2024/05/24

⚫︎『終末トレインどこへいく ? 』、6話まで。久々に観ているアニメシリーズ。1話、2話がぶっ飛んでいてすごく面白いと思ったのに対して、3話以降、エピソード部分がいまひとつ弱い感じではある。きのこ人エピソード、小人国エピソード、ゾンビエピソード(これはまだ途中)の、どれもそこまで面白くはない。特に、小人国エピソードは、女子高生が巨人化するという絵としての面白さはあるが、お話があまりにありがちというか、ちゃちというか、もうちょっと工夫が欲しいと思ってしまう。

(エピソードとエピソードの間の「つなぎ」回だった4話もとても面白かった。)

四人の女子高生の関係がちゃんと描かれているというのがいい。可愛い女の子がただわちゃわちゃしているというのではなく、かといってギスギスしているというわけでもなく、基本的として仲良しなのだが、常にどこかに小さな緊張とか軋轢とかが発生していて(特に6話ではかなり踏み込んでいる)、それがかなり繊細に捉えられている。この関係のあり方が面白い。

だから、ぶっ飛んだ設定とぶっ飛んだ背景があって(21歳になると動物になってしまうという未来が確定している女子高生、という設定は味わい深い)、その只中を池袋に向かって電車が走っていくというだけで、そこでの4人の関係性がちゃんと描かれれば、中途半端なエピソードがなくても、それだけで充分面白いのではないかと思ってしまう。たとえば、女の子の一人のお尻からきのこが生えてきて、それを引き抜いたら魂が抜けてしまった、という話は面白いけど、その原因となった「きのこ人エピソード」と、その解決のための「小人国エピソード」があまり面白くない、という感じ。

(人は、21歳になると動物になる。何になるかは事前にはわからない。姿は動物だが、心は人間のままで言葉も話せる。しかし徐々に動物の側に侵食されて行くようだ。たとえばモルモットになったら、その後、モルモットの寿命分しか生きられない。)

とはいえ、「すっごく面白い作品」であることを期待(要求)しなければ、普通に観ていて普通に楽しい。途中で嫌気がささないで、最後までちゃんと観ることができそうなアニメは久しぶりだ(『水星の魔女』以来か ? )。

⚫︎子供の頃のしずるが「アリクイと戦いたい、賢くなりたい、きのこをめっちゃ食べたい、小人を見つけたい」と言っていたが、6話までで、そのうち「きのこ」と「小人」は実現したことになる。だから、変貌した世界で、しずるがハルヒみたいな位置にあるとも考えられる。

2024/05/22

⚫︎竹内まりやの「純愛ラプソディ」という曲は割りと好きなのだが、今まで歌詞についてはほぼ意識しないで聴いていて、なんとなく他人の彼氏に片想いするような詞なのかと思っていた。しかし、ふと《とびこんだ/温もりは/他の誰かのものだけど》という言葉が耳に残って、ん、と思った。「温もり」に「とびこむ」というのは、要するに「やってる」ということだろう(愛し方何一つ知らないままで/とびこんだ…、となる)。しかもその直後に「他の誰かの〈もの〉」というけっこうえげつない言い方が続く。

そう思って改めて聞き直すと、かなりエグい歌詞のように読める。いっけん、わたしなんて地味でいつも脇役で…、みたいに遜っている風だが、実は「お前の男、寝とってやったわ」みたいな、負けて勝つ的な勝利宣言のようにも聞こえてくる。《形では愛の深さは測れない》とか言ってるし、相手の男のことを《見えぬ鎖につながれた》とさえ言っている。それにつづく、《あなたの心奪うのは/ルール違反でしょうか》という言葉には、奪おうと思えば奪えるけど、あえて奪わない(踏みとどまる)というニュアンスを強く感じさせる。自分のことを《明るいだけが取り柄》とか《脇役しかもらえなくて》と言っているが、裏腹に、歌詞のなかでは一切言及されない相手の女(男の彼女)に対する優位感(あえて奪わない「わたし」の方に主体性がある)を感じる。

あんな女と付き合っている(あんな女から離れられない)〈あなた〉は可哀想、愛の深さはわたしのが上、と、むしろ付き合ってない(「形」にとらわれない)わたしの勝ち、みたいな。もはや相手の男さえどうでもよくて、自分一人で勝利宣言しているように聞こえてくる。

(さらにもう一捻りして、そのような勝利宣言そのものが「強がり」で、つまり傷ついて精一杯強がっている、と読むこともできるが。《セリフはいつもでひとり言》。)

ドロドロしたものをドロドロしたものとして表現する人は大勢いるし、相当にドロドロしていたとしても、それはべつにそんなに怖くない。しかし、ドロドロしたものを「綺麗な風」に表現する人は、ぼくは怖い。竹内まりやは時々けっこう怖い。この「怖い」は魅了されるという意味でもある。綺麗な風だけど実は「毒」であるという多面性は、いっけんシンプルに見えるポピュラー文化だからこそ重要で、効いているように思う。

(たとえば、森高千里の詞にはこのような多面性が一切ない。この徹底した表面性=薄さ=紋切り型にはまたべつの「怖さ」を感じる。ぼくにはこちらの方がより怖い。)

純愛ラプソディ / 竹内まりや Cover by Megumi Mori 〔044〕 - YouTube

2024/05/21

⚫︎お知らせ。6月6日から、OGU MAGで個展をやります。

inunosenakaza.com

この展覧会では、8年前に吉祥寺の「百年」でやった「人体/動き/キャラクター」で展示した作品の延長線上にある作品も展示します。

前回の展示について。

note.com

前回の展示の時にやった、柴崎友香さんとのトークの記録。

www.100hyakunen.com

前回の展示の後に、永瀬恭一さんがアトリエに来てくれて、話した時の対話(音声)。

eyck.hatenablog.com

⚫︎永瀬さんとは、6月9日の14時から16時に、今回の展示の会場でトークをします。予約は埋まりましたが、ギャラリーでのトークなのでトーク中もギャラリーには出入り自由です。座れないですが話は聞けます。

また、その前日の6月8日、14時から15時に、井上実さんとトークをします。こちらは申し込めば、まだ座って聞けます。申し込みは、一番上のリンク先から。

2024/05/20

⚫︎『蛇の道』に限らず、ぼくにとっては、黒沢清の1997年と1998年の作品はすべて、それ自体で過不足なく完璧な作品なので、それを今さら本人がリメイクするという事実を、なかなか受け入れられない(別の監督がアプローチを変えて、というなら分かるが)。たとえ、リメイクされた『蛇の道』が完璧に素晴らしい作品であったとしても、この違和感はかわらない。

(90年代の黒沢清はあからさまに「男の映画」の作家だったので、男性=哀川翔と女性=柴咲コウを入れ替えたらどうなるかというコンセプト、というかチャレンジ、は、分からなくはないが…。)

(いや、柴咲コウは、哀川翔なのか、香川照之なのか。)

97年と98年に高みを極めた黒沢清が、その翌年の99年に作った凪のような作品『ニンゲン合格』と『大いなる幻影』が、ぼくはすごく好きです。

2024/05/19

⚫︎寝る前に、お酒を飲みながら音楽を聴いていると寝るタイミングを逸してしまって、朝までどころか午前九時くらいになっていて、ヤバいもう完全に一日が始まっていると思いながら寝ることになることがある(でも、そういう時間こそが「生きてる」という感じがする)。

追記。ぼくは自分の耳が悪いことを自覚しているので、音楽を聴くときはつい集中して聴いてしまって、すぐに疲れてしまうのだけど、飲んでいるときは適度にぼんやりと聴き流しているので、疲れずにどこまでいっても気持ちよくて、だからずっと聴いてしまう。

⚫︎十四歳の頃からずっと聴いている。

ハッピー・エンド - 坂本龍一 - YouTube

Happyend - YouTube

Happy End - YouTube

Ryuichi Sakamoto - JAPANTOUR2005 - Happy End - YouTube

Happy End - Yellow Magic Orchestra - YouTube

YMO HAPPY END 奥多摩の河原で演奏してみた 坂本龍一 - YouTube

RYUICHI SAKAMOTO - HAPPY END - TUTORIAL - YouTube

2024/05/18

⚫︎前にも書いたかも知れないが、キリンジの「エイリアンズ」を、ぼくは、ラブドールと暮らす男性の唄としか思えない。地方に住む30歳前後の男性。職場では、仕事はまじめにこなすが口数が少なく、付き合いも悪くて、なにを考えているか分からないとか言われがち。明日は仕事に行かなくては…、という日曜日の夜、部屋で二人きりで過ごす。二人の関係を理解してくれる人など世界に一人もいないだろうという冷え冷えしとした孤独感(世界中から置いてきぼりにされている感じ)と、それでも彼女と二人でいられる幸福感の中で、夜は深まっていく。世界に魔法がかかる。 そう思いながら聴くと涙が止まらない。