ああ、一か月に一本ずつしかイスタンブールの旅行記が挙げられないとはなあ。
すみませんすみません。いや、自分の記憶と記録の為だけなら「これでいいのだ」とバカボンのパパ的発言をするが、それでもこんな辺境の、アジアの片隅でちまちま挙げるブログを楽しみにして下さる方もおいでらしいので、やっぱり謝っておこう。そう、わたしは挨拶一本で世渡りする女…
というわけで前回はドルマバフチェ宮殿の巨大で豪華なのに圧倒された話でしたが、今回はそこから脱出した後のことです。
わたしはイスタンブールに行くのなら
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)寺院
・ボスポラス海峡クルージング
・サバサンド
この三つは絶対にと思っていたのだが、いずれもこの日までに味わうことがかなった。
ガラタ橋に出ているサバサンドの店へ案内してもらったのだ。
美味しいわ
気の毒に二人ばかりがサバに当たりやすいそうでハンバーガーにされたが、わたしはほんまにラッキーですわ。
いやー美味しかった。
そもそもサバサンドなるものを知ったのは青池保子「エロイカより愛をこめて」からなのよね。
どけちのジェイムズ君が珍しく自腹切っておいしそうにサバサンド食べてるのを見てそそられたのだよなあ。
わたしはマンガに出てくるのを見て食べたくなる人なのよ。あんばたパンやアルフォートが好きになったのは「塀の中」から。
フランスパンに焼き鯖と玉ねぎとレタスにレモンとをいうのが定番なんだが、ここで食べたというのがやっぱり嬉しいね。90tlでしたわ。
今現在どないしょうもない円安やけど、まあ500円以下でこんな美味しいものを食べれるわけですよ。
トルコは美味しい食べ物が総じて安かった。ありがたい。
さて13時半いよいよボスポラス海峡クルージング。これも似たような値段のに乗れた。100tl
この海峡クルージングも「エロイカより愛をこめて」で知ったのね。
「第七の封印」ラストで少佐が「こぐまのミーシャ」を狙ってバズーカ砲を撃つのがこのボスポラス海峡なんだけど、砲撃は成功したもののミーシャは既に離脱してソ連へ帰還。
少佐はその直前の大けがで数ヶ月入院とリハビリを余儀なくされるし、必死で守ったブラックボックスもそれ自体が壊れる設計を為されていたというオチもあり、ミーシャはソ連で叙勲されるがあのブラックボックスはやがてソ連で大混乱を招くだろうという恐ろしい予想もあるという話。
今調べたら1984年から85年の連載だった。うわーとんでもねえな。リアタイで読んでいた時はこちらもまだ学生で社会人ではないしコンピューターのことも全くわかっていなかったのよな。
途中から授業でCobolとBasicを始めたが、それでもブラックボックスの本当の怖さをわかっていなかった。
それどころかこの84-85年の時点ではソ連崩壊は全く見えなかった。レーガン大統領とチェルネンコ書記長の時代かー。
因みにサバサンドは2002-04年の「ビザンチン迷路」でだったかな。
わたしも中学生の頃からだからファン歴は長いぞー
暑いのでカバーの下に隠れる。いろんな国からの観光客で船はごった返し。
最初は二階の甲板にいたが途中で降りて船の先端に近いところに移る。
いやー気持ちええわ。
かもめが飛んできた。
北海道へ羊蹄丸で行った時もかもめが来たな。あの時も舳にいた。はっはっはっ
両岸の建物を眺めるのも一興。
旧市街地と新市街地とを隔てる海峡。リゾート地と一般の地と。
モスクもよく見える。
これはドルマバフチェ宮殿ですな。
全景は海からしか見えんそうな。
新しいビルも見える。
ああかもめたちよ。
ちょっとばかり「白鯨」や「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」を思い出した。
ヨーロッパとアジアよ。
実に気持ちいい。爽快。
橋が見えてきた。
間もなくターン。
巨大な旗が見える。
チョットばかり昔の朝日放送を思い出したよ…
昔の砲台だか見張りの砦だか。
かっこいいねえ。
さあ戻れ戻れ
ああ楽しかった。
下船後はエジプシャン・バザールへ。
こちらの方がわたしはまだ買えるものがあったな。大量のキャンデーやいちじくの半生を買い、真空パックにしてもらった。味見した半生タイプのフルーツはいずれも美味しかったね。
バザールの中に面白い建物があった。
いい階段。1664年に完成した市場。
キャンデーを売ってたのは坊や。夏休みにはお店の仕事を手伝う子供が多いのもトルコの特徴らしい。
暑かったので出口のストアで飲み物など購入。これも安い。
この日もまたお惣菜のお店で購入したおかずと桃とわたし以外は皆ビールで酒盛りの女山賊の宴でありました。
すみませんすみません。いや、自分の記憶と記録の為だけなら「これでいいのだ」とバカボンのパパ的発言をするが、それでもこんな辺境の、アジアの片隅でちまちま挙げるブログを楽しみにして下さる方もおいでらしいので、やっぱり謝っておこう。そう、わたしは挨拶一本で世渡りする女…
というわけで前回はドルマバフチェ宮殿の巨大で豪華なのに圧倒された話でしたが、今回はそこから脱出した後のことです。
わたしはイスタンブールに行くのなら
・アヤソフィア(ハギア・ソフィア)寺院
・ボスポラス海峡クルージング
・サバサンド
この三つは絶対にと思っていたのだが、いずれもこの日までに味わうことがかなった。
ガラタ橋に出ているサバサンドの店へ案内してもらったのだ。
美味しいわ
気の毒に二人ばかりがサバに当たりやすいそうでハンバーガーにされたが、わたしはほんまにラッキーですわ。
いやー美味しかった。
そもそもサバサンドなるものを知ったのは青池保子「エロイカより愛をこめて」からなのよね。
どけちのジェイムズ君が珍しく自腹切っておいしそうにサバサンド食べてるのを見てそそられたのだよなあ。
わたしはマンガに出てくるのを見て食べたくなる人なのよ。あんばたパンやアルフォートが好きになったのは「塀の中」から。
フランスパンに焼き鯖と玉ねぎとレタスにレモンとをいうのが定番なんだが、ここで食べたというのがやっぱり嬉しいね。90tlでしたわ。
今現在どないしょうもない円安やけど、まあ500円以下でこんな美味しいものを食べれるわけですよ。
トルコは美味しい食べ物が総じて安かった。ありがたい。
さて13時半いよいよボスポラス海峡クルージング。これも似たような値段のに乗れた。100tl
この海峡クルージングも「エロイカより愛をこめて」で知ったのね。
「第七の封印」ラストで少佐が「こぐまのミーシャ」を狙ってバズーカ砲を撃つのがこのボスポラス海峡なんだけど、砲撃は成功したもののミーシャは既に離脱してソ連へ帰還。
少佐はその直前の大けがで数ヶ月入院とリハビリを余儀なくされるし、必死で守ったブラックボックスもそれ自体が壊れる設計を為されていたというオチもあり、ミーシャはソ連で叙勲されるがあのブラックボックスはやがてソ連で大混乱を招くだろうという恐ろしい予想もあるという話。
今調べたら1984年から85年の連載だった。うわーとんでもねえな。リアタイで読んでいた時はこちらもまだ学生で社会人ではないしコンピューターのことも全くわかっていなかったのよな。
途中から授業でCobolとBasicを始めたが、それでもブラックボックスの本当の怖さをわかっていなかった。
それどころかこの84-85年の時点ではソ連崩壊は全く見えなかった。レーガン大統領とチェルネンコ書記長の時代かー。
因みにサバサンドは2002-04年の「ビザンチン迷路」でだったかな。
わたしも中学生の頃からだからファン歴は長いぞー
暑いのでカバーの下に隠れる。いろんな国からの観光客で船はごった返し。
最初は二階の甲板にいたが途中で降りて船の先端に近いところに移る。
いやー気持ちええわ。
かもめが飛んできた。
北海道へ羊蹄丸で行った時もかもめが来たな。あの時も舳にいた。はっはっはっ
両岸の建物を眺めるのも一興。
旧市街地と新市街地とを隔てる海峡。リゾート地と一般の地と。
モスクもよく見える。
これはドルマバフチェ宮殿ですな。
全景は海からしか見えんそうな。
新しいビルも見える。
ああかもめたちよ。
ちょっとばかり「白鯨」や「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」を思い出した。
ヨーロッパとアジアよ。
実に気持ちいい。爽快。
橋が見えてきた。
間もなくターン。
巨大な旗が見える。
チョットばかり昔の朝日放送を思い出したよ…
昔の砲台だか見張りの砦だか。
かっこいいねえ。
さあ戻れ戻れ
ああ楽しかった。
下船後はエジプシャン・バザールへ。
こちらの方がわたしはまだ買えるものがあったな。大量のキャンデーやいちじくの半生を買い、真空パックにしてもらった。味見した半生タイプのフルーツはいずれも美味しかったね。
バザールの中に面白い建物があった。
いい階段。1664年に完成した市場。
キャンデーを売ってたのは坊や。夏休みにはお店の仕事を手伝う子供が多いのもトルコの特徴らしい。
暑かったので出口のストアで飲み物など購入。これも安い。
この日もまたお惣菜のお店で購入したおかずと桃とわたし以外は皆ビールで酒盛りの女山賊の宴でありました。