法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

集会で史実に言及したことが政治的とされ、群馬県が朝鮮人追悼碑を破壊したあげく、撤去費を市民団体に要求

 あいちトリエンナーレ2019年の「表現の不自由展・その後」でも一作品のモチーフとなった朝鮮人追悼碑*1群馬県が破壊して、その費用を市民団体に請求する期日がきた。
朝鮮人追悼碑の撤去費、2062万円 群馬県が市民団体に請求:朝日新聞デジタル

 県は4月18日付で、守る会に対し、代執行費用納付命令書を送付。代執行工事にかかった費用は総額2062万円とし、5月8日までに納付するよう求めている。費用の内訳は記載されていない。

 はてなブックマークは賛否両論だが、たとえば先日にルールの細かさが話題になった県営プール撮影会*2とくらべて、県が運用するルールの妥当性もまた議論の対象になりうるという発想が県の擁護者から欠けているようにみえる。
[B! 群馬] 朝鮮人追悼碑の撤去費、2062万円 群馬県が市民団体に請求:朝日新聞デジタル
 たとえばプール撮影会に対しては記事にある「“ルールも最低限のものだけを決め、抑制的なものとするべき”」というコメントを引くことができていた*3rag_en氏は、記念碑に対しては「そもそも県立公園なワケだし」とコメントした。

id:rag_en ゴミ屋敷の行政代執行とかについては、あまり肯定的ではないけれど、これはまぁ、そもそも県立公園なワケだしなぁ。元々どういう契約になってたのか詳しくは知らんし、撤去費用そんなかかるんだ…とは思うけども。


 ルール違反として集会で政治的な発言があったというコメントが多数あるが、発言内容は下記のとおり、せいぜい日本の歴史学でも認められている範囲の史実をつたえたいというものだ。
朝鮮人追悼碑の不許可は「問題なし」 最高裁で群馬県の勝訴確定:朝日新聞デジタル

市民団体が開いた追悼式で「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと述べたのは政治的発言にあたり、碑が中立的な性格を失ったと指摘。碑の存在が抗議活動の原因になり、公園にある施設としてふさわしくないと県が判断したのは正当だと結論づけた。

 歴史を記憶するための記念碑の集会で、その理念を実現しようとすることが中立的でなく政治的だとするならば、そもそも政治的でない中立的な記念碑などありえないだろう。
 引用したように、判決では抗議活動をひきおこすことも公園施設にふさわしくない要因として認められている。抗議の妥当性ではなく、抗議そのものが撤去の理由として認められてしまったわけだ。
「歴史のデマ」振りまく団体を後押しするのか?群馬県の追悼碑撤去問題 - RKBオンライン

東京都の朝鮮人虐殺慰霊碑前の追悼式典にも抗議が来て、トラブルが起きています。抗議の目的は「慰霊式典自体を中止させ、慰霊碑を撤去させることだ」と、団体も言っています。自分たちが「真実の慰霊祭」をやることによって、本来の慰霊祭とは別にもう一つあるじゃないか、と。「もめているのだったら両方を中止させてしまえ」と東京都が命じることを狙っています。同じ団体が、群馬の碑についてもいろいろな主張をして、県に要請もしているのです。


 また、多くのコメントがあるように裁判で群馬県が最終的に勝訴したことは事実だが、追悼碑を撤去しなければならないという判決が出たわけではない。しかし山本氏は司法判断に責任を転嫁することで要望をはねのけた。
群馬の朝鮮人追悼碑、県は「違反の政治的発言あった」と撤去検討 市民団体は存続求めるが…:東京新聞 TOKYO Web

 追悼碑を管理する市民団体は8月22日、山本一太知事に意見交換の場を求める要望書を出した。これに対し、山本知事は同25日の定例会見で「裁判で示された司法の判断を県が変えることはありえない」とし、意見交換に「余計な期待を持たせることはしない」と言い切った。

 だが現実には撤去は群馬県知事が判断して、その責任を負うわけであり、撤去後には山本氏も認めている。つまり自由な市民が群馬県の判断を批判する自由も当然ある。
群馬・山本一太知事「歴史を修正する意図はない」 朝鮮人追悼碑撤去 [群馬県]:朝日新聞デジタル

「碑自体や、碑の精神を否定するものではない。過去の歴史を修正しようとかいう意図はない」と述べたうえで、「すべて私の責任。県民のみなさんは必ず理解してくれる」と強調した。

 はてなブックマークでは群馬県側が猶予をあたえたり配慮したかのようなコメントも複数あるが、そもそも撤去しなければ撤去費が発生することはなかった。

id:toratsugumi 最高裁の判決まで持ち込んで、時間的猶予を与えて、非の打ちようもない対応した上での請求に、普段公費の遣い方にやたらと文句付ける傾向が見受けられる一部ブクマカが、な・ぜ・か一様に激怒しているのが趣深いw

id:potnips 県が配慮して代替地への移設を提案したのに、市民団体側が拒否し続けたことにより代執行で撤去した案件です。行政による代執行なので請求が所有者に行くのも法律通りhttps://www.sankei.com/article/20240125-W37BTKAZWJO43OQK4ESIQQR2YA/

 ちなみに、上記の産経記事において県知事の山本一太氏は「外交ルートで何か来ているわけでもない」と1月25日の会見で語ったとされているが、実は大使から手紙がとどいていたことが後日に報じられている。
追悼碑撤去前の韓国大使との面談拒んだ群馬知事一転応諾、説明変えず [群馬県]:朝日新聞デジタル

 山本知事によると、尹大使名で知事あての手紙が22日に県に届いたという。手紙のことは知っていたが、読んだのは28日になってからで、会見時点で要請を受けるという返事もしていないとした。その理由について、「連日ものすごい日程だったので」と自身の多忙さをあげて、釈明した。

『Serial experiments lain』雑多な感想

 1998年に放送されたTVアニメ。ワイヤードと呼ばれるインターネットに似た仮想空間から生まれる謎めいた事件を描いたメディアミックス企画。

 TVアニメとしてはシリーズ構成の小中千昭らしいオカルトとデジタルの趣味が強いが、映像の呼吸などは出崎統の弟子筋にあたる監督の中村隆太郎らしさが出ている。
 ゴールデンウィークにAbemaで無料一挙配信されることが話題になったが、以前に購入したDVDでひさしぶりに視聴した。


 徹夜で6時間かけて一気に見たら、『魔法少女まどか☆マギカ』と似た構造の先行作品だったのだなと思う。いわゆる百合のような親友に、隠された異性愛的な情熱がありつつ、それを飲みこむように百合アニメとして終わるところは「まどさや」*1的か。
 初見から印象に残ったのは、第1話のスープをかきまぜる描写が、きちんと液体の中を個体が動くように作画できていて、しかし食卓の冷えこんだ雰囲気を表現するように湯気もなく無機質でマズそうだったこと。しかしそれが最終回のあたたかい食卓と対になっていて、納豆や味噌汁をまぜる描写はきちんと美味しそうになっている対比表現は今回に一気見したことで初めて印象に残った。


 しかし映像は、アニメの技術が進化しつづけた現在になって視聴すると、記憶とくらべて基本的にアナログ制作という印象が強い。もちろん必要なポイントごとにデジタル技術をつかって、レイヤーごとに拡大縮小率を変える奥行き表現や、死すべき少女の笑顔と叫びがオーバーラップする描写など、今見ても演出は古びていない。特に後者は黒沢清VFX演出のような面白味があった。
 背景美術も簡素なことに驚かされる。初見でも再見でも夜にシルエットを多用して省力していたことは印象に残っていたが、現在から見ると何もかも情報量が少ない。デジタル感の強かった繁華街のゴチャゴチャした背景美術は逆にアナログで手描きとわかりやすい。しかし緊張感あるレイアウトで、台詞のない長いカットでも情景が力をうしなわない。日光があたる部分は白くとばして、影に効果を入れた表現が今でも斬新。
 作画はポイント以外は期待より動かない記憶どおりだったし、あらためて見ても使いまわしが多いが、現在から見るとTVアニメでモブをきちんと手描きで動かそうとしているところが多い。終盤の「神」がメタモルフォーゼする作画は記憶どおり良かった。また、シリーズ構成の小中千昭自身が多くを担当した実写パートの出来が意外といい。

『わんだふるぷりきゅあ!』第14話 まゆ、はじめてのお泊り

 ユキの様子がおかしい。犬飼陽子の診察で疲労がたまっているとわかり、点滴をすることになった。不安な猫屋敷まゆがつきそえるよう、犬飼家に泊まることをいろはが提案して……


 香村純子脚本、中村亮太コンテ、広末悠奈演出で内気な少女の友人宅お泊り初体験を描く。広末悠奈は第1話の演出処理以来、中村亮太はシリーズそのものに数年ぶりの参加か。
 OPで初回から予告されている新プリキュアと仲を深める展開が1クールをすぎてようやく入る構成は遅すぎると思うが、それだけ今回がまゆにとって特別な体験だということを視聴者の立場でも実感しやすい。食事に風呂に寝室まで一挙に距離をちぢめるところに楽しさだけでなく緊張感があり、それゆえプリキュアと知られてしまう後半の展開にもスムーズにつながる。
 過労でユキがケージに入れられたままの状態でキュアニャミーが登場しないことで正体がわかる伏線にしたり、全体を見ても良くも悪くもていねいに段取りをふんでいた。


 作画監督の玖遠らぎは第2話*1以来の登板で、当時に関係者が示唆したように上野ケンの変名なのだろう。
 お泊りの光景がかわいらしいデフォルメキャラクターでイメージされたり、上野回らしい絵柄の変化やかわいらしさを堪能できた。けっこう原画の個性を許容しつつ、全体を違和感なく魅力的な範囲でまとめている。
 料理の作画も違和感なく、餃子の種類も形状から区別され、ちゃんと美味しそうに表現されている。

名誉棄損裁判で山崎雅弘氏と雁琳氏はどこで差がついたかといえば、相手を批判するだけの意義と根拠に違いがある

 竹田恒泰氏の主導した歴史教科書が検定を通過したことで、かつて竹田氏に名誉棄損でうったえられて完全勝利した山崎氏が*1、判決をふりかえりながらあらためて批判していた。


富山の教育委員会が、竹田恒泰氏に中高生向けの講演をさせる企画が報じられた時、私は彼の過去の差別的言動や自国優越思想を踏まえて「講師に不適格」と批判しましたが、竹田氏は私がその時に使った「人権侵害常習犯の差別主義者」という言葉が名誉毀損に当たるとして私を提訴しました。その判決です。

 山崎氏のツイートにあるように、争点となったのは学生向けの講演に竹田氏がふさわしくないという論評なので、教科書検定という話題とも合致する。独立した問題をもちだしているわけではない。
 その山崎氏のツイートを「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏が引用リツイートし、裁判は背景や意図も見ながら名誉棄損の判断をくだしていると指摘した。


北村紗衣氏を「ポリコレリベサヨうんこ学者」と批判した雁琳氏は敗訴し、竹田恒泰氏を「人権侵害常習犯の差別主義者」と批判した山崎雅弘氏は勝訴した。2つの違いを見ると、裁判所が批判の外形だけでなく背景や意図を丁寧に見ているとわかる。最初から誹謗中傷目的のものは見破られるということだ。

 下記エントリで参照したように、どちらも名誉棄損で訴えられた側がカンパで裁判をおこなったという共通点はあるが、誹謗中傷か正当な批判かという根底が異なっていたといえる。
雁琳氏に誹謗中傷されたとして北村紗衣氏がうったえた名誉棄損裁判で、比較的に高額の賠償が認められたとのこと - 法華狼の日記

 しかし、そのような寄付金募集で加害へ同調させるような運用をしてはならないという司法の判断がくだされたわけだ。誹謗中傷してうったえられたことで注目をあつめて誹謗中傷をかさねてマネタイズしていくような問題への足止めになってくれるかもしれない。

 その上で、山崎氏の抜粋した判決を読めば、たしかに言葉の表層で裁判の勝敗が決まったわけではないことがはっきりわかる。


 しかし「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏を引用リツイートした雁琳氏は、山崎氏との判決がことなるのは司法が左巻きに狂ってるためだと主張した。


「北村紗衣氏を「ポリコレリベサヨうんこ学者」と批判した雁琳氏は敗訴し、竹田恒泰氏を「人権侵害常習犯の差別主義者」と批判した山崎雅弘氏は勝訴した。」 この二つ並べてみると司法、明らかに左巻きに狂ってるとハッキリ分かるな。

 そして雁琳氏は名誉棄損裁判が批判の外形だけで判断されるかのような誤解から、「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現を一方が自由につかえるかのような虚偽をふりまいた。


「人権侵害常習犯の差別主義者」はおサヨク文脈的には間違い無く社会から追放すべき悪人認定レベルの激烈な重みがあるにも拘らず、竹田恒泰対山崎雅弘裁判の判決で名誉毀損に当たらないとされてしまったことにより、奴等がこれを法的に自由に言っても良いことになっているところが本当に本当にヤバい。


「人権侵害常習犯の差別主義者」と「ポリコレリベサヨうんこ学者」のどちらが、言われた人の「社会的評価の低下」を招くのかなんて、一般的な価値観は勿論のこと、それこそ、人権!反差別!といつも絶叫しているおサヨク的価値観ならば尚更明らかなことではないだろうか。明らかなダブスタだ。

 もちろん「シン・しわ枯れパパ@chanchan_papa」氏は表現が背景や意図までふみこんで判断されたことを指摘しているし、山崎氏の抜粋した判決だけからも雁琳氏の解釈が成立しないことがわかる。

 裁判所は、竹田氏を山崎氏が「差別主義的」と論評したことに「相応の根拠」があると認めた。「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現は穏当さを欠くものの、いたずらに揶揄や侮蔑しているわけではないと認めた。それゆえ「社会的評価を低下させるものであったとしても、公正な論評ないし意見の表明として違法性を欠く」のだと結論づけられた。
 けして「人権侵害常習犯の差別主義者」という表現が社会的評価を低下させないと結論づけたわけではない。むしろ竹田氏の社会的評価を低下させてでも、批判するだけの意義と根拠があったことが認められたのだ。


 名誉棄損という判断が表現の外形だけでくだされるかのような誤解は、雁琳氏だけではない。
 たとえば「5億円 2017@Beriya」氏の下記ツイートも誤解をまねくところだろう。たしかに相手が多用する表現に揶揄をとどめれば一般的に問題にはなりにくいが、今件には当てはまらない。


「人をクズ呼ばわりするのに法的な根拠は一切いらないと思う」とせっかく表明してくださってるんだから、「クズ」呼ばわりくらいに留めておけばよかったと思いますよ。

 法的な根拠がいらないという主張は、根拠がいらないという主張ではない。相手の言葉の強さにあわせて相手を批判すれば、一般的にも法的にも強さそのものは許容されるべきと判断されることが多いが、根拠のある批判に根拠なく反論しても良いというわけではない。
 雁琳氏が負けた一審判決を読めば、さまざまな争点で事実誤認が認定されており、ただ表現をやわらげれば妥当な批判になったというわけではまったくない。
http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf
 たとえば争点1からして、時系列を誤認して北村氏が和解に反して行動したかのように主張したことで名誉棄損が認められている*2。そして争点1のツイートは、下記のように単独では罵倒的な表現はつかっていない。


いや、北村氏自身がかの(呉座氏の処分の原因になったとされる)オープンレターの発起人の一人(これは和解後に出しています)なんです。

 逆に争点7のツイートは、下記のように話題の「ポリコレリベサヨうんこ学者」がつかわれているが、「一方的な罵詈雑言」であって「社会的評価を低下させるものとはいえない」と判断され、実は名誉棄損は認められず名誉感情侵害が認められている*3


北村さえぼう、小宮友根など、Twitterでこいつクソやなと思うポリコレリベサヨうんこ学者の本を読んでみる会というのをやってみたいな。

 裁判所は批判そのものの妥当性と、批判につかわれた言葉の強さをそれぞれ判断している。人文学者であるはずの雁琳氏は、判決文で明記されたことすら読みとれなくなっている。


 そもそも順序が逆なのだ。意義と根拠に応じた強さの表現をつかうから批判に正当性が生まれるのであって、批判したい気持ちを満たすために法的にゆるされる限界まで言葉を強くすることに正当性はない。
 もちろん公言されなければ内心の正当性を第三者がおしはかることは難しいし、時には批判者が自分自身を騙していることもあるだろう。しかし言葉の強さという表層にばかり意識がとらわれているようでは、意義と根拠こそが批判の根本だということを忘れてしまう。

*1:天皇玄孫の竹田恒泰氏、戦史研究者の山崎雅弘氏を名誉棄損でうったえて、「負け戦」を経験する - 法華狼の日記

*2:判決文ノンブル27頁。オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」が呉座勇一氏への攻撃目的として出されたという陰謀論をとなえたいなら、オープンレターを出した後で和解したという時系列で認識したほうが整合すると思うのだが、なぜか和解後にオープンレターが出されたという認識が一部で定着してしまっていた。こちらのエントリで複数の誤解を記録している。 呉座勇一氏と北村紗衣氏の和解金をめぐって、オープンレター以上に大変な事態になるのでは? - 法華狼の日記

*3:判決文ノンブル43頁。

国立国会図書館デジタルコレクションの一般向け無料送信サービスに、サンリオSF文庫や辻真先ミステリなどが多数追加

 1980年代の絶版書籍が大量に追加されたなかで、レーベルが消えて再翻訳もされていない作品が多いサンリオSF文庫が特に話題になっている。
幻の「サンリオSF文庫」、国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開中【やじうまWatch】 - INTERNET Watch

 「サンリオSF文庫」は1978年に創刊された文庫で、休刊となった1987年までに全197冊が発刊された。いずれも海外作品の翻訳で、絶版のまま復刻に至っていないタイトルもあることからファンの間では根強い人気があり、古書も高値で取引されている。今回、この「サンリオSF文庫」が国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開されていることが明らかになり、ファンは歓喜。書誌情報を見る限り、収録タイトル数は160前後と約8割をカバーしており、しかも利用者自身の端末を用いてインターネット経由で閲覧できる「個人向けデジタル化資料送信サービス」に対応しているというからすさまじい。

 日本のSF作家では、山田正紀神林長平新井素子なども初期作品がいくつか。これらはおおきめの図書館なら収蔵している可能性が高いとは思うが。
地球・精神分析記録 : エルド・アナリュシス - 国立国会図書館デジタルコレクション
七胴落とし - 国立国会図書館デジタルコレクション
あたしの中の… - 国立国会図書館デジタルコレクション
 SF以外では、トリッキーさで知られる辻真先推理小説初期作品が多数読める。『天使の殺人』のように後年に復刊されるほど挑戦的な作品もある。
天使の殺人 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 パズルのように緻密にくみあげた謎かけと謎解きで楽しませる、代表的なパズラーだった鮎川哲也のミステリも多数ある。
楡の木荘の殺人 : 鮎川哲也初期コレクション1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 鮎川哲也が編んだアンソロジーもいくつか読めるが、なぜか収録作品の各著者は詳細検索ではひっかからない。全文検索をつかうしかなさそうだ。
恐怖推理小説集 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 1973年に発行された『安部公房全作品』もそろっているらしい。さすがに写真で読む送信サービスよりは図書館で借りたほうが読みやすいとは思うが。
安部公房全作品 1 - 国立国会図書館デジタルコレクション
 他にも、しばらく著作権は切れなくて青空文庫にはいらないが、絶版になって入手も難しいような作品がけっこう入っている。


 アニメ関係の希少な書籍としては、「わとそん@doctoruwatson」氏が紹介しているアニドウ発行の『未来少年コナン』テーマの書籍、通称「黒本」*1が注目か。


わー!
アニドウ発行の未来少年コナンの黒本が国会図書館デジタルコレクションの個人向け送信サービスに入ってる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438088

 中古の流通が多くて入手はしやすいが、先日に亡くなられたいのまたむつみの『宇宙皇子』関係の画集2冊も送信サービスで読める。
いのまたむつみ画集「宇宙皇子」 - 国立国会図書館デジタルコレクション
いのまたむつみ画集「宇宙皇子」 2 - 国立国会図書館デジタルコレクション