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  3. 山菜と油揚げの煮物

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    実家の畑でとったフキは佃煮にしたかったのに父が皮を剥いてしまい

    煮物にするしかなくなった。皮が口に残るのが嫌だろうとなんだろうと

    佃煮用のフキの皮は剥かないものなのだ。以上。友人が摘んでくれたコゴミは

    別名クサソテツという事を知るが「クサソテツの天ぷら」とか

    「クサソテツのおひたし」とか、聞いた感じ耳にゴツいのでここは

    やはりコゴミでいいだろう。自分で茹でた竹の子は、またもヌカを一緒に買い忘れてしまい

    丸腰で茹でたもののアクが無くてツイていた。

    ゲリラ豪雨の中、川を遡上するような格好で自転車を飛ばして向かった

    「美味しい豆腐屋さん」。油揚げは初めて買う。こんなムッチリした揚げが

    一枚100円というのは破格だろう。これは豪雨でも通わざるを得ない。

    これらを盛り合わせるとそれなりになったが、もう一つ彩が欲しい。

    彩り亡者として食べられそうな彩りを漁りに行くとあった。春の七草の一つゴギョウだ。

    これの花ハハコグサが黄色い花を咲かせていた。

    これを一輪摘んであしらいにしたら完成だ。

    一つ一つの具材にささやかなドラマがあり、そんなエピソードの寄せ集めのような

    炊き合わせはなんだか豊かな味がした。

     
  4. 私の鯵

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    大阪の農業高校で行われている授業についてのドキュメンタリーを見ていた。

    合鴨農法用に鴨を雛から育て、成長したら生徒自らの手でしめ、その肉を料理して 他人にふるまうという授業だ。

    鴨の雛は初めて見た動くものを親と認識する。自分の後をトコトコついて来る鴨は 愛らしいが、鴨の行く末を知っているから名前は付けない、とインタビューに 答えている生徒がいた。自分も同じ理由で名前を付けたりはしないだろうと思った。

    Netflixのバーベキューコンテスト・ドキュメンタリー「アメリカンバーベキュー最強決戦! 」では これとは真逆の振る舞いを見る事ができた。

    決勝戦で用意された豚まるごと1頭に、挑戦者たちはそれぞれ自発的に名前を付けるのだ。 豚の名付け親になる事で豚の全責任を負う覚悟を決めている感がある。

    また、 審査員の方も慣れない豚一頭の調理に惑う挑戦者にこう声をかける。 「それはあなたの豚よ」と。

    スーパーで売られるパック肉の供給源の動物達に名前はない。 だけどもそのモモ肉、バラ肉、カタ肉、ヒレ肉の持ち主に思いを馳せ、 生前のその姿に名前を付けるくらいの気持ちは持ちたい。 そして、自分が扱う肉類は、全て捨てるところのないよう無駄なく 美味しく調理していきたいと思った。


    先週、実家近くの魚スーパーで買った大きな鯵は買ってすぐに干物にした。 流石に干物で一献、というのにも飽きたので一尾はほぐし身にした。

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    鯵の開きは焼いてから身をほぐす。
    ほぐした後の骨やヒレや頭はそのままには捨てない。
    水と酒、昆布と一緒に火をかけて煮出せば焼きアゴ出汁ならぬ 焼きアジ出汁になる。

    椀に、温めた余りご飯、ミツバ、ネギ、それからほぐし身を乗せて、 鯵の出汁を回し入れたら「鯵茶漬け」の完成だ。 鯵の焼けた部分から香ばしい、ほうじ茶のような風味が出て美味しい お茶漬けになった。

    これを余す事なく食べ、台所ですっかり味が抜けきった骨ガラを見て これなら「私の鯵」と呼んでもバチが当たらないかなと思うが・・・・そうだ。

    我が母はこの骨を保存しておいて、たまったら油で揚げて骨煎餅にし 骨粗鬆症対策にボリボリ食べていた事を思い出す。


    「私の動物」と呼ぶ境地に至るにはまだ早そうだ。


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    (犬まっしぐらの旨さでした)

     

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    マイ干物にユア醤油を

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    2年ほど前のことだろうか。母の料理を一口食べてあれ?と思った。
    どうにも塩味が薄いのだ。いつも的確な味付けで刺してくる手練れの母にしては珍しいことだった。
    しかしあれからずっと母の料理の塩味は薄いままだ。

    数年前に乳がんを患った母だが、このあたりから味覚が変化したように思う。

    抗がん剤の副作用は多岐に渡ると言うが、母の場合は味覚にも大きな影響があったようだった。

    片胸も髪の毛も失った母に、これ以上の喪失感を与えたくはないので
    この事はずっと黙っていた。
    そして父も兄弟も同じように思ったのだろう。母は味覚が変わった事を
    知らずに今まで通りのハイペースで手作り食品を量産している。

    それでいい。

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    今日のお昼に、と思い先日実家で干してきたアジの開きを焼いた。
    魚を開いたのも振り塩したのも母だったが、やはり塩味がどうにも薄い。

    浸透分を計算しなくてはいけない干物の塩加減は難しいけれど
    「干物は醤油をかけなくてもいい位の塩味がいい」という母の干物は
    いつもその狙い通りの絶妙な塩加減だったのに。

    だったのに。・・・とほんの少し物悲しい気持ちになっていると宅急便で荷物が届いた。
    長野県で米農家をしている友人からの荷物で、中にはジュース
    (というより果汁と呼びたい)と、彼女お手製の醤油が入っていた。

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    「お手製の醤油」という聞き慣れないパワーワードだが
    とにかく丸大豆をあれやこれやして醤油をこしらえているのだ。

    この醤油は色だけでなく、豆の味も塩味も濃かった。
    「チョコレート効果」に例えれば焦茶のやつ(カカオ95%)位のイメージだろうか。ゴリゴリの「醤油原理主義」のような醤油なのだ。

    ほぐした干物、大根おろし。これに友達の醤油をたらり。
    全部一緒に食べるとちょうど良い塩加減と過剰な旨味で口の中が旨い。

    しかしこんなもの米を食べてる場合じゃないだろう。
    という事で急遽「鍋島」(しかも「隠し酒」)の一升瓶を取り出し
    昼だというのにグビリとやる。

    外から差し込む光が目にまぶしく、とりあえず何も問題ない、という
    気持ちになれた。