2024年5月19日日曜日

関に行って刀を見てきた後に惨事が…

またまた岐阜観光という岐阜尽くしの我が親子。

今日は関市に行ってみました。何と言っても新潟の燕の金属器とか、鯖江の眼鏡とかいうレベルで太古の昔より有名な関の刀剣類。行かない手はありません。

ネットを検索して関の事を調べてみると、刀剣関係の博物館や日本有数のナイフショップ等もあるようです。もう一つ、気になったのは関にやたらと広がっているうなぎ屋の群れ。何故ここにとは思ったのですが、この鰻も気になったので最後に食べてみる事にして出発。

実は関という土地の名前は大学院の頃にお世話になった助手の先生の故郷という事だけ覚えていて、一度は行ってみないとな~くらいに思っていたのでした。

実際には高速で50分程度。あっと言う間に席に到着して最初はせきてらすという関市が企画したと思われるナイフ、包丁、爪切りその他のメタル関連製品で、様々な「切る」をテーマにしたものがずらりと並べてあり、全ての製品が通常売価の2割引きで売られています。私自身は爪切りと毛抜きを買い増して、ハッピーになりました。

その直ぐ傍にある歴史に名高い日本刀の数々を展示している関鍛冶伝承館を息子と訪れ、そこに展示された数々の歴史上の名刀・銘刀を鑑賞させてもらいました。それにしても、太平洋戦争の後にGHQに接収された刀剣がその価値を判るべくも無い米軍の手でボロボロにされた後、再び磨かれたりして美しく展示されているのを見て何だか複雑な気持ちになりました。戦争に負けるというのは文化を蹂躙される事なんだなという現実の厳しさがそういう気持ちを抱かせたのでしょう。

その後は有名なナイフ・ショップの一つ「山秀」に行ってみて、お店の御主人に丁寧にいろいろなナイフに関するミニ知識を授けていただきました。特に、ナイフを買って所持している時に車で移動している時にどこに置いておけばセーフで、どういう所に置いたりしたらアウトなのかという事を事例を挙げながら教えて頂き感心すること頻りでした。

さて、最後はフェザー・ミュージアムというこれまた刃物・カミソリなどの展示されている博物館兼ショップにまで足を延ばそうとしましたが、そこはちょっと時間的に無理でしたので、鰻の名店を博物館の女性に伺ったお店に向かいました。

4時30分に行ったのですが、開店時間の5時の一周目のグループにはギリギリ入れず、駐車場で息子と二人で入店を待ちました。どことは言えませんが量が上から二番目の「上」のうな丼でしたが、正直カリカリ感は強かったのですがたれの量も少なくとても名古屋のうな丼には及ばないなというのが正直なところ。申し訳ないけど一杯4,200円の価値は…という感じでした。

それでも腹は満タン。それなりにハッピーになって名古屋への帰り道を淡々と戻って行ったのですが、その後に惨事が!orz

帰りにいつもお世話になっているおばさんの所にお土産を持っていく途中で息子の座っている助手席から強い異臭が…。どうやら「大」を漏らしたらしい事を一瞬で理解できるレベルの異臭。小は三回ほど連れて行っていたのですが、長い時間、大の方を座らせていなかったところにうなぎ満タンの胃袋で漏らしたようです。

緊急でおばさんの家の直ぐ傍の知り合いの家に寄らせて頂き、申し訳ないのですがそこでお風呂を借りて着替え。頭が上がりませんが気持ち良く受け容れてくれました。この人物、病院ではヘルパーとして患者さんのおむつを毎日換えている方で、あっと言う間に息子のおむつ交換を手伝っていただき、こちらは平身低頭。

「どうって事ない」といわれてひたすら感謝でした。家に帰った後、お礼にお米を送ろうと決意し早速ふるさと納税で20キロのお米をポチッと注文させて頂きました。持つべきものは心温かき専門家です。


2024年5月18日土曜日

遂に娘も30歳!

何と言う事でしょう!とか書くとどこかのテレビのビフォア・アフターという感じですが、遂に娘が大台に乗りました。

前回、日本を発つ前に「待ち遠しいわ30になるのが!」とか言っていましたが、親の心子知らずです。そもそも独り立ちしたからには、彼女の人生をどう決めるかは彼女の一存ですので、私があれこれ言う事は出来ませんし、言った所で聞きませんし…。

あの日生まれてきた日の事は本当に昨日の事の様に覚えていますが、あれからもう30年も経ったんですね。私も当時28歳。今の長女よりも若かった訳で、それを考えると時間の経つのは本当にあっと言う間だと思います。あの時点では私の親父も今の俺よりも若かった訳で、逆算してしまうと自分の親父と同じような流れでの私の近未来はずれ始めている事になります。

とは言っても、その人生の計算というのは私の勝手な都合や夢想によるもので、娘が結婚もしくは孫を生んでくれて~等という昭和世代にありがちな感覚に基づく希望。

まあ、私の家系何て言うものは特にどうって言う事もない雑草ファミリーなので、失う資産や血筋などというものも一切無い訳。

ですから、どうなろうと知った事では無いという第三者的な立場に最近はモノの見方を変えました。滅ぶものは滅び、絶えるものは絶えるだけの話です。孫を抱くという夢もとうの昔に捨て去っていますので、今自分で考えているのは自分で生きていく事の出来ない長男の人生をどう組み立ててやるかという事だけです。

ついでに言うと、自分の人生とかはほぼ野垂れ死にで良いというのが今のところの理想的な死に様。無名の氏名不詳で山の中で野垂れ死にしてイノシシの餌かそこら辺の花の咲く木の肥やしにでもなればと思っています。納骨とか勘弁。w

娘もアメリカで勝手に生活し元気にやって人生を愉しんで、人の役に立つ仕事をしてくれていればそれで良し!

まあ、子供というのは猫型と犬型があるんでしょうが、我が家の娘たちは何れも猫型。都合の良い時だけ近寄って来るのみです。^^

何にも期待しないのが精神衛生上よろしい事にここ数年気づいてからは随分と楽です。

18日になって数分後にアメリカの長女には「誕生日おめでとう」とメッセージを送っておきました。



2024年5月17日金曜日

元同僚?の再々々々逮捕w

今どき彼は所謂ブタ箱の中に入っているのではないでしょうか…。

以前このブログにもちょこっとだけ書いたんですが、「性犯罪」というのは止めようが無いみたいですね。知ってましたが。

T県出身のこの男性、これまた別のT県の医学部に行って卒業したみたいですが、ここで働いている時に判明している分だけで2件の児童買春で逮捕、そして愛知に来てからも判っているだけで今まで2件の事件で逮捕されていました。

実はこの人、私の病院に一瞬だけ勤めていたんですが、一件目の事件が発覚した段階で当院を休職、そしてその休職を解くべきか否かを病院のボンクラ事務長が理事長と話し合っている間に追加としての余罪が出てきて流石にアウト。w

医局では私の背中に席が有ったのですが、退職を噂された後も荷物は久しくそのまま放置されていましたが、恐らくブタ箱に入っている間は荷物を取りに来れんかったんでしょうね。その後、ある日の朝病院に来てみたら忽然として荷物が消えていましたので、夜中にやって来て丸ごと片付けていったのでしょう。

どこでどうしていたのかは知らないのですが、当院に勤めていたころに買ったという家はそのまま住んでいて、時に近くのスーパーで痩せ細った本人が買い物に来ていたのを見かけた看護師さんが面白半分にその情報を私に教えてくれたことがありました。

さて、そして今回で「判明しているだけで」5件目の逮捕。orz

何と16歳の少女と淫らな行為をしたという事で逮捕されています。金を15,000渡して事に及んだというのですが、18歳以下とは知らなかったとか言っていますが、もうね何をか言わんやという感じ。無理です。完全アウト。

恐らくこの人、捕まる度に多額の現金を使って起訴を免れてきた人なんだ思います。何故かというと一度も医道審議会に名前が出てきていないから…。要するに起訴されていないんだと推測するのです。

面倒くさいのでAIに聞いてみると、そんなときに起訴されない場合と云うのは以下の様な感じとの事。

  1. 証拠不十分: 起訴するためには、証拠が必要です。淫行事件においても、被害者の証言や物的証拠(例:メッセージ、写真、ビデオ)が必要です。証拠が不十分な場合、起訴が難しいことがあります。 
  2. 被害者の意向: 被害者が訴えを取り下げたり、訴訟を進めないことがあります。被害者の意向を尊重するため、起訴が見送られることがあります。 
  3. 医師の社会的地位: 医師は一般的に社会的信頼を受けている職業です。医師が淫行事件に関与している場合、社会的な反応や影響を考慮して、起訴を避けることがあるかもしれません。 
  4. 法的判断: 淫行の定義や法的基準は国や州によって異なります。法的判断は裁判官や検察官に委ねられており、事件の具体的な状況によって異なります。
上の案件は恐らくアメリカの事案を日本語に訳しているだけでしょうけど、日本でもそんなもんじゃないんでしょうか。言ってみれば、被害者が金を積まれて丸く収める方向で進めれば起訴されないんでは無いでしょうか?知りませんが。

しかし、それは民事で収まっても刑事だと収まらんという気もするんですが?法律の基礎が無い人間なのでここらあたりは判りません。

とは言え、この人物いま現在私が勤める病院に来るという段階で既に黒丸が付いていた人物だったのにそれを受け容れるんですから申し訳ないけど、病院側も「バカ丸出し」ですよね。まあ、私には関係のない事ですが。

最後にもう一度書かせてください。ロリコンとマザコンは治りません。


2024年5月16日木曜日

未だにカッコをつけたがる親父

親父には変な「こだわり」があります。

実は30年ほど前に親父の友人であり元高校の同級生であった人物がアパートの我が家にマージャンに来ていた時のこと。牌を弄びながらその友人が唐突に親父の高校の頃を話し始めたのです。

親父は最初こそ表情を変えずに聞いていたのですが、話の内容が意外な方向に進み始めると明確に焦り始めました。w その人物の語るところによると「X君は軟派じゃったがね~~(X君は軟派だったよね~:標準語)」という話。軟派の意味は何となくは調べなくとも理解しているつもりでしたが、今回ブログに記録として残すにあたって改めて調べてみると不良青少年で、暴力などより、異性との交渉に興味を持つ者と定義されておりました。w

そう言えば、昔々のそのまた昔、地元の歴史ある高校である大宮高校という高校の商業科に在籍していました。(調べてみると1958年に分離して別の商業高校になったみたいです)実は母親はこの高校の夜間を出ておりまして、親父は授業にはほぼ全く出ずにほぼ柔道をする為だけに通学し、弁当だけ持って授業で飯を食ってそのままふけてほぼ一日映画館に入り浸っていたというお話。orz

親父と母親は同い年ですから同じ高校に通っていたら出会ってるかとは思うんですが、実際はお互い知らずという関係。それは学校での授業時間帯が上記のような理由で擦れ違いになっていたからという何とも不思議な関係。

親父が俺に昔から「勉強しろ」とはほぼ言わなかった理由は恐らくこういう碌でも無い生活を送っていたという負い目が有るからだろうなと今では思っているのですが、敢えてそのような事を親父に問いただしたこともありません。多分、親戚のおばさんに聞けばそこらあたりの事は詳らかにしてくれるとは思うんですけど、それは親父があの世に何時の日か旅立ってからにしようかなと思っています。

さて、今回またまた親父がやってくれました。

突然だったのですが、宮崎のK病院というところから突然の電話。田舎からの、しかも第三者からの電話なんて言うのはほぼ全く良い事であろうはずも有りません。最近は私も大概の事では驚く意欲も失せてしまっておりまして、今回の電話から聞こえてきた女性の声に「すわ、死んだか?」位の覚悟を以て通話を開始しました。

すると、落ち着いた女声で「080-XXXX-XXXXはXさんのお電話ではありませんか?」との質問でした。聞いた瞬間に「ああ、親父電話落としたな」と思ったのですが、親父の番号自体は記憶しておりませんでしたので、自分の手元で電話番号を調べたところ確かにその番号は親父のもの…。

わざわざ電話を掛けて下さった女性に「申し訳ございません、それはうちのオヤジの電話です。もしかして母の見舞いに行った帰りに落としたんでしょうかね」と話すと「ああ、やっぱりそうでしたか!病院の受付の所に落ちていたもので、お見舞いに喜多方のリストと時間帯を調べて推測して掛けさせていただきました」との事。

すっか居r私の方は恐縮してしまって、申し訳無さ一杯。オヤジの非を詫び、「時間帯が遅くなってから焦った親父がもしかして病院に来た時に返して頂くことは出来ますか?」と伺うと、問題なくそのようにしておきますとの事。ありがたかったです。

仕方ないので、親父の妹である叔母に電話して事情を話すと、近場に住んでいる娘に電話を取りに行ってくれるとの事。全く迷惑千万なジジイそのものです。

その後、どこかのスイッチを押し間違ったのでしょう。電話を届けてくれたその娘(私の従妹)と話をしている親父の会話がダダ洩れで入ってきて、しきりに詫びている親父の声がスピーカーから漏れてきました。私に聞かれているとも知らずに従妹に詫び続けていましたが…。

後で叔母さんに顛末を聞いたところによると「カッコ悪いからストラップを首からかけるのは嫌だ!」と駄々を捏ねたとか。爺さん、もうすぐ86です。諦めて携帯にはストラップ着けてくれ!頼む。

2024年5月15日水曜日

暫く見かけないと最近思っていたら

そういう歳なんだなという衝撃が一瞬で脳裏を巡った瞬間でした。

日本に帰ってきてこの病院に勤め始めて9年目に入りますが、自分と歳の近い看護師さん達と云うのは自然と仲良くなることが多いものです。まあ近い歳だからと言って親しくなる訳でも無い事は世の常ですが、それでも気の合う仲間の様な看護師さんはいるものです。

今日はちょっとした書類を事務所に提出しようとしてコピー機の真ん前をサッと通ったのでした。その時、これまた私と同い年の事務の女性が偶然私の前を通り「あら~、先生」と微笑みながらはなしかけてきました。

これはこれで何時もの短い会話なのですが、いつもと違う事が眼の前に飛び込んできました。それは、最近ある病棟で急に見なくなったなと最近思っていた私より一つだけ歳が若い看護師さんの名前。そしてその紙の上には病気による休職願いの文言が印刷されているでは無いですか…。

他人の秘密に…と思って一瞬、躊躇ったのですが、名前を見た上にその更に下に書かれている大きな文字の文章がどうしても目に飛び込んできたのです。

そこに書かれていたのは、どう考えても衝撃的としか思えないような深刻な病名。

一瞬どころか暫くの間言葉を失ってしまいました。それを見た事務の女性も「ですよね…、先生はお医者さんだからこの病気の子と解りますよね…」と言ったきりやはり黙ってしまいました。

数日前から事ある毎に脳裏に出てきて気になっていたこの看護師さんの事が誰に尋ねる事も無くその理由が判ってしまいました。しかも望まない形で。何時もは特に気になる事も無いのに、姿が見えなくなるとこういう形で脳裏に出てきて「探せ」と心が命じるような人物がいるのかと感じてしまいました。

まさか黙って病院を辞めたんじゃないよな?と思っていたのですがそんな事をするような仲ではないし、黙って辞めても気にもならないような人が殆どの中で「オッサン同志仲良くしようぜ!」と言って笑い合っていた彼女の名前に重なった病名に自分の年齢というものの意味が透かして見えたような気がした今日の午後となりました。

近所の病院に入院しているらしい彼女。数名でまとまってお見舞いに行かねばと思いました。