子もいました。








こっちは墓碑などを集めててカフェもあるという休憩コーナー



素晴らしきレリーフの数々












これは何やらアヤシイなと。


解説プレートはこちら

別れのシーンなのですね。



正直な話どの物語・故事を典拠としているのか知らんものが多いが、それはそれで楽しい。
つまり、こちらで勝手に妄想を逞しく出来るからね。で、よっぽど気になるなら調べるし。


鼻が壊されずきちんとした形で残る彫像と言うものもわたしはあまり見ていないので、どきりとした。






これはたぶんサッフォーだな。

希臘のお皿も。

男のスフィンクスが乗る。

建物の壁面上部に飾られていた。




当時の想像図

ボクシングの最初期のようなのがあるね。

階段もいい。




ギリシャ・ローマと言うがやはり希臘の彫刻の方がやや官能みが強いな。







明器というわけか。

天井を見上げる。


階段も場所により様相が変わる。




これは彩色がよく残っているのか。




希臘の壺


古代装身具






さていよいよアレクサンドロス、アレキサンダー、イスカンダル大王の棺を見に行こう。
他にも個性的な装飾の石棺がいくつかある。

白亜に彩色が少しばかり残る。








獅子の嘆きか。

わたしのアイコンの獅子と似てるな。わたしのはマカオで写したものだと思う。


大王の生涯は戦場にあったからなあ。
マンガでは赤石路代「アレクサンダー大王  天上の王国」、安彦良和「アレクサンドロス 世界帝国への夢」がある。前者は特にロマンティックで大王を愛する側近による視点での物語。後者はやはり歴史上の大王に近づけている。どちらもときめきますわ。

こちらは哀悼する女たちの石棺



パターンは同じか。





このスフィンクスは女性型


他にも屋根型蓋だけ残るものも。



・・・もしかして、これはこれで完全形なのか。





階段をゆく。


彫刻、本当に凄かった。




この博物館はやはり古いものなので朝一に行ったイスラム美術博物館とは違い、お手洗いが古いスタイルだった。

外へ出るとやはり猫がいた。
例のカフェのところ。




日は将に燦燦SUNSUNと照り散らかすのだが、木陰はたいへん涼しい。
そやないと皆倒れるわな。




なにやら…




次は地下宮殿へ向かいます。

続く。

イスタンブールへ飛んでゆこう その5

2023-11-13 00:34:53 | 旅行
ようやく8/22になりました。
実に今から三か月近い前ですが、ノートと写真とで記憶が蘇るし、その時の感覚もそのまま再現される。
都合の良い脳みそです。

この日も朝食はホテル最上階のテラスフロアー。

スイカはあるし野菜をどうにかしたのもおいしいし、お菓子もある。
いいよねえ。

ホテルのロビーの床とか






猫もいる。


きれいな窓


天井


飾ってある絵


この日もガイドのエムラさんとバスのお出迎え。
ありがとうございます。

まずはトルコイスラム美術博物館。ここがまた素敵なところで。場所はブルーモスクの近所。

9時少し過ぎについたからかお客も少なく、従業員さんものんびり、猫も中庭やカフェテラスの前などをのしのし。
トルコは本当に猫に寛容。いい国、いい国民性よなあ。我が国もかくあらねばならん。

入口の獅子像。なんか吐いてるようにも。



建物全体がわりと新しい感じで、普通に入館したら2000円超すらしいが、初日に集金した分でパスポートがあるようなので、何も考えずに入る。
入り口近くには近代的なトルコの叔父さんの写真パネルが並ぶ。

申し訳ないが人の区別がつかない。
ところでここは本当は16世紀の建物をリノベしたものらしいが、いい具合に新旧が混ざり合って、たいへん居心地がよろしい。

所蔵品を見るだけで解説は読めないのだが、これはもうある程度以上の勉強をしていたら大体の予想がつくので、脳のあちこちに点在するイスラーム美術のあれこれを呼び出して眺めて回る。
受験勉強もほっぽってこういうことばかりしてたから、それくらいの楽しみ方は出来るよ。←これ+学校の勉強もできる人も多いぞ。←うるさいわ。










こういうのを見ると文明の伝播と言うのを実感するなあ。

ラスター彩のいいのもいっぱいありましたわ。


日本では加藤卓男がラスター彩の再現に人生をかけたのでした。


こちらは本家のもの






扉一面には星だろうか、幾何学的だが。


写本の美。








挿絵など




ブラシなどもあるが装飾が見事。

密陀かな。






やっぱり小物は可愛いのがいいな。






陶片も色々と。






ここはオスマン帝国以前のセルジュクトルコ帝国の時の絨毯が多く所蔵されているそうな。
アナトリアの絨毯。


完全な形でなくとも素晴らしい。


このあたりのことは御影の白鶴美術館の新館・絨毯美術館のおかげで学んだよ。
ついでに申しますと昭和に世界史を学んだので、セルジュークでなくセルジュク、シュトレンでなくシュトーレン、ベイティでなくビーティ、クラーナハでなくクラナッハなのがわたしの語彙です。

いい空間。


コーランの台とか本当にきれい。

細密画も。


ぼんやりしてしまったが、この装飾品も綺麗でした。


生活に使うものもこうして装うのは本当にいい。


綺麗なものはどこの国のでも綺麗。






ここで一旦中庭に出た。

お手洗いはこの階下にある。清潔でした。それで清掃員の女性陣がそこのカフェで楽しそうにしてた。
そこで働く人が休憩中に楽しそうなのは、たいへん素晴らしいと思う。



再び中へ。
ところどころにこうした素敵なイラストがある。


影絵があった。あーそうなんや、トルコにもあるのか。これはタイプ的にはインドネシアとかそっち系のか。




虎が結構こわいな




最後に凄い裾長の装束




朝からよいものをよいところで観ました。


くつろぐ猫たち




次へ向かう。
路面電車の軌道がみえる

続く