ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『死者と踊るリプリー』(1991) パトリシア・ハイスミス:著 佐宗鈴夫:訳

 この本の原題は「Ripley Under Water」。リプリー・シリーズの第2作が「Ripley Under Ground」(邦題『贋作』)と似ていて、じっさい、その内容も『贋作』から引き継いでいて、まさに「続編」という感じ。ただ、『贋作』(「Ripley Under Ground」)ではじっさいにリプリーはいっしゅん、地中に埋められてしまう展開があり、タイトルに偽りはないのだけれども、この『死者と踊るリプリー』(「Ripley Under Water」)ではリプリーが水中に入るということはない。そもそもリプリーは、このシリーズの中で何度も「水が苦手だ」ということが語られていて、「Ripley Under Water」だとイコール「リプリーの死」みたいなことを考えてしまう。
 ただ、この作品では川の水の中に(『贋作』のとき、リプリーに殺された男の)死体があったわけで、Under Waterといえばこの死体のこと、もしくはこの作品の「悪役」的な存在で、さいごに自宅の池で溺れて死んでしまうプリッチャード夫妻のことになるだろう。
 それにしても『死者と踊るリプリー』とは、またずいぶんとひねった邦題をつけたものだと思う。

 今回の作品、けっこうたっぷりとリプリー夫人のエロイーズが登場して、お得意のフランス語をいっぱい聞かせてくれるし、それ以上にリプリー家の家政婦のマダム・アネットの出番が多く、けっこう重要な「証言者」になったりもする。リプリーらの住まい「ベロンブル」周辺の隣人らも登場するし、そういうところでは、トム・リプリーの普段の日常生活がいっぱい描かれていた、といえるだろう。こういうのがけっこう、つづけて読んできた読者にはうれしいのだ。
 そして今回、リプリーの味方となって共に行動してくれるのは、『贋作』に登場したロンドンのギャラリーのエド・バンベリー。ロンドンからベロンブルにやって来てしばらく滞在し、リプリーの心強い「相棒」になってくれる(って、この二人の描写がやっぱり、そこはかとなく「同性愛」っぽいわけだ)。

 トム・リプリーは、ベロンブルの自宅屋敷で庭の手入れやハープシコードを練習したり、絵を描いたりして日々を送っていた。プリッチャードという名の不快なアメリカ人夫婦が近郊に転居して来て、『贋作』でマーチソンを殺害したリプリーの犯罪を暴露しようとする。
 夫のデイヴィッド・プリッチャードは当初、かつてリプリーが殺害したディッキー・グリーンリーフのフリをしてリプリーに電話する嫌がらせをした。彼はベロンブルの写真を撮り、そのあとリプリーとエロイーズのタンジールへの旅行をつけて行ったりもする。タンジールのバーでリプリーはプリッチャードと喧嘩になりもする。フランスに戻ったプリッチャードは、マーチソンの遺体を探すために地元の川底を浚い始める。
 過去の犯罪が暴かれるのを恐れたリプリーは、マーチソン殺しの経緯を知っているロンドンのギャラリーに連絡し、エド・バンベリーに来てもらう。
 ついにプリッチャードは白骨死体を発見し、リプリーの玄関先に骸骨を捨て置く。リプリーはその白骨を、エドに手伝ってもらってプリッチャード家の外にある池に遺棄した。プリッチャード夫妻は水しぶきの音を聞いて外に出て調べ、池にある白骨死体を見つけて引き上げようとし、転落してしまう。泳げない夫妻は共に池で溺死してしまう。警察が捜査して夫妻の遺体の他に白骨死体も見つけるが、それはもう過去の事件の手掛かりとなることはないだろう。

 いつものように小説はトム・リプリーの一人称で書かれているが、今までのシリーズ作以上にリプリーが「過去の犯罪」の露呈を恐れ、怯えて不安に囚われるさまが書かれる。
 また、いつもであればまさにトム・リプリーこそが「犯罪」を犯し、それを隠蔽しようとする展開になるのだが、今回はまず動くのはプリッチャード夫妻の存在であり、リプリーの方が「あいつらは何をしようとしているのか?」と推理することになり、それがリプリーの抱く「不安」を増幅するようでもある。
 おそらくはリプリーもまた、いつものようにデイヴィッド・プリッチャードへの「殺意」を膨らませるようではあったが、そのような事態に陥る前に、プリッチャード夫妻の方で自滅してしまうわけだ。そういう、ひとつの作品として、「最後の詰め」は相当に甘いというか、「ご都合主義」に思える展開もあるが、まさに「ハイスミス作品」としての「不合理な展開と不安感」には満ちていた。
 しかし、これで「トム・リプリー・シリーズ」もおしまい、というのは寂しいことだ。

 最後に、この本の冒頭にはパトリシア・ハイスミスによる「献辞」が置かれているのだけれども、それが今読んでも興味深いものだし、ここに書き写しておきたい。

インティファーダクルド人たちの
死者と死にゆく者たちへ、
いかなる国であれ、抑圧と闘い、勇敢に立ち向かって、
自らの信念をつらぬいているばかりか、銃弾に倒れていく者たちへ。

 まず、「インティファーダ」とは、アラビア語で「蜂起」を意味する言葉で、 イスラエルに対し「反占領の闘い(インティファーダ)」を続けるパレスチナ民衆のことを指すのだが、1987年にガザ地区で起きた「蜂起運動」を、「第1次インティファーダ」と呼ぶ。ハイスミスの献辞は、この「第1次インティファーダ」に捧げられたもの(「第2次インティファーダ」は2000年に始まり、2005年に沈静化した)。
 「クルド人」についての言及は、この本の刊行される1991年に、イラク北部のクルド人地区(南クルディスタン)で起きた当時のフセイン政権に対する反乱のことが言われているのだろう。この反乱は失敗に終わり、大量の難民を生み出すことになったのだ。

 わたしたちは今なおガザ地区で起きていることを知らされているし、クルド人難民は現在の日本で「クルド人排斥」の動きとなっている。
 30年以上の月日が過ぎても今なお、パトリシア・ハイスミスのこの「献辞」の訴えてくるものは大きい。
 

2024-04-25(Thu)

 先月から「Amazon Prime Video」の「スターチャンネル」というのと、一ヶ月だけのつもりで契約していて、ヴィム・ヴェンダースの作品などを観ていたのだったが、昨日で一ヶ月が過ぎてしまい、継続しないで辞めてしまった。まだ、シャンタル・アケルマンの作品とか観たい作品はあれこれあったけれども、とりあえず今は辞めた。
 自宅にあるDVDで買ったまま観ていない作品もけっこうあるので、しばらくはそういうのを観ていこうかな、とは思っている。

 さて、「物価高騰対応生活支援給付金」というものがどうやらわたしに給付されそうもないという件で、近々市役所へちょくせつ問い合わせに行こうとは考えていたのだけれども、きっと問い合わせたところで「給付対象は令和4年度の納税状態で判断している」ということで、つまりわたしは「対象外」だと言われることが充分に想像できる。そのことに関して、「でもわたしの場合は令和4年の10月には仕事を辞めてしまっているんですよ」などと言っても、「それは別案件です」とされることだろう。先日の電話でもちょっと言われたが、「生活が困窮しているのなら別の部署に相談して下さい」ということになるのだろう。わざわざけっこう遠い市役所まで出かけても、ただ消耗するだけになる。無念だが、もう「給付金」のことはあきらめようと思う。

 今日も気温が上がり、わたしは外に出なかったけれども、室内でもずっと半袖Tシャツだけで過ごした。ニェネントくんは好きなときに出窓へと跳び上がり、猫草をむしゃむしゃと食べているのだった。

     

 今読書中で、もう残りページも少なくなっていたハイスミスの『死者と踊るリプリー』を読み終えた。これがハイスミスの「トム・リプリー・シリーズ」の最終作だと思うと、「もうこのあとはないのか」と、ちょっと寂しくなってしまった。
 実はつい2、3日前に夢をみていて、いつものようにほとんど記憶に残っていないのだけれども、どうやら『死者と踊るリプリー』を読んでいた夢で、そのラストまで読んで「これでシリーズがおしまいだということもしっかり納得が行くなあ」とか思っている、というような夢だったように思う。「これでシリーズもおしまい」というのは、トム・リプリーが死んでしまう、ということだったのだろうか。
 「次は何を読もうか」と考え、同じパトリシア・ハイスミスのさいしょの短編集『11の物語』を読むことにした。
 この日は冒頭の、グレアム・グリーンによる「序」だけを読んだ。
 ヴェンダースの映画『PERFECT DAYS』の中で主人公が古本屋へ行って、この『11の物語』を買うシーンがあるのだけれども、そのとき古本屋のレジの女性が「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思う。恐怖と不安は別のものだと、彼女から教わったの」と語るのだった。しかし彼女の語った言葉はこの『11の物語』のグレアム・グリーンによる「序」の要約ではある。
 グリーンはこの「序」の中で、彼女の作品が「ミステリー/サスペンス」と分類されるにしても、ハメットやチャンドラーの描く「英雄的な主人公や合理的な展開」とは異なる、「不合理な展開と不安感」こそが彼女の作品の特徴なのだと書いている。グリーンはハイスミスの多くの長編作品について短くコメントも寄せているけれども、グリーンにとってのハイスミスの最高傑作は『変身の恐怖』だと書いている(もちろん、この『11の物語』が刊行されるまでの作品でのことであるが)。そして、「もしもこの作品のテーマはなにかと聞かれたら、“不安感”だと答えるだろう」と。うん、わたしも『変身の恐怖』がいちばん好きかもしれない。
 

『ストップ・メイキング・センス』(1984) ジョナサン・デミ:監督 トーキング・ヘッズ:出演

   

 今年になってから、この「名作」の4Kリストア版が国内で公開され始め、ようやくウチのとなり駅の映画館でも上映が始まった。それでわたしも、30年ぶりぐらいにこの映画を観たのだった。
 う~ん、やっぱり映画館の外の寒さを忘れて、熱くなってしまった。まさに「史上最高のコンサート映画」で、この映画の前では『ウッドストック』だって「ちょっと違うんだよね」となってしまう。ここにはとにかく、デヴィッド・バーン、そしてトーキング・ヘッズのメンバーによる一夜のコンサートの組み立てと、ジョナサン・デミ監督によるそのコンサートの「記録」とが合体していて、「おそらく将来的にもこれ以上のコンサートの記録は生まれないんじゃないだろうか」という映画になっている、と思う。

 まあもともと、わたしがトーキング・ヘッズの音楽が好きだったということもあると思うけれども、わたしとて彼らのすべてのアルバムを聴いていたわけではないから、映画の中ではわたしの知らない曲もずいぶんと演奏されたわけだけれども、み~んなわたしの耳には「いいよね!」と受け入れられる。
 とにかくは、まずは「一夜のコンサート」としての構成の見事さというものがあるわけで、音的にも視覚的にも工夫を凝らされた89分を堪能するしかない。

 まずはステージを歩いてくるデヴィッド・バーンの足元のアップから始まる映画。ギターを持ったデヴィッド・バーンはラジカセをぶら下げていて、「やあ、テープを持ってきたよ」と語ってラジカセを床に置き、再生させる。録音されたリズム・セクションをバックに、デヴィッドは「Psycho Killer」を歌い始める。この時点でステージ上は奥までむき出しで、何らライヴのための装飾は施されてはいない。
 次の「Heaven」でティナ・ウェイマスのベースが加わり、バックに台に乗ったドラムセットが運び込まれ、次の曲ではドラムスのクリス・フランツが、さらに次の曲ではギターのジェリー・ハリソンが舞台に現れて演奏に加わる。そしてさらにバック・コーラスの2人、サポート・メンバーのキーボード、パーカッション、ギターが加わることになる。
 この、舞台を1人で始めて、曲ごとにミュージシャンが加わって行くというやり方はカッコよくも画期的で、のちにこのやり方を踏襲したバンドも多かったのではないだろうか。

 このあたり、Wikipediaでこのバンドのことを調べると、デヴィッド・バーンとティナ・ウェイマス、クリス・フランツとはデザイン学校の学生で、在学中に「パフォーマンスアートと寸劇とロックの融合を試みていた学生バンド」に出入りしていたらしい。こういうところからも、「コンサートの演出」についてもともと意識的だったことがわかる。
 また、バンドの音的には時代的にも「ニュー・ウェイヴ」「ニューヨーク・パンク」の一翼を担うとみなされていたのだろうけれども、その後アフロビートやファンクの音も吸収したわけで、けっこうライヴ音として一般受けするような「ノリがいい」「ファンキーな」音でもあったわけだし、しかもタイミングよく、1981年にはティナ・ウェイマスとクリス・フランツとが「トム・トム・クラブ」という「バンド内別ユニット」を誕生させ、その「かわいい(?)」音づくりも人気になって「おしゃべり魔女」などの(トーキング・ヘッズ以上の)大ヒットも生み出していて、この映画にもあるように、ライヴの中で「ここからはトム・トム・クラブだよ~」みたいなことをやって、ライヴの大きなアクセントにもなっていたわけだ。

 メンバーは1曲ごとに楽器を変え(ジェリー・ハリソンとティナ・ウェイマスはキーボードもやる)、特にデヴィッド・バーンはひんぱんに着替えもするし、曲ごとにそのダンス・パフォーマンスも変化させる。やはり有名なのは映画のポスターにもなっている「ガールフレンド・イズ・ベター」でのビッグスーツを着てのパフォーマンスだろう。これはデヴィッド・バーンが来日したとき、歌舞伎、能、文楽とかの日本の伝統的演劇を観て思いついたらしい。
 どうも観ていて、デヴィッド・バーンって誰かに似てると思ったのだけれども、ああ、キリアン・マーフィーに似ているんだと思いあたった。それから、彼がメガネをかけると『アラバマ物語』のグレゴリー・ペックを思い出すのだった。

 バックコーラスの2人を含めて、メンバーのほとんどがグレー系の衣装で身を包んでいたのに気づいたけど、これはやはりジョナサン・デミが舞台照明のことを考えて指定したらしい。ただ、クリス・フランツだけはコンサート初日にそういう衣装が間に合わなかったため、ツアー全体を統一させるため(どの日にも撮影が入っていたのだろう)、初日の衣装で通したらしい。

 わたしはこの映画では観客席は写らないものだと思い込んでいたけれども、実はさいごの曲で観客の姿も写されていたのだったね。
 カメラは観客席側から、そして舞台後ろから、舞台上からとさまざまなところから撮影しているのだけれども、ラストのクレジットをみると「カメラ・オペレーター」として7人の名がクレジットされていた。それがそのまま「撮影カメラの台数」というわけでもないだろうけれども、7台のカメラで撮影したという可能性はある。
 このツアー・ライヴは当初3回の予定だったらしいけれども、追加撮影のために1回追加されたのだということ。

 YouTubeには、この映画を撮影したロサンゼルスのパンテージズ・シアターでの、12月16日(追加公演)の日の、観客席側1台のカメラから撮られたフル映像が残されていた。時間があればコレを観て、この『ストップ・メイキング・センス』と比べてみるのも面白いだろう。


 

2024-04-24(Wed)

 今日は、となり駅の映画館に『ストップ・メイキング・センス』を観に行くことにした。その映画館では音楽関係の作品上映のとき、日によって「爆音上映」といって通常時よりも音量を大きくして上映するのである。まあ「爆音」といっても、まさにライヴのような音量でやるわけではないわけで、そのあたりは「適度に」というところではあるが。それでこの日がその『ストップ・メイキング・センス』の「爆音上映」の日なので、今日観に行くことに決めたのである。
 上映は12時半からなので、ちょっと早く11時ぐらいに昼食にして、12時ちょっと前に家を出た。
 この日は朝から雨で、終日降り続くだろうという予報だった。映画館にさえ行ってしまえば外が雨だろうとかまわないので、傘をさして家を出た。気温もあまり高くなく、長袖Tシャツの上にシャツを着ただけではちょっと涼しいか、という感じではあったが。

 映画館に到着。いつもの最後列の中央通路側の席にする。
 もちろんむかし映画館で観たことのある映画だけれども、観てから30年ぐらい経ってるだろうか。もともとトーキング・ヘッズは好きで、2枚ほどアルバムも持っていたし、この映画の中で演奏される曲もけっこう記憶に残っていた(30年前に映画で観て、それで記憶に残っていた曲もあっただろう)。

 やはり「ライヴ」映画はいい。気もちも高揚する。もう、デヴィッド・バーンが登場して、1曲目の「Psycho Killer」を歌い始めると、ちょっとわたしの目に涙がにじんできてしまった。「爆音上映」というその音量も、「もっと大音量でもいいよ!」とは思ったけれども、こんなものだろう。
 さすがに「史上最高のコンサート映画」といわれる映画。これから先も、これ以上のコンサート映画というのは登場しないだろうとも思えた。

       

 映画が終わって場内を見回すと、お客さんは12~3人だったか(ちょっと少ない)。平日の昼だからわたしと同じような年配の人が多かったけれども、音楽が好きそうな若い人もいた。

 映画館から外に出ると、ほとんど雨もやんでいたようだったけれども、なんだか来たときよりも気温が下がっている感じで、この季節に似合わず肌寒い気もした(わたしが薄着だからいけない)。
 帰りに自宅駅前のスーパーに立ち寄ったが、今は「タケノコ」のニョキニョキ生える季節。そんなタケノコがすっごい安値で売られていた。これだけの大きさのタケノコが300円というのは、それは「激安」だろうと思う。しかしわたしはパンダではないので、タケノコを食べる習慣というのを持ち合わせてはいない。そもそも「あく抜き」とかの下処理がめっちゃたいへんそうだ。安いからといって買うわけもない。

       

 そのかわり、この日は「雨天サービス」というので、トマトが4個で198円と、かなりの安売りがされているのを買った。あと、先日買った「スイートチリソース」があんまり売れてなくってまだいっぱい残っていたので、ついつい、また買ってしまった。5月は「チリソース三昧」になるのか?

 帰宅して、観た映画の余韻も冷めやらず、「Amazon Music」で『ストップ・メイキング・センス』のサントラ盤を聴くのだった。聴いていると、またもう一度映画を観たくなってしまう。ただ、サントラ盤は曲と曲とのあいだが映画での過程がカットされてしまっていて、「無音」になってしまっていたのが、ちょびっと残念だった。

 夜はベッドでハイスミスの『死者と踊るリプリー』を続けて読む。「そうか、そう来たか」というラストの急展開で、「リプリーはどのようにこの危機をかわすのか?」という興味。残り30ページを切り、一気に読み終えることも出来そうだったけれども、それは明日の楽しみに取っておこう。

 本を読んでいるとき、「グラッ」と地震が来た。しばらく揺れていたが、わたしのそばのキャットタワーの上にいたニェネントくんを見ると、ニェネントくんもわたしの方を見ている。「あんたが揺らしてるんでしょ! やめてよね!」という顔つきだ。ちがうちがう、わたしじゃないよ。
 しばらくしてスマホをみたら、震源地はいつもの茨城の南西部。このあたりは「震度2」だったようだが、もうちょっと大きかった気がする。じっさい、ウチの北側の市では「震度4」だった。やはりこのところ、日本から台湾にかけての地震が多いことは、ちょっと気になってしまう。
 

2024-04-23(Tue)

 夜、ベッドで本を読んでいて、ふとニェネントくんのいるキャットタワーの方を見ると、そのキャットタワーのてっぺんにすわっているニェネントくんが、じぃっとわたしのことを見つめているのだった。
 わたしはニェネントくんに「なあに?」と声をかけるけれども、彼女はただ黙ってわたしを見ているだけだ。それでわたしも、ニェネントくんの顔をじぃっと見つめてみる。

 改めて思うのだけれども、ニェネントくんの顔はいわゆる「ネコらしい」可愛らしさとはちょっと違う。目がキリッとつり上がっていて、頬袋のしゃくれが大きい。皆がネット上に「ウチのネコはかわいいでしょ?」と写真をアップしていて、それらのネコはたしかにみ~んなかわいい。でも、そんな中にニェネントくんの写真をアップして「ど~う、かわいいでしょ?」ってやっても、まったく同意は得られないんじゃないかと思う。そういう考え方をすると、つまりはニェネントくんは「かわいいネコ」ではないだろう、とか思ってしまう。
 まだ子ネコだった頃は、お父さんネコの「ラグドール」にも似ていて、いわゆる一般的に言う「かわいいネコ」ではあったと思うのだけれども、もうすっかり成長して「おばさん」になってしまった今、とても「ラグドール」に似てなどいないし、わたしがみると「世界中のどんなネコにも似ていない」気がしてしまう。

     

 夜見るとニェネントくんの眼はオレンジ色しているし、見ているとやはり「ネコじゃない、別の動物なんじゃないかな?」とも思ってしまう。地球上では知られていない動物。そんな、宇宙のどこかから遺伝子が飛来してきた謎の生物がなぜかわたしの家にきて、わたしといっしょに暮しているのだ。
 そんなことを思っていると、こうやってつまらない生き方をしているわたしが、この「ニェネント」という生き物と出会って、いっしょに生きているというのは、「とんでもない奇跡」のようにも思えてしまう。

 しばらくするとニェネントくんはまた、いつものキャットタワーの下のボックスの中に入り込んでいて、目を閉じて寝ているようだった。その寝顔を眺めると、「なんだ、やっぱりニェネントくんも<かわいいネコ>じゃないか」とも思ってしまう。寝顔はかわいい。

     

 ニェネントくんの「全世界」は、つまりわたしの住んでいる家の中だけ(たま~にちょっとだけ、窓から外に脱走するけれども、せいぜい50メートルぐらい外に行くだけだ)。
 彼女はその外の世界を知らないのだから、「外の世界を想像してみる」ということもないだろう。こ~んな狭い、つまらない世界に閉じ込めてしまって、「ホントに申し訳ない」って思っている。いつも「ごめんね」って思っているよ。

 わたしはいつもは2合炊いたご飯で3食分まかなっているのだけれども、昨日いつものように2合炊いたご飯を、4食分にしてやった。
 やはり2合のご飯を4食分にするのは「ちょっときびしい」という感じだけれども、今日の夕食は鶏肉やタマネギやニンジンをいっぱい使ってチキンライスにして、その上にたまご2個を使ったプレーンオムレツをのっけて「オムライス」にしたのだが、これはご飯の量は少なかったのだけれどもボリュームがあって、満腹になったのだった(だから毎食「オムライス」にしようとは思わないが)。

 今日は、昨日観たクローネンバーグ監督の『危険なメソッド』をもういちど観た。けっこうこの作品、やはりわたしの中では「傑作」ということになると思う。
 続けて2回観ると「そうだったか」と思うことも多いし、それでわたしのおぼつかない記憶に焼き付くということもあると思う。ほんとうはわたしは、どんな映画でも2回は観るべきなのだろう(読書でも同じだろうが)。

 読んでいるパトリシア・ハイスミスの『死者と踊るリプリー』、ようやく残り百ページを切った。ま、明日中にはムリとしても、あさってには読み終えるだろう。
 しかし、何という展開だろう。う~ん、これは「リプリー・シリーズ」としても、ハイスミスの作品としても、イマイチなのではないかという気がする。まだ百ページ残っているのだけれども。
 

『危険なメソッド』(2011) デヴィッド・クローネンバーグ:監督

 この作品のことはまるで知らなかったが、ジークムント・フロイトカール・グスタフユングとのドラマ、そこにわたしの知らなかった人物だが、ザビ―ナ・シュピールラインという実在の女性が絡むのである。ザビーナはやはりのちに精神分析医になるのだが、映画の冒頭では彼女自身が精神病院へ収容される患者であり、担当医はユングなのだ。ザビーナはのちにユングと関係を持ち、自身が精神分析医となり、フロイトと文通もする(じっさいにフロイトと会ったこともある)。そりゃあまさに「危険なメソッド」であろう。人物関係を聞いただけでおそろしい。
 映画を観ると、この3人にプラスしてユングの妻のエマ、そして関りは短いあいだだったとはいえ、けっこう強烈なパーソナリティーの持ち主だったらしいオットー・グロース(この人も精神分析医であった)という人物も絡み、もうた~いへんなのである。

 そしてこの映画の監督はデヴィッド・クローネンバーグで、プロデューサーはジェレミー・トーマス。ユングを演じるのはマイケル・ファスベンダーフロイトヴィゴ・モーテンセン、ザビ―ナ・シュピールラインを演じているのはキーラ・ナイトレイなのだった。オットー・グロースはヴァンサン・カッセルが演っている。

 そもそもはこの話、1977年にザビーナ・シュピールラインの日記と書簡が発表され、それこそ「スキャンダル」というか、それまで知られていなかった新事実が明るみになったことから始まっているわけで、書簡にはザビーナからユングへのもの、さらにフロイトへのもの、そしてフロイトからザビーナ宛てのものが含まれていたらしい。
 じっさいにはユングからザビーナに宛てた手紙もあるらしいのだけれども、ユングの遺族が発表をストップさせたらしい(そういう内容だったようだ)。
 そのザビーネの日記・書簡をもとに、1993年にジョン・カーという人が「A Most Dangerous Method: The Story of Jung, Freud, and Sabina Spielrein」というノンフィクションを書き、さらにそのノンフィクションをもとに、クリストファー・ハンプトンが「The Talking Cure」という戯曲を書いたのだった。
 この『危険なメソッド』という映画は、その「The Talking Cure」を、クリストファー・ハンプトン自身が映画のために脚色したものである。

 映画を観ていると、フロイトユングとの対話というのは記録に残っているわけではないから、お互いの著作から、また一般のフロイト評、ユング評から抽出して「二人の会話」に仕上げているようではある。ユングフロイトの理論を「何でもセックスに結び付けすぎる」と批判し、フロイトユングに「神秘思想に接近しすぎているのでは?」と疑念を語る。ただ、互いに「自分のみた夢」のことを語り、その夢を互いに「夢分析」するという場面など、お互いに相手の中にどんな人物像をみているのか、ということが露わになるようで、けっこう面白かったし、ユングとザビーネの「あらあら」という関係、ユングの分析治療のやり方の一端が見られたりもした。

 しかし、ザビーネとフロイトとの手紙のやりとりはまさに「現物」から書き下ろしたものだろうから、かなり生々しいというか、「ナマの声」という感じはする。

 映画としてはユングとザビーネ、そしてユングの妻との関係、ユングフロイトとの関係を追っていくわけだけれども、ザビーネに惹かれているユングは、フロイトによって彼の療養所に送られてきたグロースの「ただ自由であれ」という助言(?)に従ってザビーネと関係を持つ。しかしユングの療養所を訪れたフロイトに、「ザビーネは色情狂」とも言われ、「これからはただ患者としての関係であろう」とザビーネに伝える。しかし関係は続く。
 フロイトは「ユングこそ自分の後継者」と思っていたが、彼のザビーネとの関係、彼の「神秘主義」への傾倒から、ついにはユングと絶縁する。ユング自身も自分のことを「卑俗なブルジョワ」と分析するように、そこには「精神分析理論」の導き出す回答ではなく、「世俗的一夫一婦主義」を捨てられない男の姿があるようだ。ザビーネとの関係を絶ってもまた、自分の患者と交際するユング。彼はザビーネにさいごに、「許しがたいことをしつつ、人は生きていく」と語るのだった。
 
 わたしはザビ―ナ・シュピールラインという人をこれまで知らなかったから、彼女がどのような精神分析理論を唱えていたのかは知らないけれども、映画終盤でのフロイトとの対話で語る「性」と「死」の相克の理論は、むかしちょっと読んだジョルジュ・バタイユの「エロスとタナトス」のことを思い出させられた。
 いろいろと「濃い」対話のつづく映画で、「これはある程度フロイトユングのことは知っていないと厳しい映画だろうな」とは思うのだった。

 途中、フロイトユングとが共にアメリカへと向かい、その船のデッキで二人が夢の話をするとき、フロイトのうしろには夜の暗い海が拡がっていたのが、とっても心に残った。
 

2024-04-22(Mon)

 「物価高騰対応生活支援給付金」について、市役所に電話して聞いてみた。給付金支給対象者はつまり、去年(令和5年度)に「住民税」5000円を払っていない人(住民税を払う対象ではない収入の人)が対象らしいのだが、つまり令和5年度の住民税は、令和4年の収入に対して課されるものなのだ。
 わたしは令和4年の10月までは働いていたから、それまでの収入が計算されるのだろう。実のところ、去年まで「住民税」を払っていたかどうか、しかとした記憶はない(去年は、年間を4期に分けて1期あたり1万円ぐらいの税金を払っていた記憶はあるけれども、あれが「住民税」だったのか?)。
 しかし、わたしの場合は去年からの収入はまるでないわけなのだが、「2年前まではあなたは収入が一定以上あったから、今回の給付金給付の対象ではありません」ということなのだろうか。
 そもそも、「住民税」を払っていたかどうかの記憶もはっきりしないし、上に書いたように「去年から収入はゼロだ」というケースは考慮されないのか、とか疑問もある。
 やっぱりいちど市役所に行ってしっかりと問い合わせしたいという気もあるが、市役所へ行くのは面倒だなあ(どうもどれだけ窓口で自分の情況を語っても、今回の給付金給付からは排除されることには変わりはないような気もするし)。

 今日は天気はあまりよくなく、気温も20℃に届かなかったらしい。天気予報ではこのあたりも雨になる時間が多いといっていて(けっきょく、このあたりでは雨は降らなかったようだが)、それでこの日はいつもの月曜日のように「ふるさと公園」へ行くのはやめ、午前中に北のスーパーへ買い物に行った。
 スーパーへの道を歩きながら道沿いに目をやると、このあたりは思っていたよりもずっと、「ナガミヒナゲシ」がいっぱい咲いているのだった。場所によっては「群生」というか、一面に「ナガミヒナゲシ」のオレンジ色の花が咲いてしまっている。花はどんな花でもきれいなのだけれども、やはり「生態系に大きな影響を与える外来植物」ですからね。「きれいだね」と賛美するわけにはいかない。しかしこれだけ咲いていると、一般の人には「摘花」も簡単には出来ないだろうな。
 そんな中、道ばたに咲いていた「スミレ」の花のことは、「愛らしいな」とは思うのだった。

     

 昼食のあと、朝ドラ「ちゅらさん」の再放送を見ていたが、出てきたライヴハウスのオーナーだかの役で、ふいに鮎川誠が顔を出してきたので、びっくりしてしまった。こういうドラマにも出演されていたのか。この日いちばんの「ビックリ」、だった。

 そのあと、午後からは、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『危険なメソッド』という作品を観た。まったく知らない作品だったけれども、ユングフロイト、そしてザビーナ・シュピールライン(この人のことは知らなかった)という実在の精神科医精神分析家を中心に、3人の愛憎、対立を描いたシリアスなドラマだった。もともとわたしの中でも「フロイト」と「ユング」とは大きな対立項であり、そういうところからも実に刺激的な、面白い作品だった。

 夕食には定番の「肉野菜炒め」をつくろうかと野菜室に放り込んであるニンジンを取り出したら、しっかりと傷みかけていた。店で買ったときのビニール袋に入れたままにしておいたのがいけなかったのだ。
 前に買ったニンジンは一本一本キッチンタオルに包んでジップロックに入れて保存し、すっごい長持ちしたもので、ついつい「ニンジンは長持ちする」と油断してしまったのだ。ニンジンはジャガイモやタマネギではないのだ。今ごろこんなことを学習するなんて、情けないことだった。
 まだ傷んでないところもけっこう残っていたので料理に使ったけれども、あやうく<全滅>するところではあった。