ほろ酔い日記

 佐佐木幸綱のブログです

富士山万葉集

2018年08月04日 | 日記
静岡県が富士山を世界遺産登録を目指す運動の一つとして、平成22年に「富士山万葉集」全20卷を作ろう、という企画がスタート。5年前に世界遺産登録がなっても、「富士山万葉集」は未完成でしたが、今年の初めにやっと完成。

 その記念ということで、「富士山万葉集シンポジウム」なるイベントが静岡で開催されました。
 参加者は、富士山万葉集の選者をつとめた中西進、馬場あき子、佐佐木幸綱、田中章義。そして川勝平太静岡県知事。
 そんなわけで、一昨日、この異常な暑さのなか、馬場さんと小生は、わざわざ東京から静岡まで行って来ました。

 250人ほどが集まってくれ、富士山の短歌のあれこれについて喋りあいました。
 どんな富士山の歌が人気があるのか。4人が選んだ「ベスト10」は興味深いものなので引用しておきます。

 なお、ここにはありませんが、「1番好きな富士山の歌」で、馬場さんと小生は、偶然、西行の「風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が思ひかな」をあげました。


 

山百合忌

2018年08月01日 | 日記
 2006年7月31日に88歳で他界した鶴見和子さんの思い出を語り、彼女の業績を語り合う「山百合忌」に参席しました。

 この会には、すでに何度か出席されている皇后陛下が、今回もおいでになられました。
 同じテーブルでしたのでお話する機会もあり、「心の花」120周年大会のことをすでにご存じで、その話題も出ました。英詩の会でご一緒している蔵田道子さん情報のようです。
 昭和30年代には皇后ご自身も「心の花」に短歌を出しておられるので、「心の花」のことはよく知っておられます。

 中華料理を食べながらの2時間半ほどの会で、合間に、鶴見さんの短歌を10首あげて話をしました。
 鶴見さんの短歌には、破調それも長いものがかなりあります。7首目は35拍、9首目は49音、10首目はなんと57音もある。鶴見さんらしいな、と思います。
 昔の「心の花」には、定型をあふれてしまう短歌を作る人が何人かいました。中井岳子さん、木尾悦子さんの名前をすぐに思い出します。中井さんはとくにすごく、1首27字詰めで3行なんていうケースも珍しくありませんでした。

 木尾さんは、伸びてきた木が可哀想だと、畳に穴を開け、屋根に穴を開けたりした人でした。また、思いついて、池を床下まで広げ、畳を何枚かはがして強化ガラスを入れ、夜でも池の鯉が見えるようにしたりしました。
 私は何度か木尾さんの家に行ったことがあり、家の中に生えている木や、家の下の池をガラス越しに見たことがあります。

 中井さんは、片付けたり、整理したりしない方針だったそうです。敷地に家を建てる。散らかし放題に散らかして、何年かするとその家を廃墟にし、敷地内にもう一軒新築したのだそうです。
 また、一家の財布は玄関においてあって、家族は好きなだけそこからお金を持って外出する。そんなシステムだったと聞いています。

 鶴見和子さんも、裕福な家で育った方でしたから、無茶な発想を現実化することができる生活だったのでしょうか。思い切った字余り短歌を見て、そんな先輩たちのことを思い出しました。



「心の花」創刊120周年記念大会

2018年08月01日 | 日記
7月28日(土)、29日(日)両日、神田一橋の如水会館で開催しました。
 28日は、奇妙な動き方をする台風が東京を直撃しそうだという中で、「心の花」会員の熱意、招待の歌壇関係者、新聞雑誌の人たちのご支援のおかげで、欠席者も多くはなく、賑やかな会になりました。
 昼間は、馬場あき子、俵万智、佐佐木幸綱による「新とは何か」と題する座談会。
 瀧井敬子、川崎翔子による藝大教授でもあった橘糸重のピアノについての講演と実演。
 さらには、佐佐木頼綱、岩内敏行、寺井龍哉、野口あや子、佐佐木定綱による「短歌これからの120年」と題する座談会。
 夜は、歌壇の人たち、新聞雑誌関係者の人たちと、例によって、遅くまで酒を飲みました。

 二日目は、227首の作品を対象に歌会。
  みづの中に新たな水の生るるとき一匙ほどの砂を持ち上ぐ 桑野智章
来る年の休耕決めかね新藁の青き匂いを腕に抱き居り 清水春美
  新しきいのちを撫でてやや古きいのちふたつがおでこを寄せる 細溝洋子
等の作が、上位となりました。小生の作は、3票しか票が入らず。

 来年は7月末に徳島で。

 写真4枚目は、本大会の実行委員をつとめてくれた人たち。



甲府・金桜神社・信綱歌碑の除幕式

2018年07月10日 | 日記
『思草』巻頭歌の歌碑を建てよう、数年前に晋樹隆彦が思いついたアイディアがついに実現しました。
 以前にこのブログに書きましたが、3年ほど前に、三枝昂之(山梨文学館館長)三枝浩樹(山梨県歌人協会会長)、晋樹隆彦、佐佐木頼綱と小生で、神社に下見に行ったりしました。

 7月8日12時から、昇仙峡に近い金桜神社の境内で、「心の花」会員をはじめ、山梨県歌人会等地元の人たちも来てくれて、70人ほどがあつまって歌碑の除幕式が行われました。
 雨が心配されましたが、幸い降られることなく、無事に式を終えました。私は、最近では、5,6年前に、成蹊学園に建てられた中村草田男句碑の除幕式に参加しましたが、それ以来のことでした。
 神主さんが祝詞をあげ、榊を供える神事のあと、除幕し、みなで祝杯をあげました。

 終わって、昇仙峡にある食堂でみなで食事。その後、多くの人たちは昇仙峡の散策に出かけましたが、例によって、晋樹隆彦、黒岩剛仁、田中薰、沃野の岩内敏行君ら、われわれは集合時間まで甲府のワインや岩内君持参のウィスキーを飲みながら時間を過ごしました。

 『思草』の巻頭歌は、「鳥の声水のひびきに夜はあけて神代ににたり山中の村」。
 この歌は明治36年(1903)、31歳の佐佐木信綱が、甲府の「心の花」会員たちの歌会のための三泊四日の旅の折、昇仙峡近くの旧宮本村での作、ということが分かっています。

 その旅については、「心の花」明治36年6・7・8月号に、小尾保彰の文章があって、かなり詳しいことが分かります。
 今度、あらためてその文章を読んでみました。読んでみて、115年の歳月を実感させられることが2点ありました。この機会に、その点だけ書いていておくことにします。

 一つは、中央本線がまだ甲府までつながっていなかったこと。中央本線は、勝沼に近い初鹿野(現・甲斐大和駅)までしか開通していませんでした(開通したのは信綱の旅の約2か月後)。ですから信綱は、初鹿野からは甲府まで行き、甲府談露館で歌会。それから武田神社や昇仙峡、金桜神社に行くのですが、電車、バス等はなく、馬車と馬と徒歩だったと考えられます。
 当時は、つまり、昇仙峡は東京からまだずいぶん遠かったのです。「……神代ににたり山中の村」は、雰囲気だけではなかった。心理的にも実感的にも、日常から遠い遠い村の夜明けだったのです。「神代ににたり」をそう鑑賞すべきだと思います。

 もう一つは、当時の金桜神社の壮大・華麗だったことが小尾の文章で分かります。今は立派な本殿はありますが、他に大きな建物はありません。
 「……幾百の石段は昼猶暗き老杉の木陰に通ず。少し登りたる処に楼門、中央に義公の筆になれる金櫻神社の額あり。登り果つれば左の方に本殿、其右に鐘楼、額堂並び立ち、彫刻精工を尽したる舞楽殿あり。かかる山中には珍しく美を極めたり」。
 これらは、昭和30年12月17日の火災で消失してしまいました。中宮本殿、東宮本殿をはじめ12棟の建築物や伝左甚五郎作の昇竜降竜が焼失しってしまった、ということです。ちなみにウィキペディアで見ると、信綱が見た当時の、つまり消失以前の金桜神社の写真が2枚掲載されています。

 115年前、信綱訪れた金桜神社、そして現在、新しい歌碑が建った金桜神社はずいぶん違うのだ、と思いつつ式の席に座っていました。
 金桜神社は、サッカーV2リーグのヴァンフォーレ甲府が必勝祈願に訪れる神社として知られています。今後、また変わってゆくことだろうと思います。

 歌碑にも、運のいい歌碑と、あまり運の良くない歌碑があるようです。『思草』巻頭歌の歌碑が、運のいい歌碑として、長く多くの人に出会えることを祈ります。

  

前川佐美雄賞・ながらみ書房出版賞授賞式

2018年07月07日 | 日記
昨夜、第16回前川佐美雄賞、第26回ながらみ書房出版賞の授賞式が、お茶の水のガーデンパレスで開かれ、出席してきました。
オーム真理教の麻原彰晃以下の処刑が行われ、日本各地で記録的大雨による被害が伝えられる中、それでもにぎやかに授賞式、記念パーティがおこなわれました。

以下、雑誌「短歌往来」のために書いた選評を、採録しておきます。

 「前川佐美雄賞」は、奥田亡羊の歌集『男歌男」に決定しました。
 この歌集の独特さは、時事詠・社会詠を見るとわかりやすいだろうと思います。新聞やテレビの取材とは、まったく違う切り口、掘り進め方を見てとることができます。

  「ゲス」という言葉のちから生き生きと蘇らせて美女は顔上ぐ           
  インターフォンより「ママあ、ママあ」と呼ぶ声の幾日か聞こえ消えゆきにけむ
  ユージン‥スミスの写真の奥に日は差して子どもを抱く母の顔あり          
  海の来て海の去りたる野阜(のづかさ)に長ぐつ干して泣く人は見ゆ             
 
 一首目は、解説するまでもないでしょう。 ベッキーと「ゲスの極み乙女」の川谷絵音の不倫騒動です。この作のあざやかな切り口は選考会でも話題になりました。
 二首目は、二〇一〇年、三歳と一歳の子をマンションの部屋に置いたまま母親が五十日間家に帰らなかった、という事件。声そして音だけに焦点をしぼって、いたましい事件を表現しています。
 三首目、ユージン・スミスの写真集『水俣』をうたった作。四首目、東日本大震災に取材した作。野阜は小高い岡の意味です。どれも、いわゆるニュース的な要素をできるだけ排除して、腰を低くしてうたっている点が特色です。ニュースを非ニュース的にうたっていると言ってもいい。マスコミ、ネットとの差異の大きさが魅力です。
 この歌集には、自分の子に取材した作、家族をうたうが多く、また佳作も多いようです。詳しい事情は知りませんが、妻と子は妻の実家がある群馬県に住み、自分は単身、東京に住んでいるらしい。

  浅間山しずかに揺れて火を噴けり少女となりて子は眠りつつ     
  ひらひらと子は走るもの石積みの古墳のめぐりコスモスの咲く
  石の上に焚きし火のあと縄文の家族はここに首を寄せけむ
  子らを遠く人と歩める冬の日の道まがるたび道のさき見ゆ
  ガスコンロの青き炎に十の爪照らしてそこに立っている人
  子の顔を近づけ匂いかがせれば大泣きに泣くこれは水仙
  歩みつつ人となりゆく進化図のはじめの猿のうつむきており

 特色は、日常的な場面に取材した作がほとんどないことです。「ガスコンロ……」の歌はたぶん妻をうたったのだと思いますが、日常を不思議な世界のように表現しているのが象徴的です。近年多い、日常の現実に取材したイクメン歌集と異なるところです。
 「あとがき」によれば、タイトル「男歌男」は佐佐木幸綱の「男歌」からとったとしています。歌集には「男歌男」なる人物がしばしば登場し、ときに戯画化の役をつとめていたりするのですが、結局、「男歌男」のイメージあるいは意味が私にはよくわかりませんでした。

 第26回「ながらみ出版賞」は、岩尾淳子『岸』に決定しました。

よろこびの長さのように川はありところどころに橋は休めり

 歌集を読んで、たとえば「川」と「橋」とをこういうふうにうたった歌は見たことがないので「おっ!」と思いました。とくに「橋」。何本もの橋は休んでいるんですね。
 歌集のタイトルの由来をうたったらしい次の一首にも驚かされました。こういうタイトルの付け方に、はじめて出あいました。

  岸、それは祖母の名だったあてのなき旅の途中の舟をよせゆく

 川や橋、歌集のタイトルをこのように見る特異な感覚が魅力的です。

 当日の。受賞者のほか、選評する俵万智、御祝いにかけつけた「心の花」メンバーの写真を
出しておきます。


     

第52回・迢空賞授賞式

2018年07月02日 | 日記
第52回迢空賞授賞式は、6月29日(金)、5時から、ホテルメトロポリタンエドモンドで開催されました。
三枝君は、学生時代から親しくしている人、今度の受賞をとてもうれしく思います。よかった、よかった!
同時に行われた蛇笏賞受賞式では、有馬朗人『黙示』、友岡子郷『海の音』が受賞しました。

以下、「短歌」6月号に掲載された、小生の「選考委員選評」を引用しておきます。

今年の迢空賞は、三枝浩樹『時禱集』に決定しました。
第五歌集を刊行してから、なんと十六年ぶりの第六歌集だそうです。近年は、三,四年に一冊のペースで刊行される歌集が多い中で、長い時間的蓄積があるだけ、ずっしりと重みのある充実した歌集になっています。

  雪雲の大きな翳が占める森ひえびえとひとつひとつの木あり
  いちめんの大豆畑にしずみゆきゆうひは時をゆるやかにする 

 甲州の大きな自然を大きく表現している点が第一の魅力です。短歌では大きくうたうというのがなかなか難しい。その難しさを乗り越えての佳作が多く見られます。
広々とした自然のたたずまいが、ゆったりとしたリズムで表現されていて、甲州の雪雲や、甲州の夕日までが読める点がすばらしい。

  カウンセリングというふかふかの手編みかな春浅き手をつつみて出でぬ
  百葉箱のような人生という比喩がほんのりうかぶ そうでありたい

 作者は山梨県の高校の英語教師を長くつとめました。そんな事情で学校関係の歌が少なからずあり、そこでは、その場かぎりの出来事としてではなく、背景にある教師の人生、生徒の人生が彫り込まれている点が特色です。百葉箱という地道で地味な存在を久々に思い出しました。
 引用した作ももちろん、愛誦性のある作が多いこともこの歌集の魅力です。文句なく、今年一番の歌集と思います。


写真、選評者の位置からの写真で、横顔しか撮れませんでした。

 


現代歌人協会賞・授賞式

2018年07月01日 | 日記
 第62回現代歌人協会賞の受賞式が6月28日(木)、学士会館で行われました。
受賞歌集は佐藤モニカ歌集『夏の領域』。
 『夏の領域』の帯文を書かせてもらった者として、この受賞をうれしく思います。
 この日、一家で沖縄からでてきたとか。屋良健一郎・佐藤モニカの結婚式に出て以来ですから5年ぶり。

膝の上に眠りゐる子のはみ出せる部分のふえて雲ゆたかなり     

 歌に出てくるのは赤ちゃん時代の屋良健太郎君ですが、すっかり男の子っぽくなって、会場を走り回っていました。



日本記者クラブで講演を

2018年06月28日 | 日記
昨日、6月28日(水)午後。霞ヶ関のプレスセンタービルにある日本記者クラブで、1時間ほど講演をしてきました。
最近では日大のアメリカンフットボールの監督の記者会見があったりして、すっかり有名になった記者クラブ。一度は見てみたいということで、出かけてゆきました。

 「平成時代とは?」といったシリーズの中の一つで、私は、平成時代の二つの大震災なかんずく東日本大震災の新聞投稿歌を話題の中心にして話をしました。
 暑い日で、しかも、ワールドカップで眠い日がつづくなか、誰も来ないのではと心配して行ったのですが5、60人のOBを含めた新聞関係者が集まってくれました。

 立派な控え室があって、手洗いはその部屋専用の手洗いがあり、サッチャーさんも使ったんですよ、とのことでした。

 だれが来ても謝礼はなしということになっていて、写真のようなボールペンをもらってきました。


  


鈴歌子お宮詣り

2018年03月07日 | 日記
 去る3月3日朝、玉川神社に鈴歌子の宮詣りへ。幸いやわらかなな春の日射しが、境内を明るく照らしていました。
 お参りしたのは、鈴歌子と両親の頼綱・薰子、それに朋子・定綱と小生。そしてカメラ担当で、頼綱の筋トレ仲間のストロング山田君。さらに白犬のテオドール。
  ふつうは、お宮詣りは生まれた赤ちゃんの、住んでいる土地の氏神様へのご挨拶だから、中野近辺の神社に行くはずなのに、テオに赤ちゃんを見せたい、という頼綱の切望によって、わざわざ二子玉川まで親子3人でやってきてのお宮詣りとか。
 全員で写っている写真はストロング山田君撮影。あとは小生のカメラ。

 終わって、定綱といっしょに、すでにこの欄に書いた「大学短歌バトル」の会場へ。
 その前に、十数分ほど時間があったので、定綱が行ったことがないという靖国神社へ寄りました。外国人をふくめて、けっこう人が来ていました。


第4回大学短歌バトル

2018年03月05日 | 日記
3月3日、土曜日午後、飯田橋の角川文化財団内の会場で第4回「大学短歌バトル」が行われました。
 選者である栗木京子、穂村弘、小島なお3君、予選の選者だった大井学、千葉聡君、「東京新聞」「中日新聞」の時評のネタにしたいということで佐佐木定綱も出席しました。
 会場は舞台つきの100人ほど入れる部屋。ニコニコ動画の中継があるので、テレビカメラが3箇所で動いていました。

 出場校は予選を通過した8チーム。勝ち抜きで決勝戦は岡山大学と早稲田大学。その結果、早稲田が初優勝しました。おめでとう!! 
 その後、早稲田の3人と選者の3人が「鬼」という題で、エキジビション・マッチを。判者は小生。
 早稲田の3人の作品、そしてエキジビションのときの選者の3首を、当日配布された資料等と一緒にアップしておきます。